決して忘れてはならないこと。

この国を襲った新型コロナ禍は昨年、一昨年と、式のリアル開催をストップさせただけでなく、本来伝えられるべき追憶の記事のスペースすら奪っていた。
だから、関係者ならずとも”風化”を懸念せざるを得ない状況だったりもしたのだが、ようやく、である。

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「4・25」という日付がいつまでもこの痛ましい事故の記憶とともに語られることには複雑な思いもある。

また、この事故に限った話ではないが、5年、10年が過ぎ、この国の法がかつて除斥期間として設定していた期間すらあと数年で経過しようか、というくらいの歳月が流れてもなお、一事業者に贖罪させ続けることへの意味もそろそろ問われ始める頃なのかもしれない。

だが、人の命を預かるリアル・プラットフォーマーが負うべき責任は、法を超えたところにある、と自分は思う。

そして、そんなプラットフォーマーには、「あの時から時間が止まったまま」という方がこの世に一人でも残る限り、事故を「風化」させない責任がある、とも・・・。

残念なことに、どれだけ「安全」への意識が叫ばれても事件事故の歴史はまだ決して終わることはなく、今この時もまさに、知床の海で起きた悲劇に多くの人々の目が向けられている。

他の観光船が営業を見送る中、時化た海に漕ぎ出していった一隻。その裏に透けて見える「安全」とは異なる思惑。さらに、関係者がどんなに誠意を尽くそうとしても運営主体自体が飛んでしまったらどうにもならない、という、これまでの旅客輸送事故の歴史が証明した悲しい事実。

結果的に、全ての主体が「風化させない」という責任をかぶり続けられるわけでもないからこそ、できるところには、その努力を惜しんでほしくない、と思った次第である。

変えるために必要なこと。

一瞬盛り上がってはや鎮火・・・の気配もあるが、今週一番ドタバタしていた話題といえば、やはり某「丼」チェーンの件だろう。

こういうことが起きると、「コンプライアンス」の文脈で語ろうとする人が必ず出てくるのだが、本来、「コンプライアンス」という言葉は企業の組織風土そのものに根差した問題に向けられるべきで、そうでなければ、本来は”巨悪”に切り込む武器であるはずの崇高な行動規範が、単なる”小物叩き”の手段に貶められてしまう。


もちろん、会社の肩書を背負って登壇している者が、普通のビジネスパーソンなら決して使わない*1ような言葉を公衆の面前で使ってウケを取ろうとすること自体、そうそう簡単に許容されることではないし、ましてやそれが自社製品の謙遜を通り越した過剰な「卑下」的表現ともなれば、ジェンダーとか反社とかいう話以前に、不快に思う人々が多数出てくることは容易に想像できる。

一連の報道やそれに対するコメントの中には、「時代が変わったから・・・」というようなものも散見されたが、昔と比べて変わったことがあるとしたら、ある程度限られた受講生の前で話したことが、1,2日のうちに広く伝播したことくらいで、そこで使われた表現に対して人々が抱く違和感、不快感は、今も昔も変わるものではないし、自社商品の販売手法を外部であのような表現で語ることを繰り返していれば、遅かれ早かれ、商品への愛が強い会社幹部の耳に入り、今回と同じような結末になったはず。

「会社の看板を背負う」というのはそういうことで、ましてや当該組織において生え抜きではない外から招かれた者が自社について語る時は、より言葉の一つ一つに慎重さが求められる。そして、それを完遂することが確信できないのであれば、会社の肩書を付けて外で自由に喋らせてはいけない*2。それが今回の一連の事件の最大の教訓だろうと自分は思っている。

で、そんな中、日経電子版に以下のような記事が出た。

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「『マーケティング』は要らない」という見出しはちょっと煽り過ぎな気がするし、記事からは、主観的、情緒的な手法だけでは乗り越えられない壁にぶつかって危機感を抱いたからこそ外部の人材を招請したのではないか?というところが抜けているので、この編集委員の方が描く世界観だけを全面的に支持することはできない。

