2020年7月のまとめ

とにかく全速力、という感じで駆け抜けた7月が終わった。

先月の終わりの時点で「第2波」が来そうな気配はあったし、世の中に「新常態」が何となく浸透しそうな気配もあって、少しは落ち着いて過ごせる時間も増えるだろう・・・なんて思ったのが全くの読み違い。

月の最初から最後までまぁまぁの勢いで駆けずりまわり、ブログの更新もままならない日常に戻ってしまった*1

薄ぼんやりとした不安が満ちている今の世の中、コンスタントに仕事がある、というだけで感謝しなければいけないところはあるし、今月は自分が書かせていただいたものが世に出た、ということもあったりして、比較的高いモチベーションをキープできていたので良かったものの、蒸し具合は真夏なのに空を眺めるとどんより、という日々が続く中、走り続けるのも結構骨が折れるのは確かだったりする。

ということで、今月は昨年から大きく数字を落としてページビューは23,000弱。セッションは14,000強、ユーザーは7,500弱。

それでも記録としては5年ぶりのレベルだから、毎年7月は忙しかったんだなぁ・・・としみじみ振り返ったりするのだけど、来月はあるはずだった五輪がない夏、そして暦の上では同じようにめぐってくる盆もある8月。

世の中がどう動くかは分からないけれど、少しでもゆったりと落ち着いた時間を過ごせるように、というのが今の願いである。

以下、いつもながらに統計を。

<ユーザー別市区町村(7月)>
1.→ 横浜市 1055
2.→ 大阪市 675
3.→ 港区 576
4.→ 新宿区 460
5.→ 千代田区 408
6.→ 世田谷区 355
7.→ 名古屋市 266
8.↑ 渋谷区 243
9.↑ 江東区 211
10.↓ 中央区 172

「ステイホーム」から明けた会社等も多いはずだが、順位がそんなに大きく変わっていないのは、読者に「依然としてステイホーム」派が多いからなのか、それともそれ以外の理由なのか。世の中が大きく二極化してきたタイミングだけに、来月以降も気にしながら眺めておくことにしたい。

続いて検索アナリティクス。

<検索アナリティクス(7月分) 合計クリック数 1,963回>
1.→ 企業法務戦士 191
2.→ 企業法務戦士の雑感 47
3.↑ 矢井田瞳 椎名林檎 20
4.圏外ローマの休日 裁判 18
5.↓ 取扱説明書 著作権 18
6.圏外知財立国 失敗 17
7.圏外企業法務 機能 14
8.圏外金野正志 14
9.圏外説明書 著作権 14
10.圏外企業法務 戦士 14

全体的に検索ワードがばらついたせいもあるのだが、個人的に思い入れのあるテーマのキーワードがここにきて登場しているのは、ありがたいというか何というか・・・*2。そして、それに続いて登場する、36年前の大船渡高校のエースのお名前を見て、「甲子園」のない今年の夏を改めて残念に思わざるをえなかったりもした。

なお、Twitterの方は、結構思いがけないツイートがヒットしたりもしたのだが*3、記事でいえば↓のものがインプレッション数8,787で最高、という結果に。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

また、書籍のランキングでは、やはり月後半に*4というエントリーで取り上げた↓の書籍が圧倒的な売れ行きを誇っている。

既にAmazonでは在庫が少ないのか、注文してから手元に届くまでに、少し時間がかかる状況になっているようだが、まだまだ多くの方に読んでいただくべき本だと思うので、改めてここでプッシュさせていただくことにしたい。

ちなみに、ブログのエントリーで書籍をコンスタントに取り上げるのはどうしても難しい、ということもあって、今月からサイドバー(スマホ版だと記事下、ページ下にも)にひっそりと「おすすめの一冊」を表示するという試みも始めている。

決してランダムではなく、自分が「これは読んでほしい」と思ったものしか載せていないので、機会があれば見ていただければ幸いである・・・。

*1:貴重な連休期間中、義憤に駆られてプライベートで遠出した、という事情もあったりはしたが、それにしても自由に使える時間はかなり少なかったような気がする。

*2:「企業法務 機能」で検索して出てくる記事は今年の初めに書いたエントリーなのだが、最後の一言が、今、こういう世の中になって改めて見返すと重いなぁ・・・と思わずにはいられなかった。

*3:結局、例のマックのツイートは35万以上のインプレッション数を記録・・・。人生の中で、もう二度とできないような経験であった。

*4:こんな時だからこそ絶対に読んでおきたい一冊。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

明日への逸走。

長い連休が明けて、さぁ気持ちを切り替えよう・・・と思っても、相変わらず東京の空はどんより。
常に湿気を帯びた路面を歩くたび、頭の中を流れる「天気の子」のサントラ。

景気づけに再開されたはずのスポーツの世界ですら、この週末は感染者が出たJ1クラブが試合中止、大相撲の若手人気力士は接待を伴う会食に出かけて師匠から一発レッド、と世相を反省した話題ばかりで、藤川球児が復活勝利と聞いてもあまり心は湧き立たない。

だが・・・今の世の中、唯一の希望は「馬」だ

元々五輪の馬術競技に備えて、恒例の3場開催から小倉を抜いて札幌と新潟の2場で変則開催されているのがこのクールなのだが、そのおかげで、というべきか、東西から馬も騎手も集結したこの2場のレースレベルは確実に上がり、特に新潟ではいつにも増して激しい戦いが増えた。

そして、そんな状況に応えるように、馬券の売上も一向に衰える兆しは見えない

昨年小倉で売り上げていた分が回った、という要素はあるとはいえ、札幌、新潟の2場だけで前年と比較すると、土曜日は対前年比∔52.1%。

札幌の重賞(クイーンS)の日程がズレた関係で苦戦必至と思われた日曜日ですら、新潟はアイビスサマーダッシュの売上が対前年比+78.2%という脅威的な売り上げを記録してトータルでも∔58.3%。さらに、札幌でもメインレースの減収を他のレースが補って前年比プラスを記録し、トータルで対前年比∔36.0%。

2場だけで480億円を超える売上だから、3場開催だった前年と比べても全く遜色ないし、1場分の開催経費がかかっていないことを考えると、主催者にとっては万々歳の結果だろう。

普段通りきっちりと馬を仕上げ、世の中の変化など微塵も感じさせない好勝負を毎レース演じてくれる競馬サークルの関係者の方々の高いプロ意識と、どんなに状況が変わっても競馬場の中で生まれるコンテンツをしっかりと配信し、売上に結び付けることができる完成されたシステム。

今、苦戦している多くの事業者に欠けているものを、10年も20年も前から、時間をかけて堅実に作り上げてきたJRAの素晴らしさはどれだけ称賛してもし足りないくらいなのだが、さすがにいつまでも「競馬一人勝ち」では困るわけで、そろそろ他の興行の世界でもこれに続くプレイヤーが出てきてくれることを願うばかりである。


で、そんな中、この週末一番印象に残ったのが、土曜日の新潟第5レースの新馬戦、4番人気・リフレイム号(牝2)の激走。

前週までのトリッキーな福島のコースとは異なり、きれいな馬場に長い直線、そして翌春の大舞台に近い広々とした左回りコース、ということもあって、クラシック候補と目される2歳馬が続々とデビューするのがこの新潟開催だし、実際、日曜日には、ここまで若干不完全燃焼感もあった新種牡馬ドゥラメンテ産駒が未勝利、新馬で2勝を挙げるなど、かなり傾向が変わったのも事実だったのだが、このレースに関しては、決して順当な結果にはならなかった。

