遅れてきた良血馬と”馬産地”の意地がもたらした波乱。

エリザベス女王杯、と言えば、ちょっと前まではノーザンファーム社台ファームの馬たちの独壇場のようなレースだった。

ここ10年、「血統が良い馬が走る」という当たり前の現実を嫌というほど思い知らされてきた中でも特に「エリザベス女王杯」とくれば、煌びやかな良血馬たちが主役を張り、ここで得た看板を引っ提げて繁殖に上がる、そんなサイクルの一つに過ぎないようなレースだと勝手に思っていた。

最近では、一昨年、ラッキーライラック、サラキア、ラヴズオンリーユーと、ノーザンファームの馬が上位を独占したのが記憶に新しい。

新型コロナ禍の真っ最中で、競馬だけが存在感を発揮していたあの頃は、まだ”王国”にも、その主戦騎手にも、一片の陰りもなかった。

だが、あれから2年。エリザベス女王没後初めて行われたこのレースの主役は完全に入れ替わってしまった。

1番人気に推されたのは2年前の三冠牝馬・デアリングタクト。母までは社台ファーム育ちとはいえ、自身の生まれは日高。

いわば「馬産地の星」とでもいうべき存在の5歳馬が、スタニングローズ、ナミュールといったノーザンファーム自慢の3歳牝馬を迎え撃つ構図は、なかなか見かけないパターンではあったし、時代の変化を予感させるに十分だった。

それでも、「そうはいっても最後はノーザンだろう」と、2番人気のスタニングローズから、人気薄めのアンドヴァラナウト、ルビーカサブランカに流して、今や遅しとレースを待ち構えていたのだが・・・

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意外でも何でもない「必然の26人」

前々から知ってはいたが、長年刷り込まれたカレンダーからはあまりに外れた日程ゆえ、まだ「直前」モードには入れない今年のカタールW杯。

だが、登録メンバーの発表となると、いよいよ・・・という気分にはなってくる。

日本サッカー協会は1日、ワールドカップ(W杯)カタール大会(20日開幕)に臨む日本代表26選手を発表し、久保建英レアル・ソシエダード)や相馬勇紀(名古屋)らがメンバー入りした。長友佑都FC東京)と川島永嗣ストラスブール)は4大会連続のW杯となる。」(日本経済新聞2022年11月2日付朝刊・第37面)

これまでよりちょっと多い26名の選出。

この後に続く記事で「落選」と報じられた選手も何人かいるが、個人的にはほぼ違和感のない手堅い人選だな、という印象だった。

新型コロナ禍の影響で、様々なスケジュールが狂い、昨年の東京五輪から年を跨いだ最終予選まで限られた代表レベルの試合が一気に続いた、そして、試合を重ねるごとにチームの形も明確に見えてきた、というのが今大会の特徴で、それを踏まえるならメンバー内での序列の入れ替わりはあっても、メンバー自体が大きく変わることは考えにくい。

だから、セルティックでどれだけ結果を出していても古橋亨梧選手がメンバーに入れないのはもはや必然、といえるわけで*1、逆に故障を抱えていても、今の代表での実績がある限り、板倉滉選手や浅野拓磨選手は入ってくる*2

経験豊富な大迫勇也選手や原口元気選手が選考から漏れたことへのブーイングもチラホラ上がっているようだが、そこは「南アフリカ歓喜」を知る川島永嗣選手、長友佑都選手、さらに吉田麻也選手、酒井宏樹選手、といった守備側のレジェンドたちがいれば十分、と判断したのだろう。

MFに関しては、今季の鎌田大地選手、三苫薫選手の躍進を考慮すると、いかに最終予選で奮闘していたとはいっても、控え組のベテラン勢にはもはや居場所はなかったし、柴崎岳選手か原口選手か、と言われれば自分は柴崎選手を選ぶ*3

