上告審判決を見ただけでは分からないもの~「待遇格差」をめぐる最高裁判決5件の意味。

前々から注目されていた旧労働契約法20条、労働契約の期間の有無により労働条件に不合理な相違を設けることを禁じる*1、という規律に違反するかどうかが争点となった訴訟について、今週、相次いで最高裁判決が出された。

多くのメディアも、それに接して情報を入手した方々も、上告審判決の結論とそこに書かれていることだけに飛びついたのだろう。

13日、15日と判決が出るたびに、一喜一憂という感のある反応を見かけることも多かった。

「非正規従業員に賞与や退職金が支払われなかったことの是非が争われた2件の訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷は13日、不支給を「不合理とまでは評価できない」との判断を示した。いずれも二審の高裁判決は一定額を支払うべきだとしていた。原告側の逆転敗訴が確定した。」
最高裁は他方で「格差の状況によっては不合理との判断があり得る」とも指摘した。今回の司法判断が、政府が進める「同一労働同一賃金」の運用に一定の影響を与える可能性もある。」
日本経済新聞電子版 2020年10月13日15時09分)

日本郵便の正社員と契約社員の待遇格差の是非が争われた訴訟の上告審判決が15日、最高裁であった。第1小法廷(山口厚裁判長)は、契約社員に扶養手当や夏期冬期休暇などが与えられないことを「不合理な格差」に当たると判断した。」
「今回の判決は日本郵便労務環境に即したもので、企業の手当一般についての判断ではないが、政府の「同一労働同一賃金」の運用に一定の影響を与える可能性もある。」
日本経済新聞電子版 2020年10月15日18時50分)

これだけ読むと、あたかも両極端な判断を最高裁がしたように見えるが、実のところ13日の判決でも15日の判決でも、最高裁が言っていること自体はさほど異ならないし、そもそも今回の一連の判決で最高裁が新たに述べたことは実のところほとんどない。

旧労働契約法20条をめぐる判断枠組みは、平成30年6月1日に第二小法廷が出した2つの判決(ハマキョウレックス事件・民集72巻2号88頁、長澤運輸事件民集72巻2号202頁)が示した当たり前と言えば当たり前の基準がずっと使われているのであって、その後出された判決は今回の最高裁判決も含めてそれを「個々の事案に当てはめた結果」に過ぎない、ということは、念頭に置く必要があるように思われる*2

そして、今回出された上告審判決から、事件を原審、原々審の判決まで追いかけていくことで、単純な「勝ち負け」論とは違うものも見えてくる。

「上告を棄却された『非正規従業員』は本当に負けたのか?」ということも含め、読者の皆様に改めて考えていただく機会になれば、ということで以下各事件について、簡単にご紹介することとしたい。

「格差」が正面から争われた3件

■最一小判令和2年10月15日(日本郵便・東京、令1(受)777号)*3

   第一審:東京地判平成29年9月14日、H26(ワ)第11271号
   控訴審:東京高裁平成30年12月13日、H29(ネ)第4474号

■最一小判令和2年10月15日(日本郵便・大阪、令1(受)794号)*4

   第一審:大阪地判平成30年2月21日、H26(ワ)5697号
   控訴審:大阪高平成31年1月24日、H30(ネ)729号

まずは、数年後エポックメイキングな出来事として歴史に刻まれる可能性が高い日本郵便の2件の最高裁判決から。

いずれも労働契約法に不合理な労働条件禁止ルールが導入施行されたタイミング(平成25年4月1日)から間を置かずに提訴され、手当から休日制度に至るまで、まさに「有期雇用契約であることによる不合理な相違」が正面から争われたこと、そして、ターニングポイントとなった「ハマキョウレックス」以前から請求の一部が(それもかなりの部分で)認められていた、という点でもこれらの事件は他の事件とは一線を画している。

この2件に関しては、地裁、高裁判決の段階から評釈等も多数出ていたので、自分も事案の概要を眺めたことがあったのだが、確かにまぁこれは・・・というところはあって、大阪の事件だともっとも長期間契約を更新している原告の最初の契約締結日が平成9年12月、他に平成11年7月から契約更新し続けている原告もいて、契約期間は短いながらも長期雇用が常態化している状況が見て取れたし、それを前提とすると「相違」を指摘された手当等の中にはこれは厳しいんじゃないか、と思えたものが多かったのは確かである。

ざっとまとめると、以下のとおり。

(〇は相違に合理性あり、とされたもの、×は合理性が否定されたもの)
・外務業務手当      東京地裁〇 東京高裁〇 /大阪地裁〇 大阪高裁〇
・郵便外務業務精通手当  東京地裁〇 東京高裁〇 /大阪地裁〇 大阪高裁〇
・早出勤務等手当     東京地裁〇 東京高裁〇 /大阪地裁〇 大阪高裁〇
・年末年始勤務手当     東京地裁×(8割)東京高裁×(上告受理)
             / 大阪地裁× 大阪高裁△(上告受理)
・祝日給         東京地裁〇 東京高裁〇 
             /大阪地裁〇 大阪高裁△(上告受理)
・夏期年末手当      東京地裁〇 東京高裁〇 /大阪地裁〇 大阪高裁〇
・住居手当        東京地裁×(6割)東京高裁× /大阪地裁× 大阪高裁×
・扶養手当        (東京では主張なし)
             /大阪地裁× 大阪高裁〇(上告受理)
・夏期冬期休暇      東京地裁× 東京高裁×(損害発生は否定)(上告受理)
             /大阪地裁(主張排斥) 大阪高裁△
・病気休暇        東京地裁× 東京高裁×(上告受理)
             /大阪地裁(主張排斥) 大阪高裁△

原告としては、基本給上乗せ的な要素が強い業務系の手当を認めてもらうことに重点を置いていた可能性はあるし、何よりも「均等待遇」を貫徹するための差額賃金是正こそが”本丸”という意識が強かったのかもしれないが、それでも住居手当が認められたこともあって、認容された請求額は、高裁段階で大阪事件のMAXが109万4936円、東京事件でMAXが82万2000円、とそれなりにまとまった金額になっていた。

東京、大阪ともに高裁判決を受けて、原告、被告双方が上告するという展開になっていたのだが、東京では手当のうち唯一上告が受理された年末年始勤務手当について、あっさり不合理性が肯定され、さらに休暇についても、

「有期労働契約を締結している労働者と無期労働契約を締結している労働者との個々の賃金項目に係る労働条件の相違が労働契約法20条にいう不合理と認められるものであるか否かを判断するに当たっては,両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく,当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当であるところ,賃金以外の労働条件の相違についても,同様に,個々の労働条件が定められた趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当である。」(東京6頁、強調筆者以下同じ)*5
「第1審被告において,私傷病により勤務することができなくなった郵便の業務を担当する正社員に対して有給の病気休暇が与えられているのは,上記正社員が長期にわたり継続して勤務することが期待されることから,その生活保障を図り,私傷病の療養に専念させることを通じて,その継続的な雇用を確保するという目的によるものと考えられる。このように,継続的な勤務が見込まれる労働者に私傷病による有給の病気休暇を与えるものとすることは,使用者の経営判断として尊重し得るものと解される。もっとも,上記目的に照らせば,郵便の業務を担当する時給制契約社員についても,相応に継続的な勤務が見込まれるのであれば,私傷病による有給の病気休暇を与えることとした趣旨は妥当するというべきである。そして,第1審被告においては,上記時給制契約社員は,契約期間が6か月以内とされており,第1審原告らのように有期労働契約の更新を繰り返して勤務する者が存するなど,相応に継続的な勤務が見込まれているといえる。そうすると,前記第1の2(5)~(7)のとおり,上記正社員と上記時給制契約社員との間に労働契約法20条所定の職務の内容や当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情につき相応の相違があること等を考慮しても,私傷病による病気休暇の日数につき相違を設けることはともかく,これを有給とするか無給とするかにつき労働条件の相違があることは,不合理であると評価することができるものといえる。したがって,私傷病による病気休暇として,郵便の業務を担当する正社員に対して有給休暇を与えるものとする一方で,同業務を担当する時給制契約社員に対して無給の休暇のみを与えるものとするという労働条件の相違は,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。」(東京・6~7頁)

と述べて病気休暇に係る相違を不合理と認めた原審の判断を支持、さらに、原審が夏期冬期休暇に係る差異の不合理性を認めつつ「損害の立証がない」として請求を退けていた点については、

「第1審被告における夏期冬期休暇は,有給休暇として所定の期間内に所定の日数を取得することができるものであるところ,郵便の業務を担当する時給制契約社員である第1審原告らは,夏期冬期休暇を与えられなかったことにより,当該所定の日数につき,本来する必要のなかった勤務をせざるを得なかったものといえるから,上記勤務をしたことによる財産的損害を受けたものということができる。当該時給制契約社員が無給の休暇を取得したか否かなどは,上記損害の有無の判断を左右するものではない。したがって,郵便の業務を担当する時給制契約社員である第1審原告らについて,無給の休暇を取得したなどの事実の主張立証がないとして,夏期冬期休暇を与えられないことによる損害が生じたとはいえないとした原審の判断には,不法行為に関する法令の解釈適用を誤った違法がある。」(東京・7~8頁)

と、東京高裁の頭でっかちな理屈をバッサリ切って、原告の認容額を増額させる方向での破棄差戻判決となった。

また大阪高裁の判決に対しては、「更新された有期労働契約の期間が5年を超えているかどうか」で不合理性に係る結論が変わっていた年末年始勤務手当と祝日給について、(契約期間にかかわらず)一律に相違は不合理と判断し、さらに地裁と高裁で判断が分かれていた「扶養手当」について、

