実務サイドからさらに斬り込んだ「放映権」へのアプローチ~ジュリスト2022年4月号より

時代は変わった。

プロ野球中継(もっぱらパ・リーグのみ)は、テレビではなく「Yahoo!プレミアム」で見るようになって久しい。

サッカーといえば今やDAZNの独壇場で、加入していなければW杯予選すら見られない時代になってしまったし、逆にこれまでライブの映像に触れることが難しかった女子サッカーソフトボールの国内リーグ戦がアプリで見られるようになったりもしている。

そして極めつけは今日の村田諒太とゴロフキンの世紀の一戦の独占生配信。

普段は、こと動画視聴に関しては宝の持ち腐れのようになっている「Amazonプレミアム」だが、今日ばかりは会費を払っててよかった・・・と心から思った*1

ということで、ビジネスという観点からは年々大きく変わってきているのが「スポーツの試合映像の放映」の世界なのだが、そんな中、ジュリスト誌で久々にこの話題に触れる機会があった。

しばらく連載が続いている『実践 知財法務』シリーズの第6回として掲載された、小坂準記弁護士の「スポーツー放映権に関する契約の最新実務」*2である。

思えば、この前に同じジュリスト誌に掲載された『スポーツビジネスと知的財産』という特集記事を横目に箱根駅伝を見たのは、もう4年前の正月のこと。

その中の論稿の一つが池村聡弁護士の「プロスポーツと放映権」*3で、かの論稿では、巨額の取引が行われている実態がありながら法的には何ともつかみどころのない「放映権」を”理屈”を使ってどう説明するか、という高度な思考実験の一端に触れさせていただいたものだった。

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当時思ったことは↑のエントリ―にも少し書き残しているのだが、今回ジュリストに掲載された小坂弁護士の論稿では、この2018年の池村論稿も引用しつつ、放映権を”理屈”で説明しようとする試みに対し、実に思い切った姿勢が示されている。

「法的根拠を議論する実益は、放映権の帰属主体や無断撮影者への差止請求の可否に差異が生じるといい得るかもしれない。しかし、放映権の帰属主体は、プロスポーツ競技団体ごとに誰が管理・保有するのかを規約などによって明確にしていることが通常であり、実務上問題にならないように思われる。」
私見としては、そもそも放映権は明文規定に根拠のない権利であることに加え、放映権の内容も契約ごとに外延が多様であるため、法的根拠を上記①から③*4の見解のいずれかに限定する必要性は乏しく、むしろいずれの見解も法的根拠になり得ると解すべきであろう。」(以上69頁、強調筆者、以下同じ。)

これまで何となくお約束のように繰り返されてきた「法的根拠」をめぐる議論にバッサリと終止符を打つ一言。

さらに、その理由は次の項で明確に示されている。

「放映権を販売するために必要な権利を明確にする観点から、放映権の法的権利の内容や法的根拠を分析してきたが、実務上、これが契約書において明記されることは稀である。放映権契約書では、どのような媒体、目的等で放送・配信を行うのか、ということを列挙して許諾を行うことが通常であり、著作権法上の支分権で必要な権利を列挙したり、その法的根拠を明記して契約書を作成することは多くない。」
「もっとも大きな要因はビジネスにおいて実現したいことを明確に記載したほうが、契約当事者双方の理解に資するし、権利処理の『抜け漏れ』がなくなるためである。」(以上70頁)

契約書を形作るのは「法」ではなく、あくまでビジネスのニーズだ、という契約実務の鉄則を、これほどシンプルかつ明確に示した一文がこの『ジュリスト』という雑誌に掲載されたことがあっただろうか?と言いたくなるくらい美しい一文。

