これもまた、日常だ。

「マスク着用に関する政府方針」なるものが今日から変わった、ということで、街行く人の姿もガラリと変わるかと思ったら、案外そうでもなかった月曜日。

ざっと見た限り、通りがかった人々の8割くらいは依然としてマスク着用。時々、確信犯的に”素顔”を晒して歩いている人を見かけるが、何となく浮いた感はある。そしてかくいう自分も外を歩く時はマスクは外さない・・・。

「方針転換」が決まってこのニュースが流れ始めた時に自分が思ったのは、

「そもそも政府の方針だからみんなマスクしてたの?」

という素朴な疑問。

「方針」といったところで何の強制力もない。付けたければ付けるし、そうじゃなきゃ外す。
本来はそれだけの話のはずで、少なくともこの一年くらいは、マスクをつけるほとんどの人の動機が、もはや新型コロナとは関係ないところにあった気がする。

そして、もう一つ不思議だったのは、

「マスク着用緩和といい、5類移行といい、『COVID-19はもはや脅威ではない』という評価が定まったからこそこういう話になっているのに、なぜ「特定の日」まで『解禁』を待たなければいけないのか?」

ということだろうか。

これは迷走で始まった「新型コロナ対策」の象徴のような話で、もっともらしい説明を聞く度になんとも言えない気分になった。


この3年間、あれこれ言う人は多かったが*1、自分の場合、何だかんだ言って”マスク暮らし”は楽だった。

少々無精ひげが残っていても、気にせず仕事に出られる。相手の一言に動揺しても、眠気であくびをしそうに・・・いや耐えきれずにしてしまった時も、目だけパッチリしたふりをしていれば気付かれにくい。

自分の場合、コロナ前まで一択だった不織布マスクは、肌触りが気に入らなくて、風邪をひいたときでもするのは嫌、というタイプだったのだが、流行初期には平昌五輪会場まで行ったときに寒さに耐えきれずに買った黒の布マスクを数年ぶりに引っ張り出して使い始め、さらにユニクロが画期的な布マスクをラインナップに揃えてくれてからは、それに乗り換えてヘビーユーザーとして愛用し続けた。

使い捨ての不織布マスクはエコじゃないし、”病人”っぽく見えるところも何となく嫌なのだが、布マスクとなればもう立派なファッション。

身にまとうことに何の躊躇もなかったし、誰に言われるまでもなくこれまで付け続けてきた・・・。

*1:リアルで文句を言う人はそんなに見かけないのだが、なぜかSNS上にはそういう輩があふれていた・・・。

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そしてまたやって来たこの日。

あの日から、とうとう干支が一回りしてしまった。

「12年」と言えば、人生の中でも一つの節目になる期間。

あの頃地元の学校に通っていた子供たちは、例外なく都会へ、あるいは社会へと飛び出していく。働き盛りだった人々は「引退」の時を迎え、津波禍を生き延びた人々にも天の運命が忍び寄る。そして、様々な式典に一区切りつけようとする力学が働くタイミングでもある。

だから・・・なのか、今年の報道にはこれまで以上に「語り継げ」のトーンが強く滲み出ていた気がする。

目の前で津波にさらわれた子供を助けられなかった人、必死で手を引っ張り合って高台に走り九死に一生を得た人。

様々な運命に翻弄されながら何とか前に進んできて、でも振り返ると、その原点にあったはずのものが多くの人々の記憶から消え去りつつあるのではないか・・・そんな危機感が様々なところから伝わってきた。

かくいう自分も、環境の変化にここ数年の新型コロナ禍が重なって、もう長らく三陸の沿岸には足を運べていない。

かかわった時間の長さと濃さが、辛うじて自分の記憶の中に「3・11」直後の光景をとどめているが、既にどの被災地も大きく街の姿を変えてしまっている今、その記憶が失われることはあっても、強化されることはおそらくない。

