駒大苫小牧の「幸運」

ここ数日メディアを賑わせていた駒苫野球部長暴力事件だが、
高野連の処分が決まったようで、
とりあえず優勝旗を返還するという話はなくなったようだ。
心情的にはホッとしているのだが、
甲子園開幕前の明徳義塾の件との公平性を考えるとすっきりしない。


両者の処分の違いは、
部員間の問題か、教員の問題か、ということで説明されていたが、
明徳の処分の際には、暴力そのものではなく、
問題を報告しなかった学校側の姿勢に問題があった、と断罪していたはず。


その視点で言えば、今回の駒苫側の対応も
事件の隠蔽と指弾されてもおかしくないものだったのであって、
二重基準だと批判されてもやむを得ないところだろう。


駒苫にとって幸運だったのは、
問題が発覚したのが、大会後、それも二連覇の偉業を達成した後だったこと。
そして、「野球辺境地」北海道の高校生達が恵まれない環境で練習を積み重ねて、
頂点まで駆け上った、という、いかにも日本人が好みそうなエピソードを
背負っていたことで、少なからず世論を味方にできたこと*1


これに対して明徳義塾は、
全国の高校生の寄せ集め、勝利至上主義と揶揄され、
同情よりも、それ見たことか、と言われる立場。
松井秀喜敬遠事件」以来、いくら勝っても微妙にヒール扱いされていた学校だけに、
今回の処分もスケープゴートにされた感は否めない。


ま、高校野球が参加する側にとっても、見る側にとっても、
巨大なコンテンツとして商品化された存在になってしまっている以上、
醜い大人社会の縮図がそこに投影されてしまうのは、
仕方のないこととも言えるのであるが・・・。

*1:グラウンドも確保できない状況で練習している多くの高校生に比べれば、彼らも十分恵まれた環境にあると思うのだが、それを表立って口にする者はそんなにはいない。

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