「転身意欲後退」の理由?

今朝の日経新聞、社会面に掲載されていた記事*1

文部科学省は15日、法科大学院全74校の2006年度の入学状況を公表した。入学者総数は5784人で前年度比4.3%増だが、社会人の入学は1925人で、同7.9%減った。今年度から始まる新司法試験の合格率が当初の見通しより低くなったことが、社会人の法曹への転身意欲に影を落とした可能性がある。」(太字筆者)

“低い合格率”が「多様なバックグラウンドを持つ法曹の養成」を妨げる、
といった“ありふれた”論調であるが、
これが今の業界の共通認識なのかもしれない。


だが、ここでちょっと考えてみたい。


「資格」というのは、
一定のプレミアムが付くからこそ価値が生まれるものであって、
合格者を増やせば、別のところで厳しい状況が生じるだけである。


どんなに高邁な理想を掲げても、
供給過剰で有資格者が自立できない状況が生じてしまえば、
そこに「職業」としての魅力は生まれないし、
プロとしての「誇り」も薄まる*2


ゆえに、目の前に“合格率”という
ニンジンをぶら下げるだけでは問題は何ら解決しないように思われる。


そもそも、目の前のニンジンに騙されて
「転身意欲」が湧く程度の人物を、
今の法曹界は求めているのだろうか。

「立教大の淡路剛久・法務研究科(法科大学院)委員長は社会人入学者の減少について「やはり合格率の問題が大きい。合格率が3割程度では、仕事を辞めなければならない社会人は冒険できない」

そもそも、一定のキャリアを持った人間が仕事から離れること自体、
立派な“冒険”だし、
プロとしてやっていく、ということは、それ以上の“冒険”である。


仮に、合格率の増加が供給過剰にはつながらない、という前提に立つとしても、
「合格率」の数字そのものが、
冒険的要素の有無を決定的に左右することになるわけではないだろう。


「冒険」であることを承知の上で、
「社会人」を転身に駆り立てるものがあるとすれば、それは何か。


先を見るタイプの人間であれば、
「法曹」という職業そのもののステータスやプロとしての誇り。
ケセラセラ・タイプの人間であれば、
「冒険」そのものの面白さ、
ということになるだろう。


今後「法曹」のステータスが高まることはさして期待できないし、
プロとしての誇り、を持ち続けることができる環境が
開けていくことを期待するのも難しいから、
前者のタイプの人間に「転身意欲」を求めるのは、
これからの時代には、キツイかもしれない。


だが、後者のタイプの人間は、
数は少なくとも絶えることはない。


「時間を使って思いっきり勉強したい」というのは、
人間の持つ本来的な欲求から生まれてくる感情なのであり、
大学院で学ぶ、ということは、
資格なんぞを伴わなくても、それ自体十分に魅力的な営為である。
それは、いくつもの社会人大学院が活況を呈しているのを見れば、
明らかではないのか。


だとすれば、答えは至ってシンプルなものとなる。


時間を割く価値がある、といえるだけの
魅力ある「冒険」のためのコンテンツを各大学院が提供すること。
そして、「資格のための学校」という味気ない評価を甘受することなく、
大学としての本来の魅力をもっとアピールすること。


問題の本質を捉えていない迂遠な道のように見えて、
実はこれが最も本筋の“解決策”なのではないかと思う。


専門職大学院」だからといって、
修了した人間が全員「実務家」にならねばならぬ道理はない。
学部からそのまま進学したのであれば、
就職活動のスタートを遅らせるだけのことになってしまうかもしれないが、
ある程度キャリアを積んだ人間が大学院のキャリアを2年積み重ねれば、
プラスになることはあっても、マイナスになることはさほどない、
と思って良い*3


そして、「法曹一辺倒」ではない人間が、
「冒険意欲」に駆られて法律を勉強して、
ちょっとした“進路変更”をした結果、法曹資格を得る、
という状況が日常的に生じるようになって初めて
「多様なバックグラウンドを持つ法曹の養成」という理念が
達成されるのではないだろうか?*4


・・・・以上、所詮は素人の突拍子もない戯言に過ぎないのであるが、
“司法バブル”を生んだ世の不景気という暗雲が消え去った今、
これっくらいのコペルニクス的発想の大転換をしないと、
法科大学院そのものが雲散霧消してしまうのではないか、
という老婆心から出た戯言でもある。


試験のためのツールと割り切ってしまえば、
法律ほど無味乾燥でつまらないものはないが、
社会を読み解く学問的&実務的ツールとして捉えるならば、
法律ほどソウルフルで魅力的なものはない。


だとすれば、どちらを世の「転身予備軍」に向けてアピールすべきか、
答えは言わずもがな・・・、であろう。

*1:日経新聞2006年5月16日第38面

*2:現在では、各書士のみならず、弁理士の世界でも同じような状況が相次いでいると聞く(登録後数年で抹消してしまう若手(特に文系出身弁理士)が後を絶たないようである・・・)。

*3:営業職の求人には役に立たない経験かもしれないが、他の職種に関してはプラスになる場合の方が多いだろう。アピールの仕方さえ間違わなければ、“経験”というのはすべからく有用なものとして生きてくる。国内の社会人大学院修了者は、今でも、大きなリードをもって中途採用選考に臨むことができているように思う。少なくとも自分の会社での採用にかかわった者の感想としてはそうだ。

*4:異種の職業経験があったとしても、法曹を目指すマインドが法学部出身の学生と同じなのだとしたら、そこに「多様なバックグラウンド」を持つ人間を集める意味を見出すことはできないように思えてならない。

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