「逃亡者」をかばい立てするつもりは全くないのだけれど。

昨年末から今年にかけて、連日話題になってしまっている「カルロス・ゴーン逃走劇」。

保釈中の被告人として日本で公判を待つ身だったはずなのに、年の瀬に突如としてレバノンから電撃的な声明発表。
やがて明らかになった逃走の手口は、プライベートジェットで、しかも、荷物ケースの中に隠れて空港を潜り抜け脱出する、という、スパイ映画さながらの”演出”だったものだから、そりゃ話題にならないはずがない*1

そして、今日の夕刊で、法務省の動きの早さにもまた驚かされた。

「保釈中の被告が逃走する事例が相次いだことを受け、法務省が刑法などを改正して罰則を設ける方向で検討していることが7日、同省への取材で分かった。保釈中の被告が逃走した場合に刑法の逃走罪を適用するほか、刑事訴訟法の改正で裁判所の呼び出しに応じない場合に罰則を設けることを想定している。同省は法制審議会(法相の諮問機関)に諮問する方針。」(日本経済新聞2020年1月7日付夕刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

「保釈中の被告人の逃走」は、ゴーン氏に始まったことではないから、元々こういう話自体はあったのだろうが、年明け以降、森雅子法相から検察当局関係者まで、相次いで出されている「必死」の見解に接すると、やはり今回の事件も、立法に向けた取り組みを加速させる引き金の一つになった可能性はあるだろうな、と思う。

で、この問題に関しては、伝統的な「愛国者」の方々や捜査当局側との共感性が高い方々から、日本の刑事司法制度の在り方に懐疑的・批判的なスタンスの方々まで、様々な人が発言しているが、「保釈中に保釈条件を無視して逃げ出すやつが一番悪い」という点に関しては、思いのほか意見が一致しているように思えるところはある。

もちろん自分も、日本の司法制度の下で生きている者だし、仕事柄、日本以上に刑事司法制度の運用が滅茶苦茶な国が多数あることも十分承知しているだけに、「日本の刑事司法制度が信頼できない云々」ということを露骨に言われてしまうと、ちょっと悔しい。

英米法圏や西欧諸国を除けば、日本など比べ物にならないくらい「推定有罪」の原則で運用がなされ、賄賂でも渡さない限り真っ当な裁判を受けることすら難しい、と言われてしまうような状況は、”比較的発展している”と思われている国々においても未だ存在しているところはあって、グローバル化が進んで、紛争解決機関を選べばどこの国でもそれなりの審理が受けられるようになってきている商事紛争などと比べると、刑事手続、刑事訴訟の世界は、まだまだ”未開”の地が多い、というのが実情だから、いくら西欧的価値観に合致しないからと言って、日本だけを殊更に叩くのは違うんじゃないのかな、と思うところはある。

ただ、この事件が起きた後に、「司法権に服すことを拒むなんて日本をバカにするにもほどがある」という論調を目にしたとき、自分の脳裏には、かつて話題になった「米国でカルテルや贈賄の疑いで刑事訴追され有罪判決を受けた会社の役員が服役するかどうか」問題がよぎったのも事実である。

最近の傾向はよく知らないし、現実に収監されている人も多い、というニュースは時々伝えられているが、ちょっと前までは「収監されたくないから米国にはいかない」とか「たまたま米国に入ったら捕まってそのまま・・・」みたいな話もよく耳にした*2

また、少し話は変わるが、もし仮に、自分が駐在していた新興国で全く身に覚えのない容疑で身柄を拘束され、勾留ないし自宅軟禁のような状況に置かれたとして、そこでどこかの親切な同胞の大富豪が「俺の用意したプライベートジェットに乗って日本に帰れ」と耳元でささやいてくれたら、ほとんどの人はそれに乗っかってその国を脱出しようと考えるだろうし、捕まっていた国によっては「よくぞ帰ってきた」と多くの日本人が喝采することだって十分考えられる*3

「いやいや、日本は適正な手続きの下、公平な裁判が行われる国なのだから、そんな遅れた新興国の話と一緒にされても困る」と言い出す人は当然出てくるだろうが、何をもって手続きを「適正」と受け止めるか、裁判所での審理を「公平」なものと受け止めるかは、それぞれの人の主観に左右されるところが大きい

また、仮に「適正」だの「公平」だの、というのがそのとおりだったとしても、自分に理解できない「言語」によって手続きが進められ、通訳を介してしか関係当事者とコミュニケーションが取れない、という状況に置かれたら、よほど達観した人間でなければ、そこから逃げ出したい、という思いを止めることはできないだろう。

要は、異国に拠点を持ち、異なる文化、言語の下で生きている者にとって、たまたま所在した異国の司法権に従順に服する、というのは、決して合理的な選択肢とはいえないし、今、逃亡した被告人を力いっぱいバッシングしている日本人の中に、異国で似たような境遇に置かれる羽目になる人がいないとも限らない*4

そう考えると、決して当事者ではない以上、皆、今回の事件の帰趨をもっと冷静に見守っても良いのではないかな、と自分は思っている。

そして、もう一つ。

日本の刑事訴訟法では、

「被告人が公判期日に出頭しないときは、開廷することはできない。」(286条)

というのが第一審(事実審)での大原則になっているから、今回の逃亡劇によって、日本国内での公判手続きを進めることはかなり難しい状況になっているし、それが被告人に対する批判の最大の要因にもなっているのだけれど、この条文を「被告人の在廷義務」に重きを置いたものとみるか、それとも被告人の権利保護に重きを置いたものと見るかによって、今後の日本の刑事手続法の見直しの方向性もだいぶ変わってくるような気はする。

検察官が公訴提起した時点で、有罪立証できるだけの証拠が一通りそろっていて、公判でそれに対する被告人・弁護人側の反論が効を奏しない限り有罪になる、というこれまでの実務*5を踏まえるなら、公判期日に被告人を出頭させられないことで不利益をこうむるのは、まさに被告人側にほかならないわけだから、被告人が反論の機会を自ら放棄した以上、罪の軽重にかかわらず、弁護人が在廷すれば公判を続行して判決まで持っていく、という制度設計もあり得るはず*6

現行法の解釈でそんな特例を認める、というわけにはさすがにいかないだろうし、そもそも今回のケースでは、被告人側からも「日本で裁判を受けるつもりはない」という意思が現時点では示されているようだからどうしようもないのであるが*7、明日のレバノンでの被告人の会見が無事行われるようなら、そして、その際に「無実を確信しているので裁判は堂々と受ける。でも、日本には戻らないけどね。」的なコメントが出てくるようなら、また新しい議論が誘発されるような気もして・・・。

