株主総会シーズンの到来を前に思うこと。

6月の1週目も終わり、3月期決算の会社の総務、法務関係の仕事で飯を食っている人間にとっては、いよいよ、という時期になりつつある。

自分は、金融庁が「余計なお世話」な感じの報告書を出す20年近く前から、預金利息の低さに危機感を抱いていた人間だから、20代の頃から、株式にもちょこちょこ手を出していた。
しかも、博打好きなくせに、「買った直後には大体株価が下がる。それでしばらく持ち続けていると愛着がわいて売るに売れなくなる」*1という、短期投資には極めて不向きな性格だから、1単元、2単元くらいのレベルで、脈絡のない超分散型のポートフォリオが組まれることになる。

したがって、毎年この時期になると、あちこちから大量に「株主総会招集ご通知」が届くことになり、今年も、大体出そろった今日の時点で数えてみたら、ざっと30弱。

世の中には、Webにアップされる招集通知をくまなくチェックして、的確なコメントを発信されている機関法務パーソンの鑑のような方もいらっしゃるので、「紙で送られてきてようやく目を通す」レベルの自分があれこれコメントするのは申し訳ない気もするのだが、せっかくサンプルがあるのだから、ということで、気づいたことをいくつか書き残しておくことにしたい。

グレードアップした招集通知&添付書類のカラフルさ。

自分が株を買い始めた頃、総会招集通知と言えば、極めて「定型的」なものだった。
招集通知の定型フォーマットに始まる一貫した白黒のコントラストの束の中に、参考書類、事業報告、計算書類が続き、最後に監査報告が載る、という一種の「様式美」。

それが年を追うごとに、実に各社様々、バリエーションのあるものになってきている。

今年に関して言えば、特に目立つのが、SDGsのカラフルなアイコンを使って「サスティナビリティ課題」の説明をしている会社で、そういうのを見ると、「資金潤沢な一流企業は違うなぁ」と感心せざるを得ない。

もっとも、あまりに各社の個性が際立ってくるようになると、同業社間での記述を比較したい時などに、該当箇所にたどり着くまで結構苦労する、という事態にもなってしまうわけで*2、多少フォントとかレイアウトは凝っていても、記載事項の「配列」に関しては「様式美」をある程度踏襲してくれている会社の添付書類の方が、何となく落ち着くのも確か。

あと、どんなに資料全体のビジュアルに気合が入っていても、肝心の「株主総会参考書類」が資料の末尾の方にならないと出てこないようなものを見てしまうと、「ちょっと目的を勘違いしていないか?」という突っ込みも入れたくなってしまうわけで、「主」と「従」の区別はきっちりつけていただいた方が良いのではないかな、と思うところである。

株主提案は増えた、のか?

このテーマに関しては、前日の日経朝刊に、以下のような記事が載っていた。

「2019年の株主総会で、株主が議案を提出する「株主提案」を受けた企業が54社と過去最多となった。目立つのは投資ファンドなど機関投資家による提案だ。」(日本経済新聞2019年6月8日付朝刊・第2面、強調筆者、以下同じ。)

この数字の母数がいくつなのか、ということは確認できていないのだが、自分の手元に来たものだけで5社あるし、1社はプロキシーファイトの対象にもなっているようだから、確かにまぁ活発、と言えば活発なのだろう。

ただ、長年、銀行とか電力会社の株式を保有している身としては、かつてに比べると「個人株主」による集中砲火的な提案の数はむしろ減っているような気もしていて、「増えた」と言われてもあまり実感は湧かない。

そして「この内容なら受けてもいいんじゃないかな?」という提案に、取締役会から「反対」意見がかぶせられているのを見てしまうと、その会社の会社提案に対しても、どうしても厳しい目を向けざるを得ない、ということは、正直に申し上げておきたいところである。

関西拠点企業の総会担当者の苦悩やいかに・・・。

添付書類の中身以上に、今年の「変化」として目についたのは、関西拠点企業の日程や会場の変更。
最初、何社か見た時は理由がよく分からなかったのだが*3、↓の記事を見て、なるほど、と思った。

www.sankei.com

国際的な大イベントだけに、やむなしと言えばやむなし、なのかもしれないが、株主が多い東京圏の会社の場合、場所を変えずに株主総会の日程(曜日)を一つ動かすだけでも、かなりの大ごとだったりするわけで、東京に比べれば会社数が少ないとはいえ、その分会場に適した〝ハコ”の数も限られている関西圏で、こんな試練に立ち向かわないといけなかった各社の総会担当者がどれだけ苦労したか、察するに余りあるところである。

個人的には、「よりによって何でこんな時期に、大規模な国際会議の日程を都市圏で設定したのか」という突っ込みを入れたいところではあるのだけれど、民間企業の裏方の苦労を、役人や政治家に理解してもらうのは、そうたやすいことではない、というのも分かっているだけに、何とも言えない気分になる。

「監査報告書」への苦言

添付書類の記載に会社ごとの個性が色濃く反映されるようになったり、株主提案が出てきて参考書類の中身もエキサイティングになっていたりする中で、唯一不変の「様式美」を保ち続けているのが「監査報告書」の3連発(独立監査人の連結、単体&監査役会の監査報告書)である。

どこの会社のものを見ても、ほぼ例外なく、ほぼ同一の文言のテンプレ。それが20年近く変わらない。

別に、財務諸表を隅から隅まで叩いても全く埃が出ないような優良企業で、面白い監査報告書を書く必要はないと思うし、かつて某料理レシピサイトの会社であったようなエキサイティングな監査報告書ばかりだと、株主としては頭を抱えてしまうのだが*4、「継続企業の前提に関する重要な不確実性」を「強調事項」として記載しなければいけないような会社に関しては、もうちょっと踏み込んで書いてくれてもいいんじゃないかな、と思うところはあるわけで・・・。

計算書類の「注記」の方でしっかり書いているから、総会招集通知の添付資料として付ける方の記述はシンプルでよいのだ、という考え方はあるのかもしれないが、全ての株主が、わざわざ当該会社の計算書類を見に行くわけでもないのだから、せめてダイジェストでまとめて記載するくらいはしておいてほしいかな、と個人的には思った次第*5

この部分の「様式美」が改められてはじめて企業統治に新時代が訪れる、と思うところはあるだけに、今後の監査報告書の記載の見直しの動きに沿って、今年度の決算以降、徐々に変化の兆しが出てくることに期待したいところである。


