日本のほとんどの地域でいともあっさり緊急事態宣言が解除され、首都圏でも「早ければ21日に」という雰囲気になっている、ということで、結構長く続いた「新型コロナ禍」もそろそろ終わりが見えてきたかな、という印象である。
「STAY HOME」の掛け声とともに過ぎていったこの数週間が教えてくれたことは、真に「密」な環境(特に居酒屋での大人数宴会やむさ苦しい通勤ラッシュ等)さえ封じてしまえば、あとは買い物でお店の中に行列ができようが、カフェに行って周りの客とすれ違おうが、一部のパチンコ屋がごった返そうが、パンデミックを引き起こすほどの感染拡大は起きない、ということで、決して「物理的に家の中に閉じこもる」ことが徹底されていたとは言えない環境の下でもこれだけの効果が達成できることが分かった、という点では、海外との比較で見ても大きな意義があったと言えるのではないかと思う*1。
当然ながら、こと首都圏に関しては、感染判明者数がいかに少なくなったといっても、それはイコール「新型コロナウイルス保有者がいなくなった」ということでは全くないので、この先、既に指摘されているような”緩み”(特に「夜の街」方面の・・・)から局地的にぶり返しが生じる可能性も十分にあり得るとは思っているが、「これだけ言われてもなおリスク回避ができない人々の集団」というのは、少なくとも一般的なコミュニティからは既に隔絶され始めているような気もするので*2、影響は局所的なものにとどまるんじゃないか、というのが自分の読み。
もちろん、世の中的には”まだまだ”ムードで引っ張ろうという空気がそれなりに存在するし、そんな空気に合わせてやむなく・・・といった感じで、緊急事態宣言の一部解除が発表された14日には、経団連から「オフィスにおける新型コロナウイルス感染予防対策ガイドライン」*3が公表され、さらに、各業界団体ごとの「業種別ガイドライン」*4も続々と公表された。
業種別ガイドラインなどは、一部、「共通のテンプレートに乗っかっているだけ」で業界としての独自性が発揮されていないではないか、という突っ込みをしたくなるようものが見受けられなくもないのだが、それでも活動に様々な制約がある中で短期間で形になるものを作った、という事実はきちんと評価してあげないと中の方々も報われないだろう。
あと、政府やメディアから発せられる「オフィシャル」な空気とは全く別の空気感で動いている会社経営者も世の中にはたくさんいるわけで、
「緊急事態宣言が終わったら、直ちに全員出社させて火の玉営業させるぞ!」
みたいなことを本気で思っている人もいるだろうから、そういった旧態依然とした発想への「歯止め」として、こういった「きれいごと」が世にきちんと発せられるのは大事なことだと思う。
もっとも、自分は、今「新型コロナウイルス」がもたらしている”危機”は、対象が”未知”であるがゆえのもので、それだけに断じて軽視してはならないと思う一方で、その性質上”未曾有”のものでは決してなく*5、いつかは潮が引いたように姿を消し、忘れ去られるものだとも思っているから*6、最近あちこちで湧いている”With コロナ”的な議論には全く賛同しかねるし、「不可避的な行動変容を」といったキャッチフレーズにも首を傾げたくなる*7。
経団連のガイドラインにも、
「従業員に対し、感染防止対策の重要性を理解させ、日常生活を含む行動変容を促す。」(強調筆者)
と書かれているとおり、「行動変容」はあくまで「感染防止対策」とセットで語られるべきもので、決して未来永劫続くことを想定すべきものではない。
だから、「2メートルを目安に距離を確保する」「入口に手指消毒液を配置する」「店に出入りする客の検温を徹底する」といった類の対応も、今行うべき対応としては全く異論はないのだが、それが、概して日本の社会、日本の組織にはよくありがちな、「一度始めてしまうと当初の目的から離れてダラダラといつまでも続いてしまう」とか、「自分たちで判断したくても批判が気になって戻せなくなる」といった悪弊の元で不合理な定着の仕方をしないようにこれから注意してみていく必要があるし、状況が変わってもなお世の中が”withコロナ”を脱しきれないようであれば、政府も専門家が、これまでの「警戒せよ」というメッセージと同じか、あるいはそれ以上のエネルギーを費やして「もう大丈夫」と言わなければならなくなることもある、ということは書き留めておくことにしたい。
「コロナ後」でも変わらない方が良いもの、変わらないでほしいもの。
さて、そうはいっても、この数か月の間に、現に世の中での仕事の進め方から日常生活に至るまで状況が大きく変わっている中で、終わった時に「全て元に戻る」のが良いことなのか、という話は当然出てくる。
メディアでもSNSでも、判を押したように「今が不自由」であることを前提とした議論が展開されているのだが、「そんなことないよ」という声も結構耳にはするわけで・・・。
先にこちらの話をするなら、自分としてはいつも使っていたカフェが軒並み休業していたり、営業時間が大幅に短縮されていたりするのが結構痛い。
こと日常的な仕事のやり取りや作業に関しては、既に1年前、いや、会社にいた頃から、「パソコン一台あればどこにいてもできる」態勢でずっとやってきていたし、効率的にも、それを物理的な「オフィス」でするか、そうでないところでするかによって差が出ることは全くない*8。
