「労働時間」の壁

以前から書こうと思っていた話題。


平成18年1月27日付で厚生労働省から、
「今後の労働時間制度に関する研究会報告書」が発表されている。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/01/h0127-1.html


この研究会は、法政大学の諏訪康雄教授を座長に、
荒木尚志教授、山川隆一教授など学識経験者で構成されているものだが、
今回出された報告書は、
今後の労働政策審議会における検討にも反映されるということで、
「労働時間制度」をめぐる新たな規律の構築に向けて、
大きな影響を与えるものであることは間違いない。


さて、今回の報告書においては、大きく異なる2つの方向性が示されている。


1つは、

「生活時間を確保しつつ仕事と生活を調和させて働くことを実現するための見直し」

具体的には、年休取得率の向上のための「時季指定を補充するための仕組み」*1や、
時間単位での取得などの弾力的な取得方法の導入、
時間外労働の抑制策(刑罰規定の強化も含む)、
曜日単位でのフレックスタイム制導入などの提言がなされている。


一方、もう一つの方向性としては、

「自律的に働き、かつ、労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしい労働者のための制度」

が挙げられている。

「労働者の中には、仕事を通じたより一層の自己実現や能力発揮を望む者であって、自律的に働き、かつ、労働時間の長短ではなく成果や能力などにより評価されることがふさわしいものが存在する。」
「これらの労働者については、企業における年俸制成果主義賃金の導入が進む中で、どの労働者本人が、労働時間に関する規制から外されることにより、より自由で弾力的に働くことができ、自らの能力をより発揮できると納得する場合に、安心してそのような選択ができる制度を作ることが、個々の労働者の更なる能力発揮を促進するとともに、日本の経済社会の発展にも資することになる。」

やや格調が高すぎる感もあるが、
自分はこの理念的前提自体にはおおいに共感する。


そして、その効果としての、
労基法上の労働時間及び休憩に関する規定の適用除外」こそが、
自分の求めるところであるから、
当然ながら、今後の法改正にこちらの方向性が色濃く反映されることを
望むものである。


だが、その先を読み進めていくと、
ことはそう簡単ではなさそうだ。


第二の方向性に基づく「新しい自律的な労働時間制度の要件」とは、
以下のようなものである。

①勤務態様要件
1)勤務遂行の手法や労働時間の配分について、使用者からの具体的な指示を受けず、かつ、自己の業務量について裁量があること。
2)労働時間の長短が直接的に賃金に反映されるものではなく、成果や能力に応じて賃金が決定されていること。

②本人要件
1)一定水準以上の額の年収が確保されていること
2)労働者本人が同意していること

③健康確保措置
実効性のある健康確保措置が講じられていること

④導入における労使の協議に基づく合意

個別に見ていくなら、
まず、①の要件はかなり厳しいといわざるを得ない。
①の2)は、当然新しい労働時間制度とセットで導入されてしかるべき
発想なので良いとしても、
①の1)で「具体的な指示を受けず」というのは言いすぎだろう。


いかに裁量の大きい職務を担当していたとしても、
趣味で仕事をしているわけではないのだから、
時には納期付きの「具体的指示」が降ってくることはある。


要は、具体的指示を受けて行う業務と、
自己の裁量で行う業務の比重の問題なのであって、
後者の比重が相当程度高いのであれば、
少々の「具体的指示」があったとしても「新しい制度」の適用を認めるべきであろう。


また、③については、
原則として労働者の自己責任の範疇で処理すべき問題だと思う。


「より自由で弾力的に働くことができ」る制度を導入する以上、
過度のパターナリズム的発想は排除すべきだろう*2


何より④が問題だ。


後述するように、「第二の方向性」において想定されている労働者は、
決して“多数派”ではない。
だが、「労使の協議」といったときに労働側を代表するのは、
常に“多数派”の意見を反映した者たちである。