「第1審被告において,郵便の業務を担当する正社員に対して扶養手当が支給されているのは,上記正社員が長期にわたり継続して勤務することが期待されることから,その生活保障や福利厚生を図り,扶養親族のある者の生活設計等を容易にさせることを通じて,その継続的な雇用を確保するという目的によるものと考えられる。このように,継続的な勤務が見込まれる労働者に扶養手当を支給するものとすることは,使用者の経営判断として尊重し得るものと解される。もっとも,上記目的に照らせば,本件契約社員についても,扶養親族があり,かつ,相応に継続的な勤務が見込まれるのであれば,扶養手当を支給することとした趣旨は妥当するというべきである。そして,第1審被告においては,本件契約社員は,契約期間が6か月以内又は1年以内とされており,第1審原告らのように有期労働契約の更新を繰り返して勤務する者が存するなど,相応に継続的な勤務が見込まれているといえる。そうすると,前記第1の2(5)~(7)のとおり,上記正社員と本件契約社員との間に労働契約法20条所定の職務の内容や当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情につき相応の相違があること等を考慮しても,両者の間に扶養手当に係る労働条件の相違があることは,不合理であると評価することができるものというべきである。したがって,郵便の業務を担当する正社員に対して扶養手当を支給する一方で,本件契約社員に対してこれを支給しないという労働条件の相違は,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。」(大阪・10~11頁)

と不合理性を肯定することで、これまた原告の認容額を増額させる方向での破棄差戻し。

手当については「労働契約の期間」の長短による区別を否定したのに、同じ理由で「5年」基準を適用した夏期冬期休暇、病気休暇に関しては破棄しなかった(一方で東京の方は先述のとおり、「5年」基準など設けずに相違の合理性を否定している)、というあたりがちょっと不思議な気もするのだが、いずれにしても「有期雇用契約」とは形ばかりで、事実上長期的に継続する雇用契約となっていた、ということが結論に大きく影響したのは間違いない

一方、同様に長期間の雇用継続が前提となっていたような有期雇用契約でありながら、ちょっと微妙な結論となってしまったのが、次のメトロコマースの事件である。

■最三小判令和2年10月13日(メトロコマース、令1(受)1190号)*6

   第一審:東京地判平成29年3月23日、H26(ワ)第10806号
   控訴審:東京高判平成31年2月20日、H29(ネ)第1842号

本件は、東京メトロの駅構内売店での業務に従事する有期労働契約の社員が提起した訴訟だが、こちらも雇用されていた期間は長く、第一審原告4名のうち3名は平成16年から労働契約の更新を続けており(ただし平成27年3月末までの間にこれら3名の契約社員としての雇用契約は終了している)、残る1名は平成18年8月1日から労働契約の更新を続けた末に無期労働契約の職種限定社員として現在に至るまで雇用を継続している。

そして、売店での販売業務、という郵便局以上に有期、無期の違いによる業務内容の差異を見出しにくい業務に従事することが労働契約の内容となっていただけに、原審の評釈等に接してた時は、日本郵便の事件以上に会社側の旗色が悪そうな事件だな、と思っていた。

実際、本件でも地裁段階から一部手当については不合理性が認定されている。

(〇は相違に合理性あり、とされたもの、×は合理性が否定されたもの)
・本給、資格手当 地裁〇 高裁〇
・賞与      地裁〇 高裁〇
・住宅手当    地裁〇 高裁×
・早出残業手当  地裁× 高裁×
・褒賞      地裁〇 高裁×
・退職金     地裁〇 高裁×(4分の1相当)

原告4名のうち、労働契約法施行前に退職した1名については高裁段階でも一切の請求が認められなかったという事情はあるし(当該原告は上告審においても審理の対象になっていない)、地裁から高裁に行ったところで「不合理性」が認められる範囲が大幅に広がったのは、「ハマキョウレックス最判」が追い風になったところはあるだろうが、高裁段階での認容額は約66万円~約87万円だから、決して低い金額ではない。

だが、最高裁は、使用者側の上告を受理した上で、もっともボリュームが大きかった「退職金」の部分に関して、以下のように結論をひっくり返す判断を行った。

「労働契約法20条は,有期契約労働者と無期契約労働者の労働条件の格差が問題となっていたこと等を踏まえ,有期契約労働者の公正な処遇を図るため,その労働条件につき,期間の定めがあることにより不合理なものとすることを禁止したものであり,両者の間の労働条件の相違が退職金の支給に係るものであったとしても,それが同条にいう不合理と認められるものに当たる場合はあり得るものと考えられる。もっとも,その判断に当たっては,他の労働条件の相違と同様に,当該使用者における退職金の性質やこれを支給することとされた目的を踏まえて同条所定の諸事情を考慮することにより,当該労働条件の相違が不合理と評価することができるものであるか否かを検討すべきものである。」(8頁)

「第1審被告の正社員に対する退職金が有する複合的な性質やこれを支給する目的を踏まえて,売店業務に従事する正社員と契約社員Bの職務の内容等を考慮すれば,契約社員Bの有期労働契約が原則として更新するものとされ,定年が65歳と定められるなど,必ずしも短期雇用を前提としていたものとはいえず,第1審原告らがいずれも10年前後の勤続期間を有していることをしんしゃくしても,両者の間に退職金の支給の有無に係る労働条件の相違があることは,不合理であるとまで評価することができるものとはいえない。」(10頁)

判決にも書かれているとおり、本件で争った原告たちは、契約社員でありながら「65歳」という正社員同様の定年制が適用され、原告の中には10年以上勤務した後に「定年」により退職した方もいる。

それでもなお、最高裁が原告の退職金に係る請求を退けたのは、林景一裁判官が書かれた補足意見の中の、

「有期契約労働者がある程度長期間雇用されることを想定して採用されており,有期契約労働者と比較の対象とされた無期契約労働者との職務の内容等が実質的に異ならないような場合には,両者の間に退職金の支給に係る労働条件の相違を設けることが不合理と認められるものに当たると判断されることはあり得るものの,上記に述べたとおり,その判断に当たっては,企業等において退職金が有する複合的な性質やこれを支給する目的をも十分に踏まえて検討する必要がある。退職金は,その支給の有無や支給方法等につき,労使交渉等を踏まえて,賃金体系全体を見据えた制度設計がされるのが通例であると考えられるところ,退職金制度を持続的に運用していくためには,その原資を長期間にわたって積み立てるなどして用
意する必要があるから,退職金制度の在り方は,社会経済情勢や使用者の経営状況の動向等にも左右されるものといえる。そうすると,退職金制度の構築に関し,これら諸般の事情を踏まえて行われる使用者の裁量判断を尊重する余地は,比較的大きいものと解されよう。」(12頁)

という”使用者の裁量への配慮”ゆえなのかもしれないが、親会社から出向で天下って来た「正社員」には退職金が支給されるのに、有期労働契約の社員に対しては、どれだけ長期間勤務したとしてもそれが一切支給されない、というのは、やはりいわゆる「格差」以外の何ものでもないと自分は思う。そして、

契約社員Bは,契約期間を1年以内とする有期契約労働者として採用されるものの,当該労働契約は原則として更新され,定年が65歳と定められており,正社員と同様,特段の事情がない限り65歳までの勤務が保障されていたといえる。契約社員Bの新規採用者の平均年齢は約47歳であるから,契約社員Bは,平均して約18年間にわたって第1審被告に勤務することが保障されていたことになる。他方,第1審被告は,東京メトロから57歳以上の社員を出向者として受け入れ,60歳を超えてから正社員に切り替える取扱いをしているというのであり,このことからすると,むしろ,正社員よりも契約社員Bの方が長期間にわたり勤務することもある。第1審被告の正社員に対する退職金は,継続的な勤務等に対する功労報償という性質を含むものであり,このような性質は,契約社員Bにも当てはまるものである。」
「また,正社員は,代務業務を行っていたために勤務する売店が固定されておらず,複数の売店を統括するエリアマネージャー業務に従事することがあるが,契約社員Bも代務業務を行うことがあり,また,代務業務が正社員でなければ行えないような専門性を必要とするものとも考え難い。エリアマネージャー業務に従事する者は正社員に限られるものの,エリアマネージャー業務が他の売店業務と質的に異なるものであるかは評価の分かれ得るところである。正社員は,配置転換,職種転換又は出向の可能性があるのに対して,契約社員Bは,勤務する売店の変更の可能性があるのみという制度上の相違は存在するものの,売店業務に従事する正社員は,互助会において売店業務に従事していた者と,登用制度により正社員になった者とでほぼ全体を占めており,当該売店業務がいわゆる人事ローテーションの一環として現場の勤務を一定期間行わせるという位置付けのものであったとはいえない。そうすると,売店業務に従事する正社員と契約社員Bの職務の内容や変更の範囲に大きな相違はない。」(14~15頁)

という事実を指摘して、退職金支給に係る労働条件の差異を「不合理」と断じた宇賀克也裁判官の反対意見の方が、ここでは遥かに説得力を持っている。

原審破棄により、上告受理申立ての対象となった原告2名については、それぞれ認容額が50万円程度減額されることとなった。

退職金以外の手当や褒賞に関しては高裁の認容判断が維持されていることから、本件の原告も決して「全負け」ということではないのだが、今回出された5件の最高裁判決の中で唯一結論に疑義を呈するとしたら、やはりこの事件、ということになるのだろう、と思ったところである。

判決の中にも出てくるように、被告は既に制度を改訂して、雇用契約継続中の原告の1人には、退職金が支給されるようになっている、ということだから、「事件では負けても労働者自体は勝利した」ということは言えるのかもしれないが・・・。