ということで、記者会見の直前に「ゴルゴ13」が暗躍しないことを祈りつつ*8、本件を通じて、刑事訴訟の在り方そのものに、もう少し目が向けられることを願う次第である。

*1:直接的に描くかどうかはともかく、こういう素材が大好きなハリウッドが放っておくはずはないだろう、と個人的には思う。「オーシャンズ」シリーズででもネタに使ってもらえると、ちょっと嬉しいかもしれない。

*2:一種の都市伝説みたいなところもあって、どこまで本当なのか、そもそも刑事訴訟手続が始まる前の話なのか、終わった後の話なのかもよく分からないのだが・・・。

*3:そこまで極端でなくても、罰金刑レベルの罪に問われるかどうか、という状況で、身柄拘束までは受けていなければ、そのまま駐在員を日本に引き上げて難を逃れさせる、というケースは十分に考えられるところである。

*4:いくら清廉潔白に生きようと思っても、あらぬところで罪を着せられるリスクからは決して逃れられないのが、この世の現実だったりする。

*5:もちろん、これが刑事訴訟法が本来予定している姿だ、というつもりは全くないが、現実問題として未だにこの構図は変わっていない、と自分は思っている。

*6:もちろん、有罪かつ実刑判決が出た場合、刑の執行をどうするか、という問題は出てくるのだが、そこは、起訴前に国外逃亡した被疑者の話とも何ら変わらないわけで、日本の領域に一歩でも踏み込んだら・・・というスタンスで、切り分けて考えるほかないだろうと思うところである。

*7:この点に関しては、ゴーン氏側もちょっとやり過ぎている感があって、必要以上に日本国民を敵に回した、と言わざるを得ない。

*8:あくまで、あの漫画はフィクションに過ぎないが、世の中では時にフィクションを超えたことも起きることがあるので、個人的にはちょっとハラハラしている・・・。

我々はこの山をどこまで登ることができるのだろう?~田村善之『知財の理論』との格闘の途中にて。

昨年の秋頃に公刊予定であることが発表されるや否や、SNS上でも「発売まで待てない!」*1的な声が沸き上がったのが、田村善之教授の論文集、『知財の理論』である。

知財の理論

知財の理論

自分も、早々に入手することが叶い、冬休みに読み切るつもりで温めていたのだが、先週末に切ってしまったスイッチを入れ忘れたままダラダラと1週間過ごしてしまったこともあって、未だに最後まで読み切れていない。

だが、このタイミングで、Twitter上で「田中汞介」のクレジットで活躍されている知財クラスタの方が、自らのブログ(「特許法の八衢」)で、本書の読後感を丁寧にまとめておられるのに接したこともあり、自分も、少しでも多くの方に本書に目を通していただきたい、という思いを込めて、少し雑感を書き残しておくことにしたい。

patent-law.hatenablog.com

※本書の構成や、後半部分の概要等に関しては、田中氏のブログのまとめをご覧いただければ十分だと思うので、以下では割愛する。

市場志向型の視点から政策形成過程プロセスに向けられた視点、そして「役割分担論」へ。

知財をある程度勉強したことのある方なら、田村教授のお名前を聞いて真っ先に思い浮かべるのは、「インセンティブ論」ではないだろうか。

自分もちょうどこの分野の勉強に手を付け始めた直後に『著作権法概説』に接し、まさに”田村説から入った”状況で、古典的な自然権論の土台がないまま著作権周りの業界に片足を踏み入れてしまったものだから、その後、様々なぶつかり合い(?)の中で若干の軌道修正を強いられることにもなったのだが、いずれにしても、市場におけるインセンティブに基づいて知的財産法制度が設計されるべき、という観点からの一貫したご主張が、長らく田村教授の代名詞のようになっていたような気がする。

だが、あの頃から20年近く経って出された本書に収められている論文では、そういったシンプルな「市場志向型」の着想に留まらず、その後、著作権法に限らず様々な場面で唱えられるようになった「政策形成過程のバイアス」や、「市場と法」/「市場・立法・行政・司法」の役割分担、そしてそれらを裏付ける「正統性」の探求といったところにまで踏み込んで、終始一貫した視点で「知的財産法制度」のあり様が描かれ、様々な問題提起がなされている。

思えば、今世紀の初頭、自分が手にした『機能的知的財産法の理論』や『競争法の思考形式』、さらには『不正競争法概説』といった書籍の中には、必ずと言って良いほど、単なる机上の条文解釈のレベルに留まらない、立法過程、法形成過程を強く意識した論稿が収められていた。

当然ながら、知識はもちろん、実務経験もほとんどゼロに等しかった当時の自分にはそういったスケールの大きな話を消化できる余地は乏しかったし、いま改めて読み返しても理解できるかどうか、心もとないところはあるのだが、その頃感じた田村教授の論文のスケールを「富士山」に喩えるならば、本書に収められている各論文は、まさに「エベレスト」級、というべきだろう。

田中氏のブログでも紹介されているように、本書の各論文は、既に過去の何らかの媒体に掲載されている。

そして、掲載媒体のうち「知的財産法政策学研究」はある時期から毎号送っていただいているし、その他の媒体も(マニアックな論文集等も含めて)ほとんどは既に購入したり、先生ご本人からご紹介いただいたりしたものだから、これらの所収論文はいずれも一度は拝読したはずのものである。

だが、軽装にリュック一つでは世界最高峰に挑むことができないのと同様に、本書の所収論文は、一度や二度、さらっと読み流した程度では、到底そこに描かれている理論の神髄まできちんと理解することはできないし、(脚注も含めて)質量ともに圧倒的に充実した情報が収められているだけに*2、繰り返し、時を置いて読めば読むほど、新しい気付きも生まれる、そういったものだと自分は思っている。

あいにくのガサツな性分、しかも、集めた雑誌や論文の抜き刷りをきちんと整理してストックしておくようなスペースも持てないしがない身の上ゆえ、「一度拝読した」ものを読み返そうにも、肝心な時に出てこない、なんてこともしばしばあったのだが*3、そういった事情はさておいても、今回、田村教授の体系的な理論に貫かれた論文がまとめられ、書籍として公刊されたことで、一連の論稿にまとまった形でアクセスできるようになった、ということは、実に意義深いことだと思っている*4

