「不祥事を止める」という発想の限界。

ここ数日、ちょっと慌ただしくて更新も滞り気味だったのだけど、気になったネタはあったので、少し遡ってエントリーを上げてみることにする(2019年6月16日更新)。

国内で企業不祥事の報道があるたびに、「なぜ防げなかったのか?」という声があちこちから噴出して、SNSも含めたメディア上で議論されるのは、もうすっかりお馴染みの光景。企業法務周りの業界の方(「中の人」ではないが、密接にかかわっている方々)と話をしても、「なぜ?」という問いを受けることは多い。

そして、業を煮やした(?)日経紙からは、とうとうこんなコラムまで出た。

株主総会シーズンに入り、社外取締役を巡る議論が活発だ。第三者の視点で企業経営をチェックする機能は企業統治コーポレートガバナンス)に欠かせない。だが現実には「悪い情報」が届かず、チェック機能が働かなかった例が相次ぐ。背景の一つには、情報を知り得たかどうかで責任の重さが変わる日本特有の事情がある。「お飾り」からの脱却を目指す動きも広がり始めた。」(日本経済新聞2019年6月14日付朝刊・第2面、強調筆者、以下同じ。)

おそらく、このコラムの問題意識の背景にあるのは、これに続く以下のようなエピソードだろう。

「スルガ銀の社外役員は、経営のチェック役として期待された機能を果たせなかった。報告書では、問題となった一連の事実を社外役員が「知り、または知り得た証拠もなかった」として善管注意義務違反などの法的責任は認められなかった。」
「当局に通報が寄せられ、悪評が広がっていた時期も内部監査やコンプライアンス部門は形骸化していた。取締役会に悪い情報は届かず、そのほかに情報を得る仕組みもなかった。「知らないことには責任を負えない」。これが日本の社外取締役の原則だ。」(同上)

確かに、あれだけの組織的な不祥事が起きていながら、「知り得ていない」から社外取締役に責任なし、と結論づけられることが腑に落ちない、という気持ちは分からないでもない。

取締役に完全な「結果責任」を負わせるような法制度の国は存在しないし(そんな制度にしたら、誰も社外役員など引き受けないだろう。)、社外役員によるモニタリング制度が発達している国ほど、免責されるロジックも手厚い、というのが自分の理解であり、不祥事を起こした会社における社外取締役の法的責任について、「日本特有の事情」という注釈を付けるのは、いささかお門違いだと思うが*1、これだけガバナンスについて口うるさく言われている時代なのだから、もっと何とかしろ、と言いたくなるのも理解はできる。

ただ、スルガ銀行の問題にしても、最近よく湧き上がる現場レベルの品質偽装等の問題にしても、「不祥事」が起きているのは「現場」であって、役員フロアの会議室ではない。

こと「取締役」という立場の人たちに関して言えば、求められている役割は、「取締役会」という機関を通じた経営上の意思決定への参画と、内部統制システム構築義務等を通じた企業の日常的な業務執行への間接的なモニタリングに留まるわけで、企業買収や大型プロジェクトの実行、といった重要な意思決定の局面で誤った経営判断をしないように意見を述べ、議論を形成することや、内部監査体制や監査役との連携体制の構築等について口を挟むことまでは当然求められるとしても、現場の末端の業務のやり方にまで首を突っ込んであたかも自らマイクロマネジメントを行うかのように「監視」する、というのは本来の職責ではないし、本気でそこまでやろうとしたら、いくら体があっても足りない*2のだから、社外取締役」の力で末端の不祥事の芽を把握し、それを未然に防ぐ、というのは、そもそも制度の立て付け上無理がある、と言わざるを得ないのではないだろうか。

そして、これは、取締役会から離れた社内の「二線」「三線」の組織に関しても言えること。
もちろん、法務部門、財務部門、内部監査部門といった組織は、「社外役員」に比べればはるかに現場に近いところで日常的な業務執行に接することができるのだけれど、部門ごとの情報の壁や、あらかじめ決められた社内ルールの壁、というのは当然存在するわけで、事業を遂行する部署と「部門」が異なる限り、不祥事が顕在化するまでは、そこに直接手を突っ込むことは難しい。

自分は、本当に会社の隅々にまで法令遵守意識を叩き込み、「不祥事」を撲滅しようと考えるならば、法務・財務といった”機能”をコンプライアンス的な側面も含めて”見た目上”は事業部門側に完全に溶け込ませ、”中”から根本的に変えていくしかない、と思っているのだけれど*3、それが一朝一夕にできることではない以上、今は、一定の確率で「不祥事」が生じることはやむを得ない、と割り切って、むしろ「発覚後に誠意を尽くして対応する」方に、重点的にリソースを割く方がよほど世の中にとっては有益なはず。

何か起きるたびに、法令やソフトローをいじって、「上の方のガバナンス体制」に手を入れようとしてきたのがこれまでの日本のやり方(というか、日本に限らずこの手のアプローチは多くの先進国で共通している、といえるかもしれない)だったのだが、今行うべきことはそういうアプローチの「限界」を認識することだし、百害あって一利なしの「上から」の過剰な現場介入の方向性を改めて、逆に根元の方から”問題が発生しにくい企業風土”を作り上げていく、という「モデル」を、実際に一社でも二社でも世の中に広げていくことこそが、これからは大事になってくる、と自分は思っている。