以上、本エントリーでは、一介の株主、として、評論家のごとくいろいろと書いてしまったが、各社の当事者(中の人)にとっては、「とにかく無事に、何事もなく終わってくれ」という思いしか出てこないのがこの時期の常だし、総会専従でない担当者(自分も基本的にはこのカテゴリーにいた)が、本来は通常業務に費やすべき貴重な時間を割かれながら、それでも綱渡りで何とか必死に6月を乗り切ることに注力している、ということも身に染みて分かっているので、立場は変われども、温かい心だけは忘れずに見守りたいな、と思っていることは、最後に明確に申し上げておくことにしたい(そして、この時期の、総会の仕事だけには、できることなら二度とかかわりたくない、と思っていることも・・・(苦笑))。

*1:特に、食べ物系の株主優待が付いている銘柄は、自分の愛着以前に、「家族も楽しみにしている手前、売るに売れない」という蟻地獄にはまる・・・。

*2:例えば、自分が毎年楽しみにしている「業務の適正を確保するための体制」の書きぶりや、「社外役員に関する事項」の注記等。

*3:某製薬会社などは、事実上もう関東圏の会社になっているわけで、大阪でやる方が違和感があったし・・・。

*4:当該会社の株式はいまだに売れずに持ち続けている・・・。

*5:一番問題なのは、そんな会社の株式を未だに売り逃げ出来ずに持ち続けていること、だったりもするのだが・・・。

これが「限界利益」説の到達点なのか?

ここ2日ほど時事ネタが続いたところで、本業に戻ろう。

これも時事ネタ、といえば時事ネタなのだが、今朝の日経朝刊に以下のような記事が掲載されていた。

「化粧品の特許侵害を巡り、侵害者が支払う賠償金の減額が認められるかなどが争われた訴訟の控訴審判決が7日、知的財産高裁の大合議(裁判長・高部真規子所長)であった。高部裁判長は賠償金の算定基準を示し、減額が認められる事情についても初判断を示した。」(日本経済新聞2019年6月8日付朝刊・第34面)

正直、これだけ読んで何の話なのか分かる人はほとんどいないだろうし、知財法に詳しくない人よりも、むしろ詳しい人の方が読んで混乱するのではないか、と思う。

知財クラスタの関係者であれば、この後に出てくる、

「高部裁判長は判決で、経費に該当するのは、材料費や運送費など直接的な内容に限られると指摘し、人件費や交通費などは含まれないと結論づけた。」(同上)

というくだりを読んで、初めて、ああ「限界利益」の控除費用の話か、と何となく感づき、「初判断」というのが、あくまで「大合議法廷では初めての判断」という意味だった、ということを理解することができるのであるが、今度は逆に、知財法に精通していない人にとってはチンプンカンプンになってしまうはず。

幸いにも、最高裁のWebサイトに、早々と知財高裁の判決文がアップされたので、ちゃんとそこに目を通しながら、以下で〝翻訳”を試みてみたいと思っている。

知財高判令和元年6月7日(平成30年(ネ)第10063号)*1

控訴人(一審被告)
:ネオケミア株式会社、株式会社コスメプロ、株式会社アイリカ、株式会社キアラマキアート、ウインセンス株式会社、株式会社コスメポーゼ、クリアノワール株式会社
被控訴人(一審原告)
:株式会社メディオン・リサーチ・ラボラトリーズ

本件は、一審原告が、保有する2件の特許権(特許番号第4659980号「二酸化炭素含有粘性組成物」、特許番号第4912492号「二酸化炭素含有粘性組成物」)に基づき、一審被告らが製造販売する「炭酸パック」やその一部の製品に使用する「顆粒剤」の製造販売差し止め、及び損害賠償を求めた事件である。

当然ながら一審被告らは、構成要件該当性を争った上で、無効論まで展開したのであるが、第一審(大阪地判平成30年6月28日)*2では、特許権侵害の成立が認められ、差止・廃棄請求に加え、特許法第102条2項又は3項により算定される損害額+弁護士費用の損害賠償が認容された。

そして、被告7社が命じられた損害賠償額を合計すると、約3億4000万円くらい。
この種の小規模な会社同士の事件としては、かなりの高額賠償事件であり、一審原告の主位的請求額の約8割が認容されたことから、控訴審においても特許法第102条2項、3項の適用が主要な争点となり、その結果、「特許法102条に基づく損害賠償額の具体的な算定方法」という、かねてから裁判例でも学説でも様々な議論が飛び交っていながら、そんなにかっちりとした判断が示されていなかった論点を大合議が取り上げることになったのだろうと思われる。

さて、以上の前振りを踏まえて、損害論に関する知財高裁大合議判決の説示を見ていく。

大合議法廷は、まず、特許法第102条2項の趣旨と適用の可否について、

特許法102条2項は,「特許権者…が故意又は過失により自己の特許権…を侵害した者に対しその侵害により自己が受けた損害の賠償を請求する場合において,その者がその侵害の行為により利益を受けているときは,その利益の額は,特許権者…が受けた損害の額と推定する。」と規定する。特許法102条2項は,民法の原則の下では,特許権侵害によって特許権者が被った損害の賠償を求めるためには,特許権者において,損害の発生及び額,これと特許権侵害行為との間の因果関係を主張,立証しなければならないところ,その立証等には困難が伴い,その結果,妥当な損害の塡補がされないという不都合が生じ得ることに照らして,侵害者が侵害行為によって利益を受けているときは,その利益の額を特許権者の損害額と推定するとして,立証の困難性の軽減を図った規定である。そして,特許権者に,侵害者による特許権侵害行為がなかったならば利益が得られたであろうという事情が存在する場合には,特許法102条2項の適用が認められると解すべきである。」(32頁、強調筆者、以下同じ。)

という常識的な説示を行った上で、「侵害者が受けた利益の額」について、以下のように述べた。

「そして,特許法102条2項の上記趣旨からすると,同項所定の侵害行為により侵害者が受けた利益の額とは,原則として,侵害者が得た利益全額であると解するのが相当であって,このような利益全額について同項による推定が及ぶと解すべきである。もっとも,上記規定は推定規定であるから,侵害者の側で,侵害者が得た利益の一部又は全部について,特許権者が受けた損害との相当因果関係が欠けることを主張立証した場合には,その限度で上記推定は覆滅されるものということができる。」(32~33頁)
特許法102条2項所定の侵害行為により侵害者が受けた利益の額は,侵害者の侵害品の売上高から,侵害者において侵害品を製造販売することによりその製造販売に直接関連して追加的に必要となった経費を控除した限界利益の額であり,その主張立証責任は特許権者側にあるものと解すべきである。」(33頁)

長年、「粗利益」か「純利益」か、はたまた「限界利益」か、という壮大な議論が繰り広げられてきたこの「利益」とは何ぞや?という論点も、この10年、20年くらいの間に、ほぼ「限界利益」を採用するということで実務上は決着を見ていたのは事実。