ゲートを出て先頭に立ったのがリフレイム。人気になっていたディープインパクト産駒のノースザワールドやドゥラメンテ産駒のギャリエノワールが後方に控える中、快調にコーナーを回り長い直線を先頭で引っ張るのか・・・と思ったところで、なぜか進路はコースの外へ外へとよれていく。

先導役を失った後続の馬たちが、インで激しい争いを繰り広げる中、外ラチ沿い一杯のところをただ一頭進むリフレイム。

映像を見る限り、実況者すらこの馬の存在を見失ったのか?と思うような状況になりながらも、最後までスピードは衰えず、結局、馬場の内側の方の小競り合いをあざ笑うかのように、大きく離れて先頭を駆け抜ける・・・。

結果的に最後は後続に半馬身差まで詰め寄られる形になったものの、最後の直線を斜めに横切る壮大な距離ロスや、ゴール後、”ギリギリのところでしがみついている”という表現がしっくりくるような鞍上・木幡巧也騎手の映像などを見ると、

「普通にまっすぐ走ったら、どんだけちぎったんだろう・・・」

と思いたくなるような衝撃レースで、この勝ち馬の名は、父・American Pharoahの名とともに、ファンの記憶に深く刻まれることになった*1

American Pharoahと言えば、2015年の米3冠馬BCクラシック勝ち馬であり、ダートの世界では既に今年の3歳陣からカフェファラオ、ダノンファラオという2頭の怪物級の馬を送り出しているのだが、日本の芝のレースで勝ったのは今回のリフレイムが初めて。それでいてこの勝ちっぷりだから、まぁ何というか・・・。

馬にしてみれば、本能の赴くままに走った結果がこれ、なのであり、やれ”逸走”だ、やれ”平地調教再審査”だ、と言われても、そんなの知ったことか、というところなのだろう。

ただ一方で、新潟の外ラチ沿い、と言えば、通常のレースで芝が使い込まれていない分、馬場が良くて最後まで脚がよく伸びる「黄金の道」。この週末の重賞もそうだったが、直線1000mのレースなどでは、外枠に近いポジションからスタートした馬が、どんどん「外側」に寄っていき、そのまま逃げ切る、というケースも決して稀ではない。

そう考えると、今回の「逸走」も、もしかしたら逃げ馬が一番いいコースを選びにいったゆえの戦略の一種だったのか?という、いらぬ妄想も湧いて来たりするわけで・・・。

*1:新馬戦でこれだけの衝撃を受けたのは、一昨年、中山の芝1200で逃げて後続を10馬身ちぎったキースネリス以来のことである。

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こんな時だからこそ絶対に読んでおきたい一冊。

本来ならオリンピック開幕ウィークだった、ということくらいは知っていたものの、昨日今日が何の祝日なのかよくよく確かめもしないまま長期連休に突入し、日本中で花火が打ちあがる、というニュースに接して、ようやく

「そうか、本当なら今日が開会式になるはずだったのか・・・」

ということに気づいた2020年7月24日。

いろんな意味で、後にも先にも、どこの国の人もそうは経験できないような稀少価値のある経験をしているんだ、と開き直ってしまえば、風前の灯のホスト国の国民としても少しは心が落ち着く(?)のかもしれないが、まぁ、1年前に、日本中がこんな形でこの長い連休を消化することになろうとは、半年前ですら誰も想像していなかったのは確かで、「あと1年」とか、いろんな掛け声が飛び交うのを聞けば聞くほど、こみ上げる切なさはある。

で、そんな中、この記念すべき「開会式をやるはずだった日」に、前々から(確か今年の初めくらいには入手していたはず・・・)読もう読もうと思っていた話題作にようやく目を通すことができた。

既に新聞の書評等でも取り上げられ、人気を博している本とはいえ、週刊誌の見出しを彷彿させるような刺激的なタイトル、そして、さらに刺激的な市松模様の表紙・・・ということもあって、品行方正な法務、知財担当者の中には、この本の存在は知っていても敬遠している、とか、後回しにしてまだ目を通していない、という方も結構いらっしゃるのかもしれない。

だが、自分はストレートな問題提起で始まる「まえがき」と、軽快なタッチながら詳細に現世の病理現象を描いていく第1章を読んだ時から本書の虜になった。

そして、最後まで読み終えた今思うのは、本書は「オリンピックをめぐって今生じている問題」を深く掘り下げようと思う方にとってはもちろんのこと、現代の世における商標法、著作権法不正競争防止法から各種パブリシティのライセンスに至るまで、様々な創作・表現活動へのコントロールの在り方を考える上でも必読の書、であり、さらに、知財の世界を離れて、実務者が世にはびこる「暗黙のルール」への向き合い方を考える上でも大いに示唆を与えてくれる書、だということである。

このエントリーの限られた字数の中で本書の魅力を伝えきることなど到底できないので、賢明な読者の皆様には、ここはさっさと流し読みして本書を早々に入手していただき、今年の”仮想オリ・パラ期間”が終わるくらいまでにはガッツリ読んでいただくのが良いと思っているところではあるが、以下、それでもまだ迷っている?という方々のために、自分が特に「ここは凄い」と思ったところを断片的に書き残しておくこととしたい。

徹底的に練られた構成と豊富な事例

本書は大きく分けて6つの章から構成されているのだが、全体を通じて、メッセージを説得的に伝えるために、”起・承・転・結”のストーリーが非常に工夫されているな、というのが自分の印象である。さらに、時には「一体こんなネタどこで見つけてきたんだ?」と突っ込みを入れたくなるような豊富な事例の数々が、本書に込められたメッセージを「上滑った主張」ではなく、地に足のついたものにしているように思われる。

冒頭で五輪をめぐるいわゆる「アンブッシュ・マーケティング」の長い歴史をふんだんに紹介した上で、五輪組織委の資料等も引用しつつ「規制する側の事情」に触れ*1、「知的財産権でオリンピック資産を独占できるか?」という法的見地からの考察を一通り行った上で、IOC、各国組織委の動きがいかにそれを超えたものか、ということを論証していくプロセスは、実に見事というほかない*2

そして、その過程には、手作りのオリンピック・シンボルのディスプレイを掲げていた英国の小さな花屋の悲劇や、「5つの輪」があるだけでロゴマークを変えさせられてしまったゲーム会社の話など、その途中には、本書の著者ならずとも「おいおい」と突っ込みたくなるような話が随所に織り交ぜられる。

メッセージ性の強い書籍だけに、引用されている事例も当然本書のストーリーを補強するものが選び抜かれているのだろう、ということは、心に留めておく必要はあるだろうが、日本国内に限らず海外のネタ(新聞、雑誌記事のみならず判例まで・・・)まで世界中からかき集めたかと思えば、時代をさかのぼって1960年代の日本の雑誌報道まで追いかけて丁寧に引用する著者の”執念”は、多少のバイアスも気にせずに一気に読み進めたくなってしまう、という本書の魅力につながっているような気がする*3

飽きさせない軽妙な筆致

もう一つ、本書の優れたところを挙げるならば、本来はかなり難易度の高いテーマであるにもかかわらず、それを感じさせないコミカルタッチな比喩等が散りばめられているところだろう。

たとえば、ある会社が広告の中でIOC創立記念日(オリンピック・デー)に言及したら「IOCと関係のある団体と誤認されるおそれがある」と警告を受けた事例を取り上げ、

IOCの創立日が6月23日であるという歴史的事実を文章で説明すると、その説明主体について『IOCと関係がある団体なんだな』と誤認する人が果たしているだろうか。『6月23日は芦田愛菜の誕生日です』といったら『えっ、知り合いなの?紹介して!』とつかみかかって来られるようなものである。」(165頁、強調筆者、以下同じ。)

