プライムより、プレミア?

月初めの記事*1でも触れたところだが、10月に入り、いよいよ来春の東証新市場区分に向けた様々なリリースが世に出てくるようになってきている。

今ちょうどピークを迎えつつある2月期決算会社(含む5月期、8月期、11月期・・・)が、決算短信発表に合わせて市場選択手続き完了のリリースを出すパターンもあれば、通常の取締役会のタイミングに合わせて公表する会社もあり、また、選択する市場もプライムからスタンダード、グロースまで実に様々。

ざっと見た限りでは一部基準不適合を表明している会社は全体の1割程度*2で、残りの9割方の会社は、淡々と「東証の一次判定結果を踏まえて、○○市場を選択しました」というリリースを出している。

ただ、注目すべきは、ここに来て「東証第一部」所属の会社ながら、「スタンダード市場」を淡々と選択する会社もチラホラみられるようになってきたことで、9月初めの日本基礎技術㈱を皮切りに*3、既にこのパターンの会社は10社を超えてきている。

そういった会社の中には、(6月末に比べれば、全体的に株価水準が上がっている)現在の株価を基準としても、この時価総額だとちょっときついかな・・・という会社もあれば、日本オラクルのように時価総額は申し分ないが会社の位置づけ上、流通株式比率を増やすわけにはいかない、という会社や、基準はクリアできてもあえて「プライム」に移行する意義を見出さなかったのだろうな、と思えるような会社もある。

「今、東証一部にいる会社なら、計画書さえ整えれば、余裕でプライムに移行できる」というムードも漂う中、相当数の株主も抱える会社が、あえてスタンダード市場を選ぶのはそれはそれで勇気のいる話だと個人的には思うのだが、そこからうかがえるそれぞれの会社の”思想”に思いを馳せることで、「会社は何のため、誰のために存在しているのか?」という永遠に答えが出なさそうな大命題の解にも多少は近付くことができるかもしれない。

で、そんな中、昨日11日に、興味深いリリースを出して注目されたのが、↓の会社である。

www.nikkei.com

何が凄いのかと言えば、

「当社は、2021年7月9日付で株式会社東京証券取引所より、「新市場区分における上場維持基準への適合状況に関する一次判定結果について」を受領し、新市場区分における「プライム市場」並びに「スタンダード市場」の上場維持基準に適合していることを確認いたしました。 この結果を踏まえ、当社グループの持続的な成長と中長期的な企業価値向上の観点から新市場区分の移行先を検討した結果「スタンダード市場」を選択する旨の決議をいたしました。」(強調筆者、以下同じ。)

と、最終的に目的地とした「スタンダード」だけでなく、「プライム」の基準適合まで確認した上で「スタンダード」に行く、と宣言したことで、これは先日のジュリストの論稿にも書かれていた「あえてスタンダード市場を選択した方が、企業価値向上にはむしろプラスになる会社もある、と理論的にはいうことができる」という理論をまさに地で行くようなもの。

時価総額は現時点で700億円を超える規模ではあるものの、株主構成をみると創業者一族の保有比率が相当高かったり、主力事業(スポーツクラブ、ホテル等)が新型コロナの影響を受けていたり、と、そういった様々な事情を踏まえての判断だと思われるが、先ほどのリリースを改めて見返すと、昔時々いた「名門○○大に受かったけど、将来のことを考えると○○の方がよいので、私はあえて行きません」的な雰囲気すら感じられて、なかなか粋だな、と思った次第である。

ちなみに、先ほどのリリースには、以下のような「なお」書きも付されている。

「なお、2022年4月4日に移行が予定されている株式会社名古屋証券取引所の新市場区分における当社株式の上場市場については、自動的に「プレミア市場」へ移行する予定です。」

この会社の本社所在地は安城市三河安城

思えば先月にも、名古屋市中村区に本社を置く東証名証1部上場のソフトウェア会社が、「スタンダード市場」を選択した上で「名証では『プレミア』です。」とさりげなくアピールしているのを見て*4、愛知県出身の友人が、「こっちの人間はとーだいよりみゃーだい」と言ってたことを思い出したりもしたのだが、それを再び目にすることになるとは・・・。

証券取引市場の東証一極集中が進み、市場区分の変更一つで振り回される多くの関係者を嘲笑うかのように、「地元じゃプレミア」に誇りを持つ会社が出てくるのは決して悪いことではないと思う*5

そして、全く同じタイミングで市場区分の変更がなされる、という状況の下で見比べた時に、東証が行ったネーミングよりも、名証のそれの方が、より新市場区分のコンセプトを明確に示しているといえるのではないかな*6、ということも、ここに書き残しておくことにしたい。

www.nikkei.com

*1:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*2:「一次判定では一部項目が不適合だったけど我々はあきらめません!今後12月末に向けて「上場維持基準の適合に向けた計画書」を準備します」とする会社がほとんどだが、中には早々と「計画書」を公表している会社もある。

*3:同社のリリースはhttps://www.jafec.co.jp/info20210903a.pdfである。

*4:リリースはhttps://ssl4.eir-parts.net/doc/4430/tdnet/2024084/00.pdf参照。

*5:「世界で戦える市場を!」ということで東京と大阪をくっ付けて市場を巨大化させたことを無闇に批判するつもりはないが、内に目を向ければ、国内での”市場”間競争ももう少し活発化した方がよいのではないか、と思うことは多い(懐かしい資料だがhttps://www.jftc.go.jp/dk/kiketsu/toukeishiryo/mondai/h24jirei10_files/h24jirei10.pdfも参照)。この先も、「うちは東証プライムはもういいです、アンビシャスでやりますんで」とか、「グロース市場よりQ-boardで」みたいな会社がもっと出てくると面白くなるのであるが・・・。

*6:特に真ん中のクラスを「メイン」としたあたりは、秀逸だな、と。

鮮やかだった意地の一差し。

今でも競馬界の人々にとっては国内での最大の目標であり、それに勝つことが最大の栄誉とされるのが日本ダービー東京優駿)。

当然ながら、それに勝った馬の「箔」も他のGⅠタイトルホルダーとは桁違いで、同世代でたった一頭しかいない「ダービー馬」の称号を手に入れた馬は、それに手が届かなかった同期たちが馬齢を積み重ねても必死でタイトル争いをするのを横目に、早々に種牡馬になってスタッドイン、なんて光景も一昔前は随分良く見かけたものだった。

だが競馬の国際化の影響もあってか、近年、その様相はだいぶ変わってきている。

冷静に考えれば、競う相手は同世代の馬だけ、しかもある程度早い段階で戦績を残した馬しか舞台に立てないダービーより、同期のライバルが一通り出揃い、世代を超えて戦う古馬混合GⅠの方がレースとしてのレベルが高いのは当たり前の話だし、さらに海外の大レースで結果を残す方がレーティングもより高くなる。