ただ、以下のくだりについては、同じく「データ」だけで分析するにはあまりに難解な業界に長くいたものとして、首肯せざるを得ないところはある。

吉野家及び持ち株会社吉野家ホールディングスの経営陣において最大の失敗は、社歴わずか約4年の人物に生命線である牛丼のマーケティングを任せたことだマーケティングの大家、フィリップ・コトラー氏の持論は「人をより良き方向に導くのがマーケティングという学問だ」。先の発言は正反対だった。」
「今回の問題をマーケティングの観点からとらえると、吉野家に限った話ではないはずだ。データサイエンスのような万能にみえる分析手法が簡単に手に入ると、成績をすぐに出そうと短期的な成果を求めるようになる恐れがある。目先の数字だけを追ってしまい、長期的に取り返しのつかない施策にもかかわらず、王道のように、外連味(けれんみ)もないように振りかざしてしまう愚策に出る。こうした人は、手掛けようとする商品やサービスに愛を感じないのだろう。」
日本経済新聞電子版 2022年4月22日5:00配信、強調筆者)

50年、100年、あるいはそれ以上の間続いている(&続けることを目指す)「看板」だからと言って、目先の利益を軽視して良いわけではないし、時には、長年のファンの”愛着”をぶった切るようなコペルニクス的大転回で状況を打開しなければいけないこともある。

だがそのためには、主観的で情緒的な”ファン”以上に、その「看板」の下にある商品・サービスとそれにかかわる人々に「愛」を注ぐ必要があるし、それがない限り、机上では王道のように見える戦略でも大概は失敗する(あるいは一時的に成功を収めても長続きしない)ということは、これまで多くの会社が証明してきたことでもある。

*1:少なくとも自分の語彙にはなかった。

*2:要は、これは「コンプライアンス」よりずっと手前の、人選と社外広報上のコントロールの問題なのである。

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「四半期報告書」廃止の意味。

世の中は丼屋の話で盛り上がり過ぎているようで、すっかり埋もれてしまった感もあるが、長年の懸案だった”多重開示”問題が改善に向けてようやく動き始めた。

金融庁は18日、金融審議会の作業部会を開き、上場企業が開示する2種類の決算書類を一本化することを了承した。金融庁金融商品取引法で上場企業に開示を義務付けている四半期報告書を廃止し、内容を充実したうえで証券取引所のルールに基づく決算短信に一本化する方針だ。」(日本経済新聞2022年4月19日付朝刊・第1面、強調筆者、以下同じ。)

この日の朝刊の記事では、これに続けて、「短期的な利益を求める市場のあり方にメスを入れる狙いで・・・」という現政権が好むフレーズも掲載されているが、それは今回の制度改正における本質的な話では全くない、と自分は思っている。

そもそも、企業の経営数値に関して言えば「四半期」は短期でも何でもなく、投資家の視点でいえば、売上と粗利くらいは「月次」で公表してくれ、というのが正直なところ。

中長期的な視点で経営に当たるのが重要、ということを否定するつもりは全くないが、だからと言って、それが日々の業績の低迷を正当化する口実になるはずもなく、過去に、毎四半期の業績の悪さを「中長期的には・・・」という説明でしのいできた会社がどういう末路を辿ったか、ということを振り返ってみるだけで、「四半期開示」=「短期的な利益偏重」という安直な発想が的を射ないものであることは容易に気付くだろう*1

一方で、同じ新聞社が今朝の朝刊の「社説」に堂々掲載していた「四半期開示の量と質保て」というご主張にも、おいおい、とツッコミを入れたくなるところは多々あった。

「まず、開示情報の量を保つべきだ。報告書は事業リスクに関する考え方や分析、財務諸表の注釈などが詳しい場合が多い。こうした情報が短信への一本化でなくなっては、情報開示の後退につながる。重複は省きつつ、どんな情報を短信に移行させるか。投資家から広く意見を募る手もある。」(日本経済新聞2022年4月20日付朝刊・第2面)

いやいや、これを書かれた記者は、この手の事業リスクの定性的な分析や、財務諸表に注釈を打つような会計処理方針を、「四半期ごと」に開示させる必要がある、と本気で思っているのだろうか?