「政策形成過程」に関わる人にこそ読んでほしい一冊。

既に述べた通り、自分自身がまだ本書をすべて読み切っていない上に、自分の言葉で消化して、各論文のエッセンスを語れるようなレベルには到底至っていない。

ただ、最近何かとはやりの「政策形成過程への関与」に関心をお持ちの方々には、(知財法に関心があるかどうかにかかわらず)是非、第1章冒頭の論文(「知的財産法政策学の試み」)の第Ⅱ章を読んでいただきたいな、と思っている。

効率性に関わる問題に関しては、かりに市場が機能しているのであれば、市場に委ねれば足りる
「市場が機能していない場合には、権威的決定による介入の方途を探ることになるが、肝要なことは、権威的決定により、効率性の観点からみて最適な制度を設計するということは極めて困難な作業であるということである。」
「そもそも市場が機能していないのか、十分に機能していないとしても権威的な決定により状態がはたして改善するのかということを判断したり、できる限り効率的な制度の設計を構築したりするのに適した機関はどこなのかという視点が必要となる。市場の動向を踏まえつつ、迅速に対処する機関としては立法や司法よりも専門機関のほうが優れていることがある。」
「本当に効率的な決定であるのかどうか不分明なところが残るのだとすれば、なおさら正統な手続によって決定されることが望まれよう。そして、このような政治的責任を負えるのは、司法ではなく立法が優れている。」
「もっとも、だからといって、立法に委ねれば全てが済むというほど話は単純ではない。」
「トータルでは大きな利益となるにもかかわらず組織化されにくい者の利益は、(中略)組織化されやすい者の利益に比して、政策形成過程に構造的に反映されにくいという問題がある。そして、こうした政治過程に拾われにくい利益を擁護するのに最も適した機関は、やはり司法であろう。」
(以上、本書12~13頁)

田村教授ご自身も総括されているように、2008年、「21世紀COEプログラム」終了の節目に公表されたこの論文は、その後、現在に至るまでの”田村理論”のベースラインになっているものであり、田中氏が紹介されている「日本の著作権法のリフォーム論」や、「プロ・イノヴェイションのための特許制度のmuddling through」*5といった各論へのアプロ―チもすべてここで述べられたエッセンスがベースになっている*6

だから、知財法政策に関わる者としてはこの論文は「必読」ということになるのであるが、上記のような「役割分担」論を理解することには、「知財」のフィールドを離れてもなお、大きな意味がある、と自分は思っている。

何かルールを変えよう、創ろう、とするときに、ともすれば、”自分の得意な領域”や”接点のあるところ”からのアプローチに固執しすぎて、ルールメイクのプロセスを歪めていないか? と首を傾げたくなるような動きは、最近でも各法領域で散見されるわけで、「それをする前にできることはないのか?」ということを、上記のような「役割分担」を意識しながら考えてはどうかな、と思った次第である。

なお、田村教授は、本書のあとがきで、

まだまだ研究は未完成であり、これまでもmuddling throughを続けていこうと思っている」(本書494頁)

と書かれており、本書の最後に収められた論文にも「旅の途中」という副題が付されている*7

既にこれだけの山が築き上げられた上に、さらに高みへ、ということだとすれば、「登る」側としては「いつになったら山頂からの景色を見ることができるのだろう?」ということにもなってくるのだが、高い山だからこそ登りがいもあるというもの。

そして、本書の所収論文公表後も、それぞれのテーマで新しい動きが次々と起きている、というのが、動きの激しい知財法政策界隈の実態だけに*8、、足元で起きていることを刮目しつつ、しっかり地面を踏みしめて食らいついていければな、と思うのである。

*1:本書の発売日は12月20日、定価は本体9,800円+税。それでも当初の予定価格よりは大幅に値下げされており、著者、出版社をはじめとする関係者の並々ならぬ思いがそこに込められているものと推察する次第である。

*2:田村教授の書籍や論文は脚注での文献引用も豊富で、しかもミスリードが少ない的確な引用がなされているため、「文献インデックス」としての資料価値も極めて高い。

*3:知的財産法政策学研究は、Web上にもアップされているのでそちらにアクセスすれば目的は達成できるのだが、「紙」でしか保持していないものに関しては未だにどうにもこうにも、という状況である。

*4:大学の図書館くらいでしかアクセスできない論文集所収の論稿まで「市販」されるようになった、ということの意味はそれだけでも大きいと言えるはずだ。

*5:蛇足だが、自分の本書を踏破しようというエネルギーは、この、ページ数にして150、脚注の数にして484、パート(1)公表から完結まで7年(それゆえ、自分は「未完」だと勝手に思い込んでいた)の超大論文の前に見事に打ち砕かれた。「近年の特許制度史料」も兼ねたような大論文で、到底何とかやり過ごして通り過ぎることはできないものだけに、日を改めて読み直すことにしたい。

*6:この論文に加えて、「『知的財産』はいかなる意味において『財産』か?」(本書52頁以下)で投げかけられた「知的財産」を「財産」や「物」にたとえるメタファへの批判(+知的財産法は「行為規制」法である、という整理)を基礎として頭に入れておけば、それ以降の論稿も比較的読みやすくなるのではないかと思われる。

*7:この論文については、昨年の年頭のエントリーでも少し”つまみ食い”をさせていただいたが(「立法」の議論に参加する上で常に自覚しておきたいこと。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~)、当然まだまだ消化しきれていないので、これも改めて読み直すつもりである。

*8:例えば、著作権法の世界でも、最近は「組織化されにくい」と思われていた側が、むしろ一種の「利益集団」化して発言権を増している現象も起きており、より政策形成過程が複雑化している、と言える状況があるように思われる。以前、京俊介先生が「ロー・セイリアンス」と評されていたような状況(著作権法改正の歴史を振り返りながら読みたい一冊 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照)が変わったのか、それとも一過性のブームに過ぎないのかはもう少し見極める必要があるが、そういった点も含めてキャッチアップされていくと、また一段と理論の深みが増すのではないかと思う次第である。

走ったのは靴ではなく、人間だ。

興味関心の移り変わり、というのは恐ろしいもので、今年は年末からずっと日本にいたのに、元旦にサッカーの天皇杯決勝があったことすら忘れていて、翌日の昼くらいにようやく「そういえば結果は・・・?」とスポーツニュースを見返すような事態となってしまった*1

まだ未成年の頃、テレビ番組にしても、目白押しのスポーツイベントにしても、年末から年明けにかけての一つ一つのイベントにわくわくして、実際に現場に足を運んだこともたびたびあったことを思うと、歳を重ねるというのはこういうことなのかなぁ・・・とちょっとやるせない気分にもなったりして。

