“去られた側”の本音

痛いところをつかれたなぁ・・・というのが率直な感想。
(昨日のエントリーに対するDesperado氏のコメント参照)
http://d.hatena.ne.jp/Desperado/20051124/p1


「痛手」を負ったのは、
会社であり、仕事人としての自分であり、そして一個人としての自分。


会社としての「痛手」。


法科大学院ができた時に会社を飛び出していった方々は、
会社にとっては決して“使い勝手”の良くない
“一言居士”タイプの方が多かったが、
その一方で、数少ない「頭」と「感性」を使って
仕事ができる方々だったのも確かである*1
なので、会社組織にとっては間違いなく痛い損失だったし、
特に“頭”に加えて経験の積み重ねが求められる法務部門の人間が
何人か抜けることが判明した時には、相当の衝撃が走った。


仕事人としての自分が負った「痛手」


自分が、今、これだけのこだわりと誇りをもって仕事ができるのは、
法務という仕事を教えてくれた先輩たちがいたからで、
そういう人たちが組織を去っていくのを見るのは、辛いものである。


これは、“ロー退職”に限った話ではなく、
それまでにも(そしてそれ以降も)、何人もの先輩たちが
去っていくのを見届けてはいるのだが、
一度に複数の人間に去られる、という経験を味わったのは、
あの時が初めてであった。


一個人としての自分が負った「痛手」


「羨ましい」と思う気持ちは当然にあった。
リスクをとった人々と、リスクを取れなかった自分。
リスクを冒してでもチャレンジできる“勇気”を持った人々を、
自分は心から羨ましいと思う*2


ここでいう「リスク」とは、
司法試験に受かるかどうか、という“小さな”話ではなく、
「法曹」(特に弁護士)という職業を選択すること自体のリスクの話*3


会社で法務の仕事をやっていれば、
弁護士という職業が、世の中で言われているような、
「儲かる」「美味しい」「恵まれた」職業などでは決してない、ということが、
容易に理解できる。


法務担当者は、自分で判断できなければ、
弁護士という“プロ”に判断を委ねることができる。
所詮は無資格の“アマチュア”だから、という逃げ場もどこかに持っている。


だが、仕事を受けた“プロ”に逃げ道はない。
判断を誤れば、次の美味しい仕事から干されることも稀ではないし、
腕が悪い、と評価されれば*4
顧問契約そのものすら簡単に吹っ飛ぶ*5


大きい事務所に入れば、息苦しい思いをするが、
小さい事務所でやっていこうとすると、
事務所を維持していけるのか、という不安感と常に闘っていかねければならない。
弁護士本人から聞く話も、その周囲から聞く話も、
結局のところ、会社で仕事をしている自分の感想と、大して変わりはない。


純粋に法律を仕事として楽しみたいのであれば、
企業の法務担当者として生きるのが、最善の道であるかのようにすら思える*6


だが、それでもなお、「法曹」という職業を目指した人々がいる。


お金だったり、プライドだったり、
法に賭ける情熱だったり、あるいは単なる気分転換だったり、と、
出て行った人々の“目的”は様々だったろう。


一足先に業界で仕事をしている人々の話を聞くうちに、
少なからず後悔の念に襲われた、という友人もいる。


だが、少なくとも彼らは、
恵まれた“アマチュア”という身分を捨てて、
“プロフェッショナル”を目指して飛び出した点では共通している。
そして、競争に勝ち抜けば、
“プロフェッショナル”として生き続けることができる立場にいるのも確かである*7


それこそが、彼らが冒した「リスク」に対する「リターン」であり、
リスクを冒すことのできなかった自分には、
決して得られないものでもあるわけだ。


だからこそ、「羨ましい」と思う。
それが、“去られた側”の本音である。


もし、彼らが、“プロフェッショナル”の座にたどり着けなかったとしても、
「それみたことか」という感情が湧くことは、(たぶん)ない。
「挑戦」することすらできなかった自分を恥じるだけである*8


たとえ、どんな人生を歩んだとしても、
ふと他人を「羨ましい」と思う気持ちは、どこかに残るだろう。
だが、他人を羨み続けて生きるような人生はまっぴらだ。


そう思うたび、複雑な感情に襲われる。

*1:新卒で法科大学院に入った学生の皆さんは、身の回りにいる社会人出身者(模範になっているのか、反面教師になっているのかは知らないが)が、企業人の“デフォルト”だと思わない方が良い(笑)。そう思っていると、たぶん普通の企業人に接した時に、いい意味でも悪い意味でも“裏切られる”はずだ。

*2:・・・という話をしたら、辞めていった側の友人に、「会社に居続けることだって十分リスキーな選択でしょ。」、と笑われたが(笑)。

*3:このリスクを覚悟して法科大学院に行った人々は、新司法試験の合格者数が多いか少ないかなんてことは、大して気にしていない。「選別の時点で振るい落されるよりも、選別されてから振るい落される方が、遥かに精神的ダメージが大きいから、枠はもっと少なくてもいいくらいだ」と言い放つ人さえいるくらいだ。

*4:しかも評価を下すのは、自分のような若輩の法務担当者である・・・。

*5:昔は、担当者の意に反し、上の判断で“長年のよしみ”が優先されることも多かったが、そのあたりは年々ドライになる傾向がある。

*6:もっとも、企業の法務担当者として「生き続ける」という選択が、自分自身の意思ではなしえないところに、企業人の最大の「リスク」があるわけだが・・・。

*7:もちろん、今“アマチュア”に過ぎない人間でも、競争に勝ち抜けば“プロフェッショナル”として生きていける可能性はあるのだが、単なる“可能性”しか持っていない我々に比べれば、彼らの方が“プロフェッショナル”の座には遥かに近いところにいるように思える。

*8:その時、自分がまだ恵まれた“アマチュア”の身分にいたとして、彼らが自分をどう思うかは分からないが・・・。

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