実務上も、”べき論”としても、この手の記述が四半期ごとにころころ変わる(だから載せないといけない)ということだとしたら、そちらの方が大問題なわけで、有識者も、こういった記載は年一回の有価証券報告書だけで十分、と考えたからこそ、「四半期報告書廃止」という結論に至ったのではないか。

「数字」は景気動向や市場環境を受けて常に変わるものだから、短信で定期的にしっかり開示させる、一方、定性的情報や非財務情報はそこまで頻繁に変わるものではなく、変えるべきものでもないのだから、年に4度も開示させることを義務付ける必要はない*2

そして、何より、過剰な開示や開示の重複を排し、真に投資家に必要な情報を適切な頻度で開示させることで、各企業の限られた人員リソース(これは今後減ることはあっても飛躍的に増えることは決してない、というものでもある)を効果的に活用することができる。

それこそが、自分が今回の決定を支持する最大の、かつ唯一の理由。

開示が重複する、とは言っても、証券印刷会社が提供する便利なツールを使えば作業は共通化できるし、そもそも「数字」以外は、どの四半期も中身は基本コピペなんだからいいじゃない・・・と声が聞こえてこなくもない。

もっと掘り下げれば、四半期ごとにこの「無駄」で稼ぎを得ている人々もいるぞ・・・という表には出しにくい声も何となく聞こえては来る。

ただ、本当に必要なことが何であるか、そのために何をすべきか、ということを真摯に考えるなら、ここに挙げたような理由を根拠とする”抵抗”に全く理がないことは、火を見るより明らかだと思われる。

より長い歳月をかけて議論されてきた事業報告と有価証券報告書の完全一元化に関して言えば、今回の「四半期報告書の廃止」が通ったくらいでポジティブな夢を見ることは到底できないのだが*3、それでもなお、「無駄」をなくす方向に世の中がちょっとでも動いてくれることを期待して、ここからのさらに先、と見守りたいと思うところである。

*1:もちろん、四半期ごとに2ケタ増収増益を求める、といった過剰な要求は排されるべきだし、先行投資に伴う減価償却費やら何やらで一時的にP/Lの見栄えが悪くなることを殊更に批判することは避けられるべきだろうが、この変化の激しい時代に、純粋に事業が不振に陥っている会社をフィルターではじくために半年、1年、開示を待たなければいけない、というのでは、誰も株式投資などできなくなる。

*2:もちろん、急激な環境の変化による新たなリスク要因の発生等、期初の開示では到底カバーできないような事態になった時は、速やかに重要事実として開示する、ということがここでの前提にはなるのだが。

*3:少なくとも「短期的な利益を・・・」という話と全くリンクしない施策なので、政権の後押しも容易には期待しづらいだろうな、と思うところである。

三匹目のどじょうはいなかった。

二度あることは三度ある、とばかりに、上位人気馬を退けて重賞未勝利馬が桜花賞の栄冠を奪い取ったのはつい1週間前のこと。

そして、今週は、”混戦”、”傑出馬不在”と言われてきた今年の3歳牡馬戦線の一冠目、となれば、春のGⅠで3週続いたこの奇妙な流れに乗らない手はなかった。

そうは言っても、ざっと見回せば、「有力馬」として名前が挙がる馬は、大体重賞の一つくらいはとっているのだが、ここは心を鬼にして斬りまくり、例年なら本命に推しても不思議ではなかった武豊騎手騎乗の朝日杯FS馬、ドウデュースも、この”流れ”と、弥生賞2着馬は馬券にすら絡まない、というここ数年のジンクスを信じてバッサリ外す。

そして骨の在りそうな重賞未勝利馬の中から、本番で馬券に絡めないことについてはよりひどいジンクスを持つ「スプリングS3着馬」(サトノヘリオス)を外して選んだのはジャスティンパレスデシエルト。それに重賞勝ち組の中から「皐月賞直結ローテ」の共同通信杯馬・ダノンベルーガと、弥生賞組よりは結果を出している印象があったスプリングS勝馬ビーアストニッシドを絡めて、