別の筋から来た?2件

さて、上記3件は、長期間労働契約を更新した労働者が「不合理な相違」に正面から挑んだタイプの事件といえるようなものだったのであるが、これに対し、少々毛色が異なるのが次の2件である。

■最三小判令和2年10月13日(大阪医科大学、令1(受)1055,1056)*7

   第一審:大阪地判平成30年1月24日(H27(ワ)第8334号)
   控訴審:大阪高平成31年2月15日(H30(ネ)第406号)

本件の原告は大学のアルバイト職員として平成25年1月29日に採用され、同年4月1日以降、契約期間1年で契約を更新していた有期労働契約従業者だったのだが、大阪地裁に訴訟提起後の平成28年3月31日に判決を待たずして退職、しかも平成27年3月4日以降病気により勤務していなかった、という背景がある。

おそらく休職に入る以前の職場との様々な軋轢、そして私傷病休職期間中の賃金等の支払いをめぐるトラブルが発端となって本件訴訟が提起されたのだろうが、当該原告の業務の内容や位置づけだけを見れば、いかに労働契約法20条が存在したとはいっても、正社員と同様の労働条件を求めるのは少々厳しい面もあったように思われるし、現に地裁段階では、原告が展開した「労働条件の相違」に関する様々な主張はすべて退けられていた。

ところが、地裁判決後、「ハマキョウレックス」の最高裁判決を挟んだことで、大阪高裁では一転、「夏期特別有給休暇」に始まり、「私傷病欠勤中の賃金、休職給」から「賞与」に至るまで、一転して「不合理」と判断し請求を一部認容する判決に変わった(認容額は109万4737円)。

もちろん、賞与に関しては正社員基準の60%、私傷病欠勤中の賃金支払い等についても正社員に比べると低い支給額に抑えているものの、第三者的に眺めると、当事者の代理人すら驚いたのではなかろうか、というくらいのコペルニクス的転回である。

報道されているとおり、最高裁は再び結論を改める方向に舵を切った。

「労働契約法20条は,有期労働契約を締結した労働者と無期労働契約を締結した労働者の労働条件の格差が問題となっていたこと等を踏まえ,有期労働契約を締結した労働者の公正な処遇を図るため,その労働条件につき,期間の定めがあることにより不合理なものとすることを禁止したものであり,両者の間の労働条件の相違が賞与の支給に係るものであったとしても,それが同条にいう不合理と認められるものに当たる場合はあり得るものと考えられる。もっとも,その判断に当たっては,他の労働条件の相違と同様に,当該使用者における賞与の性質やこれを支給することとされた目的を踏まえて同条所定の諸事情を考慮することにより,当該労働条件の相違が不合理と評価することができるものであるか否かを検討すべきものである。」(7頁)

「第1審被告の正職員に対する賞与の性質やこれを支給する目的を踏まえて,教室事務員である正職員とアルバイト職員の職務の内容等を考慮すれば,正職員に対する賞与の支給額がおおむね通年で基本給の4.6か月分であり,そこに労務の対価の後払いや一律の功労報償の趣旨が含まれることや,正職員に準ずるものとされる契約職員に対して正職員の約80%に相当する賞与が支給されていたこと,アルバイト職員である第1審原告に対する年間の支給額が平成25年4月に新規採用された正職員の基本給及び賞与の合計額と比較して55%程度の水準にとどまることをしんしゃくしても,教室事務員である正職員と第1審原告との間に賞与に係る労働条件の相違があることは,不合理であるとまで評価することができるものとはいえない。」
「以上によれば,本件大学の教室事務員である正職員に対して賞与を支給する一方で,アルバイト職員である第1審原告に対してこれを支給しないという労働条件の相違は,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たらないと解するのが相当である。」(以上9頁)

「第1審原告により比較の対象とされた教室事務員である正職員とアルバイト職員である第1審原告の職務の内容等をみると,前記(1)のとおり,正職員が配置されていた教室では病理解剖に関する遺族等への対応や部門間の連携を要する業務等が存在し,正職員は正職員就業規則上人事異動を命ぜられる可能性があるなど,教室事務員である正職員とアルバイト職員との間には職務の内容及び変更の範囲に一定の相違があったことは否定できない。さらに,教室事務員である正職員が,極めて少数にとどまり,他の大多数の正職員と職務の内容及び変更の範囲を異にするに至っていたことについては,教室事務員の業務の内容や人員配置の見直し等に起因する事情が存在したほか,職種を変更するための試験による登用制度が設けられていたという事情が存在するものである。そうすると,このような職務の内容等に係る事情に加えて,アルバイト職員は,契約期間を1年以内とし,更新される場合はあるものの,長期雇用を前提とした勤務を予定しているものとはいい難いことにも照らせば,教室事務員であるアルバイト職員は,上記のように雇用を維持し確保することを前提とする制度の趣旨が直ちに妥当するものとはいえない。また,第1審原告は,勤務開始後2年余りで欠勤扱いとなり,欠勤期間を含む在籍期間も3年余りにとどまり,その勤続期間が相当の長期間に及んでいたとはいい難く,第1審原告の有期労働契約が当然に更新され契約期間が継続する状況にあったことをうかがわせる事情も見当たらない。したがって,教室事務員である正職員と第1審原告との間に私傷病による欠勤中の賃金に係る労働条件の相違があることは,不合理であると評価することができるものとはいえない。」
「以上によれば,本件大学の教室事務員である正職員に対して私傷病による欠勤中の賃金を支給する一方で,アルバイト職員である第1審原告に対してこれを支給しないという労働条件の相違は,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たらないと解するのが相当である。」(以上10頁)

賞与はともかく、私傷病欠勤時の扱いについてはここまで「相違」を強調すべきか、という疑問はあるし*8、「結果的に3年余りで退職した」という結果を判断に組み入れることが適切かどうか、という点にも議論の余地はあるように思う。

ただ、上記のとおり、賞与等に係る認容判断が破棄されても、高裁で認められた「夏期特別有給休暇」への不合理性判断は残る、ということ、そして、本件の事案に照らせば認容された請求がそれだけにとどまったとしても、そこまで違和感はないだろう、というのが自分の素朴な感想だったりする。

■最一小判令和2年10月15日(日本郵便・福岡、H30(受)1519号)*9

   第一審:佐賀地判平成29年6月30日(H26(ワ)第261号)
   控訴審:福岡高判平成30年5月24日(H29(ネ)第615号)

最後に、今週出された5件の判決の中でも、もっとも異色なのが、この”佐賀発”の事件である。

原告は平成22年6月に時給制契約社員として労働契約を締結し、平成25年12月14日に退職した方なのだが、地裁で認定された事実を見ると、退職時の上司等とのやり取りがいろいろと壮絶で、地裁、高裁ともに、「均衡待遇」以前の話として、「上司の暴行」に対する慰謝料請求を認めているし、原告側でも一通り賃金や手当等の相違に係る主張を行っているものの、判決文の中で割かれているボリュームからしても(特に地裁)、それが本筋という印象はあまり受けない。

「ハマキョウレックス」最判以前に判決が出たこともあるが、高裁段階で不合理性が認められていたのは「夏期冬期休暇」に係る主張の部分だけ、という状況でもあった。

それが、被告側の上告受理申立てが受理され、最高裁判決に。しかも受理された順番ゆえか、日本郵便関係の3判決の中でも「被引用判例」という位置づけになるとは、何と不思議なことか・・・。

判決では、

「有期労働契約を締結している労働者と無期労働契約を締結している労働者との個々の賃金項目に係る労働条件の相違が労働契約法20条にいう不合理と認められるものであるか否かを判断するに当たっては,両者の賃金の総額を比較することのみによるのではなく,当該賃金項目の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当である(最高裁平成29年(受)第442号同30年6月1日第二小法廷判決・民集72巻2号202頁)ところ,賃金以外の労働条件の相違についても,同様に,個々の労働条件の趣旨を個別に考慮すべきものと解するのが相当である。上告人において,郵便の業務を担当する正社員に対して夏期冬期休暇が与えられているのは,年次有給休暇や病気休暇等とは別に,労働から離れる機会を与えることにより,心身の回復を図るという目的によるものであると解され,夏期冬期休暇の取得の可否や取得し得る日数は上記正社員の勤続期間の長さに応じて定まるものとはされていない。そして,郵便の業務を担当する時給制契約社員は,契約期間が6か月以内とされるなど,繁忙期に限定された短期間の勤務ではなく,業務の繁閑に関わらない勤務が見込まれているのであって,夏期冬期休暇を与える趣旨は,上記時給制契約社員にも妥当するというべきである。そうすると,前記2(2)のとおり,郵便の業務を担当する正社員と同業務を担当する時給制契約社員との間に労働契約法20条所定の職務の内容や当該職務の内容及び配置の変更の範囲その他の事情につき相応の相違があること等を考慮しても,両者の間に夏期冬期休暇に係る労働条件の相違があることは,不合理であると評価することができるものといえる。」
「したがって,郵便の業務を担当する正社員に対して夏期冬期休暇を与える一方で,郵便の業務を担当する時給制契約社員に対して夏期冬期休暇を与えないという労働条件の相違は,労働契約法20条にいう不合理と認められるものに当たると解するのが相当である。」(3~4頁)

と、他の日本郵便の事件では高裁段階で認められていた点を改めて指摘しただけであり、そこに格別な真新しさがあるわけではないのだが、ここに至るまでの経緯、そして、労働契約法第20条違反による認容額としては僅か「5万5200円」の事件が、『非正規労働者側勝訴』の事案として報じられ、かつ、他の判決に引用されるリーディングケースとして後世まで残る、ということに、いろいろと考えさせられるところはあるな、と。

