信じる者は救われる。

本来なら、パリ・ロンシャンからもたらされる朗報で日本中が湧きたつはずだった、10月最初の日曜日。

大挙して4頭が遠征。それも決して数合わせではなく、今年のダービーを制したばかりの旬の3歳馬に、昨年の菊花賞馬&目下の国内古馬最強馬、さらに海外で実績のある曲者・ステイフーリッシュに、人気が落ちれば走るディープボンド。

「日本代表」を掲げて参戦するには、これ以上ないメンバーだったといえるだろう。

それが負けた。それも完膚なきまでに。

語られる敗因はいつもと変わらない。

常に「適性」が取りざたされる欧州の重い馬場、それがレース直前の雨でさらに悪化して、どの馬もいつもの走りができなかった・・・etc

だが、本当にそうなのか。

スタート直後から強引にハナを奪いに行ったタイトルホルダー。「援軍」になるはずのブルームに必要以上に絡まれた不運はあったが、明らかにオーバーペースに見える展開に、鞍上・横山和生騎手の繊細さが見て取れた。

ドウデュースが見せ場なく馬群に沈んだのは、後方から追い上げる脚質と馬場との相性を考えればやむを得ないとしても、ステイフーリッシュ、ディープボンドの道中のポジション取りには大いに疑問が残った。

結果、最高着順はタイトルホルダーの11着。「地の利」がないのは仕方ないとして、ならそれを覆すために何をするか、が見えないのは厳しい。

エルコンドルパサーが見せてくれた夢から23年。オルフェーヴルで”あと一歩”まで迫ってからも、もう10年経っている。その歳月の重みを感じられるレースが今年こそは見られると思ったのだが・・・。

続きを読む

目指していた到達点はここなのか?

次から次へと著名企業を巻き込んで出てくる”五輪スポンサー疑獄”に世の中が騒然としている中で、9月も最終日になって突如出てきた「寿司チェーン営業秘密不正使用」事件。

そしてあれよあれよという間に、東証プライム上場企業、カッパ・クリエイト株式会社の現職社長が逮捕される、という事態と相成った。

「回転ずし大手「はま寿司」の営業秘密を不正に取得したなどとして、警視庁は30日、「かっぱ寿司」を運営するカッパ・クリエイト社長、田辺公己容疑者(46)ら3人を不正競争防止法違反(営業秘密領得)などの容疑で逮捕した。」(日本経済新聞2022年10月1日付朝刊・第1面)

営業秘密に関する不正競争防止法の規律の怖いところは、保持する会社側で一定の秘密管理体制が敷かれており、かつ情報自体が公知になっていなければ、その情報の中身自体が、客観的に見れば特許等で保護されるような高度なものでなくても保護の対象となってしまう、ということにある*1

そして、「不正使用された」とされている情報が「仕入れ値」等のデータである、と報道されているのを目にしたとき、「本当にこれ、刑事手続を進めてしまって大丈夫なのか?」という疑問は反射的に湧いた。

過去の民事裁判例の中には、取引先に関する情報や原価等の情報が「営業秘密」に当たると原告が主張したものの、「秘密管理性」要件や「示された」要件に該当しない、として不競法違反が否定されてしまった事例が結構存在する

もちろん、業界によっては原価や仕入れ先の重みが大きく、それゆえそれらの情報を厳格に「秘密情報」として扱うという会社が存在しても全く不思議ではないのだが、今回はそれがいきなり刑事手続というハードな世界で登場したことが問題を複雑化しているように思えてならない。

「不正使用された」とされている情報がどれほどの価値があるもので、それがゼンショーグループ内でどこまで徹底した管理体制の下で取り扱われてきたのか、”組織ぐるみ”とされているカッパ・クリエイト側の「使用」の実態がどのようなものだったのか、ということは、いずれ法廷でつまびらかにされ、裁判所の判断を受けることになるはずだし、それが分かるまでは、今の捜査当局側の動きの妥当性を評価することも難しい。

ただ、今感じているのは、不正競争防止法刑事罰強化は、今回のような内国ドメスティック企業同士の内輪の争いに適用するためになされたものではなかったのでは?、という素朴な疑問*2と、この国の刑事手続きに関するメディア側のリテラシーの低さ*3にかんがみると、本来、様々な要素を考慮して判断されなければならない「営業秘密保護」という領域に「刑事手続によるサンクション」という強すぎるアイテムを取り込んでしまったのはやりすぎだったのではないかなぁ、という思いだったりもするわけで・・・。

