ちょうどシーズンなので・・・。

いい加減、毎日更新するネタが尽きてきたんじゃないか、という突っ込みも受けてしまいそうだけど、まもなく旧試験組には懐かしい「母の日」が来るし、週が変われば
今や新しくもない〝新試験”も始まる、というタイミングのようなので、改めて6年前の記事を上げておくことにする。

k-houmu-sensi2005.hatenablog.com

自分くらいの年代になってくると、もはやガチで受けなきゃいけない試験の機会というのはほとんどないのだけど、このエントリーを書いてからも、大なり小なり「試験」っぽいものを受けるときは、↑のルールを徹底しているし、それができなくてついついギリギリまで手を出してしまったときは、大方ロクなことにはならない、ということも、引き続き実証している・・・(汗)。

かつて自分が仕事の傍ら続けていた試験への挑戦は、「本番で頭を回転させるためのコンディションをどう整えるか?」という問いへの答えを探すための長い長い道のりでもあった。

もちろん、人それぞれで多少の個人差はあると思うのだけれど、
誰もが簡単に口にする、

「最後の最後まで頑張れ」

とか、

「直前にやったことが試験に出る」

といったフレーズは、まさに〝悪魔のささやき”に他ならない、というのが、古い試験の時代に、四たび辛酸を舐めて自分が得た最大の教訓でもあるわけで、だからこそ、今ここで、改めて強調させていただければ、と思うのである*1

*1:まぁ、この時期にこんなブログを見に来られるような余裕を持っている方であれば大丈夫でしょう・・・といういつものネタは今回も入れておくが、ブログも、それを書いている人間も歳月を経て「古く」なった今、そもそも現在進行形で司法試験を受験しているような層の方々がこのブログの存在を知っているのか・・・というところの方が、むしろ不安だったりもする(苦笑)。

Look Back Again

ここ数日、諸先輩方が、
bateau-ivre.doorblog.jp
とか、
dtk1970.hatenablog.com
といった記事を書いておられるので、自分も便乗?してのエントリー。
(タイトルはもちろんヤイコのヒットナンバーから(笑)。)


自分が会社の中で初めて「法務」という名の付く仕事にかかわったのは、
ちょうどミレニアム、世紀が変わるかどうか、という時代。

その意味で、20代の早いうちにきっかけを掴めたのは、
今思えばラッキーだったのだけど、大変なのはその後だった。

「法務をやってます」といっても、所詮は地方の小さな支店の一担当者。
大きな支店だと、取り扱う事件も大きいし、仕事の幅も広がるけど、
小さな支店に大きな事件が回ってくることはほとんどないし、
そもそも、一人何役もこなさないといけないような小所帯の中で、
法律周りのスキルを磨くことだけに時間を割くわけにもいかない。

それでも、いろいろと仕事をしているうちに、
指導役だった本社の先輩たちの格好良さに何となく憧れて、
自分もそこでやってみたい、と思ったものの、
ぞこに入れるのは、大勢いる同期の中でせいぜい1人か2人。
華々しい仕事とは無縁の小さな支店の担当者にとっては、
「高嶺の花」の世界だった。

予想通り、結果的には、別の同期に先に席を奪われ、
自分は事業部で細々と知財をやる人、になったのだけど、
そこから始まったのが、「法務部の一員になるための(孤独な)戦い」。

当時、法務部にいたメンバーに、
「あいつ、うちに呼んだら?」と言ってもらえるようになるために、
20代から30代初めにかけての時間をつぎ込んで、ありとあらゆることをやった。

知財担当だと、権利化周りの仕事だけをやっていても、
法務とは基本的に接点がない。

なので、それまで法務的観点からは、
誰も見ていなかった事業部内の契約を徹底的に掘り返し、
法務部経由で弁護士に相談に行くネタを探す、とか、
他部の契約でも、ちょっとでも知財に絡む条項が入っていたら、
打合せに混ぜてもらい、法務の主担当者の分の仕事もまとめてやって返す、とか、
はたまた権利行使のアクションを積極的に起こして、
法務部の訴訟担当の人間を巻き込むとか・・・。