と突っ込んでみたり、1928年アムステルダム大会の公式ポスターの著作権譲渡を拒否されたIOCが別のデザイン(しかもドイツ語で書かれたもの)を「公式ポスター」に差し替えた、というエキセントリックな事例によりエキセントリックな比喩を付け足してみたり・・・*4、と、随所に書き手の遊び心が顕われている。

もちろん、五輪のキャッチフレーズが商標法上保護されるか、や、五輪シンボルマークが著作権法上保護されるか、といったくだりの解説となると、専門的見地からの議論にも十分耐えうるレベルでかなりしっかり書かれている、というのが本書のもう一方の魅力でもあり、本書を読み終えた時、そういった専門的視点からの的確な解説と、読み物としての面白さの演出のバランスが実によく取れているな、と思わずにはいられなかった。

「これからの五輪までの日々」の文脈でも、それ以外の文脈でも・・・。

以上、本書の魅力を細かく挙げていけばキリがないのだが、「なぜ今読むべきなのか?」という問いに対しては、自分があれこれ説明するよりも、次の2つの引用箇所に触れていただくことこそが、もっとも分かりやすい答えになるような気がする。

一つは「行き過ぎたアンブッシュ規制」に対して、いくつもの問題点を指摘した上で著者が記された言葉。

「オリンピック組織が、大会の規模を維持する目的で、アンフェアに自己の利益を追求し続けることは、倫理規範の尊重を謳ったオリンピック理念を否定する行為である。こうした行為がこれからも続けば、大会の規模は維持できたとしても、やがて誰もオリンピックにフェアプレー精神を感じることはできなくなり、平等な社会を投影できなくなるだろう。そうなれば、市民のオリンピックに対する忠誠心も希薄になっていくはずだ。それはオリンピックのブランド価値を減じ、オリンピック・ムーブメントを破壊することと等しい。そうなったら、とても悲しく、不幸なことだと思うのだ。」(197頁)

この章でオリンピック組織側のスタンスと合わせて批判の対象となっている「開催決定以降の実務サイドの『自粛』の動き」に関しては、自分自身、少なくとも2013年の開催決定直後の段階では、(現場を見てきた実務家だからこそ)”空気を読む”ことを否定する気にはなれなかったのも確かだから*5、本文で書かれていることに対しては少々複雑な思いで読んでいたところもあったのだが、前記引用したくだりに関しては、まさに至言というほかない。

何よりも、昨年以来続いているIOCと開催国との綱引きの中で、この「自己の利益の追求」の弊害が随所に見られるようになっており、さらに今後も、「開催中止」が正式に決まりデモしない限り、あと一年は同じような状況が続くことが見えてしまっているだけに、この結論に至るまでの本書での緻密な検証にはしっかり触れておくに越したことはない、と自分は思っている。

さらに第6章、最後の最後で著者が記されている言葉も、熱く、重みのあるものである。

一部の利益追求者は、自己の過度な利益追求に正当性を与えんがために、都合の良いように意図的に捻じ曲げた(あるいは曖昧にぼかした)法律解釈を喧伝したり、自分で勝手につくったルールを法律であるかのように振りかざしたり、自己の利益追求があたかも社会の共通利益に資するかのように装ったりすることがある。あまつさえ、自己の利益追求に法的な正当性を与えるための立法まで画策することもある。これは法律や社会通念の悪用といってもいい。そうすることで、他者の自由を制限することに対する罪悪感を減じ、他者にもたらす不利益にますます無自覚になっていくのだ。」(293頁)

直接は「過剰なアンブッシュマーケティング規制」に向けられた言葉だが、著者ご自身もこれに続けて述べられているように、これは「世の中のあらゆる場面で見受けられる機会が増えている」ことでもある。

著者の友利氏は、同時に、”受ける側”に対しても、道理を見極めずに行われる事なかれ主義的な「自粛」ではなく、「道理を踏まえたうえで判断する『分別』」を行動原理として物事に向き合うべき(291~292頁参照)と説かれており、前記引用箇所はそういった考え方とセットで理解されるべきものだと思うが、ともすれば今は、まさに根拠も、道理もない「自粛」が日々の行動すら縛ってしまう状況に陥りがちなだけに、実務家の視点でこういった考え方を明確に打ち出すことはとても大事だし、本書の著者がいかにして上記のような結論を導き出しているのか、ということを知るためにも、本書にきちんと目を通す意義はあるのではないか、と思うところである。

最後に一言。

ということで一通りご紹介してきたが、本書が刊行された2018年11月から、世の中も、オリンピックを取り巻く環境も大きく動いているのは、改めて申し上げるまでもないだろう。

ついこの前までは、(それがどこまで法で保護されるものなのかはともかく)「世界最大のスポーツイベント」としてのブランド価値があることは疑いようもなかった「五輪」は、長引く新型コロナ禍と、それが課したさらなる負担により、開催国やそこでスポンサーとなるはずだった事業者たちにとって、全く異なる意味合いのものになりつつある。

仮に、予定どおり来年五輪を挙行するのだとしても、スポンサーの離脱や、意図的サボタージュ等が起きることが優に想像できる状況の中で、これまでのような「囲い込み型利益分配」の仕組みが機能する可能性は極めて低い

そうなった時に、目指すべき形はどこにあるか?

個人的には、本当に来年五輪をやろうと思うなら、本書の第6章で描かれた、「資金難に苦しみながらもブランドの広範な活用で乗り切った1964年の東京五輪」の経験に立ち返るしかないと考えるし、実利を優先した60年近く前の発想がここでまた蘇ることがあるとしたら、まだまだ日本社会の柔軟性は捨てたものではないな、と思うところ。

そして、そういった点も含めて本書を活用できる場面はいくらでもあるような気がするので、今は少しでも多くの方に本書を手に取っていただき、目を通していただくことを願うばかりである。

*1:この第2章で描かれている規制する側の「動機」と、「IOCが一民間組織に過ぎない」という事実が本書の最後の最後まで効いてくることになる。

*2:章の間に挟まれるコラムも、一見”閑話休題”的なトーンで書かれていながら、実に効果的に本筋の説得力を増すツールになっているような気がする。

*3:なお、このテーマに関しては、自分も過去にそれなりに調べて対策を練っていたつもりではあったのだが、五輪の長い歴史をくまなくフォローしている本書の前では、そんな付け焼刃の知識がいかに断片的なものに過ぎなかったか、ということを痛感させられた次第である。

*4:この事例自体、吹き出しそうになるくらいのトンデモエピソードなのだが、個人的にはその次の喩えで笑いが止まらなくなった。

*5:“知的財産”というマジックワード〜“五輪”イメージ商法をめぐって。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~参照。ちなみに、その後,より密に一民間団体のルールに縛られる、という苦い経験を経て、堪忍袋の緒が切れかけた時に書いたのが今こそ「プッシュ・アンブッシュ!」と叫ぶとき。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~の記事である。この4年半の間に何があったのか、勘の良い読者の方ならお察しいただけるはずである・・・。

ニュースと判決文を眺めただけでは分からない「リツイート最判」の本当の意義。

今年の春以降、全体的に裁判所の動きが悪くなっている中で、知財業界にインパクトを与えるような判決もあまり出てこない状況が続いていたのだが、ここにきて強烈なインパクトのある判決が出た。しかも最高裁から・・・。

ツイッターリツイート(転載)された画像の一部が自動的に切り取られる設定を巡る訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(戸倉三郎裁判長)は21日、「著作者の氏名を表示する権利を侵害した」との判断を示したツイッター社側の上告を棄却し、メールアドレス開示を命じた二審・知財高裁判決が確定した。」(日本経済新聞2020年7月22日付朝刊・第36面、強調筆者、以下同じ。)