FWも、直近のエクアドル戦の後半に上田綺世選手が見せた安定感あるポスト役としてのパフォーマンスを見たら、「ここが世代交代のタイミング」と考えるのは自然だったと思われる。

もちろん、この手の話で誰もが満足する答えを出す、というのは不可能なわけで、難癖をつけようと思えばいくらでも付けられる。

自分も、メンバーの一覧表をパッと見た時に、一番左の列(GK、DF陣)の平均年齢がやたら高く見えるのが気になっていて、経験豊富といえば聞こえは良いが、「最初の3試合」を超えてハードな連戦をこのメンバーで乗り切れるのか*4、という疑念は湧いてくるし、そう考えると、もっと若いメンバー(GKなら谷晃生選手、DFなら瀬古歩夢選手、ついでにFWで町野修斗選手も)を入れても良かったんじゃないかな、と思ったりしなくもない。

でも、そんなものは所詮、素人の浅知恵に過ぎない。

勝てば英雄、負ければ戦犯。開幕前はそれほど盛り上がっていなくても、いざ大会が始まれば、依然としてそこそこの数の視聴者が映像に惹きつけられ一喜一憂する。そして、結果が全ての世界で、早々に敗退しようものなら容赦なく罵声を浴びせる。

その厳しさを一番よく知っている監督以下のスタッフが選んだメンバーなのだから、ピントが外れているはずもない。

そう信じて、あと1ヶ月を切った祭典の始まりを、静かに待ちたいと思っている。

*1:そもそもスコットランドリーグでの実績をどこまで額面通り評価するか、というところも考慮されたような気がする。

*2:もっとも、これまで通り23名の枠だったら、板倉選手はともかく浅野選手のメンバー入りは厳しかったはずで、その点、「枠拡大」に救われたところはあるような気がする。

*3:ここは完全に個人的な趣味の世界になってくるかもしれないが・・・。

*4:本来なら、最年少でフル稼働する立場の冨安健洋選手が故障を抱えていつ離脱しても不思議ではない状況だけに、なおさらそう思う。あと、GKに関しては、4年後このメンバーが誰もいなくなって技術継承できなくならないか?ということもちょっと気になる顔ぶれである。

2022年10月のまとめ

毎年のことではあるのだが、一年が残り3カ月を切ると時間もあっという間に流れる。

CSの1stステージに胸をときめかせたのは一瞬、気付けば贔屓チームはあっけなく敗退し、日本シリーズもまさかの「リベンジ」で再びパ・リーグに凱歌が上がっていた*1

未だ収束を見ない”統一教会”問題に、下落の一途を辿る内閣支持率。たびたびの介入にもかかわらず、強いドルの前に我らが通貨は負け続け、安定しない経済情勢の下、決算発表を迎えた各社の業績もまだら模様。そうこうしているうちにありとあらゆる物価は上がり、戻り始めた客足も鈍る。唯一好材料のように見えるのはリバウンドを見せ始めた旅行需要だが、現場に目を向けると人手が足りずに汲々としている残念な現実。

ということで、本業のネタもそれ以外のネタも、書きたいことは山ほどあったのだが、そうでなくても慌ただしい時期にいろいろと書き物が重なってしまったのが運の尽きで、原稿でも講演のシナリオでも、頼まれた仕事を仕上げるために集中しようとすると、自ずから他の書き物との相性は悪くなる*2

結果的に、月の3分の1も更新できず、ページビューは13,000強、セッション9,500弱、ユーザー6,000弱、と低空飛行を続けていることには忸怩たる思いしかないが、今は耐え時、と自分に言い聞かせて何とか乗り切った1ヶ月であった。

<ユーザー別市区町村(10月)>
1.→ 大阪市 390
2.→ 千代田区 290
3.→ 港区 255
4.↑ 横浜市 200
5.↓ 新宿区 176
6.→ 渋谷区 143
7.↑ 名古屋市 129
8.↑ 世田谷区 122
9.→ 札幌市 99
10.↓ 中央区 97