だが、さすがに2日、3日で10時間電波をジャックする一大イベントだけは、今年もちゃんと見た。

かつて(昭和の終わりくらい)は、2日のお昼過ぎにダイジェストが放映されるくらいだった関東陸連のローカル駅伝大会も、メジャーエンタテインメントになって久しいし、加えて、東京五輪を控えた今、「箱根駅伝⇒五輪」というルートが再び脚光を浴びていることもあって*2、今年は陸上専門誌だけでなく、Number誌まで昨年末に大特集を組み、さらに付録で顔写真付きの「選手名鑑」まで付ける、というフィーバーぶり。

うがった見方をすれば、どの大学もチームの実力が底上げされた結果、傑出したチームやスター選手が生まれづらい状況になっていて、それゆえ、大会自体のブランド効果を前面に出さないと人気を持続できない、という状況なのかもしれないが、結果的に、日々秒単位のパフォーマンス向上に汗を流している選手たち一人ひとりにまでスポットが当たることは決して悪いことではないと思うだけに、斜陽の時代にわずかながら陸上をかじったことのある者としては、「五輪後」もこの流れが続いてくれることを切に願っている。

で、2日間終わってみれば、青山学院が2年ぶり5度目の総合優勝を飾り、昨年優勝の東海大が2位、という結果。

昨年、名将両角速監督率いる東海大が青学の連覇を阻んで初優勝を遂げた時は、これでしばらく時代が続くな、と思ったし、当時のエントリーでは慎重にお茶を濁したものの*3、主力が抜ける青学と、主力がまだ3年生だった東海大とでは勢いの差は明らかで、原晋監督の時代もいよいよ終焉を迎えるのかな・・・と想像していた*4

だが蓋を開けてみれば、青学は、スーパー1年生・岸本大紀選手、5区の2年生・飯田貴之選手が抜群の輝きを見せ、不安視された4年生も3区・鈴木塁人主将、4区・吉田祐也選手がきっちり仕事をして往路で貯金を作ったのに対し、これまでチームを支えてきた現・4年生世代のエース級をエントリーさせることさえできなかった東海大は、往路でのもたつきが仇となって、後塵を拝する結果となってしまった*5

この辺は、「4年間」名を轟かせた青学のブランド力と、躍進を遂げてからまだ1,2年という東海大のそれとの差によるところも大きいと思われるだけに、後者に関しても、箱根での「成果」に触れて大学の門を叩いた高校生たちが主力に成長する来年、再来年になれば、より拮抗した戦いになるのだろうが、いずれにしても、チームマネジメントというのは、かくも難しいものなのだな、ということを傍観者ながら痛感させられる。

また、前評判どおり往路2位、総合でも3位に食い込んだ国学院大学*6は、元々往路優先シフトを組んでいただけに、復路でも粘り切り、最後の10区(2年生の殿地琢朗選手が集団4チームの争いに競り勝って区間4位で順位を押し上げた)で3位に順位を押し上げた、ということが、来年以降の大きな財産になるはず。

東京国際大、明治大、創価大といった面々がシード権を奪い、早稲田大学も予選会の不振が嘘のような激走を見せて返り咲いた一方で、名門・駒沢大は優勝争いに全く絡めず、さらに2年連続往路優勝を遂げていた東洋大がシード権ギリギリの10位、と、ちょっとした潮目の変化で結果に大きな差がついてしまうこの世界の怖さは今年も存分に発揮されていたのだが、それ以上に、上位2チームが大会新記録を更新するようなスピードレースだったにもかかわらず、途中区間での繰上スタートは1度だけ、最下位の筑波大学でも首位との差は30分程度(昨年なら17位くらいに食い込めるタイムで走っている。また10位~18位くらいまでのチームは12分弱くらいのタイム差の中に納まっている状況である)というところに今の学生駅伝の選手層の充実ぶりを見たような気がして、予選会敗退校も含めて、また来年はがらりと勢力図が変わる可能性もあるな、と思わせる結果だった*7


なお、今大会で、往路・復路の7区間区間新、しかも、区間によっては傑出した1人の選手だけでなく、複数の選手が一気にそれまでの記録を塗り替える結果になったこともあって、「靴」論争が湧き上がっている。

ただ、冷静に見ると、記録更新が相次いだ4区、5区は、3年前に距離が大幅に変更されて、元々記録の蓄積が薄かった区間

5区などは今年、区間賞をとった東洋大の宮下隼人選手以下、3選手が区間新を記録し、さしづめ山の神八百万化、といった感じになっているが、先にご紹介したNumber誌(「山の神座談会」という企画があって、今井正人(初代)、柏原竜二(2代目)、神野大地(3代目)が仲良く学生時代の思い出を肴にクロストークをしている)での元青学・神野選手のコメント*8によれば、1分10秒台ではまだまだ「神」とはいえない。

また、復路の6区、7区、10区といった区間に関しては、10年前と比べて起用される選手のレベル層が格段に上がったことが背景要因といえるだろうし、3区に関しては純粋に東京国際大のヴィンセントという留学生の力が凄すぎたことに尽きるような気がする。

何よりも、大会の注目度が上がり、レベルの高い学生が大学に進んで競技を続け、高いレベルで競り合う中で、より良い記録が生み出される、という好循環があってこその話なのだから、あまり「靴」のことばかり言うなよ、というのは当事者でなくても思うし、NHKラジオのゲスト解説者として登場していた佐藤悠基選手が、同趣旨のコメントを、それもかなり強いトーンで言っているのを聞いたときは、彼が今大会も塗り替えられることのなかった現時点で最古の区間記録(1区)保持者であるがゆえに、なおさら説得力があった。

10キロ28分、29分の世界で日々切磋琢磨してしのぎを削り合っている選手たちだからこそ、「厚底」も「カーボンファイバー」も生きてくるわけで、10キロ50分くらいで走るのがやっとの者には、人より先に「靴」を称える気には到底なれない。

もちろん、ルールの中で道具を使いこなして競技力を向上させる(さらに選手への肉体的なダメージを減らせるならなおよい)、というのもスポーツの醍醐味の一つではあるし、それを起点にして一般向けのマーケティングにどう活用していくか、といったところも、見ているとなかなか面白いものなので、こういう形で火が付くと、自分も何だかんだ言って、各競技会のたびに「靴」には目が行くことになるのだろうと思うのだけれど、それはそれ。