*1:しかも、明示的に情報が示されていなくても、目の前の取締役会議案にちょっと突っ込みを入れたら出てくるような情報を見落とした、ということになれば、「知り得た」という評価を受ける可能性も高いのだから、本来は「何もしない方が得」という話でもない。

*2:仮に身を削ってそこまでやるような献身的な社外取締役がいたとしても、今度は首を突っ込まれた現場や、本来そういった部署の業務の適正をチェックしている社内部署がより疲弊することになるだけで、良いことはほとんどない。

*3:それでも、あらゆる組織が生身の人間で成り立っている以上、会社の衣を被った「個人的」不祥事の発生を完全に防ぐことは不可能だろうが、それが「組織的」なものへと発展していくプロセスを遮断することは可能だと思っている。

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ボーナスの季節に走った戦慄。

自分はこの記事を見た時に思わず目を疑ったし、同様の感想を抱いた人も多かったのではないだろうか。

トヨタ自動車課長級以上の管理職の2019年夏の一時金(賞与)を前年に比べて平均4~5%減らす。足元の業績は堅調だが、自動運転や電動化などの分野の開発競争の激化を受け、危機感を共有する狙いがある。若手社員など管理職ではない組合員平均では夏の賞与は1割下がるが、冬の支給分は秋からの労使交渉で協議する。」(日本経済新聞2019年6月13日付夕刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

自動車の分野で開発競争が激化している、というのは公知の事実だとしても、全世界で売上高30兆円超、営業利益も2兆5000億円を叩き出している会社が、このタイミングで「賞与引き下げ」をあえて打ち出してきた、ということのインパクトは実に大きい*1

冷静に足元を見れば、「研究開発」に利益を回せる会社はまだマシな方で、これから急激に「人を集めて雇う」コストが上昇することが予想される中、それまでと同じことを普通にやっているだけでどんどん利益が食われていく会社がサービス業を中心に増えていくことは間違いなく、仕事の量も忙しさも変わらないのに、給与・賞与でそれを実感できない虚しさが世の中に広がっていくことは、容易に想像がつくところ。特に大企業の30代後半~40代の管理職層にとっては、マネジメントにかかるプレッシャーに加えて、経済的な恩恵も享受できない苦しい時代になってくることは、ある程度覚悟しないといけない。

ただ、「賞与」というのは、それまでの成果に対する評価なのだから、好業績を上げた期の直後に引き下げる、というのは本来禁じ手だと思うし、そんなことをしても、「危機感を共有」する以前に、社員のモラールダウンを招く蓋然性の方がはるかに高い。

成熟した会社の経営者の中には、業績に追い風が吹いている時にも、ああだこうだと理屈を付けて、組織をムダにいじったり給与体系をいじったりしようとする人が多いし(もちろん、業績が悪かったら悪かったで、社員向けの財布の紐も締めに行く)、挨拶の節々に、常に危機感をあおるようなフレーズを入れて「経営者としての仕事をしてる感」を出そうとする人も時々いるのだけど、「上から押し付けられた危機感」が良い方向に働くことなんてまずないのであって、同じような「改革」、同じような「言葉」が繰り返されることによって、かえって多くの社員の感覚がマヒしてしまう(ゆえに、本当に起きている「危機」すら見過ごしてしまう)リスクすらある。

大事なのはメリハリ。

本当に風向きが変わりそうなタイミングならガチっと引き締めればよいが、そうでない時は、素直に最大限社員を褒め、報いる。
そして、今回のトヨタのような、決して適切とは言い難い「メッセージ」発信の仕方には追随しない・・・。

常識的な日本企業には、そうあってほしい、と願っている。

*1:引き下げても「組合員平均」で120万円、というスケールの会社だから、ここ数年の上げ幅が大きすぎて調整した、というだけなのかもしれないけど。

”黒船”が救世主になる皮肉。

知財業界の中では、ひそかに囁かれていた話ではあったのだけど、いざ記事になったのを見るとやはり複雑な気分になる。
米ネットフリックスと日本のアニメ産業の「包括的業務提携」の話題。

「動画配信世界最大手の米ネットフリックスが、日本のアニメ産業で存在感を示してきた。2018~19年に国内のアニメ制作会社5社と包括提携し、オリジナルアニメの制作体制を整えた。制作会社は長期に作品を供給し、安定収入を確保できる利点がある。海外で評価されながら古い慣習が残る業界を変える転機になりそうだ。」
「ネットフリックスは世界各地でオリジナルコンテンツの制作に力を入れ、18年の制作・調達費用は85億ドル(約9180億円)にのぼる。作品ごとに制作会社と契約し配信する形式が一般的だ。だが今回、日本のアニメ会社とは包括的業務提携という形をとった。数年にわたり複数作品をネットフリックス向けに制作するのが条件で、「世界的にも極めて珍しい」(同社)提携という。ネットフリックス日本法人でアニメ事業を手がける沖浦泰斗・アニメディレクターは「良い制作会社とクリエーターは希少資源。魅力的な日本アニメを安定して配信できるようにしたい」と狙いを語る。」
「日本で一般的な「製作委員会方式」の運営方法や、それを軸とする商慣行にも一石を投じる。ネットフリックスと提携した制作会社の幹部は委員会方式は関係者が多く絡み作品への注文が多く、制作が決まるまで時間がかかる。ネットフリックス向けの作品は自由度が高い」と打ち明ける。」
日本経済新聞2019年6月12日付朝刊・第2面、強調筆者、以下同じ。)

