こんな時代だからこそ光る、第一人者の一言。

会社法改正やら、「コーポレートガバナンスコード」制定やら、という動きもあり、最近、メディアで(特に某経済新聞で)「社外取締役が必要だ!」的な報道に接しない日はない、といってよいくらい偏向した世の中になってしまっているのであるが、そんな中、労働経済学の世界では“巨匠”ともいうべき小池和男・法政大学名誉教授が、現状に対する強烈な批判を込めた論稿を「経済教室」に寄せられている。

「日本の競争力を高めているのはブルーカラーだ」等々、長年の持論である“(旧)日本型雇用システム”の素晴らしさをひとしきり強調した上で、「課題」として、会社における「働きの担い手の発言権の確保」を挙げ、

「企業の役員会への従業員代表の参加」

を提案されている。

そして、欧州における従業員代表制度の定着状況と、その効用を一通り紹介した上で、以下のように述べて、論稿を締めくくっておられるのである。

「日本は米国にならってか、一切そうした議論さえない。」
(略)
「いまの日本では、社外取締役の重用のみ強調される。社外取締役の識見を疑うわけではないが、非常勤でしかもその業種の経験のとぼしい人たちである。他方、長年その企業で働き、また取引先との折衝をとおして業界を知り、海外を知る従業員代表の役割を軽視するわけにはいくまい。」
「米国で社外取締役は結局、社長の『お友達』が多いという。従業員代表は、社長が選ぶことはできない。その知恵を考えれば、それこそ尊重すべきではないだろうか。」
日本経済新聞2015年8月6日付朝刊・第29面、強調筆者)

これは、世の中を席巻する「成長戦略」論者にカウンターパンチを食らわすような、「競争力強化」という観点からの従業員代表制度の提案であり、読み終わった時に、何とも言えないようなシュールな気持ちに陥ってしまった。

「ガバナンス体制をいくらいじくったところで、『企業の競争力/成長力』といったものには何ら影響しない」ということを自分は確信していて、それは「社外取締役」だろうが「従業員代表」だろうが同じだと思っているので、大嫌いな“米国型ガバナンスモデル推進論者”を真っ向から批判するコメントだからといって、それに直ちに飛び付こうとはさすがに思わない。

そもそも「会社、業界を知る」ということに重きを置くのであれば、「従業員代表」などという迂遠な制度を設けずとも「内部昇格」で取締役の人材を供給すればよいのだし、「社長が選ぶことはできない」という点についても、今の社内外の取締役の人選とどれだけ実質的な違いがあるのか、疑わしいところはある*1

また、企業統治強化、とか、利益一辺倒主義からの脱却、という視点で「従業員代表制度」を提唱する声はかねてからあり、自分も一時期そのような方向にシンパシーを感じたことはあったが、残念ながら、そのような方向性には忌まわしき民主党政権時代の「色」が染みつきすぎていて*2、このような見地からも到底推す気にはなれない。

経営層と労働者層の格差が固定化されてしまっている国(欧州などはその典型だろう)であればともかく、一現場の社員からボードメンバーにまで上り詰める、という道がまだ残されている間は、この国で「従業員代表」による経営参加を制度化する必要はない、というのが、今の自分の意見であり、上記記事を読んだ読者の方も、多くは同様の感想を持たれたのではないかと思う。

ただ・・・

やっぱり今の時代に「社外取締役」の効能に対して、真っ向から喧嘩を売るような論稿というのは、それ自体貴重なわけで、「日本型雇用システム/経営モデル」にシンパシーを感じているはずの経済学者、経営学者も、大衆メディアでは何となく声を潜めているように見受けられる中、これをあえて今書いた小池名誉教授と、この原稿をあえて載せた日経紙の編集者には、心から敬意を表しなければならないと思っている。

一方的な“押し付け”の議論だけでは何も変わらないわけで、願わくば産業界の中からも、最近とみに調子に乗っている連中に“ガツンと”くらわすような論客が出てきてくれることを期待したい。