導入の前提として「労使協議」などを導入するのは制度の自殺に等しい。
個別の労働者の合意さえあれば、足るというべきである*3


報告書の中では「対象者の具体的イメージ」として、

イ「企業における中堅の幹部候補者で管理監督者の手前に位置する者」
ロ「企業における研究開発部門のプロジェクトチームのリーダー」

といったものを挙げているが、
これまた発想が貧困だと思う。


そもそも「ロ」のような立場にある者であれば、
通常の企業では「管理監督者」として位置付けられているはずだから、
「新しい制度」を設ける実効性は乏しいといわざるを得ないし、
「イ」にしても「手前」にいるのだとすれば、
管理監督者」の定義を少し修正すれば足る話で、
「新しい制度」と銘打つほどの話ではなくなる*4


そうではないのだ。


管理監督者的なポジションになくても、自分で仕事を拾って、
戦略を立てて、分析・検討を行う、
(そしてそのためには弾力的な時間設計の下で働くことが望ましい)
類の労働者は確実に存在する*5


おそらく、本研究会は、
現行の企画業務型裁量労働制や、専門業務型裁量労働制の存在を念頭において、
上記のような“謙抑的な考え方”に留めたのだろうが、
現行の裁量労働制の導入要件や適用範囲の狭さを考えると*6
もう少し大胆な提言を打ち出してくれても良かったのではないかと思う*7


公益代表者同士の議論であっても、
具体策となるとこの程度に止まってしまうのだから、
「労働側代表者」が発言権を持っている審議会の場では、
当初の理念が大きく後退するのは間違いない*8


メディアの注目ももっぱら第一の方向性に偏っているようで*9
そうなると、日の目を見ないまま、
「第二の方向性」が消えてしまう可能性すらある。


自分は、どのようなスタンスで「仕事」あるいは、「会社」と付き合うかは、
人それぞれであって良いと考えている。


家庭を大事にしたい、自分の時間を大事にしたい、
というポリシーの持ち主でも、限られた時間の中の一瞬の切れ味で、
大きな仕事をやってのけることはある。


どちらも中途半端な「会社人間」として生きるよりは、
潔いスタンスだと思うし、会社にとっては有意義な人材たりえると思う*10


だから、「2つの方向性」を打ち出すこと自体は、
決して間違った考え方ではない。


だが、悲しい哉、「2つの方向性」のどちらを選ぶか、と聞かれたら、
「第一の方向性」を選ぶ人間が絶対的多数を占めるのが現状である。
「第二の方向性」を選ぶ労働者は、会社の中においては、
単なる“少数民族”に過ぎない。


したがって、「第二の方向性」を志向する労働者が、
“多数の声”を前提として動く「労働組合」の理解を得るのは極めて困難だし、
使用者側としても、人件費抑制につながる施策以外には興味がない、
というのが本音だから*11
交渉材料として「第二の方向性」をちらつかせることはあっても、
積極的にこれを推すことはないように思われる。


・・・以上のように、極めて悲観的に考えざるを得ない状況ではあるが、
ここであえて自分からも提言したい。

①「労働時間の弾力化」をより幅広い対象の労働者に広げること。そして、導入要件としては労働者個人の同意があれば足るシステムとし、労使協議等の集団的労使関係の枠組みは一切持ち込まないこと。」
②「仮に第二の方向性に基づく制度改正がなされないとしても、現在労基署が行っている“杓子定規的”規制の運用は改めること」

既に述べたように、「第二の方向性」に共感する労働者にとっては、
ここで集団的労使関係の枠組みが持ち込まれることで、
“足を引っ張られる”可能性の方がはるかに大きい。


意に沿わぬ“合意”を強制されたり、
環境変化に伴う条件変更を希望しても認められなかった労働者については、
個別の救済制度を整備することで、フォローすれば足りると考える。


労働審判制度」の導入が予定されている現在、
少なくとも個別の労働条件をめぐる問題に労働組合を関与させる意義は
消滅したというべきである*12


「労使間の交渉力格差」の問題はここで考慮すべき事項ではない。
会社と互角に渡り合うだけの意地と度胸と交渉力がなければ、
そもそも「第二の方向性」の適用を受けるに値しないだろう。


なお、本当は、労働者の「同意」という受身の発想ではなく、
労働者側からの「提起」により弾力的な労働時間の適用を受けることができるなら、
申し分ない制度になるのであるが、
現状の労働条件設定プロセスとの整合性が確保できない以上、
直ちに実現するのは難しいように思われる。