今の「働き方改革万歳!」の時代だったら、
それこそ、「余計な仕事を増やすな」と怒られそうな振る舞いだったけど、
当時は大目に見てもらえたところはあった。

もちろん、単に仕事を増やした、というだけではなくて、
事業部の担当者が抱えてこじらせていた契約交渉に一緒に出て行って、
うまくまとめて帰ってくれば当然感謝もされるし*1
当時の法務サイドの人たちにも、「知財」というジャンルの面白さと難しさを、
山ほどある事例とともに教えてくれる担当者はユニークな存在だと思われたようで、
そのうちに法務部内の勉強会とか主催研修にも、
ゲスト講師で呼んでもらえるようになったりもした。

そんなことを何年か積み重ねて、
「法務と知財って地続きだね。」と多くの人が思ってくれるようになったとき、
初めて「法務」という仕事にかかわってから10年近く経って、
ようやく自分の道も開けたのである。

*1:もちろん、うまく行かなかったことも山ほどあるのだけど・・・。

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「法務」は時代を超えられるのか?

ここのところしばらく、家の中で「テレビ」というものをほとんど使っていなかったのだけど、さすがに今日は様々なことが気になってリモコンのスイッチに手を伸ばした。

自分は、「30年」という、前の時代に比べると長くはないが決して短いとは言えない時代を、多感な時期から人生の折り返し地点に差し掛かる時期まで、まさにど真ん中で駆け抜けてきた世代だから、様々な回顧的解説を耳にするたびにいろいろと思うところはあるわけだが、それを振り返りだすと、とてもではないが今日中にはエントリーを上げられないので、ここでは一つのテーマに絞る。

自分も含め、企業の中で「法務」という仕事にかかわった人々にとって、「平成」という時代は、まさに”右肩上がり”の時代だった、といっても過言ではなかったと思う。

まだいわゆる〝反社会的勢力”が、企業活動の表に近いところで跋扈し、名の知れた大企業ですら、道理よりも昔ながらの慣習と義理人情が前に出て人と会社を動かしていた平成初期から、時代を象徴するような「事件」や「不祥事」が度々繰り返され、SNSも含めたメディアの圧力等が増していった結果、現在の大企業では、少なくとも表立って「法令遵守」だとか「コンプライアンス」といった価値観を否定する経営トップは、ほとんどいなくなった。

そして、何がどう大事か、ということまでは分からなくても、「法務も大事」というムードが業界横断的に生まれた結果、契約だの訴訟だの取締役会だののお守りを、他の大きな部門の片隅で細々と行っていた「法務」の体制は増強され、いつしか「課」や「部」のレベルにまで昇格し、会社によっては「本部」の冠まで付されるくらいの大きな組織にまで"出世”した。

IT技術の進歩は、契約書の修正やその後のやり取り、さらには海の向こうの契約協議まで、法務部門が神出鬼没に絡むことを可能にし、「企業法務」を看板に掲げ、「法務」の重要性を喧伝してくれる複数の大型法律事務所の登場や、司法制度改革に伴い企業に流入した弁護士資格を持った社員の存在が、「法務」のプレゼンスを多少なりとも高めてくれたことも否定しない。

入社数年目に「法務をやってます」と自己紹介しても、ピンと来てくれる人がほとんどいなかった、というのが、平成前半の時代の自分の原体験(一種のトラウマ)だったりもするのだが、平成の終わりに近づいた時期から、入社時の採用面接の時点から目をキラキラさせて「法務希望」と唱えたり、「法務部門で何をやっているのか興味があるので教えてくれ」という新入社員が出てくるようになった。

もちろん、各社の事情によって部門の山&谷はそれぞれだろうし、全盛期だったのは5年前、10年前、今はむしろ停滞、縮小期に差し掛かっている、という会社も決して少なくはないのかもしれないが、それでも業界全体としてみれば、大企業から中堅、新興企業にまで「法務」の波が押し寄せてきた、という点で、この30年間、「法務部門」は拡大の一途を遂げてきた、という表現が適切だと思っている。

こうした背景の中、今日をもって「平成」が終わり、明日から「令和」という新しい時代を迎えることになる。
客観的に見れば、日が一日過ぎるだけで、すぐに世の中がそんなに大きく変わるわけではないし、日々仕事に追い立てられる中、つかの間の連休を楽しんでいる「法務」関係者自身が、〝節目”を意識することなど、ほとんどないだろうと思うのだが・・・。