そして、これは放映権に限らず、全てのコンテンツライセンス契約、いや、ビジネスで用いられるありとあらゆる契約に共通することでもある、と自分は思う。

小坂弁護士は、これに続けて、

「このような実務慣行に照らせば、スポーツの試合映像のビジネスを担当する法務担当者にとって重要な能力は、放映権の法的権利の内容や法的根拠を理解した上で、①映像製作時に必要となる放映権を販売するために必要な権利をすべて販売者が保有・管理している状態にするという「ライツ・マネジメント能力」と、②映像販売時に必要となる契約書の文言で、放映権販売戦略に従った適切な放映権の外延を文言として作成(ドラフト)するという「ドラフティング能力」であると考えている。」(70頁)

と述べられた上で、それぞれの「能力」に含まれる要素を、想定される様々なシチュエーションを盛り込みながらコンパクトにまとめて説明されている。

付随して取り込まれる様々なコンテンツへの目配り、多様化する販売形態を意識した戦略立案の重要性、さらにSNS上のプロモーションのための映像の一部利用からNFTをめぐる問題*5に至るまで、具体的な内容は、実際に本稿に接して読み取っていただくのが一番だと思うので、ここにはあえて書かないが、凝縮された記述から著者の実務経験の豊富さまで感じとれる、実務家が書くならこうでなきゃ、という美しい論稿。

そして、攻め抜かれた8ページにわたる論稿の最後に記された以下のフレーズから、この先の実務とそれを担う方々の更なる盛り上がりが生まれることを期待して、本エントリーのひとまずの締めとしたい。

「『放映権』という権利は法律上、存在しない。契約によって定義される用語である。そして、著作権法は対応する支分権や権利制限規定を十分に持ち合わせておらず、常にビジネスの後追いとなる。」
「激変する時代のスポーツ分野における知財法務は、時代のトレンドを機敏に掴み、クリエイティブな発想力に基づいて権利を自ら創っていくものだと考えている。新しいスポーツの未来は、こうしたクリエイティブな思考と的確な契約書ドラフティングにかかっているのではないだろうか。」(以上75頁)

*1:もっとも、かなり安定したWiFi環境にいたはずなのに、動画の方は結構乱れっぱなしでフラストレーションもそれなりにたまる視聴ではあったのだが・・・。

*2:ジュリスト1569号68頁(2022年)

*3:ジュリスト1514号42頁(2018年)

*4:本稿では、放映権の法的根拠に係る従来の議論を①施設管理権説、②肖像権説、③主催者説の3類型に整理してまとめている。

*5:NFTの現在の”ブーム”に対する著者のコメントも興味深い(74頁脚注16)。

プライムでも、プライムじゃなくっても。

かれこれ3年近く、様々な関係者をザワザワさせてきた東証の新市場区分への移行が、本日、2022年4月4日、慎ましやかに行われた。

日経紙は朝刊でこそ1面トップ記事で取り上げたものの、世の中の視線はキエフの惨状に向けられ、せっかくのセレモニーも夕刊では1面の隅に追いやられる。

肝心の株価も一進一退。最終的には小幅ながら上昇に転じたものの、昼頃に株価ボードを眺めた時には、先月までの反動で低迷しているプライム銘柄も多かった。

移行市場の判定結果が公表され、各社が次々と移行市場を明らかにし始めた頃から、今回の「新市場区分」に対してはずっと冷ややかな風が吹き続けている。

「これは失敗」「何のための新市場区分なのか」と散々揶揄され、経済誌には”危ない企業”のランキングまで組まれ、挙句の果てに、記念すべき移行当日の紙面にまで「利益成長を欠き、海外マネーをひき付けるのに十分でない」と書かれてしまう。

冷静に見れば、プライムだろうがスタンダードだろうが、「上場」していることに変わりはなく、求められる体制も、適用されるコードの中身にも大して変わりはない。

しばしば「負担」として強調される中身の多くは、「プライム」市場に上場することに起因するものではなく、「上場会社」になることに起因するものだったりするのに、中堅規模の会社がプライム市場移行を宣言すれば「背伸びするな」と批判され、スタンダード市場移行を宣言すれば逆に喝采を浴びる不可解。