一般メディアの報道ではどうしても伝わりにくいのだが、本件はあくまで発信者情報開示請求事件

そして、記事に出てくる権利侵害云々の話も、あくまでプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)4条1項の各要件該当性を判断する過程で示されたものに過ぎないから、今後、この判決の射程がどこまで及ぶかと言えば、まだ分からないところもある*1

第4条 特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、次の各号のいずれにも該当するときに限り、当該特定電気通信の用に供される特定電気通信設備を用いる特定電気通信役務提供者(以下「開示関係役務提供者」という。)に対し、当該開示関係役務提供者が保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。以下同じ。)の開示を請求することができる。
一 侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。
二 当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき。

ただ、そもそも最高裁が判断を示すことさえ稀なこの分野で、著作者人格権侵害の成否に関する判断が示された、というのは大きな話だし、ましてやそれが多くのユーザーに使われているSNSプラットフォームの通常の利用場面での話ということになれば、やはりきちんと見ておかねば、ということにはなってくるだろう。

また、記事でも紹介されているとおり、本判決には職業裁判官出身の戸倉三郎判事(補足意見)と、外交官出身の林景一判事(反対意見)が極めて対照的な意見を書かれていることもあり、どうしてもそこで書かれている、リツイート者の負担云々、といった話に目を奪われてしまいがちになるのだが(そして、それ自体も、非常に大事なことではあるのだが)、本件を第一審から追っていくと、もっといろいろなものが見えてくるわけで、単に「氏名表示権侵害で発信者情報開示が認められてしまった」ということ以上の、この事件に込められた意味を、以下では読み解いていくこととしたい。

最高裁に来るまでに原告側が勝ちえたもの、失ったもの。

さて、どんな事件にも共通する話で、本件にも当然、第一審、控訴審はある。

そして、これらの判決を見ていると、今回の最高裁判決では、これまで「主戦場」と目されていたような論点への答えは必ずしも示されていないようにも思える。

まず、第一審判決(東京地判平成28年9月15日(H27(ワ)第17928号))*2から読み解いていくならば、本件の事案のベースになっているのは、

・本件で発信者情報開示の対象となったアカウントは5つ(いずれも氏名不詳者)。
・アカウント1を保有する氏名不詳者は、原告写真の画像ファイルを、原告に無断で自らのプロフィール画像としてアップロード*3
・アカウント2を保有する氏名不詳者は、原告に無断で原告写真の画像ファイルを含むツイートを行う。
・アカウント3~5を保有する氏名不詳者が、アカウント2のツイートをリツイートしたが、原告側は、「アカウント4、5保有者はアカウント2の保有者と自然人としては同一人物である」という主張を行っていた*4

という事実であり、(最後の点にどこまで信ぴょう性があったのかはともかく)アカウント1、2の氏名不詳者が行った行為(ツイート行為)が明白な著作権侵害に当たることは、本件写真が紛れもない著作物である以上争いようがない事案であった、ということが分かる。

また、それを前提に第一審で原告が主張したのは、以下のような点であり、実に多岐にわたっている。

・被告ツイッタージャパンが発信者情報を保有しているか(実質的削除権限の有無)*5
・アカウント1のツイート(プロフィール欄の画像)、アカウント2のタイムラインへの原告写真画像の表示が公衆送信権等を侵害するか?
・アカウント3~5のリツイート行為が原告の公衆送信権を侵害するか?
リツイート行為が原告の公衆伝達権を侵害するか?
リツイート行為が原告の複製権を侵害するか?
リツイート行為が原告の氏名表示権を侵害するか?
リツイート行為が原告の同一性保持権を侵害するか?
リツイート行為が、原告の名誉又は声望を害する方法による利用として著作権法113条6号に違反するか?
リツイート行為による権利侵害がプロ責法上の「侵害情報の流通によって自己の権利を侵害された」場合にあたるか?
リツイート者がプロ責法上の「発信者」に該当するか?
・「最新のログイン時IPアドレス」が(開示対象となる)「侵害情報に係るIPアドレス」に該当するか?

特に一番最後の「最新のログイン時IPアドレス」を開示させられるかどうか、という点に関しては、

「被告米国ツイッター社は,本件アカウント1~5に対応する各電子メールアドレス(別紙発信者情報目録(第1)及び同(第2)の各記載3),各アカウントへのログイン時のIPアドレス(同(第1)記載4)及びタイムスタンプ(同記載7のうち4項のもの。以下,アカウントへのログイン時のIPアドレス及びタイムスタンプを併せて「ログイン時IPアドレス等」という。)を保有しているが,原告が請求するその余の発信者情報*6保有していない。(弁論の全趣旨)」(一審5頁)」

という前提に鑑みると、事件の性質上、極めて重要なポイントだったはずだ。

だが、第一審は、リツイート行為の著作権侵害著作者人格権侵害該当性を、

「本件写真の画像が本件アカウント3~5のタイムラインに表示されるのは,本件リツイート行為により同タイムラインのURLにリンク先である流通情報2(2)のURLへのインラインリンクが自動的に設定され,同URLからユーザーのパソコン等の端末に直接画像ファイルのデータが送信されるためである。すなわち,流通情報3~5の各URLに流通情報2(2)のデータは一切送信されず,同URLからユーザーの端末への同データの送信も行われないから,本件リツイート行為は,それ自体として上記データを送信し,又はこれを送信可能化するものでなく,公衆送信(著作権法2条1項7号の2,9号の4及び9号の5,23条1項)に当たることはないと解すべきである((東京地裁は、規範的な侵害主体論を展開する原告に対し、まねきTV最判を引用してそれを否定する、という珍しい判断も行っている(どちらかと言えば、侵害主体拡張の理屈に使われることが多い判決だけに・・・。この点については控訴審も同じ理屈で判断を下している)。ことツイッターの一般ユーザー側の視点で見れば、東京地裁の判決こそが常識的、かつ理想的なものだった、ということができるのかもしれない)。また,このようなリツイートの仕組み上,本件リツイート行為により本件写真の画像ファイルの複製は行われないから複製権侵害は成立せず,画像ファイルの改変も行われないから同一性保持権侵害は成立しないし,本件リツイート者らから公衆への本件写真の提供又は提示があるとはいえないから氏名表示権侵害も成立しない。さらに,流通情報2(2)のURLからユーザーの端末に送信された本件写真の画像ファイルについて,本件リツイート者らがこれを更に公に伝達したことはうかがわれないから,公衆伝達権の侵害は認められないし,その他の公衆送信に該当することをいう原告の主張も根拠を欠くというほかない。そして,以上に説示したところによれば,本件リツイート者らが本件写真の画像ファイルを著作物として利用したとは認められないから,著作権法113条6項所定のみなし侵害についても成立の前提を欠くことになる。」
(以上、一審判決PDF・14~15頁)

とざっくり退けただけでなく、開示請求の対象についても、「本件において侵害情報が発信された上記各行為と無関係であることが明らか」として、「最新のログイン時IPアドレス」の開示請求を退けた

判決では、アカウント1のプロフィール画像が設定されたのは遅くとも平成27年1月21日、アカウント2のツイートがなされたのは平成26年12月14日、とされているから、第一審の判決の時点で既に2年近く昔の話、ということになり、「最新のIPアドレス」は侵害情報の発信行為とは無関係だろ、と言われてしまえばそれまでの話なのだが、かといって、メールアドレスだけで本人までたどり着けるかといえばそれもまた厳しいところで*7、第一審でアカウント1、アカウント2については一部開示請求が認められたにもかかわらず原告がさらに控訴して争った背景として、理解しておく必要があるように思う。

