今でこそ、一法務担当者として、
交渉記録だの、傍聴記録だの、
といった細々したドキュメントの制作にいそしみ、
かつ、ブログで批評なんだか感想文なんだか分からないような
駄文雑感を垂れ流している自分であるが、
かつては、「学位論文」という格調高いものに挑戦していた時がある。
いわゆる「研究者にならない人が行く」大学院で、
修士号要件なのに、「修士論文」と呼ばれないペーパーではあったが、
それまで長い文章といえば、時代遅れの○文しか書いたことのなかった(汗)
自分にとっては、大きな挑戦であった。
研究者コースの方のように、
指導教官につきっきり*1で面倒を見ていただけるわけでもなく、
執筆前の面談の場でも、「締め切りまでに出してくれれば問題ないから」と、
そんなに期待してないよムードが満ちている状況ではあったのだが*2
1年ちょっと法律をガリガリかじった程度にもかかわらず、
それまでに比べての相対的な“進歩”に
かなり自信過剰気味になっていた自分は、
2年目の夏学期が始まる前から、
あれこれと文献をかき集めて、
「修士論文というからには、比較法は常識だろう」
「○○○(雑誌名)に載せてもらえるくらいの秀作に仕上げてやろう」
と一人のたまい、挙句の果てに、長く伸びた鼻は、
「○○先生の理論を乗り越えてやる」という宇宙の境地にまで達していた。
だが、当然のことながら、現実はそんなに甘くはない。
威勢が良かったのは、構想段階までで、
いざ書き始めてみると、
大量の文献に流される中で、
当初想定していた論点は微妙にずれ、
問題提起から結論に至るまでのプロセスは、
大きな修正を迫られることになった。
外国文献にも手を出してみたものの、
「Lexis」から引き出した多量の判例を整理することさえままならず、
単に自分の語学力の欠如ぶりを痛感するだけに終わった。
指導教官に救いを求めるには、
自分の悩みはあまりに低次元過ぎ、
先生もまた、あまりに忙しい方だった。
最初は、空白のパソコン画面を見つめながら同じように唸っていた
周りの仲間達も、
やがて1000字、5000字、10000字と顔に達成感を浮かべつつ、
鼻歌交じりで原稿を書き進めるようになり、
自分の焦りはますます募っていった。
提出締め切り日は、
みんなが幸せになるはずのクリスマス・イブ。
だが、自分の作業は、12月に差し掛かっても一向に進まず、
暖房の利きが悪い書庫にもぐって、埋まらないピースを必死で探しながら、
底冷えする寒さの中、論文未提出→修了不可、の「悪夢」に
心底怯えていた・・・・。
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何が転機になったのかは分からない。
だが、締め切りが近づいたある日、
飲まず食わずで10数時間パソコンに向かい続け、
気が付いた時には、「仕上がっていた」論文を目の前にして、
我ながら呆気にとられていたことを、今でも良く覚えている。
それまで比較的細かくフォローしていた、
リファレンスだの脚注だのは当然すっ飛ばされていたし、
接続詞だの語尾だのも滅茶苦茶だった。
だが、一応、文章自体はつながっていたから、
後は“微調整”だけでよかった*3。
追い詰められて、
「どうせ卒業したら人目に触れることのない論文だ」と開き直って*4、
「いいものを書こう」という“気負い”が消えたのが良かったのか、
それとも、悪い霊が自分に乗り移ったのか、
その辺は神のみぞ知るところだが、
「最後は何とかなるもんだ。」というセリフが、
説得力のある言葉に思えたことは、
このときを除けば、後にも先にもない。
とにもかくにも、
「論文」という名の「悪夢」におわれた日々が、
結果として、自分の人生の中の最良の経験の一つになったことは間違いない。
今でも時々、夢の中で、
絶望的な印の付いた12月のカレンダーに悩まされる反面、
その後、仕事で少々タイトな締め切りを課されても、
余裕をもってこなせるようになった、というのは大きな収穫だろう(笑)。
残念ながら、提出した論文は、
「知(恥)的ゴミくず」の域を出ないものとしか思えなかったし、
提出直前に目を通してくれた指導教官の表情も、
“苦笑い”の域を出なかった。
それから数ヶ月、
自己嫌悪の極地に陥っていた自分は、
後でもらった論文集も、
記憶とともに引き出しの中に直ちに封印した(つもりだった)。
だが、それから何年も経った最近になって、
古いフロッピーに閉じ込められた自分の格闘の後を
偶然見つけて、眺めていたら、
案外まともじゃん、
と思えてきたから、また不思議なものである*5。
少なくとも、今同じものを書けと言われても、
研究の“香り”から離れて久しい自分に、
書ける自信は全くない。
時節柄、「追い込まれムード」が強まる時ではあるけれど、
「最後は何とかなるもんだ。」ってセリフを、
人生のうち、一度くらいは、信じてみるのも良いものだ。
書き上げた瞬間は「駄作」としか思えない文章でも、
何年か経って見返したとき、
また違ったものが(少なくとも書いた本人にだけは)
きっと見えてくるはず・・・。
そして、格闘した日々は、
決して無駄にはならない(と思う)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なお、年の瀬になると思い出すこのエピソード。
自分があんな大それた挑戦をすることは、
もう二度とないと思われるが、
今でも、付箋をベタベタ貼った『民法研究ハンドブック』は、
大事に部屋の書棚にしまってある。
- 作者: 大村敦志,森田宏樹,道垣内弘人,山本敬三
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2000/05
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書き終えた瞬間は、
どんな大金を積まれても、もう二度と論文なんぞ書きたくない、
と思ったものだが、
今は、自分のライフステージの最後にでも、もう一本・・・
などという、ありえない妄想を抱いたりもしている(笑)。
(喉元過ぎれば何とやら・・・)
*1:たぶん、指導を受けている当人達の側にしてみれば「そんな丁寧に面倒見てもらってないよ」、と言いたくなるところだろうが、あくまで“相対的”な比較の問題である。
*2:もっとも、「締め切りまでに出してくれれば・・・」というオーダーが、いかに恐ろしいオーダーだったか、後で思い知ることになるわけだが・・・。
*3:もっとも、そこから締め切りまでの数日間で、再度地獄を見ることになるのだが、ここでは割愛する。「最後まで埋まった」後は、もはやヤッツケ仕事の域だったし・・・。
*4:最初からそれが分かっていてもあれだけ苦労したのだから、「読ませるための論文」を書くことが義務づけられている研究者(特に若手研究者)の方々の苦労は如何ばかりか・・・。察するにあまりあるものがある。
*5:今読んでいただいたとしても、指導教官の評価が変わることはないだろうが・・・(涙)