著作権への逆風?

知財高判平成18年3月15日(H17(ネ)第10095号損害賠償等請求控訴事件ほか)
いわゆる「法律書著作権侵害事件」である。


この事件については既に大塚先生のブログに
コメントが掲載されているが、
http://ootsuka.livedoor.biz/archives/50398290.html#trackback参照)

そこでも解説されているとおり、
第一審(東京地判平成17年5月17日)で辛うじて認定された
被告の「著作権侵害」が完全に否定された、という点で
控訴人(原告)としては、“痛い”判決になったのではないかと思われる。


ここで争われている「著作物」は

「債権回収、署名・捺印、手形・小切手に関する法律問題について、法律の専門家ではない一般人向けに解説した文献」


である。


自分自身、新米の法務担当者の頃には、
この手の本に非常にお世話になった記憶があるので、
あまり言いたくはないのだが、
一言で言ってしまえば、誰が書いても似たような内容になるタイプの
著作物であるのは間違いない。


基本となる法律の条文の解説、そして手続の説明といった中身について
高度の「創作性」を発揮しているような書物は、
実務解説書としては使いものにならない。


もちろん、控訴人側が主張するように、

「法律的知識に乏しい一般人を対象として、よく遭遇する場面や注意すべき場面を念頭に置きつつ、叙述する事柄を選択し、容易に読み進めることができるように配列、構成に工夫をこらし、叙述の順序、用語の選択、言い回し、図表の使用など、多くの点で表現上の創意工夫をしている」

のは事実だろうし、
そこに同種の書籍間の優劣が生まれてくるわけだが、
そのような“差を付けるための工夫”に著作権法の保護に値するだけの
「創作性」を見て取ることができるか、といえば、また別の問題になる。


地裁判決まで遡って見ても、
原告書籍と被告書籍の対照表が掲載されていないので、
何ともいえない面はあるが、
「実務解説書」としての性質上、表現上の選択の幅が極めて狭いこと、
そして、近年の言語著作物に対する著作物性認定の厳格さ*1
等を鑑みれば、ある程度予想できた結果だったといえるのではないだろうか。


もっとも、知財高裁は本件において、

「単に読者層や著作の目的・性格が同一であるというだけでは説明し難いほどに構成、文章等が酷似しており、執筆者が異なれば通常は多少の相違が生じるのが自然であると思われる部分についても共通することが認められる」(7頁)

と、本件の被告書籍が、
デッドコピーといっても良いほど
原告書籍に強く依拠して制作されたものであることを認定した上で、
次のような規範の下で一般不法行為に基づく損害賠償請求を認めた。

「一般人向けの解説を執筆するに当たっては、表現等に格別な創意工夫を凝らしてするのでない限り、平易化・単純化等の工夫を図るほど、その成果物として得られる表現は平凡なものとなってしまい、著作権法によって保護される個性的な表現からは遠ざかってしまう弊を招くことは避け難いものであり、控訴人各文献の場合も表現等に格別な創意工夫がされたものとは認められない。」
「もっとも、控訴人各文献を構成する個々の表現が著作権法の保護を受けられないとしても、故意又は過失により控訴人各文献に極めて類似した文献は執筆・発行することにつき不法行為が一切成立しないとすることは妥当ではない。執筆者は自らの執筆にかかる文献の発行・頒布により経済的利益を受けるものであって同利益は法的保護に値するものである。そして、他人の文献に依拠して別の文献を執筆・発行する行為が、営利の目的によるものであり、記述自体の類似性や構成・項目立てから受ける全体的印象に照らしても、他人の執筆の成果物を不正に利用して利益を得たと評価される場合には、当該行為は公正な競争として社会的に許容される限度を超えるものとして不法行為を構成するというべきである。」(16頁)(太線筆者)

さて、このような知財高裁の判断をどうみるか。


この判決を書いた第4部(塚原朋一裁判長)と言えば、
「ヨミウリオンライン」の記事見出しをめぐる
読売新聞vsデジタルアライアンス社の事件の判決を出した合議体である。
(過去記事:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051015/1129473336など参照)


同じ著作権侵害否定→不法行為の成立肯定、のケースとはいえ、
デジタルアライアンス社のケースに比べれば、
今回の被控訴人(被告)側の行為の方が「悪質性」はより強いように思われるから、
デジタルアライアンス事件に比べれば、
今回の知財高裁の判決からあの時ほどの衝撃を受けることはない。


だが、知的財産権侵害否定→不法行為の成立肯定、という
第4部の(・・・というか塚原裁判長の?)一連の思考パターンは、
これまでこの手の争訟において
“絶対的な道具”として機能してきた“著作権”の
相対的な地位低下につながる可能性を秘めたものであるのは確かである。


類似創作物によって市場が“食われる”のを防ぐための争いは
これまでにも数多く行われてきたが、
そこでは、著作権侵害が成立するか否か、の判断が
事実上当事者間の勝敗を決してきた。