自分も、スマートに「スタンダード行き」を宣言する会社のリリースを見て、洒落てるな、と思った瞬間が何度もあったのは確かだ。

だが、改めて言うまでもなく、「上場」という選択をした時点で、その会社はルビコン川を渡っている

会社の規模や事業構造に照らせば必ずしも必要ないだろう、といいたくなるような型通りの内部管理体制を要求され、底なしの「IR」を要求するわがままな個人投資家に振り回され、事業よりもマネーにしか興味のないファンドや機関投資家に弄ばれる。

それでも川を渡った以上、会社が目指すべき道は、株主の利益の最大化しかないのであって、それを突き詰めれば行き着く先は最上位市場への上場しかない、と考えるのは当然のことだろう、と今になって思う。

朝刊に7面くらいぶち抜きで掲載された広告で、「プライム」の肩書とともに経営者に思いのたけを語らせた会社がある。
わざわざ適時開示で新しい市場区分に移行したことを高らかに宣言した会社もある。

残念なことに、会社の株価は経営者の志の高さとは比例しない。昨今のウクライナショックで多くのグロース株の株価が沈没しかかったことからも分かるように、時にはシンプルな企業業績にすら逆らうのが「市場」だったりもする。

折しも、景気はここから下降局面に差し掛かることは避けられず、既に各社が公表するQの業績予想も、上方修正より下方修正の方が目に付くようになってきた。

だから、今日という日を晴れやかな気持ちで迎えたであろうプライム1839社のうち何社が、ハードな上場維持基準の洗礼を潜り抜け続けられるかは、全く保証の限りではないし、スタンダード市場の1466社に至っては、それがより深刻な問題にもなってくる。

昨今の親子上場解消の動きや、様々な救済的TOBMBOの動き、そしてそれと呼応するかのように相次ぐ上場延期の動きなどを見ていると、どの市場も、今日発表された上場会社数が下手するとMAXの数字になりかねない、という予感すらする。

ただ、この先どんな結末になろうとも、それぞれの会社が行った選択は最大限尊重されるべきだと思うし、その結果選んだ先が、プライム市場でも、そうでなくても、栄枯盛衰の激しい世の中、今日この日に、古い区分の市場から新しい区分の市場へと歴史的な境界線を越えることができた、というだけで、十分価値があると言えると思うので、今日だけは、今日のこの日を東証上場企業として迎えることができたすべての会社に、最大限の畏敬の念を示したいと思うのである。

またしてもルメール騎手のいない週末、そして波乱は続く。

今年に入って、何度か”今年の中央競馬は異常事態”説を唱えているこのブログだが、今週末も、ドバイ帰りで戦線復帰するはずだったルメール騎手が開催日直前になって、突如の全騎乗キャンセル、という驚きの事態となった。

おそらく、また新型コロナ絡みだろうな、というのは薄々想像ができたのだが、土曜日が始まった時点では真相分からず、「PCR検査の報告懈怠で戒告」という処分がJRAから公表されたのは、土曜日の夜になってからのこと。

今年のルメール騎手のバイオリズムを考えると、仮に今週末予定していた全てのレースに騎乗したとしても、どれだけ勝利数を伸ばせたかは怪しいのだが、これで、川田、岩田望来の両騎手に続き、横山武史騎手にも5勝差を付けられ、騎手リーディングの座がますます遠のくことになった。

そして、今週のメイン、GⅠ・大阪杯

昨年も雨の中、コントレイルが敗れて4番人気ー6番人気の決着となったように、シンプルなレース条件の割には決して堅いレースではない。

ただ、今年に関しては、ハナ差のダービー2着を除けば全て勝っているエフフォーリアが1番人気、さらにサイレンススズカの再来を思わせる爽快な逃げで1勝クラスから前走・金鯱賞まで5連勝を飾っていたジャックドールが2番人気、という状況で、この2頭を軸にしておけばまず間違いない、という雰囲気が漂っていた。