この先、本件がどういう経緯を辿って決着を見るのかはわからないが、既にハイクラスの人材であれば転職も当たり前、となっている時代に、あれやこれやと必要以上に萎縮を招くことのないよう、許されることとそうでないことが、きっちりと線引きできるような形で本件の議論がなされていくことが望ましいはずだし、本件を「他山の石」とするにしても、過剰にリスクを煽るような事例の使い方は断じて避けなければならない(特に専門家の立場であればなおさら)、ということはしっかりと肝に銘じておきたいと思うところである。

*1:もう一つ「有用性」という要件もあるが、この要件はもともと情報の内容にハイレベルさを要求するための要件ではないので、今回のような文脈ではあまり意味を持たない。

*2:一番の原動力となっていたのは、「日本企業の技術が海外(特に中国)企業に盗まれるのはけしからん」という”ジャパン・イズ・ナンバーワン”思想に基づく素朴な正義感だったように思うが、皮肉なことに刑事罰を強化するのと時を同じくして日本企業の相対的な技術優位性は失われ、さらに現実的な執行の困難性も相まって、肝心な部分では十分に効果を発揮しきれないまま、国内企業同士の足の引っ張り合いに使われる傾向が強まっている、というのが実態ではないかと思われる。

*3:被疑事実に基づいて「捜索」「逮捕」がなされただけで、あたかも有罪が確定したかのように扱われ、加えて、逮捕直後の不正確なリーク報道があたかも事実のように垂れ流されてしまう、というのが典型である。

2022年9月のまとめ

ちょっと涼しくなったと思ったらまた暑さがぶり返し、ようやく秋空か~と思ったら台風襲来でべた付くスコール、と、今年もなかなか空模様の方向性は見えない一か月だったのだが、終わってみれば、季節はもう確実に「秋」。

そして、仕事の方も既に一年の締めに向けたロングスパートに入っていて、年の前半から種を蒔き実ったものを一気に刈り取るモードに突入しつつある。

幸運なことに、少なくともここ数年は年を重ねるごとに充実感が増す、というサイクルに突入していて、特に今年は春先からずっと充実一途。

何よりも、短期間の間にこれだけ様々なジャンルで「表現」の場を与えていただける機会というのは、これまではそんなになかったものだから、燃えに燃えたり・・・ということで、一か月などあっという間に過ぎていく。これを幸福といわずして何というか・・・。

もちろん、様々なところで「書く」「喋る」機会をいただく、ということは、その分、このブログに割ける時間を減らすことにもつながるわけで、その意味で、美味しいネタをいくつも書き逃したことへのフラストレーションがたまっていないといえば嘘になる。

ただ、そんな雌伏の時を何度も繰り返して17年生き延びてきたのがこのブログ。ここに書けない時間が続いても、それは次に何かを書くための充電期間、と割り切って、慌ただしい翌日を迎えるのが吉だと思っている。

ということで、今月のページビューは12,500弱、セッション8,400弱、ユニークユーザー5,000弱。

<ユーザー別市区町村(9月)>
1.→ 大阪市 339
2.↑ 千代田区 241
3.→ 港区 216
4.↑ 新宿区 125
5.→ 横浜市 123
6.↓ 渋谷区 113
7.↑ 中央区 100
8.↓ 名古屋市 91
9.→ 札幌市 88
10.→ 世田谷区 83

千代田区中央区の急上昇にコロナ禍の終わりを知り、それでもまだ残っている北の国からのアクセスに夏の残り香を感じる、そんな結果。

検索ワードはこんな感じだった。

<検索アナリティクス(9月分) 合計クリック数 2,013回>
1.→ 企業法務戦士 142
2.→ シャルマントサック 裁判 69
3.↑ 東急グループ 序列 23
4.↓ 学研のおばちゃん 現在 21
5.圏外学研のおばちゃん 14
6.圏外crフィーバー 大ヤマト事件 14
7.↑ 企業法務戦士の雑感 12
8.↓ インナートリップ 霊友会 11
9.圏外企業が選ぶ法律事務所ランキング 11
10.↓ 持永哲志 10

いろいろと書き散らかした中でも、Twitterのインプレッション数で↓の記事が断トツ1位(8,191)だったのは、このブログの伝統を何とか守れた気がして嬉しい限り。
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

