被疑者の叫びと、この後に待ち構えていそうなドラマ。

今日、東京地裁で行われたカルロス・ゴーン氏の特別背任事件に係る勾留理由開示期日。
報道によると、大方の予想(というか、関係者による事前予告?)のとおり、終始innocent*1であることを主張する、という展開となったようである。

依然としてゴシップも含めた様々な報道は飛び交ってはいるし、一方で、自分は一連の事件の証拠に接したこともなければ、そもそも逮捕状、起訴状の内容すら報道以上のことは知らない。

ただ、彼が本当に「イノセント」かどうかはともかく、被疑事実、起訴事実との関係で「無罪」となる可能性は十分にあるのでは?というのが自分の「直感」である。
そして、昨年末の時点で地に堕ちたと思われたカルロス・ゴーン氏が、起死回生の逆転劇の主役となる日も着実に近づいているように思えてならない。

後から振り返った時に、本件が「何かが変わった事件」の一つに数えられるのかどうかは神のみぞ知る、だが、過剰な報道に接すれば接するほど、この被疑者に喝采を送りたくなる・・・。そんな気持ちで見守っている。

*1:これが"not guilty”ではなくこういう表現なのは、単に「起訴前だから・・・」ではないのだろう。

一冊の新書に込められた思い。

昨年の今頃世に出た、著作権を解説する一冊の新書がある。

はじめての著作権法 (日経文庫)

はじめての著作権法 (日経文庫)

自分は、最初この本を店頭で見かけた時、カバーに「企業の法務・知財担当者だけでなく・・・」と書かれている割には、テンションが全く法務・知財担当者向きじゃないな、というただそれだけの理由で買うのをやめてしまったのだが、昨年末に公刊されたビジネス・ロー・ジャーナルのブックガイド批評会で話題になっていたこともあり、取り寄せてみることに。

Business Law Journal 2019年 02 月号 [雑誌]

Business Law Journal 2019年 02 月号 [雑誌]

結論として、第一印象(企業で法務なり知財なりを実際に担当している人にとってはマストな書籍ではない。理由は後述)に関して大きく変わったところはないのだが、一方で、日頃、仕事で著作権に触っていない一般の方(学生から大人まで)向けの"啓発”書籍としては案外良いのかもしれないな、という印象も受けたし、何より、読んだ自分自身が端々に織り込まれたエピソードの懐かしさと、著者の池村弁護士の熱い思いに心打たれるところがあったので、(今さらではあるが)以下、本書の特徴的なポイントを項目ごとに挙げつつ、簡単にご紹介させていただくことにしたい。

「一般の人向け」目線の徹底ぶり

本来、「新書」というのは、専門的な事柄を万人に理解されるように解説することを目的として出されるものだと思うのだが、専門家が書かれたものの中には、必ずしもそうでないものも多々見受けられる。

そんな中、本書は冒頭の「はじめに」にも書かれているように、「マニアックで玄人な方々を対象とするもの」ではなく、「著作権法に初めて興味を持った方、著作権法のことを勉強する必要に迫られた方、そういった著作権法の初学者の方々を対象に、著作権法の基本的な内容を、適宜最新情報等も交えつつ、とにかくできるだけ分かりやすく説明することに徹し」*1ようとするスタンスで貫かれている。

元々業界の専門誌である「コピライト」に連載されていたものをベースとしているとのことだし、池村弁護士ほどの専門家が「初学者」を含む一般人の目線に合わせて本を書く、というのはそう簡単なことではない*2

だが、本書では、例えば、著作権法の中でもっとも説明がややこしいトピックの一つである「著作者人格権」について、

「言ってみれば、作品(著作物)を創作した著作者本人の作品に対する種々の"こだわり”を保護する権利です。それゆえ、著作者人格権は、著作権(著作財産権)のように第三者に売ったりあげたりすることはできず、著作者のみが保有できる権利です」(本書77頁)

と、徹底的に割り切った表現をするなど、随所に「分かりやすく」「口語的に」説明できるようにするための知恵が施されている。

また『おふくろさん』事件(85頁)、『森のくまさん』騒動(86頁)に始まり、佐村河内守氏のゴーストライター事件(92頁)、音楽教室事件(101頁)、銀河鉄道999事件(119頁)*3、五輪エンブレム問題(131頁)と、最近、著作権絡みで話題になったトピックに一通り言及されており、かつ、それらのトピックの著作権の世界での位置付けと、著者自身の考え方についても多少踏みこんで示されている点も個人的にはポイントが高く、一般読者にとって有益だな、という印象を抱いた最大の理由もそこにある。