この記事を読んだ自分の感想は、「なぜ、同じことを日本の会社がこれまでできなかったのか?」の一言に尽きる。

もちろん、自分も日本の「製作委員会」の商慣行に馴染んでいた人間だし、海のものとも山のものとも分からない作品の制作に全面的なリスクを取ることを嫌がる日本の多くの会社の体質は嫌というほど理解しているつもりである。
そして、自分自身、自社の関係会社が作品に出資する際のスキーム確認を求められた場合には、当然、「リスクヘッジ」を念頭に置いてコメントしてきた人間でもある。

ただ、「アニメは日本の宝。輸出できる最重要コンテンツだ!」という旗が振られ始めて久しいにもかかわらず、肝心の制作現場はどんどん疲弊している、という話を長らく聞かされていた中で、サービス開始時に〝黒船”と揶揄されたネットフリックスが、アニメ業界のホワイトナイトになっている、という話がこうやって大々的に喧伝されてしまうのは、やっぱり寂しいし、悔しい、の一言。

もしかしたら、記事に登場する日本のアニメ制作会社の関係者が”絶賛”している「包括的業務提携」の契約にも、実は非情なトラップが仕掛けられていて、数年たてば、発注者側から一方的な要求を押し付けられるとか、派生著作物に係る権利まで丸ごと持っていかれて、何かあった時には制作会社が残酷に切り捨てられるとか、そういった実態が露わになって、公取委が「関心を示す」事態になるのかもしれない。

だがそれでも、これまで日本の映像配信企業&広告代理店&スポンサーの各企業が単独では取れなかったリスクを、米国からやってきた創業から20年ちょっとの会社がとってしまっている、という事実は重く受け止めなければならないだろう。

今、日本では、一時期の「日本発のインターネットサービスを育てよう」という熱が醒め、欧州大陸の流行に乗って、「GAFA」に象徴される外から襲来した大型プラットフォーマーに規制の網をかける方向で政策の舵が切られようとしているが、実のところ、Amazonのおかげで売上が伸びて息を吹き返した会社なんて山のように存在するわけだし、他のプラットフォーマーに関しても、低い参入障壁と使い勝手の良いUIのおかげで、自前の展開や既存の国内媒体に依存した展開を行っていた時と比べると、飛躍的に売り上げにつながる効果を得られた、という話はよく耳にするところ。

”黒船”たちを牽制するために規制を強化した結果、彼らに手を引かれてしまうと、途端に日本国内の末端隅々の事業者が苦境に陥る・・・

日本がここ数年誇ってきたアニメ産業までそんなリアルな現実の中に組み込まれていくのだとすれば、それこそ政策的な選択肢は狭まってしまうわけで、個人的には「やられたらやり返せ!」の精神が絶対に必要だと思うところ。

そして、いつか、日本の中からも、思い切った資金投入ができ、登録者を強く引き付けるだけのコンテンツまで提供できるような会社が出てきたとき、初めて本当の「競争市場」が成立し、公取委の介入にも意味が出てくるような気がするのである。

忙しさ、の感覚

ここのところ、比較的ゆったりとした時間を過ごせていて、毎日、朝早くから混んだ電車に乗って同じところに行く必要もないし、夜の食事も、終電を気にすることなく普通の時間から食べられる*1
それでいて、やることはそれなりにあって、アウトプットもコンスタントには出しているから、「一日無為に過ごした」という感覚に襲われることも、今のところほとんどない。

数か月前までは、異常なテンポとスピードの中で生きていた。

午前中だけで打合せが2~3件入って、午後法律事務所に相談に行って戻った後にまた会議だの打ち合わせだの、が続いて、最後に部下社員が作った記録や契約書レビューの中身をチェックした上で、方針を指示、最後に上から落ちてきた宿題に応えるためのペーパーを作成し、気が付いたときには時計の針は限りなく「0時」に近づいている・・・。

心身ともにギリギリの状態で身を削って、当たり前のようにそんな日々を過ごしていたけど、その割には充実感が実に薄かったわけで、その後、しばらく在宅で仕事をさばいていた間の方が、効率もパフォーマンスもはるかに良かったのは言うまでもない。

もちろん、時間の流れが変わることのデメリット、というのは確実にあって、最近は、日に一度でも外出して打合せ、みたいな予定が入ると、”ああ忙しいなぁ”と、ちょっと前まではあり得ないような感覚に襲われるし、ましてや、午前、午後に打合せor会議、夜は会食、みたいな日にぶち当たろうものなら、とてつもなく忙しい一日、ということになってしまう。

この種の話に関しては、”慣れ”ていることが良い、というわけでは決してないのだが、やはり「忙しさ」というのは相対的な感覚なので、あまりにマイペースに仕事をしていると、世間の感覚からどんどんズレていくということは、肝に銘じておかないといけない。

ただ、雨の日も風の日も、会議や打合せがある日もない日も、毎日同じ職場に足を運んである程度の時間までそこにいないといけない、という「非効率」からは、そろそろ”世間”自体が脱却しないといけないんじゃないか、とも思うところで、たとえ「会社に行くだけで忙しい・・・」と感じる人が多数になる世の中になったとしても、その方が多くの人の幸福値を引き上げることになるんじゃないか、と思わずにはいられないのである。

以上、あくまで、今は一個人の主観に過ぎないが、後で振り返って、これが「10年後」を占うエントリーだった、ということになることを、心の中でひそかに願っている。

*1:お酒の入る会食の頻度が多すぎて、連日和洋中ヘビーローテーションみたいな状況になっているのが体に良いかどうかは別として。

「ガバナンス強化」は誰のため?

