夢から醒めた日。

何日か前の新聞に掲載された、
沢木耕太郎氏の不定期連載エッセイ『ワールドカップ街道』*1


「海外組「幻想」と「限界」」と題するこの回の中で、
沢木氏は、
「あまりにも輝かしすぎた」中田英寿選手の成功例が

「誰もが海外に行くことで個の能力を高められると素朴に考えられるようになってしまった。」

という現象を引き起こした結果、
この4年間で、日本代表の中核をなす「海外組」の選手たちが
能力をすり減らし、足踏みの状態に陥ってしまったこと、
そして、当の中田選手自身が
「トップチームでレギュラーの座を確保するのにも苦労するようになってしまった」
にもかかわらず、
日本のサッカー界にある「中田幻想」が、
「彼の置かれている状況を直視せず、すべてを周囲の責任にして納得する」
という現象をも巻き起こしてしまった、とし、
そこに今大会での日本代表の低迷の要因があると指摘した。


そして、“低迷”の背景にひとしきり思いを述べられた後に、

「このワールドカップは、日本のサッカー界がすがってきた「中田幻想」からの解放の時であったかもしれないとも思う。」
「ブラジル戦が終わって、中田はピッチに横たわったまましばらく起き上がらなかった。そのとき、彼は泣いていたのではないかといわれる。だが、もし、本当に泣いていたのだとしたら、それは報道のように、共に戦ってくれなかったチームメイトへの怒りからではなく、自分がサッカーの世界でできることの限界を見てしまったからではないかという気がする。」
「そして、それは、中田自身が「中田幻想」から自由になる時を迎えたということを意味するものなのかもしれない。」

と締めくくられていた・・・。


残念ながら、沢木氏の洞察力は、
実に的を射たものだったようである。


いや、中田選手はもっと前から“限界”を見ていたのかもしれない。


突如として中田選手本人のブログにアップされた“最後の言葉”。


残念ながらアクセスが殺到しているらしく、
原文に直接あたることはできていないのだが、
akamon2006氏のブログに全文が掲載されている。
http://d.hatena.ne.jp/akamon2006/20060703


ここではリンクのみに留めることにするが*2
自分がそこから感じたのは、
同世代の中田選手がこれまでに積み重ねてきた時間の重さ、
そして、それゆえに、彼が抱えてきた哀しみ・・・である。


自分は、彼がこの世の中で見てきたもののほとんどを
まだこの目で見ていないし、この後も見ることはないかもしれない。
彼が感じてきたのと同じような重圧や背負ってきた責任は
決して自分が味わったことがないものだし、
これからも多分一生味わうことはない。


だが、それゆえ自分は、
まだ見ぬ世界を夢見て、生きていくことができる。
今よりももっと広い世界と責任のある仕事を求めて、
前に進んでいくことができる。


様々なエピソードの中で語られているように、
中田選手は、極めて知的で、聡明な人物だと思われる。
それゆえ、サッカー以外の世界でも、
活躍していくことは十分に可能だし、
常人をはるかに上回る実績をビジネスの世界でも残すことだろう。


だが、その時、
国を背負った11人の真ん中で戦った時と同じだけの
感動と歓びを彼自身が味わうことができるのだろうか・・・?
そこに彼を満たすだけの前向きな何かが
残されているのだろうか?


抑制の効いた言葉の裏に、
とめどなく流れる中田選手の熱情を感じるからこそ、
自分は今、“惜しい”という言葉では表しきれない
空しさを感じている。



最後に、一人のサポーターとしての、
ねぎらいと惜別の言葉に代えて、
Number増刊号(7/4臨時増刊号)に掲載された、
論者の中田への賞賛と日本代表への辛らつな愛情に満ちた
言葉の数々を引用することとしたい。

「そんななかで、中田英は文字どおり孤軍奮闘した。後半ロスタイムにゴール前まで詰めた彼は、クロスボールが相手DFにカットされるとそのまま大の字になってしまった。まだ試合が終わっていないにもかかわらず、である。それぐらいに疲れ切っていたのだ。」
中田英にしてみれば、最後は自分がやるしかないという思いが強かったのだろう。ただ、責任感と紙一重にある絶望が、4年前同様に自らを特別な存在のままにしてしまったのではないか。彼には何をしてもチームを牽引してほしかったし、チームメイトは彼の言葉を本当の意味で理解してほしかった。」
「日本は何のためにドイツへやって来たのか。何もしないまま大会を去ることに、悔恨の念はないのか。いつからこれほど傲慢になってしまったのか。込み上げてくるのは、悲しみと怒りと、無念さとやるせなさである。」(戸塚啓「この屈辱を忘れない。」24頁)

「僕は中田の言葉は聞いていない。だが、彼が全身全霊を込めて戦ったことは、そのプレーから痛いくらい伝わってきた。どうして、すべての選手が彼のように戦うことができなかったのだろう。これはワールドカップなんだ、あいつみたいに戦えよ。それが僕の本音だ。」
「そして、僕がもっともいいたいのは、この悔しさ、この痛みを決して忘れてはならないということだ。そのことを身体に刻むことで、僕たちはまたきっと正しい道を進むことができる。」(原博実=熊崎敬「痛みを忘れず正しい道を進め。」25頁)

「もし20歳の、フランスW杯を目指したナカタヒデトシが、今の自分の姿を見たら、こう叫ぶかもしれない。「情けねえ。がんばっているだけで、何にも決定的な仕事ができてないじゃねえか。」」
「だが、20歳のナカタでは越えられなかったものと、今の中田は闘っている。20歳のナカタでは理解できなかったものと、今の中田は向き合っている。」
クロアチア戦の試合終了の笛が鳴った瞬間、中田は両手で地面を叩き、そのまま仰向けに倒れ込んだ。一滴の余力も残すことなくプレーした証だった。」(木崎伸也「中田英寿。ドイツの空に見たもの。」40頁)

今回の大会で中田選手が求めていたのは、
自身に対する賞賛の声ではなく、
チームの勝利、ただそれだけだったのだろうけど、
全てが終わってしまった今、
彼にかけるべき賞賛の言葉は、いくらあっても足りない、
そんな気がしている・・・。

*1:日経新聞2006年6月30日付け朝刊・第34面。

*2:著作者(転載者)の意思がいかなるものであれ、適切に要件を満たしている限り、引用を禁じることはできないはずだが、ここはあえて彼らの意思を尊重することにしたい。

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