もちろん、上記のような「時事ネタ」に関しては、その時々で然るべき人が、ネットメディア等を通じて然るべきタイミングでコメントを出していることも多いのだが、それを全部まとめたものとなるとなかなか存在しないし、最近では、得体のしれない法律事務所系のサイトが乱立して決して正確とは言えないコピペ的なコメント垂れ流しをしていたりもするから、然るべきバックグラウンドをお持ちの方が、きちんと「活字」で書かれた本を出すことには、やはり相応の意義はある。

そして、冒頭の「はじめに」に出てくる以下の記述から、著者自身がまさにそこに重きを置いておられたのだろう、ということは重々見て取れるのである。

’(五輪エンブレム騒動について)「筆者は、非常に違和感をもって、そしてある腫冷めた目で一連の報道や炎上騒動を見ていました。とりわけネット上では、五輪エンブレムをはじめ、佐野氏の作品はあれもこれも著作権侵害であるといった論調であったように感じましたが、こうした論調は筆者の感覚とは大きく乖離しています」
「筆者としては、こうした乖離が生じる背景には、『著作権』が多くの国民にとって身近なキーワードになった一方で、著作権法の基本的な知識はまだまだ浸透していないことがあると考えています。分からないことがあれば書籍で調べたり、恥を忍んで先輩などに教えを請うたりといったことをした時代と異なり、今ではネット上でさくっと検索し、それで分かった気になってしまうというケースが非常に多く、著作権法についても同様です。もちろん、ネット上にも正確で良質な記事が沢山ありますが、良くも悪くも玉石混交であり、残念ながら不正確な記事も少なくありません(念のため言えば、弁護士等の専門家によるものだからといって正確な記事とは限らないのが実情ですのでご注意ください)。そうした記事を少し読んだだけで、著作権法のことを知ったつもりになっている人が多く存在しているように感じています。」(本書5~6頁、強調は本ブログ主。)

自分の主観では、本書の折々で引用される〝喩え話”の中には、マニアック過ぎてようわからん、と突っ込みたくなるようなものや、若干強引なこじつけ(?)に見えるようなものもないではないのだが*4、こと、「著作権法の解説と事例へのあてはめ」に関しては、本書は極めてスタンダードで正確な解説を貫いているわけで、それはすごく価値のあることだな、と思った次第である*5

ウィットの蔭から鋭く伝わってくる熱い思い。

本書は、ほぼ全ての章で著者独特のユーモアで笑いを取りに来ている(?)という点でもなかなか特徴的で、そこを評価する声も多いのだが(Amazonの書評や、BLJ座談会でのコメント等)、自分はむしろその裏に秘められた著者のコメントの鋭さの方に心を魅かれた。

先ほど紹介した「はじめに」の長文にもそれは現れているのだが、本文中でそれが特に際立っているのが、第8章「権利制限規定」のなかで1頁半にもわたって記された「私の思い」だろう。

「柔軟な権利制限規定」に関して、以下のように述べるくだり・・・。

(権利者団体側が頑なに反対する背景は)「一部の導入推進論者が、あたかも著作権法イノベーションを妨げる諸悪の根源であり、柔軟な権利制限規定を導入することによって、イノベーション推進のためであれば本来権利者からの許諾が必要な領域も含め、広く権利制限規定の対象となるかのような主張をしていることにあると考えています」
「しかしこうした主張は誤りです。フェアユース規定を含め、柔軟な権利制限規定は決して打ち出の小槌ではないのであって、権利者の利益を不当に害するような領域についてまで、イノベーション推進の名の下に権利制限の対象とするようなものであってはならないはずです。(179頁、強調は著者。)」

これは、もう少し筆が滑れば、特定の団体ないし個人名が出てくるんじゃないか、というくらいピンポイントな指摘で、最後は「おっと、思い入れが強い問題だけに、ついつい熱く語ってしまいました」と冗談めかして締めているものの、相当な熱量を感じる記述であり、直近の平成30年著作権法改正がああいう形で収まった理由も、ここを読めば非常に良く理解できるところである*6

他にも、「法律改正の裏側」というコラム(188~192頁)で、立法担当者として平成24年改正に携わったときの内閣法制局審査や各省協議のご苦労を縷々述べられたうえで、

「法改正の結果だけ見て色々と難癖をつけるのは簡単なことなのですが、その裏には関係者の血のにじむ苦労や様々な大人の事情があるということを少しでも知っていただけると嬉しいです。」(192頁)

と締められている箇所などがあって、「難癖」を付けた側の人間としては、なかなか刺さるところがある*7

いずれにしても、ウィットに富んだ書きぶりで読者を和ませながらも折々でストレートに熱く持論を吐き出す、という点に本書の最大の魅力がある、ということを、自分はここで強調しておきたいのである。

微妙な立ち位置

ということで、ここまでなら絶賛して終わり、ということになるのだが、惜しい点を挙げるとしたら、冒頭でも述べたように、全体を通じて本書の「立ち位置」が若干分かりにくくなっているところだろうか。