かつてのように、国内のストーリ―だけで日本競馬が完結していた時代なら、「ダービー馬」のブランドだけで種牡馬として十分ステータスを維持できたのだが、内国産馬の血統のレベルが上がり、海外の血との比較でも語られるようになっている今となっては、そのブランドだけでは「第二の人生」に入ることもままならないのか、長々と現役を続行する馬も増えてきた。

ディープインパクトオルフェーヴルのように、ダービー後も走るたびにタイトルを積み重ねて行けるような馬ならまだ良いが、そうでないと自ずから悲壮感が漂ってくる。

2009年にダービーを制して以降、勝ち星に恵まれないまま故障を繰り返し、結局7歳まで現役を続けることになったロジユニヴァース
2014年にダービーを制して以降、6歳のシーズンまで大きな故障もなく堅実に走り続けたものの、実に20を超える負けを積み重ね、オッズ欄に大きな数字をみることも度々だったワンアンドオンリー

いずれも最終的には引退して種牡馬になったものの、「まだ現役なのか、気の毒だなぁ・・・」という印象は最後まで消えなかった。

そして、この週末日曜日のメインレースまで、そんな「気の毒なダービー馬」の系譜を継承していたのが、2016年のダービー馬、マカヒキである。

デビュー以来、弥生賞まで3連勝。皐月賞こそディーマジェスティの後塵を拝したものの、ダービーでは鋭い脚でサトノダイヤモンドにハナ差競り勝ち、ディーマジェスティ騎乗の蛯名正義騎手の悲願も打ち砕いて堂々の優勝。川田騎手に初めてのダービータイトルをプレゼントした。

ディーププリランテ、キズナに続く3頭目ディープインパクト産駒のダービー馬として前途洋々、更に陣営はキズナに続いて「ダービーから凱旋門賞へ」という選択に踏み切り、前哨戦の二エル賞でも堂々勝利を飾って、本番現地単勝2番人気に支持されたところまでは順調そのものだった。

だが、肝心の本番、14着と大敗を喫したところから雲行きが怪しくなる。

長い休養を挟んで出走した年明けの京都記念は、単勝1.7倍の圧倒的支持にもかかわらず3着敗退。
続く大阪杯キタサンブラックと人気を二分したが、追い込み不発で馬券にも絡めない4着に。

そこからはもう悩める日々の繰り返し・・・という感じで、時々「おっ」と思わせる走りは見せるものの勝つまでには至らず、歳を重ねるたびに人気も失われ、7歳で迎えた昨年のジャパンカップなどは(2年連続人気薄で4位、という「得意」のレースにもかかわらず)「3強」対決の前に存在すら忘れられて、単勝オッズ226.1倍、という悲しい立ち位置に置かれることになった。

そうこうしているうちに、同期のディーマジェスティは早々に種牡馬入り、同じく同期のサトノダイヤモンド菊花賞有馬記念というタイトルを増やして5歳の暮れに引退、種牡馬入り、という道を辿っていく*1

マカヒキとて実質的なオーナーは生産界に強いパイプを持つ金子真人氏だから、その気になれば早々に現役を切り上げて種牡馬になることはできただろうが、運の悪いことに先に名前を挙げた同期のライバルたちもいずれもディープインパクト産駒、さらに自分が勝った後にディープインパクト産駒が立て続けに4頭もダービーを勝ってしまう、という「ディープ血脈飽和状態」の中で、競走馬としてだけでなく種牡馬としての立ち位置も年々厳しくなり、進むも地獄、退くも地獄的な状況の中で、なくなく(ダービー馬としては異例の)8歳のシーズンに突入せざるを得なくなった・・・というのが多くのファンの見方だった。

それがまさか、ダービーから5年半近く経ったこの秋に、あんなに美しい光景を目撃することになるとは・・・。

*1:同じく同期で2歳GⅠタイトルを持つリオンディーズなどは、もう2世代目の産駒まで走り始めている。

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その責任は「取締役」が負うべきなのか?

大阪地裁が、会社法429条1項に基づき特許権侵害に基づく損害賠償責任を侵害会社の取締役に負わせた判決(大阪地判令和3年9月29日)が先日公表された。

後述のとおり、会社に対して損害賠償請求を命じただけでは被侵害者の実効的な救済が図れないと思われるような特殊な場合に、侵害会社の取締役に賠償責任を負わせる、という事例が過去にも存在しており、今回の判断自体が真新しいわけではない。

にもかかわらず、最近、コーポレートガバナンス・コード絡みで「知的財産投資にも取締役会の実効的な監督を」みたいな話が出てきて、ごく一部で盛り上がっていることもあり、この判決をそれとこじつけて論じようとする動きも散見されるので、それは違うよ、ということを言いたかったのが一つ。そして、もう一つ、今回の大阪地裁判決が示した丁寧すぎる規範(とそのあてはめ)が一人歩きして、今後世の中に好ましくない効果を生まないように、ということで、以下概要をご紹介しておくこととしたい。

大阪地判令和3年9月28日(令和元年(ワ)第5444号)*1

原告:株式会社メディオン・リサーチ・ラボラトリーズ
被告:P1、P2、P3、P4

この事件そのものには「令和元年」の事件番号が付されているが、原告の請求根拠となっている「二酸化炭素含有粘性組成物」に関する2件の特許(特許第4659980号、特許第4912492号)に関する紛争の歴史はかなり長い。

本判決でも前提事実として書かれている(8~9頁)が、

平成27年5月1日
原告がネオケミア及びクリアノワール(以下「訴外2社」)を含む総計11社を被告として,各社の製品の製造販売が本件各特許権の侵害行為に当たるとして,特許権侵害の不法行為に基づき損害賠償等を求める訴え(大阪地方裁判所平成27年(ワ)第4292号。以下「別件訴訟」)を提起
平成30年6月28日
大阪地裁が,ネオケミアに対し,金1億1107万7895円(+遅延損害金)、クリアノワールに対し,金1223万6265円(∔遅延損害金)の支払いを命じる判決(以下「別件判決」)を言い渡す*2
令和元年6月7日
知財高裁が、別件訴訟被告側の控訴を棄却し、別件判決が確定した*3

というのが本筋の特許権侵害訴訟の推移となっている。

そして、別件訴訟で原告は1億円を超える巨額の損害賠償請求を認容されたにもかかわらず、実際に回収できた額として認定されているのは、

平成30年8月15日
被告製品8の製造販売に係る損害賠償金のうち500万円について,ネオケミアの売買代金債権の差押命令及び転付命令を受けた。
原告は,別件判決後,被告製品8の製造販売に係る損害賠償金についてした債権仮差押えに対してネオケミアが供託した供託金200万円及び被告製品14の製造
販売に係る損害賠償金についてした債権仮差押えに対してクリアノワールが供託した供託金150万円を差押え,回収した。

と僅か350万円にとどまり、さらに、令和2年12月7日、ネオケミアが破産手続開始決定を受けたことが、原告が会社法429条1項に基づき、ネオケミアの代表取締役であったP1と取締役であったP2、クリアノワール代表取締役であったP3と取締役であったP4に「会社から回収できなかった損害賠償額」の支払いを求めて本件訴訟を提起した、という展開につながっている。