ただ、一審被告は、少なくとも地裁段階では、「 売上額から控除すべき費用について,限界費用に限定するという法律上の根拠はなく,相当因果関係の有無により規律されるべきである(民法416条)。限界費用以外の費用についても,それにより会社が存続し,工場が稼働するものであるから,売上高に応じた金額が控除すべき費用に含まれると解するべきである。」という主張を行っていたし、大合議判決でのこのあっさり感はちょっと拍子抜けな感がしないでもない。

大合議判決は、さらに続けて、控除することが認められる費用について、以下のように説示する。

「控除すべき経費は,侵害品の製造販売に直接関連して追加的に必要となったものをいい,例えば,侵害品についての原材料費,仕入費用,運送費等がこれに当たる。これに対し,例えば,管理部門の人件費や交通・通信費等は,通常,侵害品の製造販売に直接関連して追加的に必要となった経費には当たらない。」(33頁)

「侵害品を追加的に製造販売する際に発生する費用」についてのみ控除を認める、というのも、従来から「限界利益」説のコアになっていた考え方ではあるのだが、上記判旨の凄いところは、これまで〝ケースバイケース”で判断されることが多かった”費用の内訳”についてまで、ざっくりと言い切ってしまったこと。

そして、続く具体的なあてはめの場面で「R&Dセンターの研究員の人件費」「パート従業員の人件費」「広告費」「サンプル代」といった費用に関し、「控除すべき」と主張した一審被告側の主張をことごとく退けたところがハイライト、といえるかもしれない。

よく読むと、今回の大合議判決も、上記費用に関する一審被告側の主張をカテゴリカルに退けているわけではなく、あくまで一審被告(控訴人)側が「製造販売に直接関連して追加的に必要となった」ことを十分に立証できていない、ということを主な理由として退けているように読めるから、場合によってはこれらの費用まで売上高から控除される可能性も完全には否定されていない、ということになりそうだが、同時に、被告側が相当頑張らないと控除してもらえないんじゃないか、という雰囲気もひしひしと感じられる。

また、大合議判決は、一審被告が強く争っていた、102条2項の「推定覆滅事由」に関しても、判断を示した。

特許法102条2項における推定の覆滅については,同条1項ただし書の事情と同様に,侵害者が主張立証責任を負うものであり,侵害者が得た利益と特許権者が受けた損害との相当因果関係を阻害する事情がこれに当たると解される。例えば,特許権者と侵害者の業務態様等に相違が存在すること(市場の非同一性),②市場における競合品の存在,③侵害者の営業努力(ブランド力,宣伝広告),④侵害品の性能(機能,デザイン等特許発明以外の特徴)などの事情について,特許法102条1項ただし書の事情と同様,同条2項についても,これらの事情を推定覆滅の事情として考慮することができるものと解される。また,特許発明が侵害品の部分のみに実施されている場合においても,推定覆滅の事情として考慮することができるが,特許発明が侵害品の部分のみに実施されていることから直ちに上記推定の覆滅が認められるのではなく,特許発明が実施されている部分の侵害品中における位置付け,当該特許発明の顧客誘引力等の事情を総合的に考慮してこれを決するのが相当である。」(37頁)

このように大合議判決は、「推定覆滅」の事情を明確に列挙したのだが、結論としては、一審判決同様、推定覆滅は認めていない。

最後に特許法102条3項に関する判断。

特許法102条3項所定の「その特許発明の実施に対し受けるべき金銭の額に相当する額」については,平成10年法律第51号による改正前は「その特許発明の実施に対し通常受けるべき金銭の額に相当する額」と定められていたところ,「通常受けるべき金銭の額」では侵害のし得になってしまうとして,同改正により「通常」の部分が削除された経緯がある。特許発明の実施許諾契約においては,技術的範囲への属否や当該特許が無効にされるべきものか否かが明らかではない段階で,被許諾者が最低保証額を支払い,当該特許が無効にされた場合であっても支払済みの実施料の返還を求めることができないなどさまざまな契約上の制約を受けるのが通常である状況の下で事前に実施料率が決定されるのに対し,技術的範囲に属し当該特許が無効にされるべきものとはいえないとして特許権侵害に当たるとされた場合には,侵害者が上記のような契約上の制約を負わない。そして,上記のような特許法改正の経緯に照らせば,同項に基づく損害の算定に当たっては,必ずしも当該特許権についての実施許諾契約における実施料率に基づかなければならない必然性はなく,特許権侵害をした者に対して事後的に定められるべき,実施に対し受けるべき料率は,むしろ,通常の実施料率に比べて自ずと高額になるであろうことを考慮すべきである。したがって,実施に対し受けるべき料率は,①当該特許発明の実際の実施許諾契約における実施料率や,それが明らかでない場合には業界における実施料の相場等も考慮に入れつつ,②当該特許発明自体の価値すなわち特許発明の技術内容や重要性,他のものによる代替可能性,③当該特許発明を当該製品に用いた場合の売上げ及び利益への貢献や侵害の態様,④特許権者と侵害者との競業関係や特許権者の営業方針等訴訟に現れた諸事情を総合考慮して,合理的な料率を定めるべきである。」(42~43頁)

考え方としては、まさに田村善之教授が長年にわたって主張されてきた線に沿ったものであり*3、これも違和感はない。

そして、最後にざっくりと出した「合理的な料率」は「10%」

「①本件訴訟において本件各特許の実際の実施許諾契約の実施料率は現れていないところ,本件各特許の技術分野が属する分野の近年の統計上の平均的な実施料率が,国内企業のアンケート結果では5.3%で,司法決定では6.1%であること及び被控訴人の保有する同じ分野の特許の特許権侵害に関する解決金を売上高の10%とした事例があること,②本件発明1-1及び本件発明2-1は相応の重要性を有し,代替技術があるものではないこと,③本件発明1-1及び本件発明2-1の実施は被告各製品の売上げ及び利益に貢献するものといえること,④被控訴人と控訴人らは競業関係にあることなど,本件訴訟に現れた事情を考慮すると,特許権侵害をした者に対して事後的に定められるべき,本件での実施に対し受けるべき料率は10%を下らないものと認めるのが相当である。」(45~46頁)

前記田村教授の論文の中でも紹介されているとおり、「10%」という数字は決して珍しいものではないのだが、平均実施料率が5~6%くらい、ということを認定しつつ、裁判上は「10%」まで引き上げる、ということを明確に述べ、上記規定趣旨をストレートに反映した判断を示した、という点では意義がある、といえるのかもしれない。

