著作権は会社のものか?

ついでといっては何だが、
実務的には上の判決よりも興味深いものがいくつかあるので、
あわせてご紹介したい。

その1

まず、「宇宙開発事業団プログラム職務著作事件」*1は、
職務著作の成否、特に「法人等の発意」の解釈を考える上で、
相当に興味深い判決である。


この判決についても、大塚先生のブログで既に紹介されているので、
http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50265619.html
事案の概要や、東京地裁が打ち出した一般的な規範に関する解説は
そちらをご参照いただきたいところではあるが*2
「職務著作制度の趣旨」*3から、

「法人等の発意に基づくことと業務従事者が職務上作成したこととは,相関的な関係にあり,法人等と業務従事者との間に正式な雇用契約が締結され,業務従事者の職務の範囲が明確であってその範囲内で行為が行われた場合には,そうでない場合に比して,法人等の発意を広く認める余地があるというべきであり,その発意は,前記のとおり,間接的であってもよいものである。」

「そして,そのように職務の範囲が明確で,その中での創作行為の対象も限定されている場合であれば,そこでの創作行為は職務上当然に期待されているということができ,この場合,特段の事情のない限り,当該職務行為を行わせることにおいて,当該業務従事者の創作行為についての意思決定が法人等の判断に係らしめられていると評価することができ,間接的な法人等の発意が認められると解するのが相当である。」(太字筆者)

と二段構えで緩やかな解釈を示したのは、
使用者側にとってみれば意義深い。


本件は、NASDAの職員が、
自ら開発した解析プログラムの著作権存在確認請求を起こしたものであるが、
ここで仮に、著作権の帰属が開発者たる職員本人に認められるとしたら、
NASDAとしては厄介なことこの上ないし、
実務的な妥当性も欠くことになろう*4


学説や実務家の見解等の中には、
そもそも「法人等の発意」は「職務上作成されること」の要件に吸収されるもので、
「具体的な指示を受けることなく自発的に作成した著作物」であっても、
法人等の発意に基づく者であることは否定されない*5
とするものが元々多いのではあるが*6
そのような解釈が妥当である*7と裁判所が認めた、
という事実はやはり大きい*8


もっとも、原告がフランスの国立宇宙研究センター(CNES)に
留学していた間に作成したプログラムの著作権帰属については、
控訴審で一波乱起きる可能性はある。
(これは「職務上作成した」と言えるかどうか、という問題である。)


本判決は、

「原告の留学期間中の研究は,事業団の業務と無関係に行われるものではなく,研修の目的に沿った研究を行うことが,留学中の研修生である原告の使命,すなわち,職務であったというべきである。」

として、「職務上作成した」という要件を満たすとしている。


しかし、原告が留学した経緯、留学期間を延長した際の原告の“扱い”*9
などについて、原告・被告双方の主張は相当な隔たりを見せており、
裁判所の認定は、やや強引であるようにも見える*10


事業団が出している内部文書に、

「事業団として派遣する留学生としての取扱いを継続することは出来ず,私事による留学との見解を取らざるを得ません。」
「留学中に作成したプログラムの著作権は,職務著作の要件を欠いており,個人に帰属すると解釈される。」

といった記載があるのも気になるところであり、
「職務上作成」要件はクリアできるとしても、
「公表名義要件」あたりで突付かれると*11
被告側が苦しくなる場面もあるのではないだろうか*12


原告側代理人虎ノ門法律事務所、
被告側代理人が中村合同、という、ガチンコ対決だけに、
知財高裁での攻防からも目が離せない。

その2

2つ目は、「静岡放送BGM著作権侵害事件」*13である。


これは、被告(静岡放送)が製作した番組「ふるさと三国志」シリーズで
背景音楽を作曲、編曲、実演した原告が、
当該番組を再三にわたって再放送した被告に対し、
著作権等侵害に基づく損害賠償請求と著作権帰属の確認を求めた事案であるが、
これまであまり表に出ることがなかった、
放送業界における著作物製作委託の“慣習”が争点になっている点において興味深い。


被告が原告に対してBGMの製作等を委託し、
それが実際に用いられている点については全く争いはない。
だが、被告と原告の間のやり取りは「口頭の合意」のみで、
書面での譲渡契約等がなされていなかったことが問題を複雑にした。