先月垣間見えた”オフィス回帰”の傾向は今月も続いているが、”戻り”も今のレベルが概ねMAXかな、と思うところはあって、この序列が今後しばらくは続くのではないかと思っている。

また、検索ワードは↓のような感じ。

<検索アナリティクス(10月分) 合計クリック数 2,465回>
1.→ 企業法務戦士 143
2.圏外フェアな競争 感想 46
3.↓ シャルマントサック 裁判 45
4.→ 学研のおばちゃん 現在 32
5.↓ 東急グループ 序列 30
6.↓ 学研のおばちゃん 25
7.圏外フェアな競争 23
8.↓ crフィーバー 大ヤマト事件 19
9.圏外アドマイヤムーン事件 16
10.圏外東京永和法律事務所 13

珍しく出てきた「フェアな競争」って何の話だろうと思ったら、洋上風力のエントリーだったか・・・*3という発見とか、「アドマイヤムーン事件」が思い出される季節になってきたのだなぁ、とか、いろいろ思うところはあるが、ここでは掘り下げない。

また、こんな停滞した状況でも、↓のエントリーがTwitterの月間インプレッション首位(5,267)の記事として挙がってきた、というのはちょっと嬉しかったりもする。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

あれこれ集中してテンパっている時に限ってさらに新しい仕事が舞い込む、というのは昔からよくある話だから、月が変われば余裕ができて・・・なんてことを今宣言するわけにはいかないのだけれど、どこかでまた温めてきたネタを吐き出せるときは来る、と信じてもう少し頑張ってみようと思うところである。

*1:オリックスの優勝、と聞くと、随分とレアな場面に遭遇した気分になるが、「パ・リーグのチームが優勝」というのは一昨年前まで長く続いた風物詩だから、もはやマンネリ感しかない。

*2:これが普通の仕事だけなら、どれだけ打合せやその他のあれこれが重なっても、気分転換でブログを・・・という行動様式に持っていけるのだが、それが書き物だと別のところで「書く」気力さえ失われてしまうので、どうにもこうにもブログの更新は捗らなくなる。

*3:k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

欅の向こうに一瞬だけ見えた1998年の幻。

昨年、エフフォーリアがダービーからの直行でこのレースを制したインパクトがあまりに大きかったから、なのか、今年は春のクラシックを沸かせた3歳勢が揃って同じ路線を選択し、そこを英国帰りの前年ダービー馬・シャフリヤール&札幌記念組が古馬を代表して迎え撃つ、という形となった今年の秋の天皇賞

上位5頭は単勝10倍を切るオッズとなり、「混戦模様」という言葉がしっくり来るレースとなった。

概して、こういう時は人気馬がお互い牽制し合って、淡々とレースが進むことも多いもの。

だが、そこで、そんな”予定調和”をぶち壊したのが、「世界の矢作」が育てた稀代の逃げ馬、パンサラッサである。

馬柱を見ただけでも、有力馬のジャックドールから、ノースブリッジ、バビットまで、重賞タイトルを持つ同型の馬たちがずらっと揃っていた中で、ノースブリッジとの先行争いを早々に制し、第2コーナーから向こう正面にかけて徐々にリードを広げていく。

さらに、最初の1000mのラップの「57秒4」という数字にざわつく人々を横目に小気味よく11秒台のラップを重ね、3コーナーを廻る頃にはもはや一人旅。
4コーナーを廻って直線に向いたときに後ろに広がっていたのは、まさに異次元のリードだった。