仮にレース展開の綾でジャックドールがハイペースに巻き込まれて失速してもそんな展開ならエフフォーリアが間違いなくきっちり差し切るだろうし、逆にエフフォーリアが脚を余すような展開はジャックドールにとってはお誂え向けの逃げ切り勝ちのパターン、ということで、この2頭を両方とも外す組み合わせなんて、全く想像もできない、というところだったのだが・・・。

スタートで外枠のレイパパレが思いのほか好位置につけ、やむなく気合を入れて先手を取りに行ったジャックドールが最初の1000㎡を58秒台で刻んだと知った時、最初の嫌な予感はした。

アフリカンゴールドも含めた競り合いの中でおそらく前は潰れる。そうなると、2頭軸の一角は崩れ、後はエフフォーリアのヒモに何が飛び込んでくるかだなぁ・・・と思いながら眺めた4コーナーから最後の直線。

だが、その「絵」を見た時に、2つ目の悪い予感に襲われ、そしてそれは数秒後、見事に現実のものとなってしまった。

コーナーを回る時点で位置取りが悪すぎる。そして、追っても追っても全く伸びる気配がない・・・。

終わってみれば、決して早すぎなかったペースの中、先団に取り付いた馬たちの中での上位争いとなり、その中で一歩先んじた前年覇者・レイパパレに、他の有力馬の脱落で相対的に浮上した感もあるポタジェが、見慣れた蜂色の勝負服でゆったりと襲い掛かって最後はクビ差逆転。

さらに、本来ならルメール騎手が乗るはずだったアリーヴォが、まさかの鬼脚で突っ込んで3着を確保。

その結果、3連複でも5万円超、3連単にいたっては50万円超、という高額配当がそこに刻まれることになり、「2頭軸」の安心感から珍しくバラエティの富んだ馬券ポートフォリオを組んで悦に入っていた筆者は見事に空振り、ということと相成った。


今回1年2か月ちょっとぶりの勝利を挙げたポタジェにとって、今回のGⅠ制覇が「初重賞制覇」、というのは先週のナランフレグと同じ。

そして鞍上がいぶし銀の吉田隼人騎手だった、ということも、先週のレースでの丸田恭介騎手の優勝シーンに重なる。

これが今年の芝GⅠのトレンドになるのか、それとも、有力馬が抜けた後の春のGⅠが一巡すれば、新たな”序列”の下で皆動くようになるのか、その辺はまだよく見えないところはあるのだが、とにかく漂っている”波乱”ムードが来週からのクラシック第1弾にどのようなインパクトをもたらすのか、ということにも注目しつつ、次週での捲土重来を誓ったところである。

重大事にされてしまった「成年年齢引き下げ」に思うこと。

4月の1日、といえば、学校関係は年度替わり、代替わりということでそれなりのイベントがあるところも多いし、会社によっては新たな決算期、ということで「気持ち新たに」ムードを押し付けられがちなタイミングでもある*1

そして、例年なら季節の風物詩的な「入社式のトップ訓示」が紙面を飾ってシャンシャン、というのがこの日の常だったのだが、今年に関してはちょっと異なる様相になっていた。

改正民法が1日施行され、成人年齢が20歳から18歳に下がった。18、19歳も十分な判断力があると扱われ、親の同意なく携帯電話の購入や賃貸住宅への入居といった契約を結べるようになる。明治以来140年以上続いてきた「大人」の定義が変わる。」(日本経済新聞2022年4月1日付朝刊・第1面、強調筆者)

日経紙に限らず、メディア各社がこぞって取り上げた「成人(正確には成年)年齢の引き下げ」

この日の記事だけでなく、3月の半ばくらいから断続的に、問題提起型の、危機感をあおるような記事の掲載があちこちで見られたのも実に印象的だった。

民法の規定で言えば、総則~人~行為能力の節で、

(成年)
第四条 年齢二十歳をもって、成年とする。

という規定が

(成年)
第四条 年齢十八歳をもって、成年とする。

と変わったに過ぎない*2

さらに言えば、この改正が成立したのはまだ時代が「平成」だった2018年の通常国会で、遡ること実に4年も昔のことである。

その後、細かいところで多少のくすぶりはあったものの、3年前の今頃には既に『一問一答』も世に出されていて、今年の4月1日から今の形で施行されることは、とっくの昔に既定路線になっていた。

