刑事処罰と行政規制

ライブドア事件に関する報道が沈静化しつつある。
“お祭り”の熱は去り、
本事件が今後の証券市場やわが国の社会に与える影響について
冷静に見定めようとする動きもようやく出てきたようである。
(除く国会(笑))


もっとも、起訴前の捜査が依然として継続している現時点では、
監督官庁や捜査機関の事前の動き等を含めた事件の“全容”は
未だ明らかになっていない。


26日付の日経朝刊に掲載された上村達男早大教授の論稿は
かなり刺激的だった*1


金融庁の法運用に問題」という見出しで始まるこの論稿、
終始、上村教授の舌鋒鋭い批判が展開されている。


曰く、

東京地検特捜部によるライブドア経営陣の逮捕は、法改正があるまではやり放題という自堕落な気分にあふれた証券市場への重大な警告である」

「抗した株式分割は他に何の条件が無くても、市場メカニズムに対する意図的な歪曲行為であり、これだけで証券取引法違反の偽計取引である。これを許したのでは、相場操縦を取り締まる意味すらなくなる」
「この(ライブドア社の)仕組みは、要は一般投資家を徹底的にコケにして自分たちだけがうまい汁を吸う仕組みである。全体のからくりを構成する個々の手法は単独でも、偽計取引その他の違法行為であり、そうした違法行為をいくつも積み重ねてできた全体の仕組みも、より大規模な偽計取引といえる」


上村教授は、証取法上のルールを極めて厳格に解する商法学者の一人であり、
ニッポン放送の買収騒動の際にも、“柔軟な解釈”を示唆する巷の意見に
真っ向から反発して論陣を張ったことで知られている*2


今回、ライブドアに対して司直のメスが入ったことは、
結果として、上村教授のこれまでの主張を裏付ける形となっているから、
筆に力が入るのもうなづけるところだが、
中でも、本稿の特徴は、
上村教授の批判の矛先が金融庁に向けられていることにある*3

「今回の強制捜査では、証券市場の規制当局である金融庁に対して検察がレッドカードを突きつけたともいえる重大な意義を有している。」
「多くの取引が問題視されたにもかかわらず、金融庁の「非常に問題ではあるが必ずしも証券取引法違反ではない」「違法スレスレだが違法ではない」「法の抜け穴を突いたやり方ではあっても違法ではない」などの説明によって国民の多くは慣らされ、そうした判断を当然視して時代の寵児(ちょうじ)を作り上げてきたのである。」
「この種の取引に対する捜索は本来、捜査権を有する証券取引等監視委員会金融庁とも協力して実施し、検察に告発するというのが順序である。にもかかわらず、検察それも特捜部が直接乗り出したということは、金融庁の法運用姿勢に対するノーの表明以外の何物でもない」
証券取引法の主務大臣である内閣総理大臣や金融担当大臣が先頭に立ってもてはやす人物を、金融庁の外局である証券取引等監視委員会が独自に摘発することは困難である」

上村教授はこれに続けて米国SECの規制手法を取り上げ、
「包括規定の活用」「市場阻害行為に対する実質的判断」といった運用態勢への
「実質的転換」や、「独立性の高い規制機関の創設」を提唱される。


確かに、行政監督機関ではなく“東京地検特捜部”が踏み込んだことが、
今回の一連の事件の“特異さ”を際立たせ、
同時に、これまで“沈黙”をたもっていた金融庁(監視委)への
“不信感”を増幅させているのは事実であり、
上村教授のような見方をする識者も少なくないと思われる*4


だが、個人的には上のような見方に対しては、疑問を感じている。


落合弁護士のブログでは
証券取引等監視委員会の地道な努力」に触れられているが、
http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20060128
同様の情報は週刊誌等にも出てきているところであり、
金融庁、監視委サイドも、
決してライブドアの行為を“放置”していたわけではなかったことが伺える。


監視委ではなく、特捜部が動いたのは、
今回の件がもたらす社会的影響度(さらには政治的効果)の大きさゆえに、
一気に決着を図ろうとしたため、と見るのが素直であり、
この動きを「金融庁に対するノーの表明」といった類のものとして語るのは、
いささか勇み足ではないかと思う。


規制当局が「違法性への懸念」を表明した時点で、市場には大きな動揺が走る。
いかに犯則調査権限を有しているとはいえ、
“プロの捜査組織”に比べれば、規模・ノウハウで劣る監視委員会が
自ら動くことに躊躇したとしても、不思議ではないし、
「違法」と断言しなかったこれまでの「見解」の数々も、
「十分な証拠を集めるまでは市場に動揺を与えない」という
深謀遠慮に基づいたものと考えられ、
むしろ評価すべきことだったといえるだろう*5


結論からいえば、特捜部が動いて、
堀江社長以下を「クロ」と断罪する“世論”を作り上げたことで、
市場の混乱は最小限に食い止められたということになる*6


東証や監視委がインサイダー取引等の“余罪”を追及する動きを見せているが、
ここまで来ればもはや市場は驚かない。
すべては織り込み済みの出来事としてスルーされる運命にある。


もっとも、このような“順番”の逆転が、果たして妥当なのかどうか、
上村教授の見解とは違う意味で、問題視する余地はあるだろう。


これまでのエントリーの中でも述べてきたように、
自分自身は、いまだ今回のライブドア社の行為に対して
“刑罰”が課されようとしていることに、強い違和感を抱いている。


言うまでもなく、「刑事処罰」は現代における最大の“制裁”である。
仮に有罪判決が言い渡されれば、被告人となった者は
一生涯消えぬ十字架を背負っていかねばならない。