今はまだ、年に一度の回顧記事を眺めながら、断片的な記憶を蘇らせることができるのだけれど、いずれ一年、また一年経つたびに、そういう機会も格段に減っていくはず。

これまで何度も書いてきたが、あの日から2010年代の終わりまで、自分を突き動かしていた原動力になっていたのは、間違いなくあの後に目に焼き付けた光景と、「復興」に向けた使命感だった。「3・11」がなければ、自分の企業人としてのキャリアが一つのところで20年以上も続くことは決してなかったはずだ。

時間の経過が、人の苦しみを和らげることもある。

瓦礫の山がそこにあったことなど想像もつかないくらい美しく整えられた光景が、再興に向けた意欲を増す効果があることだって否定はしない。

ただ、日本中のどこであれ、同じような悲劇がもう二度と起きてほしくない、と思うからこそ、大事なことはずっと忘れてはいけない、と自分は思っているし、様々な政策転換が歴史上最大級の災厄を亡きものにするようなことがあってはならない、とも思う*1

*1:改めて言うまでもないことだが、「3・11」がもたらしたのは地震禍、津波禍だけではない。

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これも過渡期の混乱に過ぎない、のなら良いのだけれど・・・。

今年も3月総会の季節となり、今週に入ってから次々と手元にいろいろな会社から定時株主総会の招集通知が届くようになった。

この3月総会は、昨年9月の改正会社法施行から6ヶ月が経過し「電子提供制度」が適用される最初の総会期、ということで注目して見ていたのだが、(ある程度覚悟していたとはいえ)蓋を開けてみれば、株主宛てに送られてくる書類のバリエーションの幅は想像以上に広かった

もちろん、自分自身、昨年から今年にかけて、いくつかの会社の総会に向けた準備状況をつぶさにフォローする立場ではあるので、どういう方向で進んでいるか、ということはおおよそ承知していたのではあるが、「フルセットデリバリー」の会社があるかと思えば「電子提供」に完全に舵を切って必要な情報はすべてウェブ上へ、という会社もある。多数を占めるその「中間形態」の会社を見ても、議案だけざっくり載せる会社から、一見これまで通り?と思わせるくらいよくできた”ダイジェスト版”を送ってくる会社まで、形は決して一つではない。

そして、それらが一個人株主としての自分の手元に一斉に集まると、まさにカオスな状況になる・・・。

多くの会社にとっては年に一度のビッグイベントで、しかもそれまでの長い歴史もある以上、「形」はそれぞれ自由であって良いとは思う。

ただ、送られてきた冊子上に見たい情報があるかと思えばなく、議決権行使書のQRコードを辿ってページを遷移してようやくたどり着く。しかも辿り着いた先にあるのは、古典的な「PDF」で、容量に限界のあるスマホでそれなりに重いファイルを次々とダウンロードしなければそれを開くことはできないし、スマホ画面で眺めるには何とも不便。かといってPCで開くためには、いちいちURLを打ち込まないといけないから、それはそれでまぁまぁ面倒な作業になり、結果、紙冊子とスマホの間を行ったり来たり。一通り情報を確認して議決権行使するまでの時間は、これまでの「紙オンリー」時代より格段にかかってしまった*1

特に厄介だったのが、一見すると紙冊子がデザインもレイアウトも立派に作られていて、法改正以前の運用と同レベルの情報が記載されているように見えるのに、よく見ると一部だけWeb掲載のPDFのみの掲載となっているようなパターン。

このパターンだと、議案のところまでは紙版にも完全に入っていて事業報告も冒頭のダイジェストのあたりまでは紙に入っているのに、その後のちょこちょこした記述が抜けている、というケースも多いので、電子提供されている資料を見ても途中までは「再放送」で二度手間となる。

