宗教法人と知的財産法

以前のエントリーで、
宗教法人が絡む著作権侵害事件が多い、というネタを書いたが、
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051229/1135877661
商標、不競法関連事件も実は多い。


この手の事件は、大概“仲間割れ”した宗派間での
メンツを賭けた争いになるから、
企業間の争いと違って、すんなり和解というわけにもいかず、
その分、判決の数が目立つことになるのだろう。


・・・などということを言っているうちに、
最高裁がなかなか議論を呼びそうな判決を出してきた。
(最二小判平成18年1月20日・名称使用差止等請求事件*1


上告人(原告、被控訴人)は、「宗教法人天理教」。
被上告人(被告、控訴人)は、「宗教法人天理教豊文教会」。


天理教豊文教会」は、元々上告人との被包括関係に基づき、
長野県内において「天理教豊文分教会」という名称で活動を行っていたが、
現代表役員の就任後、礼拝所の施設や儀式の方法について、
天理教教会本部と意見が対立するようになり、
平成15年4月16日に被包括関係の廃止の届出、及び名称変更を行った。
(上告人も被上告人も、中山みき氏を教祖と仰ぐ点において代わりはない*2。)


上記のような事実関係の下で、

被上告人による「天理教豊文教会」という名称の使用が「①「不正競争」(不競法2条1項1号、2号)に該当し、または②上告人の名称権を侵害するものである」として上告人が「名称使用の差止め及び名称登記の抹消登記手続」を求めた。

というのが、本件のあらすじである。


最高裁は結論として上告を棄却したが、
その理由付けは、なかなか“画期的”なものである。


まず、①不正競争防止法に基づく請求については、
同法第1条の目的規定、パリ条約、不競法制定に至るまでの沿革に照らし、

不正競争防止法は,営業の自由の保障の下で自由競争が行われる取引社会を前提に,経済活動を行う事業者間の競争が自由競争の範囲を逸脱して濫用的に行われ,あるいは,社会全体の公正な競争秩序を破壊するものである場合に,これを不正競争として防止しようとするものにほかならないと解される。そうすると,同法の適用は,上記のような意味での競争秩序を維持すべき分野に広く認める必要があり,社会通念上営利事業といえないものであるからといって,当然に同法の適用を免れるものではないが,他方,そもそも取引社会における事業活動と評価することができないようなものについてまで,同法による規律が及ぶものではないというべきである。」
「これを宗教法人の活動についてみるに,宗教儀礼の執行や教義の普及伝道活動等の本来的な宗教活動に関しては,営業の自由の保障の下で自由競争が行われる取引社会を前提とするものではなく,不正競争防止法の対象とする競争秩序の維持を観念することはできないものであるから,取引社会における事業活動と評価することはできず,同法の適用の対象外であると解するのが相当である。また,それ自体を取り上げれば収益事業と認められるものであっても,教義の普及伝道のために行われる出版,講演等本来的な宗教活動と密接不可分の関係にあると認められる事業についても,本来的な宗教活動と切り離してこれと別異に取り扱うことは適切でないから,同法の適用の対象外であると解するのが相当である。」(以上、太字筆者)

とし、被上告人は「不競法の適用対象となる収益事業」を行っていない*3
として上告人の主張を退けた。


さらに、②名称権侵害に基づく主張については、

「甲宗教法人の名称と同一又は類似の名称を乙宗教法人が使用している場合において,当該行為が甲宗教法人の名称を冒用されない権利を違法に侵害するものであるか否かは,乙宗教法人の名称使用の自由に配慮し,両者の名称の同一性又は類似性だけでなく,甲宗教法人の名称の周知性の有無,程度,双方の名称の識別可能性,乙宗教法人において当該名称を使用するに至った経緯,その使用態様等の諸事情を総合考慮して判断されなければならない。」

という規範を打ち立てた上で、

①被上告人が,宗教法人法に基づく宗教法人となってから約50年にわたり「天理教豊文分教会」の名称で宗教活動を行ってきたこと(その前身において「天理教豊文宣教所」等の名称を使用してきた時期も含めれば80年)。
②被上告人が従前の名称と連続性を有し,かつ,その教義も明らかにする名称を選定しようとすれば,現在の名称と大同小異のものとならざるを得ないと解されること。
③被上告人は,中山みきを教祖と仰ぎ,その教えを記した教典に基づいて宗教活動を行う宗教団体であり,その信奉する教義は,社会一般の認識においては,「天理教」にほかならないと解されること。
④被上告人において,上告人の名称の周知性を殊更に利用しようとするような不正な目的をうかがわせる事情もないこと。