続いて控訴審判決(知財高判平成30年4月25日(平成28年(ネ)第10101号)*8

この段階になって判例時報にも収録され、多くの評釈者の関心を集めることになったのだが、ここでも争われたポイントは、第一審から大きく変わってはいない。
そして、原告(控訴人)側が力を入れていた主張の多くが退けられた、という点も同様である。

ただ、こと著作者人格権に関する争点についてだけは、知財高裁は、以下のとおり、異例ともいえる判断へと舵を切った。

ア 同一性保持権(著作権法20条1項) 侵害
「前記(1)のとおり,本件アカウント3~5のタイムラインにおいて表示されている画像は,流通情報2(2)の画像とは異なるものである。この表示されている画像は,表示するに際して,本件リツイート行為の結果として送信された HTML プログラムや CSS プログラム等により,位置や大きさなどが指定されたために,上記のとおり画像が異なっているものであり,流通情報2(2)の画像データ自体に改変が加えられているものではない。」
「しかし,表示される画像は,思想又は感情を創作的に表現したものであって,文芸,学術,美術又は音楽の範囲に属するものとして,著作権法2条1項1号にいう著作物ということができるところ,上記のとおり,表示するに際して,HTML プログラムやCSS プログラム等により,位置や大きさなどを指定されたために,本件アカウント3~5のタイムラインにおいて表示されている画像は流通目録3~5のような画像となったものと認められるから,本件リツイート者らによって改変されたもので,同一性保持権が侵害されているということができる。」
「この点について,被控訴人らは,仮に改変されたとしても,その改変の主体は,インターネットユーザーであると主張するが,上記のとおり,本件リツイート行為の結果として送信された HTML プログラムや CSS プログラム等により位置や大きさなどが指定されたために,改変されたということができるから,改変の主体は本件リツイート者らであると評価することができるのであって,インターネットユーザーを改変の主体と評価することはできない著作権法47条の8は,電子計算機における著作物の利用に伴う複製に関する規定であって,同規定によってこの判断が左右されることはない。)。また,被控訴人らは,本件アカウント3~5のタイムラインにおいて表示されている画像は,流通情報2(1)の画像と同じ画像であるから,改変を行ったのは,本件アカウント2の保有者であると主張するが,本件アカウント3~5のタイムラインにおいて表示されている画像は,控訴人の著作物である本件写真と比較して改変されたものであって,上記のとおり本件リツイート者らによって改変されたと評価することができるから,本件リツイート者らによって同一性保持権が侵害されたということができる。さらに,被控訴人らは,著作権法20条4項の「やむを得ない」改変に当たると主張するが,本件リツイート行為は,本件アカウント2において控訴人に無断で本件写真の画像ファイルを含むツイートが行われたもののリツイート行為であるから,そのような行為に伴う改変が「やむを得ない」改変に当たると認めることはできない。」
(以上控訴審判決PDF・36~38頁)

イ 氏名表示権(著作権法19条1項)侵害
「本件アカウント3~5のタイムラインにおいて表示されている画像には,控訴人の氏名は表示されていない。そして,前記(1)のとおり,表示するに際して HTML プログラムやCSS プログラム等により,位置や大きさなどが指定されたために,本件アカウント3~5のタイムラインにおいて表示されている画像は流通目録3~5のような画像となり,控訴人の氏名が表示されなくなったものと認められるから,控訴人は,本件リツイート者らによって,本件リツイート行為により,著作物の公衆への提供又は提示に際し,著作者名を表示する権利を侵害されたということができる。」(控訴審判決PDF・38頁)

「最新ログイン時IPアドレス」の発信者情報該当性をめぐって、憲法論にまで遡った激しい主張反論の応酬(判決文PDFベースで実に10ページ相当)がなされているのに比べると、これらの争点に対する控訴審での主張、反論は実にあっさりしたもののように見える。

それでも、同一性保持権侵害に関しては、被告側も以下のとおり相応の反論は行っていたのだが*9、それに続く氏名表示権に係る反論は実にあっさりとしたものである。

(ア) 同一性保持権(著作権法20条1項) 侵害について
「 a ブラウザ用レンダリングデータを侵害情報とする同一性保持権侵害についてクライアントコンピュータ上でのブラウザ用レンダリングデータの生成は,一般のインターネットユーザーがウェブサイトを閲覧する際に必然的に生じるものであり,しかも,ブラウザ用レンダリングデータがクライアントコンピュータ上で継続的に保存されることはないから,ブラウザ用レンダリングデータが生成されることのみをもって,本件写真に「変更,切除その他の改変」がされたということはできない。また,著作権法47条の8の「無線通信若しくは有線電気通信の送信がされる著作物を当該送信を受信して利用する場合」との文言は,一般のインターネットユーザーがウェブサイトを閲覧する際に,当該インターネットユーザーのクライアントコンピュータ上に著作物が複製されることについて,当該一般のインターネットユーザーが複製の主体(直接行為者)であることを前提としている。そして,この著作物の複製は,クライアントコンピュータ上でブラウザ用レンダリングデータが生成され,ごく一時的・瞬間的に蓄積されることを指している。したがって,一般のインターネットユーザーがツイート表示 URL のウェブページを閲覧する際に,当該一般のインターネットユーザーのクライアントコンピュータ上でブラウザ用レンダリングデータが生成される点を捉えるのであれば,その行為主体は,本件リツイート者らではなく,当該一般のインターネットユーザーであるというのが,著作権法上の帰結である。」
「さらに,仮に,一般のインターネットユーザー以外の者が行為主体であるとの前提に立った上で,ブラウザ用レンダリングデータが生成される際に本件写真がトリミング表示される点を捉えて本件写真に「変更,切除その他の改変」がされたということができるとしても,本件リツイート者らは,本件アカウント2の保有者によってトリミングされた本件写真を含むツイートをそのままリツイートしただけであって,本件リツイート行為の結果として本件アカウント3~5のタイムラインに表示される本件写真も,当該ツイートにおける本件写真と全く同じトリミングがされた形でそのまま表示されている。そうすると,「変更,切除その他の改変」を行ったのは本件アカウント2の保有者であり,本件リツイート者ら自らが「変更,切除その他の改変」を行ったということはできないから,本件リツイート者らによる同一性保持権侵害は認められない。」
「加えて,上記のようなトリミングは,ツイッターのシステム上,複数の写真を限られた画面内に無理なく自然に表示するために自動的かつ機械的に行われるものであって,「やむを得ない」(著作権法20条2項4号)改変と認められるから,本件リツイート行為について同一性保持権侵害は認められない。実質的な観点からみても,上記のようなトリミングは,リンク元のウェブページにリンク先のコンテンツを埋め込むという「埋め込み型リンク」を採用した場合に,当該コンテンツを無理なく自然に表示するために必然的に生じるものであり,リンク先からデータが自動的に送信されるというインラインリンクの特殊性とは全く関係がないことである控訴人の主張によると,「埋め込み型リンク」は全て違法という極めて非常識な結論を招くことにもなりかねない。この点からしても,本件リツイート者らが「変更,切除その他の改変」を行ったということはできず,仮に「改変」が認められるとしても,それは「やむを得ない」改変というべきである。」
控訴審判決PDF・17~19頁)

(イ) 氏名表示権(著作権法19条1項)侵害について
「本件リツイート者らは,本件アカウント2によるツイートをリツイートしたにすぎず,本件写真の画像データを,公衆に「提供」も「提示」もしていないから,本件リツイート者らによる氏名表示権侵害は認められない。また,本件写真の画像データには,著作者名が表示されているから,本件アカウント2の保有者が本件写真をアップロードする行為について氏名表示権侵害は認められず,リツイートしただけの本件リツイート者らに氏名表示権侵害は認められない。」(控訴審判決PDF・19頁)