ただ、最近は「やり取り」や「作業」を超えて、もうワンステップ上の「考える」作業をするときには、「第三の場」が必要だな、ということを痛感させられることも多いわけで、「コロナ以前」に20年近く定番化していた、一人でカフェなり、バーなりに行って思考を巡らせる、というスタイルが使えなくなってしまったことで、滞っている仕事があることは白状しなければならない*9。
そして、仮にこの先日常が戻ってきても、「withコロナ」的発想で、営業時間の短縮が継続されてしまったり、「席数削減」が固定化されてしまったりすると、当面は「カフェ難民」「バー難民」状態が続くわけで、決して未来は明るくないということも気がかりだ。
・・・と、自分も”無傷”ではない、ということは一応アピールしてみたものの、誰から指摘されるまでもなく、そんなの大した話じゃないだろう、ということは自分でも良く分かっている。
逆に言えば、困ることなんてそれくらいしかない。
これが仮に、電子メールが普及しておらず、Web会議システムなどというものはもちろん、インターネットを通じた資料収集すらままならないような時代だったとしたら、「こんなんで仕事できるか!」とブチ切れていたと思うけど、今はもうそんな時代ではない。
必要なことは必要なツールを使って淡々と進められるし*10、不要な営業の電話とか強引なアポ入れは激減した*11、となれば、どこに不満を抱く必要があるのだろう、というのが素朴な思いだったりもする。
電車に乗ってちょっと移動しただけでも汗が噴き出してくるこれからの季節、ウイルスだけでなく人間だって暑さには弱いのだから、仮に感染症対策の必要が薄れたとしても、極力移動のストレスなく過ごせる世の中ではあり続けてほしい、ということもついでに申し添えておかないといけない。
もちろん、会社の中を主戦場としている方々はそう簡単には割り切れないだろうな、ということは百も承知で、特にマネジメント層にとっては、今の「ひたすらリモート」という状況は正直苦しいだろうな、と思う。
この点に関しては、既に様々な意見が飛び交っていて、中には「管理的業務をなくす」といった提案も出ていたりするのだが、自分自身の経験から言えば(些末な実務のあれこれに責任を持たないシニアレベルのマネージャーや、一人ひとりが自律的に、”隙間をなくす”ことも含めてきちんと立ち回れる優秀な部下が揃っているマネージャーであればともかく)、一般的にかかる負荷、特に、飛び込んできた仕事の割り振りや、進捗管理、メンバー間の調整、といったマネージャーとしての仕事の負荷は格段に増える。
今までならちょっと声をかけて、顔色を見ながら様子を探れた話を、何らかのコミュニケーションツールを使ってやらないといけなくなるのだから、まぁそれも当然のこと。
「コロナ以前」も、長期出張中とか、長期休暇中などにメールベースで指示をしないといけない時に、雑な指示をしたために大きな手戻りを招いてしまう、ということは誰もが一度や二度は経験したことがあったはずだし、かといって過度に細かくすればよい結果になるか、と言えばそうでもない(だが、遠距離移動に時差ボケ、ミッションの準備等々で、そうでなくても疲れきっている自分の時間は確実に食われる)。
だから、そういう時は決まって、「戻った後に打合せしましょう」とお茶を濁して先送りする、というパターンが多かったのだが、今の状況だと、その「後」がいつになるかもよく分からないから、何らかの形でクリアにしておかないと、後々よりキツイ事態になる可能性も否定できない。
日頃からきちんと仕事の捌き方、「法務」として出すべき答えの組み立て方、そして、その先の進め方を自分の頭で考えて行動できている人は、リモートでやり取りしていても、きちんとコミュニケーションがとれるし、事細かに指示を出すまでもなくベストな方向に仕事を持っていってくれる。
難しいのは、世の中そうではない人の方が多い、ということで、特に待遇的には恵まれた大企業でその代償として「総合職」として頻繁な異動を経験し、今自分がやっている仕事に関するスキルもそれに対する意識も中途半端なままそこそこ背丈が大きくなってしまったような人が、ノリと献身性アピールだけで泳いできた「職場」から切り離されてしまうと途端にやることがなくなってしまう、という事態は十分考えられるところだし、逆に、組織の中で仕事をした経験の浅い「プロ」がそれまで明に暗に組織との”つなぎ”をしていた周囲のメンバーから切り離されてしまうと、途端に仕事のマイペースぶりが際立ち、無駄なハレーションを引き起こす可能性が出てくることも否定はできないだろう。
いくら「これはオーケストラじゃない、即興のジャズセッションなんだ!」と言ったところで、曲がりなりにも部門としての看板を背負っている以上、「音楽」にならない状態のものを外に向けて出すわけにはいかないわけで、真摯に部門マネジメントに取り組んできた人であればあるほど、悩みは尽きずストレスもたまる一方ではないかと推察されるところなのであるが・・・。
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