そして、選手たちの努力がかすんでしまわないように、報道の節度は保っていてほしいな、と思った次第である。

*1:ここ数年はリアルタイムで中継を見る機会もなかったうえに、一昨年、変則日程で12月上旬に決勝が行われたことで、記憶の中のカレンダーもズレてしまっていたことも原因かもしれないが、つい5年くらい前までは考えられないことで、自分でも驚きである。

*2:一時は、箱根駅伝で活躍してもその後伸び悩んでいる選手がほとんどじゃないか、ということで、シニカルな目を向ける論調も多かったのだが、MGCで上位を争った選手たちが軒並み”箱根組”で、陸連自身も積極的に広報を展開していることで、また少し空気が変わった気はする。

*3:蹉跌を超えて辿り着いた頂点。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~の最後の段落あたり。

*4:自らアドバイザーを務め、教え子も多数送り込んできたGMOアスリーツ(Athletes/Staff[アスリーツ、スタッフ一覧] - GMOアスリーツ)が今季から実業団駅伝に本格参戦(ニューイヤー駅伝では初出場5位の大健闘)したこともあって、そろそろ・・・というのが自分の毎年の妄想である。もっとも、今年の4年生は誰もGMOに行かない、という報道を見て、いろいろと考えさせられるところもあったのだが・・・(箱根駅伝ランナーの進路は?2020年3月卒業選手の就職先実業団一覧

*5:関選手は16人のメンバーにすら入れず。阪口選手も出番なし。鬼塚翔太選手は1区で10秒差の4位、ときっちり仕事をしたし、館澤亨次選手は6区で区間新の快走を見せて大会新記録での復路優勝に貢献する意地は見せたのだが、結果的に最後の年を集大成にできなかった無念さは残るだろうな、と。ちなみに、鬼塚、館澤両選手はDeNAに入社内定、ということで、駅伝で走る姿はしばらく見られないのかもしれない。

*6:監督が自分とも世代が近い、元市立船橋-駒沢大の前田康弘氏ということで以前から気になっていたのだが、監督就任10年超でようやくここまで来た、というのが感慨深い。

*7:個人的には、弘山勉駅伝監督率いる筑波大から金栗四三杯をとる選手が出てくると面白いのにな、と思ったりもする。

*8:「僕の記録を今の距離で換算してみたことがあって、1時間8分45秒くらいなんですよ。だからそれを超えたら「4代目」認定かな、と」(17頁)。

「法務機能」を企業の中で生き残らせるために、今すべきこと。

昨年11月、世に出た時には、SNS上でもかなり議論が沸騰したと記憶しているが、当時は日々忙殺されていたこともあって、まとまったコメントをするタイミングを逸してしまっていたのが、「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会 報告書~令和時代に必要な法務機能・法務人材とは~ 」である。

報告書本文へのリンクhttps://www.meti.go.jp/press/2019/11/20191119002/20191119002-1.pdf

「報告書の概要」*1というペーパーでまとめられている本報告書のコンセプトは、

「「パートナー」と「ガーディアン」としての法務機能について、「事業の創造」つまりは「価値の創造」に重点を置く観点からの可能性を明らかにするとともに、特に組織運営の改革・改善や人材の育成・獲得の在り方に関し、求める法務機能を実現していくためのより具体的な方策・選択肢、フレームワークを提案したものである。」(概要1頁、強調筆者、以下同じ)

というもので、これ自体にはそこまで目くじらを立てていない人でも、報告書本文で書かれている各論や、経営者に対して「法務機能を使いこなせ」と呼び掛けていること*2に対しては、かなり厳しい批判が寄せられていたと記憶している。

そんなわけで、世間的には、”法務業界ではそれなりに老舗”になっているこのブログからも、当然批判の声が上がる、と期待していた方も多かったようだが・・・


この報告書に対する自分の感想をもっとも率直に表現すると、「拍子抜けした」というのがストレートな言い方になる。

2018年4月に出た前回報告書*3は、いわゆる米国型のモデル(それも一部企業のモデル)を無批判に持ち込んだように読める記述が散見される、という点で、”革命的”(悪い意味)なものだったし、その後行われた「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」での議論や資料等を見ても*4、実体から乖離した空論が飛び交っているように見えて、大丈夫?と心配したくなるところは多々あったのだが、今回公表された報告書を見ると、案外まともなものだったからだ。

もちろん、日本企業におけるこれまでの法務機能の生成過程等に関する掘り下げが不十分なまま、直近のいくつかのトピックだけやたら過剰な修飾語を付してフォーカスしていたり*5、前回報告書に引き続き、「ガーディアン」「パートナー」に始まり、「ナビゲーター」「クリエーション」等々、鍵となる概念に限って横文字を多用しているあたりは、いかにも不自然だなぁ、という気分にさせられる*6

だが、

「法務機能は、企業価値を維持・保全するという意味(消極的な意味での価値創造)でも、新たな事業を創造し新たな価値を生み出すという意味(積極的な意味での価値創造)でも、価値の創造に貢献することができ、そのような観点から把握しうるものである。」(6頁)

というくだりとか、

「法的な専門性を武器とする者は、新しい技術や事業に触れた際には、単に既存のルールや解釈を当てはめるのではなく、当該ルールの趣旨・経緯や時代の変化を踏まえて、当該ルールが予定していなかった領域でどこに線を引くべきかをよく検討し、新たな事業構想を実現可能なものとする(enable)努力をすべきである。」(8頁)

というくだり、さらには、

「企業の法務機能の第二の機能として、リスクを分析した上で、取れるリスクと取れないリスクの峻別や、リスクを低減するための方策の提案により、事業を前に進めていくことが求められる。」
「法務機能が、「こういうこともできる」という提案を行うことで、経営陣、事業部門等の発想をストレッチする機能を強化することが必要である。」(10頁)

「法務部門がその法務機能を発揮するためには、社内とのコミュニケーションだけでは不十分で、時には自ら積極的にかつ主体的に社外と直接コミュニケーションをとることも必要である。」(17頁)

法令遵守の観点のみならず、事業を推進する観点からも、経営会議や事業部門の会議の場で、積極的かつ的確な提案を行うことで、ガーディアンとしてのみならず、パートナーとしても関係者の信頼を勝ち得ていかなければならない。経営会議等で事業を推進する観点から積極的に提案するためには、迅速な情報収集が欠かせない。」(24頁)