通常は、特許権侵害の成否をめぐってどんなに激しく争ったとしても、敗訴判決が出ればほとんどの会社は渋々賠償金を払うし、逆に元々資力など全く期待できそうもない海賊版事業者のような相手の場合は権利者が勝訴判決だけ取った上であとは刑事手続きに委ねる、ということもできるから、わざわざ会社の取締役まで相手取って訴えを起こす必要はないのだが、本件では別件判決で認容された損害賠償額があきらめるには多額すぎたことに加え、ネオケミアの代表取締役だった被告P1は原告の元代表取締役、かつ、原告特許の共同発明者の一人であった、という事情があり*4、クリアノワールについても別件訴訟で認容された賠償金を支払わないまま別会社を設立して営業している、ということが、原告に「更なる一手」に踏み切らせたものと推察される。

実際、冒頭でも触れたように、この10年くらいの間だけ見ても、新旧複数の同族会社で侵害行為を行っていたと認定されたケース(知財高判平成28年10月5日)*5や、被告代表者が原告特許の発明者であったようなケース(東京地判平成26年12月18日)*6で、会社法429条1項に基づく取締役の責任を認めた事例はあり、本件も、別件訴訟からの諸々の事情を踏まえれば、ネオケミアの代表取締役だったP1と、クリアノワール代表取締役だったP3に関しては、立場上、会社とともに取締役としての責任を追及されても不思議ではない立場にあったといえるだろう。

踏み込み過ぎた規範と、実務者が頭を抱えそうなあてはめ。

さて、ここまでは良いとして、問題は原告の請求をほぼ全面的に認める形になった本件判決の結論が妥当かどうか、という点は別途検討する必要がある。

被告が本件判決で展開した反論のうち、「本件各発明の技術的範囲への属否」や「原告特許の進歩性欠如」といった点については、既に別件訴訟で一度結論が出ている論点ということもあって、さすがにここでひっくり返すのは厳しかったと思われるのだが、ここで

(役員等の第三者に対する損害賠償責任)
第429条 役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。

という会社法429条1項の適用を認めるかどうか、という点については、本件の経緯に照らせば、被告側の反論にも十分説得力はあった。

まず、429条1項の適用に関する原則(悪意重過失の有無の判断基準)については以下のとおり。

会社法429条1項に基づく損害賠償請求には,取締役としての職務遂行について重過失があったことが求められている以上,対象商品が特許発明の技術的範囲に属しないか,又は特許に無効理由があると信じたことについての相当な理由は,会社による特許権侵害の場合の過失の有無を検討する際よりも,より広く認められるべきものである。」
「直接損害事例における役員の会社に対する任務懈怠行為は,実質的には第三者に対する不法行為と異なるところはなく,取締役に課せられている義務は同一のものであり,取締役の責任を広く認めることには,経営判断を委縮させる問題を生じさせる弊害があるから,取締役の対会社責任の場面と同様に経営判断原則が考慮されるべきであり,少なくとも直接損害事例においては,会社法429条1項は民法709条から軽過失を排除し,取締役の第三者責任の範囲を限定する趣旨の規定であると解すべきである。」
特許権侵害の成否については,弁護士及び弁理士といった専門家の間でも結論が分かれることが珍しくなく,ある製品の製造・販売が他人の特許権を侵害するか否かにつき正確な判断を下すことは,非専門家からすれば極めて困難であるから,特許侵害の有無について取締役として求められる調査義務を尽くし,妥当な根拠に基づいた合理的な判断をしていた場合には,「相当な理由」があったものと認められるべきである。すなわち,取締役が,特許権侵害である旨の警告書を受領した上で,被疑侵害物件の製造販売を継続した場合であっても,同警告書の受領後,専門家に相談する等の方法により,取締役において当該特許権侵害の成否を積極的に確認していた場合には,当該製造販売行為は任務懈怠に当たらないと考えるべきである。」(被告主張、22~23頁、強調筆者、以下同じ。)

そして具体的な事情として、被告側は、被告P1の認識や原告から警告を受けた際の対応について、以下のような事実も主張している。

1)ネオケミアで製品を製造販売するために特許権を取得するにあたり、被告P1が兵庫県の工業試験センターの相談会に赴いたところ、特許庁審判官の弁理士から「非侵害であり問題なく事業にて実施できる」旨を伝えられた*7
2)平成14年、最初に警告文を受領した際、被告P1がH弁護士*8に相談したところ、同弁護士より「原告の特許権は冒認出願によるものであり、無効である」との説明を受け、その旨、原告に回答した。
(その後、平成24年までの9年間、特許権侵害等の通知はなかった)
3)平成23年、再度、原告から警告文を受領した際に、被告P1が北浜法律事務所のN弁護士とO弁護士に相談したところ、特許権紛争に精通しているO弁護士から、「原告の特許発明はその作用効果を奏さないものであり進歩性を欠く」との説明を受けた
(その後、O弁護士は原告との交渉も行っている。)
4)平成27年1月~2月に原告がネオケミアの取引先に最終警告文を送付した頃、被告P1は、青山特許事務所にネオケミアの製品が原告の特許権を侵害していないかを確認し、非侵害である旨の内容の鑑定書を取得した

要するに、何度も弁護士に相談して自己に有利な判断を示してもらい、更に弁理士から「鑑定書」まで取った上での紛争だった、というのが、本件の背景にある事情であり、これだけ見れば、一般的な会社が日頃第三者から警告文書を受けたときに行っている対応と何ら変わるところはない。

取締役の責任が「結果責任」ではない、というのは当然のことで、ましてや第三者の判断に委ねなければならない訴訟での勝った、負けた(当然ながら、正しく行動した者が常に勝つとも限らない)の結果が全て取締役に降りかかってくるとしたら、誰も成り手はいなくなる。だからこそ、法務、知財部門を備えている会社であればもちろん、そうでない会社に対しても「事前の専門家への相談」と「万が一の場合のエビデンスの取得」が推奨されるのであり、それを自分自身で全て行った被告P1は、教科書的に言えば、「取締役としての任務を尽くした」と評価されて然るべきなはずである。

