『知的財産法の理論と現代的課題』(第1回)

特許法等の解釈論・立法における転機」*1

さて、連載企画第2弾、
記念すべき第一回は、本論文集の巻頭を飾っている大渕哲也教授の論文である。


大渕教授といえば、特許審決取消訴訟の「構造分析」で有名であり、
『特許審決取消訴訟基本構造論』では、いわゆる「大法廷判決」*2の法理を、
比較法研究やわが国行政訴訟の一般理論の研究を通じて徹底的に解明し、
通説的見解に対して疑問を投げかけられている*3


大渕教授の問題意識の根底には、
裁判所が、法的には不明確な根拠によって自らの手を縛っている
(審理範囲を制限している)ことへのもどかしさがあるように思われるが*4
キルビー判決や、今般の法改正によって、
裁判所が特許の有効性判断まで踏み込むことが
公に認められるようになっている現在、
教授が提起した問題意識が、広く受け入れられる素地は整ったといえるだろう。


今回の論文でも、
前半部分に『基本構造論』で述べられている議論が集約されており、
さらに、「立法上の転機」として特許法104条の3の抗弁が導入されたことの
意義が強調されている*5

「この法104条の3を含む新法下において、「訴訟の前段階において専門行政庁による慎重な審理判断を受ける利益」といったものを導くことは明らかに無理であるといわざるを得ないであろう」(前掲・大渕30頁)

本論文でも紹介されているジュリスト1293号座談会での篠原判事発言など、
一部の研究者、実務家にも、大法廷判決法理の見直しの必要性に言及する方も
出てきているようで、この点に関しては、大渕教授も強気な見方を示されている。


さらに、本論文は続く。
上記「大法廷判決」法理に対する批判的検討に続き、
後半では、「訂正審決が確定した場合における無効審決取消訴訟の帰趨」に関する、
「平成11年最判*6の法理に対する徹底した批判的検討が
なされている*7


「平成11年最判」は、無効審決取消訴訟の係属中にクレーム減縮目的の訂正審決が
確定した場合に、当該無効審決を「当然取消し」する、というものであるが、
大渕教授は主に、

①上記判決が根拠としている大法廷判決自体が法的根拠を欠くものであること、
②大法廷判決を前提とした場合でも、大法廷判決の法理からは「当然取消し」の結論を導くことはできないこと
③上記判決の法理が「キャッチボール現象」を招き、深刻な手続上の無駄と手続遅延という問題を生じさせてしまう、という実質的妥当性の欠如

といった理由から、同判決を批判し、「可及的速やかな見直し」*8を主張されている。


そして、審議経過等を参酌の上、
平成15年改正において導入された特許法181条2項*9
上記「平成11年最判」の「当然取消し」の立場を否定する趣旨の規定と位置づけ、
今後は、「裁判所の適切な権限の行使によって」上記③のような弊害は避けられる、
と述べられている*10


以上の議論は、
精緻な理論的分析と実質的妥当性の両面からの検討を踏まえたもので、
素人目に見れば、ほぼ隙のない議論のように思われる。


他に有力な反対説を唱える論者も見当たらない現在の状況を見れば、
いずれは、大渕教授の説が学界の「通説」となり、
判例も変更を余儀なくされるだろう。


もっとも、訂正審決と無効審決取消訴訟の関係については、
現時点では、181条2項が、
大渕教授が意図されているような形で理解されていないように思われる。


本論文の中でも指摘されているが*11
弁理士等の実務家の中には、

「当事者から差戻決定の要請があれば、ほぼ常に法181条2項に基づく差戻決定が認められる」
「181条2項は、訂正審決が確定してから差し戻したのでは審理の無駄になるため、審決確定を待たずとも、訂正審判請求さえすれば、特許庁への差戻しができるようにした規定である。」

という見方が根強く残っているように思われる。
以前、181条2項を用いる必要に迫られた場面での弁理士の説明が、
まさに上記のようなものであった。


特許庁の平成15年法改正の解説書も、
「平成11年最判」の法理を前提として書かれているから、
余計に上記のような“誤解”を招きやすい*12


181条2項に基づく差戻決定の上申を行った場合、
相手方からは当然に「差し戻すべきではない」という意見書が出されるが、
実際にそれを採用して「差し戻さない」という決定を行う合議体(裁判官)は、
一部に限られている、という噂もある。


また、最近出された最高裁判決の中にも、「平成11年最判」を引用して、
訂正審決の確定により無効審決を取り消したものがあり*13
大渕教授が期待されているような「立場の変更」は、
今だなされていないように思われる。