以上、この先もしばらくは様々な事例が積み重ねられていくことになるのだろうけど、やがて一人歩きするであろうこの一週間の最高裁判決の「判旨」の裏側にもちゃんと一つ一つの「事件」がある、ということで、書き残させていただいた次第である。

*1:俗に「非正規格差」と言われるが、何が『正規』雇用で何が『非正規』雇用なのか、という前提自体が揺らいでいる今となってはこの表現自体がミスリードになりかねないので、このエントリーでは極力この表現は使わないこととしたい。

*2:ご参考までに当時のエントリーを上げておくが、振り返るとこれは自分がまだ「期間の定めのない労働契約」に縛られていた時代に書いたもので、当時の鬱屈した感情が随所に散りばめられているなぁ・・・と思わずにはいられない。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*3:山口厚裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/772/089772_hanrei.pdf

*4:山口厚裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/773/089773_hanrei.pdf

*5:この判旨は「賃金項目の趣旨を個別に考慮すべき」という長澤運輸最高裁判決の判旨が「賃金以外」の労働条件にも適用されることを明らかにしたものであるが(後述)、同日に出された日本郵便最高裁判決3件のうち、なぜか福岡高裁ルートの判決に書かれた判旨を東京、大阪が引用する形になっている、というのが興味深いところである。

*6:林景一裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/768/089768_hanrei.pdf

*7:宮崎裕子裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/767/089767_hanrei.pdf

*8:そもそも「正職員」に対して、私傷病で休んでも6か月は給与全額が支払われ、休職中も給与2割相当の休職給が支給されていた、というのは、一般の民間企業の制度に照らしてもちょっと手厚すぎる面はあるので、諸々バランスを考慮すると「相違」を強調せざるをえなかったのかもしれないが・・・。

*9:山口厚裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/771/089771_hanrei.pdf

ここからが正念場、再び・・・

「ここからが正念場」というタイトルをエントリーに付けるのは、今年に入ってから2度目のことである。

前回は2月も末に差し掛かる頃の話。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

いま改めて見返すと、見通しが楽観的に過ぎたなぁ・・・と思うことも多々ある一方で、想像していた以上にここからの半年強で世の中が変わったところもある。

あの頃は決まっていたイベントがバタバタと中止、延期になって、ザワザワしていた頃だったのだが、その後暫しの沈黙の時を経て、セミナーにしても、会議にしても、はたまたちょっとした打合せにしても、今やWebでやるのが当たり前の時代になってしまった*1

これまでは前後の予定だの、時間帯だの、といった様々な事情で泣く泣く断念していたようなセミナーでも、フレキシブルに聴講しやすくなった、というのは間違いなく大きな進歩*2

一方で、「会って話すのが目的」のような会合を無理やりWeb会議でやるのに付き合わされたりすると、少々げんなりするところがあるのも事実で、何を重視するか、というところのバランスも難しいな、ということを日々痛感させられている。

で、少し脱線してしまったが、今再び迎えようとしているのが「正念場」

個人的には、今、この国が置かれている状況、客観的にみて差し迫る危機のレベル感は、2月下旬から3月下旬にかけてのそれに限りなく近いと思っている。

欧州や米国で大きな「波」が来て、海の向こうの話、と高みの見物をしていると、自らもどわっと波にのまれる。油断が招いた不用意な行動がクラスタを発生させ濃厚接触者を通じて一気にウイルス感染者を拡大させていく。どこからどう見ても、ここまで繰り返してきたシナリオと同じ展開になっていることを考えれば、あながち的外れな指摘ではないはず。

そして当時と異なるのは、あの頃は(クルーズ船を除けば)まだ十数名から増えても100名ちょっとくらいのレベルに留まっていた感染判明者*3は、今日の時点で既に700名超*4にまで達している、ということ。

さらに「春から夏」という季節を味方に付けられた当時とは異なり、今は日増しに寒さが厳しくなる、まさにウイルスが大喜びしそうな乾燥した季節に近づいている、ということである。

そんな状況なのに、予防のためのワクチンはもちろん、COVID-19にターゲットを絞って開発されてきた新薬の投入もまだ間に合いそうにない。

客観的にみれば、2月、3月と比べてもあまり良い材料はなく、むしろ悪い材料の方が多い、というのが正直なところだろう。

にもかかわらず・・・

*1:2月、3月にキャンセルになった研修等の予定も、主催者のご尽力で夏以降Web等を使いながら無事行っていただいたこともあり、全部取り返してさらにお釣りまで来た。ありがたい限りである。

*2:もちろんそれは、講演者が本来享受できるはずの有形無形のメリットの犠牲の上に成り立っているものである、ということにも聴講者は思いを向ける必要はあるわけだが・・・。

*3:もちろん、検査がきちんとできていなかっただけで、実際にはもっと存在したはずだが。

*4:東京都内は8月下旬以来の水準に戻っている。

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永遠に残る記憶の中のメロディライン

月曜日に飛び込んできた著名作曲家の訃報。

そして、速報記事で紹介された曲名に刺激されて動画サイトを訪ね、そのままハシゴして寝不足のまま今日の朝を迎えた方も多かったのではなかろうか。

「「また逢う日まで」「ギンギラギンにさりげなく」など、昭和期にヒットした歌謡曲を多数手掛けた作曲家の筒美京平(つつみ・きょうへい、本名=渡辺栄吉=わたなべ・えいきち)さんが10月7日午後3時ごろ、誤嚥性肺炎のため東京都内の自宅で死去した。80歳だった。」(日本経済新聞2020年10月13日付朝刊・第43面、強調筆者)

手掛けた楽曲は3,000曲と紹介され、レコード・CDの通算売り上げ枚数は作曲家では歴代トップの7,500万枚超。

歴史に残るヒットメーカーとして名を残された故・筒美京平氏だが、誤解を恐れずに言えば、自分は故人が手掛けた楽曲に、これまでそこまでの”存在感”を感じたことはなかった。

もちろん、80年代、ラジオから、テレビの歌番組から、さらには親戚が持ってきたカセットテープから流れてきて、まだ幼かった自分の頭に刷り込まれた”歌謡曲”の中には、筒美氏が手掛けられたものがかなり多く入っていたはずだし、同世代の人間とカラオケに行き、「あぁ懐かしい」という曲で盛り上がった末、最後に「作詞・松本隆、作曲・筒美京平のテロップを見てもう一度「おおっ!」となる経験も何度もしている。

だが、正直なところ、自分は「これが筒美京平サウンドだ」と言って語れる材料は何一つ持っていない。

これが小室哲哉織田哲郎といった平成のヒットメーカーともなれば、有無を言わさず、イントロだけで書き手の個性をアピールしてきて、「この曲誰の曲だったっけ?」なんてことすらどうでもよくなってしまうし、筒美氏と同時代からヒットを飛ばしていた荒井由実中島みゆきにしても似たようなところはある。

それが専業作曲家とシンガーソングライターの違い、と言われてしまえばそれまでだし、そもそも故人が強力なヒットを飛ばし続けた60年代、70年代の曲が、自分にとっては”懐メロ以前”のものでしかないから、その時代を生きた人々にとっては自明な彼の「個性」が分からないだけなのかもしれないが、いずれにしても、そんな背景から、最初に訃報を目にしたときの感想は「よくある昔の人のそれ」と同じレベルのものでしかなかった。

それが・・・

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「1,651人」からの一歩

しばらく「無観客」を貫き通してきた中央競馬が、遂に7か月半ぶりに一般入場再開、という政策に舵を切った。

既に度々ご紹介しているとおり、「馬券の売上」という点ではコロナ前に全く見劣りしない、というかむしろ上回っている状況でもあえてこのタイミングで「入場再開」に舵を切ったのは、他のスポーツ観戦との比較や人が動き始めている「Go To」に合わせる、ということだったのだろうか。

いずれにしても、長らく一般入場者には閉ざされていた競馬場の入場ゲートは開かれ、三場合計1,651人がその中に足を踏み入れることになった。

普通に考えて、どの競馬場も平時とは”桁が2つ”食い違うくらいの入場者数でしかなく、また「入場できるのは申込者1名のみ」「スタンドでの観戦はできるが、石畳の上は立ち入れない。」等々の様々な制約がある状況ではなかなか気軽に足を運ぶわけにはいかないだろうが、ここは実にしたたかな戦略を取り続けているJRAのこと、この先徐々に人の流れが回復する中で、年末の有馬記念までにはそれまでの7~8分くらいの入りくらいにまでは入場者数を回復させ、ファンの裾野も広がったところで来年に向けてダッシュ!というムードを演出してくれるのではないか、と微かに期待しているところである。

で、節目の日となった10日からは、東京、京都に場を移し、新潟開催も加わって、久々に慌ただしい三場開催になったのだが、あいにく東京と京都では、初っ端から台風の影響で大雨が降り、馬場が”湿る”どころか、土曜日のダートなどはほとんど水たまりのようになった状態でレースが行われることに。

その影響か、土曜日東京メインの2歳出世レース、サウジアラビアロイヤルカップでは、馬場が荒れればバゴ産駒、と言わんばかりに、ステラヴェローチェが猛烈な脚で差し切って圧勝。1番人気だったモーリス産駒のインフィナイト以下は、大きな差を付けられることになったし、2歳戦ではキングカメハメハの産駒が東西合わせて3勝、と、これまでとは少し違う傾向となり、特に関東では前開催の中山に続いて傾向が読みづらい状況だっただけに、予想するにも一苦労。

