ジュリストの12月1日号に、
「職務発明」をめぐる複数の論稿が掲載されている*1。
ここでテーマとなっているのは、
「手続的規制」への移行を意図した、とされる
平成16年改正特許法の「解釈」と「評価」であり、
従来からの持論である「プロセス審査」論*2をベースに
解釈論を展開する労働法の土田教授*3と並んで、
特許法学の立場から横山助教授が*4、
そして、実務の立場から松岡弁護士が*5、
それぞれのご見解を示されている。
いずれも、「プロセス審査」的な考え方を支持してはいるものの、
それぞれ、微妙な“温度差”を抱えている点で、なかなか興味深いものがある。
“オリンパスショック”*6以降、
どの程度の額が対価として「相当」といえるのか、
まったく予測の付かない状況に置かれてしまい、
混乱の真っ只中にいた企業側の人間にとっては、
「プロセス審査」という“分かりやすい”手法は相当に魅力的なものだったし、
労働法的見地から、それを後押しする土田教授の発想が、
心強い“追い風”になったのも事実である。
だが、現実になされた法改正と、その後の公権解釈(「手続事例集」)を見る限り、
「プロセス審査」に移行したかのように見えて、完全には移行し切れていない、
という問題が残っているし*7
労働法的発想を取り入れたかのように見えて、
実はまったくといってよいほど取り入れられていない、
という、奇妙かつ不透明な状況が生じているように思われる。
本来、労働法的発想を取り入れることのメリットとして想定されていたのは、
集団的労使関係を規律する諸ルールを取り込むことによる、
使用者側と発明者側との間の「不毛な交渉コストの削減」であったはずである。
しかし、
「手続事例集」で示された解釈を見る限り、
上記のようなメリットを十分に発揮するのは難しい、といわざるをえない。
例えば、
「手続事例集」によれば、
特許法35条4項でいう「協議」が十分になされた、というためには、
「従業者が代表者に対し協議権限を個別に委任する」必要があるとされているが、
労働法の世界では、組合員の包括的な委任に基づいて
労働組合が使用者と協議を行うことが当然の前提となっており、
実務上も、通常の交渉で、
組合執行部が協議に先立って組合員の個別委任を取り付ける、
といったような慣行は、存在しない*8。
したがって、この時点で、
35条4項における「協議」要件を通常の労使交渉のルートによって満たすのは、
既に難しくなっている、といえる。
また、
「手続事例集」のこの解釈からすれば、
実務上大きな意味を果たしている「労働協約の拡張適用(労組法17条)」についても、
到底認められる余地はなさそうである。
この点、労働法研究者の土田教授が、
いともあっさりと「改正特許法の趣旨」を重視して、
「「労働組合への委任」を厳格に解する立場に立たれ*9、
「労働協約の拡張適用」についても、「特許法優先適用論」に従って
あっさりと否定する*10のに対し、
松岡弁護士は、
「労働組合が代表者となる場合、特段の事情がない限り、当該労働組合は組合員である従業者等を「正当に代表」していると認めるのが妥当のようにも思える」*11。
「私見では、(協約の拡張的適用の)適用を認めつつ、あとは非組合員従業員との間の協議の有無を対価の合理性の判断において考慮すればよいように思う。」*12
と、なかなか強気な解釈をにおわせているのであるが、
いずれにせよ、通常の集団労使交渉のように、
“包括的に”ざっくりと処理するのが容易ではないのは間違いない。
ついでに言えば、
土田教授が「対価決定の手続を重視する改正特許法の趣旨」から、
労働法的ルールからの“譲歩”を許容するのに対し*13、
特許法学の側に立つ横山助教授が、
「相当の対価」は、そうした(労働者の生活に直結する)賃金とは次元の異なる特別な給付として法律により使用者に義務づけられるものであるから、成果主義賃金規制と同一のレベルで厳格な手続的正統性を要求するのは妥当ではないだろう。」*14
とまで言っているのであるから、
事態はなおさら複雑である*15。
趣旨の捉え方にすら温度差があるのだから、
この改正法の先行きは、前途多難なものといわざるを得ないだろう*16。
だが、それ以上に、
「協議」だの「意見聴取」だの、といった労働法的なるもの、を*17
労働法のルールとの“整合性”に十分に配慮しないまま、
中途半端に特許法に取り込んでしまったことに、
問題があったのではないだろうか*18。
自分自身、昨年から今年の春にかけて、
今回の法改正に伴う制度設計を手がけていたのだが、