ということで、まだまだ我慢の日々は続くのだけれど、「音楽教室」の最高裁判決が出る頃には、もう少しは落ち着いてくれていることを願って、今月ももうひと踏ん張りふた踏ん張りしてみることにしたい。

「象徴」を失ったこの国の行く末

静かな秋の平日。

山手線の内側は、もっと物々しい雰囲気になっているかと思ったが、ホットスポットをちょっと外れれば、警備の人々の姿を見かけることもなく世の平和は保たれていた。

メディアはもう何日も前から、「世論を二分した」と騒いではいたが、実態はどうかといえば、言うほど「二分」はされていない

弔われる元総理の熱狂的な信者と、その対極にいる狂信的なアンチ。
そして、元総理本人にはそこまで思い入れはなくとも、それぞれの層を忌み嫌う人々が付和雷同して援護している、というそれだけの話で、両陣営を足し合わせても、おそらく世の中の人々の1割にも達しない。

要するに、招待状が来るわけでもない市井の普通の人々にとっては、「国葬」といったところで、ほぼほぼ自分たちとは接点のない、どうでもよい話だったわけで、いつもと変わらないありふれた都会の光景は、それを如実に表していたように思う。

もちろん、テレビをつければ、否応なしにニュースの映像が飛び込んでくるし、SNSでもひっきりなしに、様々な角度から話題が飛び交う。

それに触れれば、哀悼、共感から、反発まで、様々な感情が渦巻く人はそれなりにいることだろう。そしてそんな時に「世論調査」の電話が来たら、思わず振れた方の感情に委ねて回答する、なんてこともよくあるはずで、それはあちこちで公表された数字にも表れている。

ただ、それも一瞬のこと。

台風で甚大な被害を受けた地域に住んでいる方々にとっては、目の前の生活をどうするか、ということの方が何百倍も切実なことだし、荒れ狂う相場に翻弄されている人々であれば、中間配当またぎのタイミングを明日に控えて損切りかホールドかはたまた反転狙いの買い増しか、という選択に注力せざるを得ない。

かくいう自分も、昼に「岡田彰布監督復帰」のニュースを目にしてからは、来シーズンに向けた希望に胸が膨らみ、どこか知らない世界で行われているイベントへの関心など一瞬で吹き飛んでしまった。

要は、どこまでいっても他人事、だったのだ。この話は。

続きを読む

波乱の秋が幕を開け。

様々な地殻変動が起きる中、今年も冬、春、夏と乗り切ってきた中央競馬

秋になればさすがに・・・とばかりに、中央開催に戻った最初の週、3つの重賞全てを1番人気馬が勝った*1のを見た時は、「今年もいつもの秋競馬か」と思いかけたのだが、JRAアニバーサリーの三連休開催を挟んで3週目、いわゆるGⅠトライアルの最初のヤマに来たところで、再び今年ならではの波乱。

そもそも、この季節にしてはやたら雨に祟られている今年の9月、土曜日の中山、緩んだダートの不良馬場で、「時計が故障したか?」と見まがうようなタイム(ダート1800㎡でキヨヒダカの不滅のレコードタイムに0秒7差まで迫る1分49秒2)が出た時点で、何かが歪み始めていた。

勢いがピタリと止まってしまった今村聖奈騎手が今週も足踏みする中、土曜日に連勝を決めたのは同じく新人の角田大河騎手。
さらに日曜日は中山で、今季絶好調の19年目、丹内祐次騎手が1レース目から3連勝を飾る*2

そして極めつけは日曜日の東西のメイン重賞

上がり馬が大駆けすることも多いセントライト記念とは異なり、近年はダービーに出走したような実績馬が順当に上位を占めていた神戸新聞杯で、勝ち馬こそダービー9着のジャスティンパレスだったものの、2着、3着に前走2勝クラスの馬たち(ヤマニンゼスト、ボルドグフーシュ)が飛び込んできた、というのはかなりの衝撃だったし、古馬の方も、伝統のオールカマーで、重賞実績のあるデアリングタクト、ソーヴァリアント、ヴェルトライゼンデといった上位人気馬が全て吹っ飛び、代わってヴェルトライゼンデと同じサンデーレーシングの勝負服ながらそれまで重賞で今ひとつ勝ち切れていなかったジェラルディーナがあっさり勝利する、という波乱。続いて飛び込んだのがいずれも非社台・ノーザン系のロバートソンキー、ウインキートスだから、これまた”下克上的波乱”の様相を呈している。