原告が、被告との間の合意が、
「ローカル番組放送一回分を前提として各楽曲を各番組内において使用する」
という許諾契約であるに過ぎなかった、と主張したのに対し、
被告は、本件楽曲の「著作権買い取り」がなされたと主張し、
両者の主張は全く噛み合わなかったのである。


原告側は、

著作権譲渡等,著作者の法律上の地位に重大な影響を与える事項については,書面による明確な合意が必要であると解すべきである。被告は,大手の放送局として法務部を完備し,顧問弁護士を置いていながら,明確な書面による権利譲渡の合意もせず,本件再放送等の詳細について,原告に対する説明を全く怠ってきたのである。このような事実関係のもとでは,到底,原告から被告に対し「一切の権利」が譲渡されたと認めることはできない。」

として、①契約の不備=譲渡合意の存在と主張し、
加えて、被告が原告BGM使用番組の放送権を第三者に譲渡した際に、
原告に対して支払った対価50万円を「追加対価」と捉えて、
被告が②「追加対価の精算の必要性を認識していた」と指摘した。


一方、被告側は、
本訴提起前に生じた第三者による債権差押命令事件において、
債務者であった原告が、被告に対する債権の存在を主張しなかったことから、
①「買い取り」が条件であることを原告は当然に認識していた、とし、
さらに、②上記対価は、放送権の譲渡対価が高額であったがゆえの
「大入り袋」的な対価であって、「著作権料」ではない、と主張した*14


このようなやり取りを踏まえて、
裁判所が出した結論はなかなか秀逸である*15


裁判所は、さすがに「著作権譲渡の合意」の存在までは認めなかった。
著作権が原告にある、という確認請求を認容している。)


しかし、次のような判示をすることによって、
結論の具体的妥当性を確保したのである。

「上記各認定事実によると,本件楽曲等は,数秒から長くても数分程度の短いものであり,テレビ番組の映像のイメージに合わせて挿入される背景音楽等であり,本件各番組と一体となって使用されることが当然の前提となっているものである。また,テレビ番組が,本件各番組のように,ローカル番組として再放送されたり,全国放送されたりすることはよくあることである。さらに,スポット用の背景音楽等については,スポット番組の性質上,反復継続的に使用されることは当然の前提とされているものである。そして,被告は,従前から,このような背景音楽等については,いわゆる「買い取り」の合意をしていたことから,本件契約についても同様に理解していたものであること,及び,原告も,本件各番組について,約22年の長期間にわたり,本件再放送等がなされており,これがテレビで放映されるだけでなく,新聞のテレビ番組予定表やその番組紹介欄にも掲載され続けてきており,本件再放送等の事実を当然に認識し得る状況が続いていたにもかかわらず,約22年間,本件再放送等について追加の対価を請求していなかったことからすれば,原告は,被告に対し,本件契約により,本件楽曲等に関する本件再放送等も含めた利用について,その都度支払を受けた報酬をもって,少なくともこれを包括的に許諾していたものと認めるのが相当である。また,原告は,平成10年の本件差押事件とこれに続く和解交渉等において,原告が被告に対し本件楽曲等の本件再放送等に伴う対価請求権を有しているとの主張を一切しておらず,このような請求権がないことを前提として行動しているものであり,このことも本件楽曲等の利用について包括的許諾があったことを強く推認させるものである。」

「包括的許諾」があったとすれば、
追加対価を支払う必要はなく、結果として損害賠償請求(5億円)を
認める必要はなくなる。


そして、このような判断は、
『エンタテインメント契約法』の中で、内藤篤弁護士が示されている問題意識に
見事に応えるものとなっているのである*16


きちんとした契約を結ばなかった放送局側の非を
とがめるむきもあるかもしれないが、
今でも、この種の業界の制作現場が、
クリエイターとガチガチの契約書を結ぶことは少ないし*17
まして、本件で問題になっているのは、昭和56年当時のやり取りである。


いわゆる“業界慣習”を的確に認定して、
妥当な結論を導いた裁判所の姿勢は、素直に評価されて良いように思う*18


被告と長年付き合いのあった原告が、
“干される”危険を冒してまで訴訟を提起した理由は解らないが、
本件が、「委託する側」にとって、
「実務上貴重な素材となる事例」になってしまったことは、
皮肉としかいいようがない。