昨日、ちょうど場つなぎ的に、今年の3月期決算会社の株主総会に関するエントリーを書いたところだったのだが、今日になって、また滅多に聞かないような話が出てきた。

日産自動車が25日の株主総会で諮る経営改革案について、筆頭株主の仏ルノーが投票を棄権する意向を伝えていたことが分かった。統治機能の強化に向けて指名委員会等設置会社に移行する内容だが、ルノー出身の役員が要職に就いていないことに不満を持っているもようだ。」(日本経済新聞2019年6月10日付夕刊・第1面)

日産自動車が6月25日の第120回定時株主総会で、「第2号議案」として付議していたのが、「指名委員会等設置会社への移行」を意図した「定款一部変更の件」である。

そして参考書類には、「変更の理由」として、以下のような記載がなされていた。

元会長らによる一連の重大な『経営者不正』を踏まえ、当社は、平成30年12月に設置したガバナンス改善特別委員会から、ガバナンスの改善策及び将来にわたり事業活動を行っていくための基盤となる健全なガバナンス体制の在り方についての提言をまとめた報告書を受領いたしました。」
ガバナンス改善特別委員会の提言を踏まえた体制の構築は、当社にとって喫緊の課題であり、報告書の提言を踏まえ、当社は、明確な形で執行と監督・監査を分離することにより、意思決定の透明性を向上するとともに、迅速かつ機動的な業務執行を実行するため監査役会設置会社から指名委員会等設置会社に移行することといたしました。」(以下略、強調筆者)

これは言わずもがな、昨年から続くカルロス・ゴーン元会長らの逮捕勾留、起訴、そして4月の臨時株主総会での取締役解任という大きな流れを踏まえた提案である。

そして、これを受けて付議される第3号議案では、選任される取締役11名のうち、日産の西川社長兼CEO、山内COOと、筆頭株主であるルノーのジャンドミニク スナール会長、ティエリー ボロレCEOの4名を除く7名が社外取締役かつ独立役員、という構成になっており、前年度末時点で11名中3名(監査役を含めても15名中6名)と過半数に満たなかった「社外」役員が実に6割強を占める陣容へと、大きく変わることが予定されている。

これら一連の「改革」は、「監督と執行の分離」&「『社外』役員の登用」こそが企業統治強化につながる!という考え方*1が根強い日本では、まさに理想的なものとして評価されるべきものとなるはずだった。

ところが、総会2週間前、というタイミングで、大株主ルノーが、第2号議案に対して事実上の拒否権を発動を示唆する、という驚愕の事態発生・・・。

ここからはあくまで憶測だが、おそらく日産としては、独立社外取締役による企業統治を貫徹するため、既にリリース*2されている取締役会議長のポストだけでなく、指名、報酬、監査の3委員会のトップにも独立社外取締役を据えようとしたのだろうし、それに対して、ルノー側が「日産が新たに設置する指名・監査・報酬の3委員会で、ルノー出身で取締役に就く予定のスナール氏とティエリー・ボロレCEOの2役員が要職に就いていないなどと不満を示し」(同上)たことが、今回の動きの背景にあるのだろうと思われる。

日産が今日付で出したリリース*3では、「一部メディア」の報道に関し、

「本件、ルノーからそれに関する書簡が届いたことは事実です。」

とストレートに認めた上で*4、「ガバナンス改善特別委員会」での議論の経緯等を紹介し、その上で、

「その後、同委員会からの提言をもとに、指名委員会等設置会社に移行することを当社取締役会において全会一致で決議しています。」
「取締役会の中には、ルノー指名による代表者も加わり、議論を尽くし、取締役全員が賛同していただいていたにもかかわらず、ルノーからこのような意向が示されたことは大変な驚きであります。」
「今回のルノーの意向は、コーポレートガバナンス強化の動きに完全に逆行するものであり、誠に遺憾です。」
(強調筆者、以下同じ。)

と、これまたかなり強いトーンで驚愕と遺憾の意を示している。

確かに、4月の臨時株主総会で西川社長の話を聞いたときも、出席した多くの株主は、今回付議されている方向での「統治改革」が既定路線になっていると受け止めたはずだし*5、それを〝何で今更ちゃぶ台ひっくり返すんだ!”というのが、日産の現経営陣の素直な感情なのだろう。

そして、自分も同じ立場なら、当然、同じ感情を抱くことになると思うだけれど・・・

*1:この考え方に対しては自分は非常に懐疑的なのだが、それはまた改めて別の機会に論じてみることにしたい。

*2:コーポレート・ガバナンス体制強化について - 日産自動車ニュースルーム

*3:ルノーによる当社株主総会での一部議案決議棄権に関する報道について - 日産自動車ニュースルーム

*4:ここまでストレートに報道内容を認めるプレスリリース、というのもなかなか珍しいな、と個人的には思うところ。

*5:日産自動車臨時株主総会に出席して~「カルロス・ゴーン時代」の終焉とその先にあるもの。 - 企業法務戦士の雑感も参照。

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株主総会シーズンの到来を前に思うこと。

6月の1週目も終わり、3月期決算の会社の総務、法務関係の仕事で飯を食っている人間にとっては、いよいよ、という時期になりつつある。

自分は、金融庁が「余計なお世話」な感じの報告書を出す20年近く前から、預金利息の低さに危機感を抱いていた人間だから、20代の頃から、株式にもちょこちょこ手を出していた。
しかも、博打好きなくせに、「買った直後には大体株価が下がる。それでしばらく持ち続けていると愛着がわいて売るに売れなくなる」*1という、短期投資には極めて不向きな性格だから、1単元、2単元くらいのレベルで、脈絡のない超分散型のポートフォリオが組まれることになる。