「一般読者」向けなのか、「初学者」向けなのか、あるいは「実務家」向けなのか・・・。

これまで称賛させていただいたとおり、一般読者向けの〝啓発書”としては、本書は非常に優れていると思うのだが、ところどころにマニアックな記述*8が登場するのは少々蛇足のようにも思える。
一方で、「実務家」に向けたものだとするならば、著作物性、類似性の判断に関して取り上げられている素材の選び方*9や、実務上一番重要な「権利処理」に関する記述の薄さ等、いろいろ気になるところは出てきてしまう。

また、著者自身の立ち位置(実務家として、どういうスタンスで著作権法に向き合っておられるのか?)にも見えにくいところはある。

例えば、「著作物性」に関して、一見、狭義(厳格)に解するスタンスをとっているように読める記述がある一方で、まとめの部分では「『著作物』のハードル自体はそう高いものではなく・・・」(本書55頁)という形で記載されていて、どちらに力点を置いて説明しようとされているのかが今一つ見えにくくなっているくだりなどは象徴的である。
また、「権利制限規定」に関するスタンスについても、ある程度、ここ数年の議論に付き合ってきた読者であればともかく、一見の読者にどこまで伝わるかはちょっと疑わしい。

いずれも、個々の箇所の記述が誤っているとか不明瞭、ということではないし、むしろ、真に著作権法を理解され、様々な利害関係者に配慮したバランスの良い言説を意識しておられる方だからこそ、そうなってしまうのだと思うが、「読み物」として通して読んだ時に、きちんと全体を読めば読むほど違和感が生じることにならないのかな?ということは、老婆心ながら感じている*10


とはいえ、自分で買って読んでみて、最後の一点だけで本書を敬遠するのはあまりにもったいない、ということに気付いてしまったので、未読・未購入の方には、「自分ならどう読むか?」という隠れた楽しみを味わうためにも、本書に一度は目を通していただくことを強くお勧めしたい*11

*1:以上、本書4頁。

*2:自分も、ちょうど10年くらい前に、技術評論社さんの依頼で、ネットだから気をつけたい! 著作権の基礎知識:連載|gihyo.jp … 技術評論社という連載を書いていたことがあったのだが、本書を読んでいるうちに、当時ちょっとでも分かりやすくするために、表現の一つひとつにすごく神経を使ったことが懐かしく思い出された。

*3:この事件に関しては、池村弁護士自身が松本零士氏側の代理人として訴訟に関与したことにもさらりと言及されている。

*4:あと、「編集著作物」に関して「著作権判例百選」を紹介しておきながら「例の件」について一切触れられていないのは、他の箇所の流れと比較すると、かなり不自然に思える。もちろん、あえて触れたくない著者のご心情は十二分に理解できるところではあるが。

*5:ちなみに自分は、五輪エンブレムに関しては、法律論以外の要素の方をむしろ重視して、「さっさと撤回しろ」というスタンスだったから、結論においては本書の著者とは異なるのかもしれないが、こと著作権侵害の成否に限って言えば、当然「シロ」、という点で意見を共通にしている後味の悪い結末〜遅すぎた五輪エンブレムの“撤回” - 企業法務戦士の雑感

*6:他にも、権利制限規定に関しは、「パロディOK」を権利制限規定化することに関して強い反対の意向を示されている箇所などが印象的である(226~228頁)。

*7:もっとも、この点については当時から激しい応酬がなされていた。今では懐かしい新しい権利制限規定は著作権法の未来を変えるのか? - 企業法務戦士の雑感を参照されたい。

*8:例えば、著作者人格権に関して金子敏哉准教授の説を紹介している88~90頁のコラムなどは、一般読者に紹介するにしてはいささか先端的すぎないか?という気はする。

*9:こういうことを言うと、「これだからマニアは・・・」という突っ込みが入ることは避けられないのだが、著作物性にしても類似性にしても、事案ごとの事情で裁判所が半ば「政策的」に判断を下したケースはそれなりにあるわけだし、そもそも全ての事例について(現職の裁判官を含む)専門家が過去の裁判所の判断を全面肯定しているわけでもないので、これだけで「分かった気」にさせてしまうと、ミスリードとなる可能性はある。

*10:この点、本ブログでも過去に絶賛させていただいた福井健策弁護士の新書のスタンスの一貫性には、敬服するほかない。これを読まずして「著作権」は語れない。 - 企業法務戦士の雑感“TPP時代”の幕開けを前に読むべき一冊。 - 企業法務戦士の雑感など。