秋の天皇賞の舞台で、大欅の向こうを単騎で通り過ぎる馬影、といえば、往年のファンが思い出すものはただ一つしかない

まさかコンマ以下の数字まで同じだったとは見ていた瞬間は気づかなかったが、「57秒台」という数字と、あの「絵」を見ただけで「スズカ」の勝負服が蘇るのは、「神話」と同じ時代を生きた者の特権でもある。

www.nikkansports.com

ただ、自分は、最後の直線、残り400mの標識を過ぎてもまだ”セーフティ”に見えるリードを保ちながら走っているパンサラッサを眺めつつ、嫌な予感に駆られていた。

そのまま先頭でゴールを駆け抜けてくれるなら良いけど、もしこれで後ろから来た馬に差されたら、皆が20年以上見続けてきた夢はどうなってしまうのだろう、と。

そして、その嫌な予感は見事なまでに的中してしまった

今年のGⅠで何度となく繰り返された「届かないルメール騎手の差し」はこんな時に限って見事にハマり、敗れ続けてきた1番人気馬もこんな時に限って勝つ。

もちろん予想的には、追い込んできた2頭の3歳馬の方をしっかり押さえていたから、本当なら展開ハマって嬉しい!ということになるはずだし、レース自体、純粋に「見事」なものだったはずなのだが、ゴールの瞬間の興奮の後にどことなく感じた気まずさや如何に・・・。

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34年越しの残滓が消えた日。

それは思いがけないサプライズだった。

音楽教室のレッスンでの楽曲演奏が、日本音楽著作権協会JASRAC)による著作権使用料の徴収対象になるかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(深山卓也裁判長)は24日、JASRAC側の上告を棄却した教師の演奏に対する著作権使用料の徴収を認める一方、生徒の演奏は徴収対象にならないとした二審・知財高裁判決が確定した。」(日本経済新聞2022年10月25日付朝刊・第43面、強調筆者)

9月に弁論まで開かれた上告審。

一審では原告だった音楽教室側の上告受理申立てが早々に退けられた、という情報は事前に耳にしていたし、最高裁が、JASRAC側が争っていた「生徒の演奏の演奏主体」の論点だけを拾い、しかも、(通常は高裁判決を逆転させる場合に行われることが多い)弁論までわざわざ開いた、ということになれば、「音楽教室側の全面敗訴」という結果を予測するのも当然のこと。

ましてや、事件が係属していたのは、悪い意味で”サプライズ”に乏しい第一小法廷である。

だから、高名な著作権法の先生方の批判もむなしく、再び、利用主体認定にかかる過去の最高裁判決(クラブキャッツアイ事件最高裁判決、ロクラクⅡ事件最高裁判決)が呼び起こされ、「生徒の演奏であっても演奏主体は音楽教室だ」という結論で締めくくられることになるのだろう、と諦念していたのは、決して自分だけではなかったと思う。

だが、そこで最高裁が放ったのは、驚くほどシンプルながら事実上歴史を塗り替えるようなインパクトを持つ、そんな矢だった。

最一小判令和4年10月24日(令和3(受)1112)*1

公表された判決PDFは、わずか2ページ。

そして、歴史を塗り替えたのは、その中の、たった一つの段落だった。

演奏の形態による音楽著作物の利用主体の判断に当たっては、演奏の目的及び態様、演奏への関与の内容及び程度等の諸般の事情を考慮するのが相当である。被上告人らの運営する音楽教室のレッスンにおける生徒の演奏は、教師から演奏技術等の教授を受けてこれを習得し、その向上を図ることを目的として行われるのであって、課題曲を演奏するのは、そのための手段にすぎない。そして、生徒の演奏は、教師の行為を要することなく生徒の行為のみにより成り立つものであり、上記の目的との関係では、生徒の演奏こそが重要な意味を持つのであって、教師による伴奏や各種録音物の再生が行われたとしても、これらは、生徒の演奏を補助するものにとどまる。また、教師は、課題曲を選定し、生徒に対してその演奏につき指示・指導をするが、これらは、生徒が上記の目的を達成することができるように助力するものにすぎず、生徒は、飽くまで任意かつ自主的に演奏するのであって、演奏することを強制されるものではない。なお、被上告人らは生徒から受講料の支払を受けているが、受講料は、演奏技術等の教授を受けることの対価であり、課題曲を演奏すること自体の対価ということはできない。 これらの事情を総合考慮すると、レッスンにおける生徒の演奏に関し、被上告人らが本件管理著作物の利用主体であるということはできない。 」(PDF2頁、強調筆者、以下同じ)