もちろん、この先「毎週GⅠ」の時期にまで進んでいけば、「やっぱり収まるべきところに収まったか」という感想に結局戻ってしまう可能性はあるのだが、個人的にはまだまだ今年いっぱい一波乱も二波乱も起きそうだな、ということを半ば期待しながら見ているところもあって、なかなか悩ましい。

来週の中山コースでの秋のGⅠ第一弾で何が起きるか、さらにその翌週からの東京/阪神開催で何が起きるか・・・。

面白がってばかりだと怒られてしまいそうだけど、いつになく新しい風が吹き込んでいる状況だけに、それがもたらす変化を楽しみながら、当面ゆっくり眺めていければな、と思っているところである。

*1:しかも内2勝はお約束のノーザンファームでもう1勝は社台ファーム

*2:この週末4勝で星が並んでいた武豊騎手を突き放し、これで堂々のリーディングベスト10入りである。

情報提供サイト上での商標使用をめぐる”紙一重”の判断。

諸般の事情で、今年に入ってから商標法26条1項各号周りの判例、文献を調べる機会がやたら多くなっているのだが、最近アップされた裁判例の中にも、商標法26条1項6号をめぐって興味深い判断が示されている事例を見つけたので、備忘代わりに挙げておくことにする。

最初に見た時は、なんでこれで事件になってしまったんだ・・・という印象すら抱いた事件だったが、争われているサイトでの商標の使い方をよくよく見ると、逆にこの結論で良いのだろうか・・・という疑問も浮かび上がってくる事件である。

大阪地判令和4年9月12日(令和3年(ワ)6974号)*1

原告:株式会社トーリン
被告:株式会社エス・エム・エス

原告は「セレモニートーリン」の名称で葬儀場を運営する会社。
被告はインターネットを活用した情報提供サービス業等を目的とする株式会社であり、「安心葬儀」という名称のウェブサイト上で、「葬儀希望者が選択した地域に応じて、その条件に見合った葬儀社ないし葬儀場(以下「葬儀社等」という。)を一覧表示して情報提供することにより、葬儀希望者と葬儀社等とのマッチング支援を行うサービス(以下「被告役務」という。)」を提供していることが、前提事実として認定されている。

本件では、被告が、本件ウェブページを表示するためのhtmlファイルのタイトルタグ及び記述メタタグに原告の登録商標である「セレモニートーリン」を含む記載をすることで、検索サイト(Yahoo!)で「セレモニートーリン」とキーワード検索した際の検索結果等に(本件ウェブページに関する検索結果として)原告登録商標と同一の標章を含む内容を表示させる等したことに原告の商標権の効力が及ぶかどうかが争点となっており、原告の請求も、

「被告は、そのウェブサイト(https<以下略>。以下「本件ウェブページ」という。)のhtmlファイルの<meta name="description" content=">及び<title>から、別紙被告標章目録記載の標章(以下「被告標章」という。)を削除せよ。 」(強調筆者)

と、メタタグにおける商標の削除を求めるものとなっている*2

判決文の中で、「前提事実」の項に記載されていることからも明らかなように、ここでは、被告のウェブページのhtmlファイルのタイトルタグ、記述メタタグに「セレモニートーリン」という標章を含む記載がされていること自体は争われていない。

ただ、被告自身は、単なる情報提供サービス事業者であって、葬儀会館の運営等の葬儀業自体を行っているわけではないこと、そして、今の時代、グルメの世界から病院、はたまた法律事務所の紹介に至るまで、似たようなサイトが至るところにあふれていることを考えると、被告が原告のサービスを紹介する目的でメタタグ等に原告商標を含めたからといってそれを商標権侵害だといって争うのはちょっとどうかな・・・というのが、自分の最初の感覚だった。

ところが、判決文にも添付されている実際のメタタグの記載や、「セレモニートーリン」で検索して出てくる被告ウェブサイトのページを見ると、そこまで単純な話でもないように思えてくる。

まず、記述メタタグの記載は、以下のようなもの。

(判決PDF・別紙2、強調筆者)