といった本報告書で強調されているポイントは、これまで法務をバックグラウンドに長年仕事をしてきた者としても当然のことだと思うし、かつ、そのほとんどは、自分自身がこれまでの仕事の中でやってきたことでもある。

「クリエーション」に関していえば、挙げられている「具体例」(9頁)が「規制改革会議」のような”オープンな場での打ち合い”であるために(かつ、一部例としては適切ではないと思われるものもある)、「ここまでできるか!」的な罵声を浴びることになったのだと思われるが、何らかの規制の下で動いている事業者であれば、所管官庁との日常的なやり取りを通じてルールを動かす機会も多かれ少なかれ存在するし、業界団体におけるソフトローレベルのルールメイクや、社外団体を通じた法改正提言等、その気になればいくらでも取り組む機会はあるのだから、これを「法務機能」の一つとして据えることに関しては、自分としては何ら違和感はない*7

また、社外とのコミュニケーション(典型は契約協議だが、合弁立ち上げ段階のブレインストーミングから入って議論したこともある)とか、会議で提案するための情報収集、といったことも、自分にとっては、逆にこれをしなかったら普段何仕事するの?というくらいの位置づけで、特に後者に関しては、待っているだけでは情報なんて絶対入ってこないから、主要なカウンターパートの部門とは定期的なミーティングを設定し、さらに都度都度フロアに入り込んで世間話をしながら様子を探り、担当役員のところにまで乗り込んでいってプレゼンする、そこで指示が出ればその足で取引先との交渉にも乗り込む(だから、日中はあまり自席にはいない)という感じでやっていた*8

「法務」の中だけで議論して、あれこれ論点を深堀りしているだけでは、収益に直結するようなアウトプットは何も生まれてこないわけだから、「外に出て仕事をしろ」というのは、実に真っ当なアプローチだと思う*9


上に挙げたもの以外にも、前回の報告書で欠けていたように見えたボトムアップ型の実装」(19頁)の視点が取り込まれているのは素晴らしいことだと思うし*10、「人材の育成」に関して、

「従前のように「人基準」により人材要件を明確にしないまま(悪い意味で)ジェネラリスト的に人材育成が行われていけば今後求められるスキルやマインドセットが十分に整わず、必要な機能を十分発揮できなくなる可能性がある。そのため、企業は「この人をどう処遇するか」と人基準の発想ではなく、「自社の法務機能のあるべき姿から必要な能力と配分を逆算し、それを担える適材を業務に充てる」という、業務基準の発想も備える必要がある。」(30頁)

と述べられているくだりなどは、よくぞ言ってくれた、多くの会社の人事部門に噛んで含めて聞かせたい、という内容である*11

「人材の育成」に関するくだりなどは、いわゆる「総合職社員」として入社する社員であれば、階層別研修の過程等でことあるごとに意識付けされているような内容だから、何を今さら、といった感もあるのだが、今の法務には、「企業における通常の基幹人材育成サイクルからは外れた人々」も多く入ってきている(法律事務所でキャリアをスタートした弁護士とか、専門職として採用された法科大学院出身者など)ことを考えると、「スキルマップ」を言語化して示す必要性も否定するものではない*12

ということで、基本的にはポジティブに受け止めているところではあるのだが・・・

*1:https://www.meti.go.jp/press/2019/11/20191119002/20191119002-2.pdf

*2:「経営者が法務機能を使いこなすための7つの行動指針」(https://www.meti.go.jp/press/2019/11/20191119002/20191119002-3.pdf)参照。

*3:https://www.meti.go.jp/press/2018/04/20180418002/20180418002-2.pdf

*4:国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会 (METI/経済産業省)参照。

*5:例えば、(本来意図されている使われ方ではない、という評価が一般的な)「司法取引」の第1号案件、第2号案件に関連して「企業のリスクマネジメントやコンプライアンスを取り巻く環境に大きな変化をもたらした」というコメントを付したり、「第4次産業革命」などという経産省関係者しか使わないフレーズをやたら多用していたり(この点については、経産省の研究会だから仕方ない、という見方もあるかもしれないが、こんなところまで所管官庁に忖度してどうする、というのが自分のストレートな思いである)、といった具合である。

*6:<追記>あと、「クリエーション」や「ナビゲーション」の記述に力を注いだあまり、なのか、「ガーディアン」に関する説明があまりに保守的な記述にとどまっているのも気になる。特に「法務機能を担う者は、新たな事業が「法的にどうか(合法か)」のみならず、「社会から見て受容されるか(正しいか)」という基準で判断しなければならない。」(11頁)というくだりについては、そういう発想こそが(経産省が危惧していると思われる)今の日本企業の「決断できない経営」の元凶だし、法務部門を「過剰なガーディアン」(28頁参照)たらしめているのではないか、と思えてならない。もちろん、「自社(あるいは自社の属する業界等)が社会でどういう立場にあり、行政、顧客、株主、地域住民等のステークホルダーからどのように見られているかを肌で実感している」ことはとても大事なことではあるのだが、法令の規律に反せず、かつ長期的にはステークホルダーにとってプラスになる経営判断なら、「違法ではない以上、踏み切って差し支えない」という助言をすることも、法務部門の大事な役割だと自分は思うのである。

*7:個人的には、”オープンな場での打ち合い”は、一見格好よく見えるものの、逆サイドからの猛烈な反論の標的となるリスクが高く、それに対して応酬した結果、本来の立法事実から大きく離れた”空中戦”に議論が陥ってしまう懸念もあるので、実のある「クリエーション」対応としては、決して賢いやり方ではないと思っている。自ら表に出ることなく、水面下で(だがフェアな方法で)良い方向に話を持っていくのが優れたロビイングだ、という評価も、洋の東西を問わず定着していると思っている(もちろん、そんな事例を報告書の中で出すわけにもいかないので、ここではこんな具体例しか出せなかったのだろうけど・・・。

*8:特にマネージャーの地位になってからは、のんびり契約書を直してる暇があったら営業だ!というマインドで仕事をしていたので、契約書のレビューだとか記録の作成だとかといったところで自分が最初に手を動かす、ということはほとんどなかった。だから、昨年フリーになったときの一番の心配は「今さら一から契約書レビューなんてできるかな?」というものだったのだが、幸いにも(若い頃からの経験の蓄積で体に染みついたものに助けられたこともあって)杞憂だった。