*1:社内取締役であっても、社長の意向だけで全て人選がなされているような会社は、今の日本の大企業では皆無だと思うし(様々な派閥力学や“天の声”が影響してくるので・・・)、指名委員会等の機関を用いれば制度的にもそれを担保できる。逆に「従業員代表」といっても、現在の労使関係の実態を踏まえれば、多くの会社では会社の息のかかった人物が選ばれることになることは避けられないだろう。

*2:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20090723/1248581543のエントリーを参照。会社法改正が始まった時も、いろいろときな臭い動きがあったのは記憶に新しい。

就職活動開始時期を繰り下げたら、こうなった。

就職活動に関して、“ほらね、やっぱり、言わんこっちゃない”と言いたくなるような話題が、最近報じられることが多くなった。

いつもはひっそりと就職活動面や、教育面に掲載されることが多いネタなのだが、この日は、一気に「2面」にまで出てきている。

「就職活動の新たなスケジュールが今季から導入されたことで『学生の就活期間が長くなった』と考える大学が59%に上ることが25日、文部科学省の調査で分かった。」
インターンシップなどを通じた事実上の就活が、3年生の春に始まるのは例年と変わらず、日程が遅くなった分だけ長期化しているという。」
日本経済新聞2015年6月26日付朝刊・第2面)

記事を読むと、何となく“見込み違い”だった、というトーンが強く出ているのだが、「就職活動開始時期一律繰り下げ」なんて言うアホなことをすればこういうことになる、ということは、このブログの中でも散々警告してきたことで*1、何を今さら・・・という感が強い。

かつて存在した「就職協定」が廃止されてからもう20年近くになるので、その当時のことを忘れている人も多いのかもしれないが、廃止末期の大手企業における採用活動の状況というのは、

・建前では、正式な採用活動は8月1日から開始する*2、ということになっていた。
・しかし、実態としては、水面下でリクルーター等を使った事実上の説明会、面接等が行われており、解禁日の「説明会」に行っても、その後の採用に結びつく可能性はほぼ皆無。
・事前の活動で採用が決定した学生は、解禁日に、正式な「内々定」の通知をもらってめでたく握手。後は飲んで食って・・・。

といったものであった。

会社の規模が大きければ大きいほど、新卒社員の採用には、周到な計画性が求められるし*3、そこにあてはめる学生を選考するために、相応の時間を必要とする。

しかし、どこの会社も「オープン」に採用活動をすることができないから、大学ごとに先輩・後輩のツテを使って限られた範囲でインフォーマルな説明会・面接の機会を与えるか、どこかから入手した学生の名簿*4を使って、いわゆる「一流大学」の学生に資料請求はがきを送り付け*5、資料請求してきた学生との間で、リクルーターを介在させた事実上の面接のプロセスを始める、というのが、当時の一般的なやり方となっていた。そして、そのために、一部の上位校以外には大企業の採用の道が閉ざされている、とか、女子学生が恣意的に弾かれている、といったことが問題視されるようになり、「オープン化」、「人物本位採用」といった流れの中で、採用活動の期間や方法にタガをはめる「協定」は過去の遺物として葬り去られることになったのである。

その後、各社の思惑や外資系、ベンチャー系への対抗策、という意味合いもあって、活動開始時期は徐々に早まったものの、基本的には「オープンエントリー」の路線が定着していたから、優秀かつ要領の良い学生であれば、出身大学等を問わず、余裕のある時期に説明会等に参加して情報を収集した上で、概ね“期末試験後、春の新学期が始まるまで”の活動だけで内々定までたどり着ける、という状況にはなっていたように思う。

ところが、今年に入って「(公式な)採用活動開始時期を制限する」という悪しき制度が復活したことで、これまでの秩序が崩れ、「水面下の動き」をはじめとする悪しき慣行も再び目立つようになってきた*6

