ネット上の“記事”をめぐる問題について

某ポータルのニュースサイトに
パブリックジャーナリスト(PJ)”が投稿した記事について、
“ボツネタ”のコメント欄や落合弁護士のブログなどで、
かなり手厳しい評価が下されている。


破産事件をあまり扱ったことのない自分でも、
違和感を感じる記事なだけに、
“プロ”の実務家の方々の反応も、
ある意味、当然のことのように思われる。


だが、ここで問題になるのは、
批判するためにブログ上でリンクを貼ることの是非である。


自分が確認した時点で、
上記の記事はアクセスランキングでかなり上位にきていた。


人気ブログのリンクをたどって、
当該記事にたどり着いた方々が多いことを考えると、
これも当然の結果であろう。


問題は、それを当のサイトの運営側がどう受け止めるか、ということにある。


「ネットユーザーの評価によって記事を選別していく」
という発想は、一見合理的に見えるが、
当該サイトには、ユーザーのプラス、マイナスの評価を
効果的に測定するためのツールは設けられていないように見受けられ、
そうなると、客観的な“評価”は、
単純なアクセス数によるほかないように思われる。


ポータルサイト運営側としては、
アクセス数が増えれば増えるほど、
結果的に会社が潤うのであるから、
ニュースサイトの運営方針を
「アクセス数の多い記事だけを残していく」というものにしたとしても、
不思議ではない。


となると、上記記事にリンクを貼った方々の意図に反して、
当該記事が“生き残る”ことになりはしないだろうか?*1


企業サイドで実務に携わっていると、
世の中の多くのメディア媒体に、
「明らかな誤報」や「悪意に満ちた虚報」があふれていることに気付く。


悪意のない「誤り」であれば、
指摘すれば修正してもらえることもあるが、
悪意のある“誤り”、あるいは、
思い込みないし偏見に基づく“誤り”である場合には、
指摘しても、かえって火に油を注ぐだけの結果に終わることも多い。


そこで、多くの企業では、「悪意に満ちた虚報」に対し、
「黙して放置」という方策をとることになる。


上記のような方策による限り、
本質的な問題は何ら解決しないため、
個人的には共感しかねる方策であるのだが*2
日々新しい情報があふれる現代社会においては、
有効な方策であるというのも、また事実である。


誤りを指摘することの“社会的意義”と、
誤りを“フェイドアウト”させるための実務の“知恵”。


どちらを優先するかは、
批評する側の価値観によるところが大きいだろうし、
いずれが妥当なのか、結論を出すことはたぶん不可能であろう。


だが、上記記事がアクセスランキングの上位に位置付けられている、
という事実に、
自分は、記事の内容と同じくらいの違和感を感じている。

*1:この点において、通常のブログの記事を引用する場合とは、状況が異なるように思われる。

*2:ついでに言えば、反論しないことで、当該報道の真偽を不明瞭なものにする(誤っている時だけ反論して、正しい時に反論しないという方策をとったとすれば、当該報道の真偽が自ずから明らかになってしまうことになる)、という“狡猾な”手であることも確かである。

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