どれだけ長く周知のための期間を設けたところで、施行の日が迫るまではなかなか盛り上がらない、というのは今回の話に限ったことではないが、とっくの昔に議論が決着し、整理がついているはずの事柄がここにきてまた蒸し返されているのを見ると辟易するというか、何というか・・・


自分はかねがね、単純に年齢だけで線を引いて「成年」の定義を定め、未成年者の行為能力を一部制限する、ということ思想自体が、過剰なパターナリズムの発露に他ならないと思っていたから、今回の引き下げは、歓迎されるべきことでこそあれ、懸念されるような要素は何一つない、と思っている。

だって、「18歳」って、立派な大人ですよ?

このブログの読者の皆様の中には、「成年」から20年、30年くらい経っている方々もざらにいらっしゃると思うのだけれど、「当時と比べて自分の判断能力は成熟した!」と胸を張って言える方が果たしてどれだけいらっしゃるのだろうか? 少なくとも自分にはそう言い切れる自信が全くない*3

そうは言ってもやかましく騒ぐ人々がいるのは確かで、政府自身もそれに配慮してのことか、Q&Aで「成年年齢を18歳に引き下げた場合には,18歳,19歳の方は,未成年者取消権を行使することができなくなるため,悪徳商法などによる消費者被害の拡大が懸念されています。 」*4などと書いてしまっているのだが、現実問題として、相手が真の悪徳業者なら未成年者取消権を行使したところでそう簡単に何かを取り返せるわけではないし、逆に本来は真っ当な取引なのに、ただ「お金も持ってないのに浪費、散財してしまった」というだけで未成年者取消権の行使を認めるのは、相手方にしてみれば権利の濫用でしかない*5

皆それぞれ我が身を振り返り、周りを見回せばわかる通り、浪費癖にしても、投機的なふるまいにしても、10代後半の「未成年」の頃にやらかした失敗、というのは、概して人生においてその後も繰り返すわけで、それが「成年」になってから目立たなくなるのは、判断能力が向上したからではなく、失敗しても他人に頼らずに純粋に自分の稼ぎで穴を埋められるようになったから・・・に他ならない*6

だから、「判断能力の未熟さ」とか「知識・経験の不足」といった、とってつけたような理由で一律に行為能力を制限するようなルールの適用対象は狭めるにこしたことはないのであって、それでもなお救済されるべき、という状況があるなら、別の法理を前面に出せばそれで済む話。

それよりは、高校を出て実家を飛び出してもなお、様々な場面で直面する「法定代理人の同意」欄の存在ゆえに、生活の礎を築くのに悪戦苦闘させられた、そんな悔しい経験をする10代*7が減ることの方が、社会的な意義はよほど大きいはずである。

*1:もっともいわゆる「決算期末の対応」というのは、概して4月1日を跨いで断続的に行わないといけない(むしろ4月に入ってからが本番で、総会が終わる6月末くらいまで絶え間なく続く・・・)ことがほとんどで、新入社員の受入れに対応するような部署でもなければ、「4月1日」を何かの区切りとして実感する機会は乏しかった気がする。今となればなおさらだが・・・。

*2:細かいことを言えば、民法731条の婚姻適齢の男18歳、女16歳という規定が「18歳」に統一され、かつ成年年齢と一致したことで737条の「父母の同意」条項や753条の「婚姻による成年擬制」の規定が削除される、という改正もなされており、法の背景思想等を考慮するとこちらの方がよほど画期的な改正内容だと思うのだが、このことは不思議なくらい話題になっていない(また、養親となる者の年齢に関する792条では、従来の「成年に達した者」が「20歳に達した者」に改められている)。

