「法科大学院出でて研究会亡ぶ」論争(その後)

Desperado氏のブログに、
一連の「法科大学院出でて研究会亡ぶ」論争の関連サイトがまとめられている。
http://d.hatena.ne.jp/Desperado/20051122


その後に書かれている同氏のコメントは、
非常的を射た指摘であると思うし、
“制度の変革期”の真っ只中にいる方から、
このような前向きなコメントが聞かれるというのは、
現にこの制度に関わっている方々にとって、救いになるのではないかと思う。


自分がこの問題について書いたコメントは、
同氏が批判する「激しい意見」に類するものであったかとは思うが、
自分自身、研究機関としての大学の意義を否定しているわけではないし、
「研究者」としての大学の先生方の活動の意義を否定するつもりもない*1


ただ、新しい制度ができてからいまだ2年を経ていない現段階において、
大学サイドから、「負担の増大」を懸念する声が出てくることについては、
やはり割り切れない感情を抱かざるをえなかった*2


以下、もはや蛇足に過ぎないが・・・。


法科大学院発足に合わせ、
法科大学院の“理想”に魅かれて、会社を去っていったものは多い。
その多くは、自分の周囲で、ともにキャリアを積んできた先輩方、同僚、後輩たち。


今でも、彼・彼女達と話をする機会は多いが、
現実と理想の狭間、不確実な状況の下で戸惑いながらも、
何とか自身に求められる“結果”を出すために、
必死で努力を続けている、という点では、みな共通している。


大学の先生方にとっては、
研究をすることは生活そのものであり、人生そのものだろうから、
法科大学院という制度によって、その時間が割かれることに、
切実な思いがあるのだと推察されるが、
だからといって、1期既修生、未修生の第1回の試験が行われる前から、
「弱音」を吐いていただきたくはない、
というのが、自分の偽らざる感情である。


ロー生が、2ちゃんねるや個人のブログで、
法科大学院制度に関する“グチ”をこぼすのと、
大学の教官が、“弱音”や“憂い”を表明するのとでは、
関係者に与えるインパクトは格段に違うのだから・・・。


降って湧いた“2004年ショック”。
受け入れる側にとっては、一学生に過ぎなくても、
去られた側にとっては、大きな痛手であった。


あれからもうすぐ2年。
ともすれば、飛び出した側には“残っていればよかった”
送り出した側には、“もっと強く引き留めて置けば良かった”という、
感情が湧きがちな時期だけに、
大学関係者の方々には、
法科大学院」という“理想郷”に夢を描いて飛び込んでいった人々が、
「この2年or3年は間違いではなかった」と思える環境を作ることに、
今は全力を注いでいただきたい、と思う。


大学側からの制度不備の指摘は、
その後でも、決して遅くはないはずだ*3
(それより、ロー生の進路に配慮した問題提起を先にすべきだろう。)


法科大学院というシステムを、真に不幸なシステムにしないためにも*4

*1:何よりも自分自身が、仕事上でも、仕事外でも、大学から発信される様々な情報の恩恵を受けているのは事実である。

*2:自分が憤りを感じたのは、中山教授のブログに対してというより、むしろ他のブログも含めたフォローコメントのいくつかに対してであった。本ブログでの言及の仕方としては、やや不適切な面があったかもしれない。

*3:ちなみに、外から見れば、制度推進派の先生方も、制度反対派の先生方も、“法科大学院”という“体制側”にいることに変わりはない。“見えない力”に否が応でも巻き込まれざるを得なかった、という事情があったことは、想像に難くないのではあるが・・・。

*4:なお、先日のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051118/1132334892)でも少し触れたが、法科大学院制度がリスクを抱えることになってしまった原因は、全大学“一律に”“法曹養成のための学校”として、法科大学院を位置付けたことにあるように思えてならない。“大学院教育の強化の一環”という色彩をもう少し強く出せば、そのリスクは若干でも軽減されるように思えるのだが・・・

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