以上、元々テクニカルな論点の上に、今後の下級審判決への影響も考慮してか、今回の大合議判決が、終始、非常に「教科書的」な説示を行っていることもあって、あまり面白みのない”翻訳”になってしまったが、結論だけ見ると、本判決でも一審原告(被控訴人)の請求がほぼ全額認容されており、総額約1.4億円くらいの賠償が認められている*4

この国では長年、「特許訴訟の損害賠償額が低すぎる」ということがまことしやかに言われ、今年の特許法改正のメニューの中に、損害額算定規定の見直しが一部盛り込まれたのもその影響ではあるのだが*5、今回、知財高裁が、「別紙」として請求額と認容額の対比表や、いつもなら黒塗りで塗りつぶされても不思議ではない細かい費用の内訳まで丁寧に付けて*6、損害賠償額について丁寧に解説した判決を出したのは、「そうじゃない」ということをアピールしたかった、という面もあったのかなぁ・・・、と自分は思わずにはいられなかった。

*1:特別部・高部眞規子裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/717/088717_hanrei.pdf

*2:第26民事部・高松宏之裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/963/087963_hanrei.pdf

*3:かなり昔の論文にはなるが、知財管理掲載のhttps://lex.juris.hokudai.ac.jp/coe/articles/tamura/article05b.pdf参照。

*4:高額賠償が命じられた一審被告の一部は控訴しなかったようで、その分トータルの金額は低くなっているが、認容率としてはかなり高い。

*5:「知財立国」時代の残り香、のようなもの~令和元年特許法改正への雑感 - 企業法務戦士の雑感参照。

*6:一審判決でも一部の費用や料率等については黒塗りになっていた。

戦うべき時と場所。

「カネカ」のプレスリリースに関する前日付けのエントリー*1には、多くの方が目を通してくださっているようで、本当にありがたいな、と思っている。

で、自分は、あの記事を、あくまで法的観点からの分析をベースに書いたつもりだったのだが、若干”おまけ”的に言及した「プレスリリースのスタンス」に関して、その後、プロフェッショナルなブロガーの方が書かれた記事に接したので、ご紹介しつつ、前日のエントリーでは言及できなかったことを少し補足しておくことにしたい。

ご紹介する記事はこちら。↓

news.yahoo.co.jp

執筆されているのは、「ネットコミュニケーションの視点」というテーマで興味深い記事を提供しておられるアジャイルメディア・ネットワーク取締役CMOの徳力基彦氏なのだが、一連の騒動の流れを時系列で分かりやすく解説した上で、

「今回の炎上については、カネカ側の一つ一つの対応が、かえって騒動を大きくしてしまっているのは明白です。」

とコメントされ、さらに、

「個人的には、今回の騒動においては、カネカ側が炎上の初動から「弁護士的対応」に特化してしまったことが、騒動が拡大するような燃料投下を次々に行う結果を生んでしまっていると感じています。」

として、「なぜ弁護士的対応に特化すると、炎上対応を間違えてしまうことが多いのか」という点について、以下のポイント3点を挙げた上で、それぞれについて詳細に解説しておられる。

■社会的な適切さではなく、法律的に適法かどうかの基準を重視してしまった。
■世間とではなく、退職した社員とカネカとの戦いだと思ってしまった。
■対応方針が決まるまで、推定無罪で対応してしまった。

「裁判所での裁判を想定して法的基準を軸に対応をする」ことを指すものとして徳力氏が定義した「弁護士的対応」という表現に対しては、日頃から多角的な視点を踏まえてアドバイスを行っている弁護士の方々から「違う表現にしてくれ~」というぼやきが出てきそうな気もするし、本件の対応には、「法律的に適法かどうか」という基準に照らしても疑義があるのは、昨日のエントリーで書いたとおり。

なので、どちらかと言えば、徳力氏の分析を踏まえて今回のプレスリリースを定義するなら、「弁護士的対応」という表現よりは、

「裁判での主張」的対応

といった方が、法務界隈の方々にはニュアンスが伝わるかな、と思うところである*2

もちろん、解説されている内容に関しては、プレスリリースの内容、スタンスから、広報部門の対応のまずさに至るまで、まさにそうだよね、と膝を打つ指摘ばかりで、大いに共感させていただけるところが多かったのはいうまでもない。

そして、最後に書かれている「二つの選択肢」(6日のコメントを最後のコメントとして口を閉ざすか、それとも、これまでの常識を根本から見直し、世間にもう一度説明するか)についても*3、感じ入るところは多かった。

*1:戦う相手を間違えるな。 - 企業法務戦士の雑感

*2:訴訟代理人の流儀にもよるが、裁判になった時の当事者の主張が、後々舌をかまないギリギリまで過激なものになるケースは時々あるし、特に労働事件に関しては、双方の「針小棒大」的な主張の応酬になることも稀ではない。

*3:おそらく本件では前者の道をたどることになるのだろうけど。

続きを読む

戦う相手を間違えるな。

やはり、今日エントリーを上げるのであれば、この話題に触れないわけにはいかない。
本日時点で以下のWebサイトに掲載されている、「当社元社員ご家族によるSNSへの書き込みについて」というコメントについて、である。

www.kaneka.co.jp

本件のこれまでの経緯に関しては、Twitterの各種まとめサイトや「日経ビジネス」等でも取り上げられているところなので、あえてここでは書かないが、一言で申し上げるなら、伝統的な家庭内の役割分担が大きく変化した「令和」の時代の話としては、

「会社側の配慮がなさすぎる。その後の対応も稚拙にすぎる」

という話。

で、「それに対して、どういうリアクションをするのだろう」とそれなりに多くの人々が固唾をのんで見守っているところに、当事会社がWebサイトのトップページに、

「元社員の転勤及び退職に関して、当社の対応は適切であったと考えます。」

というコメントをストレートに返してきたものだから、ちょっと仰天した、というのが、本日のハイライトだった。

このリリースに至るまでの対応も含め、危機管理、広報、IR・・・、といった観点から、当事会社の対応について突っ込みたいところは多々あるのだけど、これらの点については、既に他の方がいろんなところで論じておられるようだから、それをここであえて問題提起するまでもないだろう。

ただ、長年、企業法務に従事してきた者として一点だけ突っ込みを入れておきたいところがあるとしたら、以下のくだりだろうか(強調筆者、以下同じ)。

3. 当社においては、会社全体の人員とそれぞれの社員のなすべき仕事の観点から転勤制度を運用しています。 育児や介護などの家庭の事情を抱えているということでは社員の多くがあてはまりますので、育休をとった社員だけを特別扱いすることはできません。したがって、結果的に転勤の内示が育休明けになることもあり、このこと自体が問題であるとは認識しておりません。
4. 社員の転勤は、日常的コミュニケーション等を通じて上司が把握している社員の事情にも配慮しますが、最終的には事業上の要請に基づいて決定されます