*3:何か高価な物品を購入しようとする時の慎重さ、賢慮さは、当時の方が遥かに高かった。なぜならお金を持ってなかったから・・・。

*4:法務省:民法(成年年齢関係)改正 Q&A参照。

*5:個人的には、「ギャンブル依存症対策などの観点」から、投機としては極めて安全性の高い部類に入る公営競技の年齢制限を20歳に維持しておきながら、FX口座は18歳で開設できるようになる、というのはジョーク以外の何ものでもないと思っているが、それはひとまず措いておく。

*6:未成年者と同じくらい高齢者の「被害」が問題視されるのもその裏返しで、自分で埋め合わせて対応できるか、それとも親や子供を巻き込まないと対応できないか、という実態の差異が、殊更に問題を大きく見せているところはあるように思う。そして、ともすれば「過剰保護」とも言われかねないその手の問題への対策を正当化するために持ち出されたのが「判断能力」云々、という話なのだと自分は思っている(もちろん理由付けが何であれ、救済されるべき人が救済されるならそれでよい、と思うのだが、それが一律に規範化されることで判断能力がある人まで行為能力が制限されて不自由な目に合う、というのが、ここでの一番の問題である)。

*7:そんなこともあって、自分は「10代に戻りたい」なんてことは一度たりとも思ったことがない。そもそも過去に戻りたい、という発想自体がないと言えばない、とはいえ。

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2022年3月のまとめ

急に暖かくなって桜が咲いたかと思えば、また冷え込みが戻ってあたふたさせられた3月。

世の中全体が、欧州の戦争がもたらす”この先”のリスクに怯えつつ、目先の”コロナ明け”の空気にやや緩む、そんな中で局地的な自然災害に再び泣かされた人々もいる・・・というカオス状況で、いつまでも落ち着かない感じが続いている。

とはいえ、自分に目を移せば、そろそろ動き出さなければいけない・・・と一歩を踏み出した月でもあった。

おそらく、これから来月、再来月、と怒涛の日々が続く。
3月の歩数は今年に入ってからMAXの235,937歩だったが、そんな数字がかわいく見えるくらい歩き回る日々も、もう目の前に迫っている*1

異なる時間軸の仕事が次々と舞い込んできて、月ベースの収益は2か月連続で自己最高を更新し、一つ上の大台をまた超えた。
ただ、その代償は、落ち着いてアウトプットを組み立てることにすら四苦八苦、インプットなど到底ままならない、という残念な日常。

まだまだ「余裕」を感じられない日々は続いているのだけれど、そんな中でもつかの間、今年は桜を見れたぞ、ということだけは、ひそかな心の支えとして、これからのモチベーションにできれば、と思っている。

今月のページビューは12,000弱、セッション8,000弱、ユーザー4,000弱。
相変わらず低空飛行なれど、継続することの意味、を噛みしめながら、まだまだこの先も続けていきたい。

<ユーザー別市区町村(3月)>
1.↑ 横浜市 461
2.↓ 大阪市 442
3.→ 千代田区 281
4.→ 港区 274
5.→ 新宿区 212
6.→ 名古屋市 163
7.↑ 中央区 104
8.↓ 世田谷区 101
9.→ 渋谷区 92
10.圏外さいたま市 90

都心部からのアクセス復調の傾向は変わらず。そして横浜市が昨年11月以来、4か月ぶりに首位、ということで、いよいよ世の中が「平時モード」に戻っていることを感じさせられる。

続いて検索ワード。

<検索アナリティクス(3月分) 合計クリック数 1,163回>
1.→ 企業法務戦士 138
2.→ シャルマントサック 裁判 66
3.↑ 取扱説明書 著作権 19
4.圏外 ipランドスケープ 役に立たない 13
5.圏外 学研のおばちゃん 今 12
6.圏外 サイレンススズカ 再来 8
7.↑ 八坂神社 祇園祭ポスター事件 8
8.↑ 法務 ブログ 6
9.圏外 企業法務 戦士 6
10.↓ インナートリップ 霊友会 5