「建前」をきっちり守らない企業が悪い、と批判するのは簡単なのだが、書類選考、面接といったプロセスを、正式内定を目前に控えた8月、9月の間だけで行うのは実務的にはかなりリスクが高く*7、また、そんなやっつけ仕事で人生を決められてしまうのでは、学生もたまったものではないだろう。

その結果、経団連指針に拘束されない会社だけでなく、指針を形式的には遵守する方針の会社からも、「広報活動」が解禁された3月以降、自分の会社とマッチングする学生を早めに囲い込むための動き、というのが出てくることになり、「長期化」は避けられない事態となる。

また、問題が「長期化」だけで済めばまだよい方で、かつての就職協定下のように、閉ざされた環境で実質的な選考活動が行われる、ということになれば、割を受ける学生はもっと増えることだろう。


ちなみに、自分が就職活動を経験したのは、ちょうど“過渡期”で、従来型の採用活動と、オープンなスタイルでの採用活動が混在しており、説明会の時期も3月〜6月と、会社によって大きく異なる、という混迷の時代であった*8

良い社会経験だと思って、必要以上に多くの会社にアプローチしていたせいもあるし*9、早くから説明会を始めても、他社の状況を見ながら本格的な採用活動の時期を調整していたような会社が多かった、という過渡期ならではの特殊事情もあるのだが、先輩から「1カ月、長くても2カ月くらいで終わる」と言われていた説明会、面接の嵐がなかなか収まらずに閉口したことは、今も生々しい記憶として残っている*10

学生にとってみれば、「出遅れて行きたい会社の選考を受ける機会がなくなる」ことだけは何としてでも避けたいから、機会があればフォーマルだろうが、インフォーマルだろうが顔を出さざるを得ない。それに、動き出しの早い周囲の友人が、早々と内々定を取るような展開になってしまうと、余計に「1つは確保しておきたい」という思いは強まる。

一方で、「一つの会社に内々定をもらった」からといって、他の会社のドアをもう叩かなくてもよい、という割り切りができるかと言えば、それも違う。
転職が当たり前になった時代とはいえ、やっぱり最初に入る会社、というのは、履歴書上も人生経験上も大きいので、しっかり吟味して決めたい、というのは当然のことだと思う*11

その結果、真面目な学生であればあるほど、長々と時間を取られることになり、今までであれば、春休みに始まって、延びてもGW前には決着を付けられていたような話が、5月、6月、7月と延び延びになり、4年の前期を丸々就職活動のスケジュールで埋め尽くしてしまうような事態に陥ることは、容易に想像が付くところだ・・・。


まぁ、就職活動の実態がどうだったか、などということは、実際に体験した者にしか分からず、記憶にも残らないわけで、現代的な就職活動(いわゆる「シューカツ」)をまともに経験したことのない人々(大学関係者、政治家、そして古い世代の企業経営者)だけで制度を決めれば、“予期しなかった”状況に陥ることは必然だったのかもしれないけれど、さすがにここまで想定どおりにことが進んでしまうと、今の学生が気の毒でたまらなくなる。

今年の反省が速やかに次年度以降に生かされること、そして、その方向性が、悪しき規制ではなく、学生、企業双方にとっての「自由度」が確保される方向に向かうことを、自分は願ってやまない。

*1:直近のエントリーはhttp://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20130315/1363802095になるだろうか。もう2年以上も前の話か、と思うとげんなりする・・・。

*2:末期は、7月1日くらいまでには繰り上がっていたかもしれない。

*3:したがって内定解禁日の10月1日には、きっちりと固めておかないと新年度からの運営に支障が出る。

*4:個人情報管理が厳しくなった今は、ちょっと考えにくい手法ではある。

*5:会社からいきなり直接来ることは少なく、就活産業を営む会社(R社、M社、N社等)から請求はがき付きの「カタログ」が送られてきて興味があるところに出す、それをきっかけに会社とやり取りが始まる、という流れがメインだった。