「メールアドレスの開示しか認めない」という結論は変わらないままリツイート者にまで対象を広げる、という結果となった控訴審判決。

皮肉めいた言い方をするなら、「発信者情報開示請求」の目的を達成したいという当事者の意図から離れて実効的な解決にはつながりにくい方向で盛り上がり、加えて、形的には”敗れた”被告・Twitter社側が必要以上の抵抗を試みた結果生まれたのが、今回の最高裁判決といえるのかもしれない。

最三小判令和2年7月21日(平成30年(受)第1412号)*10

ここで、ようやく今日の本題に入るわけだが、既にふれてきたように、最高裁判決で判断が示されたのは、控訴審まで争われていた論点のほんの一部に過ぎない。

著作権法19条1項は,文言上その適用を,同法21条から27条までに規定する権利に係る著作物の利用により著作物の公衆への提供又は提示をする場合に限定していない。また,同法19条1項は,著作者と著作物との結び付きに係る人格的利益を保護するものであると解されるが,その趣旨は,上記権利の侵害となる著作物の利用を伴うか否かにかかわらず妥当する。そうすると,同項の「著作物の公衆への提供若しくは提示」は,上記権利に係る著作物の利用によることを要しないと解するのが相当である。」(判決PDF・3頁)

という、氏名表示権侵害の成立要件に関する判示は、これまで明確に述べられていなかった点を明らかにした、という点では意味があるだろうし*11

「被上告人は,本件写真画像の隅に著作者名の表示として本件氏名表示部分を付していたが,本件各リツイート者が本件各リツイートによって本件リンク画像表示データを送信したことにより,本件各表示画像はトリミングされた形で表示されることになり本件氏名表示部分が表示されなくなったものである(なお,このような画像の表示の仕方は,ツイッターのシステムの仕様によるものであるが,他方で,本件各リツイート者は,それを認識しているか否かにかかわらず,そのようなシステムを利用して本件各リツイートを行っており,上記の事態は,客観的には,その本件各リツイート者の行為によって現実に生ずるに至ったことが明らかである。)。また,本件各リツイート者は,本件各リツイートによって本件各表示画像を表示した本件各ウェブページにおいて,他に本件写真の著作者名の表示をしなかったものである。そして,本件各リツイート記事中の本件各表示画像をクリックすれば,本件氏名表示部分がある本件元画像を見ることができるとしても,本件各表示画像が表示されているウェブページとは別個のウェブページに本件氏名表示部分があるというにとどまり,本件各ウェブページを閲覧するユーザーは,本件各表示画像をクリックしない限り,著作者名の表示を目にすることはない。また,同ユーザーが本件各表示画像を通常クリックするといえるような事情もうかがわれない。そうすると,本件各リツイート記事中の本件各表示画像をクリックすれば,本件氏名表示部分がある本件元画像を見ることができるということをもって,本件各リツイート者が著作者名を表示したことになるものではないというべきである。」(判決PDF・4頁)

という行為主体の認定とその評価も、結論の当否はともかく、これでもなおいろいろと裏読みできる余地がある*12、という点では有益だと思う。

ただ、既に多くの方が指摘されているとおり、上告受理申立ての対象には間違いなくなっていたはずの「同一性保持権侵害の成否」に関する判断がここで示されていないというのは何とも・・・だし、その点に対する評価をしないまま、「氏名表示権侵害の成否」の論点だけで「リツイートをする者の負担」を補足意見で議論されても全くピンと来ないところはある。

そして、今回の判決を今後のネット民とSNSサービス事業者の「行動規範」としてどう生かすか、という観点で申し上げるなら、知財高裁レベルまでで決着がついている論点への判断と、最高裁が示した(ごくごく限られた)論点への判断を(そこに至るまでの考え方も含めて)見比べつつ、ここで気にせずにリスクをとるかどうかを判断するしかないよね、ということに尽きるような気がするのである*13

以上、最後にここまで奮闘された両当事者代理人に敬意を表しつつ、再度、本件の一連の論点のまとめを書き残して、本エントリーを終えることとしたい。

<各争点への判断>
(〇:原告側の主張を認めたもの、△:原告側の主張を一部認めたもの、×:原告側の主張を退けたもの>
1)被告ツイッタージャパンが発信者情報を保有しているか(実質的削除権限の有無) 第一審× 控訴審×
2)アカウント1のツイート(プロフィール欄の画像)、アカウント2のタイムラインへの原告写真画像の表示が公衆送信権等を侵害するか? 第一審× 控訴審
3)アカウント3~5のリツイート行為が原告の公衆送信権を侵害するか? 第一審× 控訴審×
4)リツイート行為が原告の公衆伝達権を侵害するか? 第一審×、控訴審×
5)リツイート行為が原告の複製権を侵害するか? 第一審×、控訴審×
6)リツイート行為が原告の氏名表示権を侵害するか? 第一審×、控訴審〇、上告審〇
7)リツイート行為が原告の同一性保持権を侵害するか? 第一審×、控訴審
8)リツイート行為が、原告の名誉又は声望を害する方法による利用として著作権法113条6号に違反するか? 第一審×、控訴審×
9)リツイート行為による権利侵害がプロ責法上の「侵害情報の流通によって自己の権利を侵害された」場合にあたるか? 第一審×、控訴審〇、上告審〇
10)リツイート者がプロ責法上の「発信者」に該当するか? 第一審×、控訴審〇、上告審〇
11)「最新のログイン時IPアドレス」が(開示対象となる)「侵害情報に係るIPアドレス」に該当するか? 第一審×、控訴審×

*1:これまで、著作権侵害が主要な争点となった発信者情報開示請求事件の下級審判決の中には、ちょっと首をかしげたくないようなものも散見されたのは確かで、昨年出された『著作権判例百選[第6版]』の中でも、発信者情報開示請求事件が素材として取り上げられているのは、本件の控訴審判決(後述)と、ライブドア裁判傍聴記事件(知財高判平成20年7月17日)の2件しかない。本件は原告・被告両当事者の代理人(特に原告側)がかなり力を込めて主張を展開されていたためだろうか、(結論の当否はともかく)ここまでの裁判所の判断も比較的しっかりしたものとなっており、さらに、今回、最高裁判決まで出た、ということになれば相応の先例性が認められる可能性はあるが、本当の意味でのリーディングケースになるかどうかは、裁判所が今回の判決を公式判例集民集)に掲載するかどうか、といったところも見ながら考えていく必要があるような気がする。

*2:民事第46部・長谷川浩二裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/185/086185_hanrei.pdf

*3:これはもう、どこからどう見てもけしからん行為である・・・。

*4:裁判所は証拠なし、として退けているが、なぜ本件でリツイートをした人まで(しかもわずか3人だけが)発信者情報開示請求の対象となったのか、ということを考える上では参考となりそうな情報である。

*5:これは別件訴訟等で、米国のツイッター本社ではなくツイッタージャパンが削除に応じてくれた、ということ等をもって主張されたものだったようだが、第一審、控訴審ともに原告の主張を退けている。

*6:原告が第一審段階で特定していた発信者情報目録では、1 氏名又は名称、2 住所、3 電子メールアドレス、4 使用アカウントにログインした際のIPアドレスのうち、本判決確定の日の正午時点(日本標準時)で最も新しいもの、5 使用アカウントにログインした際の携帯電話端末又はPHS端末(以下「携帯電話端末等」という。)からのインターネット接続サービス利用者識別符号のうち、本判決確定の日の正午時点(日本標準時)で最も新しいもの、6 使用アカウントにログインした際のSIMカード識別番号のうち、本判決確定の日の正午時点(日本標準時)で最も新しいもの、7 上記第4項のIPアドレスを割り当てられた電気通信設備、上記第5項の携帯電話端末等からのインターネット接続サービス利用者識別符号に係る携帯電話端末等又は上記第6項のSIMカード識別番号に係る携帯電話端末等から、被告らの用いる特定電気通信設備に上記第4項ないし第6項の各ログイン情報が送信された年月日、が開示請求の対象とされていた。