最初に来るのは、「規範を書け」とやかましい一昔前の司法試験予備校の採点者が見たら大目玉をくらわすんじゃないか、と心配したくなるような薄さの判断枠組み。それに淡々としたあてはめが続き、最後に出てくるマジックワード、「総合考慮」。

でも、これを最高裁の裁判官が書けば、立派な「事例判決」となる。

果敢にも債務不存在確認を求めて東京地裁に提訴し、5年越しで争ってきた原告に対して、これを「勝利」と言ってしまうのは何となく申し訳ない気分になるが、それでも「生徒の演奏の演奏主体は生徒」という、ごくごく自然な解釈が最高裁でも是認された意義は決して小さくないはずだ*2

さらに、最高裁がこの判断を下す過程で、34年前のクラブキャッツアイ事件判決はもちろん、ロクラクⅡ事件の判決すら引用しなかった、ということは、これから他のジャンルで「著作物の利用主体性」が争われた場合の様相をがらりと変える可能性を秘めている

思えば、録画ネット、まねきTV、選撮見録、そしてロクラクⅡ、と事件が花盛りだった時代から今日に至るまで、我々は著作物の利用主体性の判断に際して、「分かりやすい規範」を求めすぎていたのかもしれない

どこかで線引きしてほしい、という思いは分かる。裁判上の規範から適法なビジネススキームを考えたい、というニーズも未だに残ってはいるだろう。

だが、裁判所の本来の仕事は、目の前に置かれているあれこれをいかに片付けるか、ということに尽きるわけで、抽象的な「規範」を立てて(あるいは過去の「規範」を追求して)論じたところで、本件の解決としてはそこまでの意味はない。

そう考えると、まさに目の前の問題を片づけることに徹した今回の最高裁の姿勢は十分評価されるべきものではないか、という気がしている。

おそらくこれから調査官解説が公式に出るまでの間、今回の短い判旨をめぐって様々な解釈が飛び交うことになりそうだし、それまでの間、「利用主体性」をめぐって一戦交えようとしている当事者にとっても手探りの時期が続くことになりそうだけど、それも過渡期の宿命。

そして、この先「利用主体」の認定をめぐってどれだけ激しく争われることになったとしても、「昭和」の時代の判決が安易に持ち出されることはないと信じて「総合考慮」の土俵の上で戦えることの意味は、実に大きいのではないかと思う。

最後に、これまで”勝ち戦”しかしてこなかった管理団体に自ら戦を仕掛けることでこの国の著作権法の歴史に大きな足跡を残した一審原告に改めて敬意を表しつつ、これまでの歩みとして以下のリンクをご紹介して、本エントリーを締めることとしたい。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
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*1:第一小法廷・深山卓也裁判長、https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/473/091473_hanrei.pdf

*2:おそらくは、今後、JASRACが徴収しようとする使用料の料率の妥当性や個々の音楽教室にそれを当てはめたときの金額の妥当性について、さらに激しいネゴが行われることが予想されるが、その際には、常に今回の最高裁判決が引き合いにだされることだろう。

父の数字に並んだ日。

快調だった夏競馬から一転、様々な雑音の影響もあってか、勝利からしばらく遠ざかってファンをハラハラさせた時期もあった今村聖奈騎手。

だが、10月10日、約1カ月ぶりの勝ち星を挙げ、翌週から三場開催のローカル場所に戻ってからは再びの勝ち星量産体制。

そして土曜日、22日に藤田菜七子騎手の持つ「女性騎手年間最多勝」に並んだかと思えば、翌23日には2勝を挙げ、一気に記録を過去のものとした。

これまで度々玄人観戦者たちを唸らせてきた彼女の騎乗技術とここまでの勢いを考えれば、「女性騎手」というカテゴリーで括られる記録などを目標に差せるのも失礼だろう、と思っていたし*1、実際、デビューしたのが3月だったにもかかわらず、8カ月目にして通年の記録をクリアしているのだから、結果的には「43」という数字などただの通過点に過ぎなかった。

