「著作権」という名の病

先月出された『文化審議会著作権分科会報告書』。
資料もあわせると282ページにわたる超大作となる。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/toushin/06012705.htm


その中には、いろいろと興味深い内容の報告も盛り込まれており、
特に、法制問題小委員会の契約・利用WG*1では、

著作権法と契約法の関係について(いわゆるオーバーライド問題)
著作権法63条2項の解釈(許諾に係る利用方法及び条件の性質)
著作権の譲渡契約の書面化について
著作権法61条1項の解釈(一部譲渡における権利の細分化の限界)
著作権法61条2項の存置の必要性について
⑥未知の利用方法に係る契約について

といった、実務と密接に関連するホットトピックについて、
実務上の問題点を要領よくまとめつつ、
立法過程の調査や外国法との比較検討も含めた、
充実した理論的検討がなされている*2


著作権をめぐる“契約理論”の検討がここまで充実しているのは、
おそらく、メンバーに入られている民法の森田宏樹教授や
若手研究者の方々のご尽力によるところが大きいのではないかと思われるが、
今回論じられたテーマの一部については、引き続き検討がなされていくようであり、
今回の成果が良い意味で“発展”していくことを願っている。


また、司法救済WG*3でも、
間接侵害に対する差止請求*4の問題について、
判例の研究、主要国法制との比較、特許法の間接侵害規定との対比、
といった検討がなされている。


こちらの方は、「検討期間が対象事項の複雑困難性に比すと非常に短い」*5という
事情ゆえか、いまだ全体の概観といったレベルに止められているが、
今後、より充実した検討がなされていくと思われる。





・・・と、とりあえずWGの成果に対する敬意を表したところで、
本日の本題。


今回の報告書において法制問題小委員会から出されている報告内容は、
大きく分けて、

①権利制限の見直しについて
私的録音録画補償金の見直しについて

の2つである。


このうち、②については、
「ハードディスク内蔵型録音機器の追加指定」を見送り、
私的録音録画補償金制度そのものの抜本的見直しを提言した、
という報告内容がメディア等でもかなり報道されたし、
ブログ上でいろいろと議論を展開されている方も多いようなので、
ここであえて言及することはしないが、
いろいろと問題が指摘されていた補償金制度そのものの“見直し”が
俎上に上がったこと自体に大きな意味があると思われるので、
その点については率直に評価したい*6


だが、問題は①である。


「権利制限の見直しについて」というテーマについて、
小委員会が報告書で述べている内容は概ね常識的な内容だと思われるし、
その観点からは、さほどの不満があるわけではない。


しかし、そもそも、ここで論じられているテーマを見たとき、
「審議会という場を使ってまでわざわざ論じられるべきことなのか」
という重大な疑念が湧きあがる。


例えば、最初に挙げられている「特許審査手続に係る権利制限について」
というテーマ。


特許審査手続において非特許文献を複製することができるように
権利制限規定を拡張してほしい、
という要望から出されたテーマだと思われるが、
これが当然認められるべき、ということは火を見るより明らかだろう。


例えば、
特許庁への先行技術文献(非特許文献)の提出による情報提供」のために
複製を行うことを認めるべきか否か、ということが
ここで議論されているのだが、
情報提供のために非特許文献が複製されたとして、
誰が“損害”を被るというのか。


もし、著作権者が損害を被るとしたら、
それは情報提供の対象となった特許が、
まさに著作権者の出願にかかるものだった場合くらいだろう。


恥ずかしながら、
自分の会社でもいい加減な特許管理をやっていた時代があって、
審査の過程で「公知文献」として自社の「技報」を提出されたことがある*7


当然ながら、決して気持ちの良い話ではなく、
社内でドタバタした挙句、
「いっそのこと著作権侵害で訴えてやりましょうか(笑)」という
話が出たりもしたものの、
「バカなこというもんじゃない(笑)」とその場で一笑に付されて終わった、
というのが朧ろげながら記憶に残っている。


確かに条文上、「特許庁の審査手続」における複製が
権利制限にかかる、という規定は設けられていないが、
「行政庁の行う審判その他裁判に準ずる手続」(40条1項)に含める、
という解釈も取りえたのではないかと思うし、
特許庁が“勇気をもって”複製物を送付する運用を行うようにすれば、
それで十分に対応可能だったのではないかと思われる。


少なくとも、個別のテーマとして審議会で議論する話ではない*8


この点については、大渕教授なども心得ておられるようで、
法42条に「行政手続のために必要と認められる場合」という一般条項を加える、
という、“不毛な議論”を一掃するための提案をなさっている*9


続いて挙がっている「薬事行政に係る権利制限について」も同じことがいえる。


薬事法上の承認手続きに用いるために研究論文を複写することで、
“損害”を被るものがいるとしたら、それはライバルの製薬会社くらいだろう*10


その他、報告書の中では、
図書館関係の権利制限や、障害者福祉関係の権利制限、
学校教育関係の権利制限など、
社会の一般常識に照らし、当然に権利行使を制限すべきものについて、
個別に検討がなされたことが報告されている。


自分はこの小委員会のこれらのテーマに関する議事のプロセスを
しっかりフォローしているわけではないし、
実際には、上記のような検討は、
法改正に伴う「形式的な」作業に過ぎなかったのかもしれない。


だが、当たり前のこと*11をするのに、
いちいち煩雑な手続を踏まねばいけない、というのは、
極めて不健全なことだし、「審議会」というリソースの無駄遣いでもある。


文化審議会著作権分科会法制問題小委員会(第4回)議事録」の中に、
添付資料として、各委員からの提出意見が上がっている。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/013/05053001/001_3.htm