せめて、昔のスタイルのように、Web版だけでも議案より前に事業報告載せといてくれないか、と思ったり、紙冊子にも記載している情報はそれとわかるようにマーキングしておいてくれないか、と思ったりもするのだが、中にいる方々のご苦労を考えると、そこまでお願いするのは酷というべきか。

そもそも、そこまで熱心に情報を探しに行く個人株主の数などたかが知れているとなれば、電子提供する「本物」と、株主に送付する「通知」に過ぎないダイジェスト版のフォーマットをいちいち変えるまでもない、と考える方が常識的な判断と言えるのかもしれないが・・・*2

*1:何だかんだ言っても、長年のノウハウが詰め込まれた「統合型招集通知」の冊子は、情報の一覧性という観点からはパーフェクトに近かったのだと思う。

*2:とはいえ、本来の参考書類+事業報告等と、ダイジェスト版を2種類用意するだけでも、現場の担当者にとっての負担は重くなるわけで、「企業の負担を軽くする」はずの法改正がかえって負担感を増していないか?という点は気になるところである。

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春の風が呼び起こす記憶。

競馬の世界で「3月」といえば始まりの季節である。

新人騎手たちがデビューし、新たに厩舎を開業した調教師たちが緊張の面持ちでパドックに出てくる。

ちょうどクラシック第一弾に向けた3歳馬たちのトライアルレースが始まる時期でもあり、運が良ければ一週目からメディアを賑わすことになる「初勝利」のニュースが、季節の風と共に何となく爽やかな気持ちにさせてくれる、それが毎年繰り返される弥生の月のならわし。

だから3月のレース、特に1週目の弥生賞などは、最近すっかり忘れっぽくなった自分でも、映像とともに蘇ってくるレースが多い。

だが、そんな季節にも例外はある。

自分にとっては大きな転機となった4年前、そんなに昔のことではないはずなのに、自分の中に「3月」の記憶はほとんどない。

ブログを見返すと、弥生賞のエントリーこそあるが、その後に続くのは沈黙の時間と断片的な感情の吐露だけで、ターフで何が起きていたかに関心を持つ余裕など全くなかったのだろうな、ということが容易に推察できる。

環境の変化を前に、純粋に忙しかった14年前の記憶もほとんどない。

そして、自分にとって一番苦しい春だった年の3月の記憶も、当然ない。

気付けばもう四半世紀。数少ない記憶として残っているのは、最低人気・テンジンショウグンが大万馬券を演出して破れかぶれの心を癒してくれた日経賞くらい、というあの年、はて弥生賞はどんなレースだったかしら?と思って記録を調べてみたら、優勝したスペシャルウィークから、セイウンスカイキングヘイローと後のGⅠ馬たちがずらっと名を連ねるなんと豪華なレースだったことか。

db.netkeiba.com

このレースを記憶から抜け落ちさせるのだから人生というものは恐ろしい。

伏兵と目されていたタスティエーラが、8年前の同レースの覇者・サトノクラウン産駒として初の中央重賞勝ちを飾った、という今年の弥生賞を見ながら、3月最初の日曜日、今、こうして純粋な気持ちで最高の娯楽を楽しめることの幸福を、もっと噛みしめないといけないな、ということを強く感じた次第である。

蘇った記憶。

時間が過ぎていくうちに、何となくおぼろげになっていた記憶が一つのリリースで蘇った。

鹿島建設株式会社が出した「独占禁止法違反事件における判決(控訴審)について」というリリース。

www.nikkei.com

もちろん、東京高裁で判決が出た、というニュースは電子版でも見かけていたのだが、そこでは「昔の事件」の如く、「地裁の有罪判決が支持された」という類のことが淡々と書かれていただけで、それだけなら自分もわざわざブログでエントリーを立てようなどとは思わなかっただろう。