ただ、同じ週末に「45」という数字まで勝ち星を伸ばしたのを見て、ふと思ったのは、「ああ、これでお父さんに並んだのだなぁ」ということ。

1997年にデビューした今村康成騎手が引退するまでの15年で重ねた勝利数は「45」。

競馬学校騎手課程13期生。派手なデビューを飾った武幸四郎元騎手はもちろん、秋山真一郎騎手、勝浦正樹騎手、といった個性あふれた腕利きたち*2が揃った代、しかも福永騎手、池添騎手といった将来を有望視された若手騎手たちが凌ぎを削っていた当時の栗東で騎乗機会を確保することは容易なことではなかったのだろう。

途中からはハードル専門騎手のような位置づけになっていたこともあって、メインレースで姿を見かけるような機会もほとんどなかった。

そんな父の騎手引退からちょうど10年経った2022年、愛娘は快進撃を続けている。

戦績の数字だけ見れば、親子の差は歴然。1年目の騎乗機会が僅か100鞍で1勝も挙げられなかった父に対し、娘は既に470鞍に騎乗。夏には初重賞タイトルを手に入れ、人生通算の勝ち星にまで並ばれた。

でも、それが実力の差か、と言われれば、そうではないこともまた明らかだろう。

父親が騎手として、そして引退後は調教助手として、築き上げた環境の下で育ってきたからこそ発揮できる力はある。

そこにあるのは、武幸四郎騎手や秋山騎手が1年目から白星を積み重ねたのと同じ構図。

今村聖奈騎手の凄さは、まだシーズンを2カ月以上残す現時点で、他のほとんどの「厩舎関係者二世」たちの1年目の数字に追いつき、追い越してしまったことにあるのだが、だからといって、父親まで追い越せたとは、本人も全く思っていないはず。

彼女がこのまま大きなアクシデントなく勝ち続ければ、歴代の新人騎手の勝利数上位者の記録も視野に入ってくるだろうし、メディアも当然、その数字が近づくたびにより報道を過熱させることだろう。

三浦皇成騎手の「91勝」は、今見ても「神が下りてきてたのか?」というレベルの数字だからさすがに厳しいだろうし、武豊騎手の「69勝」も、これまでのペースからは相当ストレッチしないといけない数字ではあるが、福永祐一騎手の53勝は既に射程圏に入っている。

そして、年が変われば、次に追いかけるのは女性騎手の歴代最多勝記録から、重賞、GⅠ勝利の記録まで、常に様々な記録に追い掛け回されるのもこの世界の常ではある。

だが、そんな記録を超越したところにあるのが、親と子の関係・・・。

父・今村康成騎手は勝利数こそ少ないが、現役時代に挙げた唯一の重賞勝利がGⅠ、それも最低人気馬で中山大障害を制する、という偉業を成し遂げている。

だから、本当の意味で「父の記録を超えた」というには、まだまだ時間がかかりそうだし、仮に今村聖奈騎手が近い将来GⅠタイトルまで手に入れたとしても、父の背中に追いつけた、と思えるようになるまでには、さらに長い時間がかかるだろうけど、騎手としてのキャリアと父親と同じくらいの年数積み重ねた時、彼女の口からどんな言葉が聞けるのか、ということを楽しみに、この長い長いドラマをもう少し眺めていくことにしたい。

*1:実際、6月の時点でそんなことを書いていた。新人騎手の快進撃が止まらない。 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

