急転直下の決着と、おぼろげながら見えてきたような気がするもの。

一昨年くらいから話題になり続けていた「オプジーボ」の特許使用料分配をめぐる小野薬品と京大・本庶佑特別教授との間の争いが、「和解」という形で決着したことが報じられた。

「がん免疫薬「オプジーボ」を巡り、ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学本庶佑特別教授が小野薬品工業に特許使用料の分配金約262億円の支払いを求めた訴訟は12日、大阪地裁で和解が成立した。小野薬品が本庶氏と京大に計280億円を支払う。これにより特許使用料を巡る一連の争いは決着する。」(日本経済新聞2021年11月13日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ)

提訴が報じられたのは昨年の6月のことだから、ここまでの月日は1年半にも満たず、提訴以前に当事者間でかなり激しい見解の相違が顕在化していたことを考えると、非常に早い決着だったといえる。

記事の中でも「発明の対価に関連する国内訴訟で支払われる金額としては過去最高」と報じられているとおり、会社側が支払ったとされる金額の数字は極めて大きい。

以前、提訴が報じられた時の金額は「約226億円」だったから*1、記事にある「約262億円」という本庶教授側の請求額の数字はそれよりも大きなものだったのだが*2、報じられた小野薬品の支払金額は請求額をさらに上回る数字となっている。

ただ、これについては、記事の中でも、

「小野薬品が本庶氏に解決金として50億円を支払い、京大に設立される「小野薬品・本庶記念研究基金」に230億円を寄付する。」(同上)

と、「280億円」の全てが原告に対する支払いではないことが報じられているし、より詳細な小野薬品工業側のプレスリリース*3によると、

1.当社は、ライセンス契約で定められたロイヤルティ料率を変更することなく、今後も本庶氏にロイヤルティを支払います。
2.当社は、以下の趣旨で、本庶氏に対し50億円を支払います。
 1)ライセンス契約に係る紛争の全面解決に対する解決金
 2)3つの特許(特許第4409430号、特許第5159730号および特許第5885764号、以下「本特許」)及びこれに関連する国内外の特許の有効性を巡る対第三者訴訟において本庶氏が当社に協力したことに対する報奨金
 3)本特許を含むライセンス契約の対象特許における本庶氏以外の発明者に対する清算
3.当社は、国立大学法人京都大学(以下「京都大学」)における今後の教育研究環境の充実及び教育研究支援事業に対する経済的基盤を拡充し、我が国における産学連携の新たな形を示すために、かねてより社内にて検討してきたとおり、当社の自由な意思に基づいて、京都大学内に設立される基金「小野薬品・本庶 記念研究基金」に230億円の寄付を行います

と、当の「50億円」の内訳も、単に「解決金」と一括りするのが憚られるような細かい中身となっているから、これをもって「本庶氏の取り分が実質的に上乗せされた。」日本経済新聞2021年11月13日付朝刊・第7面)と評価するのが適切かと言えば、ちょっと首を傾げたくなるところもある*4


この問題に関しては、当ブログでもこれまで度々取り上げてきた。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

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この過程では、企業実務にかかわってきた者として、発明が首尾よく製品化されて多額の利益を生み出すようになってから「ライセンス契約に基づく対価が低すぎる」として争われたのでは企業側はたまったものではない、という思いでずっとエントリーを書き続けてきたし、それは今となっても変わらない。

ただ、今回の和解の報道の中で、「そうだったのか…!!」と初めて気づかされたのは、

研究成果に関するライセンス契約は、当初は今回の訴訟の争点ではなかった。もともと争われたのは、小野薬品が米メルクとの特許侵害訴訟で得た和解金などの分配を巡る問題だった。」(日本経済新聞2021年11月13日付朝刊・第7面)

というくだりで、その後に、

「訴訟がこじれた原因は両者の契約の曖昧さにある。メルクとの訴訟の分配金に関し、文書の契約を交わしていなかった。」(同上)

とあるのを見て、「なぜ、これがこんなに深刻な争いになったのか」ということがようやく理解できた気がする。

日経紙の記事では、「訴訟により得た対価の分配ルールを決めていなかった」ことが”曖昧”と指弾されてしまっているのだが、通常の第三者からのロイヤリティ収入とは異なる、侵害訴訟が起きた時の賠償金・和解金、といった(発生するかどうかも分からない)イレギュラーな収入の分配まで開発、特許出願段階で詳細に定めている契約は、日本国内ではもちろん海外でも決して一般的ではないと思う*5

もちろん、実際に事が起きた時にどちらが対応するか、相手方はその時どうするか、といったことまでは契約書に書くとしても、訴訟、紛争は”生き物”。
解決に至るまでの間に矢面に立たない共同発明者がどの程度汗をかくか、もケースバイケースで、淡々と手続を進めることで勝てる案件もあれば、特許の有効性まで激しく争われ、共同発明者側で実施した様々な実験データ等も駆使してようやく・・・という案件もある。