だが、それにもかかわらず、裁判所は、以下のように述べて、被告P1に「故意又は重過失」あり、とした。

「法人の代表者等が,法人の業務として第三者特許権を侵害する行為を行った場合,第三者の排他的権利を侵害する不法行為を行ったものとして,法人は第三者に対し損害賠償債務を負担すると共に,当該行為者が罰せられるほか,法人自身も刑罰の対象となる(特許法196条,196条の2,201条)。 したがって,会社の取締役は,その善管注意義務の内容として,会社が第三者特許権侵害となる行為に及ぶことを主導してはならず,また他の取締役の業務執行を監視して,会社がそのような行為に及ぶことのないよう注意すべき義務を負うということができる。」
「他方,特許権者と被疑侵害者との間で特許権侵害の成否や特許の有効無効について厳しく意見が対立し,双方が一定の論拠をもって自説を主張する場合には,特許庁あるいは裁判所の手続を経て,侵害の成否又は特許の有効性についての公権的判断が確定するまでに,一定の時間を要することがある。このような場合に,特許権者が被疑侵害者に特許権侵害を通告したからといって,被疑侵害者の立場で,いかなる場合であっても,その一事をもって当然に実施行為を停止すべきであるということはできないし,逆に,被疑侵害者の側に,非侵害又は特許の無効を主張する一定の論拠があるからといって,実施行為を継続することが当然に許容されることにもならない。」
「自社の行為が第三者特許権侵害となる可能性のあることを指摘された取締役としては,侵害の成否又は権利の有効性についての自社の論拠及び相手方の論拠を慎重に検討した上で,前述のとおり,侵害の成否または権利の有効性については,公権的判断が確定するまではいずれとも決しない場合があること,その判断が自社に有利に確定するとは限らないこと,正常な経済活動を理由なく停止すべきではないが,第三者の権利を侵害して損害賠償債務を負担する事態は可及的に回避すべきであり,仮に侵害となる場合であっても,負担する損害賠償債務は可及的に抑制すべきこと等を総合的に考慮しつつ,当該事案において最も適切な経営判断を行うべきこととなり,それが取締役としての善管注意義務の内容をなすと考えられる。」
「具体的には,①非侵害又は無効の判断が得られる蓋然性を考慮して,実施行為を停止し,あるいは製品の構造,構成等を変更する,②相手方との間で,非侵害又は無効についての自社の主張を反映した料率を定め,使用料を支払って実施行為を継続する,③暫定的合意により実施行為を停止し,非侵害又は無効の判断が確定すれば,その間の補償が得られるようにする,④実施行為を継続しつつ,損害賠償相当額を利益より留保するなどして,侵害かつ有効の判断が確定した場合には直ちに補償を行い,自社が損害賠償債務を実質的には負担しないようにするなど,いくつかの方法が考えられるのであって,それぞれの事案の特質に応じ,取締役の行った経営判断が適切であったかを検討すべきことになる。」
(以上、42~43頁)

「(ア) 兵庫県工業試験センターの相談会で被告P1が弁理士に相談した内容は,前記認定のとおり,先行して出願された本件特許権1に抵触することなくネオケミ
25 ア特許が登録されるか否かであったから,弁理士が抵触しない旨を回答したとしても,当時企画中であった各被告製品が,原告の特許権を侵害するものではないとの意味を有するものではない。」
「(イ) H弁護士から冒認出願による無効の可能性がある旨聞いたことがあったとしても,平成23年に原告から警告を受けた後に相談した岡田弁護士からその主張は困難であると言われ,前記認定のとおり,N弁護士及びO弁護士から,共同出願違反についても断念するよう言われたのであるから,仮に被告P1において本件各特許がなお無効であると判断したとすれば,専門家の意見を無視した不合理な判断といえる。」
「(ウ) 本件特許権1の登録は平成23年,本件特許権2の登録は平成24年であるから,平成14年から平成23年までの間,原告が警告をしなかったとしても,今後原告からの権利行使がないと考えるべき合理的な理由はない。」
「(エ) 被告P1は,岡田弁護士から進歩性欠如の話を聞いたとするが,当時の原告との交渉においてそのような主張はされておらず,中森弁護士の回答書(乙101)においてもどのような無効主張を検討していたのか不明であり,当時の主たる主張は構成要件の非充足の主張であったから,被告P1が岡田弁護士と進歩性欠如の無効理由について十分な検討をしていたとは認められない。」
「(オ) 青山特許事務所の鑑定書は,平成27年に原告とネオケミアとの間の交渉が決裂し,原告からの訴訟提起が予想される中で取得されたものであり,取引先に
対して不安を静めるために保証書を差し入れたのと同じ目的のものと考えられ,これによって,被告P1が各被告製品の販売継続の可否を判断したものとは考えられない。被告P1は,別件訴訟での裁判所の心証開示後にも取引先に保証書を差し入れているのであり(乙96の3,4),被告P1の取引先に対する説明が,その判断の合理性を裏付けるものとはいえない。」
「(カ) 別件訴訟において中森弁護士及び岡田弁護士が非侵害の主張に自信を持ち,勝訴の見込みがあると考えていたとしても,その具体的な根拠は明らかではない。また,登録された特許権であっても,先願の特許発明を利用するものであるときは,特許権者は業としてその特許発明を利用することができず(特許法72条),先願の特許権者に対し実施の許諾を求めなければならないところ(同法92条),前記認定のとおり,被告P1は,ネオケミア特許が登録された以上,その実施品については本件各特許権の侵害にはならないものとして,各被告製品の製造販売を継続し,取引先にその旨説明していたところ,別件訴訟の提起後,ネオケミアの特許は先願の原告の特許を利用する関係にあることを知ったというのであるから,特許権に関する基本的な事項について誤解したまま,各被告製品につき特許権侵害は成立しないと考えてその製造販売を継続し,取引先に説明していたものである。」
「前記アで認定した事実,及び前記イで被告P1の主張について判断したところを総合すると,被告P1が,各被告製品の製造販売が本件各特許権の侵害にならない,あるいは本件各特許は無効であると主張した点について十分な論拠があったということはできずむしろ特許制度の基本的な内容に対する無理解の故に,ネオケミア特許の実施品であれば本件各特許権の侵害にはならないと誤解して各被告製品の製造販売を続け,取引先にもそのように説明したものである。前述のとおり,特許権侵害の成否,権利の有効無効については,公権力のある判断が確定するまでは軽々に決し得ない場合があり,自社に不利な判断が確定する場合もあるのであるから,取締役にはそれを前提とした経営判断をすべきことが求められ,前記(1)の①ないし④で述べたような方法をとることで,特許権侵害に及び,自社に損害賠償債務を負担させることを可及的に回避することは可能であるにも関わらず,被告P1はそのいずれの方法をとることもせず,各被告製品の製造販売を継続している。さらに,別件判決(甲5)によれば,ネオケミアは各被告製品の販売により相応の利益を得ていたのであるから,特許権侵害となった場合の賠償相当額を留保するなどして,別件判決確定後に損害を遅滞なく填補すれば,ネオケミアに損害賠償債務を確定的に負担させないようにすることも可能であったのに,被告P1は任意での賠償を行わず,ネオケミアを債務超過の状態としたまま,破産手続開始の申立てを行ったものである。」
「以上を総合すると,被告P1が,本件各特許が登録されたことを知りながら,特段の方法をとることなく各被告製品の製造販売を継続したことは,ネオケミアの取締役としての善管注意義務に違反するものであり,被告P1は,その前提となる事情をすべて認識しながら,ネオケミアの業務としてこれを行ったのであるから,その善管注意義務違反は,悪意によるものと評価するのが相当である。」(47~50頁)