*2:そして、武士沢友治騎手、松田大作騎手、と今でも現役で頑張っている騎手が多い世代でもある。

地上の星より輝いた薔薇。

春の牝馬クラシックで二冠に輝いた今年の一番星、スターズオンアース

オークスの後、一頓挫あったと伝えられていたが、何とか秋華賞には間に合わせて、春から直行での三冠チャレンジ。

元々、何となくきれいな名前の馬だな、と思っていたのだが、この週末、馬柱をぼんやり眺めながらふと気づく。

この名前、意訳すると地上の星ではないか・・・。

いわずもがな、中島みゆき様の稀代の名曲。「プロジェクトX」とともに蘇る最強のイントロ。

桜花賞は7番人気、オークスは3番人気。自分も2回続けてノーマークだったこの馬が、今回1番人気に支持されたのも、多くの人々が馬名に隠された真意に気づいたからだったのかもしれない。

だが、今年のGⅠに関して言えば、「1番人気」は即、敗北に直結する

スタートで大きく出遅れながらも、最後の直線で馬群を縫いながら繰り出した上がり33秒5の末脚は実に見事・・・でも3着。
今年の平地GⅠ1番人気馬の宿命と、今年国内重賞はわずか2勝、GⅠもこの馬で取ったオークスだけ、というルメール騎手の勝ちきれない騎乗を見事に体現するようなレースになってしまった。

そして、二冠馬に代わって主役に躍り出たのは、華麗なる薔薇一族4代目ローザネイ起源)のスタニングローズだった。

2歳時から牡馬に混じって力走を続けていたこの馬。
3歳になって牝馬路線に転向してからは、オークス2着を除いて負けなし。前走の紫苑Sも勝って、大本命に名前が挙がっても不思議ではなかったのに、なぜかレース前、ナミュールの後塵すら拝する状況だったのは、悲劇の血筋を受け継ぐ者だったからなのか・・・。

第1回秋華賞のロゼカラーは、それでも人気薄で3着に飛び込んできただけ良かった。

気の毒だったのは、力走を続けながら最後までGⅠに縁がなかった弟・ロサードに、牝馬三冠もエリザベス女王杯もあと一歩届かなかった2代目・ローズバド

3代目になって、ローズキングダムが2歳GⅠでようやく念願のタイトルを奪ったものの、クラシックでは惜敗続き。そして、ジャパンCではブエナビスタ降着事件により優勝馬として名を刻むも後味は実に悪かった。

そういえば、あれからずいぶんと長い間、GⅠの舞台で「薔薇一族」の名を聞く機会には恵まれていなかったし、自分自身、あまり意識することもなくなっていた気がする。

実際、このスタニングローズ、という馬は2歳の最初の重賞の時からずっと見ているが、血統表に懐かしいロゼカラー、ローズバドの名が刻まれていることを意識したこともほとんどなかったのだ。

上位馬の実力が拮抗する中、坂井瑠星騎手の手綱に導かれ、先手先手で主導権を握った末に、1,2番人気を封じて先頭でゴールに飛び込んだ瞬間から、この馬の血のドラマも急に騒がれ始めた気がする。

懐かしい馬名が飛び交い、平成の、いや20世紀の競馬に逆戻りしたような感覚にすら襲われる。それが競馬の面白さであり醍醐味であることは否定しない。
ただ、そんな喧騒にオールドファンとしての心地よさを感じつつも、まずは今日のレース、この馬のレースが全てだよな、と思ったのも事実なわけで、「一族」よりも目の前の一輪のバラをまずは讃えなければならないだろう。

かつては”小柄”が代名詞だった薔薇一族*1も、世代を重ねて今や488kgの立派な馬体の牝馬を輩出するに至った。それをもって「薔薇一族らしくない」といってしまえばそれまでなのだけれど、個人的にはここから始まる新しい”薔薇”の歴史に期待を込めてみたいと思っているところである。

*1:ロゼカラーは426kgで秋華賞に出走、ローズバドも422kgでの出走だった。もっというと、ロサードの3歳春時点の馬体重は410キロに満たないくらいだったし、ローズキングダムですら450~460㎏のボリュームでGⅠを連戦していた。

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