これで翌日のメインレースまで同じ傾向が続いたらどうなるだろう・・・という思いも一瞬頭をよぎったのだが、さすがにそれは杞憂だった。

第71回毎日王冠、制したのは単勝1.3倍のサリオス

ここまで負けたレースは皐月賞とダービーの2つのみ。コントレイルにこそ一度も勝てていないものの他の馬には一切負けたことがない、という3歳No.2牡馬は、宿敵コントレイルがいなくなった古馬混合戦で、これまでのうっ憤を晴らすかのような爆発的勝利を飾った。

多士済々だった京都大賞典に比べると、ちょっと他のメンバーが弱すぎたのでは?という突っ込みもあるところだが′*1、それでも勝ちは勝ちだし、今日のサリオスのパフォーマンスであれば、多少相手が強化されたとしても、大抵の馬は退けることができたはずだ。

番組編成どおりなら、コントレイルが菊花賞を走った後に行われるのが、サリオスの次のレース。

おそらくは「三冠」の興奮が冷めやらぬ中行われるレースだと予測するが、もしそこで、”シルバーコレクター”だったこの馬が古馬を跳ねのけて大きなタイトルを手にするようなことになれば、ここで一気に主役の座を奪い返すことになったとしても不思議ではない。

果たしてどういう結果になるかは神のみぞ知る領域。

ただ、今、まさに競馬界の歴史に残るような出来事が起きようとしている、という事実に思いを馳せるなら、これまでは「神」でもなければグリーンチャンネルを通じて眺めるしかなかった走る彼らの姿を、一般の人々も目の前で見ることができるようになった、というのは、やはり素晴らしいことだというほかない。

そして、この先、中央競馬が不運なアクシデントに見舞われることなく残り3か月の開催を予定通り遂行し、より多くの人たちが段階的な制限緩和の波に乗り、競馬場に足を運んだ時に彼/彼女たちが今年成し遂げられようとしている様々な「偉業」に立ち会うことができるようになることを今は心から願っている。

元々この半年以上、「無観客でいいじゃん」と思って淡々と眺めていた自分ですら、思い立ってその場に足を運びたくなるようなドラマが、今まさに起きようとしているのだから・・・。

*1:2番人気が同じ3歳のサトノインプレッサ、という時点で層の薄さはおのずと知れたところで、実際に2着に入ったのが”東京専用”ダイワギャグニーだったりすることもあって、今日の価値がどれほどのものかは、次のレースまで見ないと分からないところでもあったりする。

欲張りすぎた質問? 実らなかった「緑色円環配置構成」のアンケート調査

裁判所の「知的財産裁判例集」のコーナーに一度アップされたものの、誤記等の修正のためかすぐに消え、今週になってようやくサイトに再アップされた商標の審決取消訴訟の判決がある。

当事者の主張の表現を借りるなら「緑色円環配置構成」の周知著名性の評価が勝敗を分ける結果となったこの事件。

最近、日立建機の色彩商標の登録可否をめぐる事件や*1「Tuché」の防護標章登録が争われた事件*2でもアンケートに対して厳しい評価を示してきた知財高裁第4部が、再び「冷淡」とも思えるような評価を下したこの事件を以下で少し取り上げてみることにしたい。

知財高判令和2年9月16日(令元(行ケ)第10170号)*3

原告:スターバックス・コーポレイション
被告:株式会社Bull Pulu

被告は「本場台湾のお茶・食文化を日本へ」というコンセプトで店舗を展開している会社のようで、問題となった商標第5903256号を、第29類「タピオカ入りの乳製品」、第30類「タピオカ入りのコーヒー,タピオカ入りのココア,タピオカ入りの菓子,タピオカ,食用タピオカ粉」、第43類「飲食物の提供」という指定商品・役務で出願し、平成28年12月9日に登録を受けた。

これに対し、原告は平成29年9月15日に商標登録無効審判を請求、特許庁の不成立審決(令和元年8月21日)を経て提起されたのが本件訴訟ということになる。

リンク先の判決別紙1、別紙2をご覧いただければ分かる通り、本件商標と引用商標は、中心にある図形だけを見れば似ても似つかない代物。

にもかかわらず、原告が審決取消訴訟にまで持ち込んだのは、図形の外を囲った「円環」の類似性ゆえ、だったようだ。

「引用商標における「緑色の二重の円環並びに内側の円環の帯状部分に白抜きの文字及び図形を配した構成」(本件緑色円環配置構成)は,それ自体は商標ではなく,単独で原告の商標として使用されることもないが,他の「STARBUCKS」の文字及び中心部の図形等の要素と同様に引用商標の要素となっている。」(原告主張、5頁、強調筆者、以下同じ。)

原告はこの主張を裏付けるべくアンケート調査を行い、552名のサンプルを集めた上で、

「本件アンケート調査の結果,本件標章から原告を想起した回答者の割合は,「産業の限定なし」で77.72%,外食産業に限定すると71.20%,コーヒーショップに限定すると83.88%」(原告主張、6頁)

という極めて高い「周知著名性」がある、とし、そしてそれを元に、本件商標に商標法4条1項11号、15号の無効理由あり、という主張を展開したのである。

確かに「緑の環」といえば真っ先に思い浮かぶのは「スタバ」だし、何の先入観も持たずに本件商標に接した人でも、その緑と白の色使いと「環」を見ればかなりの割合で「スタバに似てるな~」という感想は抱くはず。

だからこそ原告としてはここは譲れなかったところなのだろうが・・・

知財高裁は、

「本件商標の要部である「BULLPULU」の文字部分と引用商標の要部である「STARBUCKS」の文字部分とを対比するに,前記ア及びイの認定事実に照らすと,上記各文字部分は,外観,称呼及び観念のいずれの点においても相違するものである。そうすると,本件商標と引用商標が本件商標の指定商品又は指定役務に使用されたとしても,その商品又は役務の出所の誤認混同が生ずるおそれがあるものと認められないから,本件商標と引用商標は,全体として類似していると認めることはできない。」(28頁)

と、類似性をバッサリと否定した。

原告がこだわっていた「緑の環」はどうなったのか。それが次の話となる。

身もふたもない知財高裁のつれない判断

知財高裁も原告の主張に全く耳を傾けなかったわけではなく、原告が材料として用いたアンケート調査の内容を判決の中で詳細に認定事実として記載している。

少し長い引用になるが、概要は以下のとおり。

「本件アンケート調査(略)の概要は,原告が「NERAエコノミックコンサルティングに依頼して,引用商標の「緑色の円環部分(ただし,文字・記号は判読不能に加工したもの)」である本件標章の著名性を検証することを目的として,日本全国に在住する20歳から69歳までの男女552名を調査対象者として,平成29年7月21日(金)から22日(土)の2日間にわたりインターネットを通じて行われたものであり,本件標章の画像を見て「スターバックス」を想起する割合を調査し,本件標章の認識度を調査するというものである。」
「本件アンケート調査は,GMOリサーチ株式会社の維持管理する調査パネルの中から性別・年代及び居住地域について割り付けを行った上で無作為に抽出した552名に対し,①まず,別紙3記載の本件標章の画像について,「この画像はある会社が運営するお店の設備やお店で販売する商品の図柄の一部を抜き出して加工したものです。」「元々の図柄では,円の中心部に絵があり,緑色の輪の部分には会社名が特定できる白い文字が表示されていましたが,下記の画像では,絵の部分を白く塗りつぶし,文字部分にはモザイク処理を施し,会社名が読み取れないようにしてあります。」との説明を付して示した上で,「この画像を見て,何と言う会社またはお店の名前を思い浮かべましたか。以下の回答欄に思い浮かべた会社またはお店の名前をお書きください。わからない場合は「わからない」とお書きください。」との質問(以下「第1の質問」という。)に対する回答を求め,②次に,本件標章の画像について,「この画像は,実は,外食産業に属する会社が運営するお店の設備やお店で販売する商品の図柄の一部を抜き出して加工したものでした。」「先程お伝えした通り,元々の図柄では,円の中心部に絵があり,緑色の輪の部分には会社名が特定できる白い文字が表示されていましたが,下記の画像では,絵の部分を白く塗りつぶし,文字部分にはモザイク処理を施し,会社名が読み取れないようにしてあることに変わりありません。」との説明を付して示した上で,「この画像を見て,外食産業に属する何と言う会社またはお店の名前を思い浮かべましたか。以下の回答欄に思い浮かべた会社またはお店の名前をお書きください。前問では「外食産業に属する」という情報はなかったので,今度は前問ではお答えいただいた内容とは違う回答をしていただいていても構いません。思い浮かんだ会社またはお店の名前を率直にお書きください。わからない場合は「わからない」とお書きください。」との質問(以下「第2の質問」という。)に対する回答を求め,③さらに,本件標章の画像について,「この画像は,実は,あるコーヒーショップの会社が運営するお店の設備やお店で販売する商品の図柄の一部を抜き出して加工したものでした。」,「先程お伝えした通り,元々の図柄では,円の中心部に絵があり,緑色の輪の部分には会社名が特定できる白い文字が表示されていましたが,下記の画像では,絵の部分を白く塗りつぶし,文字部分にはモザイク処理を施し,会社名が読み取れないようにしてあることには変わりありません。」との説明を付して示した上で,「この画像を見て,何と言うコーヒーショップの会社またはお店の名前を思い浮かべましたか。以下の回答欄に思い浮かべた会社またはお店の名前をお書きください。前問および前々問では「コーヒーショップ」という情報はなかったので,今度は前問および前々問でお答えいただいた内容とは違う回答をしていただいていても構いません。思い浮かんだ会社またはお店の名前を率直にお書きください。わからない場合は「わからない」とお書きください。」との質問(以下「第3の質問」という。)に対する回答を求めたものである。さらに,第3の質問の後に,「あなたは過去1年間にコーヒーショップを利用しましたか。」,「あなたはこれから1年間にコーヒーショップを利用しますか。」との質問に選択式で回答を求めている。」(18~20頁)

