タダほど高いものはない。再び・・・。

古くから「タダほど高いものはない」ということはよく言われることではあるのだが、そんな格言にさらに一事例を積み重ねるような判決が、大阪地裁で出されている。

舞台は紅葉も今が見ごろであろう、京都の山深くの貴船神社

その写真の利用許諾をめぐって起きた事件である。

大阪地判令和3年10月28日(令和2年(ワ)9699号)*1

原告:P1
被告:貴船神社

原告はプロの写真家、被告は貴船神社の祭祀を行うことなどを目的とする宗教法人だが、争いのないものとして整理された前提事実は、以下のとおりである。

■ 原告は,平成27年ころから,貴船神社の社殿,風景,行事等を撮影した本件写真を被告に提供し,被告は,本件写真を,ウェブサイト,SNS,動画配信サイト等に使用し,被告の広報宣伝資料として利用した。
■  原告は,令和元年9月13日付けメールにより,被告に対し,同月末日までに,ウェブサイト等から,本件写真をすべて削除すること等を求めた。
■  被告は,令和元年9月末日経過後も,被告のウェブサイトにおいては令和2年11月23日までYouTube の被告のアカウントサイトにおいては同年12月2日まで,それぞれ本件使用写真を展示するなどして使用していた。

このような事実関係の下、

「本件写真は原告が著作権を有する著作物であって,被告に無償で利用を許諾したものであるから,原告が利用許諾を解約した後に,被告が本件写真のうち一部の写真のデータをインターネット上に掲載した行為は,本件使用写真に係る原告の著作権公衆送信権)の侵害である」(PDF2頁、一部編集)

と主張して,原告が被告に対し,著作権に基づく本件写真のインターネット上の掲載,自動公衆送信,送信可能化の差止め(著作権法112条1項)及び抹消,廃棄(同条2項)を求めると共に,著作権法114条3項に基づく損害賠償として3009万円(+遅延損害金)を請求した、というのが本件である。

職業写真家である原告がいかなる経緯で、被告に対して「無償」での写真提供をするに至ったのか、また約5年にわたってそのような形で写真を提供し続けていた原告が一通のメールで被告に「削除」を求めたきっかけが何だったのか、といったことは、判決文の中の当事者の主張等にもチラホラ登場しているし、ちょっとしたドラマにもなりそうな話でもある*2

自分はまだ行ったことはないが、春夏秋冬の貴船神社の光景には、プロの写真家をしても何度となく足を運ばせるだけの美しさがあったのだろう。
そして、そこで出会った神社の広報担当者の思いに、善意で協力しようとする写真家。いくつも季節が巡り、やり取りを交わすうちに培われていく同志としての絆、折しも時はインバウンドで爆発的に観光客が増えていた時期とも重なる・・・。

認定された事実によれば、

「被告は,平成27年6月頃から令和元年8月頃までの約5年間にわたって,原告の助言も受けつつウェブサイトや SNS で本件写真を利用した広報活動を展開し,その結果,原告が撮影し被告に提供した本件写真は1033点に及び被告のウェブサイトにおいて大半を原告が撮影した写真が占めることとなったものである。」(PDF13頁、強調筆者、以下同じ)

ということで、広報担当者を介した原告と被告との関係がいかに深かったか、ということがうかがい知れる。

それが、被告広報担当者がひょんなことから退職せざるを得なくなったことを機に、状況は暗転した。

憤激して自らが提供した写真の即時削除を求め、刑事告訴も示唆してアクションを起こす原告に、弁護士を立てて応戦する被告。まさに”修羅場”である。

いくら無償で、しかも期間の定めもなく口頭ベースの約束だけで提供を受けていた写真だと言っても、その時点でそれがウェブサイトの大半を占めていた以上、ウェブサイトを丸ごと閉鎖でもしない限り、そう簡単に利用をやめられるものではない。

被告はすぐに外部業者に写真撮影を委託し、代替となる写真の手配に着手したが、京都には「四季」がある。各種行事もすべて網羅しようと思えばそれなりの時間は必要となる。

かくして、本件使用写真の代わりとなる写真がすべてそろったのは、業務委託開始から約1年経った令和2年11月23日のことで、それまでは原告の写真が依然として使われたまま。

これで原告の主張どおり、「無償利用許諾契約解除」の効力が令和元年9月末日時点で発生していれば、金額はともかく一定の損害賠償の支払いが被告に命じられることは確実な状況だったのだが・・・

裁判所は、「写真データの無償の利用許諾」は「使用貸借」に類似する、として、民法597条3項(平成27年改正前)*3を類推適用しようとする原告の主張を以下のように退けた。

「前記認定事実によれば,本件利用許諾は,原告が継続的に被告の協力の下で貴船神社の年中行事等の写真を撮影して被告に提供し,被告において提供を受けた写真をウェブサイトや SNS 等に使用して,被告の広報あるいは宣伝に利用する一方で,原告においても前記写真を適宜 SNS で利用し,原告の宣伝広告に役立てることを,無期限かつ無償で承諾することを内容とする包括的な合意と解される。原告は,本件利用許諾により原告が受ける利益はないと主張するが,被告の協力
により一般参拝者では撮影困難な構図の写真を撮影することができ,被告の広報写真に採用されていることを実績とすることができる点で,一定の利益があることは否定できない。そうすると,本件利用許諾は,単に原告が過去に撮影した写真の利用を個別に一時的に許諾するものではなく,継続的に撮影した多数の写真を,相互に広報,宣伝に利用することを前提とした複合的な合意といえるものであって民法上の使用貸借契約の規定を単純に類推適用するのは相当ではない。」(PDF13頁)