「今週こそ完璧だ!」

と悦にいっていたのは、発走の3時間くらい前のことだっただろうか。

結論から言えば、結果は、実に惨めだった。

速い馬は速い。強い馬は強い。

そんな当たり前を思い知らされた日曜日。

終始先行馬群に付けながらも外枠からの発走で、距離的にはかなりロスのある競馬を強いられながら、最後は内でもがく先行勢に影すら踏ませず抜け出したジオグリフイクイノックス

そうは言っても朝日杯から共同通信杯、という王道ローテを歩んできたジオグリフとは異なり、イクイノックスは2歳の東京スポーツ杯2歳Sからの直行、という異例のローテだったが、そんなブランクを微塵も感じさせることなく最後は「前二頭だけの競馬」に持ち込まれることになってしまった。

道中では後方から苦しい競馬を強いられていたように見えたドウデュースも、直線ではさすがの上がり33秒8の脚が爆発。

ということで、馬主こそ異なるものの、1着から4着まですべてノーザンファーム生産馬で埋め尽くされる*1、という結果となり、今年の春のジンクスは全く通用しない世界となってしまった。

ルメール騎手がまたしても勝てなかった、ということや、キャロットの人気馬に騎乗した横山武史騎手がまた派手に敗れ去った、ということなど、変わらなかった”流れ”もある。

ただ、お馴染みのノーザン系の勝負服が上位を占め、2年ぶりにこのタイトルを取り返した福永祐一騎手を筆頭に、ルメール武豊川田将雅、と並んだ上位騎手たちの顔ぶれを見ると、もうすっかりいつものGⅠだな・・・という感じだったりもするわけで。

来週、暫しの休みを挟んで、さらにその次の週から始まる怒涛のGⅠ戦線がどう動いていくのか、まだ予測することは難しいのだけど、観客が戻って、場内の拍手がより大きくなっていくにつれ、「いつものGⅠ」が戻ってくるのだろうな、と何となく思いながら、そんな予定調和を見たいような見たくないような、複雑な気分で今はいる。

そして、多くの関係者をハラハラさせながらも、「一冠目」の舞台から、ドレフォン&キタサンブラック、という昨年産駒がデビューしたばかりの新種牡馬たちを鮮やかにアピールすることに成功した社台ファミリーの強さを思い知り、今年のセレクトセールも派手に札束が舞うのだろうな・・・と予感した春の日だった。

*1:ついでに言えば、5着、6着は今季好調な社台ファーム勢である。

「100ドルパック」に封印された記憶

ここ最近の円安傾向はとどまるところを知らず、とうとう1ドル126円台に突入。
そしてそれが20年ぶりの出来事、と聞いて封印していた記憶がちょっとだけ蘇った。

ちょうど仕事を離れて学びを謳歌していた時期。
普通に働いていたら絶対に享受できない長休み、という”特権”を使って、自分は太平洋を渡り、当時最強だったドルの母国へと渡った。

”特権”と言っても、本当に自由に使える時間は限られていたし、それ以前に今と違って使えるお金ももっと限られていた。
だから、現地滞在もせいぜい1週間くらい、という話ではあったのだが、自分にとっては初めて一人で海を渡り、異国の空気を堪能する貴重な機会だった。

世間では「9・11」の衝撃の記憶がまだ褪せていない時期ではあったが、その時拠点にした西海岸はまだ平和そのもの。気候的にも決して悪くはなかったのだが・・・。

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一夜明けても最大級の賛辞、そして思い出すのはあの夏の記憶。

「連続奪三振日本新記録」の速報を見て、慌ててYahoo!プレミアムの実況に飛んで行ったときには記録は既に途切れていた。でも、その後見続けたおかげで、もっと凄い歴史的瞬間を目にすることができた・・・それが4月10日の日曜日の昼下がりの出来事。