*11:なお、Amazonのランキングでは、依然として本書が「ビジネス法入門」部門の1位を争っている。さすが、である。

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「占い」は外しても、読み外したくない時代の潮流。

新年、ということで、例年同様、元旦の朝刊の紙面は「今年の予測」を論じる記事であふれていた。
30年前は、ほとんどの人が確信していても口には出せなかった「改元」だが、今回は堂々と口に出せる、ということで「『平成』から新時代へ」というトーンの記事も多い。
ただ、あの時も1989年1月1日の時点で予測できていたのは「昭和天皇崩御」と「消費税の導入」くらいで、その後に世界を襲った大波*1や日本国内での政変*2まで予測することは到底不可能だった。

歴史は常に繰り返すもの、そして今年は今の時点で既に30年前を彷彿させるような不吉なキーワード(「改元」とか「消費税」とか・・・)が既に見えているだけに、また大きな変化、それも、保守層には決して芳しくない方向での変化が生じるような気がしているのだが、日経紙新年定番の「経営者が占う・・・」シリーズでは、どちらかといえば楽観的な予測の方が目立っている*3

この企画、昨年はどうだったか、と振り返れば、文字通り「占い」の域を出ておらず、特に株式相場の方は居並んだ経営者20名の予想は軒並み大外れ*4
昨年の元旦の時点では、足元の景気動向が堅調で悲観的になるような事情もなかったし*5、年初来高値を10月に更新して(24,448.07円)、わずか2カ月で年初来安値にまで落ち込む(12月、18,948.58円)という相場を読み切るのは不可能だから仕方ない面はある。

ただ、国内外の政治情勢を踏まえ「年後半に下落する」というトレンドを予測した経営者すらお二人(三菱地所の杉山博孝会長と日本電産永守重信社長兼会長)しかいなかった、というのは、所詮「占い」と考えてもちょっと不安は残るところ。

今年の予測を見ても、「IoT関連に高い期待」などという小見出しや「働き方改革関連銘柄に期待」といったコメントが目立つのだけれど、「AI・IoT」に関してはいろんな会社がここ1,2年で手を出したものの、既に技術的な「壁」に突き当たって“できること、できないこと”がかなりくっきりと浮き彫りになってしまっている、というのが率直な実感だし*6、「働き方改革」にしても、長期的な影響*7はともかく、短期的にはそこまで大きなインパクトを生じさせることは考えにくい。

そもそも、日本という狭い国の中でどういう政策が繰り出されようが、「米国対中国」という世界を二分する大経済戦争の前では全くといってよいほど影響力がない、という現実がある以上、無力感は漂うところではあるのだけど、間違いなく訪れるであろう10月の消費税増税とその前後に繰り出される景気対策のどちらが消費動向に影響を与えるのか*8、そして、それに付随して訪れる「決済環境の激変」*9が、個別企業の業績にどういうインパクトをもたらすのか、といったところの方に、むしろ注視する必要があるように思えてならない。

個人的には、今の“後世へのつけ回し&身の程知らず”な経済・財政政策の路線には、現政権ともども明確に終止符を打ってもらって、世界に吹き荒れる暴風をやり過ごすために、内向きといわれようがなんだろうが、日本国内ではとにかく「専守」に徹する国家運営に舵を切ってもらいたいものだと願っているのだけれど、そう簡単に政治体制を変えられないのであれば、(一人でも多くの雇用を守るために)せめて個別企業の経営だけでも、潮流を読んで、逆風を乗り切る手堅さで乗り切ってほしい、と僭越ながら願うばかりである。

なお、1年後に恥をかくことを承知で、自分の「占い」を挙げておくならば、ざっと以下のような感じだろうか。

・年明けから春先までは米中間の緊張緩和やハードBrexit回避(そもそも撤回もありうる)のムードが高まって相場的には上昇基調で推移。
・5月頃に一度調整の大波が来る(G20の動向次第では、6月にさらに下がる可能性も)。
・国内主要各社の第一四半期&通期見通しが出てくる7~8月頃(おそらく増税を見越した駆け込み需要で数字は予測より跳ねる)に再び上昇に転じる。
・消費増税を控えた9月に利益確定売りで一気に調整局面へ。
・10月以降は、実際の国内消費動向と、世界の動き次第。特に中国の建国70周年(10・1)に合わせて何が出てくるか、による。

「山」が3月~4月くらいで終わってしまうのか、それとも8月、あるいは10月以降に更なる盛り上がりが来るのか、というのは何とも言えないのだが、個人的には前半に山、後半に谷、と予測されている方々のコメントに親和性を感じている*10

そして、上値は願望も込めて25,000円台、下値は考えたくないけど、リーマン前の山(18,300円台)を割り込むことくらいまでは覚悟しておかないといけないかな、ということで、昨年以上に大きな波が来ることに半分脅えつつ、半分は期待しながら、新しい年のその他もろもろに思いを馳せることとしたい。