そして、先ほど引用した「1,033点の写真を提供していた」という記述に続けて、以下のように、権利者による一方的な利用許諾解除&利用停止請求を認めない、という考え方を示したのである。

「これらの事情からすれば,本件利用許諾は,無償であるとはいえ,双方の活動又は事業がその継続を前提として形成されることが予定され,長期間の継続が期待されていたということができ,個別の事情により特定の写真について利用を停止することは別として,本件写真全部について,一方的に利用を直ちに禁止することは,当事者に不測の損害を被らせるものというべきであって,原則として許容されないものというべきである。」(PDF14頁)

また、裁判所は、

「もっとも,本件利用許諾は,信頼関係を基礎とする継続的なものであるから,相互に,当初予定されていなかった態様で本件写真が利用されたり,当初予定されていた写真撮影の便宜が提供されないなど,信頼関係を破壊すべき事情が生じた場合には,催告の上解除することができると解される(民法541条)。また,本件利用許諾が,原告が著作権者である本件写真を,期限の定めなく無償で利用させることを内容とするものであることを考慮すると,上記解除することができる場合にはあたらない場合であっても,相手方が不測の損害を被ることのないよう,合理的な期間を設定して本件写真の利用の停止を求めた上で,同期間の経過をもって本件利用許諾を終了させることとする解約告知であれば,許容される余地はあるものと解される。」(PDF14頁)

と、信頼関係破壊の法理や一定の合理的期間の付与により、権利者に契約終了のオプションを与える、という一応の配慮を示したものの、

「原告が被告に対し本件写真の削除等を要求したことについて,被告が本来の目的以外に本件写真を利用した等,本件利用許諾それ自体に関する内容で,原告と被告との間の信頼関係が損なわれたとすべき事情は何ら主張されていないことになる。」
「結局のところ,本件解約告知は,友人である P2 が退職を余儀なくされたことを快く思わない原告が,被告を困惑させ,あるいは被告に損害を与えることを目的としてしたものというほかないから,正当な理由があるとは認められない。」(以上PDF15頁)

と、信頼関係破壊の法理等の適用は認めず、以下のように「合理的な期間」をかなり長期に設定することで、原告の主張を全て退けた。

「本件写真は,年間を通じて貴船神社の神事等を撮影したものであって,同様の写真を撮影するためには1年以上の期間を要するものと認められるし,被告のウェブサイト等の広報媒体は,本件利用許諾の継続中に原告の助言を受けつつ大半を本件使用写真を利用するものとして構成されていたから,被告においてこれらの媒体を本件写真を使用しない形式で再構築する作業にも,相応の期間を要するものといえる。さらに,原告の本件写真の削除等の要求は,それまで良好な関係が続いていた中で突如として行われたものであるから,被告において,原告の真意を確認し,交渉の余地を探る等の対応を検討するためにも相応の期間を要するものといえる。これらの事情を考慮すると,原告が一方的に解約告知をした場合に,本件利用許諾の終了に至る予告期間としては,原告が削除等を要求した令和元年9月13日から1年3か月後の令和2年12月12日までを要すると認めるのが相当である。」(PDF16頁)

ここで「何で1年3か月なのか?」ということを論じることには、おそらく大した意味はないだろう。

大阪地裁がここで行ったのは、「原告の主張は認めるべきでなく、被告の対応は救済されるべきである。」という大局的視点からの実質的な価値判断であり、本件で神社側が作業に手間取って、写真の総差し替えが1か月、2か月遅れていた場合でも、この裁判所なら、それに合わせて「必要な予告期間」を延ばしただろうと思われる。

個人的には、利用許諾に“有償性”まで認めるのはちょっと難しいのでは?と思われるような本件の状況下で*4、ここまで「使用貸借」のロジックを排除してしまって大丈夫か?と思ってしまうところはあるし、利用許諾契約解除の効力は認めた上で、原告の請求を権利濫用として処理する方が筋としては通っていたように思えなくもないのだが*5、結果的に、被告側が命拾いしたことは間違いない。

本件の顛末を見た後で、被告に「関係が良好なうちに、どこかで原告に対価を払うなり無償でも契約書を作るなりして、きちんと権利関係を整理しておくべきだった」というのは簡単なことではあるのだが、純然たる善意の下で協力してくれている相手に、そういう話をずかずかと切り出さないのが、都人達の奥ゆかしさなのかもしれない、と思うと、安易に”啓発”の材料にもしづらいところはある。

いずれにしても、「タダほど高いものはない」という現実を改めて知らしめてくれたこの判決。

そういえば、このブログで以前同じフレーズとともに紹介したのも、著作権利用許諾の事例で、かつ大阪地裁の事件だったなぁ・・・*6ということを思い出したりもしたのだが、これがただの偶然なのか、それとも“情”に依拠する土地ならではの話なのか。

