選ばれざりし者・本編〜W杯まであと3日

ついこの前まで、日本代表FW・久保竜彦落選、のニュースで
大騒ぎしていた我が国のメディアだが、
時が経てばすぐに忘れるが彼らの常。
ナビスコ杯の“意地のゴール”も扱いは小さかった。


世界的に見れば、もっと大きなサプライズは数多ある。
アルゼンチンでは、DF・サムエル、MF・サネッティ
キリ・ゴンザレスといったインテル勢が軒並み落選。
フランスのジュリもなぜか消え、
負傷していたとはいえ、イタリアのビエリや
スペインのモリエンテスといったベテラン勢も今大会は出番なし。


4年に一度の大会に出る、ということはかくも難しい。


今回の選考に対し、若い選手に経験を積ませるべき
という批判もあるが、
4年前にピッチで躍動し、
次の大会を担うと期待された“若手選手”が
必ずしもその経験を4年後に生かせるわけではない。

MF・市川大祐 当時22歳 J 98試合出場 5得点
→ 現在26歳 J 188試合出場 6得点        
MF・戸田和幸 当時25歳 J 141試合出場 1得点
→ 現在29歳 J 198試合出場 2得点
MF・明神智和 当時24歳 J 140試合出場 4得点      
→ 現在28歳 J 252試合出場 12得点

負傷に泣かされた市川選手、
外国で一時期不遇をかこっていた戸田選手はともかく、
その後もコンスタントにJのレギュラーを張っている明神選手が
この3年代表に全く招集されていないあたりに、
代表監督のお眼鏡にかかることの難しさを窺い知ることができる。


結局のところ、4年後を決めるのは次の監督なのだから、
世代交代云々、と言ったところで、あまり実益はなさそうだ。


◆◆
ところで、
年々サッカー特集の占める比重が大きくなっているNumber誌。
今年に入ってからだけでも、
宮本恒靖選手(644号)、小笠原満男選手(649号)、
中村俊輔選手(652号)、
そして中田英寿選手(654〜656合併号)と、
代表選手が続々と表紙を飾っている。


だが、特集の中で、
本大会に向けての熱き思いを語っている
“代表(候補)選手”たちの中にも
“選ばれざりし者”となってしまった選手たちが
少なからず存在する。

「やっぱり出たい。代表に選ばれたい。」(「やっぱり出たい。自分の夢っすから。」644号42頁)

と語りつつ、
今季スペインで出場機会に恵まれなかったこともあって、
結局代表から遠ざかったままだった
大久保嘉人選手(1982年生まれ)。

「僕らの世代は2010年の南アフリカ大会がちょうど脂が乗ってくる時期だと言われているけど、「次があるからいいや」とは決して思っていません。」(「「次があるから」とは思ってない。」644号50頁)

と前向きな姿勢をアピールしていた
今野泰幸選手(1983年1月生まれ)も、
激戦ボランチ争いの一角を崩すことはできず。


ランパードマケレレの働きを一緒にやれたら」という
理想を語っていた、
我らが阿部勇樹選手(1981年生まれ)。

「いや、まだ自分が出ているイメージはないんです。まず、選ばれるために競争に勝たないといけない。それには自信を持ってやらないとダメだと思っていますし、もっとレベルアップしていかないといけない」(佐藤俊「理想への階段」644号67頁)

ドイツのピッチで、
せめてフリーキックだけでも彼に蹴らせたかったと思っているのは、
ジェフサポだけではないだろう。

「いや、W杯は厳しいっすよ。日本に帰ってTVで見ます」(木崎伸也「代表を超えていけ!」649号59頁)

