「9000人合格」案の不可解

“ボツネタ”(http://d.hatena.ne.jp/okaguchik/)1月12日付記事を
発端に議論が再燃した「司法試験合格者9000人案」。


ネット上で目立つ批判論者の見解をまとめるならば、

①「法曹」が粗製濫造されることで、司法サービスの品質維持が困難となる。
②現在の法曹界には、「9,000人」を受け入れるだけのキャパシティ(修習体制、OJT教育体制など)が存在しない。
③「法曹」資格者の多くが職にあぶれることになり、「事件屋」の増大、濫訴といった弊害を招く。
④せっかく資格をとっても、③のような状況に至るということになれば、優秀な人間が「法曹」を目指さなくなる

といったところだろうか。


一方、直接目にしてはいないが、
賛同する人々の見解(上記批判への反論)をあげるならば、
次のようなものになると思われる。

曰く、
①市場での競争に委ねれば、必然的に質の低い「法曹」は淘汰される。閉鎖的な独占状態に陥っているがゆえに、競争原理が働かない現状の方が問題だ。
②現在のような“手厚い”養成教育をあえて施す必然性は認められない。司法修習所の機能は法科大学院等で代替できる。
③「法曹」が増加し、企業や一般市民の司法へのアクセスが向上すれば、職域は自ずから拡大される。現時点では、「法曹」になるために法科大学院に入った人々が、「法曹」にすらなれないことの方が重大な問題である。
④競争に勝ち抜けるだけの能力と自信のある人間は、たとえ合格者が「9,000人」になっても法曹を目指すはずである。

私は、「9,000人」を“多い”と決め付けるのは早計だと思う。


少なくとも自分が知る限りにおいて、
この国の司法に対するニーズは十分に満たされているとはいえない。
何となく「弁護士に相談したい」と思っていても、
「敷居が高いから」という理由で断念している人々は、
今の社会においても数多存在する*1


いくら弁護士会が無料で法律相談会を開いても、
法的トラブル(というか権利主張そのもの)を
“恥”と感じる文化が根強く残るこの国では、
見ず知らずの人に、“恥”をさらけ出すことのできる勇気をもっている人は
そうそういない。


だが、「法曹」が増加して、親戚だの、近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんだのが
“気軽に”法曹の資格を入手できるようになれば、
そんな心理的な「敷居」も一気に下がり、
必然的に法律相談の件数も増加するだろう。


当事者の一方が些細なトラブルを法廷に持ち込めば、
当然迎え撃つ側にも「法曹」のニーズが生じることになり、
さらには、それを裁くためのインフラも必要になる。


そのような社会を是とするかどうかについては、
また別個の価値判断が必要になるだろうが、
よきにせよ悪きにせよ、「法曹」人口の増加がそういった“可能性”を
秘めていることは確かである*2


今「9,000」という数字を見ると、確かにぎょっとするが、
500人時代に司法試験をくぐりぬけてきた方にとっては、
今の1,500人だって十分に“驚異的”な数字なのであって、
“3,000人”、“5,000人”、“9,000人”と段階的に増大させていくうちに、
それが違和感を抱かない数字になったとしても、何ら不思議なことではない。


そして、そのように考えると、批判の③、④は既に意味をなさないことになる。


そもそも、③のような批判は、
「法曹」の資格を持ったものが、ほぼ全員“先生”として活躍している
現代の状況を前提とした議論に過ぎず、
“供給過剰”の状況が予測されるようになった時点で、
多くの有資格者が、企業内で仕事をしたり、
まったく法律とは関係ない道に進むことを選択するようになるだろうから、
本当に「職にあぶれる」人間が出てくるとは考えにくい。


また、人数が増えれば、質の悪い「法曹」が紛れ込むことは
大いに予想されることであるから、
一見、説得力のある根拠のように思える①についても、
逆に、人数を増やさなければ質を維持できる、という保証はどこにもないし*3
人数を増やせば、その分、優秀な人が流入してくることも考えられるから、
これは、9,000人案への批判として決定的なものにはなりえない*4