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心配な「兆候」

先日の臨時株主総会は無難に乗り切ったものの*1、ここにきてまた心配な雰囲気が出てきている日産自動車

4月19日には、突然「日産、世界生産15%減 19年度計画 9年ぶり低水準」という記事が配信されたし、

www.nikkei.com

今朝の日経朝刊でも、「ルノー、統合を再提案 日産拒否、対等主張へ 連携強化遅れ懸念」という見出しが躍った。

19日の記事に対しては、同日中に会社側が報道を全面否定する声明を発表しており、報道されている内容がどこまで真実なのか、ということは、現時点ではなかなか分からない。

www.bloomberg.co.jp


ただ、ここで自分が気になっているのは、報道された内容が真実かどうか、ということより、こういった相当なインパクトのある情報が「取引先」だとか、「関係者」といったところからの話として、記事になってしまっていること。

この種の「リーク記事」が、会社、あるいは経営トップの周辺から意図的に出される、という場合ももちろんあるのだけれど、これらの記事やそれに対する会社側のリアクションを見ていると、今回の一連の報道はそういうたぐいのものではないんじゃないか、という雰囲気も漂っているだけに・・・。

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「同情」を超えた「共感」

日曜日の夜に飛び込んできた一つのニュース。
ただの芸能ネタ、と片付けることなかれ。
ここには、日本の多くの組織が抱える病巣と、それに直面した時にどうするか、という行動規範が明確に示されているのだから。

www.oricon.co.jp

この事件の特異性だとか、コメントの中にある「アイドル」とか「グループ」とかいったフレーズに目をとらわれてしまうと、どこか違う世界の出来事のように思えてしまうかもしれないけれど、個々のフレーズを変換して、「社長には」とその後に来るどうしようもない〝社長のセリフ”を、これを目にした人それぞれが、実際に上司等に言われたことのあるセリフに置き換えれば、途端に〝あるある”な話になる。

そして、

「この環境を変えなければまた同じことが繰り返されると思い、今日までずっと耐えて最善を尽くしましたが、私にできたことはほんのわずかなことでした。 」

とか、

「正しいことをしている人が報われない世の中でも、正しいことをしている人が損をしてしまう世の中ではあってはいけないと、私は思います。」

といった心にしみるフレーズ。

このコメントを発した人に比べれば、自分が受けた苦痛など、足元にも及ばないのだけれど、それでも、根底のところでは思いは共通している(と、自分は勝手に思っている)。

これから先、長い目で見た時に、「卒業」という選択肢が正しかったのかどうか、今の時点では誰にも分からない。
「アイドル」としてある程度名の売れた人であっても、フリーでソロになって苦戦する例はいくらでもある。
ましてや、我々のような、ステージに立つこともなくただひたすら組織の中で生きてきた、名もなき人間であればなおさらだ。

それでも、日本の組織にありがちな腐った体質、特に、「守り」に入った時の、理屈も客観的な周りの視線もお構いなしのどうしようもない対応*1に直面した時に、自分が前向きにその先の人生を生きていくための唯一の選択肢は、その組織から「Exit」することだ、ということを、彼女が改めて、世の中に広く教えてくれたような気がしている。

「たくさんの方が私のために自分の時間を削って、私のことを支えてくれました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。今後は皆さんのご自身ために、楽しいことに時間を使い、幸せになってほしいです。みなさんが私に幸せになってほしいと願ってくれたように、私もそう願っています。」

という 美しい言葉を伝えられるほど、自分はまだ割り切れていないし、今もまさに戦いの渦中にいるのだけれど、「ほんのわずかなこと」でもできたと感じた暁には、悔しさを押し殺して、美しく去りたい。

今は、そんな気持ちで。

*1:これはアイドルグループだろうが、名の知れた、世間では比較的好感度の高い大企業だろうが、本質的に変わらない。残念なことではあるが。

あの頃の自分にも、今の自分にも。

新年度が始まったばかり、ということで、新社会人向けの記事を目にする機会も多いのだが、今朝の日経朝刊に載っていた、南場智子ディー・エヌ・エー会長のメッセージには、心に刺さるものがあった。