その過程で、組合との交渉を経るかどうか議論になった際、
迷いつつも、結局、
「話はするが、正式な交渉は行わない」という方針で突っぱねてしまった*19
幸いにも、大きな混乱を招くことなく、社内規程を改正し、
新しい補償金制度を立ち上げることができてはいるが、
今でもすっきりしない気持ちは残っている。
法領域をまたがって研究がなされることの意義は大きいと思うし、
それが立法政策に反映されていく、
というのもある意味理想的なことではあるのだが、
こと、上記の問題に関して言えば、
現時点では違和感を拭い去ることはできない。
例えて言えば、
「下町の若旦那が、紋付袴姿で六本木ヒルズに引っ越してきた」
ようなものだろうか・・・。
よき隣人として、両者が共存していくためには、
もう少し、煮詰めるための時間が必要であるように思う。
なお、参考文献として、
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*1:土田道夫=横山久芳=松岡政博「探究・労働法の現代的課題・第4回/職務発明と労働法」ジュリスト1302号96頁(2005年)
*2:労使間の「交渉力」「情報格差」を前提にしつつ、対価の決定に際しての当事者間の手続を重視する考え方。土田道夫「職務発明とプロセス審査」田村善之=山本敬三編『職務発明』146頁以下(2005年)に詳しい。
*3:土田道夫「労働法学の立場から」ジュリスト1302号96頁(2005年)
*4:横山久芳「特許法学の立場から」ジュリスト1302号103頁(2005年)
*5:松岡政博「実務の立場から」ジュリスト1302号112頁(2005年)。松岡弁護士は長島・大野・常松法律事務所所属。(http://www.noandt.com/lawyers/lawyers/MM.html)
*6:東京地裁平成11年4月16日判決において発明者側の追加対価請求の一部が認められた、という事実は、それまで「規程に従って対価を支払っていさえすれば大丈夫」と信じて疑っていなかった企業側の担当者を困惑させるに十分なものであった。今考えれば、オリンパス事件の会社側の訴訟戦略は“稚拙”とのそしりは免れないものだが(「企業が自由に対価を決定できるかどうか」という論点にこだわりすぎて、「相当の対価」の追加支払をする必要がない、というための立証がなおざりになっていたことは否めないだろう。)、当時の実務担当者にそこまでの“狡猾さ”を求めるのは酷だったというほかない。
*7:新35条4項において「対価」の実体面の妥当性が考慮されるのか否かが明文上明らかではなく、「手続事例集」においても「考慮される場合がある」ことが示唆されたことで、当初企業側が想定していたものよりも後退した、ということは否めない。
*8:スト権を行使する場合等、重大な案件については、あらためて組合員の委任を取り付ける慣行があるにはあるが・・・。
*9:土田・前掲ジュリスト100頁
*10:土田・前掲ジュリスト101頁脚注8
*11:松岡・前掲116頁
*12:松岡・前掲116頁脚注18。( )内筆者補足。
*13:土田・前掲ジュリスト100頁
*14:横山・前掲112頁。( )内筆者補足。
*15:もっとも、「インセンティヴ論」をとり、「使用者が取引的視点を反映して給付内容を決定することを本則と」考えておられる横山助教授の場合(横山・前掲112頁)、そもそもの議論の出発点が土田教授とは異なっている、とも考えられる。
*16:松岡弁護士は、今回の特許法改正の下でも予見困難性が依然として残ることを指摘し(松岡・前掲117頁)、「今回の特許法改正には、不十分な点があると言わざるを得ない」(松岡・前掲113頁)と明言されている。
*17:そもそも遡れば「勤務規則」などという良く分からない用語を特許法が使っていたことも、混乱の一つの原因になっている。
*18:一連の発明対価訴訟の背景に、開発担当者の“処遇”の問題があったことは明白であるし、そういった観点から見れば、発明対価も労働条件の一つと考えて、労働法的発想で捉えることは間違っていないと思う。だが、「背景分析」のツールとして労働法的発想を持ち込むのと、それを制度として組み込むのとでは、与える影響度が格段に異なる。この点について、もう少し、慎重な配慮がなされても良かったのではないだろうか。
*19:上記のような疑問を拭いきれなかったことに加え、社内調整のコストが格段に増加することの「面倒くささ」を嫌った、という側面もあったことは否定しない(笑)。そもそも知財と労使交渉とでは扱っているセクションがまったく違うのだから・・・。