元々、当事会社の対応の是非、という話からは離れて、「転勤命令自体は法的に問題なかった」というコメントをされている方は、弁護士等の専門家の中にも多かったから、会社としてもここは自信を持って強調したい、と考えて、上記のような表現になったのだろう。

だが、転勤命令の適法性に関するリーディングケースとされる最高裁判例(最二小判昭和61年7月14日、東亜ペイント事件)*1は、以下のように説示している。

「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもない」

ここで「濫用」というフレーズが使われていること、さらにこれに続く判旨が、

当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。」

と、「濫用」となる場合を狭く限定するかのような内容になっていることから、「使用者の転勤命令に関する裁量は広範に認められる」というのが、これまでの人事業界、というかサラリーマン社会の定説だったのは確かである。

しかし、ここで重視すべきは、今から30年以上も前、「男性労働者は会社の言う通りに動くのが当たり前」だった時代ですら、最高裁が「転居を伴う転勤」が「労働者の生活関係に少なからぬ影響を与える」ということを指摘していたこと、そして、「転勤命令権は無制約に行使することができるものではない」と言い切っていることだと自分は思っている。

そして、「業務上の必要性」が認められる場合ですら、転勤命令が「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるもの」であるときは、「特段の事情あり」として、当該命令が無効となる余地があることを最高裁は認めている、ということも指摘しておかねばならない。

昭和61年最判以降に出された判例の多くが、上記規範のあてはめの場面で「通常甘受すべき程度」をかなり高いレベル(労働者にとっては厳しいレベル)まで認め、使用者の転勤命令の有効性をフレキシブルに認めてきた、という実態はあるのは事実だが、この「程度」に関する評価は、時代とともに当然に変わってくるもので、帝国臓器製薬やケンウッドの事件で配転命令の有効性が肯定されていたからといって、今、それと似たような事実関係の下で、最高裁が同じ判決を書くとは限らない*2

ましてや、(現時点での当事者側の主張をベースにするならば)本件においては、転勤命令を食らいそうになった当事者の「不利益」が、「通常甘受すべき程度を著しく超えない」と言い切れるだけの理屈を探す方が難しいように感じられる*3

それなのに、なぜ、上記3~4のような強気のリリース文になるのか・・・。


企業が何らかのプレスをする場合には、「多少見解が分かれるような話であっても、「強気」のコメントを打たないといけないとき」というのが必ずある。
新しい技術やサービス等に関し、世の中でもそれらに対する見解がまだ定まっていない場合(したがって、「強気」の見解を押し通すことによってそれをデファクト化することができ、しかもそれによって世の中の便益が高まる、といえるような場合)などは〝攻め”の観点から強気に出た方が良い結果になることが多いし、逆に、反社会的勢力からクレームを付けられているような場合であれば、”守り”の観点から「強気」で突っぱねても、それによって非難を受ける可能性は低いだろう。

だが、本件は、明らかにそのようなケースではないし、「強気」で言い切ったプレスリリースの内容自体、読んだ者に好印象を与えるものでは全くない*4

「中の人」としては、いきなりのツイートで会社が火だるまになったこともあって、”何としても外敵を撃退してやろうという義侠心”から、「強気」のリリースを出してきたのかもしれないが、それは蛮勇。

一連のツイートとその背景にある多くの人々の”共感”は、まさに今の時代の世相を的確に反映したものなのだから、当事会社が社会から「優れた会社」として評価を受けたいと望んでいるのであれば、それは戦うべき相手ではなかった

SNSで沸き立っている人が考えるほど、SNS上の評判は企業の業績に直結するものではないし、BtoB主体の会社となれば、それはなおさらなのだけど、「戦う相手」を間違えて無駄なエネルギーを放出している組織の中で仕事をするのは実に空しいし、そういった空気がこの先も持続するようなら、組織は確実に疲弊する。

今回はとっさにやむなく「強気」のコメントを出してしまったものの、その裏でひそかに平行して、この会社が「古い日本企業的な価値観」とも戦ってくれている(今後の転勤命令の運用を多少なりとも見直す等)のであれば、まだ救いはあるのだがなぁ・・・と老婆心ながら思わずにはいられない。

*1:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/925/062925_hanrei.pdf

*2:昭和61年最判以降の判決はあくまで事例判決に過ぎないので、ややこしい判例変更の手続きをとるまでもなく、ちょっとでも事案が異なっていれば、判断がガラリと変わる可能性はある。

*3:こういうことを言うと、「転勤命令に関する使用者の裁量がなくなってしまう」とか、「転勤命令がフレキシブルに出せないようになってしまうと、今の日本の終身雇用システムを維持できない」等々の反論が必ず来るのだが、一定以上の規模の会社であれば、当事者の利益や希望に最大限配慮しても、人を回せるだけの余裕はどこかにあるし(大きな組織では、現在の職場で仕事をし続けたい人もいれば、「上司と合わないので今すぐ他の部署に行きたい」と思っている人とか、「将来の出世につながるなら多少の場所的不利益も厭わない」と思っている人もいるのだから、本人の利益への配慮を強めたとしても、会社の選択肢がなくなるわけではない)、そもそも「終身雇用」なんて話自体がもはや砂上の楼閣のようになりつつある今、一貫したキャリアや人脈形成を寸断させるリスクがある「会社都合の異動」を野放図に認める方が、日本の雇用システムの危機につながる、ということも自覚する必要がある。かつて使用者側に配転の裁量を認めることのメリットとして説明されていたことの多くは、今の時代には通用しない、というのが自分の認識である。

*4:特に「元社員から5月7日に、退職日を5月31日とする退職願が提出され、そのとおり退職されております」というくだりなどは、この「元社員」がそのように記載した退職願を出すまでの間にどれほどの有形無形の圧力を受け、どれほど逡巡したか、容易に想像がつくところだけに、「社員が勝手にそうしたんだから、会社には責任がない」的なコメントには怒りしか湧いてこない。

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これぞ正真正銘の「必死のパッチ」

歳をとると、いろんなものに免疫ができてきてしまって、いわゆる”煽り”的な演出には、「感動」する前に引いてしまうことの方が多いのだけど、さすがに昨日の原口文仁選手の「劇的復活」には、いろいろと感じ入るところがあった。

「甘く入った4球目のスライダーを力強く一振りすると、打球は左翼手を超えてフェンスを直撃。勢いよく走った原口は「2~3年ぶり」というヘッドスライディングで二塁に到達した。復帰初打席で見事に期待に応え、笑顔で何度も拳を突き上げた。」(日本経済新聞2019年6月5日付朝刊・第29面)