NERAが絡んでいることからしても、実施する前に相当練られたアンケートだと思われるのだが、興味深いのは、この種のアンケートとしては実に”親切すぎる”ほどの説明が付されている、ということ。

そしてさらに興味深いのは、このアンケートで実際に使われた画像(以下リンク先(再掲)の「別紙3」)である。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/716/089716_hanrei.pdf

自分は、この判決が最初に裁判所のウェブサイトにアップされて早々にダウンロードしていたので、その時点でエントリーを上げようと思えば上げられたのだが、ここまで引っ張ったのは本件商標、引用商標のビジュアルもさることながら、この「別紙3」とセットで見ないとこの判決の面白さが分からない、と思ったからである。

一言で言えば、「何だこりゃー」の世界。

さらにアンケートの各設問に付された”親切すぎる”設問と合わせると、「いわば連想ゲームにおけるクイズの回答をしているにすぎない。」(11頁)と指弾した被告側の反論も、俄然説得力を持ってくる。

ということで、これに対する裁判所の評価はどうだったか、ということになるのだが、

「本件アンケート調査は,調査期間は2日間のみで,対象人数が552名と少なく,また,本件アンケート調査の調査票においては,調査の対象物である緑色の円環加工図形の画像(本件標章の画像)の上部に「円の中心部に絵があり,緑色の輪の部分には会社名が特定できる白い文字が表示されていました」と表記していることから,本件アンケート調査の回答者は,緑色の円環加工図形の円の中心部に絵があることや緑色の輪の部分には会社名が特定できる白い文字があることを前提にイメージし,回答することになっており,その条件の下では,本件アンケート調査が,純粋に原告使用商標中の「緑色の円環並びにその帯状部分に白抜きで文字及び図形が配置された構成」についての周知性を調査したものとはいい難い」(7頁、原告主張より)

とアンケート調査の手法そのものをストレートに否定した特許庁の審決とは異なり、知財高裁は以下のような前提を置いた。

「原告が主張する引用商標における本件緑色円環配置構成(「緑色の二重の円環並びに内側の円環の帯状部分に白抜きの文字及び図形を配した構成」)は,引用商標中の具体的な構成部分そのものではなく,本件円環部分から抽出した上位概念化した要素としての構成及び配置の態様をいうものと解される。」(22頁)
「しかるところ,前記イ(ア)のとおり,原告が主張する引用商標における本件緑色円環配置構成は,本件円環部分から抽出した上位概念化した要素としての構成及び配置の態様をいうものであるが,引用商標に接した需要者において,このような上位概念化した要素としての構成及び配置の態様をイメージし,それが記憶に残るものと認めることは困難であることに照らすと,本件緑色円環配置構成の認識度ひいては著名性を適切に調査することは,その性質上困難を伴うものといえる。」(25頁)

知財高裁は、アンケートに対する判断に先立ち、「引用商標の構成中の本件円環部分は全体として需要者に対して強い印象を与えるものといえる」が、「引用商標に接した需要者において,このような上位概念化した要素としての構成及び配置の態様をイメージし,それが記憶に残るものと認めることは困難である。」(23頁)として、原告が主張のロジックの根幹に据えている「緑色円環配置構成」という概念の定立自体にネガティブな評価を行っており、それに続く上記説示からも「『緑色円環配置構成』の認識度を一生懸命調べても、商標の類否には何ら影響しないよ・・・」という本音が嫌というほど漂ってくるのであるが、きれいに(そして難しい言葉で)まとめると上記のような説示になる、ということなのだろう。

そして、とどめを刺すのが以下の説示。

「本件標章は,別紙3のとおり,外側から順に緑色の細い円環,白色の細い円環,白色のモザイク模様が付された緑色の太い帯状の円環から構成されるドーナツ形状の図形からなるものであり,本件標章と引用商標における本件円環部分は,緑色の細い円環,白色の細い円環,緑色の太い帯状の円環を有するドーナツ形状である点では共通するが,緑色の太い帯状の円環内の構成態様及び内側の白色の細い円環の有無の点において異なる態様の標章であることに照らすと,本件標章から本件円環部分を想起するものと認めることはできないし,ましてや,本件標章から本件緑色円環配置構成を認識できるものと認めることはできない。」
「この点に関し,本件アンケート調査には,本件標章について,元々の図柄では,円の中心部に絵があり,緑色の輪の部分には会社名が特定できる白い文字が表示されていたが,本件標章の画像では,絵の部分を白く塗りつぶし,文字部分にはモザイク処理を施し,会社名が読み取れないようにしてある旨の説明が付されているところ,上記説明は,本件標章に接した需要者が視覚によって認識し,又は想起することができない内容を文章によって誘導するものであって適切なものではない。そうすると,本件アンケート調査は,本件緑色円環配置構成の認識度ひいては著名性を調査することを目的とする調査方法として適切であると認めることはできないから,原告の前記主張は,理由がない。」(25~26頁)

かくして、「認知度MAX83%強」という強力なアンケート結果も効を奏せず、本件の勝敗は決することとなってしまったのである。

最後のアンケート手法に対する評価もさることながら、その前に来る「『本件緑色円環配置構成』の認識度、著名性を調査すること」自体への評価のくだりを読むと、

「そもそもこのアンケート調査をやることに意味があったのか?」

ということを婉曲に指摘しているようにも読めて、原告側関係者にとっては実に苦い説示のようにも思える。

「緑色の二重の円環並びに内側の円環の帯状部分に白抜きの文字及び図形を配した構成」という概念を用いる以上、「帯状」の部分の中には何らかの「白抜きの文字」がなければならない。

だが、そこに「STARBUCKS」という文字を使った瞬間に、「図形の認識度調査」という点ではそのアンケートは意味のないものになってしまう。

説明がいかにも”丁寧”すぎたのは事実だとしても、ハードミッションをこなすためにはそうでもしないと・・・というところはあったはずだから、少々気の毒だなと思わずにはいられなかった。

より適切な調査手法はなかったのか?

さて、こうなると湧いてくるのは、本件で『本件緑色円環配置構成』という概念を持ち出すことが必須だったのか?という疑問である。

例えばここで、本件商標の構成を意識しつつ、「緑色の二重の円環とその内側の帯状部分(中心部の円の部分はブランク)でなる構成」だけを切り取って要部として主張したならば、知財高裁も「上位概念化したものに過ぎない」などという評価をすることはできなかったはずだし、アンケートに際して「ここには文字があって・・・」といった親切すぎる説明を付す必要もなかったはずだ。

もしかしたら実際に予備調査で試してみて、うまくいかなかったのでやむなく・・・という背景もあるのかもしれないが、サンプルを「コーヒー、お茶をよく買う人/飲みに行く人」に絞って調査すれば、80%超とはいかずともそれなりの高い数字は出たのでは?と思うところもあり、ちょっとモヤモヤした気分は残る。

まぁ、この事件自体は3年前に始まった話で、当時から原告側は既にハウスマークのリニューアルを行っていたし、今となっては被告の側もウェブサイトを見る限り、本件商標ではなく2019年10月21日に出願した新しい商標の方をもっぱら使っているようである。

なので、過去の話といえばそれまでなのかもしれないが、ちょっと最近、「アンケート調査が報われない」ケースを見かけることが多いような気もするだけに*4、次はきれいにアンケートが効を奏する判断を見てみたいな、と思った次第である。  

気持ちはよく分かるのだけれど・・・~経団連株主総会オンライン活用提言より

怒涛の「株主総会2020」は、6月期決算会社の開催やギリギリまで引っ張った継続会等もほぼ一通り終わった、ということで、既に総括と来年に向けた「提言」が行われるフェーズになってきている。

そんな中、日本経済団体連合会より、株主総会におけるオンラインの更なる活用についての提言」というペーパーが公表された。
https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/092_honbun.pdf

新型コロナウイルス感染症に対応しつつ株主との建設的な対話やデジタルトランスフォーメーション(DX)を促進する観点から、今後の株主総会におけるオンラインの更なる活用に向け以下の提言を行う。」(1頁、強調筆者、以下同じ。)

ということで、目下の時流も押さえた書き出し。

そして、以下のとおり、「感染予防」という観点を離れ、「多様なアクセシビリティの提供」という観点からもインターネットの活用を強く志向する者となっている、というのが本提言の最大の特徴だということができるだろう。

「感染予防のため来場者数をなるべく抑える一方、株主への情報提供の充実や、より効率的な対話を促進する観点から、インターネットを活用した株主総会運営を行うことは、企業が取り得る有効かつ現実的な選択肢の1つであるといえ、また、感染症拡大時であるか否かを問わず、DX を推進する中で、株主に対して株主総会への多様なアクセシビリティを提供することは時代の要請であり、特に遠方に居住の株主や移動に不自由のある株主にとって合理的である。例えば、株主総会の会場を自社会議室などに設定し、株主の来場を事前登録制等を活用して限定しつつ、その代わりに株主のインターネットによるアクセシビリティを高める方策を取ることが考えられる。また、本年の定時株主総会では、事前に質問等を株主から自社の株主専用サイト等で募った上で総会時あるいは総会後に回答を行う事例が相当数見られた。議決権行使についても、事前の議決権行使を要請した企業が多数を占めた。書面による議決権行使にとどまらず、インターネットの活用による事前の議決権行使についても行いやすくなるよう、企業として環境整備を行うことも一案である。加えて、新型コロナウイルス感染症対策に関する会社と個人株主等との間の各種連絡(例えば、事前登録行為など)についても、郵便等の書面以外のインターネット等によることが広く認められることが確認されるべきである。」(3~4頁)