実務家としては、これに続く事例を自分たちの足元から出さない、ということを肝に銘じ、時には野暮な建前も口にせねばなるまい、と改めて腹を括っているところである。

*1:第21民事部・谷有恒裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/667/090667_hanrei.pdf

*2:もっとも、最後は「泥沼の法廷闘争」という結果になってしまっている以上、ドラマといっても「世にも奇妙な物語」的なものになってしまうのかもしれないが・・・。

*3:「当事者が返還の時期並びに使用及び収益の目的を定めなかったときは、貸主は、いつでも返還を請求することができる。」とする規定。現在は民法597条2項が裏表を逆にする形で規定している。

*4:少なくともこの判決に出てきている事情を見る限り、原告にも、「一連の写真で自分の名声を高めよう」といったような意図はほとんどなかったように思われるし、「自分の写真を使ってもらえる」ということ以上の見返りは原告には与えられていなかったのではなかろうか。

*5:ただし、その場合、利用許諾の解除とその後の権利行使の動機となった「経緯」についてもう少し踏み込む必要があるような気もして、それは裁判所としては避けたかったのだろうと推察するところである。

*6:もって他山の石とせよ〜著作権利用許諾をめぐる落とし穴 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~ 大阪市ピクトグラム利用をめぐる事件だった。

900万ページビュー到達。

これまで以上に険しい道のり。度々足を止めながらも何とかここまで来た。
当ブログの通算PV数が、何となくきりがよい2021年11月11日に、9,000,000に到達。

開設から16年と3カ月ちょっと。日数にすると5945日

それだけでもまぁ随分と・・・という感じではあるのだが、特に「800万」の節目を超えてからの時間は実に長かった。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

かつては年に1回のペースでクリアしていた「キリ番」を超えるのに3年以上を要してしまっているのだから短いわけはないのだが、それ以上に、ブログの設置環境も変われば、自分自身の立場も変わり・・・ということで、この100万PVの間に”時代を超えた”気すらしている。

今回も、ちょっと前から「900万」を意識し始めていたにもかかわらず、エントリーをアップできる日は限られ、しかも力を籠めて書いた記事でもそれほどページビューは伸びない。

全盛期には、1か月もあれば悠々とクリアしていた「10万」というPV数ですら、直近の890万PVから今日までの間には相当な日数がかかってしまっているわけで、「はてなダイアリー」時代とはカウンターの仕組みが変わっているのであろう・・・ということを差し引いても*1、じれったい牛の歩み。

それでも、何とかここまでたどり着いた。

これまで見に来て下さった方々への感謝の思いは、このブログを開設した時から何ら変わるところはないのだが、その思いとこれまでの長い年月を思い返した時の感慨で、些末な出来事であるにもかかわらず胸いっぱい・・・というのが正直なところである。

そして「900万」まで来たとなれば、いよいよ次はより大きな節目に、と目標を掲げたいところではあるが・・・

*1:以前はGoogleアナリティクスの数字より良く伸びることも多かったのだが、今は確実に低い数字になってしまう。

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光と影、の先を見る。

最初は日経電子版で見かけて、思わず読んでしまった一本の記事。その後、昨日の朝刊にも掲載されていた。

「世界の企業がデジタル対応を急ぐなかで、日本の足踏みが目立つ。アップルなど米IT(情報技術)大手5社の時価総額東証1部の合計を上回る。差はどこでついたのか。日本企業にまだ勢いがあった2000年代、当時は新興企業だった米グーグルで働くことを選んだ日本人社員らへの取材から20年に及ぶ「デジタル敗戦」の要因を探った。」(日本経済新聞2021年11月9日付朝刊・第14面、強調筆者、以下同じ。)

00年代、まだ社員1,000人くらいの規模だった”夜明け前”のGoogleに入社した幸福な方々。

もちろんそこは会社であり、日々向き合うのは仕事。良いこと、楽しいことばかりではなかっただろうけど、ラリー・ペイジ氏の面接を受けて入社し、尖った頭脳集団の中で磨かれて、猛スピードで世界に技術を展開していく過程を肌で味わう、というのは、それ以上に幸福なことがこの世に果たしてあるのだろうか・・・?と思うくらい羨ましい経験のように思える。

記事そのものは、昨今の情勢も踏まえつつ、

「とはいえ、この20年で社会インフラと例えられるほどに成長したグーグルなど米巨大テック企業には足元で逆風が吹くプラットフォーマーとして強力な地位を築いたことで独占への批判が高まり、経済格差が広がるなか「稼ぎすぎ」への不満も向けられるようになった。プライバシー保護の要請も強まる。」
「若かったグーグルも持ち株会社アルファベットの下で約15万人の従業員を抱える「大企業」になり、かつてのように自由には振る舞えない。革新からその後の社会的な要請への対応も含めて、日本企業が学ぶところは多いはずだ。」(同上)

と綺麗にオチを付けている。

だが、それでも停滞期に突入して久しい日本企業と比べるとまだまだ成長できる会社、”戦える集団”ではないのかな、と思ってしまうのは、やはり先日読んだジュリスト特集の座談会が影響しているのかもしれない。