*6:しかも、会社によってやったり、やらなかったりなので、余計にタチが悪い。

*7:これまでのように何度かに分けて採用を行う、という作戦も使えないし、かといって、内定時期を今の10月より後ろにずらす、という話になれば、学生の方が予定が立たずに困ってしまうのではないか、と思う。

*8:その意味では、今年就職活動をやっている学生の皆さんには共感するところが多い。この手の制度の変更で振り回されて割を食うのは、常に学生(と採用を担当する若手実務部隊)である。そして、制度を替えろ、と大きな声を上げて騒ぎ立てた人々は、決してその苦労を味わうことはない。

*9:資料請求のハガキは100通近くは出した。

*10:自分の場合、民間企業の就職活動は、あくまで「面接の練習」程度の位置付けのものでしかなかったので、なおさら「余分に時間を取られた」という感覚が当時は強かった。

*11:自分は就職に関しては極めて不真面目な学生だったので、5月で早々に打ち切ってしまったが・・・。

「極論」とどう向き合うか。

今年に入ってから、日経紙で、冨山和彦・経営共創基盤最高責任者(CEO)の「高等教育機関に関する問題提起」が度々取り上げられている。

まず、1月19日付の「エコノフォーカス」で、「稼げる大卒 どう育てる」という見出しを掲げ、大卒者の人数増加と求人ニーズのミスマッチを指摘する記事の中で、

「ごく一部のトップ校以外はL型大学と位置づけ、職業訓練校にする議論も必要」
マイケル・ポーターでなく弥生会計ソフトの使い方を教えるべきだ」

といった例に代表される冨山氏の主張を図表まで付けて紹介したかと思えば*1、1月28日付の「働きかたNext」というコラムの中では、冨山氏自身にインタビューして、再び、

『G型』と『L型』という雇用市場の違いに合わせて、大学も分けるべき」

という「持論」を、“本人の言”として再び語らせている。

(おそらく提唱されたご本人も十分分かっておられるだろうが)さすがにこれだけ尖った意見だと、日経紙と言えども安易に飛びつくわけにはいかないのだろう、いずれの記事も、記者自身のコメントと冨山氏の主張との距離感は、微妙なままに留まっているが、最近の雇用法制をめぐる諸々の問題や、大学改革の話とも絡む話だけに、しばらくは、この主張が、一つの「極」として、あちこちで取り上げられることになるのだと思われる。


当然のことながら、上記のような意見に対しては、賛否両論あるわけで、ネット上ではむしろ批判の方が目立つ。

そもそも「G型」、「L型」の発想の根底にある「Gの世界」と「Lの世界」の区分自体、そんなに単純なものではないわけで、「グローバル経済圏」と誰もが認める業界の会社ですら、そこで働いて、会社を支えている人々の多くは、ここでいう「L型」の人々だ(でなければ、組織は回らない)、ということが、看過されてしまっているように見える以上*2、多少はマッチョ志向を持っている自分とて、さすがに、これに全面的に乗っかる気にはなれない*3

ただ、大学進学率が急上昇した結果、就職しようとする人々の「自己定義」と、就職してから必要となる「役割」との間にギャップが大きくなっている、という現実、そして、一部の大学は、上記のような提言を受けるまでもなく「職業訓練校」化している、という現実*4がある中で、冨山氏が投げた石を「ただの極論」と切り捨てるのは、決して簡単なことではない。

個人的には、「会計ソフトの使い方」だとか、「道路交通法の勉強」のために、わざわざ4年という貴重な時間と、「大学」という貴重なハードを使う必要はないと思っているし、大学の入学定員をバッサリ半分くらいに減らして、「高卒+職業訓練校」ルートの求職者のボリュームを増やす方がよほど話は早いと思うのだが、「時計の針を逆戻りさせることが難しい」ということであれば、「学問の府」としての大学と、そうでない大学を分ける、という方向性も、当然出てきてしまうだろう。

俗に「上位校」と言われる学校であっても、エリート教育に徹することなど到底できていない、という、今の大学の中途半端さは、長年、指摘されてきているところだけに、大学人が「目指すべき姿」を自ら提示できなければ、“実務のニーズ”に引っ張られて姿を変容させる方向に向かったとしても、それはやむを得ないこと、と言われても仕方ない。

