「三度目の正直」の裏側にあるもの。

今回の五輪の“三大がっかり”に一つに名を連ねることが確実になった不甲斐ない星野ジャパンを横目に、「三度目の正直」で念願の金メダルを獲得したソフトボール日本代表。


マクロな視点でみれば、「三度目」とは、シドニー(銀)、アテネ(銅)、と紡いできた壮大なストーリーの完結であり、ミクロな視点でみたときのそれは、1次リーグ、準決勝と苦杯を舐めた最強アメリカチームへの雪辱、ということになろうか。


前者が長期的戦略に立って成し遂げられたものであることは言うまでもあるまい。


宇津木・前監督が退いた後に、代表の主力選手、かつ早い時期からコーチトレーニングを積んでいた斎藤春香氏を後任監督に据えたり、常にメダル確保を至上命題として大会に臨む中でも、世代交代を意識した選手選考を継続して行ってきたり・・・*1


監督としての能力を無視して、スポンサーに気に入られそうな人気者を頭に据え続け、しかもその“人気者”が、これまた気心の知れたコーチや選手を連れて行っただけの“なんとかジャパン”とは全く違う。


で、自分が気になっているのは後者の「三度目の正直」のほう。


1次リーグの米国戦にコールド負けした後、日経紙の「千里眼」コラムには、宇津木麗華ルネサス高崎監督の次のようなコメントが掲載されていた。

「15日の米国戦をシドニーアテネ五輪をともに戦った山路典子太陽誘電監督)と見ていて、同じ監督として考え込んでしまった。斎藤、一体、何がしたかったの?」
「勝負事にリスクはつきものだが、リスクと無謀は違う。結局、江本は一死も取れずに降板してしまった。「長丁場の戦いを最後の最後に勝つための起用」と言ったようだが、エース上野を温存するにしても、江本にはあまりに酷だった。」
「決勝に残る保証もないのに、先のことばかり考えて、力を出し惜しみしている気がする。上野が初戦以降、16日の中国戦で先発するまで登板しなかったのもそう。」
「仮にメダルをとれたとしても、「捨てた」と思われても仕方のない試合を五輪で、しかも王者・米国との一戦でしてしまったことは残念だ。」
日本経済新聞2008年8月16日付夕刊・第11面)

5日後の結果を見れば、「千里眼」というタイトルが皮肉に聞こえてしまうような中身だが、記事が載った時点では頷いた人も多かったはず。


日本とアメリカの力関係は、5回戦って1,2回日本が勝てるかどうか、というレベルだろうから、机上の心理学的計算をするなら、

「1回目にコールド勝ち。2度目に接戦の末辛勝」とくれば、3度目はもしかしたら負けるんじゃないか、という不安がアメリカ側に生まれ、そこに付け込むチャンスが出てくる」

なんて作戦も成り立ちうるのだろうが、現実には、1回目の大敗でチームのリズムが崩れてしまうこともありうる。


宇津木麗華氏が指摘するように、

「先のことばかり考えて」

力を出し切れずに五輪の舞台を去った選手、チームは山ほどいるのであって、極めてリスクの高い作戦だったことは間違いない。



だが、現実の展開はピタリとはまった。


結果として上野投手を酷使することになった、準決勝や3位決定戦の結果まで「作戦どおり」といってしまうと、「深読みしすぎじゃないか(笑)」と突っ込まれてしまうかもしれないが、結果的には、チームが前日の勢いそのままに、盛り上がった状態で決勝戦に臨めたのも事実。


シドニー五輪のとき、1次リーグで米国を倒してトップ通過した日本代表は、準決勝でもオーストラリアを完封し、万全の状態で相手を待ち構えていた。


一方、4位に終わった米国は、準決勝、3位決定戦と息を吹き返し、迎えた決勝戦の結果はご存知のとおり。その時、選手としてユニフォームを着ていた斎藤監督が何を思ったか


深読みしようと思えば、いくらでもできてしまう。

*1:野投手にしても、決勝戦でホームランを打った山田選手にしても、アテネから抜擢されて経験を積んでいる。

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