法の「建前」

日経新聞2005年9月16日朝刊、社会面(43面)より

国労組合員だった旧国鉄職員と遺族計297人が、1987年の国鉄分割・民営化でJR各社に採用されず、その後、国鉄清算事業団を解雇されたのは違法・無効だとして、雇用関係の確認や損害賠償などを求めた訴訟の判決が15日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は「旧国鉄が原告らをJRの採用名簿に記載しなかったのは組合差別で、不当労働行為に当たる」と認定した。

結果、被告である鉄道建設・運輸施設整備支援機構(旧国鉄精算事業団)に対し、86年当時55歳に達していた5人を除いた原告の慰謝料として、一人当たり500万円、総額14億1500万円の支払いを命じている。


いまさら解説するまでもないことだが、この問題は極めて奥が深い。


原告となった旧国鉄職員の多くは、分割後のJR各社に復帰し、元の鉄道現場で働くことを望んでいた。


しかし、日本国有鉄道改革法の分割民営化スキームの下では、承継法人であるJR各社と国鉄とは明確に別法人として区別されている。
そして、国鉄職員をどの承継法人に就職させるかは、あくまで国鉄自身の権限と責任によって行われ、JR各社は何ら責任を負わない、というのが、法の定める「建前」である*1


このような法の「建前」の前では、純粋な司法の場で、不採用となった旧国鉄職員が、
本来望むべき姿での救済を受けることは極めて難しい。


労働委員会のレベルでは、JR各社の使用者性を認め、不採用を不当労働行為と認定するとともに、職員らの採用を命じるという、「超法規的な」(そして人倫的には極めて妥当な)救済命令が数多く出されたが、法を明文の規定を飛び越えた解釈が裁判所に受け入れられるはずもなく、裁判所ではこれらの命令がことごとく取消の憂き目にあった。
そして、2年前の冬に出された最高裁判決*2により、そのような流れは決定的なものとなった。


国鉄精算事業団を相手取って行われている現在の訴訟は、いわば「敗者復活戦」である。
仮に原告が全面勝訴して、雇用関係の存在が確認されたところで、彼らの働く場所などどこにもない。


したがって、後はどれだけ慰謝料を勝ち取ることができるか、という問題に収束させざるを得ず、その意味で今回の判決は原告の全面勝訴に近い*3


だが、本当にこれで良いのか、という疑問は残る。
JR各社が改革法23条の緻密な解釈論を示せば示すほど*4、本来紛争解決に資す基準となるべき「法」が真の意味での紛争解決を妨げている、という矛盾が重くのしかかってくるのである。


国鉄当局者の側からすれば、労働組合法の「建前」ゆえに、このような手段をとらざるを得なかったのだ、という反論があるかもしれない。


組合員として活動を理由に実質的な「解雇」を行うのは、明らかに労組法上の不当労働行為にあたる。


だが、国鉄末期に当局の施策にことごとく反対し、そうでなくても厳しい経営状態をさらに悪化させたのが、国労急進派をはじめとする「過激な組合員」であることは疑いようもない事実である。
国鉄民営化の成功の理由は「過激分子」を新会社につれてこなかったことだ、と明言する政治家やJR幹部も決して少なくない。


もし、労働組合法の趣旨を「尊重」して、組合員としての活動実績を問わず、全ての国鉄職員を希望に沿う形で新会社に採用していたとすれば、JR各社の労務管理は今以上に困難なものになっていただろうし*5、現在のような好調な業績を残せているかどうかは疑わしい。


改革法23条は、国鉄を破滅に追いやった傍若無人な組合活動の根を根絶し、新たに発足する新会社に後憂を残さないために設けられた規定だと考えれば、先述した最高裁判決も至極当然の判断ということになるだろうし、あとは、旧清算事業団が着々と「戦後処理」を進めれば良い、という論理になる。


ただ、一部組合員の不採用に正当な「理」があるのであれば、司法の場でもそれを正面から争うのが筋だろう*6
それをあえて表に出すことなく、改革法を隠れ蓑にして、正面切った議論を避けるの姿勢を誠実な態度とはいうことはできない*7


なお、新聞記事を読む限り、今回の東京地裁の訴訟で被告側がどういう反論をしたか、というところは見えてこない。
最高裁のウェブサイトに労働事件裁判例集のページがあるにもかかわらず、速報性が確保されていないのは、まことに残念である。

*1:承継法人の設立委員が提示した採用基準に基づき、国鉄当局が職員を振り分ける、というのが改革法23条が定めたスキームである。

*2:最一小判平成15年12月22日

*3:原告側は控訴する姿勢を見せているようだが・・・。

*4:ちなみに、改革法23条=JR各社の免責条項とする解釈を決定付けたのは、JR各社が提出した園部逸夫最高裁判事の鑑定書であると言われている。立法過程における国会答弁等の段階では、JRに責任を負わせるという解釈を取りうる余地があったにもかかわらず、こと23条の解釈に関しては、裁判所を全面的に説得できたのは、JR各社の執拗なまでの訴訟戦略によるところが大きい。

*5:ちなみに、民営化後もJR各社内部での労務問題は根深く残っている。関心のある方は各種サイトを参照されたい。

*6:採用されなかった職員には、それまでに何度も懲戒処分を受けていたり、そもそも承継後の採用希望に関する調書を提出していなかったり、という「非」がある者も多い。

*7:JR各社の訴訟戦略としては、設立委員が「客観的かつ公正な採用基準」を設けたことを主張立証すれば足りるのであり、国鉄がどのような人選をしたか、ということについては関知するところではない、と主張するのが筋ということになる。だが、旧国鉄の人事労務担当者の多くは、新会社に移っても同じような仕事をしている。別法人だから、という理屈は法の解釈としては正しくても、それを現実として正当化することは決して許されない論理である。

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