*1:東欧各国の「革命」からベルリンの壁崩壊、マルタ会談に至るまでの流れ。アジアでも天安門事件が起きたのはこの年である。

*2:リクルート疑惑の拡大に伴う竹下内閣総辞職に始まり、参議院選挙で自民党が大惨敗を喫したことが、その後の政界再編、非自民連立政権発足の契機となった、ということは改めて説明するまでもないだろう。

*3:日本経済新聞2019年1月1日付朝刊・第30面・第31面。

*4:金額レンジ的に一番近かったのは、唯一安値20,000円割れ(19,500円)と予測したセコムの中山泰男社長だが、その中山氏にしても、6月に最安値、その後12月に25,000円の最高値、という予測だから、これは当たったとは到底言えない。

*5:筆者自身、前年にほぼ的中させていた金川千尋信越化学工業会長の「高値28,000円」に乗っかっていたくらいだから、外した人たちを笑うのはお門違いというものだろう・・・「維新」も「革命」も、狙って起こすものじゃない。 - 企業法務戦士の雑感

*6:これらに限らず「Buzz」化したトピックに飛びつくのが危険、というのは長い歴史が証明してきたことでもある。「仮想通貨」ほどひどいことにはならないとしても、筍のように生えてきたスタートアップ企業とそれに対する大企業の投資ブームが突如として終焉を迎えるリスクは目の前に迫っているような気がする。

*7:立法者の意図に反して、人材の「二極化」と野心的な若者の国外流出という事態を招きかねないリスクをはらんでいる、ということには留意しておく必要がある。

*8:さらに言えば、ここ数年日本の消費を下支えしてきた周辺国からのインバウンド消費の増加基調が足元で揺らぎつつある中でそれを補うだけの需要を喚起できるのか。

*9:筆者は、今年末の時点でキャッシュレス決済の比率は50%近くまで爆発的に伸びる、と予測している。インターネットショッピングの普及やQRコードによるスマホ決済の普及等の前向きな要因もさることながら、現金しか使ってこなかった層の消費意欲・購買力の減少という社会的に見ればあまり芳しくない傾向の進展によって・・・。

*10:そういう意味では、今年も信越化学工業金川会長(4月に24,000円、11月に19,000円と予測)に「5000点!」(笑)。このトレンドで予測されているのは、それ以外では味の素の西井社長、大和ハウスの樋口会長くらいしかいないが、今年も「少数派」の方に分があるような気がしてならない。

「立法」の議論に参加する上で常に自覚しておきたいこと。

年末年始で少しまとまった時間が取れたこともあって、読もうと思って溜め込んでいた書籍やら雑誌やらにちょこちょこと目を通していたのだが、そんな中、近頃のモヤモヤした頭の整理にちょうど良い論稿を見つけたので備忘も兼ねてご紹介しておくことにしたい。

田村善之「知的財産法学の課題-旅の途中」 知的財産法政策学研究第51号1頁(2018年) 
https://www.juris.hokudai.ac.jp/riilp/wp-content/uploads/sites/6/2018/12/51_01-%E5%B7%BB%E9%A0%AD_%E7%94%B0%E6%9D%91.pdf

田村教授が、知的財産法領域のテーマに関して、法解釈論はもちろんのこと、新たな制度設計のための「立法論」の観点からの意見提言も積極的に行っておられ、政策形成過程の分析等も取り込んだ「知的財産法政策学」を確立されて今日に至る、ということは、今さらご紹介するまでもないことだろうし、これまでに公表された著作、講演録の中でも田村教授の考え方は随所に示されている*1

今回ご紹介する論稿も、「講演録」の形式で、解釈論と立法論を融合させたこれまでの研究成果をコンパクトにまとめた体裁になっているものであり、これまでに様々なところで田村教授が発表してこられた内容から極端に何かが変わっている、というわけではない。

それでも、改めて読んで感じ入るところがあり、さらにここでご紹介しないといけないと思った最大の理由は、最近の審議会等での立法過程での議論を眺めていて、なんか雑だな・・・と感じさせられることが多くなったから、だろうか。

これは知的財産法領域に限った話ではないのだが、ここ数年、「結論ありき」に見えるような形で問題提起がなされ*2、制度を作ろうとする側もそれを阻もうとする側も、今一つ噛み合わない議論を繰り返した結果、いつの間にか新たな行為規制ルールができている、というパターンや、「本当に必要なの?」と思ってしまうような法改正要望に沿って立法に向けた議論が進められてしまう、というパターンが多くなっているような気がしていて、だからこそ原点に立ち返って考えたい、という思いに駆られたのだと思う。

論稿自体は非常に読みやすいので、ここで下手な紹介をするより、直接読んでいただくのが一番なのだが、自分がいつもキモだと思っているのは、知的財産法が扱う領域の”特殊性”とそれを自覚しない”ありがちな比喩”の危険性を指摘する以下のくだり。