「セレモニートーリン」の紹介ページであることを示すための表示であることは間違いないが、その後に切れ目なく続くのは、紹介先の葬儀社とは必ずしも関係しない被告の葬儀社の見積・紹介サービスの記載。

そしてその構図はウェブページ上でも同じで、紹介先である原告のざっくりとした特徴や地図、情報一覧や口コミレビューの掲載こそあるものの、ページの後ろの方に行くと、被告独自の見積・紹介サービスの案内が始まり、さらに「近くにある他の斎場」大阪府で経験・実績の多い葬儀社」、他の葬儀社の「葬儀事例」等々、原告にしてみれば腹立たしいコンテンツへのリンクが続く*3

こういった状況を踏まえると、以下のような原告の主張にも腹落ちするところは多い。

「原告は、被告が、安心葬儀において、被告役務を提供していることを争うものではないが、少なくとも本件ウェブページにおいては、被告が葬儀希望者と葬儀社等とのマッチング支援をするサービスを提供しているとはいえない。すなわち、被告は、本件ウェブページに本件葬儀場の情報を記載しつつ、一方で、「安心葬儀/葬儀相談コールセンター(無料)<省略>」との記載を際立たせて表示し、葬儀を希望する需要者をして、安心葬儀の電話番号である「<省略>」に架電させ、葬儀の執行をさせようとしているところ、かかる被告の行為は、葬儀を希望する需要者と、本件サービスサイトへの掲載や提携に応じた葬儀場とを直結させ、需要者による葬儀の執行に至るまでの一プロセスを担うものであるから、葬儀の執行を行う葬儀場と同一の業務と評価することができる。 したがって、被告役務は、本件商標権の指定役務である葬儀の執行と同一又は類似である。 」(判決PDF5頁、強調筆者)

もちろん、仮に被告が原告の「競合事業者」に当たると評価されるとしても、被告による原告商標の使用が常に商標権侵害にあたる、ということにはならず、商標の本質的機能とされる出所表示機能が害されず需要者に出所の誤認混同が生じない限り、「商標的使用」に当たらないから違法性は認められない、というのは、商標法に26条1項6号が設けられる以前からこの国に長く定着した法理でもある。

本件訴訟においても、裁判所は、以下のとおり、かなり丁寧な説示で、被告の使用態様が商標法26条1項6号に該当し、原告の商標権の効力が及ばない(結論としては請求棄却)という結論を導いている。

「本件サービスサイトは、その構成において、需要者である葬儀希望者に対し、その条件に見合った葬儀社等の情報提供を行い、また希望者には葬儀の依頼や相談、一括見積を行うことなどを通して、葬儀希望者と葬儀社等とのマッチング支援を行うサービス(被告役務)を提供するものであることが容易に看取できる。 そして、本件ウェブページは、これを単独でみても、そのドメインや本件ウェブページのタイトル部分や末尾の「安心葬儀」等の表示、競合し得る近隣の斎場等の情報も表示されることに加え、本件葬儀場の情報については、ホールの外観、特徴や所在地、アクセス方法、設備情報等の客観的な情報が記載されているにとどまり、これを超えて本件葬儀場の利用を誘引するような記載はみられないこと等の事情からすると、本件ウェブページに接した需要者は、「セレモニートーリン」を、葬儀場を紹介するという本件サービスサイトにおいて紹介される一葬儀社(場)として認識するものであり、原告が本件葬儀場において提供する商品ないし役務に関し、被告がその主体であると認識することはないものというべきである(本件ウェブページを含め、本件サービスサイトの運営者が原告であると認識することがないことも同様である。)。さらに、原告が問題とする本件ウェブページのhtmlファイル中のタイトルタグ及び記述メタタグに記載された内容は、検索サイトYahoo!において「セレモニートーリン」をキーワードとして検索した際の検索結果において基本的に各タグに記載されたとおり表示されると認めることができるが、その内容は、いずれも本件サービスサイトの名称が明記された見出し及び説明文と相まって、原告の運営するウェブサイトとは異なることが容易に分かるものと評価できる上、一般に、検索サイトの利用者、とりわけ現に葬儀の依頼を検討するような需要者は、検索結果だけを参照するのではなく、検索結果の見出しに貼られたリンクを辿って目的の情報に到達するのが通常であると考えられるところ、需要者がそのように本件ウェブページに遷移した場合には、前記のとおり、被告が運営する本件サービスサイトの一部として本件ウェブページを理解するのであって、やはり、被告標章を本件ウェブページの各タグ内で使用することによって、原告と被告の提供する商品または役務に関し出所の混同が生じることはないというべきである。したがって、被告による被告標章の使用は、商標法26条1項6号の規定により、本件商標権の効力が及ばないというべきである。」(判決PDF10~11頁、強調筆者)