*1:ちなみに、元のプレゼン資料は、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/061/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2014/10/23/1352719_4.pdfから見ることができる。

*2:これは、「日本のグローバル企業」に限った話ではなく、欧州の企業などにも通じる話で、現地企業の中堅クラスのマネージャーなんかの話を聞いていると、日本人以上に「日本人的」な感覚を持っているように感じる時もある。少なくとも、「グローバル企業、グローバル業界の人間は、皆、『グローバルマッチョ』だ」というのは、ただの思い込みに過ぎない。

*3:ホワイトカラーエグゼンプションの議論等とも共通するところはあるのだが、一握りのエリートだけで構成され、それだけで完結する(接触するカウンターパートも含めて、同じような人種の人間の中だけで話がすんでしまう)特殊な環境(コンサルとか投資銀行といったあたりが典型だろうが、それだけに限られない。)に長く身を置いてしまうと、どうしても、「事業」や「組織」がどうやって回っているのか、という『森』の部分が見えなくなってしまうのかなぁ・・・と思ったりもする(冨山氏に関して言えば、そんなことは百も承知であえて「極論」を述べられているのだろうが、それに無留保に追従するような意見に接すると、ちょっと危うさを感じてしまう)。

*4:大学自身が「実用的資格」の取得を売りにしているケースもあれば、大学自体は伝統的なアカデミック路線を踏襲しているのに、学生の方がそれについていっていない、というケースもある。

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「アナウンサー内定取消」事件の報道に感じた時代の変化。

アナウンサー採用が内定していたにもかかわらず、「クラブでのアルバイト経験」を理由に内定を取り消された大学4年生の女性が、入社するはずだった日本テレビを相手取り、訴訟を提起した、という事件が初めて大々的に報じられたのは、去年の、秋も深まった時期だっただろうか。

「女子アナ」という人気も注目度も高い職業をめぐる紛争だったこともあって、ネット上でもかなり燃え上がっていたのだが、当時の自分の感想は、

この種の紛争だと、法的に原告側の主張が認められうるような事実関係だったとしても、実際に入社した後の軋轢その他、原告にとっては勝ってもあまり良い状況にはならないだろうから、そういった状況を考慮して、裁判所も、当事者代理人も、慰謝料を支払って和解するパターンに落ち着かせるのではないかなぁ・・・

というもので、盛り上がる人々を横目に、ちょっと醒めた目で眺めていたものだった。

だが、年明けになって報じられた決着は、自分の予想を遥かに超えたものだった。

まず、8日の朝刊で、

「アナウンサーとして採用するというわれわれの望む方向で和解すると思う」(日本経済新聞2015年1月8日付朝刊・第38面)

という原告側弁護士のコメントが報じられる*1

そして、翌日の朝刊では、前日の記事では報じられていなかった原告のお名前とともに、以下のような記事が掲載されることになった。

日本テレビのアナウンサー採用が内定した後、東京・銀座のクラブでのアルバイト経験を理由に内定を取り消されたとして大学4年の笹崎里菜さん(22)が地位確認を求めた訴訟は8日、東京地裁で和解が成立した。日テレが笹崎さんをアナウンス部に配属予定の内定者』に戻すとの内容で、4月に入社する」(日本経済新聞2015年1月9日付朝刊・第42面、強調筆者)

本件訴訟の「請求の趣旨」がどのように書かれていたのか、正確なところは分からないのだが、「アナウンサー」として内定を得ていたからといって必ずしも職種限定採用ではない、というのがテレビ局側の建前だと思われるし、裁判所も、仮に判決を書くことになったとすれば、被告との「解約権留保付労働契約」上の地位よりもさらに踏み込んだ地位を認めることは、おそらく躊躇しただろうから*2、「アナウンス部に配属予定」というところまで、和解条項に書きこめたのだとしたら、原告にとっては、限りなく“完全勝利”に近い内容であり、勝訴判決をもらう以上に得るものが多かった和解、と言えるのではないかと思われる*3