フル代表の候補としては一度も名前が挙がることのなかった
平山相太選手(1985年生まれ)。


だが、久保選手が代表を外れた今、
今大会の巻選手の仕事次第では、
「何で呼ばなかったんだ・・・」という声が出ないとも限らない。


そして、松井大輔選手(1981年生まれ)。

「出たいですね、やっぱり。そのためにはル・マンで結果を残すことが大事だと思います。試合に出続けることがそれにつながると。実際に出られるかどうかは今は分からないですけど、とにかくチームで頑張らないと」(中山淳「未来を紡ぐ志向」644号62頁)
「僕はフランスでこれだけやってきたし、それでも選ばれなかったらそれはしょうがない。やってきたことに悔いはないし、それだけの実績はもう残している。」(田村修一「難局にこそ活きるドリブラー。」649号55頁)

個人的には、彼が落選したのは
“久保落選”以上のサプライズだったと思っている。


そもそも“神様”に代表を託したのは、
システムに固執して才能ある選手を大舞台に立たせなかった
前任者へのアンチテーゼからではなかったのか・・・。


難局は必ず訪れる。
その時に“松井大輔がいない”ことの意味に、
気付かないだけの結果を残してくれるなら
それにこしたことはないが、そうなる保証は全くない。


◆◆
「次」を待てる世代はまだいい。
だが、時間が待ってくれない世代の選手たちもいる。


12月に「来年はワールドカップがあるね」と聞かれて、

「いや、分からん。全然。なんも考えてない。ホントに・・・」(「いや分からん、何も考えてない。」644号43頁)

と答えた久保竜彦選手(1976年生まれ)。


次に掲載された記事は、
全身に抱える「爆弾」との戦いを報じるセンセーショナルなもの。

「忘れていると、腰、やっぱくるんすよね。何となくホッとしていると、くるんですよ。でも、ワールドカップ・・・出てみたいっすねぇ。」(佐藤岳「アンビバレントな肉体」649号30頁)

今になってあらためて読むと、実に痛々しく、
そして、物悲しい。


記事を読む限り、
今年に入ってからの何度かの“テスト”が
久保選手の症状を悪化させたのではないか、
という疑念も浮かぶ。


もし、彼が全盛期のカズのような絶対的なエースだったら、
“テスト”など経なくてもチームに彼の席は残されていたはずで、
“競争”というプロセスを経なければならなかったところに、
今の久保選手の限界があった、と言えなくもないのだが、
それでも、4年に一度の舞台を信じて待った29歳には、
あまりに酷な結末だったはずだ。


代表発表前最後の記事(佐藤岳「必然のゴールを導け。」652号38頁)
には掲載されなかった久保選手の肉声。


できることなら、本番のプレスルームで聞きたかった・・・。


◆◆
夢の舞台に立つはずだった。
いや、立つべき選手だった。

「代表として過ごしたこの2年あまりの間、僕個人もいろんなことを吸収して、プレーの幅も広げられた。チームとしても組織としての連繋を築くことができた。組織的な守備というのも大事だけど、最後はどれだけ選手各自が責任を持ってやれるか。そういう意味ではみんな自信を持ってやれていると思う。」(「いろいろ一気に考えなくちゃ。」644号48頁)

田中誠選手(1975年生まれ)。


宮本恒靖選手と並ぶ日本代表DF陣の柱として、
649号では、ディフェンス論まで語らされていた彼が、
(戸塚啓「田中誠と考えるディフェンスの論点。」58頁)
直前で夢を諦めざるを得なくなってしまったことに、
運命の悪戯を感じて、いたたまれない気持ちになる。


◆◆
今大会で、日本代表が実力どおりの力を発揮するのか、
それとも、あっけなく散るのか、
始まってみるまで、結果は誰にも分からない。


だが、いずれの結末を迎えるにしても、
サムライブルー”の旗を振る者としては、


神様のお眼鏡に叶わなかった者。
運命の悪戯でドイツに行くこと、留まることを許されなかった者。
そして、試合展開のアヤ、その他諸々の事情により、
ベンチに座ったままフィールドに立てなかった者。


そんな選ばれなかった選手たちの存在を、
決して忘れてはならない、そう思うのである。

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