確かに被告P1に特許権に関する正確な知識がどこまであったか、と言えば疑わしいところはあって、特に、判決でも認定されている「自分の発明が特許登録されれば、原告の特許権侵害になることはない」と誤解していたように思われるエピソードなどに接すると、「善管注意義務違反・・・」という言葉が頭をよぎるのは確かである。

だが、法は、一介の経営者に特許法の知識にまで精通することを求めているわけではないし、だからこそP1自身も、自らの知識の不足を補うために弁護士等に相談に行き、特許事務所から鑑定書を受領している。

しかし、裁判所はそういった事実一つ一つは認めた上で、それでもなお、「悪意による善管注意義務違反」と認定した。

それに先立って引用したとおり、裁判所は特許権侵害紛争の場面において取締役が行うべき適切な経営判断、というのはどういうものか」ということを例示も上げつつ長々と説明しており、本件の事案のあてはめによれば、被告P1の対応が「適切」なものだったとは言えない、というのがこの結論につながっているのだが、いかに「公権的判断が確定するまではいずれとも決しない」という建前があるとはいえ、本件は、誇り高き開発者兼経営者が、関西では知らぬもののない大手法律事務所をバックに付けて自らの正当性を主張し続けてきた事件である。

そして、ネオケミアの製品が既に広く流通しているものだったことを踏まえるなら、建前通りに「実施行為の停止」といった対応をすることが困難であったことは火を見るより明らかだし*9、交渉が決裂してしまえば、実施料を払って・・・という話にはなり得ないことも言うまでもないこと。

もしかすると、裁判所は規範中で挙げた①~③の例示は本件ではどうでもよいと思っていて、最後の④をきちんとやっていなかった(敗訴した時点で賠償原資がなく会社を破産手続きに持ち込まざるを得なかった)ことに怒り心頭→取締役としての被告P1に責任を負わせる、という思考回路で判決を書いたのかもしれないが*10、だとしたら余計な規範を立てる必要はなかったし、「万が一の場合の賠償原資を確保しておかなかったこと」にフォーカスして判決を書けばよかった。

でも、実際にはそうではなく、余計な規範と本筋ではないポイントに関するあてはめで、前提事実に疑義のある評価を加えたことで、本件判決が一人歩きすることにならないか、それだけが心配である。

なお、被告P1以外の被告に対しては、被告P3について、

「クリアノワール代表取締役として,被告P3には,特許権侵害の成否や権利の有効性についての公権的判断が,自己に有利にも不利にも確定する可能性があることを前提に,そのいずれの場合であっても第三者の権利を侵害し損害を生じさせることを可及的に回避しつつ,自社の利益を図るような経営判断をすべき注意義務があったということができる。」
「この点について被告P3は,特許権侵害の警告を受けた後も,主として被告製品14の製造元であるネオケミア側からの説明に依拠し,前記(1)の①ないし④で検討したような方法をとることもなく,裁判所からの心証開示があるまでの間,被告製品の14の販売をして特許権侵害の不法行為を継続し,原告に損害を生じさせたのであるから,取締役としての善管注意義務に違反したというべきであり,少なくとも重過失によると認めるのが相当である。」(53~54頁)

と、被告P1と同様の理由づけで「重過失」による善管注意義務違反を認めており、ここまでは、事案の経緯を踏まえればやむを得ないところもある、と言えるのかもしれない*11

ただ、ネオケミアに関して被告P2、クリアノワールに関して被告P4、と、名目的な立場に過ぎなかった取締役についてまで、連帯して損害賠償責任を負わせた、という点については、会社法429条1項の適用を認めたことの副作用が間違いなく出ているように思う*12

本件の特殊性に鑑みるなら、原告の主位的請求を退けた上で予備的請求である民法709条に基づく請求を取り上げ、会社との関係で被告P1と被告P3にそれぞれ共同不法行為が成立するか、という切り口で議論する方が現実に即した結論を導けると思われるし、だからこそ、今回の大阪地裁の判決には大いに疑問を感じる。

おそらく高裁に行けば、適切な方向に判決が修正されるだろうし、そうなることを期待してはいるのだけど、それまで、今回の判決の結果だけが一人歩きしないように、ここで書き残させていただいた次第である。

*1:第21部・谷有恒裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/602/090602_hanrei.pdf

*2:判決文はhttps://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/963/087963_hanrei.pdf

*3:判決文はhttps://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/717/088717_hanrei.pdf この判決では損害額の算定に関し、特許法102条2項の推定覆滅事由についての考え方や同102条3項の「受けるべき金銭の額に相当する額」の考え方について興味深い判断も示されているが、その解説はここでは割愛する。

*4:この手の”元身内”との知財をめぐる争いは概して激烈なものになりやすい。

*5:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/177/086177_hanrei.pdf

*6:https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/715/084715_hanrei.pdf

*7:被告P1はその後自らの製品に係る特許も取得している。

*8:裁判所のウェブサイトに掲載されているPDFでは、特に仮名化されることもなく実名が記載されているのだが、将来的に仮名化される可能性も考慮して、本記事上ではイニシャル化する。以下同じ。

*9:そもそも「訴訟で負ける可能性がある」というだけで実施行為を停止する、ということが求められるのだとすれば、まさに「警告し得」の世界になってしまうのであり、①のような対応を一般的なプラクティスとして挙げること自体が個人的にはどうかと思う。もちろん、侵害の可能性が濃厚、ということになれば話が別だが、そもそもそのような場合であれば、実施行為を停止したり構成を変更した時点で紛争としては実質的に終わっている(一応、過去分の損害賠償請求の話等もあるので、表面的には争いつつ、ヌルっとその商品なりサービスを市場から撤去して終わらせてしまう、ということは、自分自身も経験がないことではないが、少なくとも本件訴訟に当てはまる話では全くないと思う)。

*10:そしてそういう発想自体は自分も理解できなくはないのだが・・・。

*11:被告P3は被告P1とは異なり、自ら弁護士に相談する等の対応もしていないようだから、その点においては被告P1以上に「やるべきことをやっていない」と批判される余地もどうしても出てくる。

*12:業務執行を担当しない取締役が、特許権侵害紛争トラブルのような些末な話に関してどこまで監視する義務を負うか、という点は問題になりうるのだが、会社法429条1項の適用を認めるという前提に立つならば、少なくとも裁判紛争になって以降の対応については、代表取締役と連帯して責任を負え、ということになりそうである。

W杯予選はこうでなくちゃ。

地上波での中継がなくなった今回のW杯アジア最終予選

第3節となったサウジアラビア戦も、日本時間で午前2時だったキックオフの時点ではまだ起きていたのだが、出だしの日本代表のスタッツが芳しくなかったこともあり早々に寝た。そして起きてみたら、案の定負けていた。