確かに、被告のウェブページにおける原告斎場の記載は、”勝手情報提供サイト”特有の薄い記述にとどまっているから、原告自身が運営する「公式」ページと見比べれば、到底似ても似つかぬものであることは間違いなく、この点、「被告は、本件ウェブページの見出しやその説明文において被告標章を表示させ、需要者をして本件ウェブページにアクセスするよう誘引し、本件ウェブページにおいて本件葬儀場の建物の写真や情報を表示させることで、需要者をして、本件ウェブページが原告ないし本件葬儀場のウェブページであると誤認させ、出所の混同を生じさせている。 」(判決PDF6~7頁)という原告の主張にも、いささか無理があることは否定できない。

だが、Googleで検索すれば「公式」サイトの次に登場し、Yahoo!検索だとゴチャゴチャした広告の後に「公式」サイトとフラットに並ぶような形で見出しが登場するのが被告運営のウェブページだけに、「公式」サイトを見ることなく、そこにいきなり飛び込んでくる閲覧者も決して少なくないのでは? というのが自分の印象で、加えて、日頃からこの手のサイトに馴染みがない閲覧者も決して少なくないことを考えると*4、「原告の運営するウェブサイトとは異なることが容易に分かる」とまで言い切ることは躊躇せざるを得ない。

そして、「セレモニートーリンの近くにある他の斎場」といったような、明らかに当該ページの”主役”とは異なる斎場を紹介していることがわかるリンクならともかく、大阪府の火葬式の葬儀事例」大阪府家族葬の葬儀事例」といった見出しでのリンクや、大きく表示された被告のフリーダイヤルの電話番号は、ともすれば、「セレモニートーリン」を探しに来たはずの需要者を、気付かぬうちに原告とは全く関係ない葬祭場との契約に連れ去ってしまう可能性も十分秘めているように思える。

裁判所は、原告の主張に応答する形で、被告ウェブページの”自社サービスへの巧妙な誘導”の違法性も否定している*5

「原告の主張は、要するに、原告を紹介する本件ウェブページに被告の電話番号等が表示されることにより、原告が、その潜在的需要を失う不利益を被っていることをいうものと解されるが、そのような結果が仮に生じているとしても、前記認定に係る本件サービスサイトの性質及び本件ウェブページの記載(なお、反対にこれを参照して原告に依頼する需要者も在り得ると考えられる。)からすると自由競争の範囲内のものというべきである。原告の前記主張は採用の限りでない。 」(判決PDF11~12頁、強調筆者)

だが、「Yahoo!ロコ」のような単純なエリア紹介ページとは明らかに異なる、特定の事業者への検索ニーズを利用した商業サイトを、常に「自由競争の範囲内」と言い切れる自信は自分にはない

冒頭でもふれたとおり、この種の(勝手)情報提供サイト、口コミサイト、比較サイトの類は、あらゆる分野でネット上にあふれており、そこでは、紹介する施設等の名称その他の標章を使うことも当然のように行われている*6から、それがいちいち商標権侵害で争われるようなことになったら大変、という価値判断はどこかで働いたのかもしれない*7

ただ、一般論としてはそれで良くても、個々のサイトを細かく見ていけば、どこかで「地雷」が爆発する可能性はあるし、特に他人のビジネスを取り込んで、自分たちが独自のビジネスを展開しているような場合はなおさら注意を要する場面も出てくるのではないかな、と思った次第。

本件が高裁まで争われるのかどうかは分からないが、過去に当ブログで取り上げた「商標的使用が争われた事例」と同様、本件も商標の機能について考える上での好素材だと思われるだけに、今回の地裁判決の結論だけを過度に一般化することなく、今一度冷静に世の使われ方を眺めてみることとしたい。

*1:第26民事部・ 松阿彌隆裁判長、 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/411/091411_hanrei.pdf

