月末になって、裁判所が立て続けに議論を呼ぶ判決を出している。
29日には、凍結精子による死後体外受精で生まれた子の認知をめぐり、
東京地裁(奥田隆文裁判長)が請求棄却判決を出し、
今日も、例のアイコン特許vs一太郎の特許侵害訴訟で、
知財高裁(篠原勝美裁判長)が地裁判決を覆した。
だが、議論の激しさという点では、
29日、30日、と立て続けに出された、
小泉首相の靖国参拝をめぐる一連の訴訟の判決が最たるものであろう。
小泉純一郎首相の靖国神社参拝は政教分離を定めた憲法に違反するなどとして、千葉県の宗教者や戦没者遺族ら39人が首相と国に慰謝料として一人当たり十万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が29日東京地裁であった。浜野惺裁判長は請求を退けた一審判決を支持し、原告側の控訴を棄却した。憲法判断は示さなかった(日本経済新聞9月30日朝刊42面参照)。
というニュースが小さく載ったその日の夕刊の見出しは強烈だった。
「首相の靖国参拝違憲」
小泉純一郎首相の靖国神社参拝が政教分離の原則を定めた憲法に違反するかどうかが争われた訴訟の控訴審判決で、大阪高裁の大谷正治裁判長は、30日、「参拝は内閣総理大臣の職務にあたり、憲法の中止する宗教的行為」と述べ、同種訴訟の高裁では初の違憲判断を示した。「内外の強い批判の中、国が靖国神社を特別に支援しているとの印象を与えた」と踏み込んだ内容で、大きな影響を与えそうだ(日本経済新聞9月30日夕刊1面)。
実は、いずれの判決も原告(控訴人)の請求を「棄却」している点に変わりはなく、
後者の判決で述べられている違憲判断は、あくまで「傍論」に過ぎない。
福岡地裁の「違憲」判決(福岡地裁平成16年4月7日判決)でも議論になったように、
「本来、原告側の請求を退けるに足る理由(被侵害利益の欠如)を述べれば足るところ、あえて判決の結論には何ら影響を与えない「傍論」で違憲判断を示すのは、憲法判断回避準則に反し*1、被告側の上訴の利益を害するものとなるため*2、このような「勇み足」判決は望ましくない」
という声も当然出てくるだろう*3。
また、今回の判決を裏返せば、
首相が公的に靖国参拝をしたとしても、
国は何ら法的責任を負わない、ということになるから、
「以後、小泉首相は堂々と公的参拝をすれば良い」という暴論も出てきかねない。
靖国神社との関係であればともかく、
国との関係においては、何らかの理屈で、
原告側の「被侵害利益」を認めて、真の「勝訴」判決を下すこともできたはずで、
それをせずに傍論で雄弁に違憲を叫ぶだけでは、
無責任判決との謗りを免れることは難しい*4。
個人的には、首相の参拝が「公的」なものである、という事実は揺るがない、と思う。
本当に私的に参拝したいのであれば、
テレビカメラなど引き連れずに、人の少ない時間帯を見計らって、
こっそりと靖国に行ってくれば良い。
わざわざ「参拝に行ってきました」「参拝に行きます」と喧伝して、
世間の耳目を集めるような行動を取っている時点で、
それは一国の宰相としての地位を利用した行為といわざるを得ず、
そのような行為が社会にどう受け止められるか、を考えれば、
それをあえて「私的行為」と強弁するのは見苦しい。
以前のエントリーでも書いたように*5、
(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20050815/1124031414)
「靖国」問題が政治的に利用されている現状には、
大いに問題があると自分は考えている。
だからこそ、首相が一種のパフォーマンスのように参拝を繰り返す現在の状況に
対しては、誰かが警鐘を鳴らす必要があると思う。
だが、そのための方策として、
司法が「政教分離原則」という憲法解釈に基づく「違憲」判断を下すことに、
果たしてどれだけの意味があるのだろうか?
現在のような「筋の悪い」判決によるかぎり、
「司法判断」を示すことで、議論が泥沼に引きずり込まれることはあっても、
多くの人々のコンセンサスを得ることができるような解決策を見出すことは
不可能であろう*6。
「靖国参拝」をめぐる問題は、
そもそもこの国に重くのしかかる問題であるが、
司法府の存在意義とその限界を考える上でも、
極めて重たい事案であることは間違いない・・・。
*1:本件のような事実行為の場合、立法府の裁量の尊重という趣旨はあてはまらないため、「憲法判断回避準則」をここで持ち出すのが正当かどうかは疑問の残るところだが。
*2:判決はあくまで「原告の請求棄却」であり被告側の「勝訴」なので、被告が上訴することは困難である。
*3:福岡地裁判決につき、高畑英一郎「首相の靖国参拝が宗教活動に該当し憲法に反するとされた事例」判例セレクト2004(憲法4)6頁(2005年)などが同旨を述べる。本件判決に対する大原康男・国学院大教授のコメントも同旨。
*4:上告審で自分の判決が精査されるのを免れるための方便とも取られかねない。
*5:なお、今回の東京高裁の事件の原告団長「高金素梅」さんは、このエントリーで取り上げた高橋哲哉『靖国問題』(筑摩書房、2005年)にも登場している。
*6:最終的に「政治」側が英断を下さない限り、どうにも解決できない問題だと思う