また、そういった法的観点からの理屈を超えたところで自分の想像を超えていたのが、原告側が原告本人の実名や出身大学を堂々と公表した上で、「アナウンサーとして入社する」という前提を貫いたこと、そして、そのような形で決着したことが、明確に公表されたこと、である。

前者については、当初から週刊誌やインターネット等で、原告本人の実名が事実上“公表”されていた、というのが実態だったようだし*4、入社一年目から一種の“有名人”としての扱いを受けることも稀ではない「アナウンサー」という職業特有の対応、と見ることもできるから、本件においては、そんなに驚くようなことではないのかもしれないが、一般的な労働事件(個人レベルで争っている労働事件)における対応に比べると、やっぱり、かなり目を引くものであることは間違いない。

そして、通常であれば、双方が和解条件として「秘密保持義務」を負うことも稀ではない(というか、それがむしろ普通)労働事件の和解において、最終的な決着の内容が明確に公表されている、というのは、もっと驚きである。

記事の中で紹介されている、日テレの公式コメント、そして、

「(原告の)将来を考えて、なるべく早めに解決できればと考えた」(同上)

という日テレ関係者のコメントが、どこまで本音ベースのものなのか自分には知るよしもないのだが、上記のような一連の報道が、とにかくオープンな決着だなぁ・・・という印象を強く与えるものとなっているのは間違いない。

*1:7日の和解協議後に、原告の代理人弁護士がメディアに対していろいろと話したようで、他のメディアにおいても、同種のコメントが多く報じられていた。

*2:アナウンサーを目指して入社した人にとっては酷なようにも思われるが、後々、他の部署等に異動できた方が本人にとってプラスになるケースもあり得ることを考えると、職種限定を付さないことが一概に本人に不利ともいえない。アナウンサーに限った話ではないが、ここはなかなか難しい話である。

*3:もちろん、会社側にとっても、前記記事に書かれているような文言であれば、「(入社時点で)アナウンス部に配属する」以上に労働契約の内容が限定されていないように見えるから、配転命令権等を過度に制約されない、という点でこの和解条項にも、メリットがあるはずである。

*4:そこに原告サイドの意向が働いていたのかどうかは分からないけど。

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帰ってきたホワイトカラー・エグゼンプション

安倍首相が7年ぶりに政権を取り戻して以来、いろいろと“昔懐かし”的な施策が飛び出してきているのだが、14日付の日経朝刊1面に大きく掲載されたこの施策も、ずいぶんと懐かしい香りがする。

「政府は1日8時間、週40時間が上限となっている労働時間の規定に当てはまらない職種を新たにつくる方針だ。大企業で年収が800万円を超えるような課長級以上の社員が、仕事の繁閑に応じて柔軟な働き方をできるようにして、成果を出しやすくする。新たな勤務制度を2014年度から一部の企業に認める調整を始め、トヨタ自動車三菱重工業などに導入を打診した。」(日本経済新聞2013年8月14日付け朝刊・第1面)

記事によると、これはあくまで「実験的な採用」ということで、名前が挙がっている一部の企業のみを対象に認める、という建前になっているようだが、一体どういう形で現行の労働基準法との間で落とし前をつけるのか、気になるところではある*1

また、「プロフェッショナル労働制」(仮称)という振りかぶった名称を冠する割に、年収基準が、

「大企業の課長級の平均である年収800万円超の社員」

というのは、あまりにハードルが低すぎるように思われる。

仮に「課長級の平均」が本当に「年収800万円」という水準にとどまっているのだとしても*2、いわゆる管理監督者としての権限を与えられていないにもかかわらず、それと同等の扱いをする、という制度の性格と、一般的な社会通念からして、低くとも「年収1000万円」くらいを基準にしないと納得感は得られないだろう。