読んだ直後にTwitterで紹介したら結構なインプレッションをいただいたので、もうとっくに読んだ、という方がほとんどかもしれないが、それでも感動をもう一度、ということで改めて取り上げてみる。

ジュリスト1564号特集『デジタル広告の法的問題』・座談会「デジタル広告と競争法・透明化法」より

白石忠志東大教授を司会に、生貝直人一橋大准教授、公正取引委員会企業結合課の鈴木健太氏、そしてグーグル合同会社法務部長の野口祐子氏、というメンバー構成で行われているこの座談会。その分野の花形研究者と政府の関係官が揃った中に、影響を受ける企業関係者が混じる、というパターンの座談会は、この種の雑誌でも日頃から良く見かけるものだし、企業関係者から「実務からの問題意識」が二つ三つ示されつつも、最後は「立法お疲れさまでした。これからの動向を注視しましょう」というシャンシャンで終わるのがこの手の企画の通例だった。

ところが、そうではなかったのがこの企画。

透明化法(特定デジタルプラットフォームの透明性及び公正性の向上に関する法律)や、この座談会でも度々やり玉に挙げられた公取委報告書*1に象徴されるように、ひたすら「巨大プラットフォーマー」を叩くことだけに注力しているようにも見える昨今の政策村界隈の動きへの危機感が、唯一の「プラットフォーマー代表」として参加された野口部長を夜叉に変えたのかもしれない。

「読者の皆さんも、お時間があれば、是非公取委報告書を見て頂きたいのですが、それぞれの論点についてアンケート調査等をしており、それによると、理論上の懸念があったとしても、実際には関係者が現状に不満を持っていない論点も多くあります。今挙げて頂いた可能性が、全て実際に問題として存在するわけではないことを、まず1点明確にしておきたいと思います。」(19頁、強調筆者、以下同じ。)

というのが、報告書のまとめをベースに「問題点」を概説した公取委の担当官の発言を受けて飛び出したコメント。

そしてこれを皮切りに、「規制の手段としての適切性について政府と業界とが完全に合意できていない点」として、手数料体系の話から「アドフラウド」対策まで、”理解しない政府”に対する問題意識が切々と語られ、さらに契約やシステムの変更をめぐる問題について、

「二面市場、三面市場では、あちらを立てるとこちらが立たない。全員がハッピーになることは、プラットフォームの宿命としてあり得ません。したがって、不利益な取扱いや、一方的な変更というときには全体を見て頂いて、なぜそれが必要なのか、合理的な理由に基づく合理的変更の場合には、独禁法上も透明化法上も問題でないと整理をして頂かないと、我々としてはビジネスをやっていけません。この点は独禁法と透明化法の両方で考慮されるべき点だと考えています。」(21頁)

と、プラットフォーマーの様々な対応を「(他の事業者との関係での)優越的地位の濫用」という「一面」だけから切り取ろうとするかのような公取委に対して、厳しい指摘がなされている。

また、「対消費者」の観点から公取委が行っている問題提起に対しても、野口部長の反論は鋭い。

「消費者が利用規約を読まないというのは、一消費者として私にも身に覚えがあります。これはデジタル広告特有の問題ではなく、プラットフォーム特有の問題でもない、ありとあらゆるサービスの利用規約に共通の問題なのかなと思っております。そして、それをどう解決するのかは難しい問題だと思います。透明化法は、規約を透明に説明して、消費者が読んで理解することを解決の手段とする法律だと思うのですが、利用規約を30分も掛けて読みたい消費者は少ない、という中で、透明化法が根本的な解決になるのかは疑問があります。」(25頁)

「我々の立場から見ると、調査をされた人たちだけが規制をされて、同じ問題を共有していても調査をされない人は規制されていないように見えます。」
同じ問題があるのに、一部の人だけが規制されるようなアプローチが正しいのかなという気持ちはあります。」(26頁)

(利用者情報の取扱いについて)「場合によっては法律の規制が互いに矛盾している場合もあるわけで、重畳規制を受ける立場としては非常に困ります。その点をお尋ねすると、『各法律の規制目標が違うのですから、内容は違って当然です。我々はこの観点からこの規制についてだけお話ししていますので、他のことは知りません。』と言われるわけです。しかし、事業者の目から見ると、異なる省庁が膝を突き合わせ、国のデータ保護政策全体をまとめてもらえないものだろうかという気持ちは非常にあります。縦割り行政の問題が言われておりますが、法とデータの分野は、それがかなり顕著になってきているのかなと思います。」(28頁)

「透明性・公平性と言うからには、透明化法の運営自体も、是非、透明・公平にして頂きたいというのが事業者からの切なるお願いです。」
「極端な話、いわゆるアンチGAFAの人たちを集めて、良くなかった点ばかりを指摘する評価体制にすると、我々は毎年、何かが足りないと永遠に注文を付け続けられることになってしまいます。評価する方をどのように選んだのか、プラットフォームの視点を理解して下さる方も含めて多角的に公平にレビューをしているのかという意味で、透明化法の運営も是非、透明性・公平性を持ってやって頂きたいと思っています。」(31頁)