という事実から、被上告人の名称選定に相当性があり、
そのような名称の使用ができなくなった場合の被上告人の不利益は重大である、
として、名称権侵害に基づく差し止めの主張も退けたのである。




上記の判断は、東京高裁(青柳馨裁判長)における判断*4とほぼ同じ内容である。


高裁判決が、不競法1条の目的規定から上記の結論を導いたのに対し、
最高裁はダメ押しといわんばかりに(笑)、パリ条約まで持ち出した点、
高裁判決では、「自然人の氏名権に準ずるもの」とされていた「名称権」が、
最高裁では、「個人の氏名と同様」に保護されるべきもの、に昇格した(?)*5点、
その他、細かい表現の違いを除けば、
高裁判決も最高裁判決も基本的な考え方には大差ない、といって良い。


本件の事実関係に照らす限り、
「名称権」に関する判示に異を唱えるむきは少ないのではないか、と思われる*6


「名称権」を保護すべきものとして認めた上で、
「名称使用の自由」と比較衡量する、という枠組みは柔軟なものであり、
どのような事案にも幅広く適用しうる規範となりうる、という点でも評価できる*7


一方、議論を呼びそうなのは、不競法の適用に関する判示の方であろう。


この点については下級審の結論も分かれており、
東京地裁(高部眞規子裁判長)が、

「宗教法人の業務及び事業は、いずれも広く経済上その収支計算の上に立って行われるものということができる。」

として、不競法の適用除外を求める被告(被上告人)側の主張を退け、
不競法2条1項2号により原告の請求を全面的に認容した*8のに対し、
東京高裁は本最高裁判決とほぼ同じ趣旨で、
「宗教法人の宗教活動は,上記の各規定にいう「事業」又は「営業」には該当しない」
としている。


私が記憶する限り、
不競法の事案において、「営業」の要件を満たすか否か、という議論は
あまり見かけたことがない。


田村教授は、

「裁判所は、ここにいう「営業」の意義を、営利を目的としない場合であっても、「経済上その収支計算の上にたって行われる事業」であれば足りる、と解しており、おおむね営業性を肯定する方向にある。」(田村善之『不正競争法概説〔第2版〕』(有斐閣、2003年)68頁)

と記されているが、これは一連の「天理教」判決が出る前の記述である。


また、最新の逐条解説*9は、

「非営利事業についても、経済収支上の計算の上に立って行われているものである以上は「営業」に該当する」(前掲逐条解説・45頁)

と述べるのみで、天理教事件の高裁判決は脚注で「・・・とする判例もある」として
引用するにとどまっている*10


最高裁判決が、

「社会通念上営利事業といえないものであるからといって、当然に同法の適用を免れるものではない」

と述べた上で、上記判断をしているところを見ると、
「非営利事業であっても不競法の適用対象となる」
というこれまでの裁判例の傾向は維持した上で、
その外側に、「「取引社会における事業活動」という“壁”を設けた」
という説明が妥当であるように思われる*11


だとすれば、本件は、これまでの議論を超えたところに存在する事案だった、
として片付けてしまえば良いのかもしれない。


だが、若干の疑問は残る。


「営業」は、「商品等表示」の定義において用いられる要件である。
そして、

「他人の商品等表示として需要者の間に広く認識されているものと同一若しくは類似の商品等表示」(を使用する行為)

を不正競争とする2条1項1号(2号についてもほぼ同じ)の書きぶりからすれば、
「他人」が「営業」要件を満たしていない限り、
使用する側がいかに派手な営業活動を行っていたとしても、
不競法に基づく請求は認められないように読める。


その結論は果たして妥当なのだろうか。


例えば、純粋な宗教活動のみを行っている宗教法人Xの名称を冒用して、
営利事業を行っている別の宗教法人Yが存在した場合*12
「宗教法人Xの名称は、商品等表示にあたらない」として
Xによる不競法上の請求を認めない、という結論が妥当かどうかは、
おおいに議論の余地があるところだろう。


最高裁としては、「そういう時は「名称権侵害」という二の矢を放てば良い」、
といったつもりだったのかもしれないが、
「営業」要件を厳格に解することで、
“真の被害者”が戦うためのツールを一つ奪ったとすれば、
それはそれで罪作りな判決といえなくもない。


本件のように、使用する側に少なからず理がある事案であれば、
あえて不競法の適用を否定しなくても、
「混同」の解釈の操作や(2条1項1号)、「営業上の利益の侵害」の解釈で(2号)
何とか処理できたのではないだろうか*13


そもそも、名称権侵害をめぐる判示の場面で最高裁が述べているようなことは、
不競法2条1項2号の解釈の中でも議論されていたことなのである*14


不競法に関する事件は、事案によって当事者の利害状況が大きく異なる。
そのような種の事件について、「一律に法の適用そのものを否定する」という
大胆な規範を打ち立てた“勇気”には恐れ入るが、
そこに一抹の不安を感じざるを得ないのも、また事実である。