だからこそ、刑事処罰にあたっては“規範”に直面した者にとっての
“回避可能性”の有無が厳しく吟味されることになるのであり、
その前提として人々に明確な“規範”が与えられていることが必要になる。


上村教授が提唱されるような、「包括規定」や「実質的違法判断」といった観念は、
一見合理的に見えるが、上記の“規範”を曖昧糢糊なものとする虞があり、
罪刑法定主義」「故意処罰の原則」といったわが国の刑法解釈の前提を
揺るがすものにもなりかねない。


こういった「実質的判断」は、
むしろ、民事・行政上の責任追及の場面において
馴染むもののように思われる*7


だが、いかに不正会計が行われていても、株価が上がり続けている限り、
投資家がライブドアに民事責任を追及する必要は出てこなかった*8
また、行政監督権限を行使しようにも、
影響力の大きさゆえに容易には動けなかった、
それゆえに本来“最終兵器”である“刑事処罰”を
前面に押し出さざるを得なくなったというところに、
今回の事件の“悲劇”性があるように思われる。


更に言えば、刑事処罰はあくまでも「行為者」としての“個人”を
ターゲットにしたものである。
法人に対して罰則を課す「両罰規定」も勿論存在するが、
それは「行為者」本人を罰して初めて適用される補完的なものに過ぎない*9


しかし、今回のようなケースで、
堀江元社長をはじめとするライブドア経営陣に“個人責任”を問うことが
果たして妥当なのか。


ライブドア社の行為が刑罰法規に触れるとしても、
それは、あくまでも会社の“成長サイクル”を維持するため
(すなわち“会社のため”)、に行われたものに過ぎない。


このような“犯罪”は、
殺人罪」や「窃盗罪」といった一般的な刑法犯とは明らかに異なるし、
一般的な企業犯罪である「横領罪」、「背任罪」とも比べても異質なものである。


証券取引法の立法趣旨は、

「国民経済の適切な運営及び投資者の保護に資するため、有価証券の発行及び売買その他の取引を公正ならしめ、かつ、有価証券の流通を円滑ならしめること」(1条)

にある。


だとすれば、制裁を受けるべきは、
市場秩序を乱し、投資家をかく乱した「会社」そのものであって、
経営陣個人に責任を負わせるのは、単なる“見せしめ”に過ぎないのではないか。
そして、そのような制裁は、「上場廃止」処分や課徴金賦課といった
「行政上の処分」によって果たされるべきであり、
個人に対して「刑事制裁」を与えるという方法は、
本来邪道というべきなのではないか・・・*10


自分は強い「違和感」を抱いている原因は上記の点にある*11


今回の事件が、
企業の「違法行為」に対する望ましい「制裁のかたち」についても、
議論が深まるきっかけになれば良いと願っている*12

*1:1月26日朝刊33面『経済教室』

*2:上村教授の考え方のベースには、証券市場性悪説ともいうべき“「自由な証券市場」に対する不信感”があるように思われ、それは本稿の以下のような記述にも反映されている(「証券規制とは、安易なバブルの生成とその崩壊に伴って襲い来る無数の不幸と戦う法制でもある」)。見解の是非はともかく、研究者としての主張の揺るぎなき一貫性には感銘すら覚える。

*3:ニッポン放送事件以来の“怨恨”ゆえか、東京地裁に対しても矛先が向けられている(「ライブドアによるニッポン放送株式の取得に関する東京地裁決定なども、結果的には犯罪者に手を貸す決定であったことになる可能性がある」)のであるが・・・。

*4:週末のニュース番組でも同じようなことを述べるコメンテーターは多かった。

*5:責任があるとすれば、金融庁の“慎重な言い回し”をあたかも「シロ」というお墨付きを与えたかのように報道したメディアの方ではないかと思う。

*6:株価は既に先週金曜日の時点で元通りに回復している。逆に、ライブドアステークホルダーにとっては不幸としかいいようがない事態となってしまったが・・・。

*7:「裁量行政」という批判は当然出てくるだろうが・・・。

*8:今後、どういった動きが出てくるかは分からないが、今回の事件におけるライブドアの“違法行為”と投資家の損害が果たしてリンクするのかどうかには疑わしい面もあるように思う。

*9:証取法207条参照。

*10:これは、いわゆる「談合罪」(競売妨害罪・刑法96条の3)について、担当者個人が刑事訴追される場面においてもあてはまる。幸いにも自分のこれまでの経験の中で、社員が会社の業務に起因して刑事訴追を受ける場面には遭遇していないが、もし遭遇したとすれば、社員(大概は与えられた業務を淡々とこなしていただけの善良な市民であろう)を“生贄”として差し出すことへの罪悪感にさいなまれるのは間違いない(否、もしかしたら自分が差し出されることだって考えられる・・・)。業務に全く関係ない個人犯罪であっても、かつての同僚が“裁かれる”のを見守るのは辛い作業であるのだから・・・。

*11:所詮は、刑事司法の本質を理解しない「企業法務村」の住民の戯言に過ぎないのではあるが・・・。

*12:なお、本件では、ライブドア=「堀江社長らの個人会社」という関係が成り立つゆえに、個人処罰に対して違和感を感じないむきも多いだろうが、個人としての「堀江貴文氏」が負う責任と、機関としての「堀江元社長」が負う責任とは、やはり区別して考えるべきだと思う。ここ問題にしているのは、機関としての後者に対し、「行為者処罰」を行うことの是非である。

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