自分自身、ここ数年の「GAFA叩き」に辟易している上に、元々、極めてアナログではあるが、今思えば構造的には紛れもない「プラットフォームビジネス」のど真ん中で仕事をしていたこともあって、ここで取り上げたような野口氏の一連のコメントは実に痛快なものだった。

そして、これまでのこの国の規制立法の歴史の中で、これだけ堂々と主張をオープンに発信できる会社があっただろうか、さらに、ご自身の専門的な知見もバックグランドに持ちつつ、説得的に分かりやすく発信できる素晴らしいスポークパーソンを法務部門長として擁しておられる会社があっただろうか、ということを考えた時、「大企業」になってもこの会社は”別格”であり続けるのだろうな、と思わせてくれるものがここにはあった*2


いかに前線のスポークスパーソンが奮闘されても、世界中で今のGoogleの旗色が決して芳しくないのは事実である。

世界中で競争法上の規制とプライバシー規制の挟み撃ちに遭い、国によっては著作権法上の問題も依然としてくすぶっている中で、帝国の足元がぐらつき、様相が変わることもまたあり得るのかもしれない。

ただ、それでも、技術革新で時代を一気に前に進めた、かの会社の偉業が色あせるわけではないし、たとえ今とは異なる形であっても、時代の中で新たな居場所を見つけて存在感を発揮し続けてくれるのではないかなぁ、と今は思っているところである*3

*1:公正取引委員会「デジタル広告分野の取引実態に関する最終報告書」(令和3年2月17日公表)。なお、この報告書に対しては、当ブログでもデジタル広告分野における「独占」の意味。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~のエントリーで適宜内容をご紹介しつつコメントしている。

*2:Googleという会社が今浴びせられている攻撃は、世界各国で概ね共通しているところもあるから、野口部長のご発言の中には「全世界共通」のこの会社のプロトコルに則って発せられているものも多々混ざっているとは思う。ただ、それでも、ご発言の節々に、単なる”棒読み”ではないほとばしる何かを感じるのは、その言葉を発しているのが、かつて著作権法の世界で「コモンズ」の理想を説かれ「ルールを動かす」ことへの思いを語っておられた野口氏だからだろう、と思うのは自分だけだろうか。発せられる”熱”に強い共感を覚えてしまうのは、10年以上前から自分も変わっていないような気がする(↓のエントリー参照)。k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

*3:その「存在感」が、現在のマイクロソフトのようなそれ、だとしたら、ちょっと複雑だったりもするのだけれど・・・。

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泰斗のお言葉は重い、からこそ・・・。

週明け早々、日経法税務面の明日からしばらく話題になりそうな某メーカーの記事の隣に上村達男早稲田大学名誉教授の「経済教室」の論稿が掲載された*1

上村先生と言えば会社法の世界では誰もが知る学界の権威。早大を退職されたのは2年前のことだが、その後もヤフー対アスクルの一件での法律意見書で”資本の論理”に”喝”を入れられるなど*2、節々で書かれたご意見等を拝見することも多い。

そんな上村名誉教授が、

「過度な議決権行使に規律を」

という大見出しで始まる論稿を書かれているのを目にすれば、休み明けのぼんやりした気分など一瞬で吹き飛ぶわけで、朝早い打合せが目前に迫っていることも忘れて、食い入るように読んだ。

「「会社は誰のものか」と問われて「株主のもの」と答える人は多いだろう。だが株主は株式の所有者であっても企業の「主」ではない。企業の社会的責任が厳しく問われる時代を迎え、アクティビスト(物言う株主)などの投資家もその責任を担わねばならない。株主の議決権とは何かという本質に立ち返り、会社法を見直す時期に来ている。」(日本経済新聞2021年11月8日付朝刊・第16面、強調筆者、以下同じ。)

常に「会社の本質」に立ち返って問いを投げかけられる、というのが、上村先生がメディアで発信される論稿の特徴で、自分自身、このブログでも何度となく取り上げた。

巷を賑わせた話題で言えば、「ライブドア」や「村上ファンド」に対しては常に厳しい目を向けられていたし、法律系のメディアでも新しい会社法ができた時に、徹底的な批判を展開されていたことは今でも懐かしく思い出される*3

新会社法を駆使した”テクニック”があちこちで吹聴される中で、あるべき「道」を説かれる上村教授のご意見には一種の高貴さすら感じられたし、実際、何度かの資本の”暴走”が顕在化するたびに、書かれていたことを思い返したものだった。

当時主流の「法曹教育」の外側でプロを目指していた身としては、↓のような記事が心の支えになっていたところもある。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

だから、前記のような書き出しで始まった今回の論稿も、ワクワクしながら読み進めていたのだが・・・

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最高に爽快で、最高に痛快だった2つ目の勝利。

月が変わった途端にあれこれといろいろ舞い込んで、ブログで”本業”のエントリーを書くのもままならない状況になってしまっているのだが、そんな中、この日曜の朝に飛び込んできた快挙の報は、最高の癒しになった。

