“白・緑一本輪”が消える日。

ここのところ明るいニュースが少ない競馬界に、また寂しいニュースが一つ。

「1986年に牝馬3冠を達成したメジロラモーヌや、97年のオークスを含めG1級5勝のメジロドーベルを生産したメジロ牧場(北海道洞爺湖町)が、経営不振から5月に解散することが27日、明らかになった。」(日本経済新聞2011年4月28日付朝刊・第41面)

馬券の売り上げに回復の兆しは見えず、賞金も生産者賞も削減の一途。
その上、メジロベイリー以来*1、G1級の生産馬にも恵まれていない*2、となれば、いかに我が国屈指のオーナーブリーダーといえど、弱気になるのはやむを得ないだろう。

下級条件馬を多数レースに出走させて手当を稼ぐ、という手法も、東日本大震災の影響でまともにレースに出走させることも困難な状況になってしまうと機能させようがないわけで、多額の出費を覚悟しなければならない種付けシーズンを前に「解散」という道を選んだのは、賢明な判断というべきだったのかもしれない。

だが、自分は、古馬重賞を賑わせた“三大メジロ*3の全盛期に競馬に熱中しだした世代だし、ライアンの血を引くドーベル、ブライトが父内国産馬の星*4としてクラシック戦線&その後の古馬戦線の主役を張っていたときは、心中するくらい追いかけていた人間だ。

しかも、故・北野豊吉氏の馬に賭けた情熱とか、それを引き継いで親子3代天皇賞制覇を成し遂げた故・北野ミヤ氏の執念、と言った話を何度も聞かされながら競馬ファンになっているものだから、これでもう、ターフに映える“白・緑一本輪“のシンプルな勝負服を見ることができない・・・という事実は、やっぱり重たい*5

活躍馬に恵まれていない、とはいえ、毎年30頭くらいのラインナップを揃えていたし、外の血も積極的に導入して馬づくりをやっていたようだったから*6、どこかで名門復活・・・という思いもあったのだけれど、それも叶わぬ夢となってしまった。

願わくばいつか、北野一族の思いを継ぐ者が現れて、メジロ牧場ゆかりの血を引く馬を“白・緑一本輪”の勝負服で勝たせてくれはしないものか・・・*7、と思ったりもするのであるが果たして・・・*8

*1:メジロベイリーも現2歳時のG1を1つ取っただけで、後は故障もあってサッパリの結果だったから、実質的には94年生まれの2頭(ドーベル、ブライト)がG1級としては最後の世代になってしまった。

*2:本拠地を洞爺湖に移しかけた矢先に、有珠山の噴火によって牧場がダメージを食らった、というのも大きかっただろう。

*3:強すぎたメジロマックイーン(正確に言うとメジロ牧場産でもメジロ牧場所有馬でもなかったのだが)を筆頭に、人気者メジロライアン、稀代の逃げ馬・メジロパーマーと、白と緑の勝負服の3頭が、90年代初頭の競馬界において、大きな存在感を放っていた。

*4:今でこそ、どの馬も皆「父内国産」だが、当時はSS、BT、トニービンと輸入種牡馬全盛期で、「父内国産馬」がG1を勝つだけで大きなインパクトになったものだ。

*5:歴史の重さ、という意味で言えば、“フサイチ”の時とは比較にならないし、早田牧場が倒産した時と比べても、こちらの方が重たい。

*6:デビューを控えた馬の中には、ディープインパクト×メジロダーリングなんていう、面白い血統の馬も混ざっていたりする。

*7:牡系はちょっと難しいとしても、牝系は必ずどこかに残るだろうから。

*8:もう少しコンスタントに走る馬を出せる状況になっていたなら、社台系のようなクラブ法人化も可能だったかもしれないのに。もう少し早くそういった手を打てなかったかなぁ?と思うと、ちょっと残念。

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