キャンプインを前に、突然の「大腸がん手術」公表。
おそらくは、人間ドックを機とした早期発見だったのだろうけど、普通の勤め人でも結構堪えるシチュエーション、しかも彼は常に一軍当落線上にいる中堅プロ野球選手である。

2016年に育成選手の立場から一転して大ブレイクを果たしたものの、その後は激しいレギュラー争いの中でスタメンになかなか定着できず。
昨シーズンなどは、「代打」として持ち前の勝負強さを存分に発揮していたものの、最初から「自分は代打でいい」と思っているプロ野球選手などいないわけで、同じ捕手出身の矢野監督に代わって「これからアピールするぞ!」と思っていた矢先に突然のアクシデントで離脱、となれば、その理由が「がん」でなくても、大抵の人間ならしばらくは立ち直れないくらいの失意のどん底に落ち込んでしまうだろう・・・。

だが、それから半年も経たないうちに一軍復帰し、選手登録されたその日に、代打でタイムリーヒット

試合の行方がほぼ決まった9回、しかも、凡ゴロでも得点が入る一死三塁という場面で彼を起用した矢野監督の粋な計らいには「さすが」の一言だけど*1、そこで食らいついてヒットを打ち、しかも二塁までかっ飛ばす原口選手の根性も見上げたものだ。

今日の試合では、1点を追う5回、一死一、三塁という難しい場面で代打の一番手として登場したものの三振に倒れ、2日続けてのヒーローインタビューという栄誉には預かれなかったが、このまま体調を崩さずに一軍に定着してくれるのであれば、ここまで”そこそこ”の健闘を見せている前年最下位チームにとって非常に心強いのは、言うまでもないことである。

3年前にお立ち台で連呼して、甲子園でもちょっとした流行語になった「必死のパッチ」は、”本家”だった矢野監督の就任に伴い封印する予定だったみたいだが*2、グラウンドの内でも外でも名実ともに”サバイバル”な状況を耐え抜いてきている原口選手ならば、使っても誰も文句は言わない。

そして、体を張り続ける彼の姿を見てしまうと、「ちょっとやそっとのアクシデントで挫けるな自分」という思いも、また強く持たざるを得ない・・・。

できることなら、あと10日ちょっとのオールスターファン投票期間に、みんなで集中投票して*3、3年ぶりの大舞台にも立たせてあげたいところではあるのだが、自分としては、まずはこの先一試合、一試合の活躍を願うばかりである。

npb.jp

*1:「暗黒の3年」時代の監督と比べると、矢野監督の選手の使い方は上手だな、というのは今シーズンが始まってからずっと感じていることでもある。

*2:阪神・原口、『必死のパッチ』一時“封印”「矢野さんの言葉なので」 (1/2ページ) - 野球 - SANSPO.COM(サンスポ)参照。

*3:捕手だと梅野隆太郎選手と共倒れになってしまうので、一塁手部門で集中投票したいところだけど、そううまくはいかないかな・・・。

四半世紀の蜜月が招いた気の毒な結論。

福井健策弁護士の興味深いツイート*1を拝見したこともあり、数日前にコメントした「マリカー」の知財高裁中間判決がアップされるのを今や遅しと待ち構えているのだが、残念ながらまだまだ時間がかかりそうなので、その間に見つけた別の興味深い判決をご紹介することにしたい。

本件は、デザイナーが、元取引先に対し、自分の制作したピクトグラム等の使用差し止めを求めて争った事件であり、「令和最初の『ピクトグラム』判決」とでも冠したい事例ではあるのだが、個人的には著作権侵害の成否に関する結論よりも、その前段の取引経緯と契約解釈をめぐる攻防の方に目を惹かれた、そんな事件である。

東京地判令和元年5月21日(平成29(ワ)37350)*2

反訴原告:有限会社エス・オー・ディ
反訴被告:株式会社ハードオフコーポレーション

本件の原告は、デザイン会社。新潟県新発田市に拠点を置く会社だが、代表者は「公益社団法人日本インテリアデザイナー協会の正会員で,ジャパンデザイナーズにも登録している」(4頁)ということで、調べてみると、デザイン会社らしい非常にお洒落なホームページも開設している。

一方被告は、大都会からちょっと離れたところで暮らしたことのある者にとっては、非常に馴染みのある「古物の売買及び受託販売等を目的とする株式会社」。
メルカリ等の台頭もあって近年の業績は苦戦気味だが、それでも立派な東証一部上場企業である。そして本社所在地は、これまた新潟県新発田市

両者の関係を簡単にまとめると、反訴原告は,平成4年10月以降平成29年5月31日まで、反訴被告が開店した全ての反訴被告の直営店及びフランチャイズ店(以下「既存店舗」)の開店等に当たっての店舗デザイン設計監理業務の委託を受けて既存店舗の店舗デザイン設計・監理業務を行ったほか、反訴被告のために、既存店舗等で使用するピクトグラムを制作していた。

元々、反訴被告の代表者は新潟県内でオーディオ専門店を経営していたのだが、ブックオフフランチャイジーとして「ハードオフ」の直営1号店を新潟(紫竹山店)に開業したのが平成5年2月の話。そして、反訴原告はこの1号店開設にあたってのデザインを平成4年10月頃に手掛けて以降、四半世紀近くにわたって、実に343店の「ハードオフ」と、500店を上回る「オフハウス」「モードオフ」といった系列ブランドの店舗のデザインを手掛けてきた

判決の中では、反訴被告代表者が「反訴原告を反訴被告のチームの一員として取り扱っており,反訴原告は反訴被告の主要な会議に全て出席することが求められ,それら
の出席に伴う費用を負担していた」(22頁)ことまで認定されているし、これに対して、反訴原告代表者から「アルバイトが出席するような細かな打合せまで反訴原告に出席を求めないでもらいたい」とか、「反訴被告の野球大会やマラソン大会に出席を求めないでもらいたい」といった指摘がされた(21頁)といった事実も出てくるのだが、両代表者は、同じ地元で昭和62年に勉強会を通じて知り合って以来の仲。

間違いなくそこには「蜜月」の関係があった。

それが明確に暗転したのが、平成29年5月に、反訴原告の一部社員が退社し、同年6月1日以降の反訴被告の新規店舗に関しては、退社した社員が設立した会社(株式会社アークスペース)が店舗デザイン設計監理業務を受託するようになったこと。