したがって、「9,000人」案を“愚かな案”と決め付けてしまう考え方には、
一概には賛成できない。


だが、「9,000人」案を提起した
内閣府・民間開放推進会議」の論理展開には、
大いなる疑問を抱かざるを得ない、というのもまた事実である。


“ボツネタ”のコメント欄に紹介されていた
『法曹人口の拡大等に関する問題意識』*5というペーパーでは、
「法曹9,000人案」の背景が、次のように説明されている。

1.法曹人口の拡大に関しては、「司法制度改革推進計画」が、「平成22年ころには司法試験の合格者数を、年間3,000人とする」という方針を示している。
                    ↓
2.しかし、新旧司法試験における合格者の目安として示されている概括的数値について、法曹を目指す者の選択肢を狭めないよう旧試験(平成23年以降は予備試験)の合格者を確保すべきであるとの意見がある。
                    ↓
3.当会議は、新旧試験の合格者数についての問題が生じるのは、司法試験合格者数の拡大が不十分であることが原因であると考える。
                    ↓
4.現在の議論は、「3,000人程度」という「枠」の中で、法科大学院修了者と非修了者との割合をどうすべきかということに焦点があり、国民が利用しやすい司法制度の確立の観点から法曹に携わる素養のあるものを可能な限り多く、資格者として社会に送り出そうという視点でなされているとは言いがたい。(上記の「枠」自体、何らの理論的根拠を有するものではない。)
                    ↓
5.法曹に求められる資質は、今後ますます多様で、高度なものになると見込まれるが、法曹資格者の増大により、このような要請に応えていくことが容易になる。
                    +
6.一方、法曹資格者の資質の陶冶の観点から、資質を誘導するもっとも効果的な手段としての司法試験については、実定法の様々な領域に関する資質を問うことができるよう選択科目を一層多様化するとともに、狭隘な解釈技術にとどまらず、広く法解釈や立法政策の社会経済的な影響を分析できる能力を涵養することが必要不可欠である。

そして、上記の背景を踏まえ、
同会議が「法曹人口の拡大、司法試験のあり方」について行った提言が、
次のようなものである。

(1) 司法試験合格者数の拡大について、現在の目標(平成22年ころまでに3,000人程度)を可能な限り前倒しするとともに、最終的な目標を更に大幅に拡大(例えば9,000人程度)すべきである。

(2) 上記の目標を達成するために、法科大学院卒業者については、当初構想されていたように、その7〜8割の者が新司法試験に合格するように試験制度の設計を行うべきである。

(3) 法曹を目指す者の選択肢を狭めないよう、法科大学院で新司法試験に合格した者の最下位レベルと同等以上の点数を獲得した法科大学院卒業以外の受験者については、これを合格とする。また、予備試験合格者の本試験合格率が法科大学院卒業者の本試験合格率よりも低くなるよう、予備試験合格者数については毎年不断のみなおしをおこなうなどの試験方法を採用する。以上により、現行司法試験(平成23年以降は予備試験)受験者が、法科大学院卒業者と比べて不利益に扱われないようにすべきである。


ここまで読めばお分かりになると思うが、
このペーパーにおける制度改革の“目的”(背景)の説明には論理飛躍がある上、
“目的”と“手段”も、十分には噛み合っていない。


「法曹資格者の増大」は、
“「多様」な資質を求める要請”には結びつくとしても、
“「高度」な資質を求める要請”には、直ちに結びつくものではない。


「新旧試験の合格者数」の問題の原因を、
「司法試験合格者数の拡大の不十分さ」のみに求めるというのも、
あまりに短絡的な発想である*6


そして、そのような論理的飛躍のいくつかを容認するにしても、
格調高い背景の6.が、提言のどこに反映されているのか、
自分が見た限りにおいては、全く不明である*7


そもそも、上記「背景」の論理構造は、
「新旧両試験受験者の不平等」という問題と、
「国民が利用しやすい司法制度の確立」という問題を
ごちゃ混ぜにしたものになっており、
その両者の関係が整理できないまま提言に至っているために、
上記のような混乱が生じることになってしまうのである。


