このブログは、五輪期間中、
筆者の第二のふるさと、長野出身五輪選手を応援するブログです(笑)。
信濃の国・・・
新聞記事を見ていて4年前の記憶が蘇った。
スケルトン女子唯一の代表、中山英子選手。
このお方、長野県内で最大の購読部数を誇る信濃毎日新聞の現役記者である。
ソルトレイクシティ五輪の折は、
彼女がいかにして五輪選手になったかというエピソードを、
ご自身で記事として紙面に掲載されていたと記憶している。
今ウェブ上で検索すると、↓のようなページが出てくるが、
http://www.waseda.jp/student/shinsho/html/69/6922.html*1
以下のようなくだりは、当時の自分にも非常に共感できるところがあった。
「五輪が終わると、長野の街も沈滞気味になった。五輪のために作られた競技施設の後利用問題などが山積みになっていた。競技団体の強化体制も少し衰えているように感じたし、本当の意味でスポーツが根付いているかといえば、そうではなかった。
たくさんの資金がつぎ込まれ、盛り上がった五輪とは何だったのか、自分自身もかかわった以上、放っておくことができないと感じ、追いかけてみたものの、一記者の思いだけではどうにもならないと無力感に襲われた。」
もっとも、それでいきなりスケルトンを始めてしまうところが、
この方のすごいところである*2。
残念ながら、今大会も15人中14位という成績に終わってしまったが、
また、大会が終わったあとに、中山記者の書かれた記事を読んでみたいものだと思う。
久しぶりに信毎のサイトを覗いてみたら、
中山選手の記事*3に加え、
「県内五輪ニュース」というコーナーで、
県内出身選手を応援する地元の様子が伝えられている。
(http://www8.shinmai.co.jp/2006olympic/)
今井裕介選手の応援が佐久(中込)で予定されていたり、
辰野町で外ノ池選手の応援が予定されていたり*4と、
テレビモニターの前で“故郷のヒーロー・ヒロイン”たちに声援を送る
地元の人々の姿が、それぞれの土地の懐かしい景色とともに浮かんでくる。
ずっと東京にいたら、たぶんこんな想像力も働かなかっただろう。
ちなみに、“ソリ”つながりで、
リュージュの原田窓香選手もご紹介。
女子一人乗りで13位だが、こちらは30人参加、6名がリタイアした中、
4本とも安定した滑りを見せての結果だけに、立派なもの。
長野日大−信州大在学中、という生粋の長野っ子である。
こんな微笑ましいサイトも。
http://jimuwww.shinshu-u.ac.jp/photo/2005/06p0202olympic/