その前年くらいから、反訴原告と反訴被告の間で報酬の値上げ等をめぐっていろいろと紛糾はしていたようで、退社社員に設計監理業務を委託することになった背景にも反訴原告が「引き継がせたいと申し入れ」た(22頁)、という経緯があったようである。
しかし、反訴原告がそのバーターとして申し入れた「反訴原告標章と反訴原告ピクトグラムの制作料及び使用料として,新規出店する店舗数に応じて1店当たり10万円を10年間支払い,その後の支払額と支払期間については改めて協議することや,反訴原告が作成した反訴被告の店舗に関する図面,写真等のデータやそれらを作成するために必要なパソコン,ソフトウェア,机等の機器類及び物品を合計3000万円で買い取る」といった条件は、反訴被告によってあえなく却下され(22~23頁)、結果、反訴原告が平成29年12月1日,反訴被告らに対し,「反訴原告標章及び反訴原告ピクトグラムのデザイン料,使用料相当額の損害賠償金,従業員引き抜きの不法行為による損害賠償金などの支払を求める訴訟」新潟地方裁判所新発田支部に提起、一方、反訴被告は、著作権に基づく「差止請求権が存在しないことを求める債務不存在確認請求訴訟」東京地裁に提起する、という泥沼の展開となってしまったのである*3

本件訴訟で反訴原告が問題にしている行為は、大きく2つに分けられ、1つは「平成29年6月1日以前に反訴原告が制作した標章やピクトグラムを反訴被告がそのまま使用していること」、もう1つは、「平成29年6月1日以降に、反訴被告が新たに作成した標章やピクトグラム(反訴原告はこれらが平成29年6月1日以前に自らが制作した標章、ピクトグラムと類似していると主張している)を使用していること」である。

そこで、以下、それぞれについて、裁判所がどのような認定判断を行ったのかを見ていくことにしたい。

反訴原告・反訴被告間の契約解釈について

「反訴原告・反訴被告間の「蜜月」関係が崩れた後も、反訴原告が制作した標章やピクトグラムを反訴被告が無償で利用できるか?」という争点に関し、両当事者は極めて対照的な主張を行っている。

<反訴原告の主張>
「反訴原告と反訴被告の間には,反訴原告が反訴被告から直営店,フランチャイズ店の店舗デザイン設計監理業務の委託を止めることを停止条件として,反訴被告が反訴原告に対して標章やピクトグラムの制作料,使用料を支払う旨の合意が存在していた。この合意は,反訴原告が反訴被告から直営店及びフランチャイズ店の店舗デザイン設計監理業務の委託を受ける限り,反訴原告は反訴被告に対して上記各標章,ピクトグラムの使用を無償で許諾し,これらの制作料,使用料を請求しないという合意,反訴被告が反訴原告に直営店及びフランチャイズ店の店舗デザイン設計監理業務の委託を止めた場合には,反訴原告の反訴被告に対する上記各標章,ピクトグラムの無償使用許諾は終了し,反訴被告が反訴原告にそれらの制作料,使用料を支払うという合意を内容としている」(7頁)

<反訴被告の主張>
「反訴原告と反訴被告の間では,反訴原告が作成したロゴ及びピクトグラムの制作料及び使用料等は「店舗デザイン設計一式」などの名目の料金に含まれており,その支払がされた後は,当該ロゴ及びピクトグラムについて反訴被告が包括的に使用することを認める旨の合意がなされていた」(8頁)

本判決の中には、直営1号店の「看板・店舗デザイン料 一式」として支払われた50万円を皮切りに、各店舗の開設、改装の都度、支払われたデザイン料の金額が次々と登場してくる。

相場的にそれが高いのか?それとも安いのか?と問われると何とも言えないところはあるのだが*4、元々報酬額の決め方も含めて、原告・被告間の”信頼関係”に全てが委ねられていたのは間違いないように思われ、それゆえ、前記の反訴原告、反訴被告双方の主張のコアとなる部分に関しても、その内容が記載された書面は存在しない、という状況になっていた(23頁)。

そのため、裁判所は、さらに踏み込んで、当事者間の契約内容を「反訴原告と反訴被告の取引その他の状況」から認定することになったのだが、それによって導き出された回答が、以下のくだりである。

「反訴原告は,前記(略)のような紛争が生じるまで,反訴被告に対して一貫して反訴原告標章及び反訴原告ピクトグラムの使用料を請求することはなかった。また,基本的にそれらの制作料を書面で請求することはなかった。かえって,反訴原告が,ピクトグラムの制作料を書面で請求した場合には,反訴被告は,明示的にその支払を拒んだ。そして,前記(略)のとおり,そのような支払の拒絶があった後も,反訴原告は新たにピクトグラムを作成し,反訴被告に納品し使用料等の請求をすることはなかった。反訴原告は,口頭で制作料の請求をしたことがあった旨も主張するが,仮にそのような事実があったとしても,反訴原告は反訴被告に対し,前記 のとおり,長年にわたり,「デザイン料」などを多数回請求してその支払を受け,また,店舗のデザイン料についての交渉等をして反訴原告の希望に沿った値上げがされたこともあったにもかかわらず,上記のとおり,使用料を請求せず,書面による制作料の請求を基本的にしなかった。」
「これによれば,反訴原告と反訴被告間では,反訴被告は,反訴原告標章や反訴原告ピクトグラムを別途制作料や使用料を支払わずにこれらを使用し続けることができることを前提としていたとみるのが相当である。したがって,反訴原告と反訴被告間では,反訴原告標章及び反訴原告ピクトグラムを,別途制作料,使用料を支払わずに使用し続けることができる旨の合意があったと認めることが相当である。」(24頁)

かつては、大阪市が制作を委託したピクトグラムの「契約期間満了後」の使用権限の有無に関して、大阪地裁が(現場の実務者の視点で見ると)極めてエキサイティングな契約解釈を行った事例があったが*5、それに比べると、上記のような契約解釈の方が自分にはしっくりくる。

もちろん、デザイナー側の視点でみれば、「未来永劫包括的に利用できる」と記載された書面が存在しないにもかかわらず、反訴被告による無償での継続使用を認めるなどけしからん、という感想が出てきても不思議ではないのだが、ここは、そもそも、次の論点にも関連する本件での標章やピクトグラムの”独創性”の乏しさが、多少なりとも判断に影響したところはあったのかもしれないな、と個人的には思っているところである。

著作権侵害の成否について

さて、反訴原告・反訴被告間の契約内容を前記のように解する、となれば、あとに残るのは、反訴原告との契約打ち切り後に反訴被告が自ら制作したピクトグラム等を、反訴原告が著作権を根拠に止められるか、という論点だけ。

この点に関しては、残念ながら、最高裁HPにアップされている判決文の「別紙」が省略されているため、具体的にどのような標章、ピクトグラムが比較され、争われたかは、各自で想像するほかない。