試合後のスタッツだけ見たら、完全アウェーの状況で戦ったにしてはまぁまぁ互角だったんだな・・・と思う一方で、テキスト速報からは悲壮感が漂ってくるし、それでいて選手交代のタイミングも、交代のパターンも今ひとつに見える。そして何より、点の取られ方が良くなかった・・・。

いつもならじっくりとチームを練り上げていく期間が新型コロナ禍で失われ、戦力を底上げするはずのU-23世代との融合も東京五輪が一年遅れたことで十分に図れているとはいえない。地元の五輪を必死で勝ちに行き一定の成果を上げた代償として、元々A代表でも活躍していたU-23世代や、オーバーエイジ枠で起用した3選手のコンディションが決してベストではない、ということも、ここ数試合の結果には確実に影響しているような気がする。

最初の3試合で「勝ち点3」しか取れない、という惨状に、これまで「そうはいってもアジア予選なら何とかなるだろう」と、良くも悪くも関心薄めだったメディアの論調は一気に厳しくなり、試合のたびに「W杯絶望」とか「監督解任」といったトーンの記事も出てくるようになってきた。

個人的には、今の森保監督は、クラブチームの日本人監督の中では間違いなく歴代最高レベルの指導者だと思っているが、代表選手たちの活躍のフィールドが世界中に広がっている今の時代の代表監督に求められるものは、クラブでのそれとはかなり違っている。そして何よりも、今は一試合一試合の結果が全て。

五輪でも選手起用や采配でしばしば注文が付いた監督にこのまま託して大丈夫か?という疑問は、当然出てきても不思議ではない。

ということで、ここしばらくのW杯最終予選ではなかったようなスリリングな事態になっているのだが・・・

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「経済安全保障」がバズワードになる前に。

長い長い「安倍・菅時代」が終わり、様々な動きが取りざたされた一週間だったが、組閣の過程等でもキーワードとしてチラホラ出ていたのが、

「経済安全保障」

という言葉である。

これまでも、特定の政策に関して断片的に耳にする機会はあったフレーズだが、その政策自体は正直首を傾げたくなるような代物だったので、これまで、この言葉自体にはあまり良い印象は持っていなかった。

だが、総理も変わり、甘利新幹事長肝入りの政策としてこれから大々的に展開されていくとなれば、完全にスルーするわけにもいかんだろう、ということで、自民党内でこれまでにまとめられたペーパーにざっと目を通して見た。

■提言「経済安全保障戦略」の策定に向けて(令和2年12月16日)
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/201021_1.pdf

■新国際秩序創造戦略本部 中間とりまとめ(令和3年5月27日)
https://jimin.jp-east-2.storage.api.nifcloud.com/pdf/news/policy/201648_1.pdf

「新国際秩序創造戦略本部」という時代がかった名称はいかにもかの党らしい、と言えばそれまでだし、大きく振りかぶり過ぎて少々筆が滑り過ぎているように見えるところもいつもながらだな*1、と思うところもあるが、そういった点を脇に置けば、大枠の問題意識としてはまぁ理解できるな、というのが読後の感想である。

令和3年中間とりまとめの冒頭に書かれている、

「近年、経済活動が国境を越えて活発化する中で、わが国も政府を挙げてグローバル化を推進してきた。しかし、特定国の急速な台頭や国際経済構造の急激な変化に国家として機敏に対応できず、その結果として、国家の生存と繁栄の基盤を他国に過度に依存するリスクや、他国主導の国際的なルール形成に起因する国益毀損のリスクに正面から向き合わざるを得ない状況に追い込まれつつある。」(中間とりまとめ・4頁、強調筆者、以下同じ。)

という一節は、文書の性質上、「国家」を対象として書かれているものの、「国」を「企業」に置き換えれば、ほとんどのトラディッショナルな日本企業にも全く同じことがあてはまるはずだ

やれ成長だ、やれ海外進出だ、日本の素晴らしい技術とサービスを世界に、等々煽られて日本の外に出たものの、気が付けば、海外市場で通用するものはほとんどなく、むしろ自国が”戦略なき周回遅れ”に陥っていることに気付かされる、という苦い記憶はまだ自分にも生々しく残っているだけに、これまでのような能天気な”日本万歳”思想ではなく、今、この国とこの国のビジネス主体が直面している厳しい現実を直視して政策に落とし込もう、という姿勢自体は評価されるべきだと思う。

ここで、令和2年12月の提言の冒頭に書かれている、

「近年は、経済的手段をもって自国の意向を他国に押しつけたり、更には自国に有利な形で既存の国際秩序を作り替えようとする国も現れている。」(提言1頁)

「最近では国家の生存の基盤をなす分野が資源のみならず、特定の製造能力や技術、さらにはデジタルトランスフォーメーション(DX)が進む中でサイバー空間にまで広がっている。かかる状況において、国家の独立、生存及び繁栄を確保し、また、自由や民主主義、基本的人権の尊重といった普遍的価値やルールに基づく秩序を維持し、同盟国やこれらの規範を擁護しようとする同志国と連携していくためには、より高次の戦略的思想が必要とされる。」(提言1頁)

といった表現をみれば、これらの格調高い提言の背景で意識されているのが隣の国だということはかなりあからさまになっているから、「なんだ、米中間経済紛争の一方に追随しようとする発想か」と白ける人も多いのかもしれないが、冷静に考えれば、EUなどはまさしく長年「経済的手段をもって自国の意向を他国に押しつけたり、更には自国に有利な形で既存の国際秩序を作り替えようとする」発想で日本企業にも接してきているし、おそらく提言では「同盟国」という前提になっている米国ですら、やっていることは実のところ”仮想敵国”とほとんど変わらないのでは、と思わされることは多い。

そう考えると、

「国民生活や経済運営を守るためには、その基盤を改めて見直し、どこにネックがあるのかを冷徹に見極め、平時において代替性等を高める努力を尽くし、有事においてもこれを担保できるようにしておかなければならない。」(提言1頁)

という提言の基本姿勢には何ら異論はないし、令和2年提言で「重点的に取り組むべき課題と対策」として取り上げられている16項目のうち、

(1)資源・エネルギーの確保
(2)海洋開発
(3)食料安全保障の強化
(4)金融インフラの整備
(5)情報通信インフラの整備
(7)サイバーセキュリティの強化
(9)サプライチェーンの多元化・強靭化
(10)わが国の技術優越の確保・維持
(11)イノベーション力の向上
(16)経済インテリジェンス能力の強化

といった点に関しては、総論としては、まぁその通りだろうな、と思いながら読んだところでもある*2

もちろん、様々な立場の関係者が、様々な思惑を持って、自分たちの支持母体に都合の良いことを押し込もうとするのもこの種の提言の常だから、放っておくと関係ないトピックまでどんどん詰め込まれていくことになるし、専ら「戦略的自律性の確保」*3に焦点を当てた現在の「中間とりまとめ」ですら「新型コロナ感染症対策として運送事業者に対して資金繰り支援の取組み継続」のような話が混じってきてしまうのだから、これを「戦略的不可欠性の維持・強化・獲得」*4の話にまで広げてしまうと、ありとあらゆる業界団体の駆け込み寺になって収拾がつかなくなるような気がしなくもない。