だが、このリリースに込められた「熱」が、5年前の煮えたぎるような感情を思い起こさせてくれた。

「本件で問題となった工事は、過去に類例のない極めて難度が高い工事であるため、指名競争見積手続が開始される5年ほど前から同開始直前まで、発注者が当社以外の特定の会社にのみ技術検討などを依頼し、当該特定の会社のみが発注者から事前の情報を与えられ、時間と費用をかけて詳細な施工計画の検討、機械・技術・工法の開発及び人的な準備等を行ってきたものであります。このような経緯の中で、当該特定の会社以外の一方的に指名された競争見積参加者にあっては、指名から見積提出までの期間が極めて限られたうえ、提供された資料・情報も不十分であったため、本件工事を安全かつ確実に施工するための適切な施工計画を作成し見積を行うことは不可能でありました。」
「そこで当社は、本件は、民間工事の発注者自らが競争のない状況を作り出し、指名競争見積入札の時点までに独占禁止法上の実質的な「競争」(独占禁止法第2条第4項で定義された競争)が存在しない状態となっていたのであるから、形式的に指名競争見積手続がとられたとしても独占禁止法違反が成立する余地はなく無罪であると一貫して主張してきたものです。」
「しかし・・・」
(強調筆者、以下同じ)

つい先日出された「五輪プレ大会談合」起訴時の大手広告代理店たちのプレスのように、世の企業の中には公判が始まる前から”白旗”を上げてしまうケースも多いのだけれど、起訴され、控訴審判決まで行ってもなお主張をし続ける強さ。

そして、当の企業をここまでさせるところに、かの事件の異常なまでの筋の悪さがある。

ちょうど2018年の年初から3月くらいにかけて、このブログでも何度となくこの事件のことを取り上げていた。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com
k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

本件そのものではなくても、似たような発注案件の裏側を知る者として、事件の構図の作り方も、それを「事実」にするための捜査手法にしても、かなり問題性の高い事案だと自分は思ったし、今改めて読み直してもその思いは変わらないのだが、一方で、メディアの関心が薄れ、地裁での公判開始後に新型コロナの波まで襲ってくる、という展開の中で、こんな大事なことを忘れかけていたことに唖然とし、深く反省した次第である。

このままいけば、数年後、新聞の隅っこに「上告棄却決定」の記事が小さく出て終わり、ということになってしまいそうな話ではあるが、本当にそれでよいのか、ということも含め、今一度問い直したい、そんな思いで今はいる。

2023年2月のまとめ

時が過ぎるのは一瞬。連日、あれやこれやと猛烈な仕事の波に襲われている間に、はや今年も2か月が過ぎ去ってしまった。

目の前に期限が迫る仕事を優先し続けた結果、仕事ですら後回しになっているものは数多あるし、ましてやブログをや・・・ということで、今月の更新はほぼ「週1」というこれまでになく低調なペース。

それでも、ページビューは10,000を超え、セッション7,500弱、ユーザー5,000弱、という水準でとどまっているのは、有難いというほかない。

このままいけば、3月に入っても世の中の動きにすら疎いまま、気が付けば春が過ぎ、夏に突入・・・という展開になってしまいそうではあるのだけれど、ようやく「コロナなき春」が4年ぶりに訪れようとしている今、ちょっとした息抜きくらいはできる日常をどこかで見つけられれは、と思っているところである。

<ユーザー別市区町村(2月)>
1.→ 大阪市 366
2.→ 千代田区 276
3.→ 港区 209
4.→ 横浜市 140
5.↑ 名古屋市 101
6.↑ 新宿区 91
7.↓ 札幌市 88
8.↓ 渋谷区 85
9.→ 神戸市 83
10.圏外中央区 79

興味深いのは、全体としては数字が大きく下がっている中でも、都市圏中心部からのアクセスは大きく減少していない、ということで、それは最近、電車に乗った時に感じる「随分と人が増えたなぁ・・・」という感覚とも相通じるものがある。

人込みが嫌いな自分としては、「それでも在宅で頑張る!」という方々を徹底的に応援したいし、「コロナ去って元通り」ではそれこそこの3年間がただの「失われた時間」になってしまいかねないじゃないか・・・と思ったりもするのだけど。