これは新たに浮上してきたキーワードに興味深々・・・というところで、思わずどの記事がヒットするのかググってしまった。

「IPランドスケープ」に関しては、役に立たない、というつもりはないのだけれど、手段が目的にならないようにしてほしいな・・・という課題感は、今に至るまで消えていないような気もするところ。

そして、3月のインプレッション最多記事は、↓の記事だった(インプレッション数11,262)。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

このジュリスト3月号は、当ブログ経由の今月の書籍・雑誌売上ランキングでも断トツのトップ。

エントリーの中では少し批判めいたことも書いたけど、それも”攻めた企画”だったからこそ、なのであって、伝統ある名門誌ながら企業法務の世界に常に刺激を与えてくれる「ジュリスト」&有斐閣に心からの敬意を表しつつ、今月のまとめの締めとしたい。

*1:元々はアベレージ月30万歩くらいの生活だったから、その辺くらいまではおそらくすぐ戻るだろう、と。

まさかの宗旨替え(?)と、この先への不吉な予感。

先週まで9営業日連続で上昇を続け、今週に入ってからも、3月期決算会社の期末配当狙いの買い持続、ということで高い水準をキープしていた東証の株価が、権利落ち日となった30日、予想通り崩れた。

それでもウクライナ・ショックの谷の時期に比べたら、日経平均は3000円以上高いし、新型コロナが始まった頃の混乱を思い起こせば10,000円以上も高い数字だから一喜一憂するような状況では全くない。

ただ、今年のこの日の日経紙の1面を飾った記事には、これも今年の”大不景気”の序の口・・・といわんばかりの不吉なオーラが漂っていた。

「円安が急加速し、円の下落と経常収支の悪化が共振作用を起こす「円安スパイラル」への警戒が強まっている。長い目でみた円の均衡水準も1ドル=120円台に下落している可能性があり、構造的な円安の側面が出てきた。円安効果は一部の輸出企業や富裕層に限られる半面、その痛みは資源高もあいまって個人や中小企業に広く及ぶ。円安を前提にした経済運営のあり方が問われる。」(日本経済新聞2022年3月30日付朝刊・第1面、強調筆者)

これを一目見て、「え?おい、待て待て、長くこの国を支配してきた安倍・黒田ノミクス下で、”円安”を散々持ち上げてきたのはどこの新聞社だよ・・・」とツッコミを入れたくなったのは、自分だけではないはずだ。

自分は、意図的な政策誘導の下で長く続いた「円安」の時代を全く快く思っていなかった側の人間である。

そりゃあ、北米市場で稼ぎを上げている(というかそこでしか稼げない)会社は儲かる、商社も儲かる。だが、日本国内を主要な稼ぎどころにする企業にとっては、「円安」は元々単なるコスト高の要因でしかない。

それでも前々政権が飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃は、表立って「円安は勘弁してくれ」という声を上げることは憚られた。

そして、まだ人々が国境を越えて自由に行き来することができた頃は、訪日外国人の急増、という一種の”副反応”もあって、内需企業の痛みもどこか打ち消されるところがあった。

だが、今、様々なところで世界中のサプライチェーンが目詰まりし、そうでなくてもコスト高になっているところに輪をかけての円安、さらに日本にお金を落としてくれる外国人もいない、となれば、今の状況は悲劇でしかなく、政権交代から取り残された中央銀行のトップが相変わらずこれまでの金融政策に固執すればするほど、この国の富は失われていく。

どれだけ旗を振っても上がらなかった物価が、年明けくらいから面白いように上がり、円安の為替相場も定着、となれば、10年目にしてようやく悲願達成!と喜んでもよさそうなところだが、元々目指していた方向がおかしかったうえに、今のようなシチュエーションでの達成、となれば、孤独な総裁の夢が叶えば叶うほど世の中は不幸になる。