したがって、毎年この時期になると、あちこちから大量に「株主総会招集ご通知」が届くことになり、今年も、大体出そろった今日の時点で数えてみたら、ざっと30弱。

世の中には、Webにアップされる招集通知をくまなくチェックして、的確なコメントを発信されている機関法務パーソンの鑑のような方もいらっしゃるので、「紙で送られてきてようやく目を通す」レベルの自分があれこれコメントするのは申し訳ない気もするのだが、せっかくサンプルがあるのだから、ということで、気づいたことをいくつか書き残しておくことにしたい。

グレードアップした招集通知&添付書類のカラフルさ。

自分が株を買い始めた頃、総会招集通知と言えば、極めて「定型的」なものだった。
招集通知の定型フォーマットに始まる一貫した白黒のコントラストの束の中に、参考書類、事業報告、計算書類が続き、最後に監査報告が載る、という一種の「様式美」。

それが年を追うごとに、実に各社様々、バリエーションのあるものになってきている。

今年に関して言えば、特に目立つのが、SDGsのカラフルなアイコンを使って「サスティナビリティ課題」の説明をしている会社で、そういうのを見ると、「資金潤沢な一流企業は違うなぁ」と感心せざるを得ない。

もっとも、あまりに各社の個性が際立ってくるようになると、同業社間での記述を比較したい時などに、該当箇所にたどり着くまで結構苦労する、という事態にもなってしまうわけで*2、多少フォントとかレイアウトは凝っていても、記載事項の「配列」に関しては「様式美」をある程度踏襲してくれている会社の添付書類の方が、何となく落ち着くのも確か。

あと、どんなに資料全体のビジュアルに気合が入っていても、肝心の「株主総会参考書類」が資料の末尾の方にならないと出てこないようなものを見てしまうと、「ちょっと目的を勘違いしていないか?」という突っ込みも入れたくなってしまうわけで、「主」と「従」の区別はきっちりつけていただいた方が良いのではないかな、と思うところである。

株主提案は増えた、のか?

このテーマに関しては、前日の日経朝刊に、以下のような記事が載っていた。

「2019年の株主総会で、株主が議案を提出する「株主提案」を受けた企業が54社と過去最多となった。目立つのは投資ファンドなど機関投資家による提案だ。」(日本経済新聞2019年6月8日付朝刊・第2面、強調筆者、以下同じ。)

この数字の母数がいくつなのか、ということは確認できていないのだが、自分の手元に来たものだけで5社あるし、1社はプロキシーファイトの対象にもなっているようだから、確かにまぁ活発、と言えば活発なのだろう。

ただ、長年、銀行とか電力会社の株式を保有している身としては、かつてに比べると「個人株主」による集中砲火的な提案の数はむしろ減っているような気もしていて、「増えた」と言われてもあまり実感は湧かない。

そして「この内容なら受けてもいいんじゃないかな?」という提案に、取締役会から「反対」意見がかぶせられているのを見てしまうと、その会社の会社提案に対しても、どうしても厳しい目を向けざるを得ない、ということは、正直に申し上げておきたいところである。

関西拠点企業の総会担当者の苦悩やいかに・・・。

添付書類の中身以上に、今年の「変化」として目についたのは、関西拠点企業の日程や会場の変更。
最初、何社か見た時は理由がよく分からなかったのだが*3、↓の記事を見て、なるほど、と思った。

www.sankei.com

国際的な大イベントだけに、やむなしと言えばやむなし、なのかもしれないが、株主が多い東京圏の会社の場合、場所を変えずに株主総会の日程(曜日)を一つ動かすだけでも、かなりの大ごとだったりするわけで、東京に比べれば会社数が少ないとはいえ、その分会場に適した〝ハコ”の数も限られている関西圏で、こんな試練に立ち向かわないといけなかった各社の総会担当者がどれだけ苦労したか、察するに余りあるところである。

個人的には、「よりによって何でこんな時期に、大規模な国際会議の日程を都市圏で設定したのか」という突っ込みを入れたいところではあるのだけれど、民間企業の裏方の苦労を、役人や政治家に理解してもらうのは、そうたやすいことではない、というのも分かっているだけに、何とも言えない気分になる。

「監査報告書」への苦言

添付書類の記載に会社ごとの個性が色濃く反映されるようになったり、株主提案が出てきて参考書類の中身もエキサイティングになっていたりする中で、唯一不変の「様式美」を保ち続けているのが「監査報告書」の3連発(独立監査人の連結、単体&監査役会の監査報告書)である。