続けて検索ランキング。

<検索アナリティクス(2月分) 合計クリック数 2,505回>
1.→ 知恵を出さないやつは助けないぞ 195
2.→ 企業法務戦士 117
3.↑ シャルマントサック 裁判 63
4.↑ 学研のおばちゃん 現在 58
5.→ 学研のおばちゃん 43
6.↑ 東急グループ 序列 33
7.圏外大ヤマト 裁判 32
8.圏外crフィーバー 大ヤマト事件 25
9.圏外フェアな競争 例 21
10.↓ 知恵を出さない奴は助けないぞ 15

時々顔を出す「昔の大事件」の名を見て懐かしさを感じるのはいつものこと。

今月書き損ねたいくつかの商標関係裁判例のログもどこかできちんと残しておかねば、と思っている。

ちなみにTwitterで最多インプレッションの記事は↓(インプレッション11,345)。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

そもそも今月Twitterからリンク張ったのこの記事くらいじゃないか・・・という状況だっただけに、読んでくださった方がいたのは何よりである。

ということで、駆け抜けた先に何があるかはわからないけれどここからまた猛ダッシュ、そしてその隙間に少しでも何かを残せれば、ということで、ブログの方はゆるりと続けていくことにしたい。

真夜中の快挙と別れの季節と。

歳をとればとるほど、時が過ぎるのは早くなる。

ついこの前新しい一年が始まった・・・という感覚だったのに、気付けばあっという間に今年2度目の中山開催に突入し、中央競馬の世界での「年度替わり」の時を迎えることとなってしまった。

本来なら、現役を退く騎手、調教師の「最終レース」を見送りながら感慨に浸るのがこの2月最終週の風物詩だったのだが、今年に関しては、中山にも阪神にも、そして小倉にも、最大の主役はいなかった。

「巨額賞金」のインパクトとともに一瞬で定着した2月のもう一つの風物詩、サウジカップデー。

そして、先週末の「日本最終騎乗」を終えた後、まさにその舞台へと飛び立っていったのが福永祐一騎手だった。

世界中にコロナ禍の足音が迫る中、騒々しく幕を開けた第1回からはや3年。最初は恐る恐るでも、ひとたび照準を合わせればレースに合わせた調整力は世界随一なのが日本の競馬界で、昨年は4つのレースでタイトル奪取。そして今年は勝ち鞍こそ3つながら、メインレース、賞金1000万ドルのサウジカップパンサラッサが堂々勝利、とくれば、まさに日本馬の独壇場だったといっても過言ではない。

そんな舞台に乗り込んだ日本人6騎手の中に、福永騎手も混じっていた。

個人的には、当日馬柱を見て、そこまでして乗り込んだ舞台のメインレースに福永騎手の騎乗馬が一頭もいないことが残念でならなかった。

去年GⅠを2勝したお手馬・カフェファラオが、フェブラリーS 3連覇の機会をスキップしてまでサウジカップに乗り込んだのに、その鞍上を務めたのはモレイラ騎手で、福永騎手の出番はその前座レース・リヤドダートスプリントのリメイク号騎乗までで終わり、だなんて、あまりに酷い仕打ちではないか、と感じたのは自分だけではないはずだ*1

だが、そんなことはお構いなく、騎手生活の最後に初めての競馬場で世界中の名騎手たちと顔を合わせ、自分の馬もきっちり3着に持ってくる、という仕事をやってのけた福永騎手の映像からは「爽やかさ」しか伝わってこなかった。

*1:もちろん、サウジCをステップにドバイWCまで狙っている陣営の思惑を考えれば、どんな成績を残してもこのレースが最後、という騎手よりは、次まで見てもらえる世界的名手にスイッチする、というのが常識的な判断であることは重々承知しているのだが・・・。

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