[ひとり言] 「海陽学園」問題について思うこと。

4月が始まる頃に、各所で話題になっていた「海陽学園」。
(学校の正式名称は海陽中等教育学校http://www.kaiyo.ac.jp/))


なかなか言及する機会がなかったのだが、
昨日は「こどもの日」だったということもあるし、
落ち着いたところでコメントしてみることにしたい。


海陽学園」はそんなに特殊な学校なのか?

同学園に関しては、3月末のasahi.comの記事で
「外部から遮断された環境」や「格差の象徴」的な側面が強調されたことや、
「厳しすぎる校則」があちこちのブログで取り上げられたことなどが、
大きな波紋を呼び、
「社会のリーダーを養成する」という同校の大仰な教育方針とあいまって、
一部での激しいバッシングの対象となっていたことは記憶に新しい。


(参考)
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000240603300001
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000240603310002
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000240604030003
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000240604030004


華やかな入学式の様子がテレビで流される一方で、
海陽中学の初代校長である伊豆山健夫氏が日経新聞に寄稿した論文の中で、
あえて「海陽引きずり下ろしの意図的中傷があった」と
言及するなど*1、しばらくは錯綜する情報の中、
炎上の火種がくすぶり続けそうな雰囲気である。


だが、個人的には、この一連の騒動に関し、
自分はある種の失笑を禁じえない。


全国の公立学校を同様の思想で再編する、という話ならともかく、
蒲郡の一私立学校が一風変わった方針を打ち出した程度のことで、
何をそんなに騒いでいるのか、というのが率直な感想である。


「リーダー養成」といったキーワードが前面に出てくるゆえに、
過敏に反応するむきが多いのかもしれないが、
今年海陽学園に入った中学生たちが、
将来的に「リーダー」になれる保証などどこにもないし、
そういう道が前もって整備されているわけでもない。


伝統ある学校なら、同様の理念は多かれ少なかれ掲げているのであって、
今回はたまたま奥田氏、葛西氏といった「有名人」が派手に宣伝したがために、
耳目を集めてはいるものの、
同様の理念を唱える他の学校の生徒たちが、
みな「リーダー」だの「エリート」然としているわけではないのと同様に、
“理念”はあくまで理念に過ぎないのであって、
何年か経てば、結局は収まるところに収まる、
というのは今から容易に予想できることである。


6年間の全寮制、外部との遮断、情報端末による管理、
といったあたりも非難の対象となっているようだ。


だが、いまどき男子校というのはいただけない(笑)、という点を除けば、
これもそんなに大した話ではないだろう。


中高全寮制教育をしているのは何もこの学校だけではないし*2
毎日練習に明け暮れるスポーツエリート養成学校の生徒の方が、
外界から遮断されている程度は余程大きいのではないかと思う。


「厳しすぎる校則」に関しては、そもそもソースが怪しいので、
額面どおりに受け取るのはどうか、というのがあるし*3
仮に、俎上に上げられていたような、
漫画読むな、テレビ見るな、音楽聴くな、的な校則が存在したとしても、
そんなものは運用次第でどうにでもなる話であって、
そうでなくても好奇心の強い中学生、高校生のことだから、
元の校則が厳しければ厳しいほど、
いかにそれを骨抜きにするか、という知恵比べと綱引きの末、
何らかのローカルルールが形成されていくことは容易に予想される。
(子どもたちを甘くみてはいけない(笑)。)


また、asahi.comに掲載された
海陽学園副理事長・葛西敬之氏(JR東海会長)のコメントにある
http://mytown.asahi.com/aichi/news.php?k_id=24000180511300002
「自由な空想を刺激する環境は、一定の規律の中にある」
というコメントも、ある程度的を射たものだと考える*4


自分自身経験したことでもあるが、
初めからあらゆる「自由」を与えられた環境では、
「自由」に対する欲求が生まれることはない。
「自由」というのは、一定の制約の下、
それを勝ち取ろうとする不断の努力を経て、初めて実感できるもので、
多かれ少なかれそういうプロセスを経ない限り、
「自由」の本当の意味を理解して、行動に結びつけることなどできないだろう*5


要は、「制約」そのものが悪いわけではなく、
「どこまで制約するのか」という程度問題に過ぎないのであって、
「自由すぎる環境」の弊害があらわになっている現代においては、
一種の“実験校”として海陽学園のような存在があっても良いのではないか
と思うのである*6


もちろん、自分が中学生に戻れたらこういう学校に行きたいか、
と言われればもちろん「No!」だし、
仮に親になったとしてこういう学校に子どもを入れたいか、
と問われれば、それも「No!」である。


学費300万は高すぎる、というのもあるし、
男子校で6年間も育てるのは健全ではない、という思いはあるし*7
何より、本質的に反規範的精神に満ち溢れている自分がこんな環境に行ったら、
(そしてそれが子どもの代まで遺伝していたとしたら)
毎日ストレスがたまって仕方ないだろう(苦笑)、と思うからだ。


だが、それは海陽学園に子どもを入れるかどうか、に頭を悩まされている
親御さんたちが考えれば良い話であって、
外野(メディアも含め)がとやかく騒ぐ話ではないように思う。

とんだ“とばっちり”も(笑)

ちなみに、前・K成学園校長であられる伊豆山先生が、
この「規律正しい」学校の校長に収まってしまったせいで、
「K成って、そんなに厳しい学校だったの?」という
ピント外れな質問を受けることが最近多くなってしまったのだが、
もちろん、