加えて言えば、いかに説得力のある学説が存在しても、
判例が変更されない限り、実務の側としては飛びつきにくい。


例えば、無効審決取消訴訟の審理中に、
無効審判で審理判断されなかった無効原因を主張しようと提案しても、
代理人弁理士(弁護士)に「止めときましょう」と言われるのがオチだろうし、
いかにチャレンジングな代理人であっても、
ある程度知識のある法務担当者を相手にしていれば、
そのような提案をすることは躊躇するだろう*14


そして、実務側がそういう消極的な姿勢をとり続ける限り、
判例変更の契機はなかなか訪れるものではない*15


大渕教授はさぞかしもどかしい思いをされていることだろうが、
これが実務のジレンマというものである。


なお、個人的には、大渕教授が「実質的妥当性」を検討する上での前提としている
「手続遅延の弊害」が、本当に弊害なのか? という思いもある。


特許のライセンス契約においては、
「無効審決が確定するまで」契約を有効とし、
「後に無効となっても、支払われたロイヤリティは返還しない」、
という旨を定めていることが多い。


だとすれば、特許権者の側としては、
無効審判を提起されて、敗色濃厚な場合であっても、
審決取消訴訟にまで引きずり込んで審決の確定を先延ばしにすればするほど、
ロイヤリティ収入を確保できることになる。


また、侵害訴訟を提起した相手方が無効審判請求で対抗してきた場合でも、
決着が長引けば、相手が根負けして、
任意にライセンス契約に応じてくれる可能性がある。


このように、「手続遅延」が、
特許権者にとって“有利”に働くこともあるというのが現実なのである*16


もちろん、本来「無効」である権利に基づいて対価を得るなどということは、
社会的正義の観点からは、もってのほか、ということになるのかもしれないし、
上記のような当事者の思惑に付き合わされる裁判所としては、
まさに“いい迷惑”といったところだろう。


したがって、
このような“思惑”は決して表立っては表明されることはないだろうし*17
客観的立場からなされている大渕教授のご見解は、
全くもって正論であると認めざるを得ないのだが、
弱体法務部と知財部を抱え、どんな手を使ってでも、
時間稼ぎのために結論を“先延ばし”したいと願うことが多い身としては、
この“正論”を読むと、なかなか複雑な心境になる。


参考文献

特許審決取消訴訟基本構造論

特許審決取消訴訟基本構造論


※次回は、「職務発明」に関する諸論文を取り上げる予定。

*1:相澤英孝=大渕哲也=小泉直樹=田村善之編『知的財産法の理論と現代的課題』大渕哲也「特許法等の解釈論・立法における転機」(弘文堂、2005年)2頁以下

*2:最大判昭和51年3月10日、知財分野における唯一の最高裁大法廷判決ゆえ、「大法廷判決」と呼ばれる。

*3:同じ姿勢は、それと前後して出されているジュリストの論文等でも貫かれている。

*4:大渕教授は、長年の裁判官としてのキャリアを経て学界に入られた方である。

*5:前掲・大渕28−32頁。

*6:最判平成11年3月9日

*7:前掲・大渕34頁以降。

*8:前掲・大渕49頁。

*9:「裁判所は、特許無効審判の審決に対する第178条第1項の訴えの提起があった場合において、特許権者が当該訴えに係る特許について訴えの提起後に訂正審判を請求し、又は請求しようとしていることにより、当該特許を無効にすることについて特許無効審判においてさらに審理させることが相当であると認めるときは、事件を審判官に差し戻すため、決定をもって、当該審決を取り消すことができる。」

*10:前掲・大渕58頁。

*11:前掲・大渕58頁。

*12:前掲・大渕63-64頁参照。

*13:最三小判平成17年10月18日。なお、同判決で争われている審決は、平成13年に提起された無効審判によるものであり、法改正の基準時との関係でこのような判決に至った可能性もあるが(あいにく、平成15年改正後の181条2項の規定がどの時点から適用されるのか、手元に資料がないため分からない)、いずれにせよ、平成15年法改正の趣旨が生かされていないことに変わりはない。

*14:そもそも、審決取消訴訟においては、無効審判請求を行った側が勝訴する可能性が限りなく高いので、そのようなリスクを冒さなくても勝てる可能性は高いし、敗訴したとしても、大企業であれば、また一から無効審判を請求すれば足りるのである。

*15:審決取消訴訟は高裁からスタートするから、高裁で新たな無効原因を主張してその当否について判断されない限り、上告して判例変更に期待することはできない。

*16:だからこそ、これまで「大法廷判決」や「平成11年最判」の法理が受け入れられてきたのだともいえる。

*17:これまで、「手続遅延」で大いなるメリットを享受してきた企業であっても、公式に聞かれれば、「迅速な手続が望ましい」と答えるだろう(笑)。

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