だから、本件でも、最終的に「メルクに勝った。良かった!」となった時に、そこに至るまでの貢献度に応じて対価の分配方法を決める、というのは決しておかしなことではないし、「それでは曖昧だから」ということで一律に事前に一切の例外なき分配ルールなど定めようものなら、より深刻な対立を招きかねないように思われる。

以下はあくまで憶測にすぎないが、おそらく本件では、

・会社としても訴訟での本庶教授側の貢献は高く評価しており、「40%」支払っても惜しくないと思っていた。
・一方、本庶教授側は、従来のロイヤリティの配分率に不満を抱いており、”そもそも論”で、会社側の提案にすんなり応じなかった。
・そこで会社は、「訴訟の解決金もロイヤリティの一種だから・・・」*6ということで従来の配分率でひとまず処理せざるを得なかった。

ということだったのではなかろうか。

そして、こういう状況の下では、会社側には「本庶教授との契約の中で、訴訟の解決金の配分までは明確に定めていなかった」という弱みがあるし、一方の本庶教授側にも「あったのはあくまで『口頭の約束』だけ」という訴訟での立証を考慮すると致命的な弱みがあるから、裁判所としても、当事者双方に主張したいことを一通り主張させた上で、早々に和解勧試を行い、話し合いのテーブルに乗せる、ということは比較的行いやすかったのではないかと思われる。

記事では、

「裁判で両者の主張が大きく食い違って解決のらちがあかず、裁判所が和解を勧告。和解案に、対立の発端となったライセンス契約に関する「解決金」を盛り込み、なんとか両者が折り合ったというのが実態だ。」(同上)

とややネガティブにも思えるような書き方がされているのだが、会社にしてみれば、「メルク訴訟の解決金の配分だけでなく、長年の懸案だったロイヤリティ配分率や他の発明者への配分の問題まで解決することができた。しかも従来の契約の配分率を維持する形で。」という時点で大勝利だし、本庶教授側にとっても「280億円」というまとまった金額をここで得られる(しかも、今後も引き続きロイヤリティ収入を得ることができる)というのは、決して損な話ではない*7

(丸く、かどうかは分からないが)「双方のメンツを保って争いを収める」ことができた、という点では日本の裁判所の良さが発揮された決着だったのではないかと思われるし、今回の問題の根の深さを考えると、「訴訟で得た解決金の配分ルールを契約書で決めていなかった」ことが一気通貫的な解決につながったという見方すらできるわけで*8、”結果オーライ”的な面もあるとはいえ、これで良かったのではないか、と個人的には思っている。


なお、記事(前記日経朝刊第7面)の中には、

「発明対価はグローバルの収益に基づき、欧米の基準にも合わせて配分するという先駆的な事例になった」
「今後、日本でも特許訴訟が高額化するだろう」

という有識者のコメントも掲載されているのだが、既に見てきた経緯を踏まえれば、1つめのコメントが的を射たものではない、ということは明らかだろう。

また、2点目に関しても、今回はたまたま「高額」となったが、それは医薬品という特許と製品の結びつきが明確な分野で、かつ「訴訟の解決金」という形で特許の価値が顕在化していたからであって、仮に今後、これを”模倣”する形での提訴の動きが相次いだとしても、同じような結論に辿り着ける可能性は極めて低い、ということは念頭に置く必要があるように思われる*9

今後、今回の解決の報道を機に、様々な”我田引水”的論説が出てくることも予想されるだけに、ひとまず釘を・・・というところである。

*1:火蓋は切られてしまったが・・・。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。

*2:提訴後に請求の拡張がなされたのかもしれないが、詳細は定かではない。

*3:訴訟の和解成立に関するお知らせ | ONO CORPORATE

*4:そして、後述する本件の経緯を踏まえればなおさら・・・である。

*5:少なくとも自分は外国企業との契約の中でも、そこまで決めていたような契約はこれまで見たことがなかった。

*6:これもケースバイケースだが、訴訟で和解的解決をした場合、賠償金に相当する額を「ロイヤリティ」名目で支払う、というのは比較的よくある話である。

*7:どちらかと言えば会社側に有利な和解内容ではあるが、判決まで行けば本庶教授側の請求が全面的に棄却される可能性も皆無ではない事件だったから、この時点で280億円の支払が確定した、というだけで、本庶教授側にとってのメリットも大きかったと言えるのではないかと思われる。

*8:仮に契約書に「訴訟で得た解決金も1%しか教授側には分配しない」ということが明確に書かれていたとしたら、怒り心頭の教授側は、ありとあらゆる手を使って契約の有効性を争ってきた可能性もあり、その場合、これだけ短期間で決着させることができたかどうかも疑わしい。その意味で「契約の曖昧さ」を全ての元凶のように言うのは、本件に関しては決して適切ではないように思うところである。

*9:かつての「青色LED」の判決以降、多数の職務発明訴訟が提起されたが、一審が叩き出した対価額はもちろん、控訴審での和解額を上回る補償金を得た事例すら皆無だった、という現実も記憶にとどめておくべきだろう。

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