これまで専ら「観る」だけのレースだった本場米国のブリーダーズカップで、日本からの遠征馬が挙げた2つの勝利。
これを「歴史的偉業」といわずして何というか・・・。

news.netkeiba.com

もちろん歴史を遡れば、タイキブリザードの挑戦に始まって、芝でもダートでもそれなりの数の日本馬が挑んできたレースではあったのだが、勝ち負けに絡めた記憶は皆無に等しく、勝てないまでも何度か「あと一歩」まで迫った凱旋門賞と比べても、”高嶺の花”感の強いレースだった。

だから、今年、日本から大挙して挑戦する、というニュースが報じられた時も、昨年から続いた不自由な海外遠征の埋め合わせなのかな?というくらいの感覚でしか見ていなかったし、実際、派遣された馬を見ても、既に海外での実績があるラヴズオンリーユーを除けばちょっと厳しいメンバーじゃないかな、という印象だったのだが・・・。

個人的にちょっと考えが変わったのは、先月末発売の『優駿』11月号に載った矢作調教師のコメントを見た時。

「昔からずっとブリーダーズCを日本馬が勝つなら、西海岸の競馬場で開催されるとき』と言い続けてきました。芝への適合性は絶対に高いし、日本から近くてヨーロッパからは遠い。これは重要なファクターです」(優駿2021年11月号・63頁)

今年のブリーダーズカップの舞台は、カリフォルニア州デルマー競馬場。師の理論によれば実にうってつけの舞台。

それでもまだ半信半疑だったものの、レースの選択に関しては当代随一の矢作師がそこまで言うなら、ということで、ラヴズオンリーユーは良い勝負になるかもしれない、というのがこの時思ったこと。そして、その予感通り、芝2200mのフィリー&メアターフで1番人気に支持されたラヴズオンリーユーは、堂々の勝利を飾る。

ゴール前、川田騎手が激しく競り合う外国の馬たちの間をこじ開けて、叩き合いの末体一つ抜け出したシーンはかなり印象的だったし、何といっても「日本馬初のブリーダーズカップ勝利」だから、それだけで「快挙」というには十分な出来事のはずだった。

だが、本当のサプライズはその後にやってくる。

当地の第10レースとして行われたブリーダーズカップディスタフ。コースはダート1800m。

自分以外はすべて米国調教馬、という環境の下で、日本のブリーダーズカップJBC)すら勝ったことがなかったマルシュロレーヌが見せた一世一代の大駆けは、ダート競馬の世界では唯一無二の存在である米国の競馬界に大きな風穴を開けた。

9番人気、単勝オッズ51.0倍。日本では馬券の発売さえ行われていなかったレースで、ゴール前猛追する他馬をハナの差で押さえ切って堂々の優勝・・・。

同じ国際GⅠ格のレース&牝馬限定戦ではあるものの、ダートに比べて一回り小さい芝コースで行われるフィリー&メアターフと、”主役”のダートコースで行われるディスタフとでは、レース自体の華やかさがまるで異なる。

そして、前の馬から19馬身以上離されて、日本馬2頭がブービーメーカーとブービーを演じることになってしまったダートマイルに象徴されるように、米国の競馬場のダートコースは日本のそれとはまた似て非なるところがあり、加えて当地の一流馬はこぞってダートコースのレースで頂点を目指すことを考えると、”日本のダート馬”に出る幕などない、と考えるのが普通だろう。

それが勝った。勝ってしまった。凱旋門賞のトルカータタッソのように・・・。

冷静に考えれば、日本の競馬界を席巻し、競走馬のレベルを格段に上げたサンデーサイレンスは、米国にいるときはダートを主戦場とする馬だったし、芝で如何なく産駒に「スピード」を発揮させている米国系種牡馬の多くが同様なのだから*1、裏返して日本の芝のスピード馬を米国の高速ダート馬場で走らせれば勝負できるのでは?という話は以前から存在した。

それでも、多くの日本の一流馬がブリーダーズカップの「ダート」のレースに挑まなかったのは、どうせ海外遠征するなら芝のレースを使った方が勝つ確率が遥かに高いからで、可能性としてはあり得るかもしれない、とは思っても、芝で走る馬を本場の「ダート」に挑ませるケースは過去にもそう多くはなかったはずである。

そんな状況で、決して”一流”とまでは言えなかった馬でも、鞍上にマーフィー騎手を据えて果敢に挑んだ結果、勝利までもぎ取ったのだから、その意味は極めて大きい。

*1:マルシュロレーヌもサンデー系のオルフェーヴルに母父・フレンチデピュティという米国起源の血統構成となっている。

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15年の時を超えて。

”ワンマンショー”という言葉がふさわしい、”らしさ”全開の就任会見だった。

www.youtube.com

最近は、いろんな会見がそのままの形でインターネットに載せられることは多いのだが、50分近くの時間、ずっと見続けていたいと思うようなスリリングな会見と問答ができる人は、芸能人でもそういるものではない。

オーナーと球団社長の真面目な挨拶の後に、初っ端から飛び出す新庄節。

長年テレビの世界でキャスターとして使った流暢な話しぶりが印象的だった前監督に比べると、決して話し方が上手、というわけではないが、インパクトのある言葉が次々と飛び出してきて、まぁこれは飽きない。そして、奔放に話しているように見えて、大事なことは節々に散りばめられている。

