昨日のエントリーで紹介した
「ローマの休日」の著作権の保護期間をめぐる決定について、
新聞紙上に関係者のコメントがいくつか掲載されているようだ。
自分の手元にある日経紙には、
西村ときわの岩倉正和弁護士と甲野正道・文化庁著作権課長のコメントが
掲載されているのだが、
これがなかなか興味深い。
岩倉弁護士は、
東京地裁の決定内容には「自然で説得力がある」、
として、結論自体は認めざるを得ない、とする。
そして、
「問題の根源は単純に立法技術にある。改正著作権法の施行日をなぜ、2004年1月1日よりも早く設定しなかったのか、理解に苦しむ。」
と厳しい見解を述べられている。
実質的な立法サイドである文化庁としては、
「1970年法の施行日だって『1971年1月1日』だったじゃないか!」
と泣きたい気持ちだろうが*1、
53年作品については、そもそも70年法による保護期間延長の効力自体、
東京地裁によってほとんど否定されたに等しいわけだから、
単に自分達で作った解釈に“騙されていた”に過ぎず、
あまり潔い言い訳とはいえないだろう。
また、甲野課長は、
という“どっきり発言”の後に*2。
「法制局にも確認のうえ、立法趣旨にかなう制度設計をした。」
「業界関係者をはじめ、問い合わせにはすべて53年の公表作品の著作権は守られると回答してきた。」*3
と述べられるが、
AKIT氏がブログの中で指摘されているように*4、
「法解釈の一つの根拠とされる「立法者意思」における「立法者」とは、法案を作成した行政庁でも、法令を審査した内閣法制局でもなく、あくまでも立法府たる国会であることも、この判決は教えてくれている。」
のであって、「我々がそう思っていたのだから保護されるのだ!」
という空気を漂わす上記のような発言は、
本判決の前ではいかにも苦しい弁解といわざるを得ない。
◆◆
もちろん、これから抗告審の決定に向けて、
様々な動きは出てくるだろう。
普通の人が客観的に観たときに、
本家本元の映画会社と格安DVD業者のどちらが
「胡散臭いか」と問われれば、ほとんどの人が後者を選ぶであろう。
したがって、地裁判決が法解釈としていかに妥当なものであったとしても、
「世間知らずの裁判官が出した判決」として、
世の非難を受ける可能性はある。
そして、著作権侵害ではなくても
フリーライド的行為に対しては不法行為の成立を認める、
という最近の高裁の“絶妙なバランス感覚”を見ていると*5、
仮に今回差し止めを認めなかったとしても*6、
最終的には何らかの形(本訴等)で
パラマウント側に“実を取らせる”のではないか、
という予想も十分に立てうる。
だが、何らかの形で、地裁決定の結論が覆ることがあったとしても、
地裁決定が述べているような
「利用者と著作権者のバランス」の精神は
決して忘れられてはならないものだと思う。
自分自身、映画だの映像製作だの、
といった業界に生きているわけではないから、
「ローマの休日」級の“不朽の名作”に対し、
投下資本等に照らしてどの程度の保護期間を与えるべきか、
そして、それに対するフリーライドをどこまで制限すべきか、
といった“相場観”を有しているわけではないし、
世のほとんどの人がそうであるに違いない。
そして、そういった客観的な“相場観”が
その業界の関係者によって公然と語られることは
恐らく期待できないだろうから*7、
結局は、権利者サイド(&その意を受けた立法者サイド)と
ユーザーサイド双方の「声の大きい人たち」が奏でる
不協和音を聞きながら、
勝手な憶測を繰り広げるほかなくなってしまう。
ゆえに利用者と権利者との間では、
常に“情報の非対称性”といった現象が生じ、
必然的に権利者寄りの解釈が許容される余地も生まれてくるように思われる*8。
今回の地裁決定が与えた衝撃の波は大きいが、
もしかすると、それは「一瞬の波」で終わってしまうかもしれない。
だが、東京地裁が、純粋な法解釈の地平に立ち戻ることで、
「バランス」の精神を取り戻そうとした、そのこと自体は、
今後異なるフェーズにおいて、
公権解釈をめぐる議論が生じた場合においても、
生かされていかなければならないのではないだろうか。
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なお、こんな話をした後に、全くの余談で恐縮であるが、
「エンタテインメント契約法」などで有名な某弁護士の先生が、
近頃名画座の運営に乗り出されている、という話は良く聞くところ。
せっかくの機会なので、
いっそのこと、「1953年作品特集」でも
おやりになったらいかがであろうか。
もちろん権利者の許諾なしに(笑)。
「ローマの休日」というわけにはいかなくとも、
戦後、日本映画界が華やかなりし頃のことであるから、
掘り起こせばいくらでも出てくるに違いない。
上映前に、大学教授や弁護士、裁判官を呼んで、
53年問題について一言語らせれば*9、
著作権マニアのみならず、ファン心をくすぐり、
より味わい深く名作を見ることができるはずだ(爆)。
そして、真の映画人なら、
お蔵入りになったまま著作権に保護された「著作物」として
“わが子”が生かされるより、
「著作権切れ」の作品として扱われても、
多くの人の目に触れられる方に喜びを感じるのではないか
と思ってしまうのは、
ユーザーサイドの人間の勝手な思い込みなのだろうか・・・?
*1:実際、甲野課長のコメントの中で、70年法の施行時にはこういう問題は起きなかった、という発言がなされている。
*2:そもそも「法律を作る」のは国会の権限だろう、というベタな突っ込みはさておくとしても、「特定の年代の作品の著作権を守る目的」があった、とあからさまに言うのは、いかがなものかと思う(実際、「小津映画の著作権が失われるのは惜しい」といった話題は当時から出ていたようではあるが)。米国でも“ミッキーマウスとともに保護期間が延びる”と揶揄されているが、「ミッキーマウスを守る目的」を公の場で主張する立法側の人間がそんなにいるとは思えない。
*4:http://d.hatena.ne.jp/AKIT/20060712/1152713772#tb
*5:現時点では特定の合議体に限られているようであるが・・・。
*6:そもそも不法行為に基づく差止請求を裁判所に認めさせるのは至難の業だから、仮処分段階では問題になりえないように思う。
*7:もし、この程度の映画に70年の保護なんて長すぎる!と思った関係者がいたとしても、それによって何らかの利得が得られる間は、そんなことは口が裂けても言わないだろうと思われる。
*8:今回の決定に対しても、権利者側が一様に「反対」を唱えるのが間違いない状況であるのに対し、利用者側の評価は多岐に分かれている。
*9:映画の上映時間より「一言」が長くなる恐れなしとはしない。