参考文献

エンタテインメント契約法

エンタテインメント契約法

*1:東京地裁平成17年12月12日判決・http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/683c8598e4e61ec4492570df001c9775?OpenDocument

*2:ちなみに、最高裁HP掲載の判決文をプリントアウトすると実に70頁に達する。これは、争いになっているプログラム11個について、作成経緯等を詳細に主張・立証・認定していることに由来するものだが、当事者の力の入れようはこの辺りからも窺える。

*3:東京地裁は、職務著作の規定を「業務従事者の職務上の著作物に関し,法人等及び業務従事者の双方の意思を推測し,一般に,法人等がその著作物に関する責任を負い,対外的信頼を得ることが多いことから,一定の場合に法人等に著作者としての地位を認めるもの」と解している。

*4:実務では「社員が業務に関連して創作した著作物はすべて会社のもの」というのが自明の理のようになっており、当該著作物の自社内使用や外部へのライセンスも、すべてその理を前提として動いているから、そのような前提が“狂う”ことのハレーションは極めて大きい。もっとも、本件では、その“前提”が元々微妙であった痕跡(使用の際に原告の承諾を得る手続が履践されていた等)も若干見られるのではあるが・・・。

*5:田村善之『著作権法概説〔第2版〕』(有斐閣、2001年)380頁

*6:そもそも、通常のホワイトカラーの仕事の中で、上司が逐一業務指示を出すことなど皆無に近いのであるから、もし「具体的な指示」が必要になるとすれば、現在の職場を、上司が事細かに作業指示を出すオカルト職場に変容させるか、あるいは「言われていないものは作るな使うな」という極めて後ろ向きな職場に変容させるか、という究極の選択をせざるを得なくなるだろう。

*7:正確に言えば、職務上作成要件に吸収したのではなく、「相関的に判断」する、とした点において異なるが。

*8:本判決は、「作成当時に法人等がその存在を把握していなかった」著作物(後述する留学期間中に作成されたプログラム)についてさえ、「法人等の発意を認める余地がある」としている。

*9:本来留学生の派遣期間は1年であるところ、原告から期間延長の願い出がなされ、被告は留学規程に基づいて、原告を「休職」扱いとしている。

*10:“道義的”には、会社の金で行かせてもらってるんだから権利主張なぞするな、と言えるのだろうが、業務派遣のような体裁を取りつつ、実際は派遣された者がやりたいと言ったことをやらせているだけ、という留学の形態は多いから(特に官公庁の場合)、法的には形式面だけから判断を下すのは危険であろう。

*11:大塚先生の解説にもあるように、昭和60年法改正前の著作物なので、プログラムであっても「公表名義要件」が要求される。

*12:当該プログラムが特殊なもので、NASDAの業務で使うほか道はなかった、ということであれば「公表名義要件」を満たしているように見えるが、当のNASDA自体がそんなことは予定していなかったとすればどうなるのか・・・等々、興味深い論点になりうる余地はある。前掲・田村382頁参照。

*13:東京地裁平成17年12月22日判決・http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/330bc72ead830b39492570e50003d789?OpenDocument

*14:被告は他にも「最初の放送から22年間経過し、再放送がなされていることを原告は当然知っていたはずなのにこれまで主張してこなかった」ということも指摘しているが、これに対する原告の反論がなかなか凄い。「原告は,新聞を購読してはいたものの,芸術家によく見られるように世間の動きに疎いところがあり,例えば,娯楽のために外出するとか,新聞を読んだりテレビを見たりするよりも,作曲・演奏及びそれらの指導に一日中没頭していたのである。日刊新聞のテレビ欄に再放送の事実が記載がされていたとしても,原告はそれらを見ていないのである。」。原告がテレビ局の制作部署に頻繁に出入りしていたことは裁判所も認定しており、このあたりの“言い訳”のまずさが、心証を悪くしたことは否めない。

*15:担当したのは民事46部、さすがは設楽裁判長、といったところであろうか。

*16:内藤篤『エンタテインメント契約法』(商事法務、2004年)57-58頁。

*17:以前行われたシンポジウムで、内藤弁護士は、「よろしく」「OK」の二言で決まってしまう世界だ、と表現されていた。

*18:先に述べたような原告の主張の“不自然さ”が、裁判所の心証を被告有利に傾けた、という味方もできるが。

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