誰が作成したのかは知らないが、
おそらく、本ペーパーが論文試験の答案だとしたら、
間違いなく下位30%に分類されるだろう(笑)。


そして、こんなわけの分からないペーパーをベースとした議論で
合格者数の方針を決められても困る、という感情が批判論者の中にあるとしたら、
それは大いに理解できるところである。


なお、この「9,000人案」は、“経済界の要望が強い”案らしいが、
法務の現場をしっている“経済界”の人間なら、
決してこんな案には賛成しないだろう。


弁護士が“敷居の高い”存在であるのは、
企業とて個人と変わりはない。


そして、一般的に、
個人が抱える法的トラブルの多くが偶発的・単発的なものであるのに対し、
企業が抱える法的トラブルは、慢性的・継続的なもので、
それらについて、迅速・的確に対応していただくためには、
日頃から「事務所」と良好な関係を作り上げておくことが不可欠である。


先述したように、人数を増やせば質の悪い「法曹」も業界に紛れ込む。
裁判官や検事であれば、入り口段階で選別可能だが、
弁護士に関しては、“世襲”や“縁故”といった
弁護士個人と特定の事務所との“つながり”によって、
不適切な人材が業界に残存するおそれを完全に否定することはできない。


個人のクライアントであれば、
「事務所」そのものとは何のしがらみもないのが普通だから、
自分がお願いしている先生が“外れクジ”だと気付いた段階で、
「事務所」ごと変えてしまえば良いが*8
「事務所」との継続的な関係が重視される企業法務の場合、
ことはそう簡単ではない*9


結局、質の悪い「法曹」に付き合わされることで、
一番迷惑を被るのは、現場の法務担当者なのである。


「質の低い法曹は、市場原理により淘汰すれば良い」
良くぞいったものである。
だが、この国*10に、平等な条件の下での
“自由競争”なるものが機能した歴史が果たしてあるのか?


“自由競争”は、得てして、
歪んだ形での“勝者”を生み出すものであることは、
これまでの歴史が証明していることではないのか?


「9,000人」説賛同論者の多くが思い描いている基準とは
異なる基準で「法曹」が“選別”されるのであれば、
それは、司法システムにかかわる多くの人々にとって、
不幸なことといわざるを得ない。


そして、現在の上記のペーパーは、
そのような懸念を拭い去るのに十分なものとは、
決していえないように思われるのである。

*1:それに一番気付いていないのは、ドロドロした社会に触れることなく法曹界に入られた、現役の先生方ではないかと思う。

*2:他にも、遺産相続に備えて弁護士をつけることや、就職(転職)活動を行う上でのエージェントとして弁護士をつけることが、常態化するかもしれない。

*3:現に「500人」時代に「法曹」になった方々の中にも、到底“優秀”とはいえない方はいるわけで、修習終了後の能力担保策でも講じない限り、いかに門を狭めたとしても“品質”を維持することは困難だろう。

*4:要は、数の増減と質の問題をリンクさせること自体、説得的ではないと思われる。後述するように、これは賛同説にも言えることである。

*5:http://www.kisei-kaikaku.go.jp/minutes/wg/2005/0704/item050704_01.pdf.pdf

*6:ここでは、一見すると旧試験受験者への温かい配慮がなされているように思えるが、本来であれば、そもそもそのような原因を引き起こした「法科大学院制度」の問題性についても触れるべき、というのは、何人かの批判論者が指摘するとおりである。

*7:上記提言(1)、(2)が、背景の5.から導かれるもので、提言(3)が、背景の2.から導かれるものであることは分かるのだが・・・。

*8:もちろん、法律に関して素人である一般市民が“外れクジ”であることに気付けるかどうか(気付いた時には手遅れ?)、という問題はあるのだが。

*9:以前、準備書面もロクに書かず、仕事は遅い、態度はでかい、というロクでもない弁護士との顧問契約を打ち切ろうとしたにもかかわらず、実際に契約を打ち切るまでに3年以上かかった記憶がある。その弁護士、仕事は全くできないが、姑息なトップセールスの腕だけは“一流”だったのだ(笑)。

*10:いや、この国に限らず世界中で。

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