コスト高を理由とした4Qから次決算期にかけての各社の相次ぐ業績下方修正。
ここ数年空前の活況を呈していたDX業界の足踏み傾向は顕著になりつつある中、様々な”ゲームチェンジ”によってさらに凋落していく製造業の名門企業たち。
緊急事態、準緊急事態下での補助金行政が終焉を迎えても、新型コロナ感染者数は高止まりし、結果的に需要を取り戻せないまま力尽きて消えていく飲食事業者、旅行事業者も多いだろう。

そして年金生活者から現役勤労者まで、物価高がもたらす悲鳴は日本中を駆け巡り、冷え込んだ消費が、傷みかけている様々な業種にとどめを刺す・・・。

・・・こんなふうに、様々な要因を全て足し込んでいくと、この先、リーマン・ショックの時以上に深刻な景気の谷に襲われても不思議ではない、という結論にどうしても近づいていってしまう。

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最後の最後での答え合わせ。

昨年秋、出だしから思わぬ苦戦を強いられ、「監督交代」論まで噴き出す騒然とした空気となったサッカーW杯最終予選。

だが、おかげで、久々のスリルを味わい、最後は爽快な気分で締めくくれた気がする。

気が付けば昨年10月、ホームのオーストラリア戦から怒涛の6連勝。

守備陣では、それぞれ一時離脱を余儀なくされたものの、吉田麻也酒井宏樹といった歴戦の勇者たちが要所で十分すぎるほどの存在感を示し続け、もう一人の功労者、長友佑都選手も、無礼な今どきの代表サポたちに毎試合酷評されながら、W杯出場を決めるところまでは先発の座を譲らなかった。

中盤に目を移せば、大事な試合で毎試合ゴールを決め続け、最終予選の実質MVPともいえるような存在になった伊東純也選手に、攻守にわたり堅実に働き続けた遠藤航、守田英正の両ボランチが輝きを放つ。

権田修一選手が、新守護神としてW杯出場を決める瞬間までゴールを守り切ったのも嬉しい出来事。

そして何より、ホームのオーストラリア戦で鮮烈な代表初ゴールを決めた田中碧選手がそこから欠かせないピースとしてレギュラーに定着し、中山雄太選手が長友選手と左サイドの座をめぐって支持率を二分するほどの躍進を見せ、最後のオーストラリア戦では三苫薫選手が2ゴール、と、A代表チームが苦しい戦いを乗り越える中で昨年の東京五輪代表組を取り込み、選手層を分厚くした、というのが、最終予選の一番の収穫だったような気がする。

思った以上に新型コロナが長引いて、まだまだ街中でパブリックビューイングという雰囲気ではない、ということを除けば、あの最悪の時期の予想がしっかり的中した(↓)、というのはホントに良かったと思うが、それ以上に、短期間の予選のうちにこれだけきれいに世代間シフトを進められたチームというのもなかなかなかったような気がするし、この「成長」は、今年の秋、カタールできっと生きると思っている。
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ガラッとメンバーを入れ替え、「何で呼ばないの?」「何で使わないの?」とクレームに近い悲鳴に押されていた選手たちを最終戦となったベトナム戦で使い、歴史的な勝ち点1を献上した、というのも、それだけ見れば無意味な試みに見えても、「それまで起用してきたメンバーこそが正解だったのだ」ということを知らしめ、森保監督のこれまでの手腕の確かさを証明した、という点では実に大きかったような気がするわけで、その意味で、選手時代も、監督になってからも、「実直なれど策士」な現監督の本領が最後までいかんなく発揮された最終予選だったのではなかろうか。

ここからの半年で、国内でも海外でも、今の代表選手たちの立ち位置は少なからず変わり、おそらくW杯本番は、今の代表チームからはかなり顔ぶれが入れ替わる形で迎えることになるのだろうが、そういったフィールド外での「策」にも思いを馳せつつ、久々に盛り上がった”代表熱”を冷まさずに、本番を迎えられれば、と思っているところである。

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