メディアを通じて、自分の言葉がどう伝わるか、ということも意識した上で、それでも”計算づく”とは思わせないナチュラルなトーンで攻めてくるのは現役時代から変わらんなぁ・・・と思いながら眺めていた。

もう既に、様々な媒体で報じられているが、以下のNHKスクリプト*1を参考にこれは!と思ったものを挙げると、ざっと以下のような感じだろうか。

www3.nhk.or.jp

(新庄)「優勝なんか、一切目指しません、僕は。あのー、優勝、高い目標をもちすぎると選手っていうものはうまくいかないと僕は思っているんですよ。1日1日、地味な練習を積み重ねて、シーズン迎えて、それで何気ない試合、何気ない1日を過ごして勝ちました。勝った勝った勝った勝った。それで9月あたりに優勝争いをしてたら、さあ!優勝目指そうって、そこの気合いの入り方っていうものが違うと思うので、そういうチームにしていきたいなと。優勝なんかは目指しません。はい。」(強調筆者、以下同じ)

(質問)「引退後は野球とどのような距離感だったか。」
(新庄)「全くないです。引退して野球を見ることはほとんどなかったですね。だからある意味、今のプロ野球、若い子が時代が時代が、時代がって、もう。なんか時代に逃げてる感じがするんですよね、僕は。だからある意味、いい意味でも悪い意味でも、16年間むこうにいて、時代をわかっていないんで、新庄剛志らしくどんどんどんどん、時代の怖さなんか関係なく、突き進んでいけたらいいなと思っています。」

(質問)「ファイターズをどう変えてどう新庄色を出していくか。」
(新庄)「(略)やっぱり気持ちの面ですね。このプロ野球という世界に入ってくる選手というのは、一緒なんですよレベルはもうほぼほぼ一緒。ただメンタル的な問題であって、それをメンタル的に伸ばせないコーチ、監督がいたと思うんですけど、僕はそのメンタル的なものに関してはものすごく引き出す力が自分にあると思うので、そのメンタル的なものを鍛えながら、あとはチームにピッチャー3人、野手4人のタレントを作りあげていけば、楽しいチームになるし、そういうタレントが生まれることは、全国に名前も背番号も顔も名前も覚えてもらえるんで。その時にはもう強くなっていると思うので、そういうチームを作っていきたいと思っているし、ことしドラフトで80人弱とったんですよね?全員がドラフトでかかった選手と思ってるんで、レギュラーなんか1人も決まっていません。(略)」

(質問)「選手の生活面にも目を光らせるのか。」
(新庄)「もちろんです。やっぱり人間性というものは大事であって、人の悪口を言わない、いただきます、ありがとうございましたの言える選手を育てていきたいですね。僕はちゃらんぽらんにしてますけど、そういう上下関係はもうタイガース時代から、ちっちゃい頃から親の教育でしっかりしたものをもってたので、そういうものをずっと続けて、皆さんに納得してもらってこういう立場に立たせてもらったんで、やっぱり選手には日々のプライベートの生活は後に役立つよっていうのを本当に教えていきたいなって思うし、まあプレーはね、実はみんなすごくうまいんですよ。あるきっかけをつかんでもらえれば、どっかんと期待はしてるので、あとは人間性というのはなかなか変わらないと思うんで・・・(略)、」

暗黒時代のタイガースファンにとって、新庄剛志、というプレーヤーは、数少ない希望の光だった。

92年の熱狂が去って再びの暗黒が訪れた後も、彼の美しいスイングとそのバットがボールを捉えた時の見事な弾道を見れば、どんなにひどい負け試合でも清々しい気持ちになれた*2。そして、ホームランどころか出塁すらできなかった日でも、試合に出ていれば、イニングの合間のボール回しでの華麗なグラブ捌きと内野返球だけは見れたからそれで満足、ということも度々あった*3

他のどの選手よりもずば抜けた身体能力を持っているように見えながら、それがチームの勝敗にも、個人成績にもなかなか結び付かず、グラウンド外の”奇行”ばかりが記事になってしまうことにもどかしさを感じていたのは自分だけではなかったと思うが、名将・野村克也監督の下でようやく気持ちよくプレーできるようになり、「主力」と呼ぶにふさわしい活躍も見せてくれた。

たとえメディアを通じてではあっても、かつてそういう過程を何年か越しに見てきた者としては、就任会見で飛び出した、「開幕当初から高い目標を持ちすぎるな」とか*4、「メンタル」や「人間性」といった話も「ああ、あの頃の経験が元になっているのだろうな・・・」と懐かしく聞こえる*5

しがない弱小球団の一ファンだった身としては、MLBに行ってから札幌で復帰して球団の歴史に名を刻む活躍を見せて引退するまでの「新庄剛志」は、もはや別世界の存在で、特に最後の3年間の神がかった活躍ぶりだけで”プレイヤー新庄”を語られると、ちょっと複雑な気分になったりもするのだが、彼の地で新球場移転を目前に控えた大事な時期に「監督」というポストを請け負う上では、その名声がプラスに働くことはあっても、マイナスになることはない、といってよいだろう。