さらに言えば、提言の背景として、

「変化に富み、先を見通すことが困難な世の中にあって、国民にとっての予見可能性を高め、更なる挑戦を後押しするためにも、国家としての方針と時間軸を示す必要がある」(令和2年提言・2頁)

という”あくまで介入ではなくバックアップのための施策”というスタンスが示されながらも、具体論(令和3年中間とりまとめ)の段階になってくると、政府、官庁にああせい、こうせい、と言う話だけではなく、事業者(民間企業)に対しても取り組みを求めるような話がチラホラ出てくる。

実際、かなり力を込めて書かれている「クラウドサービス」の話にしても、今後分析を進めるとされている「サプライチェーン」の話にしても、各企業の事業戦略と密接にかかわる話であることは間違いなく、「戦略基盤産業」と認定されてしまうことでいずれ何らかの形で”しわ寄せ”が来るのではないか、という危機感を既に抱いている事業者がいても不思議ではない。

ここ数年の間に、一時は国境など吹き飛ばす勢いでボーダーレス化が進んでいた各産業のサプライチェーンやICTプラットフォームを、自国の利益のために囲い込み、利用しようとしている動きも現に出てきていることを考えれば、ある程度「保守的」な方向の政策を打ち出さないといけない、ということは理解できるのだが、一方で、今の約200の主権国家で成り立つ世界の仕組みが未来永劫続く、と考えるのも一面的な見方に過ぎるわけで、「わが国」を主語とした施策がどれほどの意味を持つのか、ということについても、今後数年の間にまた大きく様相が変わる必要はある、ということは常に心に留めておく必要があるように思う*5

なお、各論についてはまだまだこれから、という状況ではあるのだが、こと法務的な観点でいえば、「令和3年中間とりまとめ」の中でかなり強調されている「データ利活用のルール整備」「技術情報の流出防止」にかかる法規制や運用ルールがどうなっていくか、という点が気になるところではある。

また、「特許の公開制度の在り方」に関しては、今の時点でもかなり詳しく取り上げられており、

「特許の公開制度について、各国の特許制度のあり方も念頭に置き、イノベーションの促進と両立させつつ、安全保障上の観点から、極めて限定された形で、上記の非公開化を行うための所要の措置を講ずるべく検討を進め、必要な法的整備を早急に行うべきである。その際、特許非公開化の審査の過程においては、特許庁のみならず、各関係府省庁がそれぞれ責任を分担しつつ連携する仕組みを構築すべきである。」(中間とりまとめ・21~22頁)

とまとめられているため、これはちょっと大変そうだな・・・という気配しかしないのだが、ここで念頭に置かれている「秘密特許制度」を導入することの問題点については、東大未来ビジョン研究センターの渡部俊也教授がコメントされているとおりであり、軽々に今の特許制度にこの思想をぶち込むことには慎重な検討がなされる必要があると思われる*6
www.sankeibiz.jp

ということで、選挙の争点にするにはやや難解で、一般メディアで取り上げて解説するにも馴染まなそうなこの「経済安全保障」というテーマが、今後どこまで盛り上がるのかは分からないが、

ロクロク議論されないまま施策だけが先走るのが一番怖い。

ということで、多少はバズワードになってくれることを願いつつ、丁寧な議論の下、的確に施策が進められることを期待して、ひとまずは筆をおくことにしたい。

*1:これはかつて日本版フェアユースが議論されていた頃の知的財産戦略調査会のペーパーなどを見ながら感じていたことでもある。

*2:令和3年中間まとめでは、「エネルギー」についてさらに踏み込み、2030年、2050年の電力需要量について「省エネ等に係る技術革新が十分には進まない悲観シナリオも念頭に、様々な前提を置いた複数シナリオに基づく見積もりを行うこと」ということも書かれており、EUに追従しすぎた環境政策に対する経産族系のさや当てだなぁ・・・と感じつつも、書かれていることはその通りだろう、と思うところはある。

*3:これらの提言では、「社会経済活動の維持に不可欠な基盤を強靭化することにより、いかなる状況の下でも他国に過度に依存することなく、国民生活の持続と正常な経済運営を実現すること」と定義されており、対象として意識されている業界(「戦略基盤産業」と定義されている)はエネルギー、情報通信、交通・海上物流、金融、医療で、それ自体には大きな異論はないところだと思われる。

*4:これらの提言では、「国際社会全体の産業構造の中で、わが国の存在が国際社会にとって不可欠であるような分野を戦略的に拡大していくことにより、わが国の長期的・持続的な繁栄及び国家の安全を確保すること」と定義されている。

*5:ついこの前まで世界中で一元的な繁栄を謳歌していたアップルやGoogleアイデンティティが「米国の企業」というものだったのか、ということは個人的には疑問に思っているし、いまや”官製”の色を強めつつある中国の企業ですら、一部のIT企業は国家の軛から飛び出そうとする動きを見せていた(だからこそ当局に全力で叩かれることになったわけだが・・・)。「経済安全保障」の名の下に産業支援策とセットで国内に囲い込んだ結果、次に潮目が変わった瞬間にはさらに絶望的な差を付けられていた、ということにならない保証はどこにもない。仮に今後2,3年、日本の産業政策がこの提言の影響を受け続けるとしても、未来ある企業の経営者には、長期的視点に立って、果敢に”面従腹背”する度量が求められるのではないかな、と思うところである。

*6:なお、渡部教授と一橋大学の吉岡(小林)徹講師によるワーキング・ペーパーでより丁寧な論証がなされているので、関心のある方にはご一読いただくことをお薦めしたい。ifi.u-tokyo.ac.jp

「最後の1本」にこの先への希望を見た。

開幕前からワクワクさせてくれる選手なのは、日本にいた時から何ら変わらない。
でも、今年の大谷翔平選手がこれまで以上に凄い、と感じたのはいつ頃からだっただろうか・・・?