「人の行為は多種多様に存在するところ、知的財産法はその中から類似するパターンを観念的に抽出して、それを無体物と名付けているのだと考えられます。つまり知的財産法が禁止しているのは、特定のパターンの人の行動にすぎないということです。」(前記10頁)
『知的財産』『知的創作物』というメタファには、実際に規制されているのは人の行為であるにもかかわらず、それが人の行為と無関係に切り離された、何かの客体であるかのような印象を人々に与えたり、あるいは人々が規制されている気がしないようにさせたりするという現実を覆い隠す効果があります。さらに言うと、ただ現実を覆い隠すだけではなくて、メタファによって人の行為から切り離されたうえに、それに『財産』とか『創作物』という言葉が与えられるために、そもそも他人のものだから、あるいは他人がつくったものだからという意識が醸成され、それによって(実態に何ら変化がないにもかかわらず)規制が受け入れられやすくなるという危険性もあるわけです。むしろ、私の理解では、知的財産権と呼ばれているものの実体は、政府による人工的な行為規制でしかないと思います。」(前記16頁、強調筆者)

もちろん、田村教授は「メタファを使う」ことの効用も指摘されているし、知的財産保護の背景に「自然権」的な発想を取り込むことも否定はされていない。
ただ、同時に「立法過程のバイアス」の問題もある中で*3、それを是正することの難しさも直截に指摘されており、「暫定的な対応策」の一つとして、「政策形成過程のバイアスに対抗するメタファやベイスラインを用いる」ことを提言した上で、

立法過程で「政府による行為規制」というメタファを選択して「知的財産権の規制を唱導する者の方が、公衆をしてそのような規制に対する得心を獲得させるためにより説得的な論拠を示す必要に迫られる」ようにする方が、「政策形成過程のバイアスと同一方向の認知バイアスを喚起する『知的財産権』『知的創作物』といったメタファを用いるよりはよっぽどましであるというのが私の考え方です。」(前記44~45頁)

とまとめておられる。

翻って現実を見れば、著作権の世界では先日のサイトブロッキングの議論がまだ記憶に新しいし、まもなくパブコメの募集が締め切られる「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」*4の中でも当然のように上記のようなメタファは使われているし、未だに「知財立国」の名残が残っている著作権以外の領域ではもっと乱暴な『権利保護』の発想が飛び交っている状況。

世の中の他の流れと同様に、それを一朝一夕で変えていくのは難しいとは思うのだけれど、知財(特に産業財産権)に関しては、そろそろ政策のベースラインからして変えていかないといけない状況に差し掛かっているように思われるだけに、今一度原点に立ち返った頭の整理をしておくとともに、常に様々なバイアスの間で「バランス」を取る、という発想を持ち続けていたいところである。

*1:特にまとまったものとしては夏休みに読んでみた本(その3)〜知財法分野を語る上で必読の珠玉の講演録 - 企業法務戦士の雑感参照。またその後、知的財産法政策学研究の第44号で「日本の著作権のリフォーム論」も公表されている(https://www.juris.hokudai.ac.jp/riilp/wp-content/uploads/sites/6/2014/03/44_02-%E8%AB%96%E8%AA%AC_%E7%94%B0%E6%9D%91.pdf)。

*2:多くの場合、それに先行して観測気球が打ち上げられるのが常である。

*3:この点に関しては蘇った興奮〜「著作権研究」第39号を読んで。 - 企業法務戦士の雑感のエントリも参照されたい。

*4:内容はhttp://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000180847参照。多くの論点において「権利者保護」の視点が大前提としてインプットされ侵害者側の「悪質」さが強調されているがゆえに、規制手法の許容性に関する分析・検討が薄くなっている印象がある。またそもそも内容以前に、新年早々、一般企業では出社日が1日入るかどうかも分からないようなタイミングに締切を設定する、というのが何とも、な感じである(「文化審議会著作権分科会法制・基本問題小委員会中間まとめ」に関する意見募集の実施について | 文化庁)。

根拠なき「自由貿易」礼賛の陰で・・・。

長きにわたる議論と交渉の果てにようやく日の目を見たTPPが12月30日に発効する、ということで、今朝の日経新聞は「巨大な自由貿易圏」礼賛一色だった。

その一方で、ひっそりと掲載されていたのが知財ルール米離脱で凍結」という見出しの記事*1
TPPの交渉経緯を考えれば、米国が入らない以上、知財関係のテキスト部分は全てなかったことにしても良いくらいだし、少なくとも関係国の合意で「凍結」された事実くらいは尊重する、というのが本来取るべき態度だと思うのだが、記事の中にはなぜか、「日本は独自に著作権の保護期間をこれまでより20年長い70年に延長。特許申請ルールを整備するなど、凍結分野の一部を自主的に実施する方針だ。」という奇妙な一文も登場する。