*9:もちろん、その前提として「外に出て行っても迷惑に思われない」存在にならなければならないのだが。

*10:メディア向けにどう喧伝するかはともかく、ある程度の歴史がある日本企業の中で「トップダウン型」の取り組みだけで事がうまくいった事例というのは、かなり稀有だというのが自分の実感である。「上からの改革」でうまくいったと喧伝されている施策でも、その裏には天から降ってきたアイデアを「ボトム」からの動きとつなげるために粉骨砕身した人々なり組織なりが必ず存在するのだから、「ボトムアップ(既存組織のブラッシュアップ)」の視点なくして日本企業の機能改革を成し遂げることは不可能だと自分は思っている。

*11:もっとも、前回報告書が出た際にも感じたことだが、この報告書が影響力を持つのはせいぜい一部の法務部門関係者の界隈だけで、企業の中でそれ以上の広がりを持つことを期待することは極めて難しいように思う(なぜなら、この報告書自体が後述するとおり、「法務クラスタの内輪の視点」から脱却できていないように思えるからである。元々法務にあまり関心のない会社幹部に対して、この報告書の内容を報告する機会を得られたとしても「ふーん」という言葉以外のリアクションを得られる気は全くしない)。

*12:ただ細かく見ていくと「部門をまたいだ調整」が「マネジメント(管理職)」だけの役割になっていたり、逆に「交渉役」の役割が「プロフェッショナル職」だけに与えられていたりする等、若干チグハグなところがあったり、多くのスキルが「頭の中で何をするか」的なもので、幹部へのプレゼンのために”簡潔だが刺さる資料”を作る、とか、1分で的確にエッセンスを伝える、といった「表現」レベルのスキルセットが組み込まれていなかったりする、ということもあるので、今後、各社でこれを取り入れるのであれば、内容をよりブラッシュアップしていく必要はあると思われる。また諸々挙げられているスキルのうち「論点を抽出する力」や「法的な分析力」に関しては、トレーニングで何とかなるところはあると思われるが「現実的な解や選択肢を導き提案する力」に関しては学習、経験よりも個々人の”センス”に依拠するところが大きいような気がしていて、OJT、Off-JTだけでは限界がある、ということも認識しておく必要はあるような気がする。

続きを読む

今年も懲りずに「占い」を。

一年の計は元旦にあり、という言葉を覚えてからもう40年近く経とうとしているが、相変わらず年末から年始にかけてのこの時期はダラダラムードで過ごしてしまい、自分に課したつもりのミッションを全く予定通りには消化できないまま、ズルズルと日が過ぎて行ってしまう。

ということで、せっかくの年の幕開けエントリーも、既に何日か経ってしまってからようやく、といったところで、今さら年始の挨拶をするのも出遅れ感が半端ないので省略。

その代わりに、昨年に続き、毎年恒例の「占い」でお茶を濁すことにしたい。

「経営者が占った2019年」はこうなった。

ちょうど1年前、経営者20名が「2018年」の予測をことごとく外したことを揶揄しながら、ついつい調子に乗って自分も日経平均のトレンド予測に手を出してしまったのだが、今となっては後悔しかない*1

自分が予測した中身は、大体こんな感じだった。

・年明けから春先までは米中間の緊張緩和やハードBrexit回避(そもそも撤回もありうる)のムードが高まって相場的には上昇基調で推移。
・5月頃に一度調整の大波が来る(G20の動向次第では、6月にさらに下がる可能性も)。
・国内主要各社の第一四半期&通期見通しが出てくる7~8月頃(おそらく増税を見越した駆け込み需要で数字は予測より跳ねる)に再び上昇に転じる。
・消費増税を控えた9月に利益確定売りで一気に調整局面へ。
・10月以降は、実際の国内消費動向と、世界の動き次第。特に中国の建国70周年(10・1)に合わせて何が出てくるか、による。

で、結果を眺めてみると、2018年末からの流れで大発会で450円超下げたものの、その翌週から相場が一気に上昇に転じ、その後も留まるところを知らずに5月ほぼ右肩上がりで推移した、というのは、想定の範囲内。そして、上がり切ったところでGW明け、米中間の緊張もあって一気に調整が入り(5月7日~10日の間に日経平均は900円超下げた)、6月初めに20,400円台まで下落、その後7月に再度上げに転じた、というあたりまでは、まさに読み切った予想通りの展開だった。

8月に入ってから大きな下げの波が来たときも(結果的に、8月26日に終値20,200円台にまで落ち込む)、想定していたよりちょっと早かったけど、このトレンドでそのまま行くのだろうな、と思っていた。

ところが・・・である。

終わってみれば、その辺りが実質的に今年の底値。その後、株価は9月いっぱい上昇を続け、10月上旬に一瞬「谷」に入ったものの、10月15日に終値22,000円台を回復して以降は、一度もそのラインを割ることなく、12月までほぼ右肩上がりに上昇し続けた。

元々製造業は、今年前半からかなり業績の下振れが続いていた上に、今年後半の株価の指標となるはずだった増税後の消費動向もまぁまぁ深刻な状況。さらにはここ数年、日本の小売・サービス業界を下支えしてきた「訪日外国人効果」という神風も大失速していた状況だったにもかかわらず、終わってみれば、

最安値 19241.37円(1月) 最高値 24091.12円(12月)

という、多くの企業経営者が飛びつく”終わりよければ~“的な結果となってしまい、「前半に山、後半に谷」という少数の予想者に親近感を抱いていた者としては、何とも残念なことになってしまった*2

もちろん、12月に最高値更新、というところまで読み切った人は「経営者」の中にもほとんどおらず、「年終盤」というところまで緩和しても、”願望”も入った予想をされていた証券会社の方お2人*3と、日本ガイシの大島卓社長くらいなのだが、それ以上に自分自身が外してしまった、ということに、ちょっとした無念さを感じている。

そして、この流れを受けて、今回の「経営者が占う2020年」でも、11月~12月に山が来る、という予想の方が20名中7名(レンジは25,000円~27,000円)、トレンドとしても前半に谷、後半に山、という傾向の予想が過半を占める、という状況なのであるが・・・

*1:恥を忍んで当時のエントリーを上げておく。「占い」は外しても、読み外したくない時代の潮流。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*2:現物株で資産運用している限り、「株価が上がって損する」という場面は限られるのだが、結果的に、保有銘柄の安値売り & 欲しい銘柄は気が付けば目標株価から大きく上方乖離しているために資産を増やせない、という憂き目にあったことは間違いない。