「新社会人は同期より自分が成長できているかどうかを気にしがちだ。かく言う私も米コンサルティング会社のマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社した当初は自分の価値を見いだすのに必死だった。肩に力が入り、仕事が空回りすることが多かった。ただあるプロジェクトで他の人からの評価を気にせずに目の前の業務に没頭したとき、ようやく仕事の楽しさに気づいた。その経験は自分の宝物になった。意識を自分でも他人でもなく仕事そのものに向けることは、当社の行動規範にも掲げている。」
日本経済新聞2019年4月4日付朝刊・第3面)

自分の社会人生活の振り出しは、決してマッキンゼーのような一流の会社組織で始まったものではなかったし、残念ながら「新社会人」の時代に、「没頭」できるような仕事も目の前にはなかった。

ただ停滞した何年かを過ごした後に、後先考えずに目の前にある仕事に取り組み、それまで会社の中で他の誰もやったことのなかったようなところにまで足を踏み入れたことで、20歳代から30歳代にかけての活路を見いだすことができ、今に至るまでのキャリアを築くことができた、というのは間違いなくある。

大きな会社、大きな組織であればあるほど、「定番の出世コース」みたいなものが何となくありがちで、若いうちはそれに乗っかるかどうか、ということがやたら気になったりもするものだけど、そういうものに気を取られて一喜一憂しているうちに、本当の仕事の楽しさとか、やりがいとか、というものを見落としてそのままズルズル歳をとってしまった、という例は山ほどあるわけで、「目の前の仕事だけに意識を向けよ」というのは、まさに金言だと自分は思っている。

そして、歳月を経て、世代を超え、上からも下からも周りからも、「評価」され、それを意識しないと生きていけないような立場になってもなお、初心を貫いた結果、「仕事への意識第一」という自らの正義に殉じたことに、自分は一片の悔いも抱いてはいないのである。

区切りの第一歩。

暦のめぐりあわせゆえ、「月曜日」から始まった今年の新年度。
異動発令やら何やらで、この日が区切りの日となった人も多かったことだろう。

特に自分がうらやましいと思うのは、「入社式」をこの日に迎えた人たち、である。

これまで、自分のそういう節目の時は、いつも決まって「1日」が週の真ん中に来ていて、その結果どうなるかといえば、それまで普通に流れてきた日常が、ある日を境にガラッと切り替わる、という感覚を味わうことになる。

学生の時は、卒業式こそちょっと早めに終わっていたものの、前日の夜まで大学には顔を出していて、終わった後にそれまで通り気の知れた仲間と遅くまで飲んだ後に、翌日入社式会場に直行。

その次のタイミング(とある研修機関の入所式)でも、31日深夜まで残った仕事&片付けを散々やった後に、翌日朝から180°異なる環境に放り込まれた。

自分は元々、環境の変化にはそんなに強くない人間だし、そんな人間が、週のど真ん中で平穏に過ごしてきた日常から急に切り離されて、まったく違うところにいけば、そりゃあ戸惑う。

なので、そういう節目の記憶って、大概が、フレッシュな環境でウキウキしている周囲を横目に見ながら、本能的に環境変化への拒絶反応を起こしている自分の平静を保つために、必死にもがいていた苦しい記憶として刻まれている。

だから、当時は、せめて土日で一息ついて、気持ちを軽く切り替えてから新しい環境に迎える暦になっていればな、と、カレンダーを心から呪ったものだった。

翻って今年。

いくら曜日の並びに恵まれているからといって、同じように節目や門出を迎えた人たちが、皆、気持ちを切り替えて、フレッシュな気持ちで臨めているわけではない、ということは容易に想像がつくところ。

ただ、最初のスタート、一歩目が、戸惑いと憂鬱な感覚から始まったとしても、時間を重ねるごとにその感覚が変わっていき、どこかのタイミングで最初の一歩目の日のことを「あの時は」と懐かしく思えるときがくることを自分はこれまでの経験から何度となく学んだし、二歩目以降の実績の積み重ねで、一歩目がどうかなんて関係ない、ということも証明してきたつもりなので、土日を挟んだのにまだ気持ちが切り替えられずにもがいている、という人がいたら、このエントリーを読んで、少しでも心の慰めにしていただければ、と思っている。

そして、最悪のスタートから20年以上が過ぎ、カレンダーのめぐりあわせを恨んでいた当時の青年が、ようやくちょっとだけ、暦の恩恵を受けることができた、ということも、この場を借りて、ひっそりとご報告させていただくことにしたい。