ただ、

「反訴被告標章1と反訴原告標章1が同一性を有する部分についてみると,これらは,深緑色の長方形(横長)の中に白いアルファベット文字が配置されていること,そのアルファベット文字の書体,大きさ,文字間の間隔及び配置のバランス,全ての文字が円の構成要素とされていること,「OFF」と「USE」のアルファベット文字の上部に三つの白丸で弧を描くような装飾が施されていることなどで共通している。」
アルファベット文字について著作物性を肯定するためには,その文字自体が鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えていなければならないと解するのが相当である。反訴被告標章1と反訴原告標章1のアルファベット文字が反訴被告の店舗で使用等をするために様々な工夫を凝らしたものであることは反訴原告が主張するとおりであるとしても,それらの工夫による反訴被告標章1と反訴原告標章1のアルファベット文字は,いずれも「オフハウス」という名称をよりよく周知,伝達するという実用的な機能を有するものであることを離れて,それらが鑑賞の対象となり得るような美的特性を備えるに至っているとは認められない。また,その余の共通点については,いずれもアイデアが共通するにとどまるというべきであり,仮にアイデアの組合せを新たな表現として評価する余地があるとしても,それらはありふれたものであるといわざるを得ないから創作性は認められない。」
「したがって,反訴原告標章1と反訴被告標章1は,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎないから,仮に反訴原告標章1が著作物であるとしても,反訴被告標章1を作成等する行為は反訴原告の複製権又は翻案権を侵害するものとはいえない。」(29~30頁)

「反訴被告ピクトグラムの作成,使用等により反訴原告ピクトグラムについての反訴原告の著作権が侵害されるか否かを検討するため,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムが同一性を有する部分についてみると,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムは,いずれも,反訴被告で取り扱う商品である具体的な工業製品の外観を示した図といえるものである。そして,これらは,Tシャツの前部中央に表示された表現が異なる反訴原告ピクトグラム4-01ないし4-03及び反訴被告ピクトグラム4-01ないし4-03を除く全てについて,具体的な形状が異なる製品を選択してこれを表現したものである。したがって,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムは,基本的に,同じジャンルの製品を選択してその外観を表している点において共通するにとどまるといえるものである。また,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムにおいて,選択された製品の配置の角度,複数の製品の種類の選択,レイアウトにおいて共通するものはあるが,これらは,いずれも,アイデアであるか同種の表現を行うに当たり通常考え得るありふれた表現といえるものであり,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムが創作性のある部分において共通するとはいえない。また,反訴原告ピクトグラム4-01ないし4-03及び反訴被告ピクトグラム4-01ないし4-03におけるTシャツの形状は概ね同じであるが,これらは極めてありふれたTシャツの形状であり,その形状についての表現に創作性があるとは認められない。」
「これらを考慮すると,反訴原告ピクトグラムと反訴被告ピクトグラムは,表現それ自体でない部分又は表現上の創作性がない部分において同一性を有するにすぎないから,仮に反訴原告ピクトグラムの全部又はその一部が著作物であるとしても,反訴被告ピクトグラムを作成等する行為は反訴原告の複製権又は翻案権を侵害するものではない。」(30~31頁)

といった本判決の説示を読む限り、侵害を否定した結論に自分が違和感を抱くことはなかった。

反訴被告代表者に、第1号店の企画段階から店のコンセプト等を聞かされ、それを具現化するために標章(ロゴ)やピクトグラムを作ってきた反訴原告にしてみれば、いかにデザインがシンプルでも、それに込められたデザイナーとしての思いや、そこにたどり着くまでの労力は、どれだけ強調してもしきれないくらいのものが、おそらくあるのだろうと思う。

しかし、そういったものが「著作権法」の世界で法的に評価されるかどうかは、全く別の話になってくるわけで・・・。


この判決の結果だけ見れば、「著作権で保護を受けるのが難しい以上、反訴原告(デザイン会社)としては、最初に引き受けた時から、『契約』の中に、契約が終了しても対価をもらい続けられるような条件を入れておくべきだった」という総括はできるのだろうけど、自分は、後付けで「平成4年の時点でそこまでしておくべきだった」とまで言ってしまうのはどうかな、と思うし、反訴原告と反訴被告がそんなに細かい決め事までしなくても25年近くカウンターパートとしてやってこれた、というところに日本的な美しさを感じる。

そして、だからこそ、こじれた末のこの帰結が、(当不当は別として)反訴原告にとっては実に〝気の毒”だな、と思わずにはいられないのである。

*1:https://twitter.com/fukuikensaku/status/1135755523725250561

*2:民事第46部・柴田義明裁判長、 http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/700/088700_hanrei.pdf

*3:後者に関しては、反訴原告(デザイン会社)から本件反訴請求が出たことにより、反訴請求の判決段階では既に取り下げられている。

*4:最初見た時は、こんなに安いの?という印象を抱いたのだが、一店舗ごとの金額はそうだったとしても、新規出店のたびに・・・ということまで考えると、また違う見方もできるかな、ということで。裁判所も「反訴原告は相当の額に及ぶ売上げを得ていたことが優に認められ,反訴原告は,反訴被告の直営店,フランチャイズ店に関するデザイン設計料に関する契約に基づき,相当の利益を享受した」(26頁)と判断し、後述する契約解釈の一つの裏付け材料として用いている。

*5:もって他山の石とせよ〜著作権利用許諾をめぐる落とし穴 - 企業法務戦士の雑感参照。

「14季ぶり」という事実への衝撃。

昔は熱狂的にハマっていたのにいつのまにかその熱が醒めてしまった、というものはいくつかあって、欧州のフットボールもその一つ。
かつては主要国のリーグ戦はもちろん、UEFAチャンピオンズリーグも、グループリーグから細かく追いかけていたのだけど、ここ数年は、新聞で結果だけ見て、「いつの間にかトーナメントが始まってるな~」、「今年は●●が勝ったのか~」と軽く流す程度だった。

今年(2018-2019シーズン)に関して言えば、準決勝がそれなりに劇的な展開だったこともあって、結果的に英国勢同士の対決になった*1ことくらいはフォローしていたのだが、関心度合いとしては、今朝の新聞を見て初めて決勝戦の結果を知った程度。

だが、自分が記事を見て一番びっくりしたのは、勝ち負け以上に以下のくだりだった。

「サッカーの欧州チャンピオンズリーグ(CL)は1日、マドリードで決勝が行われ、リバプールが2-0でトットナムとのイングランド勢対決を制し、14季ぶり6度目の優勝を果たした。」(日本経済新聞2019年6月3日付朝刊・第32面)

*1:個人的には、順当に勝ち上がると思っていたバルセロナが2ndレグでまさかの0-4敗退、ということの方に衝撃を受けていたのだが・・・。

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