様々な予想はあるだろうが、自分は「新型コロナ」の話題は、2020年→2021年の年替わりあたりを契機として、いつのまにかフェードアウトするだろうと予想しているし、株主総会に何らかの影響を与えるとしても、全ての会社が意識して対応するのはカレンダーが一巡する来年の3月総会くらいが最後で、その後は、会社によって対応の濃淡はあれど、今年のように「リアル出席させること自体がリスク」という感覚は失われ、元の姿に戻っていく会社も増えていくのではないかと思っている。

だが、それとは関係なく「インターネットを活用」できるようにせよ、というのがこの提言の本旨であり、この点に関しては自分も賛同できるところが多い。

今年に入ってから、「株主」の立場でいくつかの会社の「ハイブリッド型」総会に参加することが何度かあり、特に先日は初めての「ハイブリッド出席型」総会も経験した。

いずれもこれまで一度も総会の会場には足を運んだことのなかった会社である。

特段移動に不自由があるわけでない者にとっても、さして刺激的な出来事を経験できるわけでもない株主総会の場に朝早起きして出かける、というのは非常にハードルが高いことなのであって、それゆえ「運営の勉強」とか「お土産が気になる」といった本来的ではない目的で足を運んだ場合を除けば、自分が所属する会社、自分が担当している会社以外の株主総会に足を運んだことはほとんどなかった。

それが「インターネット」経由で参加できるとなると一変。

さすがに仕事中だとつらいので参加はせずに後で録画配信だけ見る、という妥協をした人も(自分も含め)多かっただろうが、テレワーク中にBGM代わりに流していた方もそれなりの数はいらっしゃったはず。そしてそんな関わり方でも、質疑のところでは思わず耳をそばだて、決議の時の賛否ボタンは押し、ついでに拍手ボタンも押してみた、という方はいたはずである*1

リアルな場で総会を開催しても、そこで発言したり、動議を出したりするのは、毎年同じような顔ぶれのほんの一握りの人々だけで、そもそも足を運べる株主自体が、時間に余裕のあるごくごく限られた”特権階級”の人々だけに限られている。

大多数の株主は、総会の当事者どころか傍観者にも慣れない、という現実がそこにはあるわけで、いかに「会議体で議論することの重要性どうのこうの」といったところで、そういう現実に長年接してきた者には何ら説得力を持たない。

だから、少なくとも、大多数の株主にとっては、会社側が「インターネットを活用」してくれるのであれば、会社のトップの話を聞くことができる機会が増えるという点で、プラスになることの方が遥かに多いだろう、と自分は思っている*2

前記提言では、「政府において一定の考えを明らかにする必要がある」事項として、ハイブリッド参加型、出席型に関し、以下のような提案を行っている。

①ハイブリッド参加型に関して確認されるべき事項

i. 映像通信なしの音声通信のみによる開催が認められること。
ii. 通信回線安定の観点から、会社は、オンラインでの株主の参加枠(人数)を合理的な範囲に制限できること。
iii. 役員が総会当日にオンラインで出席する場合、役員としての説明義務を果たせる態様である限り、当該役員は株主総会に法的に出席しているものといえること。総会における議事進行等を支障なく行える仕組みが整備されている限り、総会議長のオンラインによる出席でもその職責を果たせること。
iv. コロナ対策に関する会社と個人株主等との間の各種連絡(例えば、入場の事前登録行為など)について、郵便等の書面以外のインターネット等の手段によることが認められること。
v. リアル出席株主のプライバシー権や肖像権保護等の観点から、会社は、オンライン参加の株主に対し、総会の録音・録画・転載を禁止できること。

② ハイブリッド出席型に関して確認されるべき事項

i. 信頼性のあるシステムを使用することを前提に、仮に通信障害が発生した場合などでも、企業としての合理的判断を経て採用されたシステムであれば十分であること。
ii. 本人や代理人以外の第三者によるなりすましの危険性についても、会社側が本人確認のための合理的な方策をとっていれば十分であること。
iii. 過年度のリアル出席株主数及びハイブリッド出席型の導入によりオンライン出席に移行すると予想される割合から合理的に導かれるリアル出席株主数が収容可能な会場を用意していれば十分であること。また、感染症拡大時においては、会場での株主等の三密を避けるため、より収容可能数を限定できること。
iv. オンライン出席株主か ら質問フォームにて 投稿された 質問事項も含め、その取り上げ方(質問者の指名)は、恣意的な運用とならない範囲で議長の合理的議事進行に委ねられること(例えば、リアル出席の場合には、株主が事前に質問状を提出していたとしても、総会当日に挙手し、指名されたあと質問事項を発言して初めて会社に説明義務が生じることから、仮にオンライン出席株主の質問に関し、質問フォームにて投稿されたものすべてに会社が回答しなければならないとすると、リアル出席株主との平等な取扱いが図れない)。

運営上の課題から株主総会の本質にかかわることになりそうな話まで様々な要素の提言が混在しており、中にはかなり踏み込んだ意見もあるように見受けられるが、実務側の視点では至極当然の要望だし、株主の立場から見ても、「まぁ良いのではないですか」という類のものがほとんど、といってよいように思われる。

一方、続く7ページの後半くらいからの「提案」には、少々首をかしげたくなるものも見受けられる。

例えば、株主総会資料の WEB でのみなし提供の拡充の恒久化に関して」という項目では、

「本年の定時株主総会においては、新型コロナウイルス感染症の影響により計算書類等の作成・監査などに遅れが生じる可能性があることを考慮し、株主総会資料としての単体計算書類などに関して WEB 開示によるみなし提供を行うことを認める時限的措置がなされた。これに関する法務省の対応を評価するところであるが、新型コロナウイルス感染症の影響が来年以降にも継続するおそれがあることに加え、将来に向けて株主総会プロセスの DX を促進する必要性も考慮すれば、本年の時限的措置として認められた WEB 開示によるみなし提供の拡充を恒久化すべきである。」(7~8頁)

と書かれているのだが、招集通知の電子化前倒し実施、という話であればまだしも、「新型コロナ対応の暫定措置」としての性格が強かった「みなし提供拡充」を恒久化する、というのは、あまり筋の良い話ではないような気がする。

(万が一新型コロナの影響が来年になってもまだ続いているようなら)決算、監査スケジュールと総会日程の関係についても今年の教訓を踏まえて当然見直す、というのが筋だろうし、何といっても今年一部の会社で見られたような”スカスカの(紙の)招集通知”を恒久化する、というのは、株主の便宜を考えると個人的にはかなり抵抗がある*3

また、もっと物議を醸しそうなのが「選択的なバーチャルオンリー型株主総会の開催について」という章(8頁以下)で、ここはツッコミどころが多数ある、というべきだろう。

特に自分が気になったのは、

② 質問・動議の取扱い
「バーチャルオンリー型においては、多数の株主により、濫用的なものも含め、オンラインで大量かつ必ずしも秩序立っていない発言がなされ、建設的な発言の集約、株主総会の合理的かつ円滑な運営が困難となる可能性がある。そこで、円滑な総会運営の観点から、一定の制約や工夫はあってしかるべきということを、まずは確認すべきであり、特に動議に関しては、そもそも総会当日の動議を認めることの是非も検討されるべきである。その上で、具体的な対応に関しては、実務の合理的運用に委ねられるべきと考える。」(10頁)

というくだりで、そこまで「バーチャルオンリー型総会」のメリットを散々強調しておきながら一転して「デメリット」を持ち出し、しかも「動議提案権の制限」というかなり踏み込んだところまで行ってしまっている点には、見ていてあまり良い印象を受けない。

もちろん、事務方にしてみれば、大量に寄せられる質問に交じって飛んで来る「動議」をより分け、即座に議長席とやり取りしながら対応する、というミッションにはとてもじゃないが耐えられない、という思いがあることは十分理解できる。

ただ、「動議」が出る株主総会には相応の背景があることもほとんどなわけで、特に株主と経営陣の対立が深刻化しているような会社で、「バーチャルオンリー」にした上で、さらに「総会当日の動議まで封じる」という手段を認めてしまった場合の弊害を考えると、さすがにこれは行き過ぎではないかと思う。

以前、ジュリストに特集記事が掲載された際にもコメントしたとおり、「運営側の視点」で見るならば、株主総会の運営に際してあまり手の込んだことはしない方が良い(手の込んだことをすればするほど事務局への負荷は増える)と思っているし、もし「インターネットをフル活用した」株主総会に切り替えるのであれば、そもそもの「株主総会」の意義、役割自体を根本的に見直すこととセットでなければ、労多くして報われない、ということになりかねない、というのが自分の考え。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

さすがに「来年の総会」に向けた提言でそこまで踏み込むのは無理だろうし、「招集通知の電子化」さえ(既に決定してはいるものの)まだ先の話に過ぎない現状で、どこまでたどり着けるのがいつになるのかは、全く想像もつかないのだけれど、前記提言が「バーチャルオンリー型総会」の採用を求める理由の一つに挙げている、

「多様な働き方への対応が求められている現在、株主総会の運営スタッフの労働時間・労力の削減にもつながる。」(8~9頁)