開幕当初からド派手なアーチで沸かせ、勝ち星こそなかなか伸びないものの、投手としても開幕からローテーションを守る。

そして火が付いたのは6月の半ば。これまでの3シーズンのフラストレーションを晴らすかのように、連日のように本塁打を打ちまくり、気が付けば月間13本。

日本では「五輪やる、やらない」で殺伐としていた7月に入っても勢いは衰えず、オールスターでのホームランダービーを挟んで「37号」まで数字を伸ばし、投手としても自らのバットで援護してメジャーでの自己最多勝を更新。

「スポーツ」に関して堂々と語ることさえ肩身が狭かったこの島国で、唯一、誰もが明るい気持ちで眺めることができたのが、「今日も打った大谷。」「また勝った大谷。」のニュースだった。

オールスター前の本塁打数は歴代8位の33本。このペースなら50本、60本も・・・という欲深なファンの思いは膨らんだのだが、当然ながら世界最高峰のプロリーグはそうたやすく見せ場を作らせてはくれない。

登板日に自らホームランを打って白星で締めた8月半ばの出来事は、米野球史上も語り継がれるエピソードになるだろうが、そこで「40」の大台に乗せてからシーズン終幕の今日まで、実にもどかしい日々が続いた。

様々な「記録」を意識しすぎて調子を落としたところもあったのだろうが、それに加えての四球攻めは、いかに強打者とはいえ、早々にプレーオフ進出の可能性がなくなったチームの選手への対応としてはいかにも露骨で、積み重なった数字は96の四球にリーグ最多の20の敬遠。正面から勝負してもらえなければ、記録も伸びるはずがない。

最初のうちは、「あのいかついメジャーリーグの選手たちが、日本人バッターにおそれをなす時代が来るとは・・・」という感慨に浸ったりもしたのだが、途中からは、もしかするとこれって、かつて本邦で、バースやタフィ・ローズアレックス・カブレラといった球史に残る偉大なスラッガーたちが食らった「異邦人への仕打ち」なんじゃないかと不愉快になったりもした。

投げても9月頭に挙げた9勝目を最後に勝ち星に見放され、「あと1つ」の壁を超えられない日々が続く。

先月の初めに表紙を飾ったNumberで今シーズンの活躍を振り返りつつも、日に日に「記録」「大台」「タイトル」が厳しくなっていく状況を感じ、今月に入った頃には、「でもよくやったよ。お疲れー」と勝手に彼のシーズンを終わらせていた人も少なくなかったはずだ(かくいう筆者自身がそうだった)。

だからこそ、日本時間の今日、大谷選手が終戦で打った1本のホームランには大きな意味がある、と自分は思う。

46本塁打という記録を残し、打点を「100」の大台に乗せた、ということもさることながら、誰もが己を「トップスター」と認める環境の中、内、外のありとあらゆる”包囲網”に一矢を報いた、という点において・・・。

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それでもなお、挑み続けることには価値がある。

とうとう今年、第100回という偉大な節目を迎えた凱旋門賞

既に観客も戻ったパリ・ロンシャン、馬場はいつものような重馬場なれど、日本からの遠征馬も2年ぶりに復活して*1、注目も再び集まった。

もう何年も期待を裏切られ続けていることもあってか、始まる前のラジオNIKKEIの解説を聞いていても日本馬推しの声は少なく、どちらかと言えば、日本生まれのディープインパクト産駒ながらアイルランド調教馬のスノーフォールや、国内発売でも1番人気に押されていたハリケーンレーンあたりの方を解説者はかっていたように聞こえたのだが、自分はなんといってもクロノジェネシスこの一頭だけを信じて疑うことはなかった。

やれ距離が長い、とか、斤量58キロは重すぎる、とか、こんなに酷い馬場じゃ走れないとか、そもそも現地でステップレースも使わずに勝てるほど欧州最高峰のレースは甘くない、とか、出走前は散々な言われようではあったのだが、「日本最強の不良馬場キラーのバゴ産駒にして、自らも重馬場巧者、休養明けの好走実績もあり、しかも御年5歳にて成長を遂げ続けている馬に、そんな安っぽい常識をあてはめるな!今に見とれ!」と思いながら聞いていた自分。もはや信者の域・・・。

結果的には、今回も”信じたものが救われる”ことはなかった。

ただ、スタート直後に単騎で大外に飛び出して、”馬群に包まれたままThe END”となるいつもの有力日本馬のパターン*2からの脱却を図ったマーフィー騎手の判断は絶妙なファインプレーで、それゆえ、最後の直線に入ってもなお「アダイヤーとの一騎打ちを制して優勝」という夢を我々はギリギリまで見続けることができた*3

最後は、アダイヤーの粘りに突き放され、さらに前評判通りの走りを見せたハリケーンレーンとスミヨンの神騎乗でインを抜け出したタルナワに差された上に、誰も予想していなかった大伏兵、トルカータータッソにまとめて交わされて勝利を献上する、という結果で、さらにスノーフォール含む2頭にも交わされたことで、着順は昨年のディアドラをわずかに1つ上回る7着にとどまったが、日本馬の新たな挑戦パターンを切り拓いた、ということも含め、関係者にとっては着順以上に手ごたえが感じられたレースではなかったかと思う。

ちなみに、勝ったのは、日本の発売オッズではブービーの13番人気にとどまっていたドイツ調教馬だったのだが、ドイツ調教馬の勝利は10年前に3歳牝馬デインドリームが勝って以来、とのこと。

日本からはヒルノダムールナカヤマフェスタが遠征して、ほぼ見せ場なく2ケタ着順で枕を並べて討ち死にした黒歴史のようなレースの一つではあるのだが*4、それは思い出すのに結構時間がかかるくらい昔の話でもあるわけで、要はお隣の国ですら、「凱旋門賞を勝つ」というのはそれだけ難しいことなのだ。

2年前、日本から挑戦した「三銃士」が無残な敗北を遂げたのを見届けた後に、↓のようなエントリーを書いたことを自分とて忘れているわけではない。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ただ、昨年1年間、「遠征」したくてもままならない、そんな事態を目の当たりにした後で改めてこのレースと、それに挑む日本調教馬の関係者の方々の姿を見ると、やはり挑み続けることの意義と大切さ、はしみじみと感じさせられる。

10年前にドイツ産馬が勝った翌年には、「あと一歩」まで迫る日本馬が現れた。

それがジンクスだ、信じろ!というつもりはないが、新型コロナの苦難を乗り越えて再び切り拓かれた道の先には何か、があると信じたいのもまた人情なわけで、来年の101回目から始まる凱旋門賞の歴史の1ページの中に、(そう時間をかけずに)日本馬が新たな足跡を残すことを今は心の底から期待している。

*1:昨年は「欧州駐在」だったディアドラこそ出走したものの、新型コロナの影響もあって国内競馬をステップに参戦した馬は皆無だった。

*2:今回もディープボンドは完全にその欧州馬ブロックに潰されてしまった印象がある。そもそも、地元フランスが、とても勝ち目があったとは思えないラービアーを直前で急遽出走させて、ディープボンドへの騎乗が内定していたクリスチャン・デムーロ騎手をさらっていった時点で、この馬の命運は尽きていたというべきかもしれない。

*3:レース後、位置取りが前過ぎたとか、序盤で脚を使い過ぎた、といった意見もチラホラ見かけたが、いかに道悪が得意といっても、欧州の重厚な走りの馬たちに比べれば最後の踏ん張りで一歩及ばないのは自明の理なのだから、少しでも前のポジションをキープして一発を狙う、というのは当然の作戦だと思う。

*4:ナカヤマフェスタに関してはその前年の2010年に2着と大健闘していた歴史もあっただけに、「期待が失望に変わった」という意味ではそれなりに大きな年だったような気もする。

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