*2:この他に損害賠償請求として540万円の支払いを請求している。

*3:本件で争われたものと思われる、セレモニートーリン(大阪府)の斎場詳細 | 安心葬儀のウェブページ参照。

*4:特に「葬儀場」でネットを検索する人々の世代層を考慮すればなおさらである。

*5:なお、正面から判示しているわけではないが、ここで「自由競争」というフレーズを持ち出していることから、裁判所も被告のウェブサイトが原告の事業と競合関係に立ち得るものであることは否定していないのではないかと思われる。

*6:中には、掲載先と広告宣伝に関する契約を交わした上で、商標使用も含めた許諾を取り付けて掲載しているサイトもあるだろうが、純粋な数で言えば、無許諾で掲載しているもののほうが圧倒的に多いようにも見受けられる。

*7:判決PDFの記載を見る限り、本件では原告側に訴訟代理人がいないようなので、なおさら裁判所も「ネットの常識」側に傾いた可能性はある。

常識は簡単に覆る。

日本では短い一週間、なれど、世界的には金融市場が大きくうねっていた中で、一日に二度も”あり得ない”ことが起きた。

一つ目は、この世界的な利上げラッシュの中で、わが国の中央銀行が下した「大規模緩和維持」の判断。

これまでの黒田総裁の強気すぎる振る舞いを見れば大方予想できた対応とはいえ、この期に及んで軌道修正の兆しすら見えないことには慄然とせざるを得なかった。

そして、二つ目。当然、市場が下した「円安加速」という判断に真正面から喧嘩を挑む、政府・日銀の「円買い」介入。

政府の関係者からは「投機的な動きへの断固たる措置」という言葉も発せられたようだが、今の日銀の動きを見れば、誰だって円を売って外貨を買う。

それを「投機」といわれても、市場関係者は当惑するばかりだろう。

結局何がしたいのか。

確かに、金利を引き上げればお金のめぐりが悪くなって景気も悪化する、というのがこれまでの常識で、今の日本が新型コロナ禍を引きずって企業投資も国民の消費も伸び悩んでいる、という前提認識に立つならば、黒田総裁の頑ななスタンスも支持される可能性はあるのかもしれない。

だが、今の世の中、本当にそうかといえば、お金があるところにはある、需要が伸びているところは伸びている。

前から言われているように、新型コロナ禍で業績が伸びた企業はそれなりにあるし、低迷していた会社の中にも、今年に入ってからの大幅な円安や資源高、企業物価上昇で一気に息を吹き返したところは多い。

個人にしても、新型コロナ禍でお金を使いたくても使えない、という状況が長く続いて、出口を失ったお金が手元に溜まり込んだ、という人は決して少なくないとされている。

世の中全体をならした統計では見えにくいかもしれないが、現場に近いところで見ていれば、”プチ”どころではないバブルの萌芽のような現象が至るところで起きていることにはすぐ気付くわけで、加えて、昨今報道されているような”景気刺激策”をこれから政府が打つようなことになれば、需要側はさらに盛り上がり、名実ともに本格的なバブルに突入することだろう。

それでもなお「緩和」路線にしがみつき続けるのか・・・。

今は米国でも欧州でも、教科書通り「繰り返される金利の引き上げが景気の低迷を招く」ということを所与の前提として様々なことが動いているが、2020年からの長いスパンでみると、少々利上げを繰り返したとしても直ちに悪影響を及ぼすとは限らない。

そして、今は先行きに懐疑的な世界中の市場も、いずれポジティブな動きがあれこれと目に見えて出てくればガラッと空気が変わり、むしろ”バブル状態”を後押しする方向に向かうことは容易に想像がつく。

にもかかわらず、引き締めの手は打たず、突出した円安へのもぐらたたきのような牽制だけで事を乗り切ろうとしているのが、悲しきかなこの日本という国。

常識に縛られすぎて、今本当にやるべきことをやっていない、その結果、”バブル再来”の恩恵に預かれる人が続出する一方で、”持たざる者”との格差は広がるばかり・・・。

変化し続けている世界では、これまでの「常識」など一瞬で吹き飛ぶ。だからこそ、その変化の潮目を見逃さず、きちんと世界の潮流に載っていくことが大事だと思うし、国の動きが鈍いなら個々人が自らの資産を守るために動く、ということも当然考えられる。

5年後、10年後どうなっているのか、なんてことを現時点で予測することは不可能だが、

「常識は常に覆る」

ということを肝に銘じた上で、日々しっかりと歩みを進めていければ、と思うところである。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html