前者(保護期間の延長)に関しては、福井健策弁護士をはじめ、これまで議論を呼びかけて来られていた方々から様々な反応が示されているが、単純に「期間が延びる」ことに関しては、自分はそこまでセンシティブには受け止めていない。

世界を見渡せば、著作権の保護期間を「70年」に設定している国・地域は随分と多くなっているし、そもそも「50年」が「70年」になることによって(バプリックドメインになることが20年遅れることによって)何かが変わるのは、ほんの一握りのコンテンツだけ。

保護期間が延びることで、孤児著作物が増加することを懸念する声もあるが、時が経てばたつほど権利に関心を持つ関係者の数も減ってくる、という現実を考慮すると、使う側で過度に抑制しなければ*2、むしろ「事後許諾」の運用定着&「実質報酬請求権化」の契機となる可能性すらある。

なので、今の時点でそんなに悲観的にならなくても、というのが総論的な感想。
ただ、常識的に考えれば来年1月1日に施行される改正著作権法に合わせて改正すべき「保護期間」の規定を、なぜか今や無関係となった「TPP発効」の日付に合わせたことに対しては、全くもって釈然としない。

元々「TPP12」に合わせて改正する予定だった5項目を一体で議論してきたから、「12」が「11」になって一部項目が凍結されても全部セットで・・・というのが文化庁サイドの言い分なのだろうが*3、元の協定で全締結国が受け入れる条件にならなかった以上、ここは分けて議論した上で施行するのが本来の筋だろう。*4。。
そしてそういった考慮もなく、淡々と施行した結果、あと数日で権利保護期間を終えるはずだった1968年没の著作者の作品が"救済”されることになった、というのは、それが単なる偶然だったとしても何とも気持ちが悪い話。

まぁ、全ては自国内で長年積み重ねられてきた議論をスルーして、「結論ありき」で話を進めてきた結果が一連の妙ちくりんな改正(12月30日施行)だから、改めて全国の農家と一緒に「全部TPPのせいだ!」と叫んでも良いのだけれど、”根拠なき礼賛"で湧き立つ今の日本の国内では、そんな声も届きそうにないのが何とも残念なところである*5

*1:日本経済新聞2018年12月30日付朝刊・第3面。

*2:今の「過剰コンプライアンス」時代にはこれが一番難しいところなのかもしれないが、ここは法務・知財担当者の心構え一つでどうにでもなる話なので、今後どんなに時間がかかっても、マインドが変わっていくことを信じたい。

*3:保護期間の延長と技術的保護手段を除けば、TPP11でも「凍結」されてはいないから、12月30日に改正法を施行する義務が生じる、ということになりそうである。

*4:http://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/hokaisei/kantaiheiyo_hokaisei/では、その辺の経緯の説明がなく淡々と「TPP11に合わせて施行します」と書かれているのだが、それはちょっとどうかな、と思うところはある。

*5:個人的には、高度成長期やその貯金が残っていた時代ならともかく、日本の従来の基幹産業の足腰が弱った今、地域単位でオープンな経済圏を構築しても、他の東南アジア諸国にシェアを持って行かれるだけで、日本国内の産業の衰退を加速するだけだと思っていて、何年か経った後に、あれが終わりの始まりだった、と言われなければよいな・・・と心から願っているのだけど、日頃聡明な人でも自国の産業の話になると途端に根拠なき強気論に走りがちになるのはなぜなのだろうか・・・。

ベネッセ情報流出事件をめぐる司法判断の混迷

2014年に発覚したベネッセコーポレーションの顧客情報流出事件。
個人情報保護法改正の動きに影響を与えるくらいのインパクトはあったし、司法判断に関しても、いくつかの下級審判決に加え、先行していた姫路ルート(第一審判決は、神戸地裁姫路支部平成27年12月2日に出されている)では昨年の時点で最高裁の判断(最二小判平成29年10月23日)まで出されていて、個人情報漏洩の法的責任の所在や、漏洩が生じた場合の情報主体への損害賠償の水準、といった問題を考える上で、非常に興味深い素材を提供してくれている。

そんな中、年末に飛び込んできたのが、「ベネッセ側に賠償命令 情報流出1人当たり3300円 東京地裁」という見出しの以下の記事である。

「2014年に発覚したベネッセコーポレーションの顧客情報流出事件で、被害に遭った顧客ら計462人が同社と関連会社に慰謝料など計3590万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日、東京地裁であった。河合芳光裁判長は関連会社に対し、1人当たり3300円、計約150万円の支払いを命じた。ベネッセの賠償責任は認めず、請求を棄却した。」(日本経済新聞2018年12月28日付朝刊・第29面、強調筆者、以下同じ。)