これを見ると、委員の先生方の中にも、
このような状況を苦々しく思っていた方が、少なからずいたということが
良く分かる。


特に、主査である中山信弘教授の「意見」は手厳しい。
以下、自由記載欄の記述から一部抜粋する。

著作権を天賦人権のように考え、絶対的なものと考える向きが一部にはあるが、著作権制度といえども、所詮は他の制度と同様、社会の中の一制度であり、他の社会的要請との調和を図る必要がある。著作権に限らず、知的財産権一般に言えることであるが、新しく人工的に構築された権利であり、社会における他の理念、制度等との調和の上に成り立っているという点を忘れてはならない。世界的に反著作権の思潮・運動が台頭しつつある現状を鑑みると、著作権者が著しい損害を被るような場合(ベルヌ条約の言葉を借りれば、正当な利益を不当に害する場合)は別として、社会的必要性に応じて権利を制限されることは、著作権法がこれからも社会的認知を受けてゆくためには必要なことである。社会的必要性は、時代によって変わりうる。例えば、身体障害者に対する社会の見方は、相当大きな変化をしており、著作権法においてもこれらの社会の変化に敏感でなければならない。」
「身体的弱者が健常者に近いレベルで享受できるようにすることは、現在社会の最低限の義務であり、かりそめにも著作権法がその妨害となるようなことはすべきではない。一昨年の拡大教科書のように、弱者保護は徐々に改正されつつあるが、様々な機器の発展等に応じた措置を速やかに講ずるべきである。審議会に参加している健常者には理解できないかも知れないが、身体的弱者が健常者に近いレベルで文化を享受できるということは、著作権者が被る微々たる金銭的損害に比して、比べものにならないほど大きいものである。」
「金銭的にみれば、現在問題となっている特許・医薬関係による権利者の受ける損害は極めて微々たるものであり、仮にそこまで権利が及ぶとしても精神的な満足という意味しかない。権利者のために真に考えなければならないことは、弱者、国民の健康、特許制度の維持等のために若干の複製を禁止することではなく、インターネットを通じた侵害を如何にして防ぐか、といったデジタル時代の大きな問題である。現在、著作権法は大きな脅威にさらされているが、権利制限を拡大しないことにより、結果的に弱者が健常者に近い生活を送ることを妨げているようなことがあるとすれば、国民の反著作権思想に火を付けるだけであり、真の著作権保護のための改正や施策すら危うくする可能性がある。」(以上、太字筆者)


中山教授のご指摘は、
著作「権」という言葉に踊らされている現代の“病理”を的確に見抜き、
それを激しく指弾するもの、ということができるだろう*12


今後の審議会での議論に憲法学者を加えろ*13
というのは極論にしても、
上記のような問題意識は、権利者側、ユーザー側といった個々の立場にかかわらず、
各委員の方々に共有していただきたいものだと思う。


エンドユーザーである一般市民はもちろんのこと、
多くの企業も、コンテンツホルダーであると同時に、
ユーザーとしての地位を併せ持っている。


一部の“権利者”のみが「権利」を振りかざし、
それにおもねるかのような小手先の法改正が繰り返される状況が、
健全な状況だとは、とても思えないのである。


以上、2日続けて暑苦しいエントリーであったが、これにて終了。

*1:座長・土肥一史教授

*2:問題提起は随所でなされながらも、これまで十分に整理されていなかった問題について、しっかりと議論が整理されたことの意味は大きいように思う。特に、61条2項の問題などは個人的にも気になっていたテーマなので、項を改めて後日取り上げることにしたい。

*3:座長・大渕哲也教授

*4:報告書の中では、あえて「間接侵害」という言葉を用いず「物理的な利用行為の主体以外の者に対しても差止請求を肯定すべきかどうか」という問題の立て方をしている。

*5:報告書152頁

*6:もっとも、かつてのエントリーでも述べたように、「私的録音録画補償金制度」に関する議論には、「課金するという思想の是非」という“哲学的”な意義はあっても、実際的な意義はさほどないように思われる。現在の補償金の料率を前提とする限りは、いかに機器に補償金が上乗せされたとしても、一般消費者にとっては「量販店のバーゲンセールでチャラにできる」程度のものでしかないからだ。僅かな課金が、権利者たちにとっての気休めになるのだとすればお安いものではないか・・・。

*7:発明者自身も執筆者として名を連ねていた論文だったので、普通にやれば新規性喪失例外規定の適用を受けることができたのだろうが、当時の出願担当者はそこまで思いが至らなかったらしい・・・。

*8:委員の中には、「補償金制度の導入について検討すべき」とか、「企業が現行どおり自己責任で対応すべき」などという意見を出されている方もいるようだが、理解に苦しむ。

*9:後述する法制問題小委員会第4回議事録・資料参照、この提案は本報告書の「検討結果」の中にも盛り込まれている。

*10:このテーマの中で挙がっている「医薬品等の適正使用に必要な情報を提供するために、関連する研究論文等を複写し、医療関係者に頒布すること」の是非については、確かに議論の余地はあると思うが、少なくとも薬事法上の手続については、複製の是非を議論する必要性は乏しいというべきだろう。

*11:上記に挙げたものに加え、「図書館等において、調査研究の目的でインターネット上の情報をプリントアウトすること」や「図書館における官公庁作成資料等の全部分の複写による提供」など。また「デジタル機器の保守・修理時における一時的固定」に関する議論についても同じことが言える(本報告書64頁以降)。

*12:これまで我が国の知的財産法学界をリードしてこられた師の愛情を込めた叱咤というべきかもしれない。

*13:もっとも、憲法学者といっても、いろんな方がいらっしゃるのではあるが・・・。

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