*3:SMBC日興証券大和証券グループ本社、ただし、高値の金額レンジはさすがに予想額が高すぎるので、これで「当たった」というのは・・・という感じである。

続きを読む

2019年12月&通年のまとめ

思えば、旧はてなダイアリーから「はてなブログ」に移行したのは、ちょうど今年の初めのことだった。

それからいろいろと起きたことの総括は、既にエントリーで上げたとおりなのだけど、この一年はブログ的にも、6年ぶり、7年ぶりのアクセス数回復、といった感じで景気の良い話題が多かった気がする。

今月のページビューは21,000件強、セッション13,000強、ユーザー7,500弱。
そして、通年では27万弱のページビューと、4年ぶりの水準を確保。

名実ともに「プロ」としての一歩を踏み出した年としては、まずまずだったのではないかな、というのが今の感想。

年が変わってどれくらいの更新頻度をキープできるのか、現時点では何ともいえないところはあるのだけれど、これまで同様、適度に話題を散らしつつ、その時々で伝えたいことをしっかり伝えていければと思っている。

以下、恒例の単月と通年の統計を。

<ユーザー市区町村(12月)>
1.→ 千代田区 1,052
2.↑ 大阪市 872
3.↓ 港区 845
4.→ 新宿区 775
5.→ 横浜市 682
6.→ 名古屋市 257
7.↑ 渋谷区 254
8.↓ 世田谷区 174
9.圏外札幌市 134
10.↓ 京都市 133

「札幌市」が力強くランクインしているのが何より。

そして、通年は2018年との比較で・・・

<ユーザー市区町村(通年)>
1.↑ 大阪市 8,549
2.→ 新宿区 8,546
3.↓ 港区 7,895
4.↑ 千代田区 7,193
5.↓ 横浜市 6,629
6.圏外 シカゴ 3,250
7.↓ 名古屋市 2,657
8.→ 渋谷区 2,122
9.↓ 中央区 1,775
10.↓ 世田谷区 1,740

大阪市千代田区の躍進が今年の特徴と言えば特徴。
特に千代田区は、大きな法律事務所が軒並みあちら方向に移ったこととの因果関係があるのかどうなのか・・・。

そして、最後まで理由はよくわからなかったのだけど、シカゴからのアクセスのボリュームが大きかった時もあったな、と、ちょっと懐かしく思い出した。

続いて検索アナリティクス。

<検索アナリティクス(12月分) 合計クリック数1,917回>
1.→ 企業法務戦士 201
2.→ 企業法務戦士の雑感 79
3.↑ 矢井田瞳 椎名林檎 31
4.↑ 企業法務 28
5.↑ crフィーバー大ヤマト事件 22
6.↑ 法務 ブログ 21
7.圏外知恵を出さないやつは助けないぞ 18
8.圏外椎名林檎 矢井田瞳 16
9、↓ 企業法務 ブログ 13
10.↓ 三村量一 11

<検索アナリティクス(通年)合計クリック数 2.67万回>
1.→ 企業法務戦士 2,483
2.→ 企業法務戦士の雑感 419
3.↑ 矢井田瞳 椎名林檎 296
4.↓ 企業法務 195
5.↑ 東京スタイル 高野 154
6.圏外 企業法務 ブログ 151
7.圏外 三村量一 127
8.圏外 取扱説明書 著作権 120
9.↓ 読売オンライン事件 116
10.圏外 説明書 著作権 114

どのブログにも共通する傾向として、個人運営だとGoogle検索にはどうしても引っ掛かりにくくなってきていて、検索ルートでの来訪者数も、全体を見ると昨年比でかなり減ってしまっているのだが、そんな中、上位常連の2フレーズの検索数が増えている、というのは、ありがたいというか何というか。。。

あと、10年前、15年前に書いた記事を未だに訪れてくださる方がいらっしゃる、というのも本当にありがたい限りである。

なお先月からご紹介している、ツイートアクティビティの解析による最大反響記事、今月は文句なしに↓だった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

インプレッションは31,173。年間を通じてもかなりの上位に来ると思われるインパクトだったな、と。


・・・ということで、マイペースでのらりくらりやりながらも、なるべく良質の記事をタイムリーに、という初志は忘れずに、2020年も細く長く、続けていきたい。

最高だった一年の最後の日に。

一年365日、歳を重ねるたびに過ぎていくスピードは速くなる。

そして今年も決してそれは例外ではなかったはずなのだが、「あっという間に」の一言で括るには、いろんなことがあり過ぎて、これまでの数年よりは、ちょっぴり長く感じたような気がする。

この一年の間に起きた出来事を全部まとめて書き記すには、2019年の残された時間があまりに短すぎるし(今、紅白で椎名林檎くらいまで来たところ)、ちょこちょこ小出しにしてきてもいるから、気になる人は振り返って読んでいただければそれで充分かと思う。

ただ、一つだけ言えることは、ここ数年、年末最後の日に浮かぶ思いを漢字一文字で表そうとすると「忍」とか「耐」とか、そんなものしか思いつかなかったのに*1、今年は逆に「翔」とか「躍」といった単語しか出てこない、ということ*2

数日前のエントリーでも呟いた通り*3、十数年以上背負ってきたいろんなしがらみから解き放たれて、「やりたかったことを本当の意味で仕事にできる」ようになったことの快感は格別なものだったし、それに経済的なリターンまで付いてくればなおさら*4。もう少しゆっくりできる時間を長くとってもよかったかな、と今となっては思うけど、贅沢は言わない。

そして、もっとありがたかったのが、これまでの様々な蓄積が(巷では良く言われる)「組織を離れた瞬間にゼロリセット」という事態には全くならなかったことで、むしろ、これまで積み重ねてきたものをベースにして、そこからいろいろなことを始められた、ということが、想像していた以上にいいスタートが切れた最大の原因だと思っている。

これは本当に、今日まで支えてくださっている様々な人たちのおかげ、としか言いようがないわけで、そんな方々の御恩にはどれだけ感謝しても感謝しきれないし、ちょっとやそっとのことでは思いを届けるには足りないような気もするのだけど、それでもここで御礼を申し上げないわけにはいかないだろう。

本当にありがとうございました。

*1:あえてリンクは張らないが、1年前の今日なんて、本当にひどかった。

*2:まぁ、この年末最後の日に「高飛び」しちゃった人もいるので、そういう意味で「飛ぶ」という言葉を使いたくはないのだが(笑)。

*3:今年を回顧するにはまだちょっと早いけど。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*4:まぁ、何というか、一般の給与所得者がいかに搾取されているか、ということを改めて感じた一年でもあった。これは前職特有の話かもしれないけど。

続きを読む
google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html