もちろん、そういったテクニカルな問題をクリアして、この制度が現実に導入されれば、我が国のホワイトカラーの働き方に、大きな一石を投じることになるのは間違いないところだと思うし、それ自体の意義は素直に認めていいのではないか、と自分は思っているのだけれど。

*1:記事には「秋の臨時国会に提出予定の産業競争力強化法案に制度変更を可能とする仕組みを盛り込む」とあるから、あくまで法律上の制度として新制度を設ける、ということなのかもしれないが、そうなると、「一部の企業のみを対象に」というところの根拠が良く分からないことになるし、そもそも「産業競争力強化法案」が労働基準法のルールに手を付けるものになるのだとすれば、そんなに簡単にできるものなのか、という疑問もある。

*2:個人的には、この「平均」のとり方自体、ちょっと眉唾だと思っているのだが・・・。

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夏休みに読んでみた本(その1)〜労働契約法改正を語りつくすための一冊。

“夏休み”といっても、丸一日休めるようなのんびり感とは程遠い状況であるのだが、それでも、ちょっとは時間を作って、買い貯めていた本を読もう・・・ということで、今年もこのシリーズをやってみることにする。

改正労働契約法の詳解 Q&Aでみる有期労働契約の実務

改正労働契約法の詳解 Q&Aでみる有期労働契約の実務

最近、非正規雇用分野を中心に、法改正が相次いでいて、とみにホットな状況にある労働法分野。
出版業界でも、セミナー業界でも、去年から今年にかけてここぞとばかりにこの分野で攻勢をかけてきているから、「対応が必要なのはわかっているけど、どれを読んでも誰の話を聞いても、同じような話ばかりでもういい加減・・・」という方も、決して少なくないのではなかろうか。

だが、本書は、類書と比べてかなり異彩を放っており、読む者を飽きさせない。

労働者派遣法、高年齢者雇用安定法の改正と、労働契約法の改正をセットにして、“一冊で3度美味しい”感をアピールしている解説書が多い中で、「労働契約法改正」にピンポイントで焦点を当てている*1この本は、一見すると魅力不足のようにも映るのだが、そこは、第一東京弁護士会の労働法制委員会の「調査・研究成果」であることを巻頭でうたっているだけあって、情報の量も質も、類書を圧倒している。

特に、「第2編」(49頁以下)に掲載されている「Q&A」では、改正法の条文の基本的な解釈(当然ながら、省令等にもきちんと言及されている)から、従来の裁判例の分析*2、そして、それらを受けた「実務上どのように対応すべきか」というポイントまで、痒いところも含めて、より実践的な形で設問・解答が用意されており、このQ&A・84問をベースとして押さえておけば、応用問題まで含めて、かなり広範囲の実務的課題に対応することが可能、という充実ぶりである。

そして、本書の“異彩”ぶりを決定的なものにしているのが、「弁護士会」名義で執筆された書籍であるにもかかわらず、全体的に「雇う側」の論理に配慮した形で構成されている、ということである。

そもそも、オープニングの論稿の標題が、「日本型安定雇用を壊す雇用強制立法」*3となっている時点で穏やかではない(笑)。

今回の法改正に対する、

「わが国の安定した雇用体系を壊すことになるような問題と今後の訴訟リスクを増大させる危険をもったものと評価される」(13頁)

という指摘がどこまで的を射たものなのか、現時点での論評は差し控えるが、出だしからとにかくインパクトがあるし、これに続くQ&Aの回答や、第3編の「座談会」参加弁護士の発言のなかにも、立法(及びそれを受けた省令等)を批判する、という感覚が随所にちりばめられていることが一見して分かる。

「転換権を事前に放棄することは可能か」という問いに対しては、

「事前放棄は公序良俗に反するというのが厚生労働省の見解である」(72頁)

と含みを持たせた表現で答えているし*4、「改正労契法20条とパート労働法8条とでは文言が異なるが、適用範囲に違いがあるのか」という問いに対しては、

「改正労契法20条では、要件が厳格でなくなり、適用範囲が広がり、不合理と認められるのはいかなる場合かについて、企業側の予測可能性が低下することが懸念されている」(150頁)