2点目については、
「会社に対する規制」をしているつもりが、
結果として、「労働者に対する規制」になっている、という現実を
しっかり受け止めることから始めていただければ、と思う。


会社としては、「規制」の存在を口実に、
総残業時間を減らすことで残業手当の支払を削減できるのなら、
願ったり叶ったりなのである。
そして、そのツケは、結果として、
報酬に反映されない“超高密度”な業務処理を余儀なくされ、
設備の整わない自宅で“風呂敷残業”をすることになる労働者に
回されることになる。
これは、第一、第二のいずれの方向性を志向する者にとっても、
不幸なことである。


・・・かなり肩に力が入ってしまったが、
自分が声を大にして言いたかったことは、以上に尽きる。


願わくば、今後の建設的な議論を・・・。

*1:「計画的付与制度」の拡充等が挙げられている。もっとも、この制度の問題点については、以前述べたとおり。http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060116/1137426237

*2:過度の規制を課すことで使用者側に係る負担が大きくなり、新制度の導入を躊躇わせるおそれが出てくる。また、働く側にとってもこれが一種の足かせになる可能性がある。2つ目の方向性で想定されているのは、「プロ」の労働者なのだ。連続試合出場を続ける金本知憲選手に向かって、シーズン中に「お前は働きすぎだから休め」という人は皆無だろう(大きなケガでもした場合は別だが)。こと一般従業者の話になると「過保護」になる前述のような考え方は、一般企業で働く者が「プロ」として評価されていないことの裏返しでもある。

*3:意に沿わぬ“同意”を迫られる労働者の救済方法については、後述するように、別途定めれば良い。

*4:そもそも、今の日本企業では、「幹部候補者」なるレッテル貼りが社員に対して公然と行われることは考えにくい。一定レベルの「管理監督者」になるまでは“均等待遇”を装いつつ、組織全体のモチベーションを上げていく、というのが世の大企業の手法であるということは、今も昔も変わりはない。

*5:むしろ、管理監督的な立場ではないスタッフ職的な色彩が濃いからこそ、自分の裁量で仕事をするニーズがあるというべきだろう。管理監督者は毎日会社にいてくれないと困るのだ(なぜなら、決裁のハンコがもらえないから(笑))。

*6:労使委員会の設置を要求する「企画業務型」や、対象となる労働者の範囲が狭きに失する「専門業務型」では十分にニーズを満たすことができないからこそ、「新しい考え方」を打ち出す必要が出てきているはずなのだが・・・。

*7:なお、委員会は米国の「ホワイトカラー・エグゼンプション」制度の導入に消極な理由として、そもそもの労働時間に対する考え方が異なることに加え、「我が国と比べた場合、転職が容易であることにより、過剰な長時間労働を強いられることを自ら防ぐことができる状況にあるという点が我が国と大きく異なる」ということを挙げているが、こと「第二の方向性」の適用が望まれる専門的職種に関して言えば、日本においても人材流動性は相当高まっているように思われる。このあたり、より実態に踏み込んだ分析が必要なのではないか、と思う。

*8:既に労働弁護団サイドからは、労働時間規制の弾力化の方向性に対して、明確な反対の意思表示が示されている。http://homepage1.nifty.com/rouben/teigen06/gen060126.htm

*9:先日のエントリーで取り上げた日経新聞の論調もそうであった。

*10:自分は「仕事人間」ではありたいと思うが、「会社人間」には決してなりたくない、と思っている。類義語のように使われている二つの言葉だが、「仕事人間」が仕事で最大限の結果を出すためには、時に「会社の和」を壊さなくてはいけないこともある。「会社の和」を保つために、目先の仕事も犠牲にしてしまう「会社人間」との間には、深く埋めがたい溝がある。

*11:特に、発想の根底に“労働者性悪説”を有している人事族に対して、「裁量的労働」を推奨するような大胆な改革を求めるのは無駄というものだろう。

*12:少なくとも「自律的な」労働を志向する労働者にとっては。

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