「厳罰化」への疑問符

今日の日経法務面に、
「経済犯罪厳罰化」の流れの中で、その実効性を疑問視する声があることを
指摘するコラムが掲載されている*1


特許法、商標法の懲役刑引き上げのニュースも含め、
これまで、「厳罰化」の潮流を“前向きに”伝えてきた日経本紙が、
このような“懸念”の声を伝える、というのは極めて興味深いことであるが、
そこで伝えられている危惧とは、概ね次のようなもの。

「罰則を重くして本当に違反者が減るのか、十分に検証されていない。刑罰に依存し過ぎるのは問題」
「現行の刑罰が足りないならまだしも、懲役5年の判決が出る例も少ないのに、さらに刑罰を重くする意味があるのか。まして10年間も懲役判決が出ていない特許法まで改正する必要があるのか」
(日本弁護士連合会・刑事法制委員長の神洋明弁護士のコメント)

同弁護士によると、過去10年間で知財関連の刑事事件で懲役判決を受けた者は、
商標法違反では約700名いるが、
特許法ではゼロ、意匠法も数人にとどまる」のだそうである。


少々のことでは動いてくれない警察組織の無気力ぶりを
いつも目の当たりにしている自分にして見れば、
商標の「約700人」などという数字には、「そんなにいたのか!」という
驚愕さえ覚えるのであるが、
おそらくその多くは、「偽ブランド品販売」絡みの数字だろうから、
やはり通常の企業活動を行っていく上では無縁の話、というほかない。


「刑罰の抑止力」がいかほどのものか*2、という問題は、
論じるにはあまりに難しすぎるので、ここでの言及は避けたい。


ただ、以前のエントリーの中でも触れたように、
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20060228/1141099659
刑事罰の強化には、理論上も運用上も疑義が残るのは確かで、
この点については、自分自身、大いに疑問を感じているところである。


知財実務の現場にいる人々の中には、
「懲役刑の引き上げ」といわれてもピンと来ない、という人が多い。


なぜなら、多くの知財法務にかかわる人間にとって、
知的財産権」は、「権利」というよりは
むしろ競争を勝ち抜くための「ツール」に過ぎず(特に特許や商標の場合)、
それらは、あくまで企業の戦略の幅を広げるための道具、
そして、民事上の争いを自己に有利に解決するための道具に過ぎないからである。


もちろん、ヤミで暗躍する海賊版業者などに対しては、
刑事罰による制裁を課す方が効果的なのは確かであるが、
彼らは、市場をかき乱す不埒者ではあっても、
決してまっとうな競争者として市場に登場することはない者どもなのであって、
彼らは、知財法務にかかわる人間が常日頃相手にしているアクターとは、
本質的に次元が異なる世界にいる。


ゆえに、「モグラ」との戦いが避けられない一部の業界の関係者を除けば、
いかに刑事罰が強化されたからといって、
本業たる「知財紛争」そのものが減る、という効果は期待できない*3


その意味で、多くの実務者にとっては、
懲役刑の最高刑が10年になろうと、20年になろうと大した問題ではない、
というのが本音であろう。


だが、自分は、
「侵害」にあたると判断されれば、民事上の制裁も刑事上の制裁も課されうる、
という知財諸法の構造に、若干の「怖さ」を感じている。


もちろん、過失による侵害であれば刑事罰は課されない、とか、
そもそも民事と刑事とでは「侵害」判断の基準が異なる、といったような、
これまでの良識ある法解釈に基づく限り、
上記のような条文構造に基づく問題は生じないはずなのだが、
世の中、そのような“良識”を踏まえた権利者ばかりではないし(笑)、
コンプライアンスが叫ばれる中で、
刑事罰の威嚇効果が過度の萎縮効果を呼び込む可能性も否定できない。


本来、企業間の競争においては、
複数の企業が同じ方向に向かって開発なり営業戦略を進めていく、というのが
通常想定される姿なのだから、
それに伴って一定の「知財紛争」が生じるのは、むしろ健全なことといえ*4
“特許”や“商標”といった曖昧な道具を
巧く使いこなした者に一定の優越的な地位を与える、という制度設計は、
“道具”がもたらす効果が民事上のそれに止まっている限りにおいては、
合理的なものとして機能することになるように思われる。


しかし、そんな“道具”が“刑事罰”という“バズーカ砲”に
変わったとしたらどうだろう。


特許法違反事件が新聞の一面を賑わせ、
東京地検特捜部が隊列を組んで家宅捜索に乗り込むシーンがテレビ放映されて、
市場に「○○ショック」の激震が走る時代がすぐにやってくるとは思わないが、
司法当局の運用次第では、これまでの“道具”が、
一発で企業間競争に決着を付ける“武器”に変容することもありうる。


そのことを是とするか否とするかは立場によりけりだろうが、
企業間競争のツールとして用いるには、
“バズーカ砲”があまりに危険な道具である、ということは
誰しも否定できないはずだ。


モグラ叩きのために導入したはずの武器でも、
それが企業間競争の場面に持ち込まれない保証はない。
そして、知財諸法の条文は、
それをシャットアウトできるほど巧妙には作られていない。


「侵害罪」の成立に必要な「故意」の内実がどのようなものなのか
十分に検討もなされないまま、“刑事罰強化”という看板を掲げることが
果たして妥当なのか*5
もう少し冷静になって考えた方が良いのではないかと思う。


ちなみに、冒頭で紹介したコラムにおける“危惧”。
結論的には賛成するし、
おそらくコメントされた先生も十分に問題意識を持たれた上で
発言されたのだと思うが、
掲載されたコメントの字面だけを読むと(特に2つ目の“発言”)、
あたかも「エンフォースメントが強化されるなら改正の意味はある」という
読み方もできてしまうだけに、
こういった論調が、捜査当局に間違ったモチベーションを与えやしないか、と、
内心冷や冷やしている(笑)。


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*1:平成18年3月27日付日経新聞朝刊第19面。法務報道部・高田成四記者。

*2:かつ、その「抑止力」が何に対して働くものなのか、「犯罪を犯さないこと」に対する抑止力なのか、それとも「公然と禁止行為を行わない」ということへの抑止力なのか・・・。

*3:・・・というか、それでメシを食っている以上、減ることを期待すべきでもないのかもしれない(笑)。

*4:少なくとも開発の方向が間違っていないことの証明にはなる(笑)。誰からも「かすられもしない」特許というのは、得てしてクズ特許以外の何物でもなかったりする。

*5:田村教授の概説書などでは一応の解説がなされているが(田村善之『商標法概説〔第2版〕』(有斐閣、2000年)374-375頁など)、一般的には、上記のような問題が論じられている文献を余り見たことがないし、従来、「誰が見ても罰すべき」悪質な事案しか対象としてこなかったこれまでの運用下での裁判例が、今後「微妙なケース」についても刑事処罰の俎上に上がるようになってきたときに、どれほど参考になるかは疑問である(Winny事件を見るまでもなく・・・)。

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