どこの会社のものを見ても、ほぼ例外なく、ほぼ同一の文言のテンプレ。それが20年近く変わらない。

別に、財務諸表を隅から隅まで叩いても全く埃が出ないような優良企業で、面白い監査報告書を書く必要はないと思うし、かつて某料理レシピサイトの会社であったようなエキサイティングな監査報告書ばかりだと、株主としては頭を抱えてしまうのだが*4、「継続企業の前提に関する重要な不確実性」を「強調事項」として記載しなければいけないような会社に関しては、もうちょっと踏み込んで書いてくれてもいいんじゃないかな、と思うところはあるわけで・・・。

計算書類の「注記」の方でしっかり書いているから、総会招集通知の添付資料として付ける方の記述はシンプルでよいのだ、という考え方はあるのかもしれないが、全ての株主が、わざわざ当該会社の計算書類を見に行くわけでもないのだから、せめてダイジェストでまとめて記載するくらいはしておいてほしいかな、と個人的には思った次第*5

この部分の「様式美」が改められてはじめて企業統治に新時代が訪れる、と思うところはあるだけに、今後の監査報告書の記載の見直しの動きに沿って、今年度の決算以降、徐々に変化の兆しが出てくることに期待したいところである。


以上、本エントリーでは、一介の株主、として、評論家のごとくいろいろと書いてしまったが、各社の当事者(中の人)にとっては、「とにかく無事に、何事もなく終わってくれ」という思いしか出てこないのがこの時期の常だし、総会専従でない担当者(自分も基本的にはこのカテゴリーにいた)が、本来は通常業務に費やすべき貴重な時間を割かれながら、それでも綱渡りで何とか必死に6月を乗り切ることに注力している、ということも身に染みて分かっているので、立場は変われども、温かい心だけは忘れずに見守りたいな、と思っていることは、最後に明確に申し上げておくことにしたい(そして、この時期の、総会の仕事だけには、できることなら二度とかかわりたくない、と思っていることも・・・(苦笑))。

*1:特に、食べ物系の株主優待が付いている銘柄は、自分の愛着以前に、「家族も楽しみにしている手前、売るに売れない」という蟻地獄にはまる・・・。

*2:例えば、自分が毎年楽しみにしている「業務の適正を確保するための体制」の書きぶりや、「社外役員に関する事項」の注記等。

*3:某製薬会社などは、事実上もう関東圏の会社になっているわけで、大阪でやる方が違和感があったし・・・。

*4:当該会社の株式はいまだに売れずに持ち続けている・・・。

*5:一番問題なのは、そんな会社の株式を未だに売り逃げ出来ずに持ち続けていること、だったりもするのだが・・・。

これが「限界利益」説の到達点なのか?

ここ2日ほど時事ネタが続いたところで、本業に戻ろう。

これも時事ネタ、といえば時事ネタなのだが、今朝の日経朝刊に以下のような記事が掲載されていた。

「化粧品の特許侵害を巡り、侵害者が支払う賠償金の減額が認められるかなどが争われた訴訟の控訴審判決が7日、知的財産高裁の大合議(裁判長・高部真規子所長)であった。高部裁判長は賠償金の算定基準を示し、減額が認められる事情についても初判断を示した。」(日本経済新聞2019年6月8日付朝刊・第34面)

正直、これだけ読んで何の話なのか分かる人はほとんどいないだろうし、知財法に詳しくない人よりも、むしろ詳しい人の方が読んで混乱するのではないか、と思う。

知財クラスタの関係者であれば、この後に出てくる、

「高部裁判長は判決で、経費に該当するのは、材料費や運送費など直接的な内容に限られると指摘し、人件費や交通費などは含まれないと結論づけた。」(同上)

というくだりを読んで、初めて、ああ「限界利益」の控除費用の話か、と何となく感づき、「初判断」というのが、あくまで「大合議法廷では初めての判断」という意味だった、ということを理解することができるのであるが、今度は逆に、知財法に精通していない人にとってはチンプンカンプンになってしまうはず。

幸いにも、最高裁のWebサイトに、早々と知財高裁の判決文がアップされたので、ちゃんとそこに目を通しながら、以下で〝翻訳”を試みてみたいと思っている。

知財高判令和元年6月7日(平成30年(ネ)第10063号)*1

控訴人(一審被告)
:ネオケミア株式会社、株式会社コスメプロ、株式会社アイリカ、株式会社キアラマキアート、ウインセンス株式会社、株式会社コスメポーゼ、クリアノワール株式会社
被控訴人(一審原告)
:株式会社メディオン・リサーチ・ラボラトリーズ

本件は、一審原告が、保有する2件の特許権(特許番号第4659980号「二酸化炭素含有粘性組成物」、特許番号第4912492号「二酸化炭素含有粘性組成物」)に基づき、一審被告らが製造販売する「炭酸パック」やその一部の製品に使用する「顆粒剤」の製造販売差し止め、及び損害賠償を求めた事件である。

当然ながら一審被告らは、構成要件該当性を争った上で、無効論まで展開したのであるが、第一審(大阪地判平成30年6月28日)*2では、特許権侵害の成立が認められ、差止・廃棄請求に加え、特許法第102条2項又は3項により算定される損害額+弁護士費用の損害賠償が認容された。

そして、被告7社が命じられた損害賠償額を合計すると、約3億4000万円くらい。
この種の小規模な会社同士の事件としては、かなりの高額賠償事件であり、一審原告の主位的請求額の約8割が認容されたことから、控訴審においても特許法第102条2項、3項の適用が主要な争点となり、その結果、「特許法102条に基づく損害賠償額の具体的な算定方法」という、かねてから裁判例でも学説でも様々な議論が飛び交っていながら、そんなにかっちりとした判断が示されていなかった論点を大合議が取り上げることになったのだろうと思われる。

