権利の乱用か?それとも権利濫用法理の乱用か?

「推進計画」にも明記されていたのでいずれ出てくるのは分かっていたのだが、やはり、先日日本経済新聞に掲載された一本の記事の反響は大きい。

特許庁は特許を持つ企業や個人が権利を行使できる範囲について、指針をつくる方針だ。特許を侵害しているとして、メーカーなどに高額の和解金やライセンス料を要求する「特許管理会社」が増え、訴訟が相次いでいることに対応。特許権の行き過ぎた主張は日本経済の活力をそぐ結果にもなりかねないため「適正な権利行使」と「乱用」を区別するための目安が必要と判断した。(日本経済新聞2008年8月20日付朝刊・第5面)

これが、最近アメリカで出されたe-bayの判決を意識してのものなのは間違いないが、基本的に法体系が異なる米国での議論を直輸入して、我が国で権利の「適正な行使」と「乱用」を区別することが可能なのだろうか?


根本的なところでの議論がきちんとなされているのか、が気になるところである。


それに、特許管理会社が「パテントトロール」として“濫訴”とも言えるような状況を連発している(と言われる)米国と、個人発明家や一部の特許事務所がネチネチと警告書を送りつけてくるものの、実際に訴訟にまで発展することは少ない我が国とでは、背景事情も異なる。


あくまで今後“米国化”しないための「予防的」な方策ということなのかもしれないし、“不当な訴訟リスク”に曝されている企業の実務担当者にしてみれば有難い話であるのは間違いないのだが、冷静になって考えてみると、今後指針の策定に向けて異論が出てきても不思議ではないところだと思う。



ちなみに・・・


著作権の世界で、権利濫用法理を用いて実質的な「フェアユース」を実現しよう、という意見が出ると、

「権利濫用法理は例外的な法理なので・・・」

という反応が返ってくるのが一般的なのに対し、特許の世界では主管官庁が積極的に指針の策定に動く。


同じ「権利行使」の制限を対象とした議論であるにもかかわらず、この違いは一体何なのか(笑)と、思わず皮肉の一つもいいたくなる。


まぁ、主管官庁の“位置取り”の違い、と言ってしまえばそれまでなのだろうけど・・・。

刑事訴訟の限界。

福島県大野病院事件で、福島地裁(鈴木信行裁判長)が手術を執刀した加藤克彦医師に対して言い渡した無罪判決が、いろいろと波紋を広げているようだ。


正直、今回の訴訟に関する細かい資料を自分は入手しうる立場にないし、仮に入手できたとしても、議論に耐えうるだけの「医学的知見」を持っていない自分が、判決の当否について論じることなどできるはずもない。


ただ、今回の判決とそれを受けた議論をざっと眺めて気が付いたことがある。


日経新聞が21日朝刊の社説で、

「最大の争点だった術法の適否をめぐり判決は「医療行為の結果を正確に予測することは困難」とし、治療法選択で医師に広い裁量を認め、判断ミスを否定した。産科学会などの「現場では何が起こるかわからないことが多い。結果だけで刑事責任を追及されると、医療現場に混乱をもたらす」との主張を入れた格好だ。」(日本経済新聞2008年8月21日付朝刊・第2面)

と書いているように、今回の判決に対する評価の中には、「『医療の特殊性』を訴えた医師側の声」が反映された、と分析するものが多い。


だが、

「結果を正確に予測することが困難」

というのは「医療」の世界だけに限ったことなのだろうか?


そもそも「結果を正確に予測」できる状態で、他者の法益を侵害するような結果を招いたのであれば、それはもはや「過失」の域を逸脱している、と言わざるを得ないのであって、世の中で“過失犯”として刑事責任を追及されている事案のほとんどは、結果が発生するかどうかが不確実な状況下で法益侵害結果を発生させてしまった、というものだし、そういった事案の多くで、それでも「予見可能性あり」として、被告人が何らかの責任を負わされているのが実情である。


「被害者保護」の観点から、そういう場合であっても刑事責任を追及して然るべき、という発想に立てば、「医療だけを特別視するのはおかしい→判決不当」という結論につながってくるだろうし、そもそも(限りなく故意犯に近いといえるような極端な事例はともなく)純粋な“過失犯”を刑事処罰の対象とすること自体がそもそもおかしい、という発想に立てば、「医療行為に対して刑事責任を問うこと“も”ナンセンスだ→判決支持」という結論につながってくるだろう。


そのいずれが正しいのか自分には判断しかねるのだが、いずれにせよ、今回の問題を、「医療界だけの特殊事情」と捉えることには、ちょっと違和感がある。



ちなみに、本件は業務上過失致死と医師法違反(報告義務違反)の二罪の罪責が問題にされていたにもかかわらず、検察官が行った求刑は、禁固1年、罰金10万円に抑えられている。


業務上過失致死罪の法定刑だけを見ても、「5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金」となっていることを考えると、検察官は産科医に責任を負わせることの難しさを認識した上で、被害者保護とのバランスを考えて求刑を行ったのだろう。


だが、今の我が国における「刑事裁判」のインパクトを考えると、いかに刑が軽く抑えられようが、有罪になれば「犯罪者」のレッテルを貼られ、当の被告人やその者が属する業界が重大な不利益を被ることは否定できない。


本件では、仮に被告人に何らかの「過失」が認められたにしても、その過失が結果の全てに結びついている、ということができるとは言い難いのであり、そのような状況で、“白か黒か”という二者択一に陥ってしまう刑事裁判というツールでバランスを図ろうという発想には、いかにも無理があったというべきではないだろうか。


公訴時効等をどうクリアするか、という問題はあるにしても、この種の事案においては、損害の公平な分担という民事上の解決を先ず第一に考えるべきであって、刑事責任の追及は、本来加害者が負うべき金銭負担等が適切に履行されなかった場合の補充的なものにとどめるべき、というのが自分の考え。


そして、これもまた、医療事件にのみ適用されるような準則ではなく、世の中の“微妙な過失犯事案”にあまねく適用が検討されるべきものであるように思われる。


本件の帰趨如何にかかわらず、今後、「故意ではなしに法益侵害結果を生じさせた者」に対する責任追及の在り方について、より議論が深められることを期待して・・・

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