残念ながら、ちょうど休刊日にあたったために「翌日の朝刊1面」は幻に。

だが夕刊のスポーツ面では、大写しの写真とともに、彼の偉業を称える大見出しの記事が躍っていた。

プロ野球ロッテの佐々木朗希投手(20)が10日、千葉市ZOZOマリンスタジアムで行われたオリックス3回戦で史上16人目、16度目の完全試合を達成した。1994年5月18日に巨人の槙原寛己が広島戦でマークして以来28年ぶりで、20歳5カ月での達成は史上最年少。」(日本経済新聞2022年4月11日付夕刊・第9面、強調筆者、以下同じ。)

この後、さらに続けて「13者連続奪三振プロ野球新記録」、「27年ぶりの1試合最多奪三振タイ記録」、「パ・リーグでの完全試合は44年ぶり8度目」といったとてつもない記録も紹介されているが、この辺りはもう昨日から各メディアがずっと報じているから、もはや見飽きた感すらある。

ただ、その隣に書かれた篠山正幸記者の署名記事は、さすが日経スポーツ面、と言いたくなるような見事なものだった。

「投本間の距離が短くなったのか、ストライクゾーンのルールが変わったのか・・・。もちろんそんなことはないのだが、正常な野球の時空をゆがめるような投球だった。」
吉田正からは3打席連続三振を奪ったが、2つのボール球を除く10個のストライクのうち、バットに当てさせたのはファウル1つのみ。当代を代表するバットコントールの名手にしてこれだから、ほかの打者が簡単に当てられるわけがない。吉田正には4回、120キロ台のカーブを交えた。しかし、ほかの打者はほとんど直球とフォークの組み合わせだけ。これほどシンプルな配球で達成された完全試合はあっただろうか。」
「過去の完全試合における奪三振の最高記録は1968年、外木場義郎(広島)の16個。それを上回り『事故』の可能性を消した105球は2万2431人の観衆をひとまとめにして、異空間に連れ込んでしまった。」
「この先、どんな投手になるのか。(中略)という本人のコメントから想像するのは難しい。はっきりしているのは野球やスポーツの枠を超えたヒーローになりうること、この完全試合はその物語の序章にすぎない、ということだけだ。」(同上)

投球フォームだけ見ていれば決して力感のある投げ方ではないし、野茂英雄伊良部秀輝から松坂大輔まで、自分がかつて見てきたパ・リーグの剛球派投手たちの豪快さに比べると、いかにもスマートに淡々と投げ込んでいる印象を受けるのだが、それでいて球速表示はストレートで160キロ、フォークボールですら150キロ近い。

コントロールが良いのでバッターはいとも簡単に追い込まれ、そして球速以上に回転が効いているためか、ストライクゾーンに来ているボールでも強打者たちのバットはボールに全くかすりもしない。

テンポよく投げ続けた結果、あれだけの数、三振を奪いながらたったの105球で試合を終わらせてしまう、という魔法のようなピッチング。

「異空間に・・・」という篠山記者の表現は、スタジアムの観衆だけでなく、ネット回線経由で眺めていた視聴者にも見事に当てはまるものだった。

ローテーションに入り始めたばかりの時期のピッチングですらこれなのだから、この先もっと一軍のマウンドに慣れてきたらどのレベルにまで行くのだろう、ということは当然誰もが思うことで、「物語の序章」という表現は、まさに多くの視聴者が共有した感覚でもあったような気がする。

こうなると、思い返すはあの2019年夏の県予選決勝

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

まだまだ消化しきれていない関係者がいるかもしれない、ということは念頭に置きつつも、この先、佐々木朗希投手が様々な記録を塗り替えていけばいくほど、「あの夏」の監督の決断がクローズアップされて”神話化”されていくことは間違いないし、さらに、あの日夢と消えた「35年ぶりの快挙」がこういう形で次のステップにつながっていると思えば、あの日のチームメイトたちの涙も少しは報われるのではなかろうか。

