2001年の日航機ニアミス事件をめぐり、
業務上過失傷害罪に問われた管制官2人に対し、
東京地裁(安井久治裁判長)が無罪判決を出したというニュース*1。
「安井久治裁判長は、「誤った支持が不適切だったのは明らかだが、事故の予見可能性はなく、指示ミスと事故との因果関係もなかった」として、いずれも無罪を言い渡した。」
判決文を読んだわけではないので、
記事に書かれている内容から憶測するほかはないのだが、
裁判所は、
「航空管制システムや制度の不備が事故につながった」
という見方を色濃く示していたようであり、
それゆえ「個人の刑事責任は問えない」という結論を導いたのであろう。
この結論に対する評価は賛否が分かれるところだと思う。
訴追側の思いを代弁するかのような
白鴎大法科大学院の土本武司教授のコメントが、
紙面に掲載されている。
「航空法上、機長は管制官の指示に従う強い義務を負っており、事故の根本原因を作ったのが便名取り違えである以上、管制官の過失責任は認めるべきだ。負傷者を出した事故に誰も責任を負わないという結論で国民は納得するだろうか。判決が個人の責任追及に疑問を投げ掛けている点は示唆に富むが、具体的事件の刑事過失責任を問うことは別次元の問題だ。」(日経新聞・前掲)
実際、事故によって身体を損傷し、
場合によっては命まで失うケースもある、という実態を鑑みれば、
「誰も責任を負わない」という結論に、
“正当なる違和感”を感じる立場の人々がいるのは確かで*2、
上記のようなコメントは傾聴に値するものではあると思う。
だが、この種の事故において、
直接かかわった担当者「個人」に「業務上過失○○罪」の罪責を
負わせることについて、
自分はかねてから多大なる疑問を感じている。
「自分はいかなる状況下においてもミスは犯さない」
と言い切れる人間が世の中にどれだけいるだろうか。
人命を左右する責任のある業務を担当している者が、
高度の予見義務なり、結果回避義務を負うのは当然のこととしても、
彼・彼女らとて同じ人間であることに変わりはない。
人間を全て機械に置き換えない限り、
“ヒューマン・エラー”をゼロにすることはできないし、
それゆえ、刑罰による「抑止効果」には、自ずから限界がある。
また、本件でも指摘されているように、
そもそもシステムに問題があったような場合、
担当者が人間である限り当然に避けられない「ミス」が、
重大な結果をもたらすことにもなりかねない。
その場合に、生じた結果の責任を担当者個人に負わせたところで、
問題は何も解決しないし、
そもそも被害者の処罰感情を満たすかさえあやしい*3
効果の少ない刑罰を課したとしても、社会的に得られるものは少ない。
その一方で「刑罰」を課されたものが負うダメージは
果てしなく大きいのである。
ゆえに、上記のような刑罰の弊害を鑑みれば、
単純過失の事例においては、極力個人に刑事責任を負わせることは
避けるべきであるように思われる*4。
だが、「生じた結果の大きさ」にばかり目が向けられ、
「過失」の度合いには、さほど関心が払われない、というのが世の現実。
何か事故が起きれば、すぐ「犯人探し」に走り、
「魔女狩り」のようなバッシングを始めるメディア各社のふるまいについて
ここで論じても大して意味はないし、
メディアは次のネタを見つければ、
すぐに“昔の騒ぎ”は忘れてしまうから、
被害者たる“加害者”は、暫しの間我慢すれば良い*5。
しかし、そのような時流に乗っかって、
「刑事制裁」まで課すとなると話は別である。
今回のように無罪判決が言い渡されればまだ良いが、
それでも、公訴提起からは、既に5年が経過している。
この間、「被告人」の汚名を着せられた担当者のみならず、
事件当事者が失ったものは決して少なくないはずだ。
検察が、世間向けのパフォーマンスとして、
軽々しく公訴提起するとは思わない。
訴追側の担当者は、おそらくは純粋な正義感に動かされていたのだろう。
だが、こと「過失犯」に関しては、
世の中の応報感情や被害者感情といったものだけで
片付けられない複雑な問題が潜んでいるのであって*6、
担当者個人に「刑事責任」を追及するにあたっては、
より慎重な配慮が求められるのではないか、と思うのである。
なお、このような「事故」における刑事責任追及の問題点について、
「事故原因の究明を阻害しないか?」という視点から書かれた
川出教授の論文がジュリストに掲載されている*7。
川出教授ご自身は、「刑事責任の限定」という発想に対し、
いくつかの問題点を挙げて、消極的な姿勢を示されているが*8、
同時に、刑事責任の追及を個人ではなく「法人」に対して及ぼすべき、
といった方向性の提示もなされており*9、
示唆に富む論稿であるように感じられる。
*2:それを「国民」全体に一般化するような論調には首を傾げざるを得ないが
*3:飛行機事故や列車事故、医療事故で亡くなった方の遺族が常識的な感性の持ち主である限り、「会社」や「病院」に責任をとってもらいたいと望むことはあっても、機器操作を誤った一操縦士や運転士、医療技師、看護士個人に責任をとらせようと思うことはないといって良い。筆者自身、業務中の交通事故(某バス会社)、医療事故で身近な人間を亡くしているだけに、そのような遺族・関係者の心境は一応は理解しているつもりである。
*4:未必の故意すら疑われるような重過失事例であれば、当然ながら、個人責任をも是とすべきだろうが・・・。
*5:本当にそれで済むのかどうか、いろいろ考えるべきことは多いが、法的に「被告人」としての地位に置かれるダメージに比べればまだまし、ということはできるのではないかと思う。
*6:しかも、世の「応報感情」の多くは、メディアに“煽られた”感情に過ぎない。
*7:川出敏裕「刑事手続と事故調査」ジュリスト1307号10頁(2006年)
*8:川出・前掲12頁。
*9:川出・前掲13頁。