著作権ビジネス最前線

前から読みたかった内藤弁護士の本を読んだ。
「エンタテイメント契約法」*1という、
いわゆるエンタテイメント業界の契約慣行について書かれた本である。

エンタテインメント契約法

エンタテインメント契約法


仕事柄、広告代理店だのクリエイターだのとの契約を
扱うことが多いのだが、純粋に法律の頭で考えていくと、
時々腑に落ちないような結論に落ち着くことがあって、
前から気になっていた。


先日手がけたキャラクター関係の契約でも、
てっきり自分の会社がライセンシーだと思っていたのだが、
いつのまにかライセンサーになっていたり(笑)。


そんな疑問を解く上では、非常に有意義な著作であった。


この本の中で一貫している考え方は、
エンタテインメント取引においては、『プロデューサー』、
すなわち、リスクマネーをコンテンツ制作に投じた者が、
コンテンツのコントロール権を取得する必要がある、というものであり、
その立場から投げかけられる、裁判所や独禁当局等の現在の法解釈姿勢への
批判はなかなか辛らつである。

例えば、
契約書がない場合に著作者に有利な解釈をする、という「暗黙の前提」に対し、

「契約書がない状態」と「契約がない状態」とは全く異なる。「契約がない状態」に対して著作権法が直接に適用されるのはそのとおりだが、「契約はあるが契約書がない状態」はこれまでとは同視できないのであって、「何が契約であったのか」の探求がまずなされなければならないのである。理論的には異論のありえない話のはずだが、多くの裁判所はこうした作業を(実質的には)怠ってきたというのが、私の印象である*2

として、「当事者の合理的意思の探求」の重要性を説くあたりは、
日頃、権利者の影に怯え、過剰なまでに契約をくどくどとチェックしている
担当者にとって、どこか救われるものがある*3


もちろん、実態の契約慣行についても、丁寧に書かれている。


いわゆる実務家の書いたハウ・ツー本的な「解説書」は、
自分は大嫌いなのであるが、
第一線のLawyerとして活躍されながらも、
米国著作権法テキストの邦訳版を出されたり、
パブリシティ権の概説書を書かれている内藤先生だけあって、
内なる知的欲求を満たすにも十分過ぎるほど*4


こういう面白さがあるから、
知財法務の仕事はなかなか辞められない(笑)。

*1:内藤篤『エンタテインメント契約法』(商事法務、2004年)

*2:内藤・前掲注1)48頁。

*3:本書でも取り上げられているが(内藤・前掲注1)35-39頁、114-117頁など)、例えば、著作権譲渡契約を結んでも、二次著作物の作成権と翻案権は譲渡目的として特掲されていない限り、譲渡人に留保されるという規定が著作権法にはあるし(61条)、著作者人格権は譲渡できない一身専属権とされているので、行使されないために契約上どう書くかは、頭の痛い問題である。

*4:もちろん本書の中には、「事案によっては権利者への配慮に欠けることになりやしないか・・・」と心配してしまうような、やや乱暴にも思われる記述も散見されるのだが、近年良く見られる「コンテンツ保護=権利者保護」という短絡的思考を念仏のように唱える多くの論者に比べれば、筋の通った意見が述べられているように思われる。

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