という目的を本当に達成しようと思うのであれば、株主総会を『会議体』としては観念しない」というところまで踏み込まなければだめだろう、と思うだけに*4、(ある一方向にだけ突出した「改革」を志向するのではなく)きちんと理を詰めて、段階を踏んで、本当の意味での「改革」を目指すべきではないか、と思った次第である*5

*1:さらに進んで質問を打ち込んだり、動議まで出しちゃった、という方がいればちょっとお話を聞いてみたいところだが・・・。

*2:懸念されるのは「併用」することによる事務方の負担だが、それも後述する「提言」が合理的な範囲で採用されれば、ある程度負担を軽減することは可能ではないかと思われる。

*3:事務方にとっても、招集通知は招集通知で作成しつつ、Web開示資料を別途準備する、という手間がかかることに変わりはないので、そこまで大きく負担が軽減されるわけでもない。

*4:既に出てきたような、質問、動議対応がより難解になる、という問題に加え、通信回線の途絶等に備えたシミュレーションやバックアップの準備、まだあと数年は残るデジタルデバイド克服のための細かな対応等、裏方が対応しなければならない事柄は増えることはあっても減ることはないだろう、というのが自分の見立てである。

*5:いつか「前の日会場に泊まり込んで、朝早起きして行列に並んだね」とか、「総会の日はいつも部署のメンバー総動員で、終わった後に食べたホテルの中華が美味かったね」といった話が、多くの会社の一部のベテラン社員にしかわからない懐かしい昔話になることを今は願うのみである。

それでも「テレワーク」は確実に定着していく。

昨日の日経紙朝刊に掲載された「テレワーク」の記事。

「テレワークが新しい働き方として定着する中、仕事の生産性を巡る評価が分かれてきた。コミュニケーション不足の懸念から伊藤忠商事は社員の出社を促す一方、日立製作所などは多様な働き方の選択肢としてテレワークを積極推進する。新型コロナウイルス感染拡大を機に広がったテレワークだが、企業の取り組み姿勢に温度差が出てきた。」(日本経済新聞2020年10月7日付朝刊・第3面)

いつものように伊藤忠商事が昭和の価値観を振りかざし、ベンチャー系でも面白法人カヤックの「週3日出社奨励」がトピックとして取り上げられるなど、どちらかと言えば、”時流に一石を投じる”感を見せている記事のようにも思える。

だが、自分がこの記事を読んだ時の印象はただ一つ。

「テレワークは確実に市民権を得たな。」

ということに尽きる。

振り返れば、6月上旬、同じ日経で、電子版に掲載された記事*1
では、以下のようなデータが紹介されていた。

「テレワークによって仕事の生産性が「下がった」と感じた人は6割を超える

4月13~19日という、まさにスクランブル体制に突入し始めた頃に行われたアンケートの結果、とはいえ、対象は比較的ITへの親和性が高そうな「日経BPのデジタルメディアの読者・会員」である。

それでも、「生産性」に対する評価は、以下のとおり散々なものだった。

(普段のオフィスでの仕事を「100」とした場合の業務の生産性評価)
120以上 3.9%
100超120未満 8.4%
100 24.8%
80以上100未満 28.2%
60以上80未満 22.9%
40以上60未満 8.4%
20以上40未満 2.0%
20未満 1.3%

「100」を上回った人の数字は僅か12%ちょっと、”横ばい”の評価の人を合わせても4割に満たない。

やむに已まれぬ理由で一気に普及した、と思われたテレワークも、この頃はまだ”闇”の中だったということなのだろう。

それが今回のアンケートではどうか。

9月23日~24日の日経電子版でのアンケート、対象者もカテゴリー分けも異なるとはいえ、

仕事の生産性が
上がった 31.2%
変わらない 42.2%
下がった 26.7%

僅か12.3%だったポジティブ評価が31.2%に。そして「変わらない」の比率もほぼ倍近くに増加し、6割超だったネガティブ評価組は30%を切るレベルにまで大きく減少。

この変化は実に大きいというほかない。


いろいろ話を聞いていると、未だに「リモートだと部下の指導が・・・」みたいなことを言っておられる方も多いのだが、そういう方々がそれまで本当に「部下の指導」をきちんとできていたのかは、結構疑わしいと自分は思っている。

距離感だけは濃密な環境で、「指導」というよりは、空気を察して動く賢い部下たちに助けられていたのではなかったのか?

部下が相談に来るたびに、「指導する」つもりで呟いていた蘊蓄とか昔の武勇伝なんて、部下たちにとっては迷惑なものでしかなかったのではないか?

日頃からきちんと「言葉」で的確な指示が出せているのであれば、「テレワーク」になったからと言ってコミュニケーションの精度やレベルがそう簡単に落ちるとは考えにくいわけで、特に法務のような「言葉」を重んじる世界でコミュニケーション不全が起きているのだとしたら、それはテレワークのせいではなく、元々の問題が顕在化しただけなのでは?と疑ってみた方が良いかもしれない。

あと、5月くらいから降って湧いたように出てきて唖然とした(そして今でもくすぶっていて、昨日の記事の中にもまだ出てきている)

「テレワークだと部下の業績を適切に評価できない」

という戯言もチャンチャラおかしい。

「夜遅くまで頑張ってるから」とか「何となく一生懸命やってるように見えるから」といったところで、「人事上の」評価を行う、なんてことは、自分がマネージャーになった10年前の時点で既に廃れた昭和の風習だと思っていたから、自分はそういった価値判断で査定をしたことは一度もなかったのだが、それが今になって出てくるというのは、日本の会社(特に大企業)がいかに今まで適当な人事評価、人材育成しかしてこなかったのか、ということを自白しているようなもので、何とも恥ずかしい限りだと思う*2

少なくとも、これまで電話で、あるいはひそひそこっそりと行われていたこともあった「担当者の仕事」が、テレワークの普及によって必然的にメール、チャットを中心とした文字コミュニケーションに置き換わる、ということは、「評価」する側の立場から見れば、良いことはあっても悪いことは一つもない、といってよい。

特に「いかにしっかりと手数をかけてカウンターパートとやり取りし、有効なアウトプットを出すか」ということが必須ミッションとされる法務のような部署の場合、各担当者が出しているメールの数とその中身を見れば、”違い”は一目瞭然なわけで、だから、自分はCOVID-19が地球上に現れるずっと前から、「メールのCCには必ず入れてね」というのを自分のチームの一貫した約束事にしていた*3

テレワーク体制の下でも、「1対1チャット」とか「1対1ウェブミーティング」のようなところまではカバーできないから、そこはレポーティングをしっかりやってもらう、ということでカバーする必要はあるのだが、それでも従来と比べれば格段に各人の仕事は「見える化」されやすくなるはずだし、自分自身の仕事にしても、「不意に現れて割込み仕事を落としていく歓迎されない相談者」に振り回されにくくなる、という点で、コントロールしやすくなったところはあるのではないだろうか?*4

唯一厳しい面があるとしたら、事業のラインにもコーポレートの意思決定のラインにも微妙に入っていない弱小部門(たとえば法務とか法務とか・・・)の管理職層の場合、これまで大きな会議の前後、松の廊下等で息を潜めながら役員に行っていたような”ご注進”がしづらくなってしまったり、そもそも”密回避”的な発想で会議そのものから外されたり、というリスクを常に負っている、ということ。

気軽に1対1のやり取りがしやすい環境になったからといっても、歴史と伝統のある会社では、いきなり社長や役員に対してチャットで話しかけようとする文化自体が拒絶されていることも多いし*5、仮に明示的に禁止されなくなったとしても、畏れ多くて気軽に話しかけるなんてできない、という方々がほとんどだろうから、自分の思っていることをトップにまで伝える機会は間違いなく減ることになるだろう。

また、これは上の層だけでなく、担当者クラスの方々にとっても同じことで、「ついでに法務に」という相談を受けることもなくなれば、一度相談を受けた案件について、「その後どうなりました?」と心配するフリして次の仕事の営業をかけるテクニックを発揮できる機会も確保できなくなってしまう。

これは単に「ハード面がどうこう」という話ではない分、かえって対応が難しい面もあるのだが、ここを乗り越えないと「法務」という存在自体が雲散霧消してしまう恐れもあるので、個人的には何卒しっかり・・・と願うばかりである。

*1:新型コロナ:生産性「下がった」6割超 間違いだらけのウェブ会議 :日本経済新聞

*2:しかもなぜかその話が暴走して「メンバーシップ型からジョブ型へ」などという方向に飛び火してしまう。自分は「担当者の仕事を横で見られない」ことで「評価」できなくなる危険性は「メンバーシップ型」の仕事よりも「ジョブ型」の仕事の方が遥かに大きいと思っていて、特に評価者自身が経験していないジョブを(比較対象のいない)1人の担当者が受け持っているような場合に、いったいどうやって評価をするのか、全く理解できないところである(おそらく従来から「ジョブ型」志向の強かった方々が、このどさくさに紛れて押し込んだのだろうが、それにしても・・・という気はする)。

*3:別に上司に見せたくない仕事があるならCC入れずに進めてくれてもいいんだけど、それは査定では一切評価の対象にならないよ、ということも必ず言い含めていた。

*4:そういう人は、おそらく「リモート」文化になっても、不意にテレカンを入れてきたりするのかもしれないが、それはもうあきらめるしかない。

*5:今月の「私の履歴書」を書かれている小野寺KDDI相談役のエピソードの中に、電電公社時代、総裁以下の役員に電話会議システムを使わせようとしたら「総裁と話したければアポとって部屋に行くのが常識で、電話すら使うことはままならぬ」という批判を受けて結局プロジェクトがボツになった、という今聞いたらびっくりするような話が出てくる。その空気感は、実によくわかるところだけど・・・。

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