*7:この点については、控訴審で原告側が、「ツイッター等においては,フリーメールのメールアドレスが利用されることが多く,電子メールアドレスを管理している事業者においてメール利用者の住所や氏名が保有されていないことがほとんどであることからすると,電子メールアドレスから発信者の特定に至ることは想定できない」(控訴審23頁)とまで主張しているところである。

*8:第2部・森義之裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/761/087761_hanrei.pdf

*9:そして「やむを得ない改変」に該当するとする主張の最後の方のくだりは、個人的には非常に共感できるところでもある。

*10:第三小法廷・戸倉三郎裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/597/089597_hanrei.pdf

*11:一部でこの結論を批判する見解もあるようだが、「著作物がないところ」で氏名表示権侵害を認めるというような場合であればともかく(中山信弘著作権法[第2版]』490頁参照)、著作物の法定利用行為に該当するかどうかで線引きするのは文理解釈としてもちょっと行き過ぎのような気はするので、上記解釈自体にそこまでの違和感はない。

*12:表示画像をクリックするように誘導すればよいのか・・・等。

*13:重要なのは、発信者情報開示請求事件で争われているのは、あくまで「サービス事業者に発信者情報を開示させるかどうか」であって、当事者であるサービス事業者自身の責任が正面から問われているわけではないし、ましてや、SNSのユーザーに至っては当事者ですらない、という事実も看過してはならないわけで、これが、まさに正面から著作権侵害著作者人格権侵害の責任を追及されるようなフェーズともなれば、また状況は変わってくるのではないかな、と思うところは当然ある(そもそも、損害賠償請求の成否に関しては、事案ごとに判断が分かれる可能性も高いのではないかと思料するところである)。

ここからの負のスパイラルを止められるか?

思わぬ形で「第2波」が来ている。

長く続いた「緊急事態宣言」の反動で、人が街にどっと繰り出すようになった6月初め頃の光景を見た時から、そこはかとない不安は抱いていたし、東京都下でじわじわと出現するようになってきていた感染判明者が「夜の街」のイメージでひとくくりにされていたことへの危惧もあったのだけれど、世界でも類を見ない日本特有の夏の気候は、手ごわいウイルスさえも鎮圧できるはず、と勝手に思い込んでいたところはあった。

ところが・・・である。

6月も末になって100人の壁を破った感染判明者の数字は、右肩上がりに伸び続け、遂に4月以来の600人台に突入。

未だに抜本的な接触回避策が取られていない今の状況に鑑みれば、早ければ今週中に、遅くても今月中には、4月の最高値を超え、1000人の壁も超える勢いで伸び続けることは確実な状況にある。

全体の「数」にばかり目を奪われがちだが、最近のプレスリリースをくまなく見ていくと、もっとも避けられなければならなかったはずのクラスタが生じてしまっている事例も多い。

接客型の飲食店や病院、介護施設といった場所で発生しているのは春先と同じ。

だが、今回の「第2波」で目立つのは、

・保育園
・小中高校
・劇場
・企業の新入社員研修
・百貨店のバックヤード
・工事作業所

といった「春先には一時的に閉鎖や休止を強いられていた場所」での集団感染事例であり、こと「感染者を増やさない」という点に関していえば、各方面からバッシングを受けることも多かった3月来の「自粛要請」が、いかに的を射たものだったか、ということを見事なまでに証明してしまっている。

そして、第1波当時も今も、世の中での”広がり”を知るのに一番良い指標は、全国にチェーン展開している小売店や飲食店のアルバイト店員さんたちの感染報告で*1、昨日何気なく呟いたら、なぜか未だにリツイートが続いている以下のツイートのリンク先などは象徴的だし*2

さらに、

・㈱セブン‐イレブン・ジャパン
 :新型コロナウイルス感染対応について|セブン‐イレブン~近くて便利~
・㈱ローソン 
 :新型コロナウイルス感染対応について|ローソン公式サイト
・㈱ファミリーマート
 :新型コロナウイルス感染対応について
日本郵政グループ 
 :日本郵政グループにおける新型コロナウイルス感染症への対応について‐日本郵政

といった事業者の特設ウェブページを見ても、この1週間、それも終盤の数日で、いかに事態が激変しているか、ということが良く分かる*3

こういった事実の前では、もはや「夜の街」のレッテルなど、何の意味もなさない

当初は、「人数が多い、といっても無症状の若者ばかりではないか!」とか。「接客型飲食店をターゲットにして検査すればそりゃあ数は増えるだろう!」等々、現実から目をそらそうとする言説も見かけたのだが、本当に初期の頃はともかく、今上がってきている数字の中には、何らかの自覚症状があって検査に足を運んだ方々も多く含まれているし、特に首都圏以外の数字にその傾向が強いのは、世代構成等から見ても明らかだと思われる。

そして繰り返しになるが、今の数字が3月、4月の間は隠れていた「無症状感染者」の出現によって多少上増しされたものだったとしても、何ら効果的な対策が打たれていない以上、いずれは「真水」のレベルでも4月~5月のピーク時を超えるのは間違いないわけで、それでもまだ「大したことない」と言っている人がいるのだとしたら、一からリスク分析能力を磨き直していただいた方が良いかもしれない*4

もちろん、全国一律の緊急事態宣言がもたらした様々な弊害を踏まえ、「感染者の数を増やさない」こと以外のことにも目を向けようとする政策当局の意思は(そこに、単なる各業界の利害を超えた市井の人々の思いも託されている以上)尊重されなければならないとは思うのだが、だからといって、感染拡大を放置すればどうなるか、ということは、先行している海外諸国の惨状が如実に示しているところだし、ましてや「Go To・・・」のようなリスクを拡大しかねない施策を、大枚をはたいて今実施できる余地などどこにもないはずだ。

そもそも、「普通に街を歩いて買い物して飲食するだけなら大丈夫だよね」という最低限の『安心』がなければ、旅行はもちろん日常的な繁華街店舗での消費活動すら盛り上がるはずもないわけで、今の状態を放置した先に見えるのは、「消費喚起」の掛け声に乗って店をフル稼働させたものの売上が伴わず、赤字を垂れ流して経済的に疲弊する事業者、事業主たちの姿しかない。

ということで、このままだと、生半可世の中動いてるがゆえの負のスパイラルに陥っていってしまうだけのように思えてしまうのであるが・・・

*1:感染の影響を受けやすい世代、かつ一定の地域内で生活圏が完結している方々が多いと思われる上に、接客業であるがゆえに、罹患した時の状況もタイムリー、かつかなり詳細に公表されるため、リアルな感染伝播状況を推し量るには絶好の素材だと思っている。ここで取り上げるどの会社も、想定外のオペレーションを強いられるご苦労はもちろんのこと、これだけウェブサイトにプレスを出し続けるだけでも大変だろうと思ってしまうような状況なのだが、3月以来それをとにかく徹底し続けていることには本当に心から敬意を表するほかないし、こういうスタンスで情報を発信し続けることも立派な社会貢献の一つといえるのではないかと思う。

*2:逆に言えば、これが真新しい情報のように受け止められてしまう、というところに今のメディアの伝え方の問題がある、というべきなのかもしれない。未だに「夜の街の話」「東京限定の話」と思っていた人が決して少なくなかった、ということでもあるような気がするので。