このニュースの注目ポイントは2つあって、1つは、賠償額として「3,300円」という金額を認めたこと。そしてもう一点は、ベネッセの100%子会社であったシンフォーム(システムの開発・運用子会社)の賠償責任は認めたものの、「ベネッセコーポレーション本体」については、「派遣社員スマートフォンを使ってデータを転送した方法について予見可能性はなく、指揮監督関係もない」として賠償責任を認めなかったことである。

興味深いことに、同じ東京地裁で今年の6月に出された判決では、今回と真逆の判断が下されている旨が報じられていた。

「2014年に発覚したベネッセコーポレーションの顧客情報流出事件を巡り、被害に遭った顧客ら計約180人が同社などに損害賠償を求めた訴訟で東京地裁は6月に請求を棄却する判決を出した。ベネッセ側が「おわび」として500円相当の金券を配布していたという事情も考慮した。原告側は7月に控訴し、係争は続いている。個人情報の保護意識が高まるなかで「500円」は妥当なのか議論が分かれる。」
東京地裁の判決はベネッセ側がデータ管理を委託した会社の監督を怠ったとして注意義務違反を認定した。一方で流出した情報が「思想信条や性的指向などの情報に比べ、他者にみだりに開示されたくない私的領域の情報という性格は低い」と指摘。実損が明らかになっておらず、ベネッセ側がおわび文書や金券の配布をしたことも考慮し、「慰謝料が発生するほどの精神的苦痛があるとは認められない」と判断した。」(日本経済新聞2018年10月29日付朝刊・第11面)

両者の違いは、単に「請求一部認容」と「棄却」という最終的な結論の差異にとどまるものではない。
現時点では「むやみに精神的損害を否定してはらない」*1ということ以上の縛りがない「損害額の算定」問題に関して言えば、客観的な金額算定が事実上不可能である以上、判決ごとに幅が出ることは容易に想像が付く話だったし、一連の判決でどういう金額が示されそうと、それが他の案件にダイレクトに影響することになるとは、ちょっと考えにくい。

しかし、6月の判決で東京地裁が認めた「ベネッセコーポレーション本体の注意義務違反」を今回の判決が認めなかった、という事実は、(結論としてはさして違和感はないものの)今後の同種訴訟での判断に大きな影響を与える可能性がある*2

ベネッセコーポレーションにしてみたら、相被告(業務委託先)が100%子会社だった以上、自身の法的責任が認められようが認められまいが「連結」単位でダメージを受けることに変わりはないし、支払済みの「500円」を大きく超える損害賠償が認められてしまえばなおさら、ということになるのだが、一般的なシステムの開発・運用の委託関係への射程まで考慮すると、やはりそう簡単に責任主体を拡張されては困るわけで・・・。

既に事件から5年近く経ち、司法府が客観的な立場で冷静に判断できる環境は十分整っていると思うだけに、続く地裁レベルの判決、さらには、高裁、最高裁レベルでの冷静な判断を期待している。

*1:最高裁判決の主旨を善解すると、こういうことになるのだろう。

*2:この点に関しては、既に公表されている千葉地判平成30年6月20日でも同様に被告ベネッセの責任を否定しており、6月の東京地裁判決の方がむしろ勇み足、という印象が強かった。

本丸での戦いに勝算はあるのか?

先月来、世の中を賑わせているカルロス・ゴーン元日産会長の事件。
ミーハーな話題抜きに、いわゆる「企業犯罪」に関する刑事司法手続の在り方を考える上では非常に興味深い素材なのでしばらく追いかけているのだが、ここにきて、金商法違反の被疑事実での勾留延長却下、そしてその翌日、保釈請求に対する決定を待つことなく、会社法違反(特別背任)を被疑事実として再逮捕勾留、という、またまたウォッチャー的には美味しすぎる展開になっている。

東京地検特捜部は21日、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)が自身や第三者の利益を図って日産に損害を与えていたとして、ゴーン元会長を会社法違反(特別背任)容疑で再逮捕した。自身の資産管理会社の損失を日産に付け替えたほか、多額の資金を第三者に流出させた疑いがあるとしている。」(日本経済新聞2018年12月21日付夕刊・第1面)

ゴーン氏を拘置所に追い込んだ検察当局や日産現経営陣の真の動機はともかく、純粋に独立・完結した事件として見た時に、法規範的にも道義的にも、一連の“大捕り物”を正当化できるのは、“会社の金で私腹をこやした”という点だけだったから、これでようやく問題が「正常化」した、という見方はできる。

検察側としても、当然、有価証券報告書虚偽記載での一連の起訴が終わったタイミングで、この被疑事実での再逮捕勾留を狙っていたはずだから、タイミングが早まっただけで周囲が邪推するほど慌ててはいないと思うのだけど、中途半端なタイミングで特捜部の手の内が顕在化したことが、様々な憶測を呼ぶ原因になっているのは言うまでもあるまい・・・。

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