恩師

昨日、自分に今の仕事の面白さを教えてくれた、
会社人生における「恩師」ともいうべき方を囲んで、
ささやかな飲み会をしていた。


この「恩師」をめぐっては、いろいろと面白いエピソードがあって、
その中でも一番のものは、師の部下だった社員が、
次々と会社を辞めていく、というもの。


別に上司である師と対立して辞めていくわけではない。
むしろ、異動などで師の下を離れたのを機に辞めていく方が多いのである。


安定志向の強い人間が多い自分の会社の中では、
転職という選択肢自体が極めてレアなもので、
それだけに、師に対して批判めいたことをいう会社幹部もいたという。


だが、そんな批判に対する師の答えがまた面白い。
曰く、

「俺は狭い会社の中でしか生きていけないような部下を育てたつもりはない。外の世界に飛び出して活躍している元部下たち一人ひとりが俺の誇りだ。」


実際、師の口癖は、

「社外に出ても通用する資格を取れ」
「社内の小さなことに一喜一憂するな。視野を広く持て」
「人生いくらでもチャンスはある」

といったもので、
それと、部下の自主性を重んじる指導方針が重なれば、
外に目を向けるマインドが必然的に養われていく、というのもうなづける。


自分自身、“わが社の仰木彬監督”*1
と呼んでひそかに師を慕っている。


で、まぁ、そんな師を囲む会であるから、
当然話の矛先は、閉塞的な社風だの、硬直的な会社の制度だのにも向かっていく、
というのは必然的なことであった。


程度の違いこそあれ、会社の中でスペシャリストが置かれている環境が厳しい、
というのは、どこの会社でも共通して見られる現象だろう。


中でも、業界特殊性の強い営業部門や、
古くから職域が確立されている経理部門等と異なり、
一部の業界を除けば、
コンプライアンス”という言葉がヒステリックに叫ばれるようになるまで
見向きもされなかった「法務部門」において、
スペシャリストとしてのキャリアを積み重ねていく、ということは、
容易なことではない。


近年の若手社員の中に、
プロとしてのキャリアを持ちたい、という志向がいかに強くても、

「総合職なんだから何でもやって当たり前」
「キャリア=その会社の社員として生きてきた人生そのもの」


という風潮の元で育った会社幹部(そしてその手先となって動く人々)の
発想はなかなか変わっていかない*2
そして、自分自身、そんな会社の“思惑”をモロに受けそうな
時期に差し掛かっている。


自分自身のキャリアを貫こうとすれば、
今の会社だってただの“通過点”に過ぎないのであって、
会社の“思惑”に振り回されたくなければ、
新天地目指して飛び出せばよいのかもしれない。


だが、通過した後に、目指すべき駅があるのか、
見えてこない今、そう簡単に片付けられない事情もある。
愛着のある組織と後輩たちを黙って置いてけぼりにするわけにもいかない。


「発想を変えなければ・・・」
「いや、どうせ変わらないでしょ・・・」
といった堂々めぐりの議論の中、ヒートアップしていた自分。
いささか酔いが回りすぎてしまったのは言うまでもない。


唯一の救いは、

「最後にとるべきは、会社ではなくお前の仕事(キャリア)だ。信念を貫け。」

という師のお言葉。


そういえば、昨日の会のもうひとつの趣旨は、
師の教えを忠実に実行した、師のX人目かの部下の“送別”でもあった・・・*3

*1:かつて故・仰木監督の下で指導を受けた選手たち(野茂、イチロー、田口、長谷川・・・)が次々と日本球界を飛び出して活躍していることに由来する。飛び出していった“選手”たちには何かと冷淡な日本の企業社会において、会社を辞めた後の元“教え子”たちとの交流も欠かさない、といったところも故・仰木監督に通じるものがある。

*2:だが、これまで大企業において範とされてきたキャリアパスは、単なる「マネジメントごっこ」と「椅子とりゲーム」の繰り返しに過ぎなかったのではないか、と自分は思う。ひとつの仕事を続けることで、見えてくるものは多い。会社や業界の枠を超えた横のつながりもできる。そういったものを十分に生かしきれず、「内側の論理」だけで動いてきたところに、日本企業の“弱さ”があったとはいえないだろうか。

*3:なお、本エントリーはフィクションであり、実在する会社、人物とは何ら関係ありません・・・と言ってみるテスト。

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