個人的には、知財判例速報のウェブサイトでは当面、
宗教法人絡みの不競法事件にお目にかかれなくなりそうなのが、
残念だったりもするのであるが・・・。


(追記)
昼間何の気なしに考えた素朴な疑問。

最高裁は、「名称を冒用されない権利」を宗教法人の人格的利益に基づくものと位置づけ、「個人の氏名と同様」の扱いをしているものと考えられる。
そうなると、ここで保護されるのは当該宗教法人そのものを指す“名称”のみであって、当該宗教法人の「教本」や「儀式」等の名称は保護されないようにも思えるのだが*15、不競法の適用が完全除外されていることと照らし合わせると、ここで不都合な事態は生じないか*16
②宗教法人の本来的活動(及びそれと密接不可分の関係にある事業)に対して、不競法の規律が一律に及ばないとすると、今後同種の訴訟が起きた場合に、被告側による「宗教活動の抗弁」*17、なるものがまかりとおることになって、おかしな話にならないか*18

さすがに、結論を導くだけの能力(&気力)はないので、
あとは、読者の皆さまにご検討いただければ・・・と思う。

*1:http://courtdomino2.courts.go.jp/judge.nsf/dc6df38c7aabdcb149256a6a00167303/118478ed90b06655492570fc002c6afc?OpenDocument

*2:以上は、最高裁の事実認定に基づく。

*3:最高裁は具体例として「駐車場業」を挙げている。

*4:東京高判平成16年12月16日・http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/E2ED6DE9843012674925701B000BA3B0/?OpenDocument

*5:ただし、最高裁は「名称を冒用されない権利」という慎重な表現を用いている。

*6:宗教法人法が名称に関する規制を特に設けていないことからしても、同じ人物を「教祖」を仰ぐ宗派が同一・類似の名称を掲げて乱立することは、この業界では“織り込み済み”だったということができよう。

*7:イエス・キリストを同じく主とする「○○基督教会」同士の争いには適用できないが、「幸福の科学」が、犬川隆法なる人物を教祖とする「幸福の化学」(笑)に対して名称の使用差止を求めることは認められる、ということになるだろう。

*8:東京地判平成16年3月30日・http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/Listview01/C63763CB6972792949256EC30029261F/?OpenDocument

*9:経済産業省知的財産政策室編『逐条解説・不正競争防止法〔平成16年・17年改正版〕』(有斐閣、2005年)

*10:前掲逐条解説・46頁脚注21。他の例としては『I.P.Annuial Report』において、渋谷教授が本件高裁判決に関し、「結論、論旨とも非の打ちどころのない判決」と述べられているのが注目される(76頁)。

*11:高裁判決ではその旨がより明確に示されている。

*12:しかもその行為によって混同ないし、名称の稀釈化が生じるような場合

*13:もっとも、下級審判決を見る限り、当事者はそのような主張をしていなかったようで、最高裁が職権で判断を下すのは難しかった面もあったのかもしれないが。

*14:田村教授は、「「営業上の利益の侵害」の有無を決定するためには、表示が他社に使用されることにより著名表示の形成者が被る不利益の状況と、逆に表示の使用を認めなかった場合に生じる第三者の商品等表示選定の自由の制限の度合いを比較衡量しなければならない」と述べられる(田村・前掲248頁)。

*15:不競法上の「商品等表示」より保護範囲は狭くなると思われる。

*16:例えば、教義に従って、金運を招く「ホリエモン」なる神像を信徒に無償頒布している宗教法人は、当該神像に類似した「ボリエモン」なる像を大衆に暴利で売りつけている団体に対して何ら民事上の権利行使をすることができないのか?(できるとしても、一般不法行為によるしかないのか?)

*17:①原告が専ら宗教活動で使用する名称であるから「商品等表示」にあたらない、若しくは、②原告が事業活動で用いている名称であっても、被告はそれを純粋な宗教活動でしか使用していないから「商品等表示」にあたらない、という2種の「抗弁」が考えられる。本件のように、比較的容易に「宗教活動性」が認められる場合は良いが(本件は②の事例にあたる)、他の事例においては判断が微妙な場合も出てくるように思われる。

*18:具体的に審理を行おうとすると、事例によっては「当該団体の教義に沿った「宗教活動」といえるかどうか」ということまで踏みこまざるを得ない事態が生じてくるように思われ、「板まんだら事件」(最三小判昭和56年4月7日)等で示されている「司法権の限界」の問題にぶつかる事態さえ生じかねないように思われる。