そして、年々レベルも注目度も高まっているパ・リーグの中で、ここ数年ちょっと置いていかれている感もあった北海道の球団に今何が必要か、ということを考えた時、就任会見だけで耳目を集められる”BIG BOSS”の成功は、現時点では約束されたに等しい。

当然ながら、来年のシーズンの開幕が近付くにつれ、あるいは、開幕してからもしばらくは、「あんな奴に監督が務まるのか」等々の雑音は至るところで飛び交うだろうが、それをも計算に入れた上での新庄劇場。球団がコーチ陣の人選をよほどひどく間違えない限り、興行面はもちろん、チームの成績面でも、1年目からかなり良い線までは行けるはず。

個人的には、”新庄流”の独特な手法の成功と比例して、彼の決して報われることばかりではなかった「選手生活最初の10年」の意義に光が当てられることを願っているし、新監督と球団のこれからの取り組みの中から、「個」の強さと組織の成功を両立させるための何らかの示唆が得られると良いなぁ・・・と思ったりもしているのだが、まずはここからの一日一日を、フロントの動きと合わせて目を離さずに見守っていければ、と思うところである。

*1:50分弱の会見の内容にほぼ忠実に作られているが、「すみれ」や「味の時計台」のラーメン、マルセイバターサンドに言及したくだりがカットされているのは、公共放送だから・・・なのかもしれない。

*2:実際に観戦に行ってその瞬間を見届けることができるのは、宝くじに当たるくらい奇跡的な確率でしかなかったが・・・。

*3:だから当時神宮球場に行く時の観戦の定位置は、バックスクリーン脇、と決まっていた。

*4:毎年のように開幕前に「今年こそは優勝」と煽られつつも、結果的には「定位置」で寂しくシーズンを終えていた在阪時代の記憶がここには色濃く反映されているように思われる。

*5:藤田平監督時代の”確執”は当時から有名な話ではあったが、幻の”引退”会見でストレートに監督批判をしていたら、彼のその後の野球人生もおそらくなかったわけで、その辺に「何も考えてないようでしっかり考えている」新庄という野球人の本質があるような気がする。

再び自由に歩き回れる日々は戻ってくるのだろうか。

連日公表される新型コロナウイルスの感染判明者の数字が、流行開始以降では最低レベルの水準に落ち着くようになってしばらく経つ。

まだ、そろりそろり・・・という感じではあるが、街中も「皆マスクをしている」ということ以外は、徐々に”平時”に戻りつつあるように思える今日この頃、ということで、分かりやすい数字をちょっと振り返ってみることにする。

自分は3年前の夏くらいから日々の歩数をモニタリングしているのだが、元々会社で慌ただしく駆けずり回っていた頃の歩数は、概ね320,000~350,000歩/月くらい。

その後、環境が変わって少し落ち着いたが、それでも仕事でもプライベートでもあちこちに出かけることは多かったから、数字としては280,000~290,000歩/月くらいの水準で、まさに新型コロナの脅威がこの国を襲い始めていた2020年3月の数字が281,806歩。

それが、翌月から激変した。

<2020年>
4月 174,888歩
5月 162,676歩
6月 193,404歩
7月 226,073歩
8月 204,275歩
9月 203,096歩
10月 215,022歩
11月 233,848歩
12月 237,354歩


<2021年>
1月 219,135歩
2月 199,217歩
3月 243,523歩
4月 207,534歩
5月 208,224歩
6月 199,980歩
7月 206,715歩
8月 212,483歩
9月 211,437歩

これでグラフを作ると、おそらく「都内の新規感染判明者の数のグラフの傾向とぴったり一致するんじゃないか」というくらい分かりやすい数字になっている。

日常的な動き以外に体に余計な負荷をかけるのは百害あって一利なし、というのが自分のポリシーだから*1、よほどのことがない限り、前記の数字には仕事ないしプライベートで「普通に歩く」ということ以外の要素は入ってこないのだが、だからこそ、それが”素の数字”として分かりやすい傾向を示すことになったのかもしれない。

ちなみに10月は、後半になって日常がそれなりにアクティブになってきたために、数字としては、緊急事態宣言が小休止していた3月以来の「215,615歩」というレベルまで回復。

そして始まった11月・・・。

今日、所用で15,000歩を優に超えるくらい動いたこともあって、出だしの3日間で30,000歩を超えている

このエントリーを書こうと思い立ったきっかけも、今月の”異変”に気付いたからだったりもするのだが、果たして今月、このまま「コロナ前」のレベルにまで回復するのか、それとも、おそるおそるの”漸増”にとどまるのか。

ここから先は、自分の歩数が描くグラフが、サービス系業種の景気回復動向と一致するんじゃないか、などという不埒なこともちょっと頭をよぎったりもしているのだけど、果たしてどうなることやら。

願わくば、”おそるおそる”ではなく、マスクも外して自由に街中を駆けずり回れる日々が戻ってきてくれるならそれに越したことはないのだけど油断は禁物。

気が付けば「あ、戻ってる」というくらいでちょうど良いのではないか、と思うところである。

*1:ジム通いなどは論外で、ちょっとしたジョギング等も、”気晴らし”としての効用は否定しないが、体に良いか?といえば決してそんなことはないと思っている。

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