そんなはずがない(爆)。

むしろ、伝えられている海陽学園の姿とは“対極”にある学校だった、
という方が正しい(今はどうだか知らないが)。
プライベートな時間はもちろん、
授業中でも、生徒の所在が把握できなくなってしまうような学校である*8
個々人の興味に応じて、受けたい教師の授業は受ける、
受けたくない教師の授業は受けない(聞かない)、
というスタンスが生徒間に徹底されていた、という点では、
一定の「規律」が保たれていた、というべきなのかもしれないが(笑)*9


伊豆山校長がいかなる経緯で現職に就かれたのかは知らないが、
その点だけは誤解なきよう務めていただきたいものだと思う*10

「新世代のリーダー」たちの行く末を憂いつつ

以下は、先に紹介した伊豆山先生の論文の中の一節である。

中等教育では、生徒は小刻みに教えられたことを丸暗記し、試験で評価されるが、学んでいることの先にある世界のビジョンを描こうとせず、春草の夢から覚まされることもない。人生でもっとも習得が早く、「学」の気高さに目覚め、学問を愛し親しむ感受性の強い時期を、確たる自覚なしに過ごしてしまう生徒が多い。その反省から、海陽ではきめ細やかな指導を目指したい」(前掲・日経4月24日付)

自分にとっては、実に耳が痛い言葉だ・・・*11


「きめ細やかな指導」のベクトルの向き方次第では、
悪い方にも転びかねない懸念はあるが、
“勝ち組”だの“負け組”だの、といった“俗物的思想”が溢れ変える世の中に
一石を投じうるだけの人材を育成していただきたいものだと思う。


もっとも、本当に上記のような理念に沿った教育指導が行われ、
6年後、そんな「理念」を継承した人材が飛び立つことになったとしても、
彼らの行く末は厳しいのではないか、
と、老婆心ながら心配したくなるのが今の世の実態でもある。


わが国最高峰といわれている大学においてさえ、
自分の生涯賃金の算盤を弾くことしか知らない人間は
決して少なくなかった。
ましてや、その先となれば・・・・。


6年間で培われた「世界のビジョン」を周囲と語り合う術もなく、
ただ、人の群れの中に埋もれていくだけなのだとしたら、
何とも惜しい話だと思う。


更に言えば、「良い大学へ、良い会社へ」と願う彼らの両親の存在が、
もっとも俗物的な“壁”として、
彼らの前に立ちはだかるような気がしてならないのだ。


ゆえに、残念ながら、
上記のような“理想的な教育”が成功すればするほど、
彼らの進む道は厳しくなるといわざるを得ない。


万が一、活路を見出すことができるとすれば、
それは、「世界のビジョン」の裏側に、
俗物性を許容しうる寛容な精神を宿らせることに成功したときだけ、
ということになるだろうだが、
果たして限られた時間の中でそれが可能なのかどうか、
教職科目を最初の二コマで断念した“教育者失格(笑)”な自分には、
何とも言えない。


今は、彼らの成功以前に、
社会に出てからの彼らが、心の平穏を保ちつつ生きていけることを
ただ願うのみである・・・。

*1:日経新聞2006年4月24日・第25面

*2:以前、仕事の関係で縁があった学校として、自分が高く評価しているのが長野県の佐久長聖中学・高校(http://www.chosei-sj.ac.jp/)。中学受験を控えたお子様をお持ちの親御さんたちには是非お勧めしたい。

*3:情報端末に関しては、生徒だけでなく、フロアマスターをはじめとするスタッフも常時携帯が義務付けられているようであるが。

*4:個人的には、葛西会長自身が「教育者」足りえるだけの“資質”を備えた方かどうか、ということには、かの会社から漏れ伝わる様々なエピソードから疑問符が付くのであるが(笑)。

*5:更に言えば、そういう極端な環境下での経験を共有することによって、横の連携が深まる(少なくとも表面上は・・・)というのは、多くの企業が行っている理不尽な新入社員研修の“効果”が証明している(それが良いことかどうかは別として)。

*6:「自由な社会」に生きる我々には、そういう懐の深さも必要か、と(笑)。

*7:自ら身をもって味わった経験による・・・orz

*8:授業を抜け出して隣の空きクラスで麻雀やってたなんてエピソードは、決して稀なことではなかった。

*9:そういう状況で、拗ねる先生はいても、怒る先生はそんなにいなかったし、それが処分の対象になることも当時はありえなかった。先にも述べたように、この野放図な「自由」さゆえの問題点も少なくはなかったのであるが・・・(もしかしたらそういういい加減さが許せなくて「転向」されたのだろうか、伊豆山先生は・・・(汗))。

*10:“海陽騒動”に関連して、一部で“伊豆山バッシング”的な動きがあったのは残念な話である。自分自身、伊豆山校長から卒業証書を貰った人間だから、というわけではないが、教育者としてはともかく(重なっていた期間が短いので、この点についてはコメントしかねる)、私立学校の経営者としては一定の功績を残された方だと思う。“伝統”を放棄してまでも、一部の大学への進学実績を前面に打ち出した殊更に強調して学校をアピールしようとした師の在職期間の方針に、OBとして感情的に反発したくなる気持ちは理解できるが、今の時代、私学が生き残っていくためには、それくらい下世話な戦略でも取らないとやっていけない、という事情もあったのだろう。伝統だけではメシは食えないのはどの世界でも同じことである。

*11:「春草の夢」からはまだ醒めてなかったりするのかもしれない(笑)。