*3:逐一紹介はしないが、これ以外でも、先週1週間、確認できただけで30件を超える企業や店舗からの感染報告プレスが出されている。

*4:同類の見解として「重症者が少ないじゃないか」というのもあるが、この数字が遅れてやってくるものだ、というのは、賢明な方であれば、3月、4月に世界中で起きた悲劇的な流行の中でよくよく学んでおられるはずなので、ここであえてデータの見方を説くまでもないだろう。あと、仮に、死まで至る方の数が相対的に少ないのだとしても、「昨日まで元気に過ごしていた人が、軽い風邪症状から一気に肺炎まで起こして死ぬ」という悲劇的な事態を目の当たりにすれば、そういった事例を一つでも減らすために手を尽くすべきは当然のことではなかろうか。それを「経済苦でも・・・」という話とごった煮にして論じるのは、人の命をあまりに冒涜した議論だと自分は思っている。

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荒れてこそ、夏競馬。

夏競馬=荒れる、というのは、自分に競馬心が付いてからずっと変わらない定番メタファー。

今年もそれは変わらずで、毎週特別レースの1戦目、2戦目くらいまでは「まずまず」でも、肝心のメインで痛い目に合うケースは多かった。

ただ、残念なことに、自分はそれを毎週末降り続く雨のせい、馬場のせい・・・と勝手に思い込んでしまっていた。

だから、久しぶりに北から西まで全場天候に恵まれ、全て良馬場で行われた今日のメインレースは、いつものとおり、実績・傾向重視の「中穴狙い」で突っ込んでしまったのだが・・・。

まずは函館記念

押し出された人気のカウディーリョ、レイエンダというキャロット勢をさっぱり切って、岩田(父)騎乗の8番人気・レッドサイオンを狙ったのは、元々荒れ気味のこのハンデ戦を意識してのこと。前走・同じ函館の巴賞で1番人気ながら7着に敗れていた、というのも、このレースの傾向からすると悪くないはずだった。

ところが勝ったのは、2歳のホープフルS2着の実績はあれど、ダービー以降6戦連続2ケタ着順で、「鳴かず飛ばず」の形容詞がしっくりきていた15番人気のアドマイヤジャスタで、2着にも13番人気、前走巴賞でレッドサイオン以上に酷い負け方をしていた7歳馬のドゥオーモが突っ込んだことで馬連は13万馬券

予想の定石を完全に吹き飛ばしてくれるようなひどいレース(苦笑)だった。

これに続くのは中京記念

例年ならその名のとおり中京競馬場開催で、同じ左回りのNHKマイルC安田記念京王杯SCといったマイラー向けのレースの凡走馬か、OP級のパラダイスSの好走組を押さえておけば何とかなったレースだったのだが、今年は運悪く(?)阪神競馬場での開催に。それが予想をいつになく難しくした。

1番人気のギルデッドミラーをはじめ、例年なら上位に来ても不思議ではない東京競馬場芝重賞組が軒並み圏外に消える中、突っ込んだのは18頭立ての18番人気、前走は東京競馬場といってもダートで惨敗、5戦連続2ケタ着順が続いていたメイケイダイハード。

このレースに関しては2着のラセットが同条件の米子Sを2着で好走しているし、3着のエントシャイデンも前走OP勝ちだから、全く選択できなかったわけではないのだが、1着馬が1着馬だけに、まぁどうしようもない。

結果、WIN5も久々の的中0票となり、注ぎ込まれた浄財はキャリーオーバーと相成った。


馬場がいつになく乾いたことがここ数戦の実績に基づく予想の精度を狂わせたのか、それとも夏競馬ならではの必然というべきなのかは分からないが、ただ一つ言えることは

「こんな日は下手に当てない方がその先の人生を幸福に生きられる」

ということだろうか。

そして、長年続いている「荒れる」というブランドイメージが未だに損なわれていないことに感謝しつつ、来週から始まる、(あのややっこしい小倉競馬場がない)札幌・新潟の変則2場開催が行われているうちに、”荒れない夏”でひっそりと取り返したい。そんな気持ちで今はいる。

「空白」を生かす知恵。

ここ数年、油断していると世の中で起きていることと無関係に時が流れて行ってしまうような生活を続けていたこともあり、年初めに、新聞等に載ったざっくりとした「今年の出来事」を手帳のスケジュール欄に書き込む、というルーティンを繰り返していた。

で、この週末になって、来週の予定をざっくり見返して、改めて思い出したこと。

「そうだ、来週はオリンピックが始まるはずの一週間だったのだ・・・」

人間というのは残酷なもので、つい数か月前までは、全てが「五輪」という一大イベントに向けて動いていて、それがない夏の東京なんて誰でも想像していなかったはずなのに、今は、「新型コロナの話題がなかったら・・・」などということはおおよそ想像もできないくらい世の中のニュースは”withコロナ”一色になってしまっている。

だから自分も平日仕事に追われている時はオリンピックの「オ」の字も記憶の中からは消えているのだけど、手帳に微かに残った残滓と、カレンダーに刻まれたイレギュラーな祝日の赤い数字を眺めるたびに思い出す、ということの繰り返しで、「ああそういえば・・・」と思うたびに何となく喪失感に襲われそうになる*1

元々五輪をシニカルに眺めていた自分ですらそうなのだから、この時期に五輪特集を組もうと前々から準備していた各メディアの「喪失感」は、おそらく比較にならないくらい大きいだろう。特にテレビ局などは、たかだか3か月ちょっとの間に全てを調整し切るのは難しいはずで、このクールの番組編成が大きく狂ってくることは避けられないだろうし、スポーツ専門雑誌なども年間を通じて特集の企画を組んでいたとなれば、何らかの「穴」が開くことは覚悟しないといけない。

そして、Numberの最新号の表紙で、「五輪アスリートではあるが、五輪が予定どおりに行われていたら絶対にこの時期に表紙を飾ることはなかった20歳の競泳選手」が美しく微笑んでいるのを見た時に、最初に自分の頭に浮かんだのもそんな”大人の事情”だった。

Number(ナンバー)1007号[雑誌]

Number(ナンバー)1007号[雑誌]

  • 発売日: 2020/07/16
  • メディア: Kindle

メインは矢内由美子氏による池江璃花子選手の独占インタビュー。萩原智子氏の解説と合わせると、実に10ページが池江選手のために割かれている。

前回の五輪以降急成長を遂げ、2018年にはパンパシ、アジア大会で驚異的な活躍を見せた「五輪の星」の扱いは、白血病であることが報じられた瞬間に「悲劇のヒロイン」のそれへと変わってしまったし、その後も入院、一時退院、さらに退院、と動静は伝えられていたものの、春に予定どおり競泳の五輪予選が行われて彼女抜きの「日本代表」が決まり、予定どおり五輪に向けた準備が進んでいれば、今頃は池江選手の名前がメディア上に出てくることもなかったはずだ*2

だが、状況の変化が、今、このタイミングで彼女を主役に押し上げ、そして「穴埋め」とは到底言わせないような心に響くコンテンツを生み出した。

*1:何もなければ、おそらく来週初めくらいから半月くらいは、落ち着いて仕事ができる環境を求めて日本ではないどこかの国、に行っていても不思議ではなかったのだが、残念ながらそれも幻になってしまった。まぁ五輪がなければ日本を離れる理由もない、といえばそれまでなのだが・・・(苦笑)。

*2:いずれは”完全復活を目指す道程”が伝えられる機会もあっただろうが、それは五輪の熱狂が冷め、4年後に向けて目が向き始めた1,2年先くらいのことだったかもしれない。

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