卒業。

卒業式。
自分には不釣合いな華やいだ空気の中で、ずっと肩身が狭く、居心地の悪さを感じ続けていた。
おめでとうという言葉がこんなにも心を傷つける言葉だったことを、
今日、初めて自分は知った。
聞くたびに胸が痛んだ。


今年はカレンダーの関係か
卒業行事の日程が繰り上がっているようで、
国立大学の多くは、
大学院の学位授与式が23日、学部の卒業式が24日、
という日程になっているようである。


「学生だから〜」という通用する期間は、
長ければ長いにこしたことはないと思うのであって(笑)、
たとえ1日、2日でも、その身分を剥奪されてしまう日が早まる、
というのは、非常に気の毒なことだと思うのだが、
希望を抱いて、新しい世界に飛び出ようとしている人々にとっては、
それも些細なことに過ぎないのかもしれない・・・。



自分にとって、
「卒業」という言葉には苦い思い出しかない。


一生忘れられない記憶。


学部の卒業式があった日は、
自分の人生にとって最悪の日だった。


会社に入ってから10年近く、
その間、不快な思いは何度となく味合わされたが、
あの日に比べれば数段マシだと思えるほど、酷い日だった。


朝、居心地の悪い実家を早々に飛び出して、
電車を乗り継いでキャンパスの最寄りの駅まで着いたものの、
いつもと違う華やいだ雰囲気が、自分の足を止めさせた。


駅前の初代ドトールで少しの間時間を潰すつもりが、
そこからピタリと動けないまま、
気がつけば、一箱、二箱と、
煙の抜けた殻だけが積みあがっていった。


あまりの空気の悪さに耐えかねて外に出、
通りを歩いていたら、
大講堂での式典を終えた高校時代の同級生にばったり出会う。


同じ学部、学科にもかかわらず、
教室では一度も顔を合わせることのなかった彼の
4月からの行き先は、
自分がかつて目指していた場所で、
それゆえ、久しぶりの会話はぎこちなく、
相手の愛想笑いだけがヤケに目に付いて仕方なかった。


その間得ることのできた唯一の有益な情報は、
午後からの卒業証書の授与式に出席しないと、
翌日以降に再度登校しないといけなくなる、
という話題で、
わざわざ無愛想な教務課の職員に頭を下げるために
学校まで足を運ぶくらいなら・・・、と、
気乗りはせねど、午後からの授与式の会場に足を運ぶ。


会場で、何人かの顔見知りに会ったが、
一部の者は意図的に黙殺したし、
一部の者に対しては、気のない返事を返しただけだった。


ま、そこまでしなくても、
一世一代の煌びやかな日に、
殺気すら醸し出していたであろうあの時の自分に
長々と話しかけようとする勇気のある人間は、
そうそういなかったはずだ。


名前を呼ばれるまでの間、
自分のヨレヨレのスーツが気になった*1
でも、いつしかそれ以上に、
周りで飛び交い続ける「おめでとう」の声が、
自分をいっそう陰鬱にさせた。


そしてついに、人一倍社交的な知人が振りまいた
「おめでとう」の言葉が、
流れ弾のように自分にも向けられてきた瞬間、
一刻も早くその場から逃げ出したい思いに駆られていた・・・。


後にも先にも、あれほど惨めな思いを味わったことはない。


たとえて言えば、菅原文太の前で
吾郎父と一緒に頭を下げる純くんの気持ち・・・(苦笑)*2



今になってみると、
何で、自分があそこまで追い込まれていたのか、
首をかしげたくなるのも事実である。


4月からの行き先は決まっていた。
十円玉一枚と格闘する生活にも別れを告げられるのは確かだった。
あの時点では、前の夏に抱いた夢にそんなに固執していたわけでもない。
少なくとも、卒業が決まった時点で、
気持ちの整理はつけていたはずだった。


・・・・だが、
あの時、自分の中にあったのは
どうにもこうにも説明できない「後悔」だけで、
しばらくは、あの時の悔しさが消えることはなかった。
(否、残念ながら、今でも完全には消えていない・・)




あれから長い月日が流れ、
今やキャンパスの世代は一回り、二回りしようとしているのではあるが、
いくら時代が流れても、
様々な思いで卒業という日を迎える人たちがいる、ということに、
変わりはないのだろうと思う。


自分が目指した目標に向かってまっすぐに進んでいける者もいれば、
遠回りではあるが、
着実に目標に向かって進むことのできる道を選んだ者もいるだろう。


だが、何百人といる卒業生の中で、
そんな幸せな環境に身を置ける人間がどれほどいるのだろうか?


目標へのパスポートを自分の手で掴んだ人々には、
当然ながら称賛を受けるべき資格があるが、
自分はむしろ、パスポートを掴み損ねた人々に共感する・・・。




ちなみに、冒頭のセリフは、
199×年3月27日、卒業式当日の自分自身の当時の日記からの引用。
寒々しいくらいのナルシストぶり。
はっきり言ってアホかと・・・(笑)。


だが、それが、
あの時の自分の偽らざる“感想”だったのは間違いない。


あの感情が、
貴重な4年間を不完全燃焼のまま終えてしまった
自分への苛立ちから出たものだったのか、
輝かしい成功が約束され(ているように見え)た人々への
単なる妬み、やっかみから来たものだったのか、
自分の中では、いまだに消化できてはいない。


ただ、胸を張って学校を去ることのできなかった人間でも、
世の中で胸を張って生きていくことはできる、
それだけはいつか証明したい、と思っている。


たぶん、その時になって初めて、
自分の中で、あの時の「後悔」を消化することができるのだろう。


そして同時に、頑なだった自分を恥じる気持ちを
味わうこともできるのだろう・・・・。




さて、・・・そろそろ寝ないと、朝になってしまいそうだ(笑)。
当然ながら、明日(というか既に今日)も仕事である。

*1:当時、自分が持っていたスーツは僅か二着で、そのうち一着は前の夏の太陽にやられてボロボロ、もう一着はヨレヨレ。でも、それを着ていくしかなかった貧しさゆえの悲しさ・・・。

*2:ちょうど、卒業式の日の夜に「北の国から1992」が放映されていたのを、今でも良く覚えている。

google-site-verification: google1520a0cd8d7ac6e8.html