この先、さらに衝撃を上書きするような華々しい活躍が続いて、シーズンの終わり頃には、「完全試合」すら彼にとっては懐かしいトピック、ということにでもなればもう言うことはないのだが、まず今は、この球界の宝・佐々木朗希選手が無事任務を全うすることを願って、ささやかに応援し続けることにしたい。

「流れ」の恐ろしさを知った日。

どんな物事にも、流れというものが必ずある。

そしてひとたび大きな流れができてしまうと、それに逆らうのは難しい。

今日、マリンスタジアムで佐々木朗希投手が軽く投げるボールをバットに当てるだけで精いっぱいだったオリックスのバッター達は、それを嫌というほど感じさせられただろうし、それと平行して開催されていた中央競馬の世界でも、”悪い流れ”に呑み込まれて嘆き節、となった人々は実に多かったはずだ。

春のクラシック第1戦、牝馬一冠目の桜花賞

チューリップ賞1着馬が人気になったら切っとけ、が鉄則のレースだから、どれだけ人気を集めようが、大外枠で1番人気に祭り上げられてしまったナミュールに賭ける手はないレースだった。

だが、データ的にも例年の傾向からしても、戴冠に最も近いと思われた2歳女王、名門千代田牧場生まれのサークルオブライフが、最速の上がり(33秒3)を記録しながら3着馬にクビ差及ばない敗北を喫し、同じく2歳GⅠで結果を出し、近年流行りの「直行」を選択したラブリイユアアイズに至っては先行するも大沈没して最下位18着。

2歳GⅠ3着から慣らし運転の前走を経て、きっちり体を絞って参戦したウォーターナビレラこそ、武豊騎手の好騎乗で勝利まであと一歩のところまで近づいたもののそれでも2着が限界で、目の覚めるような切れ味で最後に同馬を交わし去って勝ったのは何と、これまで重賞2着が最高のスターズオンアースだった。

そういえば、ナランフレグ、ポタジェ、と、これまで堅実だが今一歩だった馬がGⅠで重賞初勝利を飾る、という流れが今春2週連続で続いていたではないか!と気づいても後の祭り。

「重賞2着」がチューリップ賞フィリーズレビューならまだしも、フェアリーSクイーンCを勝ちきれず、さらにそこから桜花賞へ直行、というローテを取るような馬は、例年なら検討の対象にもならないところだが、それが勝ってしまうのが今のトレンドだとしたら、来週からまた馬柱を見る目を新たにしなければならない、ということになるだろう。

他にも、変な流れに巻き込まれてしまっているのが横山武史騎手で、レシステンシアの”逃げ失敗”に始まって、エフフォーリアのまさかの敗戦、そして今週のナミュール、と、同じ勝負服で3週連続、GⅠでの1番人気を裏切る(しかもただ負けるだけではなく、馬券にも全く絡めない)というこの流れはかなりのマイナス。

もちろん、それぞれの馬にも負けた理由を求めることはできるし、騎乗した競馬場が中京、阪神とホームコースではなかったことも、まだ若い騎手には酷な材料だったのではないかと思うのだが、それでもこれだけひどい結果が続くと、せっかく築きかけた”ノーザンファーム主戦”の地位もどうしても揺らいでしまう*1

来週も、今年は傑出した馬が不在で何が起きるか分からない皐月賞、という舞台での戦いになるだけに、この流れがもう一度、ということになる可能性も全く否定できないのだが、馬連の配当に5ケタ、5ケタ、4ケタという数字が並び、ワイドですら一度も3ケタの数字が出ていない、という状況がずっと続いてしまうと、せっかく参入してきたライトなファンに”小さく当てる楽しみ”が伝わらないじゃないか、という思いもあるだけに、再びの波乱を心の片隅でかすかに期待しつつ、どこかで”お約束”のような流れが戻ってきてくれることも願っているところである。

*1:それでもコンスタントに乗れる機会がまだまだ予定されているだけ、今週まで騎乗することすらできず、騎乗したらしたでナミュール以上に大敗、というルメール騎手よりはまだマシ、ということになるのかもしれないが・・・。

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