「サウンドロゴ」をめぐる論争

住友生命の「サウンドロゴ」の“無断再使用”をめぐって、
作曲家の生方氏が訴訟を提起した件につき、
ネット上で様々な議論が展開されている。


生方氏が、ご自身のブログで被告側の行為の不当性を訴え、
http://blogs.yahoo.co.jp/ubie55/5977191.html
それに対して、多くの賛同のコメントが寄せられる一方で、


※いつも私の記事を引用してくださっている大塚先生も、
生方氏への“共感”を表明されている。
http://app.blog.livedoor.jp/hayabusa9999/tb.cgi/50288703


法的見地から中立的な見解を示されている方
(okeydokey氏:http://d.hatena.ne.jp/okeydokey/20060106/1136481422
ジョークの中に、この問題の本質を見事に突かれている方
小倉弁護士http://benli.cocolog-nifty.com/benli/2006/01/post_0d80.html


など、多種多様な意見が出されている。


本件は、
サウンドロゴ」に著作物性が認められるか、という争点に限れば、
原告が敗訴しても不思議ではない事例だと思う。


“何て企業びいきな”という批判は大いに予想されるが、
近年、裁判所は「著作物性」を厳格に解する傾向にあり、
自然科学論文、一般建築物、設計図、と、
これまで当然に皆が「著作物」だと思っていたものについて、
著作権が否定されたケースは多い。


生方氏は、ご自身のブログの中で、

サウンドロゴが著作物でないのなら、ロゴイメージのデザインだって違うことになる。」

と憤慨されているが、
少なくとも文字ロゴのデザインの著作物性は、
一般的には否定される傾向にあるのだ*1


田村教授は、ベートーヴェンの「運命」を例にとって、

「その芸術的価値は疑うべくもないが、かりに、あのような4音に関して著作権を認めてしまうと、音楽の創作活動に支障を来たすというのであれば、未だ創作的な表現と認めるべきではないということになる」(田村・前掲75頁)

と述べられている。


著作権法の目的は「著作者保護」ではなく、
あくまで「著作者とユーザー間の利益の調整」にあるのだから、
このような観点からは、
短い「サウンドロゴ」に著作権を成立させることの弊害も
意識しておく必要があると思われる*2


また、「す・み・と・も・せ・い・め・い」のメロディーが
いかに有名なものであったとしても、
それ自体は「著作物性」の有無に影響を与えるものではない。


“著名性”が考慮要素となるのは、
あくまで商標法ないし不正競争防止法の世界であって*3
三者が同じサウンドロゴを使った場合に、
それまでに多額の広告宣伝費用を投じていた住友生命
差止めに成功することはあるかもしれないが、
そのことが、生方氏の訴訟で有利に働く可能性は少ない*4


したがって本件は、
過去に「サウンドロゴ」を制作した際の契約(ないし当事者の合意)
の解釈問題*5として理解するのが
妥当なのではないかと思われる。


これまでの自分のエントリーを見ていただければ分かるように、
個人的には、著作権のような“強い権利”を安易に認める立場には
自分は組していない。
(「のまネコ」問題の記事などをご参照のこと。)


特に、全く無関係の第三者ではなく、
元々契約当事者であった者同士で争われている本件のような事案では、
三者に対するハレーションが大きい「著作権」の成立を認めずとも、
契約解釈の問題として処理することは可能なのであるから、
裁判所としても、その方向で問題解決を図るべきなのではないだろうか*6


それにしても、企業法務の観点から言えば、
住友生命側の対応は全くもって感心できない。


生方氏ご自身が示唆されているように、
今回の訴訟提起の発端には、
「本件サウンドロゴは著作物ではない」という
住友生命側の“失言”に対する憤りがあったように思われる。


著作権侵害のトラブルが生じた場合、
“守る側”が、相手が主張する“著作物”の「著作物性」の有無を
事前に検証する、というのは当然のことである。


自分自身、紛争の対象物の「著作物性」を否定的に解す
弁護士の鑑定書をもって、交渉に臨んだことは多々ある。


しかし、交渉の途中で、「それは著作物じゃない」と
言ってしまったら、そこで交渉はストップしてしまうし、
相手方の感情を著しく害するだけだ。
「著作物性を否定する」という作戦は、
訴訟でのみ使える“最後の切り札”というべきものであり、
安々と交渉の段階で用いるべき手段ではないと思う*7


ましてや、本件は、
法務部門同士のやりとりではなく、
人一倍「作品」に愛着のある“著作者”自身とのやり取りの中で
出された見解のようであるから、
この点に関しては、被告側の対応に問題があったことは
否定できないだろう*8


いずれにせよ、本件は、
原告側が「著作権侵害」の主張に過度に拘らなければ、
原告勝訴となる可能性は十分にあるように思われる。
20年前の使用開始時の“合意内容”をいかに有利に主張立証するか、が
本件の勝敗を分けるポイントになるのではないだろうか*9

*1:okeydokey氏の記事参照。加えて、ゴナ書体事件の上告審判決(最判平成12年9月7日)などもある。田村善之『著作権法概説〔第2版〕』(2001年、有斐閣)37-38頁もご参照のこと。

*2:この点、小倉秀夫弁護士のコメントが、実に巧く本質を言い当てているように思われるのである。

*3:日本では米国等と違って、「音の商標」は認められていないので、専ら不競法の世界の話ということになろう(米国ではCMで流れるインテルサウンドロゴなども商標登録されていると聞く)

*4:仮に侵害が認められれば損害賠償額の算定等で有利に働くことがあるかもしれないが。

*5:契約金額その他の内容から、当事者が再使用も含めて利用許諾したといえるか否か、業界慣習等も踏まえて判断されることになろう。

*6:仮に、本件サウンドロゴに著作物性が認められなかったとしても、作曲家が労力をかけて制作した“楽曲”の利用にあたって対価を支払う、という契約は当然有効に成立しうるのであって、その契約(ないし合意内容)に反した場合には、利用側に債務不履行責任等が生じるのは、自明の理であろう。

*7:この点については、自分自身失敗した経験が何度かあるので自戒の念も込めて言う。

*8:相手がクリエイターであることを考えると、より慎重な姿勢で交渉に臨む必要があったと思われる。もっとも、自分が見ることができるのは、一方当事者サイドの言い分だけなので、どのような文脈で“著作物性否定コメント”が出てきたのかまで検証しないと、真に対応の巧拙を評価することはできないのであるが・・・(住友生命側が、原告側の度重なる抗議に耐えかね、“最後通牒”としてこの見解を出してきたのだとすれば、それはそれで同情に値する)。

*9:逆に、著作権が認められても、当初の合意時に、将来の再使用分も含めた利用許諾合意があった、と認定されれば、認められるのは確認請求だけで、原告は“事実上の敗訴”ということになる。裁判所としては、こちらの方が判決が書きやすいかも・・・?

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