「モノパブ論」は死んだか?

以前のエントリーで予告していたとおり、
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20050828/1125239226
内藤篤弁護士の『パブリシティ権概説〔第2版〕』を
ここしばらく読んでいた。
パブリシティ権概説

パブリシティ権概説

パブリシティ権概説


ジャンルとしては「概説書」というよりは、
「実用書」に位置付けられるテキストであるが、
世にあふれる実用書の類にありがちな軽さはなく、
所々、かなり奥深い理論にまで突っ込んだ言説も見られる。


研究者の方が書かれた概説書と違って、
引用文献等も最小限のものにとどまっているので、
シンプルで読みやすいのはもちろんだが*1
もう少し勉強しよう、と思った時に、自分で糸をたぐっていけるだけの
取っ掛かりがあちこちに散りばめられているのもまた嬉しい。


さて、この本の中には、実務上興味深い論点がいろいろとあふれているのだが、
中でも、個人的には「モノのパブリシティ権」に対する著者の評価が
一番気になっていた。


「モノのパブリシティ権」(モノパブ)論とは、
「モノ」の影像や名称利用をその「モノ」の所有者や管理者がコントロールするために、
自然人が有する「パブリシティ権」と同様の「権利」を認めようとする考え方であり*2
実務上は、比較広告等のフリーライド広告や、
ミニカー、鉄道模型といった商品化の場面で問題となる。
このあたりの「権利」化に熱心なのは、
魅力的な素材を市場に出している自動車メーカーや鉄道会社等であり、
逆に「権利」化のデメリットを避けたいと考えているのは、
広告代理店や玩具メーカーといったところである。


そもそも、「モノ」の所有者が、
商標権や意匠権著作権といった権利で保護を受けることができるのであれば、
「モノパブ」なる概念を持ち出す必要はないのだが、
現実には、これらの実定法上の権利には「権利者」にとって、
使い勝手の悪い部分が多々あり*3、それゆえに明文のない「モノパブ」を使って、
ユーザーをコントロールしたいという願望が働くことになるのである。


内藤弁護士は、初版でも、「モノパブ理論」に対して、
あまり好意的な評価を下されてはいなかったし、
ギャロップレーサー事件」の最高裁判決*4が出た今となっては、
肯定的な評価に転換されることを期待するのは、まず無理だとは思っていたが、
案の定、厳しい評価を下されている*5


内藤弁護士の「私見」は、おおむね以下のようなものである*6

  1. いわゆる「所有権理論」*7は明確に誤りである*8
  2. 「顧客吸引物限定説」*9は、その根拠となる法源が明らかではないし、一種のトートロジーのきらいもある。
  3. インセンティブ論」*10は、そもそも「何に対するインセンティブか」という点について、解釈の幅がありすぎ、解釈ツールとしては不適当である。
  4. 「社会的ニーズ論」*11は、そもそもそういった社会的ニーズが存在するかどうかが疑問である。


このほか、不競法による保護にも消極的な姿勢を示されるなど、
徹底して「お見事!」という他ないような「モノパブ批判」を展開されている。


確かに、「権利者」の側が一方的に「インセンティブ」だの
「社会的ニーズ」だのを主張することには、胡散臭さが付きまとうし、
「標識法保護体系との整合性」*12を指摘されてしまうと、
理論的に反論するのは困難を極めるのは間違いない。


だが、社会実態として、
「モノ」のキャラクター化とも言うべき状況が進展している現在、
「モノ」の商品化市場は年々拡大していく傾向にあるし、
「モノのパブリシティ」的なものに対して、配慮を求める風潮も強まっている*13


そのような事象の理解の仕方として、
「これは単なる『あいさつ』に過ぎない、と言い切ってしまって果たして良いのか*14
すっきりしない気持ちは残る。


上記のように「モノパブ」論が徹底的に否定されてしまうと、
「権利者」側には「フリーライダー」を取り締まる術がなくなってしまう。
そうなると、律儀に「あいさつ」する者だけが手足を縛られる一方で、
「あいさつ」すらしない無法者がほくそ笑むことになる。


市場の「秩序」を維持していくために、
法解釈によって何らかの「権利」を認めていくニーズが、
既に生まれているとは言えないだろうか?


もちろん、これは「権利者」側にいる法務担当者からの、身勝手な感想に過ぎない。


だが、日々、ライセンスの実務に携わっている者としては、
「モノパブ論はまだ死んでいない!」を声を大にして言いたい思いはある*15

*1:当然ながら、実務者にとっては、万遍なく文献や判例が拾われている概説書もまた重宝すべき存在なのだが。特に北大の田村先生の一連の概説書などは、ユーザーにとって便利なのはもちろんのこと、一体どうやってあれだけのデータを整理しているのだろう・・・?、と読むたびに興味をひかれるものがある。

*2:内藤篤『パブリシティ権概説〔第2版〕』169頁参照。

*3:例えば、意匠権が及ぶ類似意匠の範囲は極めて狭いし、比較広告のような「商標的使用」にあたらない使用態様に対しては商標権の効力も及ばない。。また一般的には工業製品の著作物性は否定されてしまうので、著作権も役に立たないことが多い。

*4:最高裁平成16年2月13日判決。テレビゲーム中に馬名を無許諾使用したゲームメーカーに対し、馬主が名前の使用差止、損害賠償を求めたところ、名古屋地裁、同高裁と、馬主側が勝訴したが、最高裁で全面敗訴した事例である。

*5:そもそも、章のタイトルが「『モノのパブリシティ権』批判」であるのだから・・・(内藤・前掲169頁以降)。

*6:内藤・前掲179‐185頁など

*7:モノの所有権の効力として、名称使用等のコントロール権を認めようとする考え方。

*8:単にモノの所有権を取得しただけでは「顧客吸引力」まで取得したとはいえず、このような考え方は「無体財産権の初歩の理屈」を踏み外したものであるとする。

*9:特別な顧客吸引力や宣伝広告効果を得ることを目的としているモノについては、その「顧客吸引力」に基づくコントロール権を認める考え方。

*10:事業のインセンティブを保持するためにコントロール権を認める必要があるとする考え方。

*11:保護を及ぼすべき社会的ニーズがあるから保護がなされるべき、という考え方。

*12:内藤・前掲199頁

*13:本来、著作権の適用除外となる屋外の美術・建築著作物の「所有者」から、広告での写真使用にクレームが付くケースも少なくないと聞く。

*14:内藤・前掲341頁では、「クレームがなされることを極度に忌み嫌う」という広告業界の風潮を理由としてあげているが・・・。

*15:最後は立法論の世界に入っていくのだろうけど。

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