さて、以上の前振りを踏まえて、損害論に関する知財高裁大合議判決の説示を見ていく。

大合議法廷は、まず、特許法第102条2項の趣旨と適用の可否について、

特許法102条2項は,「特許権者…が故意又は過失により自己の特許権…を侵害した者に対しその侵害により自己が受けた損害の賠償を請求する場合において,その者がその侵害の行為により利益を受けているときは,その利益の額は,特許権者…が受けた損害の額と推定する。」と規定する。特許法102条2項は,民法の原則の下では,特許権侵害によって特許権者が被った損害の賠償を求めるためには,特許権者において,損害の発生及び額,これと特許権侵害行為との間の因果関係を主張,立証しなければならないところ,その立証等には困難が伴い,その結果,妥当な損害の塡補がされないという不都合が生じ得ることに照らして,侵害者が侵害行為によって利益を受けているときは,その利益の額を特許権者の損害額と推定するとして,立証の困難性の軽減を図った規定である。そして,特許権者に,侵害者による特許権侵害行為がなかったならば利益が得られたであろうという事情が存在する場合には,特許法102条2項の適用が認められると解すべきである。」(32頁、強調筆者、以下同じ。)

という常識的な説示を行った上で、「侵害者が受けた利益の額」について、以下のように述べた。

「そして,特許法102条2項の上記趣旨からすると,同項所定の侵害行為により侵害者が受けた利益の額とは,原則として,侵害者が得た利益全額であると解するのが相当であって,このような利益全額について同項による推定が及ぶと解すべきである。もっとも,上記規定は推定規定であるから,侵害者の側で,侵害者が得た利益の一部又は全部について,特許権者が受けた損害との相当因果関係が欠けることを主張立証した場合には,その限度で上記推定は覆滅されるものということができる。」(32~33頁)
特許法102条2項所定の侵害行為により侵害者が受けた利益の額は,侵害者の侵害品の売上高から,侵害者において侵害品を製造販売することによりその製造販売に直接関連して追加的に必要となった経費を控除した限界利益の額であり,その主張立証責任は特許権者側にあるものと解すべきである。」(33頁)

長年、「粗利益」か「純利益」か、はたまた「限界利益」か、という壮大な議論が繰り広げられてきたこの「利益」とは何ぞや?という論点も、この10年、20年くらいの間に、ほぼ「限界利益」を採用するということで実務上は決着を見ていたのは事実。

ただ、一審被告は、少なくとも地裁段階では、「 売上額から控除すべき費用について,限界費用に限定するという法律上の根拠はなく,相当因果関係の有無により規律されるべきである(民法416条)。限界費用以外の費用についても,それにより会社が存続し,工場が稼働するものであるから,売上高に応じた金額が控除すべき費用に含まれると解するべきである。」という主張を行っていたし、大合議判決でのこのあっさり感はちょっと拍子抜けな感がしないでもない。

大合議判決は、さらに続けて、控除することが認められる費用について、以下のように説示する。

「控除すべき経費は,侵害品の製造販売に直接関連して追加的に必要となったものをいい,例えば,侵害品についての原材料費,仕入費用,運送費等がこれに当たる。これに対し,例えば,管理部門の人件費や交通・通信費等は,通常,侵害品の製造販売に直接関連して追加的に必要となった経費には当たらない。」(33頁)

「侵害品を追加的に製造販売する際に発生する費用」についてのみ控除を認める、というのも、従来から「限界利益」説のコアになっていた考え方ではあるのだが、上記判旨の凄いところは、これまで〝ケースバイケース”で判断されることが多かった”費用の内訳”についてまで、ざっくりと言い切ってしまったこと。

そして、続く具体的なあてはめの場面で「R&Dセンターの研究員の人件費」「パート従業員の人件費」「広告費」「サンプル代」といった費用に関し、「控除すべき」と主張した一審被告側の主張をことごとく退けたところがハイライト、といえるかもしれない。

よく読むと、今回の大合議判決も、上記費用に関する一審被告側の主張をカテゴリカルに退けているわけではなく、あくまで一審被告(控訴人)側が「製造販売に直接関連して追加的に必要となった」ことを十分に立証できていない、ということを主な理由として退けているように読めるから、場合によってはこれらの費用まで売上高から控除される可能性も完全には否定されていない、ということになりそうだが、同時に、被告側が相当頑張らないと控除してもらえないんじゃないか、という雰囲気もひしひしと感じられる。

また、大合議判決は、一審被告が強く争っていた、102条2項の「推定覆滅事由」に関しても、判断を示した。

特許法102条2項における推定の覆滅については,同条1項ただし書の事情と同様に,侵害者が主張立証責任を負うものであり,侵害者が得た利益と特許権者が受けた損害との相当因果関係を阻害する事情がこれに当たると解される。例えば,特許権者と侵害者の業務態様等に相違が存在すること(市場の非同一性),②市場における競合品の存在,③侵害者の営業努力(ブランド力,宣伝広告),④侵害品の性能(機能,デザイン等特許発明以外の特徴)などの事情について,特許法102条1項ただし書の事情と同様,同条2項についても,これらの事情を推定覆滅の事情として考慮することができるものと解される。また,特許発明が侵害品の部分のみに実施されている場合においても,推定覆滅の事情として考慮することができるが,特許発明が侵害品の部分のみに実施されていることから直ちに上記推定の覆滅が認められるのではなく,特許発明が実施されている部分の侵害品中における位置付け,当該特許発明の顧客誘引力等の事情を総合的に考慮してこれを決するのが相当である。」(37頁)

