議論の始まり

労働政策審議会厚労相の諮問機関)の労働条件分科会は11日、労使間で労働条件を決める際の基本ルールとなる「労働契約法」の制定と現行の労働時間制度の見直しに向けて、本格的な議論を始めた。企業の社員が自らの労働時間を自分の都合に合わせてほぼ自由に設定できる新制度などを検討する。労働組合側は労働時間制度の見直しに「働き過ぎをあおる」と反発しており、議論が難航する恐れもある。」(日経新聞2006年4月12日付朝刊第5面)

雇用多様化に向けた法整備の動きについては、
これまでにも何度か取り上げてきたが、
ようやく審議会での本格的な議論も始まるようである。


ま、これからの1年、2年で決着が付く話だとは思うが、
果たして、これが真に“働く者のための法改正”につながるのか、
まだ予断を許さない。


例えば、上記の記事の中にも、

「連合など労組側は「大量の仕事を押し付けられた場合、社員の労働時間の際限ない増加につながりかねない」として、徹底抗戦の構えを示している。」

などというくだりがあるが、
このような労働側の反論は、全く理にかなっていないものと言わざるを得ない。


労働時間制度の見直しを「残業代の圧縮」という短絡的な切り口からし
捉えない経営側にももちろん問題があるのだが、
労働時間制度の見直しが「労働強化」につながる、という労働側の発想も
それと同じくらい短絡的なものに過ぎない。


なぜなら、「大量の仕事」が存在する以上、
社員はその仕事に従事せざるを得ないし、
たとえ強制されなくても、それを成し遂げようとする意欲のある社員は
少なからず存在するのであって、
そういう人々にとっては、労働時間規制がかかっていようがいまいが、
「年中働かなければならない」状況に変わりはないからだ。


むしろ、下手に労働組合が存在して、
三六協定などで残業時間の上限を縛ったりするものだから、
上限を超えるレベルの労働分について「サービス残業」せざるを得なくなる
という実態を「労働側代表者」がどの程度把握しているというのか。
今の労働時間規制が真面目に仕事をしようとする労働者の首を絞めている、
という実態が、どの程度把握されているというのか。


どうせ働くなら、時間規制を緩めて、
少しでも仕事をやる上で動きやすい環境をつくろう、
という発想があっても良いのであって、
それゆえ、労働時間規制緩和策は十分に支持しうるものだと思っている。


何も、あらゆる労働者に対して規制緩和を適用しようという話ではない。
ここで出てきているのは、あくまでそれに同意した者に対して適用する、
という話に過ぎないのである。
それに対して、わざわざ反対するなど、
一体お前ら誰を代表しているのだ、といいたくもなる。


まぁ、労働側の代表を名乗って交渉のテーブルに付く方々というのは、
ほとんどが組合員のお金でメシを食っている専従さんたちで、
実際の「労働者」としては、まともに仕事をしてこなかった人たちが多いから、
上記のようなホワイトカラーの“本音”に思いが至らないとしても
無理はないのだが、
それでも、彼らの意見は「労働者」の代表的意見として、
世に登場してくることになるから余計に罪深いように思う。


なお、この件については、ジュリストの4月1日号でも特集が組まれている。
残念ながら、なかなか目を通せずにいるのだが、
近いうちにまとめてコメントしたいと思っている・・・。

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