なぜなら、

著作権侵害行為や不正競争行為に該当しない行為については、当該行為が、ことさら相手方に損害を与えることを目的として行われたなどというような特段の事情が存在しない限り」

不法行為の成立を認めない*2、というのが、
東京地裁(特に飯村コート)の考え方として
近年の実務を支配していたからである。

被告が制作した“創作物”によって経済的利益が損なわれている、という実態があるだけでは、原告側に安々と花を持たせてはくれない。
それゆえ、一応、一般不法行為に基づく主張はするにしても、まずは著作権侵害(あるいは不競法違反)でクロの心証を得られるように、策をめぐらせなければならない。


という考えが、
これまで原告となる側の担当者なり代理人なりの頭の中にあったはずであり、
著作権侵害でクロにできないのなら、訴訟自体断念せざるを得ない、
という前提で動いていた当事者も多かったはずである。


本件でも、当初、原告は著作権侵害に基づく請求しかしていない*3


だが、一連の第4部判決で示されている一般不法行為の成立を肯定するための規範は、
「特段の事情」を求めるかつてのそれと比べると明らかに緩い*4


こうなると、原告側にとっても、
著作権侵害の主張にさほど固執することなく、
市場での被告の“悪行”の主張立証をしっかり行えば良いということになり、
争訟の現場における“著作権”の地位は相対的に低下していくことになる。


財産権侵害訴訟、というよりは、
不正競業訴訟としてのカラーが強く出がちなこの手の紛争の実態や、
紛争の柔軟な解決、という観点から考えるならば、
近年の東京地裁の“頑なな態度”の方がむしろ異常で、
一連の第4部の判決は正当なものとして評価されるべきものなのかもしれないが*5
知的財産諸法の“守備範囲”と一般不法行為の“守備範囲”の関係については、
一連の判決を踏まえたより深い検討が加えられてしかるべきなのではないか、と思う。


世の中では依然として“プロパテント”の旗が降られているのに、
裁判所の中では著作権に逆風が吹いているように見える、
という“怪奇現象”には違和感を感じるムキが多いだろうし、
反面、どこかで不法行為の成立に歯止めをかけないと、
「権利者」に際限なく広範な保護を与えることにもなりかねないからだ*6


ちなみに、本件判決には興味深い数字も現れている。


損害賠償額の算定にあたり、
原審では著作権侵害による財産上の損害がわずか1万9881円で、
慰謝料15万と弁護士費用10万円を足してようやく26万9881円に達したのに対し、
本判決では、逸失利益として24万2638円を認定しているのだ。


慰謝料ゼロ、弁護士費用2万円、合計26万2638円、と
結果的には原審との帳尻を合わせる形になっているが、
財産的損害に関して上記のような差異が生じた原因は、
著作権侵害」に基づく算定では「該当する箇所」のみの損害額認定だったのに対し、
「一般不法行為」に基づく算定においては、
「フリーライドされている創作物全体」を算定の基礎としたことにある。


考えようによっては、
微々たる著作権侵害を認定してもらうより、
創作物トータルで不法行為の成立を認めてもらった方が、
原告にとっては有利な結論になる、ということも、
理論上はありうるということになるのだろうか*7


以上、思考をめぐらせる素材としてはなかなか面白い判決であった。


ま、研修用資料だの調査資料だの、
と何かと法律文献を使うことの多い裁判所としては、
法律書籍の著作権など、認められないにこしたことはないだろうから、
これもある種のお手盛り判決といえなくもないのだが(笑)。*8


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*1:技術論文等について、原告側に厳しい判断が続いている。

*2:東京地判平成15年1月28日など。

*3:著作権侵害でも一般不法行為でも損害賠償請求が民法709条に基づいて行われることに変わりはないから、本件でも「平成17年12月22日付け控訴人準備書面」によって、「控訴人の請求が当初からこの両者を含むものであること」が「明確にされた」という形で整理されているが(15頁)、原審での主張を見る限り、原告側に当初から“一般不法行為で攻める”意図があったことを読み取ることは難しい。上記準備書面の日付から3ヶ月で判決が出されていることを鑑みると、被告側の反論の機会も事実上限定されていたように思われ、訴訟手続の観点から、このような方策が妥当だったのか、という点については議論の余地があるように思われる。

*4:先述したように、被告側のフリーライドの度合いが大きい本件では、従来の規範の下でも「特段の事情」が認められたようにも思われ、その意味で本件の結論にはさほどの違和感を感じないのであるが。

*5:筆者自身、デジタルアライアンス事件の結論には賛同しかねる部分もあるが、一般論としては、この方向性自体は間違ってはいないと思っている。

*6:著作権の外延を画定するのも十分難解な作業だが、これまで余り論じられてこなかった「成果物の不正な利用」という概念の外延を画定するのはより難しい作業になるように思われる。

*7:もっとも、本件では数字合わせ先にありき、といった感があるのは否めないが。

*8:研究論文の著作物性はさすがに否定できないだろうが、各種のコンメンタールや『要件事実マニュアル』といった類の書籍に著作物性が認められるのか、考えてみると面白いかもしれない。

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