と答える。

座談会になると、さすがに様々な立場の先生方が混じっているだけに、露骨な“企業びいき”的な発言は影を潜め、どちらかと言えば理論的、技巧的な観点からの議論が目立つのだが、木下潮音弁護士が、

「現実にこの法律がある中で実務を運用しようとすると、この法律は意外に使いにくいなという点を感じます」(196〜197頁)

と述べられていたり、倉重公太朗弁護士が「登録型派遣の性質が無期転換権の行使によって変ぜられてしまうのではないか」という点を危惧する発言をされているなど、言うべきことは言われている。

元々経営法曹系の先生方が存在感を発揮している一弁ゆえ・・・という面はあると思うが、理詰めの議論で行政サイドの思惑に物申す、という姿勢が貫かれている点で、本書が清々しく感じられるのは間違いないところ。

たった3つの条文、されどその影響は計り知れない、という状況の下で、企業の中の実務家がどう振る舞うべきなのか、語りつくすにはちょうど良い素材と思われるだけに、関心のある方には、是非お勧めしたい一冊である。

*1:終わりの方で、木下潮音弁護士が改正三法をセットに論じた解説を書かれているが、それが数少ない他の二法への言及で、それ以外のパートでは、ほぼ労働契約法改正(有期労働契約規制の話)に特化した解説書になっている。

*2:ちなみに裁判例については、100頁以上の紙幅を割いて(226頁〜337頁)、「雇止め」をキーワードとして抽出された161件の事案の概要と結論が要領よくまとめられており、本書の資料としての価値も極めて高い。

*3:安西愈・本書2頁以下。

*4:解説では、「転換権の事前放棄が労働者の真意に基づくものであれば必ずしも放棄の効力を否定する必要はなく、真意に基づかず、やむを得ず事前放棄に同意させたような場合につき、そのような同意を公序良俗に反し無効とすべきではないだろうか」(73頁)と厚労省通達に挑むかのようなコメントも掲載されている。

早起きは5割増しの得・・・的施策への疑問

昨年「フレックスタイムの廃止」という、あっと驚く施策を打ち出して物議を醸した会社が、またしても勤務制度改定の話題で日経紙の1面を飾っている。

伊藤忠商事は社員の働く時間を朝方にシフトさせ残業を減らすため、新たな賃金制度を導入する。時間外手当の割増率を、夕方以降に残業するよりも早朝に勤務する方が高くなるように見直す。家族と過ごす時間などを確保するワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)に配慮した働きやすい環境をつくり、業務の効率化や人材確保につなげる。」
日本経済新聞2013年8月2日付け朝刊・第1面)

「夕方以降の残業」よりも「早朝勤務」の方がワークライフバランスに資する、というのを一般論として言われてしまうと、「えっ、何で?」と猛烈に反論したくなるのだが、この制度に関しては、「午後10時以降の深夜残業禁止」(職場を完全消灯)という措置とバーター、しかも、従来「午後10時〜午前5時」の超過勤務に対して支給していた割増率50%を、「午前5時〜9時」の早朝時間帯に支給する(しかも管理職にまで割増25%を付ける、という大盤振る舞い)、ということだから、「総残業時間削減策」と「経済的不利益緩和策」をミックスさせた好施策、という見方も一応はできるのかもしれない*1

だが、自分は、このような制度改定が、働く者にとって真に有益だとは到底思えないし、こういう悪しき制度が流行るようになってしまっては困るので、以下、思うところを書き残しておくことにする。

*1:余談だが、記事にある「社員1人当たりの残業時間が月平均37時間」という数字は、これが「超過勤務手当を支給されている時間とイコール」という前提で考えるならば、羨ましいくらいに(苦笑)多い。いや、これでも実残業時間の半分もつけてない、というのであれば同情するが、必ずしもそういうことではなさそうなので・・・。

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