このように大合議判決は、「推定覆滅」の事情を明確に列挙したのだが、結論としては、一審判決同様、推定覆滅は認めていない。

最後に特許法102条3項に関する判断。

特許法102条3項所定の「その特許発明の実施に対し受けるべき金銭の額に相当する額」については,平成10年法律第51号による改正前は「その特許発明の実施に対し通常受けるべき金銭の額に相当する額」と定められていたところ,「通常受けるべき金銭の額」では侵害のし得になってしまうとして,同改正により「通常」の部分が削除された経緯がある。特許発明の実施許諾契約においては,技術的範囲への属否や当該特許が無効にされるべきものか否かが明らかではない段階で,被許諾者が最低保証額を支払い,当該特許が無効にされた場合であっても支払済みの実施料の返還を求めることができないなどさまざまな契約上の制約を受けるのが通常である状況の下で事前に実施料率が決定されるのに対し,技術的範囲に属し当該特許が無効にされるべきものとはいえないとして特許権侵害に当たるとされた場合には,侵害者が上記のような契約上の制約を負わない。そして,上記のような特許法改正の経緯に照らせば,同項に基づく損害の算定に当たっては,必ずしも当該特許権についての実施許諾契約における実施料率に基づかなければならない必然性はなく,特許権侵害をした者に対して事後的に定められるべき,実施に対し受けるべき料率は,むしろ,通常の実施料率に比べて自ずと高額になるであろうことを考慮すべきである。したがって,実施に対し受けるべき料率は,①当該特許発明の実際の実施許諾契約における実施料率や,それが明らかでない場合には業界における実施料の相場等も考慮に入れつつ,②当該特許発明自体の価値すなわち特許発明の技術内容や重要性,他のものによる代替可能性,③当該特許発明を当該製品に用いた場合の売上げ及び利益への貢献や侵害の態様,④特許権者と侵害者との競業関係や特許権者の営業方針等訴訟に現れた諸事情を総合考慮して,合理的な料率を定めるべきである。」(42~43頁)

考え方としては、まさに田村善之教授が長年にわたって主張されてきた線に沿ったものであり*3、これも違和感はない。

そして、最後にざっくりと出した「合理的な料率」は「10%」

「①本件訴訟において本件各特許の実際の実施許諾契約の実施料率は現れていないところ,本件各特許の技術分野が属する分野の近年の統計上の平均的な実施料率が,国内企業のアンケート結果では5.3%で,司法決定では6.1%であること及び被控訴人の保有する同じ分野の特許の特許権侵害に関する解決金を売上高の10%とした事例があること,②本件発明1-1及び本件発明2-1は相応の重要性を有し,代替技術があるものではないこと,③本件発明1-1及び本件発明2-1の実施は被告各製品の売上げ及び利益に貢献するものといえること,④被控訴人と控訴人らは競業関係にあることなど,本件訴訟に現れた事情を考慮すると,特許権侵害をした者に対して事後的に定められるべき,本件での実施に対し受けるべき料率は10%を下らないものと認めるのが相当である。」(45~46頁)

前記田村教授の論文の中でも紹介されているとおり、「10%」という数字は決して珍しいものではないのだが、平均実施料率が5~6%くらい、ということを認定しつつ、裁判上は「10%」まで引き上げる、ということを明確に述べ、上記規定趣旨をストレートに反映した判断を示した、という点では意義がある、といえるのかもしれない。

以上、元々テクニカルな論点の上に、今後の下級審判決への影響も考慮してか、今回の大合議判決が、終始、非常に「教科書的」な説示を行っていることもあって、あまり面白みのない”翻訳”になってしまったが、結論だけ見ると、本判決でも一審原告(被控訴人)の請求がほぼ全額認容されており、総額約1.4億円くらいの賠償が認められている*4

この国では長年、「特許訴訟の損害賠償額が低すぎる」ということがまことしやかに言われ、今年の特許法改正のメニューの中に、損害額算定規定の見直しが一部盛り込まれたのもその影響ではあるのだが*5、今回、知財高裁が、「別紙」として請求額と認容額の対比表や、いつもなら黒塗りで塗りつぶされても不思議ではない細かい費用の内訳まで丁寧に付けて*6、損害賠償額について丁寧に解説した判決を出したのは、「そうじゃない」ということをアピールしたかった、という面もあったのかなぁ・・・、と自分は思わずにはいられなかった。

*1:特別部・高部眞規子裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/717/088717_hanrei.pdf

*2:第26民事部・高松宏之裁判長、http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/963/087963_hanrei.pdf

*3:かなり昔の論文にはなるが、知財管理掲載のhttps://lex.juris.hokudai.ac.jp/coe/articles/tamura/article05b.pdf参照。

*4:高額賠償が命じられた一審被告の一部は控訴しなかったようで、その分トータルの金額は低くなっているが、認容率としてはかなり高い。

*5:「知財立国」時代の残り香、のようなもの~令和元年特許法改正への雑感 - 企業法務戦士の雑感参照。

*6:一審判決でも一部の費用や料率等については黒塗りになっていた。

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